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StarChaser 星狩りの魔女  作者: NES
第2章 ヤポニアの魔女
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ヤポニアの魔女(2)

 窓から射し込んでくる優しい光で、フミオは目を覚ました。ワルプルギスを包む偏光フィルターの性能は抜群だ。朝の静謐せいひつな空気も、訳もなく物悲しくなる夕焼けも。星々のきらめく夜も、しっかりと再現してくれている。とりあえず今日の天気は、晴れだ。いつぞやのような失敗はしないで済みそうで、ほっと一息だった。

 ワルプルギスでは、週に一度くらいの頻度で雨の日が設定されていた。湿度調整の他に、機密チェックなど幾つかの実用的な理由もあってのことだ。そのことを知らなかったフミオは、一晩中洗濯物を外に放置してしまった。早朝にトンランが大慌てで回収して、寝ぼけまなこのフミオの顔面にパンツを投げ付けてきた。それがあってから、フミオはデイリーワルプルギスの天気予定欄をまめにチェックするようになっていた。


 ベッドから起きると、フミオは配達員がドアの隙間に突っ込んでいった新聞の束を手に取った。ワルプルギスでも、母星ははぼしの新聞を読むことはできる。その代わり、一日から二日遅れの内容だ。貨物便とは別に、小型の郵便船が一日二回の頻度で母星ははぼしと往復していて、新聞は郵便物と一緒にそれに乗せられて運ばれてくる。

 その便を使って地上と行き来できないかトンランに尋ねてみたところ、貨物室の環境に耐えることができるのならば、とのことだった。気密がいい加減なのに加えて、重力の調整も当然のようにおこなってはくれない。命知らず向けというか、果物もぺっちゃんこに潰れるというのだから確実に無事では済まされない扱いだろう。

 そんな危険に満ちた旅路を経てやってきたヤポニア新報にざっと目を通してから、フミオは今度は高々数ページ程度の薄っぺらい新聞の方を広げた。これがワルプルギス唯一のニュースペーパー、デイリーワルプルギスだ。人口三千人程度のワルプルギスで、毎日起きることなんてたかが知れている。『酪農区画で飼われている牛のメルティちゃんに第一子誕生』とか。大衆紙と呼ぶのもおこがましい。あまりにもローカル色が強すぎて、フミオは涙が出てきそうだった。


 伝えるべきニュースが少ないということは、それ自体は別に悪いことでも何でもない。この新聞を見ている限り、ワルプルギスは平和そのものだった。事故もないし、魔女たちの毎日はむしろ刺激が不足しているくらいだ。

 デイリーワルプルギス自体は非常に活動的で、やる気に満ちた報道機関であると思われた。紙面の作り方を見れば、フミオにだってそのくらいのことは判断できる。この様子なら、いざワルプルギスに何か変化があった場合には、この新聞は大いに役に立ってくれそうだった。例えそれがどんなに些細なことであったとしても、すぐに嗅ぎつけて紙上で大きく報じてみせるという気概を感じる。フミオのワルプルギス来訪についても、デイリーワルプルギスはしっかりとネタに取り上げていた。


 ……しかし、まさか歓迎会の会場にデイリーワルプルギスの記者がいて、あんな恥ずかしい場面をトップ記事で紹介されてしまうとは。フミオの方はサトミどころか、ニニィの写真ですら撮ることができなかったというのに。ヤポニア最大手の新聞社であるヤポニア新報のフミオは、この田舎新聞に完敗したのだ。そう考えると、実に憂鬱な気分になってきた。


「おはようございます、フミオさん」


 ゴンガン、とドアがノックされた。トンランは毎朝フミオが起きるくらいの時間になると、必ずフミオの部屋にやってくる。一般人であるフミオが防御士シールダーの同行なしに、その辺りをふらふらと出歩かないようにするためだ。

 ノックをしてからドアを開けるという習慣は、最初の惨劇を経てからすぐに学習された。その時はボロアパートのドアが蝶番ちょうつがいの金具ごとぶっ飛ばされて、フミオの顔面に正面から激突する事態となった。トンランは念動力とか、重力制御についても優秀な魔女であるらしい。流石は、要人警護の仕事を任されるだけのことはある。ただし、魔女であるのと同時に淑女レディでもあるので、対応にはそれなりの礼儀があってしかるべきだった。


