虚空のワルプルギス(1)
降臨歴一〇一六年――この年もまた、四年に一度母星を脅かす、隕石の落下極大期であった。極大期とは説明するまでもなく、我々の母星の公転周回軌道と、『隕石の巣』と称される兄弟星の残骸の周回軌道が最接近する際に訪れる、招かれざる天体ショーのことを意味している。魔女たちによる絶え間ない防衛行動がなければ、我々の今日における地上での繁栄などは皆無であった。その事実を、ヤポニアの民は忌まわしくも恐ろしい歴史的な悲劇によって、否応なく思い知らされることになった。
その年最大の隕石『ブロンテス』は、母星への直撃コースをとっていた。観測によると『ブロンテス』の質量はあまりにも大きくて、接近速度もずば抜けて早かった。国際高空迎撃センターの魔女たちは『ブロンテス』衝突までの限られた時間の中で協議を重ねた結果、軌道修正による落着阻止が極めて困難であると結論付けた。最終的に『ブロンテス』への対処は、一旦破砕して幾つかの破片に分断した後に、各破片を母星の軌道外へ除去、乃至大気圏内で燃え尽きる大きさへと分解するという計画を策定することとなった。
このような破砕プロセスは、前例が全くない訳ではなかった。過去の記録を紐解けば、『ブロンテス』を遙かに超える規模の隕石『アルゲス』が母星に迫った際にも、同様の作戦が立案され、実行に移されていたことが見て取れる。その結果『アルゲス』は無数の破片に打ち砕かれ、現在でも母星を囲んでいる美しい輪を構成する一部となった。
国際高空迎撃センターの記録によれば、『ブロンテス』の構成成分は想定以上に強靭であったと報告されていた。後に海中から引き揚げられた『ブロンテス』の破片の成分調査からも、それを裏付ける計測結果が数多く示されている。『ブロンテス』はその規模自体は、『アルゲス』とは比較にならない程度の小さなものであった。そこに当時の破砕計画を立案した魔女たちの、油断が入り込む隙ができてしまっていたのだろう。客観的に見てこの破砕作戦の悲劇は、想定以上の硬度を持った隕石と、過去の作戦成功に対する驕りの、両方からもたらされたものだった。
母星標準時七月二六日一九時一〇分、『ブロンテス』に対して隕石破砕の魔術が放たれた。作戦の実行に当たったのは、星を追う者の魔女の中でも第一線の実戦部隊ゲイボルグ隊だ。『ブロンテス』は非常に高速で飛来しているために成分の分析が充分に間に合わず、質量から推定された最低出力の隕石破砕が使用されることになっていた。
あまりにも強力な攻撃魔術である隕石破砕には、実際の運用に関しては数多くの制限事項がある。魔女たちはこの時もその国際条約を愚直なまでに批准し、可能な限り出力を抑えた状態で用いていた。だがこと『ブロンテス』に対しては、それが後に続く大惨事を引き起こす主な要因となってしまった。
隕石破砕は『ブロンテス』を直撃したが、予定通りの効果をもたらさなかった。『ブロンテス』の成分及び密度が、外部観測による構成予測とは大きくかけ離れていたためだ。最大破片は隕石破砕の衝撃によって大きくコースを外れ、母星から遠ざかっていった。しかし問題は、剥離した中規模の破片の落着予測だった。『ブロンテス』から分離した隕石『ブロンテスB』は大気圏内で燃え尽きることなく、ヤポニア東側の近海に落着する。予言士及び予測士の報告に、現場の魔女たちは慌てふためいた。
警告は、直ちに国際高空迎撃センターからヤポニア政府に届けられた。後詰として待機していた星を追う者第二部隊カラドボルグ隊が追撃のスタンバイを完了していたが、発進の指示が下されることはなかった。
何故か?
