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06話/「地球人なら誰でもウェルカム」

片や、「生アイドル鑑賞」。片や、「時代劇先行視聴とコスプレ」。

その命運をかけた対戦内容が決定し、

魔女と使い魔、そしてライバルたちは、その準備に励みます。

――09月20日(月曜日)/座標軸:神矢レイジ


「まーったく、カザミときたら。超のつく独善家ですよね、あれ」

 強いことばを使いながら、しかし口調は優しげに、瞳は笑って、葉山サキは神矢レイジに告げる。

「あ、レイジさん、お兄さん。『独善家』って和語の意味、解りますよね?」


 それは、少し前のこと。

夏の終わり。もう少しで学生たちの夏休みが終わるという、ある日の夜だった。


 ナミは、食堂に続く隣の居間の外れにある固定電話で話をしている。いつもの通りの北の魔女、スズノハとの定期連絡だった。葉山サキ、神矢レイジ、その2人の視線が、少し離れた場所に立つ彼女へと向けられる。

 葉山サキはアルバイトの休日ということで、毎度のこととして風見家へと遊びに来ていた。3人揃って夕食の焼きそばを食べ終え、ジャスミンティーをアイスで淹れて、のんびりとお茶を啜っていた。そんなときである。

 この夏。その日の1週間から10日程前。彼とナミは、ひどい喧嘩をした。正確に言えば喧嘩などという生易しいものでは無かったのだが、とりあえず葉山サキへはひどい喧嘩をしたのだと彼は告げていた。

 事実は、彼が強引に、彼女との使い魔契約を完了させ、西乃市を去ったのだ。

 その際に取り乱した風見ナミを支えたのが、この目の前にいる、だらしない姿勢でずるずるとお茶を飲んでいる、元剣道少女の葉山サキだった。

 そしてこの場にはいないもう一人、ナミが高校で親しくなった鳴海トモエ。

 2人がリレーのようにして手を繋ぎ、落ち込むナミを支えたてくれたのだと、彼はナミから聞いていた。

 そうした経緯もあり、彼は葉山サキには一つ大きな借りをつくっているようなものであった。少なくとも、彼の意識の中ではそうだった。それ故、彼女が何を言いたがっているのか彼にはよく解らないながらも、その先を聞くことが大事だと、客人の少女へと改めて瞳を向けた。

「アレは何を言っても無駄ですよ。こっちの言うこと、聞きませんもん。自分が嫌ってことは全部ブッ飛ばしちゃいますからね。ただ、自分が正しいと思ったことだけを猪突猛進、真っ直ぐに突き進んでいく。もちっとこっちの批判だとか助言とか、聞いてくれてもよさそうなものなのに」

 内容はきついが、穏やかな口ぶりで、優しい表情の葉山サキが先を続けた。

「何か、あったのかね?」

「いいえ。この間のレイジさんの家出。もう金輪際、ああいうカザミは見たくないですから」

 そこで初めて。優しい表情を浮かべていたこの少女は、その涼やかな瞳に厳しい色を浮かべて、彼を真っ直ぐに見つめてきた。半ば睨みつけているに近い、そんな表情へと、それは変わる。

「ああ……悪かった、と思っている。特に、彼女には。もちろん、葉山サン。彼女を支えてくれた、貴女にも」

「ええ。そうですとも」

 彼女は、何を知っているというのだろう。ナミから、何を聞いているのだろう。

 同じ時期にナミに寄り添ってくれた魔力無しの鳴海トモエは、こんな顔を彼に見せることは無かった。ただ、戻った彼のことを素直に嬉しがり、「これからもナミちゃんをよろしく頼みます」などと、まるで自身があの魔女の姉か母であるかのような口ぶりで告げた後は、それまでと変わらぬ対応でいつもの日常へと戻って行ったのだが。

 しかし、同じ魔力無しであるというのに。この少女は。

「これ以上、あの子を傷つけるようなことをしたら、私が貴方を許しませんから」

 そう、きっぱりと言い切っていた。いつの間にか、ピンと、背筋を伸ばして。

「それは、無い。そんなことは、しない」

 しないよ。彼は尚もそう繰り返して、相手を安心させようと笑顔をつくった。

「それは当然ですよ」

 あの契約解除の騒ぎの後、この少女と彼が顔を合わせるのは、この日が初めてだ。そのことを、彼は思い出す。だから彼は、客人の少女の次のことばをゆっくりと待った。

「レイジさん……お兄さんみたいな人、拾っちゃうだなんて。まー猫のときもそうでしたけど。よりによって病気の猫を選んで連れて帰るところ。それが何ともカザミらしい、っちゃーらしいんですけどね。昔からああいう女でしたから。ほんっと、こっちの事情なんかちっとも考えないで、自分が手を差し伸べられる、と勘違いしたが最後、良かれとばかりに全力で突っ走る。なんっていう独善家で……」

 なんっていう、莫迦な、お人好しなんだろう。そう思っちゃいました。

 呆れた口調で、しかし瞳がまた優しいものに戻って。葉山サキは、そう続けた。

「そうだな。確かに」

 この少女が彼のこと、そして彼とナミとの関係をどのくらい聞いているのか、彼は知らない。それまで彼は、周囲には「ただの兄妹喧嘩」としか告げていないと言うナミの言い分をそのまま鵜呑みにしていた。ことの真実を知るのは、北の魔女・スズノハと、彼等2人の後見人である魔力無しの武道家、神矢老師だけだろう、と。