「おー、起きてるよー」


 寝間着姿だが、服を着ていることに変わりはない。パンツ一枚でドアが飛んでくるのだから、全裸ならこんなボロアパートは倒壊してしまうだろう。がちゃり、とドアが半分だけ開けられて、トンランが室内の様子をうかがってきた。防御士シールダー相手に手は出せなくても、視覚情報を用いた精神攻撃は可能だ。もっとも、その後に受ける物理属性による反撃については、どう足掻あがいても回避不能だが。


「ちゃんと服、着てますね。朝御飯はどうしました?」

「これからだよ。パンでも焼いて食べるさ」


 空気の汚れが致命的となるワルプルギスでは、火を用いた調理をおこなうには特別な免許が必要だった。フミオの借りているアパートも例外ではなく、キッチンには火を使う設備は一切取り入れられていなかった。

 代用品として置かれているのが、電熱式の調理器だ。フミオはワルプルギスにきて初めてこの手の機械に触ったが、想像していたよりもずっと使い勝手が良いものだった。トーストが作れて、コーヒーが淹れられるのなら、それで文句は何もない。ワルプルギスでの生活は、実に快適なものだった。


「その写真、飾ってるんですね」

「ん? ああ、いましめってやつだ」


 トンランが見付けたのは、壁に貼りつけてあるデイリーワルプルギスの切り抜きだった。フミオとサトミが握手を交わしている。背筋を伸ばして、しっかりと前を見据えたサトミと。下を向いてぐんにゃりと背中を丸めているダサダサのフミオの姿が、判りやすく対照的にとらえられていた。この一枚を撮った記者は、さぞや鼻が高いだろう。母星ははぼしなら間違いなく、報道大賞ノミネートだ。この悔しさを忘れないようにと、フミオはこれを常に目に付くところに置くことにしていた。


「フミオさん、メロメロだったもんね。サトミは美人だし、ヤポニアの人ってああいう子が好みなんでしょ? なんだっけ、ナデシコだとか何とか」

「まあ、それもそうなんだけどさ」


 サトミが美しい女性であるということは、実際その通りだった。つややかな黒髪に、透き通る白い肌。全てを見通すみたいな真っ赤な双眸そうぼう。その姿を見て、心を奪われないという方がどうかしている。

 ただ、フミオはそれだけの理由であの場で硬直してしまった訳ではない。綺麗な女性なら、今までだって何度となく目にしてきた。学生時代に付き合っていた女の子だって、その当時は他の誰よりも素敵だと思っていたものだ。女性に対する免疫がないと判断されるのはちょっとしゃくだった。デイリーワルプルギスの書きざまには、そこの一点に限って文句があった。『ヤポニアの純情記者は童貞か?』ってやかましいわ。


「サトミ・フジサキの場合は、ちょっと違うんだ。彼女はその……俺の中にある『魔女』のイメージ、そのまんまって感じだったからさ」


 人の心を惑わせる、ワルプルギスに住まう美貌の魔女。夜空を流れ星よりも早く飛び、母星ははぼしに害をなす隕石を狩る星を追う者(スターチェイサー)


 ヤポニア出身の魔女が星を追う者(スターチェイサー)候補生になったと聞いて、フミオは自分の中である程度勝手なイメージを妄想していだいていた。黒髪の美女がホウキに乗って、風を切って星空をく。幻想的で、心が躍る光景だ。フミオはそのビジュアルを追いかけて、はるばるワルプルギスにまでやってきたと言っても過言ではない。


 もちろん、それがフミオの中だけにあるものだとは重々承知した上でのことだった。現実は当然その通りではないだろう。

 サトミが若い魔女であることは知っていたが、それ以外の情報はまるでなしつぶてだった。事前調査をしても、具体的な情報どころか写真の一枚も手に入れられなかったのだ。そんな状態だからこそ、フミオはその姿をあれこれと自由に思い浮かべていた。

 自分の好みとか、素直な願望とか。そういったありとあらゆる要素を一つに結び付けて。フミオは自らの望む、『ヤポニア人の星を追う者(スターチェイサー)』の姿を思い浮かべていた。会えるはずのない、理想の魔女像とでも表現するべきか。


