07話/「これは内緒だ。いかん、いかん」
お久しぶりです。このサイトに関わって、初めての長期の空白期間です。
まあ、いろいろありましたが、再開します。
今回は久々にリサさん、そしてその息子も登場です。
そして使い魔は、とてもよくお茶を淹れています。
――09月21日(火曜日)/座標軸:風見ナミ
「どうだね、ナミ」
彼が、自信たっぷりな様子で、冷蔵庫から密閉容器を取り出す。蓋を開けると、そこには細かく刻んだ野菜が収まっていた。たまねぎ独特の強い匂いが台所に広がっていく。
それをやり過ごすように、彼女は深く息を吐き出した。
「これだけ細かければ、肉に混ぜても問題はあるまい」
反論などされる筈が無いと、その顔に書いてある。その何らの疑いも一切抱かぬ顔で、台所の中、ナミを見下ろして、背の高い彼が言い切る。
「ま、そうね」
エライエライ、と半分程は棒読みで、ナミはレイジのその努力と進歩を褒める。
実際、現物を見ても、刻みの具合として多少は大きくて粗いものの、肉と捏ねるには問題がないだろうというレベルにまでは近づいていた。
「で、こっちのカレーは?」
「いや、練習作品をそちらに投入した」
要は、刻んでも今一つ小さくできなかった野菜たちをカレーにしたということだろう。彼の得意料理でもある豆のカレーであれば、粗く刻んだ野菜との相性はすこぶる良い。
「じゃあ、いただきましょうか」
彼がご飯を盛り、彼女がカレーを掛けていく。食卓へと戻り、「いただきます」を揃って唱和する。手を合わせ終えて、彼等は皿へと匙を入れる。
「ひょっとして。レイジ、午前中ずっと野菜を切ってたの?」
「……そうだな」
午後は昨日同様、神矢の道場の手伝いに入った筈だ。それまで午前中いっぱい、彼は野菜を刻んでいたらしい。それだけの時間をかけて野菜を切る練習をしていれば、カレーにたっぷり野菜を投入しても、まだ冷蔵庫にあれだけの量の刻み野菜が残っているのも頷ける。
「あと、ハンバーグの味付けを確定した」
「はぁ」
「葉山サンに電話をしたよ、ナミ」
あまり積極的ではない性格である彼にしては、行動がえらく積極的である。『犬侍』は、そこまでの行動を彼に促す程のコンテンツである、ということでもあるのだろうが。
尤も、サキに電話をしたというのは、和語メールを打つのが得意ではないという彼自身の語学面での事情によるものが大きい筈だ。
「いや、どのような味のハンバーグが食べたいのかね、と尋ねただけなんだが」
「そう。で、サキはなんて?」
「トマト味でいいよ、だそうだ」
彼が自信ありげに頷いている。トマトソース自体はナミが何度も作っているものだし、彼も傍でそれをよく見てきてもいた。更に、トマトを料理することは、スープ作りなどで彼も普段からよくしている。食材としての扱いに不安は無いに違いない。
「だから明日はよく熟したトマトを探しに、西乃市市街地中央の野菜市場まで向かおうと思う。良いものが無ければ、少し遠いが東乃市も……」
そんな彼の大きな熱意に驚きつつも、彼女は小さく口を挟む。
「でもレイジ、明日は水曜日だから、同好会の日よ。そんなことしてて、学校の指導ボランティアの時間、間に合うの?」
「ああ、勿論それまでには学校に間に合わせられる」
そうして野菜のことをあれこれと話題にしながら、2人は随分とカレーをお代わりした。大食いである彼も大分お代わりをしたが、それでもまだ大きな寸胴鍋にカレーは沢山残っている。明日の朝、そして晩もカレーとなりそうだ。鍋の残りを確認しながら、ナミはそう判断する。
そして、彼が淹れてきたほんのり甘いシナモンチャイを口に含みながら、ナミは冷蔵庫に残されたたまねぎを中心とする大量の刻み野菜の使い道について考える。それにこの様子では、今日も肉を捏ねるところにまでは辿りつかないだろう、ということも。
彼も自分のカップを抱えながら、やはり似たようなことを考えていたのだろう。少し窺うような顔をして、ナミを正面から見ている。
「じゃあ、今日刻んでくれた野菜は、後でスープにしましょうか。で、今晩、もう少しだけ野菜を刻んだら、トマトソースの手順を軽くレクチャーして、あとは付け合わせを考えましょ。お肉の練習は明日の晩ね」
先が見えてきたからだろう。彼が安心したような微笑みを零した。暫くチャイの入ったマグカップを抱えていたが、やがて彼はカップを置いて徐に先日買った料理の本を取り出した。和国料理の本だが、英語なので、ナミには判読が難しいものだ。
「それにしても、この料理本はいいな。ワタシのレベルでも解り易いし、見ていると他の料理も作りたくなってくる」
「魚の下ろし方も出ていたわよね」
時代劇の影響なのか、あるいは元々の和国フリークとしての興味なのか、更に本来の食欲が要因なのか。彼は元から和食も好きで、その手順にも多大な感心を寄せている。味噌汁と澄まし汁、その出汁の違いなどはかなり初期に覚えた料理の手順だったが、彼は英語で書かれた料理本を広げながら、ナミが作ったことの無い魚のアラを使った出汁に興味を示してあれこれと質問してくる。
