ヤポニアの魔女(1)
ワルプルギスで生活する人間の総数は、降臨歴一〇二六年現在およそ三千人である。そのうち、魔女の数は千人にも満たない。母星にいる魔女の総数は、正確なところは不明ではある。それでも実際において住民の三人に一人が魔女という状況に置かれると、明らかに過密であるとは感じられる。市街で女性に出会った場合は、まず魔女だと思っておいて間違いはない。
観光客の立ち入りや一般人の転入を禁止しているため、ワルプルギスでは人の流動性はほとんどない。基本的には国際高空迎撃センターの職員と、その家族が生活する空間だ。例外的に、紛争に巻き込まれた魔女難民を一時的に受け入れることがある。本稿の執筆時にもマチャイオで海洋資源を巡る軍事衝突が勃発し、戦火を逃れてきた魔女たちがワルプルギスでの生活を余儀なくされていた。
魔女たちは人間同士の争いには一切加担しない。戦争協力も、国際法によって固く禁じられている。魔女の持つ力を軍事力として用いれば、母星全体を壊滅の危機に追いやる可能性があるからだ。巨大な隕石を打ち砕くのに使用される隕石破砕に至っては、母星の上では禁呪とされている。具体的には対流圏より下では大量破壊や汚染の可能性ありとして、隕石破砕の発動は認められていない。
かつてヤポニアでそうであったように、そして現在マチャイオで進行しているように。迫害を受けたり戦争に巻き込まれたりした魔女たちは、行き場を失って難民と化す場合が多くなる。今のところはワルプルギスがその役割の範疇を越えて、難民たちの救済にあたっている。
しかしワルプルギスは本来国際高空迎撃センターのために用意されたものであり、『魔女の国』であることは魔女たちの意図しないところだ。将来的な方向性としては、魔女たちが安心して暮らせる土地を準備しようという計画も、各方面で検討中となっている。その中で一際大きなものが、母星を回る二つの月のうち、より内側の公転軌道を持つフダラクを緑地化し、魔女の国とする国際プロジェクトである。
国際高空迎撃センターを、ワルプルギスからフダラクに移すというプランも提案されている。ワルプルギス自体をフダラクに着陸させ、そこを拠点にしてフダラクに人間の生活圏を設けようというものだ。こちらの難点は、フダラクからでは星を追う者を母星全域に派遣する際に、問題が生じてしまうとのことだった。ワルプルギスの重力は魔女たちが自由に制御できるのに対し、フダラクは自身の質量に見合ったそれなりの重力を所持している。その均衡を保つための人工重力衛星の再配置を計算するだけで、ワルプルギスの予測士たちはパンク状態に陥ってしまった。
またフダラクへの移住に関しては、それ以外にも大国間のパワーバランスも影響している。
フダラクに関するプロジェクトは、費用対効果の観点から長い間予算が付かずに凍結状態に置かれていた。フダラクには水も空気もないため、環境改造にかかるコストが莫大となることが試算によって判明していたからだ。各国からの供託金で活動している国際同盟では、なかなか実現が難しいという状況だった。
ところが近年の地質調査の結果、フダラクの地下に大量の資源が存在することが明らかになった。これを他の国家に独占させる訳にはいかない。列強諸国は、俄かにフダラクへの関心を示し始めた。
魔女たちにとって、フダラクの地下資源はそれほど興味深いものではない。魔女たちの望みは、母星を隕石から守ることにのみある。後はせいぜい、静かで穏やかな暮らしがあれば良い。筆者の知る限り、魔女たちは必要以上に多くの物を望まない傾向にあった。むしろ慎ましやかで、強い欲望を持っていないようにも感じられる。
もし仮に魔女たちが母星での覇権を欲するのであれば、人類との間に今みたいな迂遠な関係を構築する必然性は全くないだろう。その気になれば、明日にでも隕石破砕で地上は火の海になる。魔女たちが心優しい平和主義者であることは、明白な事実である。