 いやしかしまさかそれが、そのまま目の前に現れるなどとは夢にも思わない出来事だった。驚きもするし、麻痺もする。フミオの心の中を見透かした、どこかの魔女の悪戯かとも思ったくらいだった。



「つまり、サトミはフミオさんの好みどストライクってことでしょ?」


 ごちゃごちゃと理屈をこねくり回しているが、単純に考えればそれだけのことだろう。トンランはやれやれと肩をすくめた。ヤポニア人は、物事を不必要に難しくとらえすぎる。研修生時代のサトミにも、そういう傾向はちらほらと見受けられた。勤勉で真面目。融通ゆうづうが利かない。これは恐らく、ヤポニアのそういう国民性に違いなかった。


「まー、好きになっちゃったんなら、そういうことなんでしょう。それはそれとして、次に会った時には緊張しすぎないで、お話ぐらいはできるようになっておいてくださいね」

「いやそんな、俺が簡単に色仕掛け(ハニートラップ)に引っかかるみたいな言い方は勘弁してくれないか」


 面倒臭い。そして、往生際が悪い。想像していた通りの可愛い子だったので、好きになってしまいました。それで良いじゃないか。トンランとは普通に挨拶して、普通に握手までしたくせに。魔女らしくなくて、それはどうも、大変申し訳ございませんでした。トンランはだんだん不愉快になってきた。


「魔女なんだから相手に好印象を植え付けるために、魅了チャームぐらい使う可能性はありますよ。ちょっとドキドキしたからって、そこまで動揺しないでください!」

「お、おう」


 サトミのことだからそんなことはしていないだろうが、そうとでも言っておかないとやかましくてたまらなかった。どうせ今度また、インタビューだなんだで二人は顔を合わせることになるのだ。フミオにはそこでたっぷりと、自分の内なる感情と向き合ってもらえば良い。サトミの方は色恋沙汰にはあまり関心がなさそうな性格だし、それでバランスが取れるだろうという気もしていた。

 後は野となれ山となれ、だ。


「今日は国際高空迎撃センターに取材に行く予定でしょう? ほら、さっさと支度をする!」


 ここ数日で、トンランはすっかりフミオのマネージャーになっていた。フミオの行動予定を把握しておかないと、警護の任務が果たせないのだから仕方がない。そうでなくても、フミオはすぐに一人でどこかにいこうとして困っていた。

 この前はちょっと目を離したすきにいなくなって、慌てて探し回ったらアイスクリームの屋台で値引き交渉をしていた。新聞記者というのは、実に無駄な行動力にあふれた職業だ。チョコミントひとつくらいで許せるものでは、断じてない。

 それにフミオが国際高空迎撃センターに取材に行くのは、これが初めてのことだった。フミオについていけば、トンランだって入ったことのない区画が見れるかもしれない。正直、今日のことはちょっぴり楽しみにしていた。

 それがこんな、いつも通りのぐだぐだの朝のやり取りだとか。肩透かしも良いところだ。


 トンランの機嫌が悪い理由が判らず、フミオは首を傾げながらコーヒーを淹れ始めた。ワルプルギスの農園で取れたというコーヒー豆は、苦みが強くて眠気覚ましにはぴったりの逸品だった。




 取材のための準備を整えて、フミオはアパートの外に出てきた。遠くに、国際高空迎撃センターの塔が見えている。あそこまで歩いていくとなると、結構な時間がかかりそうだった。


「じゃあ、魔女タク呼んできますね」

「ちょっと待った」


 いつものように魔女タクを停めようとしたトンランに、フミオは制止の声をかけた。ワルプルギスでの生活を始めてみて判ったが、魔女タクは結構割高な代物だ。できることなら、無駄な出費は避けておきたい所存だった。

 ワルプルギス全体でそれなりに自給自足はできているので、食材はそこまで高額でもない。ただ、母星ははぼしからの輸入に頼らざるを得ない物品類は、地味に値段が高かった。

 カメラのフィルムや現像液もそうだ。それから、ヤポニアとの通信費も馬鹿にならない。極めつけは、フミオが毎朝読んでいるヤポニア新報だった。


 新聞の仕入れは、わざわざ母星ははぼしから郵便船を使って毎日取り寄せるという手段を用いている。ワルプルギス内では、母星ははぼしの新聞は実はかなりの高級品として扱われるものだった。