 だが、この少女に関しても、それが当てはまるのかどうか。今のこの少女の言い分を見る限り、彼には判断がつかなかった。

 けれども。それは、彼の魔女殿が決めるべきことで、彼が口を挟むようなことではない。

 だから。

「誓うよ。ワタシは今後、彼女の最大の味方であり続けることを」

 彼が誓えるのは、その一つのことだけだ。

穏やかな微笑みを浮かべながら、彼は自分が立てたその誓いを、目の前の少女にもまた淡々と告げた。

 血の一滴すら通うことのない、偽物の兄と妹として。

そして、告げることのできないことを何も持ち合わせていないとでもいうかのように、平静な瞳の色を保って……

 ……

 ……

 ……少し、ぼんやりとしていた。彼は頭を軽く2、3回程振ると、ソファから身体を起こした。

 夏の終わりの出来事を、彼は思い出し、辿っていた。

最初は思索に耽っていた筈だというのに、気がつけば思考が脈絡も無く「課題の少女」である葉山サキの行動を思い起こしていた、というわけだ。

 これではいけないと、彼はいつもの習慣で深呼吸を続けて、意識をきちんと整えて行く。


 先日の土曜日。『犬侍』第6シーズンの特別先行観覧と劇中挿入歌のプロモーションビデオ撮影参加、その権利を譲渡する対戦プログラムが決まった。

 審判は当然、その利権者である葉山サキである。そして、その為の対戦プログラムはというと……


 彼はそれをどう乗り越えるべきか、対策を練っていた。

 彼の手元には、料理の本がある。本は、彼の判読できる英語で表記されている。

これは昨日の日曜日、ナミの助言に従って、北の魔女へのいつもの訪問を終えた後、西乃市の市街地の書店へと出向いて入手したものだ。

 最初は、西乃市中央図書館へと出向いたのだが、地方都市の図書館における洋書の蔵書数の限界をすぐに目にして、彼等はあっさりとその路線は諦めた。そして西乃市で一番大きいとされる書店で、家庭料理を行う際の基礎の手順が解説してあり、初心者向けとしては適切と思われる一冊を見つけ、彼等は帰って来ていた。

 今、それを眺めながら、彼はぼんやりとしていたらしい。

「たまねぎ、か」

 料理の手順、その懸念事項を思いながら、彼はぼそりと呟いた。

 彼の魔女殿、風見ナミはまだ学校の時間である。そして今日は、拳道同好会の日ではない。

 彼自身は午後から、恩人の神矢老師との約束通り、神矢の道場へといつものように拳道指導の手伝いへと向かう予定である。師範代理を務められる須田タツヤほどではなくても、彼にもそのくらいのことはできる。

 一方のナミは、今日は学校から戻っても、道場の稽古には参加しない。この日は稽古を休み、猫の定期検診の予定を入れていた。

 猫の無有ムーは「ネコノマタマタマタ症候群」なる、彼のよく解らない珍しい猫独自の持病を抱えており、定期的な通院を必要としている。その為、この日の彼女は、武道の鍛錬よりも猫の保護者としての自身の立場を優先した、というわけだ。

 本来ならば、使い魔でもありこの家とある種の雇用契約を結んでいる彼が動物病院へと連れて行く方がいいのだろうが、動物病院の月曜日の開院時間と老師との約束の時間とが重なっていた。そこで猫の保護者であるナミがその予定を引き受けた、というわけである。

 そうして午後は彼女と完全に入れ違いになるが、夕食はいつも通り一緒だ。それまでに家のことを片付けると同時に、その「対戦」に向けての特訓をどうするか、ナミに教授を願うその事柄も詰めておきたい。

 なんといっても賞品は『犬侍』絡みである。彼も本気にならざるを得ない。


 「対戦」の内容はひどくあっさりとしたものとなった。


 話は、先週の土曜日の午後、ひと汗をかいた後の時間へと遡る。

「カヤちゃんとレイジとの、同レベルの内容、競い合えるテーマっていうと、これしかないと思って」

 ニコニコと笑いながら、魔女殿が彼を見上げ、次いで屋ノ塚カヤを見つめている。交互に2人の対戦予定者を見ながら、ナミと、そしてその隣にいた江坂サエの2人の少女が、どこか楽しげに含み笑いをしながら、勿体ぶって彼らにその情報を小出しにしていく。

「カザミン、だからさっさと言ってよ」

 先程、ナミが葉山サキと電話で相談をしていた内容のことだ。ナミは隣にいた江坂サエと小声で相談しながら、更に電話先の葉山サキの希望を掬い上げつつ、何かを決定していたようである。だが、和語の早口とナミの巧みな言い回しで、傍で聞いていたにも関わらず、和語を母語としないというハンディもあり、彼にはその内容が全く判らなかった。

「うん。『料理』。どう?」


 料理?


 それを告げたナミは、澄んだ青の目を真っ直ぐに2人に向けてきていた。

 その声を継いで、江坂サエが、

「ほら、ここでカヤちゃんと、そして神矢さん、その2人の長所短所、癖とか特技とか、それをキチンと知っているのはカザミンだけでしょ。だから、同じレベルで土俵に立てるモノって言ったら、カザミンしか思いつかないと思って」

 などと甲高い声を出している。

「……料理?」

 声の出ない彼とは逆に語尾を上げて尋ねたのは、屋ノ塚カヤの方だった。

「そ。審判は、もちろんサキよ。で、サキにね、今何食べたい? って聞いたら、『ハンバーグ』だって。即答されたわ」

 彼の魔女殿がその先を続ける。

「カヤちゃんもあんまり料理しないけど、でもあのズボラっ子のサキよりは多少台所に立つわよね。で、レイジも、あまり料理は得意じゃないけれども、台所で最低限のことはするし、できる。だから、これなら勝負が成立すると思って」

 滑らかな口調でナミが続け、一呼吸置いてからまたことばを綴る。

「まあ、サキも夏にいろいろとあって、大変だったじゃない? だから、美味しいものでも食べて元気を出して貰おうって。そっちが一番大きな柱で、主旨ってことね。で、ハンバーグを食べ比べて、どっちのハンバーグで元気が出たか、ってことで、そのチケット……当選の権利を譲るかを決めて貰えばいいから、って。話、まとめておいたから」

 まとめておいたから、などと押し付けがましい、尚且つ仕切りたがりの性格を丸出しにして、ナミはその話を既に決定事項として伝えてきた。

 彼は、何もことばを出せずに、ただその場に突っ立っていた。

彼の主たる風見ナミが使い魔への命令として、たまに、「黙れ」などと命じることがある。そうなると、彼は文字通りに黙らざるを得ない。

 けれども今、彼の声が出ないのはそうした魔力的な要因は欠片も無い。ただ、驚きと呆れとで彼の想像がついていかないという、至極人間的な理由である。

隣の屋ノ塚カヤもそれは同様のようで、暫く声を出せずにいる。しかし、先にきちんと気を取り戻したのは屋ノ塚カヤの方だった。

「ちょっと待ってよ、カザミン。私の予定とか、あんた無視してない?」

 しかしそんな彼女の抗議めいた声にも、彼の魔女殿はまるで動じることは無かった。

「カヤちゃん。あんた、『テトラ・ポッター』のプロモ撮影、参加したいんでしょ。っていうか、これを引き当てれば、生『テトラ・ポッター』、初めてなんじゃないの?」

「そりゃまあ、生リョージ君は初めてになるわね。っていうか、もう私が絶対当選の権利をサキちゃんから譲って貰うんだからっ!」

「客人!」

 ここでようやく、彼が口を開くことに成功する。

「だがしかし、あの場はあくまでも『犬侍』の第6シリーズ、シーズン6の先行公開と、その劇中歌の画像録画の機会なのであろう? ならば、『犬侍』を心から愛する一人の人間として、それは譲れんな」