そしてそうであるが故に、フダラクの潤沢な資源は魔女たちにとっては過ぎた代物だ、というのが列強諸国の理屈となった。環境の改造は魔女たちにやらせて、後に残ったうまい汁だけを吸わせてもらう。今は地上の小競り合いで忙しいが、そのうち彼らの侵略の手がフダラクと、ワルプルギスにいる魔女たちに向けられることは明白である。
美しいフダラクに大国の旗が立てられ、見えない国境線で縦横無尽に区切られて。そこではまた、どうしようもない資源競争による軍事衝突が発生するのかもしれない。
その時、フダラクの大地を開拓してそこに住んでいる魔女たちは、今度は何処に逃れれば良いのだろうか。もう一つの月、ボダラクか。或いはまた、ワルプルギスのような岩塊を切り崩して街とするのか。
筆者はワルプルギスで魔女たちと暮らしてみて、毎日の生活に何の違和感も覚えていない。朝起きて、配達されている魔女たちの書いた新聞を読む。パン屋で買った、魔女による焼きたてのパンを齧る。道路を行き交うのは車ではなく、ホウキに乗った魔女や魔女タクだ。その光景も、ものの数日で慣れてしまった。花屋の看板娘と世間話もするし、屋台のアイスクリーム屋にもう少しまけてくれと交渉したりすることもある。
魔女たちとの生活には、筆者がヤポニアにいた頃と何の違いも感じられない。魔女たちは驚く程にヤポニア人とその気性が似通っている。むしろ彼女たちの方に、筆者の祖国であるヤポニアについてもっと知ってもらいたいとすら思うくらいだ。
筆者はヤポニアの人間であり、ヤポニアという国を愛している。
そして同じくらいに、このワルプルギスの魔女たちを好きになり始めている。
ヤポニアの民たちに、もっと魔女のことを知ってもらいたい。多くの誤解が解ければ、きっとヤポニアと魔女たちは手を取って生きていくことが出来ると確信している。母星とヤポニアの大地を守ってくれている彼女たちに、ヤポニアの民は少しでも報いようという気持ちになれるはずだ。
いつの日か、ヤポニアが魔女たちを快く迎え入れられる時代が来ることを願ってやまない。筆者が感じているこの暖かな空気を、ヤポニアと、ワルプルギスの両方の人たちに味わってもらいたい。
降臨歴一〇二六年、八月一三日
フミオ・サクラヅカ
訓練を終えて国際高空迎撃センターのハンガーに着陸すると、すぐに整備員たちが走り寄ってきた。サトミは跨っていたホウキから降りると、簡単な魔術で脇に立てておいた。何をおいても、まずはこの窮屈なヘルメットを取ってしまいたい。
長い髪の毛は、まとめて結ってある。ヘルメットの中に収めるのにはいつも苦労するが、なかなかどうして、短くしようという踏ん切りがつかなかった。周りも似合っていると言ってくれるし、しばらくはこのまま頑張ってみようという気がしていた。
何人かの整備担当者が、サトミの防護服から伸びたチューブを取り外しにかかった。繋がっている先は、星を追う者専用にチューンされたサトミのホウキだ。鈍い銀色のこのホウキは魔術の道具であるだけではなく、内部に無数の機械が埋め込まれている。フラガラハ隊では最新鋭モデルのテストも兼ねているので、取り回しが面倒臭いことこの上なかった。
「暑いねぇ、さっさとシャワーでも浴びにいこうよ」
先に降りていた教官のニニィが、防護服の胸元を大胆に開いた格好でやってきた。顔から首筋の辺りまで、汗でぐっしょりだ。インナーウェアもすっかり変色している。防護服は気密性が高いので、着ている間はとにかく暑い。サウナスーツとしてダイエットにも最適だった。
「教官、だらしがないですよ」
魔女だけならとにかく、国際高空迎撃センターには男性の魔術師や、機械を扱う普通の人間の技術者もいる。特に星を追う者のハンガーは、魔術と科学の最新鋭技術のごった煮だ。現に今サトミのホウキを回収し、機械部分のデータの解析をおこなおうとしているのは若い男性のスタッフだった。