 大使館でも全体で一部しか取っていないし、国際高空迎撃センターでも数部が回し読みされているような状態だ。それを個人で定期購読しているフミオは、余程の金持ちか物好きかのどちらか、ということになる。その結果として、フミオの生活財政は現状かなりの窮地きゅうちに立たされていた。


「お金がないなら新聞取るのやめましょうよ。大使館にいけば読めるし」

「いや、それじゃあ切り抜き(スクラップ)ができないだろう」


 当然だが、このワルプルギスで母星ははぼしの新聞を切り裂くなんて行為を趣味にしているのは、フミオただ一人だった。新聞紙が欲しいなら、デイリーワルプルギスがそこかしこで余っている。母星ははぼしからの情報を得られる貴重な媒体を、ハサミで切って帳面に貼るだなんて。ワルプルギス在住の魔女からしてみれば、とんでもないことだった。


「でももう時間がありませんよ?」


 アポイントメントは昼前に取ってある。国際高空迎撃センターは、極大期でなくとも母星ははぼしに迫る隕石の監視で忙しい場所だ。遅刻なんかしたら、二度と約束をしてくれなくなるかもしれない。

 いや、いくらなんでも、魔女たちもそこまでケチではないだろう。だが、フミオの心象が悪くなるのは確実だ。フミオの評判が良くないとなると、それがサトミの耳にも入って、再び顔を合わせた時にはすっかり嫌われているという悲劇も起きかねない。魔女タク代も出せないような貧乏記者が相手では、まともな取材はさせてくれないだろうか。フミオの思考は、意味もなく何回転もから回っていた。


「そうだ、トンランも魔女なんだよな?」

「ええー、そうですけどぉ」


 フミオが何を考えているのかを察して、トンランはあからさまに不快感をあらわにした。


「フミオさんはご存じないかもしれませんが、ワルプルギスではホウキの二人乗り(タンデム)って、それなりに親しい間柄の関係じゃないとやらないんですよ?」


 有りていに言ってしまえば、男女で一緒のホウキに乗っていれば、それはもう二人は付き合っているのとほぼ同義だった。魔女はお気に入りの男子以外、自分のホウキに乗せたいなどとは思わない。ホウキは魔女にとって自身の一部でもあり、それだけ大切なものだった。

 魔女タクだって、最初は導入に抵抗があったくらいだ。ワルプルギス内の魔女以外の人員の拡充に従って、仕方なく認められてきたという経緯がある。あれは車であり、輸送手段だ。それで今は何とか納得しているが、ホウキの方は全く別な話だった。


「仕事なんだから割り切ってくれ。頼む、俺を助けると思って」


 少なくとも、ヤポニアの新聞よりは安く見られている訳だ。トンランははぁ、と深い溜め息をいた。フミオには悪気が一切ない。だから余計に腹立たしい。これはものを知らないヤポニア人に対する、やむを得ない事情による大サービスだ。

 トンランが軽く手を振ると、そこに一本のホウキが現れた。サトミのことが好きだって判っているのに。お人好しにも程がある。


「誰かに見られたくないので、高いところを飛びますよ。落っこちないでくださいね」


 むしろ、落っこちて頭でも打てば良いのだ。もしそうなれば護衛としては失格だろうが、きっとトンランの気分はすっきりと晴れる。母星ははぼしではこういう時、馬に蹴られて死んでしまえとでも言うのだったか。


 人間の男性を乗せて飛ぶのは、若い魔女たちのちょっとした憧れだった。トンランのその大事な初めてを、こんな簡単に奪ってしまうとは。フミオはとんでもないスケコマシだ。


「すまん、恩に着る。ありがとう」

「何かあったら、フミオさん責任取ってくださいよ」

「解ってる」


 解ってない。口の中でぼそりと呟くと、トンランはホウキを急発進させた。こうなったら、嫌でも忘れられなくさせてやる。心的外傷トラウマでも何でも、しっかりとその身に刻み付けるがいい。フミオの悲鳴と腰に回された手に、トンランはちょっとだけ我を忘れていた。


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