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StarChaser 星狩りの魔女  作者: NES
第4章 ワルキューレはかく語りき
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ワルキューレはかく語りき(2)

 けたたましい起床ベルの音が鳴って、無理矢理に微睡まどろみの世界から連れ戻された。良い夢を視ていたと思っていたのに。ここ十年、ぐっすりと眠ったためしなんかなかった。イスナはううん、と伸びをした。

 目を開けても、ぼんやりと薄暗い。重力もないので、上下感覚も怪しい。よいしょ、と手摺てすりを掴んでバランスを取った。魔術が使えれば、もっと自在に動き回ることが出来るのに。いつもと同じ、今日もイスナの中のマナは空っぽの腹ペコだった。


 何もない殺風景な個室の外に出ると、他の者たちもぞろぞろと食堂に向かうところだった。狭い通路、というよりもパイプの中を漂っていく。お互いの顔すら良く見えない。イスナは人の流れに乗ってゆっくりと進んだ。

 ここで癇癪かんしゃくを起こして暴れたところで、得することなど何もなかった。先週、約一名が「腹が減った」という理由でご褒美時間(トークンタイム)外のレクリエーションを実行して、骨が三本折れるというアクシデントに見舞われた。何のためにわざわざ無重力で飼い馴らされているのか、少しはない頭で考えるべきだった。判っている奴は普段からちゃんときたえている。娑婆しゃばにいた頃みたいにマナに頼り切った状態では、この監獄衛星で生きていくことなど到底出来るはずもなかった。


 ここは監獄衛星フレゲトン。罪を犯した魔女と、ワルキューレを隔離しておくための特殊施設だ。



 魔女の力の源は、母星ははぼしの大地から生み出されるマナだ。マナを体内で燃焼させて、魔力に変換する。魔女はその効率がすこぶる良い。

 だがマナがなければ、魔女はただの女だった。普段から魔力に頼り切った生活を送っていたのならば、その評価はただの女以下にまで落っこちる。ぐずぐずとして。あれが出来ないこれが出来ないと大声でわめいて。うるさいだけで何の役にも立たない。そういう奴は、好きなだけフレゲトンの冷たい壁とキスしていれば良い。


 母星ははぼしをぐるりと囲む輪の中には、複数の監獄衛星が点在している。イスナがいるフレゲトンの他にも、ステュクスやアケロンなど、よりどりみどりだ。監獄衛星が全部で幾つあるのかについては、イスナには見当もつかなかった。

 なぜなら、監獄衛星の数と座標は魔女たちの間では極秘事項とされているからだ。ワルプルギスでも、国際高空迎撃センターの迎撃司令官と戦闘士グラディエーター作戦指揮官コマンダークラス、特別な事務方以外には知らされていない。後はせいぜいここで働いている職員ぐらいか。星を追う者(スターチェイサー)にも知らされていないのだから、その極秘っぷりがうかがえようというものだ。

 そこまでして隠蔽する理由は簡単だった。魔女たちがワルキューレを恐れているからに他ならない。もし国際高空迎撃センターの中に裏切り者が現れて、捕らわれているワルキューレを一斉に解放すればどうなるか。一つの監獄衛星の中に、鬱憤うっぷんの溜まったワルキューレたちは数十人はいる。魔女たちはそれに蓋をしておこうと必死なのだ。


 監獄衛星の構造は、どこも似たようなものだった。大きな岩の塊をくりぬいて、その内側が隔離された空間になっている。重力制御は一部でしかおこなわれない。空気は薄くて気圧は低い。温度はどこにいたって肌寒い。光は最小限。これらは全て、囚人である魔女たちにマナを補給させないために徹底されていることだった。

 看守たちは表層に設置されている専用の区画に詰めている。そこには少なくとも、ここよりは多くのマナが充満しているはずだ。そうでなければ、これだけの数のワルキューレに暴動でも起こされたらひとたまりもない。嘘だと思うのなら一度試してみれば良い。新入りが最初にそれをやって、歓迎の祝福リンチを受けるのがここのしきたりだった。

 これでも昔に比べれば、かなりマシになったという話だ。何しろ、輪の中の監獄衛星には千年の歴史がある。息が出来る。食事が出来る。寒さで死なない。それだけで実に素晴らしい進化を遂げたとのことだ。ああ、生かされてるって素晴らしい。嬉しくって涙が出てきそうになる。


