光に包まれて(4)
母星の重力に引かれて、真っ直ぐに落下する。大気との摩擦熱で、光の尾が長く伸びる。隕石を追う者が流れ星になって落ちていくというのは、あまり笑えない冗談だった。
「ニニィ教官、無事ですか?」
「あー、大丈夫大丈夫。ユジもイスナも一緒だよ」
三人まとめて一つの保護泡……というのは少々窮屈ではあるが。それでも、これで生きていられるのだから文句はない。サトミの方は『ブリアレオス』を処理出来たようだし、万々歳だった。
「すぐに救助に向かいます」
「だいぶ落ちちゃったし、このまま地上に降りた方が早そうだ。そっちのマナも少ないでしょ? それで皆で落っこちちゃったりしたら、二度手間だ」
「じゃあ、地上班に回収を依頼しておきます」
「ん、よろしくねん」
座標からして、ヤポニアの近くの海に着水する見込みだった。素直にそのままでも良いし、途中で保護泡を解除しても構わない。母星の空気に触れれば、マナはすぐに取り込めるだろう。
サトミとの念話を打ち切ると、ニニィは膝を抱えて丸くなっているイスナの方に目を向けた。
「……どうして私を助けた?」
「星を追う者は一人でも多くの命を助けるものさ。サトミ・フジサキは立派な星を追う者だってことだ」
正直、かなりの綱渡り《タイトロープ》だった。
マスドライバーの技術者がニニィを単独で載せることをどうしても了承しなかったので、ニニィは急ぎその場で同乗者を募った。そこでまさか作戦総指揮官のユジが手を挙げるとは、意外を通り越して度肝を抜かれたりもした。
身長や体格の近いシャウナの防護服をユジが借りたところ、「胸がきつい」「なるほど、喧嘩を売っているんだな」とやや時間のロスが生じた。そのひと悶着の間に、ニニィは靴底に抗魔術加工の破片を仕込み、サトミが通ったコースの予習をおこなっておいた。
超高速飛行は冷や汗の連続だったが、それについては今後一切口を閉ざしているつもりだった。フラガラハ隊の隊長として、隊員よりも劣っているなんて面目が立たない。ユジが涼しい顔で重力制御をしていたのも理由の一つだ。何で平然としていられるんだ。意味が判らない。
後は『ブリアレオス』が見えた辺りでサトミとトンランに念話で連絡を取って、予行演習なしの一発勝負だった。マナも限界だったし、もう一度やれと言われたらそれこそ泣いて駄々をこねてでも断る所存だ。アクロバティックな強制救出劇を経て、三人は間一髪で隕石破砕の爆発から逃れて保護泡に包まれるに至った。
「見たところどいつもこいつもマナ切れが近いだろうに。私が抵抗したらどうするつもりだったんだ?」
「そん時はフルスイングで母星まで届けてやったよ。保護泡のおまけつきでね」
候補生であるサトミに、ワルキューレの命とか余計なものまで背負わせる訳にはいかなかった。ニニィは教官として、最後までその責任を取るつもりだった。ノエラだってそれを察しているから、マスドライバーによる特務二番機の出動を許可してくれたのだろう。
それに、もう一つ。
「イスナ・アシャラ、私は作戦総指揮官として、それからワルプルギスの全魔女を代表して、お前に伝えなければならないことがある。これを果たす前に死なれてしまっては困るのだ」
横に座っているユジを、イスナはじろり、と睨み付けた。三人で膝をくっつけて、ぎゅうぎゅう詰めの状態だ。険悪なのはなしにしてもらいたい。ふん、とイスナは鼻を鳴らした。
「何だ? 今更アタシに謝罪でもしようってのか? 馬鹿馬鹿し――」
「そうだ。イスナ・アシャラ、我々はお前の保護の仕方からその後の扱いに至るまで、数多くの不手際があった。そのことを認めて、ここに謝罪する。すまなかった」
はあ、と口を大きく開けたまま硬直しているイスナに向かって。
ユジは、深々と頭を下げた。
「もちろん、これでお前の犯してきた罪が帳消しにされる訳ではない。ただ、突入作戦の経緯に関する再調査や、コキュトスでおこなわれていた保護プログラムの有効性、コキュトス消失事故の追跡調査など、今から出来る範囲での様々なことを国際高空迎撃センター全体をあげてやらせてもらう。その進捗状況については、ヤポニア新報のフミオ・サクラヅカ氏を通じて順次公開していくつもりだ」