それは、当時のヤポニアに蔓延していた『排魔女』の風潮の影響に他ならなかった。ヤポニアでは、古くから魔女に対する差別が公然とおこなわれてきた。魔女に限らず、魔術的な素養を持つ者全般に対する偏見、と表現した方が正確かもしれない。ヤポニアは国際同盟に加盟し、国際高空迎撃センターへの支援活動にも協賛はしていたが、それはあくまでも対外的なポーズに過ぎなかった。
ヤポニア政府は『ブロンテスB』の迎撃のために、魔女たちが領空内に侵入することを躊躇した。魔女の力によって庇護されることを、潔しとなかったのか。それともこれを皮切りにして、以降魔女たちが我が物顔で領空侵犯してくることを警戒していたのか。そのどちらであったのだとしても、『ブロンテスB』が阻止限界点を超えるのにはたった一分の時間的猶予もなかった。
――もっとも、即時に魔女たちに迎撃の任を認める事前承認の手続きを執っていなかった時点で、もたらされる悲劇の量に大差はなかったのかもしれないが。
現地時間六時一三分、ヤポニア南東地方の沖合に『ブロンテスB』が落着。付近一帯に、生活インフラの全てをズタズタにするレベルの大地震がもたらされた。直後に大型の津波が引き起こされ、およそ二十分後にはヤポニア沿岸部の都市に到達。ヤポニアは甚大な被害をこうむることになった。
『排魔女』の影響によって、ヤポニアには自然災害から住民を守る魔女たちの配置が乏しかった。また、隕石落下の警報が遅れたことによる避難の遅延もまた、被害を拡大させることになった要因の一つだった。『ブロンテスB』落着による死者、行方不明者の総数は五千人を超える。ヤポニア沿岸部の幾つかの街は、地図の上から永久に名前を失うことになった。
国際高空迎撃センターの設置に伴い、これまで地上への隕石被害は約百年に渡りほとんどゼロという状態だった。魔女の傘の偉大さを、我々は長い間当たり前のものとして享受してきていた。魔女を被差別民として見下してきたヤポニアの民にとって、それは虐げられてきた魔女たちからの怒りの鉄槌のように思えたことだろう。
『ブロンテスB』落着を観測したゲイボルグ隊、及び待機していたカラドボルグ隊の動きは早かった。隕石の被災時における救助においては、国際協定によって魔女たちの全面的な救援活動が無制限に認められている。領空侵犯だろうが越権行為だろうがものともしない魔女たちの精力的な救助活動によって、多くの人命が救われることになった。もし魔女たちの助けがなければ、『ブロンテスB』の被害者の数は現在の倍にまで膨れ上がったとまで言われている。このことは特に明記しておきたい。
時のヤポニア政府は自らの失態を隠すためか、一時は全ての責任を国際高空迎撃センターに被せようとした。『ブロンテス』の破砕任務が正常におこなわれていれば、ヤポニアが被害に遭うことはなかった。これはヤポニアの『排魔女』に対してのあてつけ、魔女たちの抗議行動ではないのか。それがヤポニア側の言い分だった。
国際高空迎撃センターはヤポニアに対して哀悼の意を表するのと同時に、真っ向から反論した。これは不幸な事故である。国際高空迎撃センターは地上にあるいかなる国家、団体にも思想信条的な肩入れはおこなわない。魔女たちは皆、母星を守るという使命によってのみ行動する。意図的に隕石を地上に落とすなど、国際高空迎撃センターの存在の根幹を揺るがす、あってはならない事態だ。
何の実利ももたらさない不毛な言い争いに終止符を打ったのは、ヤポニアの市民の声だった。『ブロンテスB』による被害の救援に真っ先に駆けつけたのは、ヤポニアの政府ではなく魔女たちだった。魔女たちは住民に多大なる損害を与えてしまったことを謝罪し、できる限りの協力を申し出た。国際高空迎撃センターからはいち早く物資が届き、他国との連携もスムースに中継してくれた。それは魔女たちの長い経験から培われた、隕石対応の手引きによるものだった。その手際と比較して、ヤポニアの政治家たちは責任問題ばかりを追及していて、非常事態宣言の発令ですら遅れるという体たらくであった。