「それ、今度おばさまに訊いてみましょ」
彼女が困った顔をして、降参のポーズを取る。すると、彼はニヤリと意地悪く目を細めて彼女を見遣る。どうやら、彼女があまり手をつけたことの無い方面の料理だと知った上で、話題を振ったらしい。
「……性格、悪っ」
眉を顰めて、彼女は彼を睨み上げる。
「そんなこと言う兄ちゃんには、もう料理、教えてやんないから」
「そう言うな、ナミ」
そして彼にしては珍しく、本当の兄のように彼女の頭に軽く手を置く。
「君がまだその手順をあまり知らない料理ならば、これからワタシと一緒に知って行けばいい。そうだろう?」
そうして穏やかな顔で微笑むと、マグカップを手に、彼は立ち上がった。
ナミもまた、まだ温かさの残るほんのりと甘いチャイを再び口に含むと、エプロンに手を伸ばしながら立ち上がり、彼に続いて台所へと入っていった。
――09月22日(水曜日)/座標軸:風見ナミ
その日。トマトを手に入れた後、そのまま学校へとやってきた彼は、拳道同好会の面々からの質問攻めに遭っていた。
一昨日の月曜日には既に、トモエやコト、イツキといった同好会メンバーでもある1年生の女子に、彼等の週末の勝負の話は伝わっていた。そしてこの日は更に、2年生の先輩たち、そして月曜の話題に加わっていなかった水無瀬カズキにも、しっかりとその話は伝わっていた。
この日は、名義貸しに近い2年生の岡野先輩と1年生で剣道部と兼部の神矢悟朗、その2人を除く同好会メンバーが集まっていた。陸上部と掛け持ちのイツキも、この日は陸上部が休みとのことで、拳道の練習に参加してくれている。
「でも、神矢コーチはそこそこ料理、こなしますよね?」
同好会の中盤に挟んだ休憩時間、早速その話題を振ったのは、トモエだった。普段はナミの兄としての立場を尊重する呼び掛け方をする彼女だが、同好会の最中では指導員と見做して「コーチ」呼びをしている。
そして、料理を一切しないこのクラスメートの美少女は、最低限でも人並みの料理ができるレイジをその通りの意味で大いに尊敬していた。
普段は雑談には殆ど加わらないレイジが、この日は雑談の話題の中心として機能している。当人は多少居心地が悪そうな顔をしているが、場の雰囲気を壊すこともまた彼の本意ではないからだろう。ことばは短いものの、皆からの質問に対して律儀に返事を返していた。
「コーチ、それでお肉はどこで? 東乃市でしたらいい肉屋さんを紹介できますよ」
同好会の中でたった2人の男子生徒、その一人である水無瀬カズキが、珍しくも素直な口ぶりで彼へアドバイスを送っている。
普段はどこか人を突き放した対応をすることが多い人物なのだが、今日は珍しい。ナミは、校内でも数少ない同族となる彼をチラリと見た。
彼は魔力持ちらしく、魔力無しの人間に関心を持っているとは言い難い。その性格を隠そうともしない。魔力持ちと魔力無し、その仲立ちを意識して行動するナミとは随分と感性が違う。
だがそれでも、流石に毎週3度は顔を合わせて指導を続けているこの赤銅色の外国人には、たとえ魔力無しであったとしてもそう悪い感情を抱いていないようである。
さて。その水無瀬少年は、西乃市ではなくより都市規模の大きな隣の東乃市からの越境通学者である。肉屋を探すのであれば東乃市の方が、という彼のアドバイスは、ある種道理に適った話でもある。地元に強いということで申し出てくれたのだろう。
「肉か、フム……」
「まーとりあえずは、今晩の肉捏ね練習で見極めましょうか、それ」
ナミが助け舟のようにして彼のことばを引き継ぐように続ける。
「ってことは、コーチ、今晩は沢山肉捏ねないといけないですねー」
ハキハキとしたイツキの声に、彼は覚悟を決めたといった顔で、諾の意を込めて首を大きく縦に振る。
「明日の朝、お弁当、そして晩ご飯も決まったようなもんね」
そう軽くナミが口を挟むと、
「え、そんなに沢山作るの?」
と、コト、そしてトモエも驚いた声を返してきた。
「そのライバルさんの技量にもよりそうですけどね、それ」
冷静な声で視点を差し挟んだのは、水無瀬少年である。
「相手の方は、どのくらい料理ができるんですか?」
「レイジとあんま変わんないと思うんだけど。中3時代のクラスメートで、調理実習も一緒の班だったから、彼女の腕、大体の見当はつくんだけど。けれども、ひょっとするとこの半年で腕、上げてるかも」
質問者の水無瀬少年、そして当事者のレイジを見ながら、ナミは脅し半分で返事を返す。
「でも、毎晩練習なんて、やっぱり凄いですね」
2年生で、同好会の取りまとめ役をすることの多い福岡先輩が、人の良さそうな表情で素直にレイジの努力家の面を褒めていた。
「っていうか、コーチはやっぱ基本、真面目ですよね。拳道の鍛錬含めて、やっぱり毎日の積み重ねとか基礎づくりとか、そのあたりを重視している辺りが」