「下、着てるし」
「そういう問題じゃありません」
文句を言いながら、サトミの方も防護服のファスナーを緩めた。ニニィみたいに全開……とするには、まだ恥じらいの方が勝っている。むわっと溢れ出した自分の汗の匂いに、サトミはくらくらとしそうになった。こんなはしたない状態で、他人の前になんて一秒でもいるべきではない。ニニィと並んで、サトミはそそくさと更衣室の方に向かった。
重力制御や防御壁を上手く使えば、本来こんな防護服やヘルメットを身に着ける必要は全然なかった。動きが鈍るし、視界だって悪くなる。ないならないに越したことはない、という『過剰な』装備だった。
ただ星を追う者はいつ、どんなコンディションで出撃が要請されるか判らない。どんなにマナが少ない状況にあったとしても、その時使える全ての魔力が、一撃必殺の隕石破砕に投入可能である必要がある。魔力を温存するためには、ある程度の機能は機械で補えるようにしておくことが望ましい。以上の理由によって実施されているのが、体で補助機械の使い方を覚えるという、この不自由極まりない訓練だった。
それに加えて、星を追う者の素養として、あまりにも高度な技能が要求されすぎることも問題の一つとなっていた。今は第三部隊が創設出来るくらいの人数が確保できているが、これがいつまでも続くという保証はどこにもない。力の足りない魔女であっても機械の補助を受けることで、少しでも破砕作業の助けになれるのであれば御の字だ。そのデータを収集する目的もあって、星を追う者が実際に機械を運用して実用性の試験をしていた。
それにしても暑苦しい。一応これでも、魔女用の防護服は普通の人間が着る宇宙服よりも軽装にはなっていた。両手両足を縛られた格好に近くては、魔術の行使なんてやりようがないからだ。寒い日に何枚も重ね着をして、もこもこになっているみたいな感覚だった。その下には、薄手のインナーウェアを着けている。これが汗を吸ってべちゃべちゃになってしまうというのが、現在使用者によって提唱されている目下の最重要改善項目だった。
「ふわぁー、生き返るぅ」
隣のシャワーブースで、ニニィが奇声を発した。熱いお湯を浴びると、サトミも自然にほう、と息が漏れた。ここ最近は飛行時間を稼ぐために、毎日のように訓練を続けていた。たまには故郷のヤポニア式に熱い湯船に浸かりたいとも思うが、こう連日忙しくてはなかなかそうもいかなかった。
何しろ、サトミはまだ候補生の身分なのだ。今のうちに全ての訓練プログラムを終えて、二年後の極大期には正式な星を追う者に任命されていなければならない。中途半端なお荷物状態では、教官のニニィにまで迷惑をかけてしまうことになる。ここが踏ん張りどころだった。
「そう言えばサトミ、ヤポニアの記者さんにはあの後会ったの?」
「いえ、そんな余裕はないですから」
数日前にサトミはニニィに連れられて、新しくワルプルギスにやってきたヤポニア人の新聞記者の歓迎会に顔を出した。そこで出会ったのは、フミオという背の高いヤポニア人の青年だった。
ヤポニアからはここ数年、技術関係の人間が良くやってくる。しかしワルプルギスに長期滞在するということはなく、サトミが顔を合わせて会話をするという機会はほとんどなかった。
そんな中、今度の来訪者はワルプルギスに住居を構えて、ヤポニアの新聞に記事を書くのだという。ワルプルギスとヤポニアの、歴史的な友好の懸け橋になってくれるかもしれない。魔女たちの期待は、いやがうえにも高まっていた。
フミオは同じヤポニア出身である、サトミへのインタビューを望んでいるとのことだった。ヤポニア大使館からも、国際高空迎撃センター宛に何度か『お願い』が届けられていた。折悪く、サトミは丁度星を追う者の訓練が山場を迎えているところだ。フミオと腰を落ち着けて話が出来るようになるには、もう少し時間が必要になりそうだった。
