虚空のワルプルギス(3)
ヤポニアでは、魔女はほとんど怪物のような存在として伝承が残されている。人間の女性の姿をしていながら、不可思議な力を用いて里に悪さをする悪鬼。雪女の怪異などは、実在した魔女がモデルとなって言い伝えられたものだという説もある。しかしそれらは魔女というものの性質の一部を反映してはいるが、完全に表しきれているのかと問われればそうでもない。
魔女という存在は、ヤポニアで同様に古くから語られているオニとか、ヌエなどといった妖怪変化たちと同列に扱うべきものではない。伝説の中にしかいない化け物たちとは違って、魔女たちは現実に我々の目の前にいるからだ。我々は魔女についてより理解を深め、正しく恐れ――そして、正しくお互いを認め合えるように努力する必要があるだろう。
まず何よりも優先して理解しておくべきこととして、魔女は人間の女性である。魔女は確かに強い魔力を持ち、ヤポニアの常識では考えられないような現象を引き起こす驚くべき存在ではある。しかしその根本は、見た目通りの一人の女性でしかない。魔女たちは我々と同じように喜び、笑う。悲しみ、涙を流す。その血の色は赤く、身体と同様に心もまた傷付くことがある。どうか、それを常に忘れないでおいていただきたい。
国際高空迎撃センターにおいて筆者の警護を担当していた魔女は、留守中に冷蔵庫に隠しておいたケーキを同室の魔女に食べられて、ぼろぼろと涙を流して泣いていた。今度はそいつの留守の間に、自分へのご褒美として溜め込んであるクッキーを全て食い尽くしてやるとも豪語していた。地上からワルプルギスに搬送されてくる物資の中で、砂糖は特に重要なものだ。魔女たちが女性であるということを知る上で重要なエピソードであると判断して、本人の了承を得てここに記すものである。
魔女ではない普通の人間であっても、魔術的な素養というものを持って産まれることがある。ヤポニアでも、近年では色々と研究が進んできた。魔術とは、母星の自然界に存在する『マナ』を用いて、様々な現象を引き起こせる特殊な技能だ。魔術は科学と比べると複雑な装置を要することがなく、より効率的に大きなエネルギーを発生させることができる。
その代わり、魔術は魔術師という限られた人間にしか取り扱うことができないのが難点だ。その技術を扱うのに特別な才能が必要となると、最終的にそれを取扱うコストがその魔術師個人に依存してしまうからだ。それでは折角の効果も、より広範囲に応用していくことが困難となる。平等性を好むヤポニアでは、そういった懸念点から魔術の普及は今一つというのが現状だ。
一方列強諸国では、魔術は個人の持つ重要なスキルの一つとして扱われる方向で活用されてきた。足の速さとか、手先の器用さ。魔術の才能は、それらと同等の個人の資質として数えられている。魔術を普通ではない異質な特性として排除するのではなく、人が先天的に持つ個性の一つとしてきちんと伸ばしてく。ヤポニアは列強諸国の、そういった姿勢を見習う必要があるのかもしれない。
同じ魔術を使うという観点からは、魔術師と魔女には大きな違いはないように思われる。ところが実際には、その辺にいる女性魔術師と魔女とでは、決定的に異なる点がある。それは魔術におけるマナの使用効率だ。
内燃機関を用いた自動車の燃費を想像してもらえれば判りやすい。魔女の燃費効率は、魔術師のそれをはるかに上回っている。同量のマナを用いて魔術師と魔女が同じ魔術を行使した場合、魔女の方は魔術師のおよそ一万倍の効果をもたらすことができるのだ。
マナは定量的に測定する手段を持たない成分であるため、この表現にはいささか正確性に欠けるものがある。ただ、魔女が実現してみせる魔術が、魔術師とは次元が異なるくらいに強大であるのは確かなことだ。
例えば、空船の技術である。魔女といえば、ヤポニアではホウキに乗って空を飛ぶイメージがあるだろう。だが現実の魔女たちは、そんなちんけな飛行手段のみに頼っている訳ではない。巨大な輸送船を丸ごと空に浮かべて、大陸間を巡る大規模な運送サービスを展開している。
重力制御が得意な魔女であれば、その程度は当たり前のことであるのだそうだ。より優れた魔女は母星の重力を振り切って、ワルプルギスにある国際高空迎撃センターへの貨物輸送を請け負っている。科学的手段であるロケットではまだ到底成し得ない、実に高度な輸送手段だ。