もう一人の2年生、同好会におけるムードメーカー的存在の衛藤先輩が、意外な程に真顔となりながら、半ば独り言のように小さな応援の声を送る。
「……っと。もう、時間、あまり無くなっちゃいますね」
「おお、そろそろ身体を動かさないといけないな」
福岡先輩のことばに、レイジが指導者らしく声を返して、皆に次の動作を促した。そしてそうやって皆が立ち上がる、その中で。
「そういえば、そのお料理対決。何人分作るんですか?」
普段の解り難い表情とは違って、素朴な疑問を思いついた、といった判り易い表情を浮かべて、水無瀬少年が雑談の最後の一言を、と声を出す。
「え?」
彼女の使い魔は既に頭が拳道の指導の方に向かっていたようで、水無瀬少年のその質問は殆ど耳に入っていなかったようだ。和語が母語でない彼には、その小さな声が上手く意味を持たなかったのかもしれない。そのまま立って立ち位置へと向かって行ってしまい、足を止めることはなかった。しかしナミは、そのことばに足を止める。
……審査委員長は勿論、サキである。そして対決するのはレイジと屋ノ塚カヤだ。それぞれに、ナミと須田兄ィという助手がつく。それに当然、サエも応援という名の野次馬として馳せ参ずるだろう。更に、須田兄ィはミドリ、そしてミドリのご機嫌さえよければ、細君の橘ハルカも連れて来る可能性が高い。
この時点で、既に8人である。
「お肉、相当な量になるんじゃない?」
何気に不安そうな顔をしたトモエが、ナミに、こっそり耳打ちするかのように声をかけてくる。この日後半の稽古の進行は、黒帯のナミと初心者で習得の遅いトモエがほぼマンツーマンの指導になる。その為の声かけかと思いきや、まるでナミの不安を掬いあげるかのように、彼女は言語化をしてきた。
「作るにも、時間がかかりそうだし」
などと、尚も追い掛けて、彼女はナミがこれまで考えから抜けていた部分を指摘してくる。
「分量は、最低でも8人分……ううん、それ以上になるの、かしら?」
ナミの口から、思わず声が漏れる。当事者の一人でありながら、ナミはそれまで考えてこなかったことだけに、思わぬ事態とばかりに顔を顰めた。
「うわ、カヤちゃんに連絡しないと」
そうしてその日の同好会での稽古の後、シャワーを終えてすぐに、彼女宛に食材に注意を促すメールを入れる。人数が多いから予算がオーバーになりそうな場合は相談してくれとも付け加えておいたが、自転車を漕ぎ出した今の時点でも返信は返って来ていない。恐らく彼女も学校でバスケの部活中なのだろうと、ナミは見当をつける。
自転車で自宅へと向かう道でも、更にその話題が続いていた。
「意外だわ。水無瀬君」
他者に冷淡、もとい淡白な対応が常のクラスメートの申し出に、トモエも驚いていたようだ。
「でも、折角いいお肉屋さん紹介して貰えるんだったら、それに乗らない手は無いわよね」
半ば一人で結論づけ、トモエはゆっくりと自転車を漕ぎつつ、ウン、と頷いている。またいつものように、一人で想像力を逞しく巡らせているようである。
「そうねー。それに水無瀬君も、サキと須田兄ィとは知り合いだから、一応。知り合いが絡んでいるとあれば、それなりに関心も湧くってもんじゃないの? 彼でも」
魔力持ち独自の魔力面に於ける理由で、拳道の習得が遅れていた水無瀬少年は、夏の1カ月、習得の遅れを取り返そうと、同じ魔力持ちであり師範代理も務められる実力者の須田兄ィから拳道の集中指導を受けていた。その引き合わせをしたのも、ナミとレイジである。
更に言えば、サキと水無瀬カズキが顔を合わせるきっかけは、その紹介の後、風見家での偶然の遭遇でもあった。
但し、魔力無しである葉山サキに対して、少年はさほどの関心は持たなかったようだ。学年が同じとはいえ通う学校も違う。その場に居たから紹介した、といった緩い繋がりでしかない。彼のサキに対する理解は、ナミと仲良しになるくらいだから魔力持ちへの偏見の無い少女で助かった、といった程度だろう。
ただ、サキの方は少年にそう悪い印象は持たなかったようで、話がしやすいと頷いていた様子であった。だがそれも半分以上は、サキ自身のざっくばらんな性格が手助けとなっている筈である。
一方、少年は、須田兄ィのことをかなり気に入っている様子はあった。
あの下品な下ネタトークには閉口している様子ではあるが、須田兄ィもまた、サキとは別の個性を持ちつつも、人付き合いのしやすい性格という点では一致する。その上、少年にしてみたら、やはり同じ魔力持ち同士としての気安さもあるのだろう。あるいは、拳道の教え方の上手さということも作用しているに違いない。
「帰り際に、水無瀬君、言ってたじゃない。香辛料のこととか」
トモエが指摘したのは、その須田兄ィが今回の料理対決の中で指導に噛んでいる、それもレイジのライバルを応援する立場で、ということを知っての対応のことだろう。