「新聞記者だよね。なかなかカッコよくなかった?」
「背は高かったですよね」
壇上でワルプルギスの魔女について語るフミオは、正直ちょっと素敵だった。魔女というだけで拒絶反応を起こす典型的なヤポニア人とは、ひと味もふた味も違っている。男性の少ないワルプルギスでは、黒髪の若い男というのはそれだけで注目の的だ。空港の人足連中に比べれば手足は細いが、目鼻立ちも整っているし、何よりも話している時の知的な雰囲気が良かった。サトミは同じヤポニア人として、フミオのことを誇らしいとすら思えた。
「んでも、メチャクチャ緊張してたよね」
「どうしたんでしょうね? 挨拶して握手しただけだったんですが……」
フミオがキリッとしていたのは、サトミと向き合うまでの話だった。英雄ニニィに声をかけられてはしゃいで、サトミの同期のトンランに小突かれて。その後サトミが前に立つと、フミオは突然壊れた玩具みたいに動かなくなってしまった。
何かを言おうとしているのは判っても、それが何なのかは判らない。「あがあが」みたいな言葉を口走って、フミオは手に持ったペンを床に落としてしまった。サトミがそれを拾って、フミオに手渡すついでに握手をした。同郷の人間だし、インタビューをしてもらう相手でもあるのだ。失礼がないようにと気を遣ったつもりだった。
次の瞬間、フミオは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。色々と気にはなったが、夜間訓練の時間が迫っていたのでサトミはすぐにその場を離れなければならなかった。サトミがニニィと共に会場を去るまで、フミオはぐにゃぐにゃになって何一つまともな言葉を発することができなかった。
で、次の日のデイリーワルプルギスのトップ記事がこれだ。『星を追う者、ヤポニアの記者を見事粉砕』。一面にデカデカと、サトミとフミオが握手している写真が載せられていた。当初はヤポニア人同士の感動の対面、くらいのイメージで記事を書く予定だったのだろうが。結果として、実に面白おかしい内容に仕立て上げられてしまった。翌朝にその記事を見て、サトミは魔女のゴシップ好きに改めて呆れ果てた。
「とか言って、実は魅了とか使ってたんじゃないの?」
「しませんよ。今のところ、私には彼氏とか必要ありませんから」
正規の星を追う者になるまで、あと少しのところなのだ。サトミはそちらに全力投球するつもりだった。フミオがサトミに対してどんな感情を抱いたのかは、まるで理解の範疇の外だ。とりあえずサトミの側としては、そっちの方向にはまるで興味がなかった。
「それより教官の方はどうなんですか?」
「んー、昨日手紙がきたよ。元気で生きているってさ。ほっと一息だ」
ニニィの恋人は、母星に住んでいる。二人は幼馴染で、同じフィラニィの街の出身だ。ニニィとは将来の約束まで交わしているその恋人は、兵士として国境警備隊の任務に就いている。ニニィがずっとワルプルギスにいることもあって、二人はもう何年もの間顔を合わせていなかった。
フィラニィの周辺では、国境問題が常態化していた。隕石の極大期になると、どさくさに紛れて隣国が国境を越えて進軍してくる。国際同盟の調停も効果がなく、小競り合いがいつも絶えない状態になっていた。ニニィはずっと、恋人の安否が気がかりでならないはずだった。
それでも、星を追う者の務めを果たすことが、恋人への想いを繋ぐことになる。ニニィはそう信じて、この場所で星を追う者を続ける道を選んでいた。
「恋する気持ちが力になることもある。サトミ候補生も、ばんばん恋してくれたまえ」
「まあ、そんな余裕があれば、ですね」
気のない声で、サトミはそう応えておいた。とりあえず、デイリーワルプルギスの写真は切り抜いて、机の引き出しにしまってある。これが素敵な思い出になるのか、ただの気まぐれに終わってしまうのか。
それはまだ、予言士でも見通せない未来の話だった。