「はいはいはいはい、まーまーまーまー」

 ナミが、やや芝居がかった調子で、彼と友人との間に割って入る。

「それを決めるのは、サキだからね。あんたら2人がここで張り合っても意味無いから」

 それでね、と彼女は更に仕切り直しであるかのように、改めてゆっくりと2人の顔を眺めてから続ける。

「場所はウチの台所を貸すわ。ちょっと狭いかもだけど、まー単品料理くらいだったら交代でなんとかなるでしょ。サキ、次の土曜日はバイト休みだって言うから、日程はそれで。つまり、猶予というか、料理の腕を磨くまでの間がジャスト1週間。だから、その間に技を磨くのはオッケー。サプライズはあってもいいけど、サキ本人への質問とか意向を聞くとか、そういうのもオッケー」

 そして、どういう理由かは解らないが、どこか得意気な顔をして、尚も続ける。

「ご飯とお茶、スープとか、そういったものは風見で用意するわ」

 そこで助っ人とばかりに、江坂サエが補足事項を口にする。

「でもね、カヤちゃん、神矢さん。サキちゃんだって続けて2食も食べることになるとしんどいから、ハンバーグ1個の量は少なめにしてね。サキちゃんは結構食べる子だけど、やっぱり一度に食べる量が沢山ってなっちゃうのはやっぱり無理だと思うし、満腹しちゃうと後攻の方の審査が公平じゃなくなるでしょ」

 いつの間にか水場から顔を洗って戻って来ていた須田が、眠そうな娘のミドリを抱え上げたままニヤニヤと下品な顔で彼等を眺めている。しかし、何らかの感想の声を差し挟む様子は無い。

「くれぐれも食中毒には気をつけて。衛生管理もしっかりとお願いしますよ、お二方」

 ナミが、芝居がかったままの口調で、その他補足事項を付け加えていく。

「レイジは比較的豆料理が得意でしょ。だから、付け合わせでそれを考えるのはオッケー。カヤちゃん、あんたはサラダとか温野菜とか、野菜系の料理は何とかこなせたわよね」

「カザミン、スポーツウーマンの体調管理術を舐めちゃああかんよ」

 どこか自慢気な顔で、ナミのことばに乗せられたのだと気づくこともなく、屋ノ塚カヤが胸を張って堂々と応える。

「だから、カヤちゃんは野菜料理で付け合わせを考えてもいいと思う」

「でも」

 と、屋ノ塚カヤは更に質問を重ねていく。

「デミグラソースとか、味はどうするの? そこも同じ条件ってこと?」

「それも任せるわ。そこが決め手でしょ? だからそこはサキにリサーチしてもオッケーってことで」

「ウチ、ケチャップにソースとか、そんなんよ。でもって市販品の方がソースって美味いじゃん」

「そーだねぇ……」

 ポンポンと質問を投げかける屋ノ塚カヤに対して、ナミはそれまで淀みなく返事を与えていた。だが、しかしここで、隣の江坂サエへ向いて、相談するかのように表情だけで意見を求めた。

「うーん、市販のソースの利用は可にして、けれどもそれをそのままストレートに使うのはダメ、アレンジを必ず加えて使うってのはどう? 勿論、煮込みでもかける方でも、やり方はどっちでもいいんだけど」

 そう、かなり冷静なアドバイスを江坂サエが告げる。その助言内容と落ち着いた声色からすると、この少女の方は屋ノ塚カヤと違い、ある程度は料理に関する素地を持っている様子だ。そう、彼は理解する。

 後に家に帰ってから彼がナミから聞いたところによれば、江坂サエは中学時代には手芸部に所属していた程なので手先は器用であるという。また料理上手な母親に恵まれていて、最近では母と一緒に料理をすることも多いという「アットホームな女の子だから、彼女」らしい。手芸や料理といった、何かを作り上げることが好きな少女なのだろう。

 尤もナミはその後で、「あんなに女性的で適度に可愛いのに、んでもって絶賛カレシ大募集中なのに、なぜか応募がゼロだ」と不思議そうに呟いていたのだが。

 その江坂サエの答えにフムフムと頷いていた屋ノ塚サキは、しかし、

「でも、カザミンは神矢さん……お兄さんのこと、手伝ったりするでしょ」

 不満げに、条件が公平でないと、小さく苦情を申し立てていた。

「じゃあ、サエちゃんがお手伝い、ヘルプに入るってのは、どう?」

「でも、サエちゃんとカザミンとだと、やっぱ料理の年季が違うし」

 一人暮らしが長く自炊が当然というナミのことを知っての反論が、屋ノ塚カヤから小さく差し挟まれる。そしてほんの一瞬、その場が沈黙に包まれた、そのとき。

「ふーん。だったら、当日でよければ俺が手伝おうか。カヤちゃんねーさん」

 それまで、彼同様、殆ど声を上げることの無かった須田が、疲れてぼんやりとしている小さな娘を柔らかく抱いたまま、自然な口調で彼女たちに申し出ていた。

「俺、これでも一応、調理関係の資格持ってるし。今はそっち系のオシゴトもちぃとばかりしているし。多分料理の単純な腕だけなら、歳食ってる分、ナミよりもマシだぜ。但し、俺も仕事人だから手伝えるのはその当日、土曜の昼間だけだな。週日はメールと電話のアドバイスのみってことで。どう?」

「そうねー。兄ィなら、まだましか」

 ここでナミは、少しばかり不満気な顔を見せる。けれども他に選択肢は無いとでも言いたげに、彼、屋ノ塚サエ、須田と3人の顔を代わる代わる見比べるようにして視線を向けている。

「まあ、条件的にはそれが一番公平に近いかもね。わたしも須田兄ィも魔力持ちだし。ま、魔力の行使は料理にはあんまり関係無いけど。で、レイジの練習はわたしが毎日付き合えるけれども、その代わりわたしよりも料理の上手な兄ィがカヤちゃんの当日のみのヘルプってこと、か。条件的には2人、大体フラットになるのかな?」