一息にまくしたてられて、イスナは身体中から力が抜けていくのを感じた。ずるずると脚が伸びて、保護泡のぶよぶよとした感触が背中一杯に広がる。目の前には、頭上を覆い尽くす青みがかった星空が見えていた。
「どうして……?」
「元より、魔女の犯した罪だ。我々にはそれを認める勇気がなかった。遅きに失したかもしれないが――迎撃司令官は魔女が母星の全ての人々と共に生きるために、誠実であることを望まれたのだ」
魔女と、人間と。
ワルキューレ。
星を追う者が守る命に、分け隔てはない。皆、この母星に生きる者だ。だからサトミは、隕石破砕を撃たなかった。ニニィとユジが到着する、ぎりぎりまで待ったのだ。
イスナもまた、サトミが救うべき命であることに違いはない。それがヤポニアの魔女、そしてワルプルギスの魔女が選んだ彼女たちの在り方だった。
「偽善者め!」
イスナは吠えた。あれからどれだけの時間が流れたと思っているのか。忘れ去られたイスナが、宇宙の暗闇で置いてけぼりにされて。一番大切な双子の妹の片腕を抱いて、すすり泣いて。それでも魔女が助けてくれると信じて、血の球の浮かぶ狭い脱出艇の中を漂って。そこで、どんな悪夢にうなされたか。
「そうやって良い顔をして、世界に取り入って! アタシが助けてほしい時には、見付けてほしい時には何にも……何にも!」
暗くて。
寒くて。
悲しくて。
簡単な恨みなんかじゃない。忘れたくても忘れられない。イスナは中空に手を伸ばし、もがいた。掴めない何かを、必死で求めた。逃げたくても、逃げられない。イスナはここに閉じ込められたまま、もう――
「イスナ」
その掌を、ニニィが取った。防護服の手袋は外している。柔らかくて、温かい。血の通った、人間の手だ。冷たくて硬くなったサラサのものではない。イスナは激しく嘔吐いた。
「見付けてあげられなくて、ごめんね」
星々の煌めきをぬって、一人の魔女がホウキに跨って飛んでいた。服の左袖の部分が、潰れて垂れ下がっている。隻腕の魔女は、イスナを見下ろすとにっこりと微笑んだ。
「サラサ!」
星を追う者になったサラサが、流れ星になったイスナを追いかけてきてくれた。星を追う者は、母星の命を守護する魔女だ。イスナが生きて、元気でいることを確認すると。
サラサは一気に加速して、彼方の空へと消えていった。
「サラサ、アタシは……」
そこにいてくれているなら、それで良い。サラサがその望みを叶えてくれたのなら。
たとえこの空に、サラサがいなくても。
母星が、サラサを覚えていてくれる。他の誰でもない、イスナの心に残って。
そしてイスナはようやく――サラサの笑顔を思い出した。
スプレー缶の中身を出し終えると、ヘルメットに表示されている計器が正常値になった。空気の量も、気圧も問題なし。トンランが張っている防御壁の内側は、これでワルプルギスの生活環境と同じだった。
「もう、取っても良い?」
「うん、大丈夫だよ」
待ちかねたように、サトミがヘルメットを脱ぎ捨てた。黒髪が広がって、汗の滴が飛び散る。トンランもヘルメットを取ると、防護服の胸元を開いた。サトミには悪いが、やっぱりこの圧迫感は気になって仕方がなかった。ほう、と息が漏れる。その遙か眼下には、母星の大地が見えていた。
『ブリアレオス』は、隕石破砕によって正常に破砕された。細かい破片は、全て大気圏で燃え尽きる。地上への影響はなし。完璧な結果だった。
最後まで『ブリアレオス』に居座ろうとしたイスナも、ニニィとユジが強制的に分離、保護してくれた。三人そろってマナの残量が少ないので、保護泡にくるまれたまま地上に降りることになった。
トンランには、母星への自由落下の経験はなかった。サトミは訓練で一度やったことがあるらしい。長いような短いような時間を、たった一人でじっと耐えているのはなかなかに強烈な体験だという話だ。
それをまだ子供のうちに無理にでも味わうことになったイスナを、トンランはちょっとだけ可哀相に思った。
「あと少しで、迎えが来るみたい」
国際高空迎撃センターでの戦闘は完全に収束して、通常飛行で救援が派遣されたという連絡が入っていた。マスドライバーなんて使うものじゃない。サトミもニニィも、良くあれを乗りこなせるものだ。星を追う者は、魔女の中でも更に人並み外れている。そのうち、これが星を追う者の標準的な出動スタイルになるのではなかろうか。