筆者が国際高空迎撃センターに向かう際にも、この貨物船に同乗させてもらうことになった。本来は貨物専用のものなので、乗り心地の方はお世辞にも快適とは言えなかったが、安心して乗れるものであったのは間違いがない。重力制御士の魔女につらくはないのかと尋ねてみたところ、「操縦席が狭くて腰が痛い」とのコメントを得た。より多くの甘味料をワルプルギスの魔女に届けるために、乗員用の空間は可能な限り省スペースに設計されているのだそうだ。彼女の仕事は、母星を隕石から守る最前線の魔女たちに、ご褒美となるスイーツの原材料を提供する重要なものだ。今後とも是非頑張ってもらいたい。
降臨歴一〇二六年、八月九日
フミオ・サクラヅカ
ワルプルギスへの記念するべき第一歩を、フミオは踏み出した。そう、ここには重力がある。しっかりとした上下があった方が、植物の成長に良いらしい。母星の周りをふわふわと漂っているかつての巨大隕石の破片が、今ではマナで満たされた魔女たちの一大拠点だ。顔を上げると、空の半分は青い母星で埋め尽くされていた。
すうっと大きく息を吸っても、何の違和感も覚えない。本来なら、ここは真空の宇宙空間だ。これも重力と同じで、魔女たちが魔術によってこのワルプルギスに大気を定着させていた。他にも目には視えないが、様々な有害な光線を調整するための特殊な偏光フィルターがワルプルギス全体を覆っている。それは科学と魔術のハイブリッド製だということだ。国際高空迎撃センターは、母星の最先端技術の粋を集めた場所だった。
「定期便到着、積み荷の確認をおこなう」
地に足が付く喜びを噛み締めて、フミオがうーんと伸びをしているところに、わらわらと人が集まってきた。ホウキに横座りした魔女を先頭にした、屈強な男たちの一団だ。フミオの出迎え――ということではなく、用事は積み荷の方にある様子だった。
「砂糖と果物の箱が優先だ。家畜の搬出は丁寧にな!」
片眼鏡をかけた性格のキツそうな魔女が、てきぱきと指示を出す。ぽかんと立ち尽くすフミオを無視して、男たちは次から次へと荷物を運んでいった。大きな箱は、電動モーターで駆動するリフト車で運搬されていく。中にはフミオのトランクもあったが、本人の前を完全に無視して通り過ぎていった。檻の中のブタと目があって、「ぶきぃ」と別れの挨拶が遠くまで尾を引いた。さようなら。次に会う時はきっと、どこかの食卓だ。
「フミオさんの歓迎セレモニーは、ここではおこないませんので」
「いや、それは良いんだけどさ」
別に、到着と同時に横断幕で迎えてもらいたかっただなんて思ってもいなかった。トンランが申し訳なさそうにする理由はない。フミオは一介の新聞記者にすぎないのだ。そういうサプライズをされても、反応に困ってしまうだけだった。
それよりも何よりも、フミオには疑問に思っていることがあった。
「この人たちは、魔女、じゃないよね?」
そもそも、どこからどう見ても男だった。魔『女』と言うからには魔女は皆、女性である。そのくらいの基礎知識は、いくら魔女後進国のヤポニア出身のフミオであっても持っていた。それとも、まさかこれが全部女だとでもいうのだろうか。だとしたら、えげつないにも程がある。
「違いますよ。普通に、人足さんです」
いぶかしげな表情のフミオに応えてから、ああ、とトンランは手を叩いた。
「フミオさん、ワルプルギスにいるのは魔女よりも普通の人の方が圧倒的に多いんですよ?」
「そうなのか?」
地上から遠く離れたワルプルギスには、魔女の本拠地というイメージがある。そのため、そこにいるのは魔女ばかりだとフミオは勝手に思い込んでいた。
「確かにワルプルギスの魔女の人口密度は高いです。でも、全員が魔女、ということはないんですね」
重力や空気といった、生存に必要な基本的な要素に関しては、力の強い魔女たちが分担して維持管理に努めている。しかしそれ以外の部分については、魔術と科学が半々くらいで、どちらかといえば科学の方に比重が傾いている状態だった。
「魔術で解決する方が簡単に思えるんだが?」
「魔術はタダじゃないですから。ここではマナが決定的に不足しているんです」
なるほど。母星の自然から発生するマナが、魔術の力の根源となるのであった。だとすれば、大地から離れたこのワルプルギスには、母星からのマナの供給が全くない状態に等しいのだ。どんなに魔女たちのマナ燃費が良いのだとしても、無から有を作り出すことはできない。
「木を植えたり、家畜を飼ったり。そうやってワルプルギス自体に少しずつマナを補充しているんですが、無駄遣いができる状態ではないんですよ」
