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StarChaser 星狩りの魔女  作者: NES
第1章 虚空のワルプルギス
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虚空のワルプルギス(5)

 歓迎会の会場は、中心街にある高級レストランだった。普段は各国の要人がパーティーを開催しているような場所だ。時間ぎりぎりになって、フミオはトンランと共に魔女タクで店先に乗り付けた。本当ならもうちょっと余裕がある予定だったのだが。ばたばたと通用口に向かって急ぎながら、トンランが忌々(いまいま)しそうに振り返った。


「水道の修理は頼んでおきましたから。明日には直っていると思います」

「そいつは助かる。シャワーぐらいはちゃんと浴びたい」

「大使館にもシャワー室ぐらいありますから、万一の場合はそちらを借りてください」


 フミオのアパートがあまりにもボロすぎて、水が出なかったのだ。着替える前にひと風呂、というところでそれが発覚して、てんてこ舞いの大騒ぎとなった。フミオは裸で飛び出してくるし、大家には連絡が付かないしで、もう踏んだり蹴ったりだった。

 管理人の話では、あのアパートにはここ五年ほどは誰も住んでいないという状態であったそうだ。そんな廃屋一歩手前の部屋で、喜んで異国生活を始めようとか。トンランにはフミオが何を考えているのか、さっぱり判らなかった。

 当初は歓迎会に行く途中の道すがらで、ワルプルギス内の商店について案内をするはずだった。残念ながら、それらは全て計画倒れとなってしまった。歓迎会の後ではもう遅すぎて、店はどこも閉まっている。そうなると、トンランは明日のフミオの朝食の手配から考えなければならなかった。

 もうダメだ。これは、腹をくくるしかない。このヤポニア人は、いちいち世話を焼かなければならないタイプの人間だ。トンランはぐっと歯を噛み締めた。


「フミオさん、明日は朝イチでおうかがいしますからね。覚悟しておいてください」


 ワルプルギスにいる間、トンランはフミオの警護として常にそばについている必要がある。一切の魔力を持たない普通の人間の要人には、専任の魔女が同行する決まりになっていた。そこから更に一歩踏み込んで、トンランはこのヤポニアの記者が安全で健康的な生活を送れるように、日々見守っていかねばならない。ヤポニアとの友好関係を維持するためだ。仕方がない。


「ある程度のことは自分でやるから、そこまでしてもらわなくても大丈夫だよ」

「あのですね、フミオさん。ここはワルプルギスなんです。母星ははぼしにいるんじゃないんですよ?」


 ワルプルギスは母星ははぼしをぐるりと囲む輪の中にある、一つの大きな岩塊だ。そこに、魔女たちが重力と空気を与えて、人が生きていける空間を作り出している。

 それなりの大きさがあるとはいっても、ワルプルギス程度の質量の物体がが母星ははぼしと同じだけの重力を持つということはあまりにも不自然だった。それを支えるために、ワルプルギスの周囲には幾つかの人工重力衛星が配置されて、均衡きんこうを保っていた。

 ただ滅多にないことではあるが、母星ははぼしの輪を構成している他の岩塊が、それらの重力バランスの隙間をぬってワルプルギスに向かって『落ちて』くることがある。

 そうなれば大事おおごとだった。ワルプルギスは母星ははぼしと違って、厚い大気の層で覆われている訳ではない。薄っぺらい偏光フィルターなど簡単に突き破って、宇宙の塵(スペースデブリ)は無防備なワルプルギスの都市目がけて容赦のない一撃をもたらしてくる。


「ワルプルギス全体を恒常的に防御壁シールドで覆うのは、マナの消費量が大きすぎるんです。だから、予言士フォーチュンテラーや予測士の追いつかない小さな石ころが、いつ頭の上に落ちてくるか判らないんですよ」


 魔女ならば、ワルプルギスで生活している以上、常にそういった事態には警戒をおこたることはなかった。念話による緊急警告を受けて、即座に退避することだってできる。

 だが普通の人間にそれをどうこうする、というのは不可能に近い芸当だった。宇宙空間で加速された飛翔物体は、時として音速どころか銃弾の数倍以上の速度でぶつかってくる。接近に気が付くのは、既に身体が粉々に砕け散った後のことだろう。