「須田さんは料理人だったんですかー」

 江坂サエが、別のところで須田の話題に食いついていた。

「おう。まー、休みの日は拳道の講師みたいなことやってるけど。お師匠さんの助手ってことで。でも、本業っつーかメインの稼ぎはそっちだな」

 須田の返事に、フムフムと2人の少女が頷いている。更に江坂サエは、そこに会話を返して行く。

「やはり武道家だと、食べていくには難しいんですね。でも、料理もできる武道家なんて、流石ですね。モテそう」

「はっはっはー」

「だから『中野町の種馬』なんですね」

 ツッコミが入ったのは、屋ノ塚カヤからだった。

「はっはっはー……って。カヤちゃんねーさん、大人をコケにしない、そこ!」

「はいはい」

「『はい』は一回でいい」

「はーい!」

 少女たち3人がクスクスと笑う。

「で、須田さんは、お料理は和洋中、どれが得意なんですか?」

 それが大事な点だと、気を取り直した表情で屋ノ塚カヤが真っ直ぐに彼に尋ねる。

「うん、一応どれもやるけど。一番長く勤めてんのがカフェだから、やっぱ洋食が中心かな。食うんだったら和食も大好きだけど。中華は殆どわかんねーな。調理するとなると自己流だな。あと、カフェだから、コーヒーも得意。つか、好きだな」

 男は尚も乗り気で、うんうんと頷きながら話を続ける。


 そうして男の仕事の話、さらには全く別の雑談へと話は流れ、彼が諾否の声を出す以前に、その場でこの件はなんとなくそういうことだといった決定事項になってしまったのだが。


 ……彼の回想が途切れる。気がつくと、猫のムーが彼の膝をまくら代わりにして、頭を乗せてごろりと横になっていた。その感触を心地よく感じて、彼の意識が今現在へと戻って来る。

「そうか、ムー」

 9月に入り少し肌寒くなったからだろう。真夏と比べて猫が彼に触れてくる機会も増えてきた。いいことである、と彼は猫を見下ろして頬を緩める。若い猫を軽々と持ち上げて、抱きすくめるようにして撫で回す。しかし今まで寝ていた猫は、急に抱き上げられたことに対して少しばかり不満気な目線を彼に向けてくる。

 そうして猫に触れながら、彼は今まで考えていた、「『犬侍』特別観覧とプロモーションビデオの撮影」に関する争奪についてのあれこれを一旦頭の中から外して、目の前の猫を撫でることに専念する。

 猫の病状は、病原のウィルスを保持しているという状態で、発症には至っていない。薬で完全に発症を抑えており、その経過は順調である。この日も恐らく、ただの通院のみで、簡単な検査、そして投薬で帰ってくるだろう。彼は頭の中で、念じるようにそう説明をしているナミのことばを思い返す。

「ムー、お前も不憫だな」

 猫の両腕を両手で持って、その足をぶらぶらとさせながら、彼は正面に猫の顔を据えて、己の中に漂っていた漠然とした想いをことばにしていく。猫が、更に不愉快そうな強い目線を彼に向けるが、彼はそれを気にしていない。

 自身に酷いことをした彼を引き取り、あまつさえ使い魔として面倒を見続けること。

 猫を引き取るにしても、率先して病気の猫を引き取るという、妙なお節介さ加減。

 そして。

「それでもまあ、葉山サキを元気づけるというその方向性そのものは悪いものではないのだろうし」

 だからムー、君も、応援、頼む。そう言って彼は両腕でぶら下げられていた黒白斑の若い猫に軽く頬ずりをした。猫の顔に頬を寄せると、ほんの少し、雄猫特有の獣臭い匂いがした。

 ナミはきっと、友人たる葉山サキの境遇をあれこれと心配していて、むしろそちらの方が彼女自身の意向に近いのかもしれない。けれどもそのことを、当人すら自覚していなさそうだ。恐らくは楽しいイベントで友人たちとワイワイ楽しみたい、といったもう一つの願望の方に気を取られているのだろうから。そう、内心で彼は続ける。

 ともあれ、それが彼女の望みならば。葉山サキを唸らせ、喜ばせるようなハンバーグとやらを焼いてみよう。

 もちろん、我が愛する『犬侍』のフィルムの為にも。

 そう、彼は己の覚悟を改めて強く念じた。



――座標軸:風見ナミ


 弁当箱から玉子焼きをつまむ。うむ、今日もいい出来である。これならば家で同じ内容の弁当を食べている自分の使い魔も文句は言うまい……と、風見ナミは学校の教室でコクコクと頷きながら昼食を頬張る。

「『テトラ・ポッター』と『犬侍』のコラボよねー」

 鳴海トモエが、先週ナミが体験したひと騒動に対して、フンフンと頷いている。

 他のお弁当仲間、クラスメートのイツキとコトは、この日は揃って購買へと行っている。食料入手に時間がかかることが判明している為、先に食べていてよいと言う、その2人のことばに甘え、彼女たちは級友を待ちながらゆっくりと箸を動かしていた。

 サキがその特別観覧だかプロモの撮影だかを当てていた件は、既に先週の時点で「良い話題グッドニュース」として皆との話に出していた。

 その話をした際に知ったのだが、サキはトモエにも軽い打診のメールを送っていたらしい。しかし男性アイドル方面にも時代劇にも興味がない、それどころか少しばかり辛口の批評家ともなりかねない文化系少女のトモエは、その話を辞退したという。サキと2人、あるいはナミと2人で生の芸能人を見るという体験には少し心惹かれるものがあった、という。しかし、他にそれを欲する人がいるのだから、と至極あっさりとしたものである。

「サキちゃんにしたら、ナミちゃんのお兄さんと中学時代の友だちと、どっちを選ぶか、ってことなのね」

「うん、そういうこと」

「でも、お料理対決は面白いね、ナミちゃん。いいアイデアだわ」

 事態が他人事だからだろう。何も含むことの無い笑顔で、トモエがクスクスと笑っている。

 レイジの、あの『犬侍』や時代劇全般に寄せる執着的な熱愛ぶりとその周囲への布教の迷惑さ加減については、トモエも体験しているからだろう。先の土曜日の騒動も、相応に想像がつく様子である。

「ええっと……3組だった、江坂さんと屋ノ塚さんでしょ。若者に譲ればいいのに。お兄さんも、大人気無いなぁ」

 中学の3年間のその全てを図書委員として過ごしたトモエは、同じクラスになったこと無いカヤ、サエの2人も、苗字を覚えていた。尤も、2人の図書室に通う頻度はそう高くはなかったが。とはいえ、春にナミがトモエと仲良くなってからは、時折トモエに対しても2人のことは話題には出している。そうした流れで、親しみも湧いているのだろう。

「それに、お兄さん、行くとしたらナミちゃん連れてきたがるんでしょ」

「そうなのよ。いいメイワク」

 持参した水筒からそば茶を注いで、一口飲む。もう少し遅い配分で食べないと、購買に行っている2人の友人が戻る前に弁当を空にしてしまうそうだと、ナミは箸を置いてゆっくりと頭を振った。