ヤポニアの時の政府は総辞職を迫られ、新たに災害復興のための親魔女政権が誕生した。それでもヤポニアには、根強い魔女への差別意識が根付いている。ヤポニアへの救済作戦は次の極大期までには一旦打ち切られ、魔女たちは再び隕石迎撃の任へと戻っていった。いつかまた、本当の意味で魔女とヤポニアが和解できることを願って。魔女たちはヤポニアの民と、固い握手を交わしていた。
――あれから十年の月日が流れた。筆者はまだ少年の頃、責任を問われて頭を下げる魔女たちの写真が新聞に掲載されていたことをありありと覚えている。幸運にも筆者自身は『ブロンテスB』による直接の被害を受けることはなかったが、隕石の脅威について改めて考えさせられたものだった。
ヤポニアは平和な島国だ。国際紛争とは無縁で、穏やかな農耕を中心に栄えてきた。魔女の力については無知で、この星を襲う隕石の群れについてもほとんど何も知らないままに歴史を重ねてきた。大航海時代に海を挟んだ大陸の国々と交渉を持つようになり、ようやくこの母星を守る魔女、星を追う者について理解を得た程度の蛮人であった。
魔女や魔術への遅れを取り戻す意味もあってか、ヤポニアは科学技術への投資を積極的におこなうようになった。狭い国土に工場が乱立して、今では工業大国と呼ばれるほどに発展を遂げてはいる。しかし、その中身は相変わらず魔女という存在への劣等感に飲み込まれたままだ。
これからの母星を発展させていくのは、才能を持つ者だけが行使できる魔術ではない。ましてや母星に住まう全人類の内の、たった一握りにすぎない魔女たちによるものではない。それについては、国際高空迎撃センターも認めているところだ。人類の進歩に必要なのは、万人によって平等に取り扱うことが可能で、尚且つその恩恵にもまた平等にあずかれる科学技術である。
その意見には、筆者にも異論はない。ただしその途上において魔術も魔女も、科学の進歩を妨げる弊害とはなり得ないだろう。便利なものは便利であり、使えるものは使っていく。我々は我々の知らないところで、魔女たちによって長きに渡って守られてきた。そういった過去を認めて、その上で次なる時代を築いていく姿勢が求められている。
この書がヤポニアに生きる者たちが作っていく、新しい未来の一助となることを願ってやまない。ヤポニアの民と、そして国際高空センターで出会った全ての魔女たち、とりわけ、ヤポニアにとっては忘れられない英雄となったサトミ・フジサキに、敬意を込めて本書を捧げる。
降臨歴一〇二六年、一〇月六日
フミオ・サクラヅカ
宇宙は好きだ。空気の摩擦がないので、余計な抵抗を感じなくて済む。重力制御だけで自由に動き回ることができる。位置と方角にだけしっかりと気を向けていれば、これほど気楽なことはない。防護服と金魚鉢みたいなヘルメットがなければ、もっと気楽なのだが。頬の辺りが痒くなっても、ここでは我慢する以外にどうしようもない。
「候補生サトミ、しっかりついてきているか?」
「はい。問題ありません」
教官はすぐ前方、相対速度ゼロで飛行中だ。このスピードでの編隊飛行にも、もう慣れてきた。ただ、この教官はちょっとお茶目がすぎることがある。候補生のサトミから見てそうなのだから、よっぽどだ。今日はその教官と、二機編成での訓練メニューとなっている。どんな無理難題が飛びだしてくるのかと、サトミは戦々恐々とした気分だった。
「こちら管制室。ワルプルギスに向かって航行中の定期便アケロン七の進路上を、中規模の塵が交差することが予測された。近隣で訓練中のフラガラハ隊、対処を請け負ってくれるか?」
「こちらフラガラハ隊長機、了解した。現場に急行する」
通信機械は、雑音が多くてあまり好きになれない。少しでもマナを温存するなら、機械による補助は最大限受け入れるべきだと頭では判っている。それでもサトミは、念話ベースの方が情報伝達もスムースでミスも少なくなる気がしていた。