「だから、屋外ではあたしみたいな防御士シールダーが絶対についてなければいけないんです」


 トンランは国際高空迎撃センターで正式に認定された、腕利きの防御士シールダーだった。フミオはヤポニアの要人扱いとなっている。その警護をまかせられるくらいなのだから、当然にトンランはそれなりの実力者だった。

 更に今回の警護対象であるフミオは要人であるのみならず、ヤポニア新報の新聞記者――ジャーナリストだ。これからワルプルギス内の様々な場所に、取材と称して足を踏み入れることが想定される。そういった普段あまり一般の人間が訪れない区画において、トンランにはフミオの生命の安全を守るという重要な責務が負わされていた。


 今夜はこれからフミオの歓迎パーティーに同席するので、ぱっくりと背中の開いたきらびやかなイブニングドレスを身にまとっている。可憐な夜の蝶にしか見えないトンランは、しかし実際にはフミオを危険から遠ざける強大な『盾』なのだった。


「フミオさん」


 ちょいちょい、とトンランはフミオに近付くように指で合図してきた。琥珀色の眼が、きらきらと輝いている。うっすらと化粧をして、トンランは素敵なレディに変身していた。あんまり寄り添うと、変な気を起こしてしまいそうだ。それでも要求されたのだから、とフミオが前に身を乗り出すと――


 ガンッ、と見えない壁に顔面を強打した。


「色々と痛い目に遭わないように、気を付けてくださいね」

「ふぁい」


 なるほど、これではどうしようもない。仮にフミオがトンランに何かよからぬ行為を働こうとしても、指一本触れることはできない訳だ。

 むしろそれは安心かもしれない。前に立って歩くトンランのなまめかしい褐色の背中を見て、フミオは妙に落ち着いた気分になってきた。


 どうにもこの若い魔女は、フミオには刺激が強すぎていけなかった。




 歓迎会はレストランの店内全体を使った、立食形式だった。出席者は主にヤポニア大使館の関係者と、国際高空迎撃センターの職員だ。二十数人のうちほとんどが女性、ということは魔女なのか。こういう場に出ることも初めてだが、魔女の大群の前にさらされるのも初めてのことだ。フミオは緊張して汗をかいてきた。


「出席者の方をご紹介したかったのですが、時間がありません。とりあえずフミオさんのご挨拶を先にしてしまいましょう」


 本日の主役が遅刻とか、いい加減にも程がある。向こうの顔を覚える前に、まずはフミオの顔を知ってもらわなければ。フミオはトンランに背中を押されて、壇上へと登った。

 この時のために書いておいた自己紹介の文章を探していたというのも、遅れてしまった理由の一つだった。結局それは見つからなかったので、骨折り損のくたびれもうけだ。自分を見つめてくる群衆の中に、ヤポニア大使ヨシハルの姿を見付けて、フミオは大きく咳払いした。マイクが「きぃーん」とハウリングを起こす。こればかりは、魔女でもどうしようもない現象らしかった。


「ええっと、みなさん。ヤポニアから来ました、ヤポニア新報のフミオ・サクラヅカです。本日はこのような会を開いていただきまして、まことにありがとうございます」


 ぱちぱち、と拍手が起きた。さてどうしようかと、フミオは聴衆の顔をぐるりと見渡した。魔女たちはフミオのことを頭のてっぺんからつま先まで、値踏みするように観察していた。魔女に否定的な国であったヤポニアから、新聞記者がやってきた。その事実に、魔女たちは何を考えるだろう。何を思うだろう。

 フミオはちらり、と後ろに立つトンランの方を一瞥(いちべつ)した。澄ました顔で無視しているが、酒瓶の一つでも飛んでくれば防御壁シールドで守ってもくれるのだろう。不思議だ。

 もうこんなに――フミオはトンランのことを信頼している。そう考えると、自然と声がこぼれ出てきた。


「私の国、ヤポニアはご存知の通り、『排魔女』と言って長い間魔女を迫害してきました。今でも魔女には生きていきにくい国だと感じています。そのことを否定するつもりは一切ありません」