水無瀬少年から見ても、一応は2、3度話したことのある知り合いの葉山サキが決定権を持ち、しかも自分の拳道の関係者が対立する構造で行われるイベント、ということである。須田兄ィが料理に明るい、それも仕事的に詳しいということを知っての上で、レイジに対して、肉や香辛料に関して良いものを使った方がいいのではないか、と進言してきたのだろう。彼にしてみたら、魔力無しのコーチである神矢レイジよりも、魔力持ちの師範代理の須田タツヤの方に親しみがありそうなものだが、流石に実力差でこちらを助太刀した方がいいと思ったのかもしれない。
そしてレイジは自転車乗り場で自転車に跨ったまま、水無瀬少年の助言をその場で細かくメモを取り、盛んに頷いていた。どうやら東乃市のいい肉屋の情報、そして香辛料の入手について、帰り際ぎりぎりまで店の話などを教えてもらっていたらしい。同じく自転車通学ではあるものの、家の方向が違うこと、更には少年の家の方が学校から距離があり遠いということで、ナミとトモエがレイジに合流してすぐに、彼はレイジへのアドバイスを終えるとそのまま素早く帰宅してしまった。だから、どこまで詳しく話をしていたのかを彼女は把握していない。だが、レイジの満足気な顔を見る限り、有益な情報を教えてもらっていた様子である。
その最後のことだった。
自転車に跨り、もう漕ぎ出さんという足さばきを止めて、ナミとレイジ、2人を交互に見て、彼は一言、呟くように囁いたのだ。
「8人分の、更に2食分ですよね? 風見さん家、食器、足りるの?」
何とも家庭的な、しかし重要な指摘を、彼はことばに乗せてきた。これにナミが返事を返す前に、「じゃあ急ぐから」と少年はあっさりと自転車を走らせて先にいってしまったのだが。
「……確かに。足りないわね」
少し皮肉屋の傾向のあるあの少年から早い時点で指摘があったのは、却って幸運でもあった。
しかしそれは、少年にしてみれば、ナミとレイジ、2人暮らしの家にそんなに食器があるのだろうかという素朴な疑問を口に出したといったところなのだろう。その着眼点からすると、彼自身も普段から料理をよくするか、家の手伝いをマメにしているに違いない。そんなことも、彼女は連想する。
「お肉屋さんの情報にしろ、他のお店の情報にしろ、助かっちゃったじゃない。ナミちゃん、お兄さん」
わかれ道で、トモエが素直な瞳をナミとレイジに向けてくる。それから2、3の細々とした話をし、明日の再会を誓い合って、のほほんとした表情のトモエはのんびりと中野町の外れの団地へと向かい、去って行った。
「……レイジ」
そう彼に呼び掛けた彼女の声は、自身の耳にも妙に切羽詰まって響いた。
「どうした、ナミ」
その声に反応して、彼がやや不安気に声を返してくる。
「足りないわ」
「何がだね?」
「食器よ。食器」
風見の家の食器は、5組の物が多い。
この冬の終わり、15の誕生日を迎えるまでほぼ1人暮らしだったナミが、その小さな家の中に標準家庭の5組セットの食器を持っていること自体も、結構な贅沢ではある。
そして、ナミもレイジも、それが彼女の「かつての家族」の人数である、ということは知っている。だからそれを不思議に思ったことは無かった。
「8人かそこら、それが2食分。お皿、足んないわ。あと、ご飯だとかパンだとかスープだとかの分もあるし。思ったよりも、お皿、いるかも」
家の食器の事情を彼もよく知るからだろう。ナミの、半ば独り言に近い呟きに、フムフムと頷きを返す。
家へと入り、2人で猫を取り合い、次いで夕食の準備と同時進行で、ナミとレイジは食卓から食器をあれこれと引っ張り出す。ちなみにこの日も昨日のカレーを食するので、夕餉の支度そのものには手間を取られることは無い。
「どうだね?」
「うーん」
ナミは頭の中で、10人前後の2食分という段取りでいろいろとシミュレーションを組んでみる。だが、どうあがいても、この家の食器では足りない、という結論しか出てこない。レイジが高身長を活かして上の方の棚まで開け放して食器類を漁る。だがそれも、基本は5組セットの物が中心で、しかもその殆どが使われていない状態で仕舞われているだけだということを再確認しただけで終わった。
「あんた、こういうときだけは便利ね」
「高いところが見られるからかね?」
「ええ。普段は見下ろされるカンジがものっそい嫌だけど」
不機嫌さを隠すことなく子どもじみた憎まれ口を叩くが、彼はいつものことだと気に留めることも無く、取り合わずに流していく。
それどころか。
「ナミ。何を一体そんなに怒っているのかね?」
……彼には、どうやら、彼女の不機嫌さ加減がすっかりお見通しだったようだ。苦笑を抑えたどこか温かい目で、彼が彼女を見下ろしている。
「……別に」
「まあ、君のドジさ加減はいつものことだ。ワタシは気にしていないよ」
「いつものことって……何よ」
「おや。最初の使い魔契約。あれが解約できなかったときの君の顔を、ワタシが忘れるとでも思っていたかね?」