魔女側にも、ワルキューレ側にも幸いなことに死者はゼロだった。ワルプルギスの他の区画にもぽつぽつと被害は出ているが、人的なものはない。施設の破損の大部分は、星を追う者のやりすぎが原因らしい。ここで澄ました顔をしているヤポニア人の魔女も、実はとんだスピード狂だったりする。フミオが苦労するだろう、とトンランはふふっと笑みをこぼした。
「そうだ、フミオさん」
ワルプルギスに戻ったら、サトミと話し合いをする約束をしていた。防護服はもう緩めたはずなのに、トンランは胸の奥がきゅうっと締め付けられる感じがした。サトミが無事で良かったという想いと、これで何かが終わってしまうという諦め。それがごっちゃになって、苦しかった。
「トンラン、サクラヅカさんの声がするよ」
サトミには、ここにはいないフミオの声が聞こえるのか。同じヤポニアの人間だし、そういうものなのかもしれない。心のどこかで繋がっていて。響き合って、近付いていく。それはとても素敵なことだし、トンランが邪魔して良いものではない。トンランはただ防御士として、自身の務めを果たすだけだ。後はサトミを無傷でワルプルギスまで送って……
「ほら、通信が入ってる」
がぴがぴという耳障りな雑音に混じって、語りかけるような優しい声が耳に飛び込んで来た。トンランは慌てて、浮いているヘルメットを掴んで引き寄せた。隕石警報用の回線から、母星中に向けた放送が流れ出ていた。
「母星の皆さん、聞こえますか? こちらはワルプルギス、国際高空迎撃センターです」
フミオだ。サトミと眼が合う。サトミは片目を閉じると、音声出力をホウキに内蔵されているアンプに切り替えた。人工衛星を中継して、今母星の全ての地域にフミオの言葉が発信されている。
虚空を漂っているサトミとトンランにも、その声はしっかりと到達していた。
「母星の皆さん、聞こえますか? こちらはワルプルギス、国際高空迎撃センターです」
ワルプルギスより、愛を込めて。この声が、言葉が、母星に生きる全ての人間たちに届けられるように。そんな願いを抱きながら、フミオはマイクに向かって語りかけていた。
「俺――私は、ヤポニア新報の記者、フミオ・サクラヅカです。今私はワルプルギスで、魔女と共に隕石の破砕作戦の一部始終を見ていました」
マスドライバーを使って、自分自身を危険にさらしながら飛び出していったサトミとトンラン。そしてそれを追いかけていったニニィとユジ。魔女たちは、恐れることなく母星に迫る隕石に立ち向かっていった。
「ヤポニアの皆さん、安心してください。『ブリアレオス』の危機は去りました。隕石破砕を実行したのは私たちの国ヤポニアの魔女、サトミ・フジサキです」
隕石破砕を発動させて、サトミは『ブリアレオス』を見事打ち砕いた。もう誰にも文句を言わせることのない、一人前の星を追う者の仕事だ。ヤポニアではきっと、歓声が上がっているだろう。フミオはそこでほんの少しだけ、言葉を切った。
「……魔女の傘の下にいる皆さん、私はワルプルギスに来て、沢山のことを知りました」
魔女のこと、ワルキューレのこと。ヤポニア人のフミオには、初めてのことばかりだった。自分がこれまで、どれだけ魔女に守られて生きてきたのか。その事実を理解して、フミオは恥ずかしさを感じたくらいだった。
「世界は、この母星は魔女の力によって生かされています。魔女がいなければ、私たちは隕石によってとっくの昔に滅びていたでしょう」
降臨歴の始まりに、降り注ぐ兄弟星の破片から人々を守るため、魔女の真祖は母星を訪れたのだという。その言い伝えが本当ならば、魔女たちは千年以上もの間母星に迫る隕石を砕いてきたことになる。
「その魔女たちに守られた母星の上で、私たちは歴史を刻み、歩んできました」
それはおよそ平和であったとは言うことの出来ない、血塗られた千年間だった。人類は魔女とは関係なく、母星の上で争いを続けてきた。生きるため、より豊かになるため。あるいは受け入れられない者たちを排除するため。戦争の歴史と言い換えても、何の違和感もない。国際同盟が出来る直前には、人類はほとんどの国が巻き込まれる世界大戦を経験していた。