人間が生活できる環境を一から整えるのは、魔女にとっても決して楽なことではない。それをこなしつつ、極大期には隕石の迎撃もおこなわなければならないのだ。そんな中、魔女たちの実生活をサポートするには、マナに頼らない科学や人の手がとても重要な役割を果たしているとのことだった。
「不便ではありますが、ここで生きていく以外に道のない魔女たちも沢山いるんです」
地上に存在していないワルプルギスは、母星にあるどの国家にも所属しないということになっていた。無国籍地帯。ヤポニアも含めて、多くの国を追われた魔女たちが最後に手に入れた安住の地。それがこの、ワルプルギスだった。
「地上からの補給が途絶えれば、ワルプルギスはすぐにでもマナが枯渇して全滅します。ここは人間が魔女を飼っておくための――鳥籠なんです」
悲しい言い方だった。宇宙に浮かぶワルプルギスのことを、魔女たちが地上を侵略するための拠点だなどと口さがなく批判する者もいる。それは的外れな意見だ。根無し草のワルプルギスには、そんな力を蓄えておく余裕などまるでなかった。
魔女は普通の人間からすれば、神にも匹敵する程の強い力の持ち主だ。それ故に、歴史の中で何度となく迫害を受けてきた。魔女たちはこの地上に現れてから、常に人間と寄り添って生きてきたというのに。
魔女の力は、母星を守るためにある。長い間、魔女たちはそれを宿命としてきた。今だって、ここでこうやって次の極大期の訪れに備えて、訓練を重ねている。それなのに魔女の傘に守られている地上の人間は、魔女たちにどれだけの感謝を伝えたことがあるのだろうか。
「君たちはそれで良いのか?」
「ええ。母星を守るのが魔女の使命です。余計なことを考えなくて済むので、むしろせいせいします」
地上に住む魔女たちには、過酷な運命が待っていることが多い。謂れのない差別だけなら、なんてことはない。国際法で禁止されていても、大国の為政者たちは陰で魔女の力を軍事利用しようと企んでいた。国際高空迎撃センターが魔女たちをスカウトするのは、保護の意味合いも強かった。
望まない生活を送る仲間たちを救うのと同時に、魔女の力を戦争や人殺しに使われることはなんとしても避けなければならない。今から百年近く前に、このワルプルギスは魔女たちが自らの使命を正しく果たすために建造されたのだ。
「トンランは、どこの産まれなんだ?」
「あたしですか? マチャイオです」
マチャイオは南洋にある、ヤポニアよりも小さな島国だった。魔女たちが多く住んでいて、住民ともよく慣れ親しんでいたと聞いている。隕石による津波や火災の被害を、代々住んでいる魔女の一族が防いできた。国土も広くないし、文明だってそんなに発展している訳ではない。ただ、暖かな笑顔で溢れた、穏やかな国だった。
「じゃあ、今は戻れないんだな」
マチャイオが今、どういった状況にあるのか。新聞記者であるフミオは良く理解していた。
去年の暮れ、マチャイオは海洋資源の開発を目論む二つの大国の争いに巻き込まれた。魔女は、人間同士の諍いには力を貸すことはしない。砲火に覆われたマチャイオから、古くからいた魔女たちは散り散りになって逃げだした。その内の一部は、このワルプルギスにも避難してきているはずだ。戦争は膠着状態に陥り、マチャイオでは今でも両大国によって非人道的な略奪行為がおこなわれていると連日報道されていた。
「だから、ここがあたしの帰る家、故郷なんですよ」
トンランは母星を見上げた。その見据える先には、かつて住んでいたマチャイオの島があるのか。魔女たちが隕石から守る母星の上で、人間は今この瞬間も殺し合っている。隕石の破片の上に作られた街を『帰る家』と呼んで、トンランは何を想うのだろうか。
「フミオさん」
頭上を、ホウキに乗った魔女の編隊が掠めていった。積み荷の確認は一段落していて、貨物船の船長が片眼鏡の魔女が差し出した書類にサインをしている。「腰が痛い」と愚痴っていたまだ若い重力制御士の魔女が、作業の手伝いを終えてぼきぼきと関節を鳴らしながら船から降りてきた。次の出航は一週間後だ。その間に、たっぷりと骨休めをしておいてもらいたい。
どこにでもあるような地方都市の、こじんまりとした空港を思わせる景色の中で、フミオはトンランと向き合った。ここはもう、母星の上ではない。魔女たちが暮らす、魔女たちの世界。地上で揉み合う人類を眺めながら、母星を守るためだけに生きる魔女の聖域。その証拠に、ここに立っているトンランの笑顔には一片の曇りもなかった。
「ようこそ、ワルプルギスへ」