彼女は益々顔を顰めるが、実際その点に関しては彼の指摘の通りである。夏に、彼の機転でもって強引に契約を解約できていなければ、二人は未だに困った状態にあった筈だ。こうして、双方が自由意思に基づいていつでも契約と解約ができる状態でなければ、とてもではないが「人間の」使い魔との契約など更新し続けられるわけが無い。
「大方、人様を呼んだはいいが、食器その他、段取りのことまでは考えていなかったからだろう? そうやって君は、いつも勢いだけで物事を転がして行くからな」
「余計なお世話よ」
「まあ、それを補佐するのは使い魔たるワタシの役割なのだろうが」
そう言って彼は、含むことのない晴れやかな笑顔を浮かべる。
「取り敢えず、食事にしないか、ナミ。食べれば元気も出るし、いいアイデアもきっと見つかる」
「……そうね」
以前も、何度かこうして励まされたような気がする。
いや、実際そうだった。
確か、今、彼が指摘したように、最初の使い魔契約の解除ができなかった、その晩のことだ。その日の晩の食事も、カレーだったような気がする。
うっすらと思い出すその記憶を、彼もまた思い出したのかどうかは、彼女が見ている限りでは判らない。彼のことだ。きっと、そんなことは忘れてしまっているだろう。けれどもそのときも、今と同じように、彼はまるで血の繋がった兄であるかのように、自然と彼女を励ましてくれたのだ。まるでそのことが当たり前の自分の役割であるかのように。
二人、手を合わせて「いただきます」を唱和する。
食器のことで頭の中がいっぱいの彼女は、スプーンの進みが遅かった。
「元々、この家にはわたし一人だったし」
ポツリ。彼女はことばを洩らす。それに対して彼は、特に何を言うでもなく、目線だけでその先を促した。彼女の内側に溜まっている何かを吐き出させることの方が先だと感じ取ったのだろう。穏やかながらもどこか真剣さを秘めた瞳で、彼女を静かに見遣る。
「あなたが来るまでは、食器も1セットしか使っていなかったんだもの」
春先にも、食器のことで彼と少し話をしたことを彼女は思い出す。尤もあのときは、ナミはまだレイジとの過去の記憶を取り戻す前のことだった。
「友人が遊びに来たりもしていただろう?」
「でも、そんな多人数になることは無いわよ。サキだけだとか、カヤちゃんやサエちゃん、あとは他の仲良したち、4、5人とか。中学時代はそんなもんよ。大体、そう大層なものを食べさせるようなことなんてなかったし。使うお皿なんて少量よ」
フム、と彼女の返事に対して、彼は肯定の頷きを返す。彼女の中学の終わり、卒業式の前には既に彼はこの家に厄介になっている立場ではあったが、それまでの暮らしぶりから今まで、彼が加わったということ以外に大きな変化がないのだと、彼も理解はしたのだろう。
「食事が終わったらカヤちゃんにももう一度、確認入れなくっちゃ。食器の件はこっちで何とかするしかないけど、お肉の量は間違えちゃ大変だから」
「そうだな」
小さく、けれども温かい同意の声を返して、彼が食後のヨーグルトを盛ってくる。彼女の不機嫌ぶりを見てだろう、ナミの好物でもあるドライブルーベリーが上に振ってある。
そうしてヨーグルトを食べながらカヤにメールをしていると、彼が続けてチャイの入ったカップを彼女のテーブルの前に静かに置いた。どうやら今日は、ジンジャーチャイを淹れたようだ。その香りに、彼女が少し頬を緩ませる。
「ありがと、レイジ」
「どうもいたしまして、ナミ」
そして自分の分のカップを彼女の正面に置くと、彼はまた先程と同じく自分の席に静かに座った。そして、
「この対決の為だけに食器を新規で購入するというのはあまりいいことではないだろうな」
半ば独り言のような声色で、彼がナミへと呟く。
その声を拾うかのように彼女が彼へと視線を向けたとき、彼はこう声を掛けてきた。
「ナミ。食器をお借りするなら、老師と鳴海サン、可能性としてはどちらが高いかね?」
そう、冷静な声を洩らして、彼がナミを見つめていた。
――座標軸:風見ナミ
鳴海家は問題外だ。
あの家は、トモエと母の2人暮らしである。しかも狭い団地の間取りだ。収納スペースからしても、食器はそう多くはないだろう。それに、トモエの平素の昼食の状態やここ半年程の様子から見て、彼女も母親も食べることや料理そのものに大きな関心を持っている様子は無さそうだと、ナミは理解していた。
但し、鳴海の母子は、差し入れのお菓子などはいつも高級店のすこぶる美味しいものを選び出すのだから、どこかそのバランスは矛盾している気もするが。ともあれ、鳴海家から食器を借りる算段をすることは、あまり実りがなさそうだ。
何より、水無瀬少年からのその指摘を一緒に聞いた時点で申し出が無かったということは、トモエにとって物理的な手助けが無理だという意味、想像の範疇の外にあったということだろう。そう、ナミは結論づける。