「……お兄さんには、そういう趣味を同じくするお友だちとか、いないの?」

「そういえば、いないわねぇ。喧嘩をするような悪友だとか、道場での顔見知りだとか、あとは剣道までならお付き合いのある友たちなのか知りあいなのかに当たる人はいるんだけど。時代劇の話はみんなドン引きしてたから。ほら、あのアツさ、っていうか暑苦しさでしょ。押し売りまがいの。でも、それ以外の話題の引き出しは一切持っていないし。雑談っていう行動様式も持ってないしね。中間が無いのよ、レイジは」

 拳道同好会での指導の合間、休憩時間での彼の寡黙な様子は、トモエもよく知るところである。

「お兄さん、性格は基本、内弁慶だものね」

「寡黙と言えば聞こえはいいけどね。ま、ソレよね」

 ナミは、ちまちまと海苔弁のご飯をつまみながら続けた。

「まして、『テトラ・ポッター』とかのオレンジャー系なんかの若向き、女性向きの歌とかアイドルとか、絶対無理、無理。興味のとっかかりも無いわ」

「オレンジャー系は、流石にオジサンには難しいかもね……って、これを言ったら怒るわよね、お兄さん」

 レイジが、隠しつつもオジサン呼称や年寄扱いをされることを嫌っている、そのことを知りつつ、トモエが話題にする。陰口と言うよりも、ナミとの共通のネタとしての扱いだ。彼女にしては珍しい人物の転がし方だ。勿論、優し過ぎる彼女の場合、それで当人をからかうことなどは無いのだが。

「ただ、サキが言うには、撮影されるプロモビデオは、あくまでも『犬侍』の劇中歌のその中で使われるだけらしいし。あと、プロモ用のエキストラさんは年齢や性別がバラエティに富んでいる必要があるみたい。若い女子ばっかり、ってなると、画面的に難しいものがあるみたいよ。時代劇の劇中やエンディングで流すことを考えると」

「お、先週の話?」

 購買から、弁当仲間であるイツキが、そんな声を上げながら帰還する。コトも一緒だ。

「そうそう、『犬侍』と『テトラ・ポッター』のコラボ。なんかさー、もうひと騒動持ちあがりそうで……」

 座って手を合わせて食事を始める2人に、ナミは先程までトモエと話していた内容と先週末の事柄を簡単に伝えていく。

「そうなんだー。でもそれ、先週も思ったけど、カザミンの友だち、すっごい幸運だよね」

 ナミの話題に素早い返答を返してきたのは、陸上部所属のグラマー少女、イツキである。彼女自身は、アイドルにはあまり興味を抱いていない筈だが、けれども一般人程度には芸能の話題には明るい。

 残るもう一人の少女、大人しい目の地味系美少女のコトも、人並みには芸能人情報を知っている。

 そして、2人揃ってフンフンと頷いているのは、それだけ現在の和国においてオレンジャー系の男性アイドルのメディアへの露出、独占率が高いことの表れでもある。

 そんな、今をときめくオレンジャー系男性アイドルであり人気爆発中の『テトラ・ポッター』である。サキの引き当てたチケットの争奪戦が「ものすごい倍率」であったことは、今の和国に暮らす女子高校生であれば、誰であっても見当がつく。

「しかもその幸運をあっさりと譲るってとこも、気前いいっていうか」

「うーん、まあ、彼女の音楽の趣味からは相当離れるみたいだから」

「ああ、洋楽聴くんだっけ、その子」

 趣味合いそう、などとイツキが小さく声を洩らす。イツキも洋楽が好きだが、それは恐らく大学生だという彼女の兄の影響だろう。彼女は3つ年上の兄ととても仲がいい、というよりも彼女自身が自覚的に兄にゾッコンなブラコンでもある。

 それに、ナミと仲の良い友人として、サキの話題は主に良いこと限定で高校の仲間たちにも何度か話題に出していたから、会ったことが無いとはいえ彼女たちにも多少は親近感があるのだろう。

 加えて言えば、物事に対して白黒はっきりさせたがる、竹を割ったような性格のイツキであれば、音楽の趣味云々を除いても葉山サキとは仲良くなれそうだ。

「でも、コーチ、バスケはぜんっぜんダメだったんだ」

 レイジがバスケでカヤにまるで歯が立たなかった話に注視したのは、コトである。


 コトがレイジのことを「コーチ」、と言ったのは簡単なことである。


 コト、そしてイツキも含めて、このお弁当仲間の4人組は、トモエとナミが呼び掛けた『拳道同好会』の仲間でもある。レイジが毎週3回、水、木、金曜日の放課後にボランティアとして西乃市第二高校にやって来ては指導している、アレである。詰まるところ、レイジの学校内における地位は、ボランティアで拳道を高校生たちに教えてくれる「コーチ」である。そうしたわけで、イツキもコトも、神矢レイジはナミの遠縁で義理の兄というよりも、「拳道のお師匠さん」「同好会のコーチ」といった面での付き合いが強かった。

 同好会結成のきっかけそのものはこうしたクラスメートとしての友情の延長ではあるのだが、同好会という緩い集まりが功を奏して、今では2年生も参加し、いい雰囲気で拳道の習得が進んでいる。

 イツキは、陸上部を優先しており、ほぼ名義貸しに近い参加だ。

 コトは、熱心に参加をしている。

 最初は、別の高校へと通う同窓の彼氏との付き合いを優先して帰宅部を決め込んでいたコトは、意外なことに、同好会に加わってからというもの、拳道の習得を楽しみにして熱心に参加を続けていた。しかも、言いだしっぺのトモエよりも、筋がいい。

 コトも、トモエ同様、性格面だけを見れば内気で大人しい少女ではある。だが、中学時代は3年間、バドミントン部に所属していた少女だ。基本のフットワークは軽く、勝負どころの勘もあり、またここぞというときの決断力もある。

 更にナミが邪推するところでは、バドミントンのスコートは相当可愛い。普段は大人しいコトがあの可愛らしいバドミントンのスコートで活躍する姿、そのギャップと愛らしさに格好良さが加わって、カレシさんは彼女へと交際を申し込んだのではないか、などと想像を逞しくもしているのだが。

 そうした連想は脇に置き、ナミはみんなの話題へと思考を戻す。

「うん、レイジねー。あのドリブルを含んだ球技独特の動線にまるで歯が立たなかったみたい。スタミナとスピードは問題無い筈なのにね。一緒に加わった、拳道の師範代理の方がまだセンスあったわ。そっちはボールで遊んだのなんて7年ぶりとか言ってたけど」