「候補生サトミ、復唱せよ」
「フラガラハ訓練機、了解しました。追従します」
サトミの応答を受けるや否や、教官のホウキは猛烈な勢いで加速した。ついてこれるものならやってみろ、ということか。こういうやり口は毎度のことだ。サトミはホウキを強く握り締めると、教官の背中に全力で追いつこうと魔力を集中させた。
「目標、確認」
星を追う者に比べれば、定期貨物船など亀のようなものだ。母星からゆっくりと飛び上がってくるその進路上に、サトミはそこそこの大きさの岩塊が迫っていることを確認した。
母星の重力に捕まった、輪を構成する石ころの一つだった。放っておけば大気との摩擦熱で蒸発する程度の、なんてことのない大きさだ。問題はその落下コースが、貨物船の進路と微妙に交差しているということだった。
貨物船にも操縦士や重力制御士は乗船している。最悪の場合は彼女たちだけで処理はできるだろうが、貨物船の乗員が何よりも優先しなければならないのは、積み荷の安全だった。塵の排除作業なら、専門家に任せておく方が安心だ。
「どう対処する、候補生サトミ?」
これも実地訓練、評価項目の一つだった。もたもたとしている暇はない。刻一刻と、貨物船との衝突の危機が近付いている。塵の落下速度と大きさを考慮して、サトミは素早く判断を下した。
「重力操作で落下コースをずらします」
現在は訓練飛行中のため、強力な攻撃魔法の触媒は持ってきていない。破砕作業をおこなうには些か準備不足だ。それに下手に塵を分解して、より細かな破片がこの宙域にばら撒かれるのはあまり喜ばしい事態ではない。万が一に貨物船にダメージを与えてしまえば、それこそ何をしにきたのか判らなくなる。
塵は放っておけば勝手に落っこちて、勝手に燃え尽きてくれるクラスのものだ。それなら貨物船に当たらない程度に、ちょっと横から押してやれば良かった。何でもかんでもぶちかまして解決するようでは、一人前の星を追う者とは呼べない。サトミの返答に、教官は満足げにうなずいた。
「よし、やってみろ」
重力に引かれて落ちてくる塵の速度は、相当なものだ。ただ、質量の方は今回大したことがない。貨物船に影響が出ないように、塵の近くにちょっとした重力場を作ってやる。すると、大きな穴の横にもう一つ小さな穴ができた感じになる。転がり落ちる塵は、よろよろとそちらの方に進行方向をずらし始めた。これでコース変更完了だ。
後は摩擦熱で塵が燃え上がって、流れ星が一つ煌めいて……それでおしまい。
「こちらアケロン七、航路上の障害が取り除かれたことを確認した。フラガラハ隊の協力に感謝する」
ひと仕事終えて貨物船の操縦席の近くを通り過ぎると、中から乗員が手を振っているのが見えた。どういたしまして、だ。貨物船の運んでいる荷物がなければ、サトミ自身も困ることになる。サトミはヘルメットの内側でふぅと息を吐いた。
そういえば、聞いていた話では今日ではなかっただろうか。貨物船の姿がはるか後方に過ぎ去ってから、サトミはふとそのことを思い出した。
「候補生サトミ、積み荷に挨拶はしなくて良かったのかな?」
教官は気が付いていたらしい。そうは言っても、公私混同はよろしくないだろう。たとえ知っていたとしても、あの場ではどうすることもできなかった。サトミは小さく首を振った。
「平気です。どうせすぐに会うことになるんですから」
「そりゃそうか」
明るい笑い声が、通信機械から流れてきた。がぴがぴした耳障りな雑音が混ざって、まるで怪獣の鳴き声だ。とても英雄と称えられた星を追う者であるとは思えない。やはり念話の方が良い。サトミは教官の、優しい声が好きだった。
「では訓練に戻るぞ、候補生サトミ」
新設されたばかりの星を追う者の新部隊、フラガラハ隊の隊長ニニィ・チャウキは張り切って加速を開始した。サトミがその後ろを追う。今日の訓練も、過酷なものになりそうだった。