ワルキューレはかく語りき(1)
魔女の娘は、魔女になる。これが魔女の血統だ。千年を超える長い間、魔女たちは母星の上でその力を引き継ぎ続けてきた。魔女は人間と同じで、一人では子を為すことは出来ない。普通の女性として男性と番になって、妊娠、出産をおこなう。
ただし、魔女の産む子供が常に女児であるとは限らない。これもまた普通の人間と変わらず、男児を儲けることもあった。この場合、その男児は『魔女の力』を持つことになるのか。
答えは否、だ。魔女の力は女性にしか発現しない。故に、魔『女』と呼称されるのだ。
魔女から生まれた男児は、完全に普通の人間と区別がつかない。魔術師的な才能ですら持たないことがある。魔女の血統は、人間が持つ魔術師の素質とは何ら関係がないものらしい。
ただし、一点だけ問題となる現象が存在する。それは極めて稀に、魔女の血統を引く男性と通常の女性との間に、魔女が生まれることがあるということだ。
このような男性を、魔女たちは『魔女遺伝者』あるいは『潜在的魔女』と呼んでいる。本来魔女の性質は女性にしか遺伝しないものだが、何かの都合によって男性の中に潜在的に魔女の才能が残されている状態だ。これは現在の科学や魔女たちの知見によっても、事前に知ることの出来ない特別な性質となっている。場合によっては、その男性の相手から産まれる女児が全員魔女となってしまう可能性さえもあった。
遠い昔には、魔女たちは独自の小さなコロニーを形成して生活していた。必要以上に外の人間たちと関わらず、非常に限られたコミュニティの中でその血統を保つことに腐心していた。今にして思えばそこには、魔女の力が拡散することによって現代に発生しているような問題を未然に防ぐ意図もあったのかもしれない。
魔女たちは自在に空を飛び、母星の上を行き来する力を持っている。そんな状態にあって、閉鎖的な習慣がいつまでも続けられるはずもなかった。魔女たちの世界は少しずつ開かれていって、現在では魔女の血を引く者たちは母星のあらゆる地域に散らばっている。自分の一族が魔女と関わりを持っていたのかどうかを知りたければ、家系図を溯って詳細に調べなければならない程だ。
過去とは違って、ワルプルギスでは魔女たちに自由な恋愛や婚姻を認めている。その代わり、子供が生まれた場合には性別に関わらず出生の届出をしなければならないという義務がある。そうでもしなければ、現代においては魔女の血統は最早管理不可能な領域にまで達していた。
魔女の一族であるかどうかが問題とされるのは、魔女の力を悪用しようと企む者たちがいるからだ。魔女はその本質において、人間と何ら変わることがない。例えば赤ん坊の頃からある特定の思想に偏るような教育がされていれば、その価値観にのみ忠実に従う魔力行使者となってしまう。
歴史の中で、魔女たちは母星を隕石から守る存在として語られてきた。だがその陰で様々な要因によって変質し、人を傷付けてきた魔女たちがいる。力の使い方を歪められ、貶められた魔女たち。
彼女たちは太古より『ワルキューレ』と称されてきた。
魔女の力は、通常の人間の魔術師のそれを遙かに凌駕している。戦場に出れば、単独で軍隊の一個師団にも匹敵した。古代の大陸の帝国の中には、筆舌に尽くしがたい手段で魔女の子供を飼い馴らしてワルキューレとし、使役していた為政者がいたとも伝えられている。また魔女の掟に反して、母星の上に魔女を至上とする国家を作り出そうと目論んだ者もいたらしい。
そうした不届きな者たちに対して裁きの鉄槌を喰らわせてきたのも、往々にして魔女たちだった。魔女たちは自らの秩序を守るためならば、同じ魔女の力を持つ者たちとも戦った。そういった道を踏み外した同族への対処をおこなうために選出されたのが、戦闘士だ。
魔女はワルキューレや人に害を成す魔女のみを排除し、それ以外の人間の社会や歴史には関与しようとはしてこなかった。魔女たちの目的は、この母星を守ることにしかないからだ。この母星の歴史の中で、魔女たちが表舞台に立ったことは一度もない。魔女は常に、人類の繁栄を陰から支える者であった。
魔女たちの人権の保護、そして母星を隕石から守るという魔女本来の目的に沿った魔力の行使を順守するため。国際同盟では、魔女の戦争行為への介入を厳しく戒めている。魔女がその意志に反して戦争に駆り出されること、また同時に魔女が自らの意志でもって戦争を起こすことは許されない。非人道的な人体実験についても同様だ。潜在的魔女に対する対応も、幅広く取り扱われるようになった。魔女との平和的共存は、世界的な主たる潮流となろうとしている。