同じご近所、中野の団地に住む須田にも、皿の持ちよりは依頼しにくい。それは、須田兄ィがカヤのアドバイザーである以前に、あの家には物理的な収納の問題で揃いの食器が無いことを、ナミが理解しての結論である。たまにごちそうになりに行ったときのことを思い返しても、揃いの食器が中心というよりも、夫婦のみの小洒落たペアの取り合わせといった食器ばかりだったという記憶しか蘇らない。ミドリの引き取りが確定すれば、そこはきっと変わってくるのだろうが。
因みにレイジの口から須田兄ィの名前が出なかったのは、ただ単純に好悪の問題だろう。
そこでナミとレイジは今、残る選択肢として考えられた、神矢家の本家母屋の玄関前でインターフォンを鳴らしていた。
ドアを開けたのは、神矢家の二男坊、ナミの幼なじみでもある悟朗だった。
「何だよ、風見……とレイジさんか」
ぶっきらぼうな様子はいつも通りだが、顔と声色は決してそうではない。人の良さそうな丸い顔立ちに、少しばかりの親しみのある表情が、やや照れた微笑みと共に浮かぶ。
「って、昼間にも会ったでしょ、悟朗。学校で」
一応は同級生、それも高校で数年振りにクラスメートという立場になったこともあり、学校では最低限の挨拶はしている。ナミはそれを指摘しつつ、
「おばさまは?」
悟朗の母、神矢リサへの取り次ぎを請う。
ナミは食器の件を、先に家から電話とメールでやりとりしていた。悟朗の表情からすると、リサは息子にはその話をしていなかったのだろう。加えて、小さな造りの風見の家と違い、広く大きな神矢家の造りでは呼び鈴が鳴った後でそのやりとりを確認することもできない。
「今、なんか台所で食器棚、漁ってるけど……」
そう悟朗が言いかけたところで、当のリサが長い廊下を渡って玄関口へとやってきた。
「ナミちゃん、レイジ君、こんばんは。悟朗、ありがとうね」
「母さん、風見とレイジさんが、母さんに用事って」
「うん、ウチの食器をね」
リサには、特に『犬侍』のことも料理対決のことも言わず、ただ単に土曜日に人が大勢集まるし食事もするので食器を貸して欲しいとしか言っていない。ナミは学校でも悟朗とは今回のレイジの件を話してはいなかった。だから、神矢の本家の母子は何も知らない様子で、特に何かを思うということもなく、善良な表情で風見家の2人を見ていた。
「数だけだったらあるからねー、ウチは」
そう言う母親の声に、ウンウンと小さく悟朗が相槌を打っている。
拳道の道場を持つ神矢家には、今はそうでもないが最盛期にはいろいろな人が相当な人数、出入りをしていた。ご近所のお弟子さんはもちろん、首都圏をはじめとする全国の拳道関係者、それにレイジのような外国籍の拳道経験者による訪問など、人数も属性も人種も多数多様な人びとがこの家を訪れていた。下宿をしながら腕を磨いた門下生が大勢いた時期もあるという。今は大分落ち着いたとはいえ、それでも相応には人の出入りもあればそうした対応も迫られる家でもある。
「この土日だったら別にウチでも食器を大量に使うことなんて無いし、今ざっと見たらどれも問題無さそうだから。上がって、ナミちゃん、レイジ君。直接見た方がいいでしょ」
「ありがとうございます」
「すみません、おばさま」
レイジとナミ、それぞれが礼を言い、家へと上がる。悟朗は手伝いを避けてコソコソと逃げようとしていたところを、母親のリサに首根っこを掴まれて、神矢家の広い台所へと連行された。
レイジが恩師である神矢老人の所在を尋ねると、まだ帰宅していないとのことだった。地域の付き合いらしく、夜のまだ早い時間の今だと終わりもまだ長いことかかるだろうという含みで、リサが小さくため息をついた。
「だからまあ、私の独断でいいわよね」
リサが見立てたらしい食器の山が、神矢家の大きな食卓の上に数種類、積み上げられている。和食器もあるが、多くは洋食器が中心だ。その何れも、飾りなど何も無い、白一色のシンプルな物である。縁取り部分に小さく波型の文様が無地のまま刻まれていたが、その程度の特徴しか無い。上品でありながらも使い易そうで、ナミは有り難く礼を言うと、それらの食器を揃いで借りることにした。
「メニュー、ハンバーグだったわよね」
そう、リサが確認するかのように口にする。
「だったら、大皿にまとめて盛りつけて、各々が小皿で取り分ける方が楽よ、多分。洗い物や片づけの手間も省けるし」
そうして軽い雑談を続けながら、手早く、持ちやすいように荷造りをしていく。
「悟朗、あんたも手伝いなさい」
半ば強制的に、リサは息子を食器の運搬に徴用する。不満気な表情を口元に小さくかたちづくり、悟朗が、子どもっぽくも不機嫌な顔を母親に向けている。だが、その顔を客人である風見の2人に向けることはせず、彼は渋々といった様子で母親の指示に従った。
荷造りのできた皿、その数と重さからするとレイジとナミの2人だけでもなんとかなりそうではあったが、物が割れ物なだけにナミはリサの申し出を有り難く受けることにした。