 ネタ的に身内であるレイジを晒してはいるが、彼がバスケにまるで手が出なかったのは、恐らくボールそのもので遊んだ経験が殆ど無いからであろう。

 彼自身から明確な話をされたことはないが、諸事情から判別している彼の育ちから推測すると、ボール遊びの経験よりも鳥撃ち獣撃ちの方に親しみを感じる、といった環境だったらしい。故郷の地形が山間部であれば、平地のようなボール遊びが流行ることも無かったことだろう。勿論、これは直接聞いたことではないから、あくまでも彼女の想像に留まること。事実とは限らないが。

 そうした彼の背景や育ちなどは、目の前の少女たちには一切話をしていない。恐らく、それはずっと伏せられ続けることだろう。ナミは強く意識して、彼の背景を連想していく己の思考に蓋をする。

「そういやバスケ、暫くやってないね」

 野菜サンドらしい三角形の塊を口にしながら、イツキが思いだしたようにポツリと漏らす。

「冬の球技大会のリストにあるんじゃない? バスケ」

 そのイツキの話題に補足をしたのは、デニッシュをちぎっていたコトだ。

「バスケ、バレー、ソフト、あと……なんだっけ?」

 そう、続けながら。

「でも、球技大会の前、11月には文化祭があるじゃない。『拳道同好会』としては、そっちの方が先に重要になってくると思うの」

 トモエにとって、拳道同好会の存在は思いの外、優先度が高い。そのせいか、ナミが先週の土曜日のバスケ遊びを話題にしただけで、いつの間にかバスケの話が抜けて拳道になっている。

 トモエは時折、こうして三段論法的に話題をとっ散らかして展開させていくことがある。読書家の彼女は想像力が豊か過ぎるからだとナミは見立てているのだが、それもまた彼女らしいとナミはその豊かな想像力と連想ゲームの連想の幅の広さを好ましく思っていた。

 しかし今、トモエを除く3人の興味はバスケである。

「でも、コトなんか、バスケ得意そうじゃない?」

 中学まではバドミントン部だったという彼女ならば球技の心得もあるのではないかと、ナミは水を向けてみる。けれども対するコトの表情は今一つ、といった顔だ。

「バスケはまず身長でしょ。160センチ以下にはハンディおっきいよ。それだったら足も速くて上背のあるイツキの方が……」

 と、コトが言いかけると、その途中でイツキ当人が割り込んでくる。

「いやでもさ、バスケはチームプレーだから。私は短距離、個人競技だからねー。重視されるのはスタミナよりも瞬発力だし、リレーや駅伝じゃないからチームプレーもピンとこないし、競技者としてのメンタルが相当違うよー」

「そっかー」

 あの日の須田兄ィやレイジの戸惑い振りを思い出して、ナミはイツキの言うメンタルの違いという言い分にうんうんと頷く。加えて言えば、彼女自身を振り返っても、武道者としてのメンタルは確固としたものがあるのだが、集団で行うスポーツのメンタルと言うものはあまり持ち合わせ得ていないようにも思える。彼女は小さく賛同の頷きを見せる。

 だから、とそこでイツキが続けてくる。

「私、拳道の方がまだバスケよりも馴染むと思うし」

「嬉しいこと言ってくれるねー、イツキ」

 ナミが、同好会にも好意的なイツキの発言を喜びつつ、海苔弁のご飯を口に含む。その横で、「なるほどー」と数秒ズレて、トモエがイツキに頷きを返している。

「まあ、あんたの友だちのバスケ少女の話は、面白かったわ」

 うんうん、と頷きを返してくれているナミとトモエを見て、さらに玉子パンを頬張るコトを見遣りながら、イツキが話を繋いでくれる。

「でも、スポーツを本気でやるんだったら、時間配分的にアイドルのおっかけなんて難しそうだけどねえ。普通のファンならまだしも」

 そう言うイツキの声は、陸上部と拳道同好会の両立の大変さとも繋がるのだろうか。妙に説得力のある声色で、3人に続ける。

「あー、それは言えるかもね。カレシと部活の両立だって、考えたらしんどいことこの上ないのに」

 この中で唯一のカレシ持ちであるコトが、ちまちまとパンをちぎった手を止めて、ポツリと漏らす。

 通う高校が違うものの、やはり仲はいいのだろう。彼女が男性タレントやアイドルに興味を示すことは殆ど無い。トモエに同好会結成を誘われなければ、コトはきっと、校外の彼氏との交際を優先して帰宅部を続けていたはずだ。

「でもまあ、リョージ君は確かに一番人気だもんねー」

 一方のイツキはというと、話題をまたカヤ御執心の『テトラ・ポッター』に戻していく。

「でも、『オレンジャー系』に行くよりも、私だったらむしろバンド系の方がいいな」

 と、コト。

「コトちゃん、それ、カレシと一緒に行けるからじゃないの?」

 と、ナミは返しを入れてみる。

 するとやはりというべきか。ハッハッハー、などとコトはわざとらしい程に明るく軽やかに笑う。

「カレシって、そういうアイドルとかにも焼き餅とかって焼くものなの?」

 ついでとばかりに、ナミはわざとらしく笑い続ける彼女に話題を振ってみる。

「……その男の子によるんじゃないかなー?」

「じゃあ、あんたんとこは?」

 はぐらかそうとするコトに、ナミは更に軽くことばのジャブを放つ。

「……ま、ちょっと、ね」

 多分、結構な焼き餅を焼くのだろう。そう思わせるコトの可愛らしい小声の返事に、ナミもトモエも妙に納得した顔で小さく頷きを返す。

「それで、『テトラ・ポッター』のプロモ撮影って、何時なの?」

「うん、10月1日の金曜日の夜」

「東乃市でしょ」

「まあ、流石に西乃市の行政規模じゃ、アイドルのプロモ撮影には来ないでしょ」

 この近隣きっての大都会、雨音地方随一の大都市である隣の東乃市での開催というのは、幸運である。これが首都圏ということになれば、譲渡その他の話も更にややこしいことになっていたに違いない。交通どころか泊まりも視野に入る話だった筈だ。尤も、サキもまたそれを見越して、弟たちの為にもと思って申し込んだのだろうが。