「よお、イスナ」

「おはようさん。今日も生きてたな」


 食堂に入ると、小さいが重力が働いている。無重力での食事は、通常の三倍のテーブルマナーが要求されるからだ。監獄衛星にぶち込まれる様な連中に、そんなものを期待してはいけない。胃から逆流してきたゲル状の物体が、床にぶちまけられるのとその辺りを縦横無尽に行き交うのとではどちらがマシか。過去に顔面に吐瀉物としゃぶつを喰らった配膳係が、涙ながらに訴えた結果に違いない。ここでの生活の一つ一つには、そういった先人たちの叡智がかされていた。


 イスナは長テーブルの端っこにある自分の席に座った。さっき挨拶をした顔見知りは、だいぶ遠くのテーブルにいる。ところで声をかけられたのは良いが、そいつが誰だったのかイスナははっきりと思い出せなかった。母星ははぼしにいた頃の知り合いか。それとももっと前か。まあいい。今はそれどころじゃない。

 行儀よくきちんと腰かけた囚人たちの前には、空っぽのボウルが一つ置かれていた。ここに配膳係が、ひどく勿体もったいを付けながら今日の朝食を盛り付けていく。べちゃり。べちゃり。実に食欲をそそる響きだ。似たような音は、確か便所でもよく耳にする。個体六、液体四の割合くらい。今日はちょっと緩いかな、って感覚だ。


 メニューはいつもと同じ、ゼリーのとろみあんかけだった。他に表現のしようがないから仕方がない。天然食材はマナの宝庫だ。そんなものをワルキューレたちに与えたら、その日のレクリエーションはいつにない盛り上がりを見せてしまう。大切なのは、死なない程度の栄養価を摂取させること。人権万歳。ご飯があるお陰で、死なないで済む。


 それにしても、毎度毎度全ての味覚的な刺激が不足している、歯ごたえしかない物体だった。それをなんとかして喉の奥に通そうとイスナが四苦八苦しているところに、看守の魔女が近付いてきた。おかしい。今日はまだ、何も問題は起こしていない。さっき良く覚えていない相手に対して挨拶はしたが、あれは言葉しか交わしていないだろう。それもごく穏やかで、まるで淑女みたいだった。クソとか死ねとかアバズレとか腐れコーヒー豆とか。そんな下品な言葉遣いは、はしたなくてよ。


「イスナ・アシャラ、お前宛てに手紙だ。差出人はフミオ・サクラヅカ。男だな」

「手紙? なんで?」

「この前ヤポニアの記者にレポートを提出しただろう? それの返事だ」


 ああ。イスナはつまらなそうに封書を受け取った。下手くそな国際共用語で、イスナの名がしたためてある。男から来た手紙ということで、食堂の中が一瞬ざわついた。当たり前だが、ここには女しかいない。みんないい感じに欲求不満だ。後で便箋びんせんの匂いを嗅がせてくれ、とか言いだす奴がいるに違いない。字が読めて書けるなら、面倒臭がらずに自分でも何か送れば良かったんだ。アホか。


 数日前に、ワルプルギスのヤポニア大使館から取材の依頼がやってきた。何でもヤポニア新報の新聞記者が、ワルキューレについて知りたがっているということだった。物好きにも程がある。若い男なら、是非やってきて監獄エリアに一日ぶち込んでもらいたい。天国と地獄を同時に味わうことが出来るはずだ。比率的には地獄マシマシだが、一生忘れられない体験になるだろう。


 しかし残念なことに、それを無条件で許可する程、国際高空迎撃センターも無能揃いではなかった。ただでさえ監獄衛星に関する情報は非公開だ。無関係な人間を連れていくことは出来ない。

 そこで、あいだを取って文通による取材だけが許可された。数ある監獄衛星の中で、フレゲトンに白羽の矢が立てられた。フレゲトンに収監されている囚人の中で、ヤポニアの記者の取材に応じる者はいないか。報酬はご褒美時間(トークンタイム)一時間。これがもうちょっと気前が良かったら、ヤポニアの記者さんも嬉しい悲鳴だっただろうに。看守のケチっぷりには頭が下がる。