お礼と挨拶を改めて告げ、風見の2人は神矢邸を暇乞いする。悟朗も含めた3人は、それぞれ両手になんらかの荷物を持っていた。
割れ物故、念のためにナミは全ての運搬容器……それは段ボールであったり頑丈な布バッグであったり、それぞれ別のアイテムだが……に軽く魔力を通し、万が一であってもショックを吸収できるような細工をもたらしておいた。
「ところで風見。その土曜日のハンバーグ・パーティって、鳴海さんたちと? それとも、葉山とか、中学の連中?」
何も事情を知らない悟朗が、神矢家の広い庭沿いの道を歩きながらナミへと尋ねてきた。
「うん、サキたち。中学時代の仲間とよ。トモエたちは呼んでいないわ」
「そっかー、うん、うん」
よく解らないが、悟朗が満足気に頷いている。
「葉山、元気なんだ。良かった」
「うん、元気よ。って、そういえばあんたとはあんまりこういう話、してないもんねー」
「だよなー」
うん、と頷いて悟朗が荷物を改めて持ち直す。剣道で鍛えているとはいえ、量のある陶器を運ぶことは重たさだけではなく神経も使うからだろう。魔力持ちであれば、箱や鞄に魔力を通しさえすれば、自分の魔力への信頼もあって案外肩の力を抜いてしまうものなのだが、悟朗、そしてレイジのような魔力無しは、割れ物を運ぶ緊張感を外せない様子だ。
「いや、このところ全然、葉山の噂、聞かないからさ。どうしてるかな、って」
そこでナミは、彼女が、この隣を歩く同級の少年にまるで連絡を取っていないらしいことに初めて気がついた。
剣道という武道を共通の趣味とするサキと悟朗は、中学時代には同じ剣道部の部員同士でもあった。しかもサキは部長であり、悟朗は部のエースでもあった。ナミとは別の意味で、付き合いも深いし、相当親しかったことは、ナミもよく知っている。幼馴染のナミですら知らなかった悟朗の初恋の話をナミにリークしたのも、サキだった。
恐らく、高校生活がまだ順調だった夏の前頃までであれば、お互いの高校の剣道部の違いについて、それなりに連絡を取り合うこともしていた筈だ。
彼の、サキが元気だと聞いてホッとしたその安堵の様子は、お人好しの彼らしい素直な感情の表出でもあった。だが。
恐らくサキは、夏休み前に起きた家庭崩壊といった話を、彼にはしていないことだろう。同性の友人であるカヤやサエにすら、それらの話がどこまで正確に開示されているかは不明なのだ。いくら中学の3年間、同じ剣道部で汗を流し、信頼のおける仲間であったとはいえ、高校が違ってしまった悟朗にそこまでの話はしていまい。
そうしたサキの、見栄っ張りもしくは意地っ張りの部分に関しては、ある種の勝負どころでは良い方向に作用する性格でもあるのだが。今回はきっと、それは逆の方向へと作用している気がしてならない。そう思って、ナミは小さくため息を漏らした。
「もうちょっと肩の力、抜けばいいのに」
つい、サキへの、そんな本音が漏れた。
「うわ、風見、ひでぇーよ。重たいんだぞ、これ」
「あ、ごめん、悟朗、そっちの意味じゃなくって」
「ナミ、君の分が軽いということは、もっと重たいものを持っても構わんということかね?」
便乗して、彼女の使い魔までからかってくる始末である。
「ちーがーうー!」
大小2人の男共に声を荒げて、角を曲がり、坂を上る。「サキのこと」だと2人に言う訳にもいかない。悔しいが彼女自身のドジだと思わせておくしかない。
そうしてナミは、癇癪とまではいかないものの、若干腹立たしげな様子で風見の家まで辿り着いた。
「ありがと、悟朗」
「かたじけない」
割れないようにと気を使って運び込む悟朗に、風見の2人は悟朗へと礼を言う。
「いやいや、このくらい」
そう言いながら、悟朗は、割れ物を運んだ緊張感から解放されたからだろう、右手で肩を抑えて左の腕をグリグリと回している。
「もう少し腕を上げたら、神矢家にもおすそわけに上がろう」
そう、レイジが妙に自信たっぷりに悟朗へと申し渡していた。
「え? 料理って、レイジさんがするの?」
「うん。そうだけど」
悟朗は少しばかり大袈裟に驚いた表情をしていたが、ナミからの返事、そして妙に自信ありげなレイジの顔を見て、それ以上は何も言わなかった。考えるということが苦手な少年である。それに基本、これは彼には関係の無いイベントだ。そこで、「無問題」ということで彼の小さな脳細胞が思考を停止したのだろう。
「そういえば悟朗、あんた、この週末も剣道?」
「うん、もちろん。秋の大会があるから。キアイ入れとかないと。1年生ただ一人のレギュラーとしては、負けられないぜ」
そう言って、彼は少しばかり10月に行われるという剣道の地区大会の話をする。急に目がシャンとして、普段ののんびりとした彼らしくない顔になっている。やはりこの幼なじみは、剣道が本当に好きなのだろう。
そしてこの週末も、須田の娘、姫魔女のミドリは、愛しい「ごろー」との逢瀬は叶わなそうだ。