「あれ、でも……」

 そこでポツリ、とトモエが小さく声を挟んだ。

「撮影って、いろいろな人がコスプレみたいなことして映るんでしょ?」

 小首をかしげながら、トモエが少し不思議だという色合いの声を忍ばせる。

「うん」

 その仕草を可愛いと思いながら、ナミは単純に肯定の頷きを返す。

「って、サキちゃんも言ってたけど」

 そう、更らにトモエは続けて。

「映るエキストラ、ファンの人たちができるだけバラエティに富んでいた方がいい、って話は確かに聞いていたけど。でも、お兄さん、見た目、思いっきり外国人じゃない。地黒の和国人、じゃ通らない程度には。撮影に問題は無いのかしら」

 あと一口、といったところで終るはずの弁当の、その最後の一口、ひとかけらが、ナミの手に持つ箸からぽろりとこぼれ落ちた。



――座標軸:風見ナミ


 結果からすると、その件は「まあなんとかなる」らしい。

 そう、サキから返事のメールを貰ったのは、その日の夜だった。

 学校から戻り、猫を医者に連れて行き、次いでこの日の夕食当番を担当して、更にはレイジと焼き魚を食べ終えた後に、サキから簡素なメールが帰って来ていたのを、ナミはようやく確認した。

 曰く、

 ――コスプレだから外人さんでもオッケー、地球人なら誰でもウェルカムだ、って向こうの窓口の人に確認は取ってあるよー!!――

 という、簡素なかたちで。

 ナミの想像の範囲ではあるが、彼の赤毛もきっと時代劇用のカツラでなんとかなるのだろう。更に、和国人らしからぬ大きな背丈と頑丈で分厚い身体も、そんなに問題ではないのかもしれない。撮影に映るその映像も、一人当たりにしてみたら相当小さいか、あるいは相当短いか。だいたい、招待され撮影に参加するファンは100人だかの結構な人数である。殆ど「群衆」としてしか映らないというような、そういったことだろう。


 そしてどうやら、そのコスプレ、彼曰く「仮装」の方にも、神矢レイジは大分興味が膨らみつつあるらしい。

 この夏、彼は和国独自の「浴衣」を神矢リサから贈られており、一度はそれを着用もしている。その日はそれほどその衣装を楽しんで着ていた様子ではなかったのだが、それはあの判り難いいつもの表情、不機嫌一歩手前の無表情故のことで、ナミが見落としていただけなのかもしれない。

「それでだな、ナミ。帯というのは実にさまざまな結び方があるのだな。特に女性の着物といったら……」

 刀の差し方や袴を履いた際の身のこなしなど、ネットか何かで調べたのだろう。夕食時から皿洗いのときまで、彼は盛んにそういった話題を口にしている。殿様や侍といった男性の衣類ばかりではなく、女性の衣類まで調べているのだから、彼の時代劇にかける変な情熱は、相変わらず大いに盛り上がっているようである。

 食事を終え、片づけごともあらかた片付けて、ナミはレイジと並んで、台所へと立つ。しかし彼からは、その特別観覧やプロモビデオ撮影に参加するための「勝負」に関する話はまだ出ない。一体どこでスイッチが入ったのか、先程からコスプレ、もとい仮装、もとい和装の話が延々と続く。

「じゃあ、そのコスプレの権利を勝ち取る為に、手っ取り早く勝利を手にしましょ、レイジ」

 最後の皿を置き場へと収めると、彼が「フム」とナミの声に頷きを返した。


 因みにその勝負の行方に関しては、彼女はさして興味は無い。自分はコスプレにも時代劇同様、一切興味は無いのだから。ただ、彼女の使い魔であり、ある意味兄のようなこの大男がここまで無邪気な様子で熱心に語ることのできる話題は、他には無い。それを思うと、その背中を押してやりたくもなるというものだ。それは、使い魔の主としても。そして、妹のような立場にある自分の気持ちとしても。

彼 女に次いで、彼も手を綺麗に洗う。そして2人はエプロンをしたそのままで、ハンバーグの修練を開始する。

「で、レイジはハンバーグの作り方、大体解るわよね」

「ああ、ひき肉、たまねぎ、玉子、牛乳、パン粉、塩、コショウ、酒……」

 料理の段取りそのものは、解っているようだ。考えてみるとこの半年、彼の傍らで何度も何度も彼女自身はひき肉を捏ねているのだ。ハンバーグも肉詰めピーマンも、ポーチドエッグも、鶏肉のつくねもどきも。

 それに彼も、炒め物程度ならば挽肉料理はこなすのだ。

 ただ、野菜を細かく刻むといった作業は、まるで駄目である。ナミは初めて彼にキャベツの千切りをさせてそれに懲りて以来、あまりそうした作業を彼に割り振らなかったことを思い返す。ましてたまねぎのみじん切りなど。彼自身がものすごく高いハードルだと感じていることは、その語感からも窺えた。包丁、刃物の類を苦手にしていることは無い筈だというのに。

「まあ、野菜なんて、刻んでいればその内小さくなっていってくれるから」

「いや、そうは言ってもだな、ナミ」

 彼はどうにも歯切れが悪い。

「ほら、やらず嫌いは先入観丸出し。頭悪いわよ、それ。先ずはトライ。それから、欠点を洗い出して克服していく」

 自身が姉になったかのような口振りで、大柄な偽の兄に対して、彼女はそうきっぱりと言い切る。言いながら、彼女はたまねぎを取り出した。

 彼女が冷蔵庫からたまねぎを取り出したことが珍しかったのだろう。彼が彼女に、不思議そうな表情を浮かべた瞳を向けてきていた。

「土の中の野菜はね、冷蔵庫に入れると風邪をひくんだって。だから普段は冷蔵庫に収納しないでしょ。でもね」

 だから彼女は、料理を始めた頃に神矢リサから教わったことを、教わった通りに彼にも伝えていく。

「みじん切りするときは少し冷やして置くといいの。目が痛くなるのを、少しは防ぐのよ」

 あとは、よく切れる包丁も必須ね。そう続けて、ナミは彼にたまねぎの皮を剥けと、目だけで指示を出す。「使い魔への指示」ではなく、念で伝わったのだろう。彼女の使い魔は、黙ってたまねぎの下ごしらえを始めた。


 そうして続けてはみたが、やはり包丁を「細かく」使うことには今一つ躊躇があるようだ。刻んでいるとなんとかそのものになっていく感じではあるのだが、とても挽肉と混ぜて捏ねるレベルの細かさにはなりそうにもない。