 取材とやらに、イスナは正直何の興味もなかった。大事なのは、ご褒美時間(トークンタイム)だ。こんな空間に四十六時中閉じ込められていたら、頭がおかしくなってしまう。一分でも一秒でも良いから、とにかくまともな場所にいたかった。


「ここじゃ薄暗いし、周りがうるさくて手紙なんか読めない。食事が終わったら自習室にいかせてくれ」

「今週のご褒美時間(トークンタイム)は残り三時間だ。無駄にするなよ」


 模範生として何一つトラブルを起こしていないのに、これだ。光の下で静かに考え事をしたければ、与えられたご褒美時間(トークンタイム)を消費するしかない。ご褒美時間(トークンタイム)はこの監獄衛星で囚人たちに懲役の対価として支払われる、何よりも貴重なものだった。


「んだよー、男臭をオカズに一人でしっぽりヌイてくるのかぁ?」

「ばぁーか」


 頭の悪い野次に罵声で応えて、イスナは食堂を後にした。食堂はフレゲトンの表層側にある。自習室は更に外殻に近い。ここの重力制御は、中心にいくほど弱くなっている。普通と逆だ。

 無重力慣れしてない奴がぶち込まれてくると、初日の夜に中身を全部吐き出して全員が迷惑をする。綺麗にしたつもりでも、どこからともなくゲロの残りかすが漂ってくるのだ。そんな場所で落ち着いていられるとか。それはもう、狂人の領域に片足を突っ込んでいるとしか思えなかった。


 入口で手続きを済ませると、イスナはようやく自習室の中に入った。身体が重い。母星ははぼしと同じだけの重力。そしてまぶしい白い光が、狭い部屋の中を照らしている。書き物机と椅子だけの殺風景な眺めだが、他には誰もいないというのがありがたい。イスナは椅子の上にどっかりと腰を降ろすと、深く息を吐いた。

 イスナの視界に入らないだけで、自習室にもしっかりと監視の目は行き届いていた。ペンであろうと何であろうと、この部屋にあるものを持ち出すことは厳禁だ。何かの間違いを犯しただけで、その週のご褒美時間(トークンタイム)は全て没収。異議は認められない。


 手に持った封筒を、イスナは丁寧にペーパーカッターを用いて開いた。一番最初にこの自習室を使った時には、これに触れただけで看守が踏み込んできて拘束された。だったら初めからここに置いておくなという話だ。自分たちで突っ込みどころを用意しておいて、引っかかったら嬉々としてご褒美時間(トークンタイム)を取り上げる。これだから、魔女は信用がならない。

 白い数枚の便箋びんせんには、やや走り書き気味の汚い字が並んでいた。文章自体はきちんとしていて、少々言い回しがくどいと感じられるところもある。新聞記者とは、こんなものか。背もたれに体重を預けると、ぎぃっ、と音がした。どれ、何を書いて寄越してきたのやら。イスナは目を細めて文字の羅列を追いかけはじめた。愛の告白でないことだけは確かだろうが。


 ヤポニアは『ブロンテス』の悲劇までは、魔女に対して否定的な国だった。国際同盟に加盟はしていても、ワルプルギスには金だけ出しているという状態だ。大国同士のパワーゲームに乗っかることで生き残りを図るという、典型的な腰ぎんちゃく国家のスタンスを取っていた。

 のちに親魔女政権とやらが樹立しても、その空気はそう簡単には払拭ふっしょくできるはずもなかった。数百年単位でやってきた差別を、ある日突然はいそうですかとやめる訳にはいかないだろう。それが出来るのなら、国際紛争なんて存在しない。列強諸国は皆で手を繋いで、輪になって踊っている。馬鹿丸出しだ。

 そこで新聞記者を呼びつけて、プロパガンダ記事を書かせることにしたという思惑が透けて見えた。ワルプルギスの魔女たちは、また一つ世界を丸め込もうとしている。自分たちを正統なる魔女として喧伝けんでんし、それに従わないワルキューレを闇にほうむり去ろうという腹だ。