しかしそれは、大国を中心とした国際同盟加盟国の中においてのことでしかなかった。
国際同盟に反発する国々は、まだ母星の上には幾つもある。国際同盟が、軍事的に優位な列強諸国主導のものであるという現実は否めない。非加盟国に対する貿易関税権の設定など、いじめとしか思えない行為が国家間で横行しているのも確かなことだ。
だが、それに対抗して取られる手段がワルキューレであるというのは、褒められたことではない。紛争地帯では国際同盟の治安部隊に対して、ワルキューレによるテロ行為が後を絶たない。魔女友好国に対する攻撃や、隕石迎撃への妨害活動もある。これらは魔女に対する恐怖を植え付け、国際社会の魔女への不信感を煽るためのものであると見なされている。
社会不安を増大させ、国際同盟の在り方そのものに揺さぶりをかけることがテロリストたちの目的である。ヤポニアは国際同盟の一員であり、親魔女国家たろうとしている。もし仮にワルキューレによるテロ行為にさらされたとしても、それに屈してはならない。魔女を否定し、世界との繋がりを拒否する過去に逆行してはいけない。社会の分断化は、テロリストたちの思う壺でしかないからだ。
ワルキューレの中には降臨歴元年の時代より、この母星の壊滅を願っている一派もあるのだという。そんな者たちと手を組むテロ組織もあるのだから驚きだ。国際高空迎撃センターへの妨害行為などは、一歩間違えば母星の壊滅、人類の滅亡にも繋がりかねない狂気の沙汰でしかない。母星の上でこのヤポニアが今後生きていくためには、誰と共に歩むべきかは考えるまでもないことだろう。
魔女への敬意と、お互いを尊重する気持ちを忘れないように。我々は同じ母星に生きる仲間なのだから。
降臨歴一〇二六年、九月三日
フミオ・サクラヅカ
その年は、極大期だった。夜空には無数の流れ星が飛び交って、いつもとはまるで違った光景になる。赤いフダラクと、青いボダラク。金色の輪が空を二つに分けて、流星が渡る。時折大きな輝きが弾けるのは、星を追う者だろうか。あんなに高いところで、ご苦労様なことだ。
妹のサラサがどうしても見たいと言うので、イスナは仕方なく部屋を抜け出して大岩の上に登っていた。見つかったら大目玉どころでは済まない。サラサなんていつも鈍臭くて、失敗ばっかりしているのに。こんな規則違反をしているとバレたら、今度こそ庇いきれないだろう。
「綺麗だねぇ、お姉ちゃん」
そんなことは考えてもいないのか。サラサは笑顔でほうぅ、と白い息を吐き出した。砂漠の夜は凍えるくらいに寒い。灼熱の昼間とは全然違った、もう一つの地獄だ。イスナは自分の纏っていた外套をサラサにかけてやった。サラサは身体が弱い。風邪でも引いて、この前のサマニみたいにコロリと死んでしまっては困る。
サラサはイスナにとっては誰よりも大切な――双子の妹だった。
イスナ・アシャラとサラサ・アシャラは、この砂漠のど真ん中で生まれた。どこまでも続く砂の海と廃墟、それ以外には何も記憶がない。後は大勢の姉妹たちと、父親だ。父親はイスナたちにとっては特別な存在であり、絶対者だった。
父親はサラサたちに、強い魔女――ワルキューレであることを求めた。イスナとその姉妹たちは、この世界にいるどんな魔女よりも強くならなければいけない。それは、歪んでしまった魔女の世界を取り戻すためだ。
今の魔女は、みんな間違えている。列強諸国という力だけでこの星を支配する人間たちによって、魔女たちは母星を追い出されてしまった。ワルプルギスなどという石くれの上に落ち着いて、そこで何事もなかったみたいに隕石を壊している。自分たちが歪められ、列強諸国の思い通りに操られているという自覚がない。
魔女友好国などという出鱈目を噴き込まれて、丁度今この時も星を追う者は呑気に迎撃活動をおこなっていた。それは魔女の本分を忘れた、愚かな傀儡行為だった。
『魔女は本来、人に裁きを与える者だ』
父親は、イスナたちに魔女のあるべき姿を教えてくれた。正しい魔女の歴史の伝承者は、もう母星にはいないらしい。イスナたちの父親は、数少ない『真実を語る者』だった。
人類にない特別な力を持つ魔女たちは、この母星を支配する者である。隕石は地上に住む罪を犯した人間に与えられた罰であり、魔女は慈悲によってそれを破壊する。今の列強諸国は、その天罰から逃れるために魔女友好国を名乗り、不当に魔女の力を傘として隕石から身を守っているのだ。