7月の夜逃げの際、道着も竹刀も持ち出せなく悔しがっていたサキの顔が、ふと、ナミの心の隅に浮かんだ。
「葉山にも伝えておいてよ。剣道で困ったら、俺か、元の部員の仲間かに、もっと声かけろよ、って」
「……うん。必ず」
邪気の無い、温かな微笑みを浮かべて、神矢悟朗はそう言い切ると、風見の家を後にした。
「悟朗、ありがとー!」
「おう!」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみなさい、レイジさん。風見」
そうして2人は門の外で、坂を下りていく少年を見送った。
「ナミ。大分寒くなってきた。早く、入ろう」
2人が運び込んだ大量の食器を前に、無有猫が珍しがってニャーニャーニャーと騒ぎ立てる。それをやり過ごすようにして台所の水場へと食器を運び込むと、2人で念の為とばかりに大量の皿を洗い始めた。
元から綺麗な状態ではあったから洗い方は大雑把でも問題はなかった。但し量が多い為、2人がかりでも、意外と手間がかかる。そうしてもう少しで洗い終わる、といったタイミングで、食卓に置いてあったナミの携帯に、音声の着信音が鳴る。メールではなく電話の着信の合図だ。
「カヤちゃんかも。それとも、サキかな?」
そう言いながら、残りの洗い物をレイジに念話で「任せたと」伝えると、彼女は慌てて携帯を取りに台所を飛び出す。
「もしもし」
――ハーイ。カザミン?――
「カヤちゃん。メール見てくれた?」
声の主は、想像の通り、屋ノ塚カヤだった。
――あ、人数の話、ありがとね。多分、問題無いと思う――
「っていうか、お肉。結構な人数分になるでしょ」
――まー、そーだけどねー。でも、母さんがそのくらいいいよ、って。オレンジャーに金は出さないけど、料理だし、友だちとの遊びで、「ソレ面白いじゃん」とか言って――
母親、チョー受けてるよー、このイベント。と軽やかに、電話口でカヤちゃんが笑い飛ばすかのように言う。
――母さんと父さんに後で笑いを取れるよう、撮影もすっから。写メガンガン撮るからねー。当日、ヨロシク!――
「よろしく、って……あんた、メインシェフじゃないのよ」
それより準備、本当に大丈夫なんでしょうね、とナミは改めて電話の先の友人に注意を促す。
――そっりゃ勿論。母さんから支援金を潤沢に頂いてますからー、ヘヘン!――
ナミの瞼の裏に、胸を反り返すようにして威張りくさった表情でこちらを見下ろしている長身の少女の顔が、浮かぶ。
――サキからのリサーチと、須田さんのメールアドバイス。なっかなかのモンよ、あれ――
どうやら、彼女もまた、サキといろいろ話をしているらしい。
そうして、料理の手間のこと、また当日の流れや、何時頃に風見家についていたらいいかといった具体的な話を、適度に交わして話を詰めていく。
「じゃあ、料理に集中しなさいよ、カヤちゃん。食中毒なんか出しちゃったら、洒落にも何にもならないからね。カメラは、サエちゃんにでもお願いして」
――んー。そうだねー。今、体調崩すのは、マズいよねー。10月の大会も……っと、これは内緒だ。いかん、いかん――
「カヤちゃん?」
彼女がそういうかたちで急に口籠るのは珍しい。けれども電話越しというやり取りのし難さもあり、レイジへの肉捏ね教授のことも頭にちらりと過っていたナミは、彼女の電話口ぶりに促されるようにして会話を終了し、電話を切った。
振り返ると、台所で、彼女の使い魔がジャスミンティーを淹れていてくれた。彼女専用のカップを手に、彼女に向けて差し出すような仕草をしている。
どうやら彼女が自覚していた以上に、結構な長電話となっていたようだ。
「ひと休みしたら、始めようか。ナミ」
漏れ聞こえるナミとカヤの会話に闘志をたきつけられたのだろう。レイジが、まるで拳道の試合の前のときのような表情で、彼女を真っ直ぐ見据えていた。
「『犬侍』の先行試写と公開収録を手に入れるのは、ワタシたちなのだからな。ナミ」
低く太い声で、彼が腹の底からの気合いを込めながら、使い魔の主へと言い渡す。それ自体は悪く無い。悪くは無い、のだが。でもそこで「ワタシたち」などと複数形にしないでくれ……そう思いながら、けれども意欲的なことは決して悪いことでは無いとも思う。そして半ば諦めたかのようにゆっくり瞬きをして、彼女もまた台所へと入って行った。
(続く)
間があきました。続きを漸くアップすることができました。
家の件、猫のことに関しては、今晩中に活動報告の方で報告します。
結果的にはそれで、この続きのアップが大幅におくれましたので。
こちら番外編では初となる悟朗少年の登場、そして地味に水無瀬少年が活躍(?)した回です。
サブタイに少し悩んでしまいましたが、時間切れはいかんということで、これに決定。
次回はいよいよ、決勝戦です。
お読み頂き、本当にありがとうございます。
次はもう少しスマートにアップする予定です。
出来ればまた次もおつき合いの程を。では、また。(只ノ)




