光に包まれて(3)
イスナ・アシャラが何のために生きてきたのかと問われれば、その答えは決まっていた。過去においても、現在においても、それは誰よりも愛しい双子の妹、サラサ・アシャラのためだった。
そのサラサが死んでしまった今、イスナはなぜこの世界に留まっているのか。最後まで握っていたサラサの左手を離して、母星の大地に埋めて。それでもう、イスナがここにいる理由なんて全て消え失せてしまったに等しかった。
後はただ、復讐のため。
イスナの姉妹たちを殺した魔女。
イスナの大切なサラサを苦しめた魔女。
イスナの存在を見捨てて、無視を決め込んだ魔女。
「アタシは魔女に、復讐してやるつもりだった。死んでしまったサラサの痛みと、生き残ってしまったアタシの痛み――それを魔女たちに、思い知らせてやりたかった」
イスナは魔女を憎んでいた。ワルキューレの闘士となって、魔女と人間に牙を剥いた。イスナ・アシャラはいなくなってなどいない。ここにいる。サラサ・アシャラへの想いと共に、ここで生きている。そのことを示してやりたかった。
「そんな時にさ、あんたが現れたんだよ、サトミ・フジサキ。ヤポニアの魔女」
『ブロンテス』の悲劇から魔女友好国に生まれ変わったヤポニアに、新たな希望の報せがもたらされた。ヤポニア人の魔女が、星を追う者の候補者に選ばれた。それを聞いて、イスナは胸が張り裂けそうになった。
ヤポニアは、『ブロンテス』の痛みを忘れ去ろうとしていた。魔女のことを赦して、魔女と共に歩む道を選んだのだ。世界からまた一つ、イスナとサラサの痕跡が消えていこうとしていた。
『ブロンテス』は人々の記憶の中で、過去になりつつあった。悲惨だった事実は風化して、望まれないものとして次第に目を背けれられていく。その目線の先には、光り輝く未来しか映っていなかった。
ではその更に裏側に隠されていたイスナは。そして死んでしまったサラサは、どうなってしまうのか。
「アタシはただ、このまま消えていくだけなんて真っ平だった。アタシが死ぬのなんかはどうでも良い。でもサラサが――サラサが何も省みられないままにいなくなってしまうのだけは、絶対に許さない!」
ヤポニアも、ワルプルギスも。イスナとサラサには見向きもしなかった。『ブロンテス』の被害を受けて、魔女は自分たちを嫌っているはずのヤポニアに救援に駆け付けた。献身的な救助活動をおこない、頭を下げて謝罪した。その結果魔女とヤポニアはお互いに心を開いて、新しい関係を作っていくことを約束した。
サラサが死んで、イスナが独りぼっちで取り残されている間にだ。
「アタシはあんたたちを許さない! サラサを殺したあんたたちを! アタシを見捨てたあんたたちを! 絶対に! 絶対に!」
魔女たちは、ヤポニアと手を取り合うことを選んだのなら。
イスナがここにいることなんて、誰も、何とも思わないのだろう。
何しろイスナ・アシャラは……既に死んだはずの人間だから。
この世界に、イスナ・アシャラなど存在しない。少なくとも、魔女たちの記憶からは消え去ろうとしていた。
「『ブリアレオス』を壊すのなら、アタシごとやりな、星を追う者。それがワルプルギスの魔女のやり方なんだろう?」
ヤポニアを守るために、テロリストが一人死んだところでどうということはなかった。『ブロンテス』の時と同じに、また黙っておけば良いのだ。隠してしまえば、知られることはない。この場にいるのは、極々《ごくごく》限られた者だけだ。塞ぐべき目も口も、少なくて済む。
「そうやってまた一つ、後ろ暗い秘密を増やしていけば良い。アタシはあんたたちを心の底から侮蔑して――大人しく死んでいってやるよ」
生きて帰るつもりなんて、イスナには最初からなかった。ワルキューレの同志たちにも話してあった。これは、イスナたち姉妹の問題だ。イスナの死を悼む必要はない。ただ何もかもが終わった後で、それぞれが監獄衛星の中で語り継いでいってほしい。