騙されている魔女たちの目を覚まさせる必要がある。それには、イスナたちが強い力を持たなければならなかった。
魔女友好国を騙る罪深い者たちに対して、直接この手で大いなる罰を与える。
地上に落とすべき隕石を、間違いなく罪人の頭の上にまで届ける。
盲目的に人間を信じ切っているワルプルギスの魔女たちに、正義の一撃を喰らわせる。
これら全てが、イスナたちに課せられた使命だった。産まれた時から繰り返し、そうであるものだとして教えられてきた。イスナたちにとって、それは真実だった。自分たちを愛し、毎日の食事を提供してくれる父親の言葉には、疑うべきどんな余地も存在していなかった。
常に死と隣り合わせの砂漠地帯で、イスナたち姉妹は連日厳しい教練を受けた。魔女の力の使い方を教えてくれる先生がいた。身体中傷だらけの、年老いた魔女――ワルキューレだった。何歳なのか見当も付けられないくらいに皺だらけのワルキューレは、事あるごとにイスナとその姉妹たちを『ワルキューレを継ぐ者』であると口にした。
ワルキューレという言葉が何を意味するのかは判らなかったが、イスナたちを訪れる客人たちはみんなイスナたちをそう呼んでいた。イスナたちの父親のことを聖なる者と崇めて、誰もが恭しく頭を下げた。魔女の真実を知る偉い人なのだから、それが当然なのだと思っていた。
時折、客人が姉を連れて去っていくことがあった。そうやって、何人かの姉たちがサラサたちの前から消えた。客人と共にいなくなった姉とは、二度と会うことはなかった。イスナとサラサも、いつかはそうやってここから出ていくのだと教えられた。サラサが怖がって、イスナの手を握ってきたのを覚えている。イスナも、サラサとは離れたくなかった。ここを出ていくのなら、その時はサラサと同じ場所に行きたかった。
サラサは、この世界にいるたった一人の双子の片割れ。イスナにとってサラサは、一番大切なもう一人の自分だった。
「ねえお姉ちゃん、サラサも星を追う者になれるかな?」
「なんだ、サラサは星を追う者になりたいのか?」
父親の前でそんなことを言えば、顔の輪郭が変わるまで張り飛ばされることになる。サラサもそこまでは馬鹿じゃない。こういう話は、イスナと二人の時にだけしかしなかった。イスナはサラサの身体を抱き寄せた。細くて、がりがりで。茶色い髪は縮れてしまって、砂が入り込んでじゃりじゃりとする。
でも真っ赤な瞳は、宝石みたいに綺麗だった。イスナと同じ色。イスナはサラサが可愛くて仕方がなかった。
「空を飛んで、隕石を追いかけてね。ぱぁ、って弾けるの。きらきらして、すごく素敵」
「そうだね。星の世界を、きっとどこまでだって行けるんだ」
ワルプルギスの魔女たちを懲らしめて、正しい魔女にしてしまえば良いんだ。そうすれば、サラサが新しい星を追う者になれる。星の海を、目にも止まらない速さで飛んでいく。悪い人間の上に隕石を落として、世界を綺麗にする。サラサの話を聞くのが、イスナは好きだった。サラサと一緒なら、どんなに苦しい訓練でも我慢出来た。
「お姉ちゃん、サラサ、もう痛いの嫌だよ」
「お姉ちゃんだって嫌さ。でももうちょっとの我慢だ」
落ちこぼれのサラサは、いつも父親や年老いたワルキューレに折檻された。泣き叫ぶサラサを、イスナはじっと見ていることしかできなかった。サラサを助けようとすれば、イスナも同じ目に遭わされるからだ。もしイスナがサラサの代わりに叩かれると、サラサは更に泣いた。父親にすがりついて、自らの不甲斐なさを詫びた。なんでもするからイスナを赦してほしいと懇願した。
その後は二人とも食事が抜かれて、血だらけのまま放置された。そんなことでは、魔女と戦う力は得られない。姉妹たちを見習いなさい。そう言い渡された次の日の朝、父親は何事もなかったかのように二人に笑いかけてきた。私の可愛い娘たち、世界を変えられるのは君たちしかいない。そして二人を温かいお湯に入れて、いつもより多めにパンを与えてくれた。
毎日は、ほとんどがそんなことの連続だった。失敗して怒られて。翌朝には赦される。何回も、何十回も、何百回も。痛くてつらくて。悲しくて。……優しくされて、ほっとした。考える暇なんてない。イスナはただ、サラサと共にありたかった。サラサに、笑っていてもらいたかった。
――それだけだ。
「大丈夫だよ、サラサ。お姉ちゃんがずっと一緒だ」
今はこんなに苦しいけど。
いつかは、きっと。
イスナとサラサが見上げる先で、また一つ星が瞬いた。