 ざわり、と会場の空気が揺れた。それでも、誰も動かなかった。黙って、フミオの次の言葉を待っている。魔女たちはヤポニアからきた男が何を語るのかに、興味を持っていた。


「私自身、今まで魔女との接点はありませんでした。多分、今日だけで一般的なヤポニア人なら想像もつかないくらいの沢山の魔女と出会い、言葉を交わしたと思います」


 魔女たちは顔を見合わせた。ここでは、魔女なんてありきたりだ。魔女のいない生活なんて考えられない。でもそれはヤポニアにおいては正反対の、ありえない程の非日常だった。

 魔女なんて何処にもいない。ゆえに――恐ろしい。目の前にいないから、正体の判らない者だと思い込むようになる。


「そうしている間に、私には判らなくなってきてしまいました。私が話している相手は、魔女なのか、そうでないのか。今でもそうです。私にはここにいる方々のうち、誰が魔女で、誰が魔女でないのかまるで判らない」


 ワルプルギスにきてから、フミオは街中で何人もの人々の姿を見た。男性が魔女ではないことだけは確かだ。後は女性たちのうち、ホウキにまたがって飛んでいるのは魔女だろう。ではパン屋の軒先で暇そうに欠伸あくびをしている、店番の娘はどうなのか。花壇に水をやっている婦人はどうなのか。ぱっと見ただけでは、フミオにはその見分けが付けられなかった。


「魔女は、魔女である以前に人間です。私はそんな当たり前のことも判っていなかった。いや、ヤポニアにいる大部分の人たちが、判っていないことなんです」


 ヤポニアには、魔女を遠ざけてきた長い歴史があった。そこには人が自らの力だけで生きようとする、高潔な精神があるとも言われていた。魔術や魔女の否定。ヤポニアの民は、そうやって生きてきた。


 しかしだからといって魔女たちの存在から目を背けて、『排魔女』などとおとしめることまでをする必要はなかったのだ。


 母星ははぼしを守るために全てをかけている魔女たちだって、十分に高潔な精神の持ち主ではないか。自分だけ偉そうにふんぞり返って、ヤポニア人は実に高慢で愚かだった。この世界には、ヤポニア人の知らないことが幾らでもある。せせこましい島国に引きこもっていたのでは、『本当のこと』は何一つとして見えてはこない。


「だから、私に教えてください。魔女のことを。私はヤポニアに、みなさんから教わったことを伝えます。これが魔女だという、真実を。そうすることで、私たちはもっと解り合えるようになると思うんです。どうか、よろしくお願いいたします」


 フミオが頭を下げるのを見届けると。

 前列にいる何人かの魔女たちがうなずき合って。

 それから、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。クラッカーが連続して破裂して、シャンパンの栓が弾け飛んだ。きらきらと光る花吹雪が辺り一面に吹き荒れた。白いハトが舞って、楽器の音が鳴り響いた。

 どこまでが現実で、どこまでが魔術なのかよく判らない。ただ一つ確かなのは。


「ようこそ、フミオさん。ワルプルギスへ!」


 魔女たちの、明るい歓迎の声が聞こえたということだった。




「いやいや、良い挨拶だった。久しぶりに感動させてもらったよ」


 フミオが一組ずつ来場者と言葉を交わしていると、若い女性の二人連れが近付いてきた。周りにいる他の魔女たちが一斉に一歩後ろにさがる。重要な来賓らいひんなのだろうか。そう思ってトンランの顔を確認すると、ぱちんとウィンクされた。

 二人はお揃いの、銀色の国際高空迎撃センターの制服姿だった。肩のところにある徽章きしょうが、ここにいる他の魔女にはないデザインだ。前に立っている一人は燃えるような赤毛で、気が強そうな顔つきをしている。フミオよりも背が低いのに、持っている風格はこの場にいる他の誰よりも尊大だった。