かつて、イスナ・アシャラと、サラサ・アシャラという双子のワルキューレがいた。この世界のどこにも居場所のない二人は、ワルキューレとして勇ましく戦った。その生の果てには、魔女が二人の命を犠牲にして助けたヤポニアという国に対して、復讐の隕石を落として死んでいった。
星を追う者がイスナ諸共に『ブリアレオス』を始末するのなら、それでも構わなかった。その場合は、こうだ。
魔女たちは最後に、ヤポニアを守るためにワルキューレの双子をその手にかけた。『ブロンテス』に続いて、二度目の死を与えたのだ。魔女にとってワルキューレなど、所詮はその程度の存在である。『平等』という甘言を弄する魔女たちの正体は、魔女友好国――国際同盟という戦争好きによる力の論理に憑りつかれた、血塗られた嘘つきの集団にすぎない。
今からイスナの命は、母星の大地に楔となって打ち込まれる。ヤポニアの数多くの魂を生贄として、魔女を糾弾し、その悪を断罪する材料となって残り続ける。
そしてイスナ・アシャラとサラサ・アシャラの名前は、人々の恐怖と魔女の罪となって母星の歴史に永遠に刻み込まれるのだ。
それがサラサの死を省みなかった魔女と人類に対する――イスナの復讐だった。
「さあ殺せ! アタシを殺して、あんたたちの正義と母星への愛とやらを示してみせろ! ヤポニアの魔女、星を追う者!」
サトミは歯を食いしばると、『ブリアレオス』から距離を取った。イスナの姿が、急速に離れていく。隕石破砕の威力は絶大だ。術者自身が巻き込まれないように、安全な位置まで退避する必要があった。
「サトミ?」
遠ざかったイスナの影とサトミの背中を、トンランは交互に見やった。サトミは無言のまま、『ブリアレオス』と対峙した。
いくらマスドライバーで時間が稼げたとは言っても、無限に猶予がある訳ではなかった。ここでの迷いが、何万もの人命を失う要因となる。サトミは星を追う者だ。選ぶべき道は、考えるまでもなく決まっていた。
子供の頃に見た、ヒナカタの悲劇。守れなかった悔しさと、悲しさ。『ブリアレオス』が落ちれば、あの時とは比較にならない程の被害が発生する。そんなことを、見過ごせるはずがない。今サトミがここにいる理由。それは母星の平穏を脅かす隕石を破壊する以外には、何もなかった。
「補助魔法陣展開、諸言入力、触媒射出準備」
ホウキを中心にして、無数の光の文様が浮かび上がった。複雑な儀式を、極限にまで単純化させるためのサポートシステムだ。これのお陰で、隕石破砕は一人の魔女の力で、短時間の内に発動出来るようになった。
『ブリアレオス』の構成情報は、試験のためにあらかじめ準備されていた。それに従って、隕石破砕の出力は調整済みだった。イスナがどんな細工を施していたとしても、隕石破砕の破壊力の前では誤差の範囲内だ。直撃すれば、跡形もなく消し飛ばしてしまえる。
そう、塵ひとつ残さずに――
『それで――貴女はどうするの?』
昏い顔をした女性の声が、サトミの脳裏をよぎった。誰もいない、灯りも点けていない部屋の中。女性は焦点の定まらない眼で、頭を下げるサトミを見上げていた。
きちんとたたまれた子供服。綺麗に片付けられた玩具。勉強机に、学校の教科書。いつ帰って来ても良いように。何かの間違いであってほしいという願い。その一つ一つが、サトミの心に突き刺さってきた。
「サトミ? どうしたの?」
『星を追う者になります。今度こそ、全部の人を守ります』
「私は、星を追う者だから……」
……全部。
全部とは、何だ。
ヒナカタの全部か。
ヤポニアの全部か。
母星の全部か。
それとも――
『そう、なら――』
サトミの覚悟は、そんなものではなかった。
一握りの、自分の手の届く範囲内。
それでは全然、足りなかったんだ。
ホウキの柄を握る手に、力が入った。『ブレアリオス』で、イスナがサトミを睨み付けている。底知れない怨嗟の感情に我を見失いながらも。
その瞳は、涙に濡れていた。
『きっと守ってね。あの子たちの犠牲を……無駄になんてしないでね』
そうだ。
誰か一人でも、そこに涙を流す人がいたのなら。
そんなやり方は、間違っている。
「しっかりして! サトミ!」
今目の前にある命一つ助けられないで――何が星を追う者だ!