 フミオとかいう記者は、そんなヤポニアとワルプルギスの政治的意図が絡まり合う中、提灯記事を書こうとしてあれこれと手を伸ばしている。イスナはフミオが、ワルキューレがいかに極悪で、非人道的な存在であるのかを記事に書き連ねるのだろうと高をくくっていた。

 別にそれでも構わなかった。イスナが、そしてワルキューレがここに存在していることを示せるのなら。狂信者によって作り出された、哀れな洗脳の被害者。好きに書いてくれ。半ばやけくそになって、イスナは自身の過去について書きつづって、フミオに送り付けた。


 その行為は、イスナの記憶をいやおうにも刺激してきた。忘れたくても忘れられない。このくらい炎が胸のうちで燃え続けている限り、イスナは魔女たちを赦すつもりにはなれなかった。



 ――大切な妹、サラサ。


 二人で星空を見上げて、星を追う者(スターチェイサー)になりたいなんて無邪気な夢を語った。二度と離さないと誓った。

 イスナは父親とあの老いた魔女によって、ワルキューレとして教育された。サラサもそうだし、他の姉妹たちもそうだった。自分たちの境遇を疑問に思うことなんて、何一つなかった。


 それは今でもそうだ。魔女たちはイスナの父親を嘘つきだと言った。イスナはだまされていた。ワルキューレは世界に混乱をもたらす悪い魔女のことだ。イスナたちはテロリストたちに、兵器として売られるために準備されていた。その証拠が、姉妹たちに与えられていた名前だ。


 イスナ・アシャラ。

 サラサ・アシャラ。


 それは砂の国の言葉で、数字の『十二』と『十三』を意味している。イスナはある女性から生まれた十二番目の魔女。サラサは十三番目だ。他の姉妹たちも、皆同じ。名前ではなくて、識別子だった。

 沢山の衝撃的な事実を告げられて、イスナの小さな頭はパンクしそうになった。愛してくれたはずの父親。見たこともなかった母親。イスナが信じていた全てが、がらがらと音を立てて崩れていった。


 でも――


 父親の語っていたことは、本当に何もかもが出鱈目だったのだろうか?

 母星ははぼしを追いやられ、ワルプルギスの岩塊の上にかりそめの塔を建てて。星を追う者(スターチェイサー)はやされて、襲いくる隕石を追いかけるだけの毎日を送らされる。隕石の迎撃は成功するのが当たり前で、失敗すれば責められて、何もしなかった人間たちに向かって頭を下げる羽目になる。


 それが、魔女なのか。魔女とはそういうものなのだろうか?


 魔女は人であり、同時に人より優れた者だ。母星ははぼしに愛され、そのマナを用いて力を行使する母星ははぼしの代弁者だ。


 地面の上を這いずり回り、殺し合うだけの人間には、守るべきどんな価値だって存在しない。国際同盟の下部組織である国際高空迎撃センターは、列強諸国の戦争主義に加担するゆがんだ魔女の集団だ。



 ……どうせ書いた内容は検閲される。相手はわざわざワルプルギスに招かれるような御用記者だ。こんな頭のおかしい犯罪者の述懐じゅっかいなど、期待してはいないだろう。イスナはただ、書きたいことを紙の上に叩き付けただけだった。声にはならなくても、叫びを上げずにはいられなかったのだ。


 だから、返事が来たのは意外だった。しかもイスナの手紙は細部まできちんと読み込まれていて、それについて追加の質問がつらねられていた。フミオという記者は、あくまで冷静だった。イスナの意見を頭ごなしに否定することはせず、客観的な事実だけを並べて考察している。その中で、不鮮明な箇所だけを明確にしてほしいとのことだった。

 フミオは更に手紙の中で、ワルプルギスでも追跡調査をして事実の検証をおこなうつもりだと宣言していた。イスナ・アシャラとサラサ・アシャラ。そして今はもうない監獄衛星、コキュトス。その記録が、ワルプルギスには残されているのだろうか。このヤポニアの記者を信じれば、イスナは失ってしまった何かを取り戻せるのかもしれない。


 ――いや、無駄だ。


 イスナは、便箋びんせんの束を握り潰した。手遅れだ。この手は、サラサを離してしまった。もうサラサはいない。


 サラサも、魔女たちへの信頼も。



 あの日あの時、『ブロンテス』はイスナから全てを奪い去ってしまった。


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