 15分、20分と彼も頑張ってはみたものの、これも時間をかけるような作業ではないと思い直し、ナミは一度休憩を挟むことを宣言する。

 彼女はそのまま簡単にジャスミンティーをホットで淹れると、台所で立ったまま、彼のマグカップを差し出した。そして2人、立ち並んだまま、その場でお茶を啜る。

「どうにも、上手くいかんな」

 ぼそり。彼が、残念そうに声を洩らす。

「まあ、最初から上手くいくなんてこと、なかなか無いわよ」

「そうだな」

 2人、そうして黙って、暫く熱いお茶を啜る。

「ところでナミ、この大量の刻みたまねぎはどうするつもりかね?」

「そうねー、明日の朝とお弁当のオムレツの具にでもするわ」

「そうか」

 それは、いいな。それは彼の呟きか、それとも念話か。少し温かい色を含んで、彼が返してくる。

「もう少し野菜を刻む練習をして、今日はお開きにしましょうか。今日、お肉を捏ねるところまで行くのは、難しそうだし」

 フム、と彼が小さく、やや不満げに頷くが、反論はしてこない。

 実際、ハンバーグの下ごしらえなどは、材料さえ揃ってしまえばあとは簡単この上ない料理の手順しか残っていない。そのあたりの教授は明日の晩でも充分だろう。そう考えて、彼女は次に、たまねぎではなく人参とピーマンを刻ませる。野菜を細かくするという作業そのものに慣れてきたと思しき時点で、彼女は作業終了の声をかけた。

「はい、お疲れ、レイジ。もういいわ」

「これらの野菜は?」

「明日の朝、炒めましょう。今日炒めてもいいんだけど……どうしようかな」

 そう言いながら、彼が密封容器を出してきたのをいいことに、刻んだ野菜をそれぞれ収納していく。

「もういっそのこと、フードプロセッサー、導入しようかしら」

そう言いながら、彼女は以前も同じことを小さく悩んだ、そのことを思い出す。

「刻みごとを担当する調理器具かね。なるほど、それはいいが……審査的には公平になるのかね、それは」

「うーん、いいんじゃない? よくわかんないけど。どうせ決めるのは、サキだし」

 そうかね、といった声を出さずに念と身振りだけで返してくると、彼女の使い魔は台所の片づけに入っていった。

「それに、もしもポイント制ってことになったら、わたしがアンタへの投票を棄権するか、あるいはカヤちゃんに付くけど」

 そう何気なく、彼女がことばを唇に乗せて、左の彼を見上げた。


 何も含むものは、無かった。


 無かったというのに。


 とても複雑な、どこか捨てられた子犬が、それでも飼い主に縋って来るような、そんな色が彼の瞳に一瞬過ったのを彼女は見て取った。

「……どうしたのよ?」

「……何でも、無い」

 大袈裟ではないが、彼は……

「……兄ちゃん?」

「何だね、ナミ」

「怒った?」

「どうして? まさか」

 ことばでは、彼は否定する。声色も、普段通りの色の無さだ。けれども、瞳の動揺は隠し切れてはいない。本人がどんなに隠そうとしても、瞳の僅かの色の違いが、彼女にはよく解る。

「……ナナシ兄ちゃん。解ったから。もう、そういうこと、言わないから。わたし」

 微笑みを浮かべて、彼女はしっかりと彼を見上げる。彼がこの夏、自身で選んだ「真名」で、呼びかけながら。

「だから、そんな顔、しない」

「そんな顔、なんかじゃない。ナミ」

 今度は、少し拗ねた色を瞳に過らせ、スッと彼はそっぽを向いた。

「まあ、フードプロセッサーの件はカヤちゃんにもメールしてみるわ。公平さに問題が無さげなら、明日にでも買いにいきましょ」

「ナミ。それは高いものかね?」

「んー、どうだろ。でも、いずれはあってもいいかと思ってた物だし」

「でもナミ、明日も続けて拳道の道場を休むのかね?」

「あ、それはよくないわね」

「ワタシは明日の昼間に多少時間もある。少しは練習をする時間も取れるだろう。たまねぎのみじん切りひとつでそう大騒ぎすることもあるまい」

 彼は、強い調子できっぱりと言い切る。

 ナミが彼のことを「真名」で呼びかけた途端、急に彼の声に張りが戻っていた。それが何ともおかしくて、彼女は頬を緩ませながら、けれども彼にそんな自分の顔を見られないよう、そっと目線を逸らして台所の片づけを淡々と進めていった。



――座標軸:神矢レイジ


 その名をつけたのは、ナミだった。

 まだ、5歳。冬の気配の近づく11月。6歳まであと3カ月かそこら、といったときだった。

 彼がその名前を貰ったのは、まだ18歳のときだった。冬を越して、春を迎えれば19歳になるという、その少し前のことだった。

 けれども彼は、ナミが6歳を迎える前に彼女の前から姿を消した。己が19歳を迎える前に、彼を兄と呼んで慕った愛しい幼子を、手放した。

 彼女は、彼を恨んだことだろう。

 けれども彼女は、この夏、再び彼の手を取ってくれた。

 だから、彼にはそれだけで、その事実だけで充分だった。

 だから、彼がこの夏にその名を改めて真名として選び直したことも、彼の中では当たり前すぎるくらい当然のことなのだ。最初の内こそ、彼女は驚いていたけれども。


 ――だからどうか。どうか、ワタシに、もう少しだけ。もう少しだけ、この穏やかな時間を続けさせてください――


 それは誰に向けた祈りだったのか、彼にも判らなかった。彼自身は、信仰を手放して久しい。

 だからそれは、強いて言えば、彼の魔女殿に対する、彼女自身への祈りであったのかもしれない。

 そしてその為ならば、彼は己の祈りを力へと変えていけることを、しっかりと理解していた。

 ナミとの穏やかな時間。そして、彼女の傍らで、その成長を守ること。

「彼女の最大の味方であり続けること、だ」

 自室で布団に横たわって寝返りを打ちながら、彼はことばを零す。

 それが、たとえ尊大な独善家の思い込みの行動であろうと。彼は、彼女の道行きを共に歩もう、と。

 祈りにも似た願望を唱えながら、彼は自室の小さな布団に横たわり、夢の世界へと落ちていった。



(続く)

「ヤなことはみんなフっ飛ばしちゃうー♪」

昔好きだったアマチュアバンドの楽曲からの一節です。たぶん音源はネットには無いと思いますが。

そういえば、ミドリの母親の名前も、このバンドの曲名からきていたりします。

解散して久しいのですが。


猫の調子は乱高下していますが(といいますか、基本は看取り行為なので)、昨日より少しましになってきていることもあり、こちらを進めてみました。

猫の状態がこのくらいよければ、今週中にはもう少しこの先へと進めてみたいと思います。


ご通読ありがたいことです。是非次回もご贔屓に。ではまた。(只ノ)

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