「……サトミ、一瞬で良いから、なんとかしてあいつに近付けないかな?」
後ろにいるトンランが、ぽんっと強めにサトミの肩を叩いた。振り向くと、琥珀色の瞳が自信たっぷりに見つめ返してきた。
「飛び移って羽交い絞めにして、防御壁に取り込んでみる。その間に隕石破砕を撃ち込むんだ」
「無茶よ!」
イスナは二人が自分の方に接近しようとすれば、容赦なく抗魔術加工された拳銃で攻撃してくるだろう。真空無重力の宇宙空間ではあるが、見る限りイスナの周囲には空気が充満しており、反動も一体化している高質量の『ブリアレオス』が吸収してくれる。火薬式の拳銃を使うのには、何ら問題のない条件であるといえた。
首尾よく接近したとしても、イスナが大人しく捕まっていてくれるとは思えなかった。更には至近距離での隕石破砕の発動に、いくらトンランであっても耐え切れるとは到底考えられない。それが可能なら、防御士は地上で隕石を受け止めることだって出来るだろう。隕石破砕の破壊力は、それぐらい並大抵ではなかった。
「サトミはあいつを巻き込みたくないんでしょう?」
トンランの言葉に、サトミははっとした。サトミの意志を、トンランはきちんと理解していた。サトミの肩に置かれた手に、ぎゅぅっと力が込められる。
「フミオさんの大事なヤポニアの魔女を、人殺しになんかさせないよ。あたしに出来ることなら、何だってするさ」
「トン、ラン――」
ワルプルギスの魔女は、人を助けるのが仕事だ。トンランは正しい。サトミはうつむいて考え込んだ。
トンランの気持ちは嬉しいが、それでもさっきのプランではただの自殺行為にしかなりそうになかった。イスナはサトミたちが接近してくるとなれば、反撃する気満々だ。仮にとりついたとしても、『ブリアレオス』がくっついている状態では、イスナだけをトンランの防御壁で覆うのは困難だろう。やはり駄目だ。ここにいる全員が、確実に助かる方法でなければ意味がない。
イスナと正面切って一戦交えられるほど、サトミにはマナの余裕がなかった。ここに至るまでの超高速飛行は、想像以上に厳しいものだった。出来ることなら、お互いに消耗するだけの戦闘は避けておきたい。イスナが素直に説得に応じてくれるというのが、一番良い方策なのだが。
そうこうしている間にも、『ブリアレオス』は降下を続けていた。今は一分一秒でも惜しい。
どうすれば――
「……えっ?」
顔を上げて、サトミはトンランと目を合わせた。トンランもまた、驚きの表情を浮かべている。
遠く、星の海の向こうから。
その声は、聞こえてきた。
サトミを取り巻く魔法陣が、強い光を放った。隕石破砕の準備が再開されたみたいだ。そうだ、それで良い。イスナの心は、とても穏やかだった。
このまま『ブリアレオス』と一緒に母星に落ちたとしても。
サトミの隕石破砕に焼かれてしまっても。
イスナにしてみれば、どうでも良いことだった。
やるべきことはやった。ヤポニアに向けて、イスナの言葉は放たれたのだ。後は誰か――例えばあのフミオ・サクラヅカのような人間が、少しでも興味を持って調べてくれることに期待したい。
そしてイスナ・アシャラとサラサ・アシャラの名前に辿り着いて、その記憶に残されて。
いつの日か、母星の上で思い返してくれるのならば。
イスナには、それで充分だった。
盲目的に魔女を信じる者には、正しい未来なんて訪れない。人は自分の眼で見て、自分の耳で聞いて。自分の意志で判断をする必要がある。伝え聞いた死には、痛みは伴わない。だから愚かな人類には、こうやって揺さぶって考える切欠を与えてやるのだ。
そんなもっともらしい理屈なんて、クソ喰らえだった。イスナは、ワルキューレの教義になんて興味はなかった。ただ、サラサと一緒にいたかった。二人で並んで、星を見上げていられれば満足だった。
その想いを、母星にいる見知らぬ誰かに伝えられるのであれば、それで。
――やっと会えるね、サラサ。
どんな痛みでも、苦しみでも。それはきっと、サラサが受けたものに比べれば大したことはない。我慢出来る。涙に濡れた眼で、イスナは母星の輝きを見下ろした。
美しい。
これを傷付けないで済むのなら、その方が素晴らしいことだった。サラサはこの母星を守る、星を追う者になりたがっていた。それなら――