「隕石の脅威から離れても、私たちは争いをなくすことは出来ません。戦争をなくすこと、殺し合いをなくすこと。それが可能になるのなら、とても素晴らしいことです」
それが無理だということを、フミオは良く理解していた。資源、宗教、人種。世界には数えきれないくらいの紛争の種がある。みんながみんな、自分だけの正しさを持っている。一見間違いに思えてもそれは、別な角度から見れば正解かもしれない。正しさも間違いも、全てはものの見方にすぎなかった。
「もし魔女たちがこの母星の上で人類の争いを無理矢理にでも中断させたいと望むのなら、自分たちの価値観を押し付けて、支配してしまえば良いのです。そうやってこの母星を魔女のものとすれば、万事は解決する。事実、魔女たちはそれだけの力を持っています」
それは、ワルキューレの理屈だった。人は、自分の力では一つにまとまることは出来ない。だから、より優れたワルキューレたちが母星を統治する。隕石という罰を用いて、母星に住む人間の意志を制御する。確かにそれもまた、一つの正しさには違いがない。
「しかし、ワルプルギスの魔女たちはそれを良しとはしていません。魔女は私たちに、機会を与えてくれているんです。この母星の上で、私たちが魔女と対等のものと成り得るのかを。この母星を、真に治める者として相応しい存在なのかどうかを」
魔女の真祖は、来訪者だった。この星を訪れて、『母星』の名を与えた。
そしてそのまま母星に足を付けて生きていく上で、魔女の真祖は自らがどのような立ち位置を取るのかを明確にはしなかった。この星の新たな支配者となるのか、あるいはあくまで見守るだけの第三者であり続けるのか。前者がワルキューレであり、後者が魔女だった。歴史学者の間でも、はっきりとした結論は出されていない。恐らくはその両方の可能性を示唆するのみで、魔女の真祖は母星から姿を消してしまった。
「少しでも良いんです。空を見上げて、そこには魔女がいて、私たちを守っているということを思い出してください。魔女は私たちの味方です。まだ幼い私たちが、いつの日か自分たちのしていることに気が付いて、魔女のいる場所まで階段を上がってくるのを待っているんです」
それを成し遂げるのに、どうすれば良いのか。その答えを、残念ながらフミオはまだ見つけてはいなかった。でも焦る必要はない。魔女は既にいる。フミオのすぐ隣で、優しく微笑んでいる。
「ヤポニアの皆さん、私はここで本当に沢山の経験をしました。この全てを伝えきるのが、とてつもなく難しいと感じる程に。それでも知ってもらいたいのです。サトミ・フジサキを。トンラン・マイ・リンを。そして、イスナ・アシャラを」
魔女たちが受け止めてきた喜びと、悲しみ。いくつもの想い。それを知ることで、ヤポニアの民はまだまだ変われるはずだった。
「魔女たちは決して異物ではありません。私たちと同じ、この母星に生きる人間です」
かつて魔女の真祖が、魔女という存在に込めた願い。それは人と魔女が、お互いを支えて歩んでいくということだとフミオは考えていた。人と結ばれた魔女たちはやがて、この星に住む者たちと一つに溶け合っていく。母星を隕石から守るという、統一された意志の下に。魔女と融合した人類は、平和で繁栄した世界を創り出し、維持していくことが可能になる。
「私たちはいつの日か必ず、彼女たちに追いついて……『同じ』であることを喜び合える。私はそう信じています」
魔女たちを失望させてしまわないように。母星に住む人間たちは、彼女たちにふさわしい配偶者になるべく努力をする必要があった。両者が共に暮らしていくこの母星を、守るだけの価値を持つ素晴らしいものにしていかなければならない。
それが出来るのは――魔女ではない普通の人間たちだけだ。
「ヤポニアの魔女は、見事に星を追う者になりました。ヤポニアはこれから、本当の魔女友好国に変わっていきます。ヤポニアの皆さん、ようこそ、魔女の世界へ!」
この星を、諦めない。
諦めさせない。
そのためにも、フミオはワルプルギスの魔女たちについて語り続けなければならなかった。