「明日も訓練があるのでそろそろ中座しなければならないんだ。今日のところは顔合わせということで、勘弁してくれ」


 そう言って、赤毛の魔女はてのひらを差し出してきた。にやりと笑った顔を見て、フミオはようやく思い至った。ワルプルギスにくる前に、何度となく資料の写真で見た顔だ。前回の極大期の時、最も多くの大型隕石を処理し、自らの故郷であるフィラニィへの不慮の落着を防いだ英雄。


「ニニィ! ニニィ・チャウキさんですか!」


 興奮気味に、フミオはニニィの手を握った。間違いない。本物の星を追う者(スターチェイサー)だ。それも飛び切りの有名人、英雄と称される魔女の一人だった。確かニニィはその功績が認められて、新たに創設される第三部隊、フラガラハ隊の隊長に就任したと聞いている。

 フミオは慌ててポケットからメモ帳を取り出した。英雄ニニィにインタビューしたいことは沢山ある。今日はもういなくなってしまうということだが、限られた時間の中でも、引き出せるだけの話は引き出しておきたかった。

 初日から大快挙だ。そう思ってペンを持ったところで、後ろからこつん、と頭を叩かれた。


 トンランだった。むぅ、と不愉快そうに顔をしかめている。冷静になって考えてみれば、フミオの歓迎会の席でこれはあまり良い態度ではないだろう。それはフミオにも判っている。

 ……判ってはいても、星を追う者(スターチェイサー)の英雄ニニィと話ができる機会など、この後にどれだけあるのか見当も付けられなかった。本人も訓練で忙しいと言っている。トンランに抗議の目線を向けたところで、ニニィが愉快そうに破顔した。


「私のファンなのは嬉しいけど、今君が注目しなきゃいけないのは彼女の方だ」


 ニニィが指し示した先にいる人物を見て。



 フミオは、どきん、と心臓が跳ね上がった。



 真っ黒い長い髪が、後ろで一つにたばねられていた。黒髪は、ヤポニア人の大きな特徴だ。そして、真紅の瞳。魔力の強い魔女ほど、その瞳はあざやかな赤に染まるという。ならば彼女は、この上ない力を持つ魔女なのだろう。

 ほっそりとした体はちょっと押せば折れてしまいそうに華奢きゃしゃで。それでいて、鋼鉄のように強い芯が通っていることを感じさせた。

 まだ幼さの残る顔は、真っ直ぐにフミオの方に向けられていた。その視線は全てを見通して、フミオの眼球をつらぬいて。頭蓋の後ろまで突き抜けて、その先に広がる星の彼方にまで届きそうだった。


 フミオは何かを言おうとして、ただ「ああ」とだけ口にした。

 年の頃は、トンランと同じくらいだろうか。同期だというのだから、同い年で良いのか。混乱して、まともな思考が何一つ巡らせられなかった。ニニィに会って、頭の中が沸騰しそうになったのとは違う。


 どこまでも冷めていて。

 どこまでもフラットで。


 それでいて――身を焦がす程に熱い。


 胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられた感覚がした。フミオはようやく呼吸の仕方と、声の発し方を思い出した。陸に上がった深海魚みたいに、慌ただしく口をパクパクとさせてしまう。顔が熱を持っている。動悸どうきが激しい。情けないという自覚があっても、どうすることもできない。


 フミオは一目惚れなんて信じていなかった。相手のことを何も知らないのに、視覚情報一発だけで、そこまで我を忘れて好きになんてなれるものなのか。馬鹿馬鹿しい。それはきっと目の前の女を口説くために考え出された、薄っぺらい方便だ。


 その信念が根底から引っ繰り返されて、フミオの価値観は物凄い勢いで書き換えられ始めていた。魔女。そうだ。


 この子が……ヤポニアの魔女。


 黒髪の魔女が、わずかに唇の端を持ち上げた。目が細まって、笑顔を形作る。フミオは完全に意識を奪われて――



星を追う者(スターチェイサー)候補生、サトミ・フジサキです。よろしくお願いします。サクラヅカさん」



 先輩記者から「命よりも大事にせよ」と言われて託されたペンを、その場に落としてしまった。


第1章 虚空のワルプルギス -了-

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