イスナがここで死ぬことを、喜んでくれる。サラサと同じ、母星から離れた寂しいこの場所で。
安らかな笑顔と共に、イスナは静かに瞼を閉じようとした。
その時。
「ニニィ、キィーック!」
目にも止まらない、超高速の一撃だった。
流れ星を思わせる鋭い動きで、星を追う者ニニィ・チャウキはイスナに向かって飛び蹴りを見舞った。全ては計算通り。サトミだけが星を追う者の天才だなどとは、認めたくも言われたくもない。こちとらフィラニィの英雄だ。伝説に語られるのには、まだまだ暴れ足りない。
イスナの反応も早かった。ニニィが桁外れのスピードで接近してきたため、気が付くのが少しばかり遅れてしまった。それでも、防御壁を張るぐらいなら間に合う。真っ直ぐに伸ばされたニニィの右脚が、イスナに触れるか触れないかのところで――
「馬鹿なっ」
ニニィの攻撃は、防御壁を貫いた。靴の底に、抗魔術加工された破片が埋め込んである。ニニィはそのまま、イスナの足元に着弾した。イスナの下半身、『ブリアレオス』と一体化している部分だ。
狙いは正に、局所的にそこだった。岩盤が砕け、飛び散り、舞い上がる。抗魔術加工によって、イスナと『ブリアレオス』の接合が解けた。宙に放り出されたイスナが姿勢を戻す前に、もう一つの人影が猛烈な勢いで接近してきた。
「疾!」
軍刀が一閃し、イスナの拳銃をまとめて両断した。ヘルメットからはみ出した一本に結ばれた黒髪が、鞭のようにしなやかにうねる。戦闘士作戦総指揮官、ユジ・メンシャンだった。ユジはイスナの武器がなくなったことを確認すると、じろり、とその顔を睨み付けて。
「来い!」
白い手袋に包まれた掌を、イスナに向かって差し出した。
永遠にも思える一瞬の中で、イスナは奇妙な懐かしさを覚えていた。いつだっただろうか。似たようなことがあった。戦闘士が、跪いてイスナに手を伸ばして。
『すまなかった。彼女は、君たちのことが怖かったんだ』
魔女たちは、ワルキューレを、イスナを恐れていた。イスナだってそうだった。怖かった。姉妹たちが殺されて、次は自分たちの番。サラサが殺されてしまうのかと思った。
恐怖がその背中を後押しして、イスナはその戦闘士を、殺してしまった。
それをしても、そうしなくても。後に待ち受けるイスナたちの運命は、結局何一つ変わらなかった。
イスナは自分では何も出来ない子供だった。
では、今はどうなのか?
イスナはこの戦闘士が、怖いのか?
イスナをこの先待つ運命は、どちらに転ぼうが同じことなのか?
イスナは今でも、己の意志で何一つ変えられないままなのか?
あの時、あの戦闘士はイスナに恐怖することもなかったし、未来に絶望もしていなかった。
その証拠に、彼女はその生命の最後の瞬間まで……優しく微笑んでいた。
もしそれぐらいの勇気が、あの頃のイスナにあったのだとしたら。
世界はまた、違ったものになっていただろうか?
サラサの死は、何かの意味を持つことが出来たのか?
イスナがその答えを導き出す前に――
「遅い!」
ユジがイスナの手首を、ぐい、と掴んで力強く引っ張っていた。心が空っぽになったイスナの目の前には、見たことのない世界が広がっていた。
「今だ!」
ユジとイスナを拾ったニニィの合図を受けて、サトミは隕石破砕の触媒を撃ち出した。ニニィたちの乗るホウキはまだ安全距離には達していないが、『ブリアレオス』の方が限界だ。これ以上先延ばしにすれば、迎撃自体が困難になる。サトミたちも『ブリアレオス』も、真っ赤な尾を引き始めていた。
「隕石破砕、起爆!」
「いっけぇー!」
青白い光が辺りを埋め尽くし。
遅れて、凄まじい衝撃波が母星の大気を震わせた。
「特務二番機、『ブリアレオス』に到達!」
「限界高度ぎりぎりで隕石破砕の発動を観測しました! 現在効果計測中。暫定値及び地上観測では『ブリアレオス』の完全破砕に成功しています」
管制室で、どよめきと歓声が上がった。ノエラは司令席に、力なく崩れ落ちた。ヨシハルがその肩を抱き締める。二人は手を握り合って、安堵の息を漏らした。
「さて、これから、だな」
クゥの言葉に、フミオは視線を持ち上げた。魔女たちの戦いは、ここまでだ。サトミもトンランも、十分に力を発揮してくれた。
フミオは管制室に設置された放送機器の前に歩を進めた。
後はただの人間――フミオの戦いだった。




