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05話/「美味しいごはんが食べたいよ」

土曜日のお話は、これにて終了です。

おっさんと幼女、そして女子高生が、バスケットボールを奪い合います。

――座標軸:風見ナミ


 各々、柔軟を軽くこなし終える。

 バスケのボールが、タンタン、と打ちつけられている。

 カヤのウォーミングアップがボール扱いにも及んだのか、あるいはもう遊びが始まっているのか。そのリズミカルな音が、軽やかに誘っている。

 フリフリのミニスカートのサエは参加を辞退して、ミドリのお守りを買って出るかのように、その柔らかく小さな手を握ってコートの外へと移動している。


「えーっと、ルール知らないのは、神矢さんだけか」

 そう言いながら、カヤが簡単にバスケのことを説明していく。

しかし、彼の飲み込みが悪いと見て取ると、

「じゃあ、デモンストレーション、いい?」

 そう言って、フリースローライン近くへと、ドリブルで移動する。

 そして徐に、ジャンプし、ゴールを狙う。

「行けっ!」

 小さく、彼女が叫ぶ。

 綺麗なフォームのまま地上へと降り立つ彼女を、ナミは感心して見遣る。

バスケットボールというフィールドで、彼女はポイントゲッターだ。この距離で外さないことは、ナミやサエには解っている。しかもここのゴールポストは小学生用だから、若干背が低い。これで彼女が外すことなど、あろう筈が無い。

 そのまま綺麗に、お手本のようなゴールが決まる。

 一瞬の静けさの後、大人の2人、そしてコートの外にいた子どものミドリが、大きな驚きの声を上げながら力のある拍手の音を響かせる。

「へへん!」

 スリムな長身をグイッと自慢げに伸ばして、カヤが皆の顔を見渡す。

「まあ、一応は現役のバスケ部員ですからー」

 そう言って、軽やかにボールを取りに走る。そしてそのままドリブルでゴールの至近距離へと近づき、真下に近い角度から再度、狙う。

 伸びた身体そのままにボールは軌跡を描き、又もゴールを確実に決める。

「おおっ!」

 須田兄ィも、ミドリも、大きく声を上げている。特にミドリの声色が大きな驚きと喜びでいっぱいだ。

「すげーな」

 須田兄ィの声色も、素直な感心の気持ちしか漏れてこない。

 レイジに至っては、声すら出ない、といった感じである。

 彼にとっては、これが人生で初の、バスケの至近距離からの観戦である。これだけの驚きも当然だろう。彼の背景を思い出し、そうナミは思い至る。観戦、とはいっても試合ではないが。

「どうですか? 狙ってみます?」

 更にダメ押しとばかりにもう1ゴールを決め、連続3ゴールめとなったボールを、走り込んでドリブルで確保し、両手に取る。

 そのボールを、カヤはズイッと差し出した。相手は、須田兄ィである。

「おう、やらせてくれ!」

 って言うか俺、球技なんて何年ぶりだっけ……などとブツブツ言いながら、カヤからの軽やかなパスを受け止めて、須田兄ィはゴールを見据える。カヤを真似てドリブルをこなしながら、しかしどこか慣れない姿勢で、彼が「よいしょ」と掛け声を乗せてゴールを狙う。

「ターツー!」

 娘のミドリが父親の名前を呼んで、大きな声でボールへと声援を送る。

 だがやはり、バスケのボールは彼にとっては普段使い慣れてない物だからだろう。ゴール脇には当たったものの、それがゴールに入ることは無かった。

「あー、惜しい! コースは良かったんですけどね」

 カヤの声からは、思わず、残念だという声色が漏れていた。しかし、

「須田さん、筋は良さそうですね。流石に日々身体を動かしている人だけあります」

 力みすぎかなー? などとその要因を推理しながら、彼女がもう一度挑戦せよいうボディランゲージ込みで、須田兄ィにボールをパスする。恐らく、娘にいいところを見せられるまでサポートをするつもりだろう。彼女の目線から、ナミはそう見て取った。

 2本めを打つ。3本め。4本め。1本ごとにカヤが助言を与え、徐々に彼のシュートの精度が上がっていく。そうして5本めにして、ようやくゴールが決まった。

 すぐに、須田兄ィは両腕を広げてミドリの元へと走り寄ると愛娘を抱き上げた。その動きだけを見れば、サッカーのゴールシーンのようである。

「ターツー、ゴールしたー」

 須田兄ィはご機嫌で幼い娘を抱きしめ頬ずりする。

「おう、あたぼうよ! 父ちゃんは強ぇんだぜ」

「でも、カヤちゃんねーさんにはまけてるー」

 サエが笑いながら、そんな親子を見上げていた。


「カザミンも、やってみる?」

 ここですぐにレイジにではなくナミを選んで、カヤがパスを渡してきた。初心者のレイジはもう少し見学をした方がいいという判断か、あるいは須田兄ィと彼との確執を避けてナミをクッションとして挟もうということか。ナミにはその判断の理由はよく分からなかったが、とにかくボールはナミに回ってきている。

「うわー、わたしも球技、久しぶりよ」

 高校に入ってから半年、体育の授業では、まだバスケの機会は無い。ナミは更にそれ以前の過去を振り返ってみるが、バスケのゴールを狙うのは中学3年生時の「いつか」といった程度でしか思い出せない。

「あ、もちろん魔力禁止だからー」

「解ってるってー」

 ここは小学校の校庭だから、それほど強い魔力探知器は置いてはいない筈だ。大きく警報音が鳴ることも無いだろう。けれどもやはり、須田兄ィも全く魔力無しでやってのけたのだ。第一、そんな「ズル」は恥ずかしい。そう強く意識して、ナミはゴールを真正面に睨みつける。

 そうして3本、シュートを打っては外し、といったことを繰り返し、4本目でようやくナミもゴールをもぎ取った。

 だがそれも、カヤからの狙いどころや力加減への助言があってのことだ。やはり武道と違い、普段使わないボールのスポーツは彼女の身体に馴染まない。運動神経に関して相応の自信のあるナミではあったが、しかしこればかりは鍛え方の違うカヤの助言がなければもっと時間がかかったことだろう。武道と球技では、体の使い方もセンスの発揮の仕方も、まるで違う。そのことを、彼女は改めて実感を持って受け入れた。


「じゃあ、次は神矢さん」

 武道全般は得意だが、基本的にはスポーツという鍛え方をしていないであろうレイジが、若干戸惑い気味にカヤからのボールを受け取る。そのぎこちないボールの持ち方を見て、ナミは、彼の身体がナミ以上に球技と武道の違いに戸惑っていることを見て取った。

 須田兄ィとミドリが「三十路ぃ~」などとお気楽に声援を送る中、まずはカヤからボールの持ち方を初めに教えて貰う。

「はい、基本の構えは……ええっと、足はもっと開いてください。重心はこっちの足そして手の動きに合わせて。あ、そこは解りますね」

「フム」

「とりあえず、一本、狙って、投げてみましょう。お試しってことで」

 フォームは付けてもらったものの、それも付け焼刃といった様子が誰の目から見ても判る姿勢で、彼が力任せにボールを前へと放る。

 思いの外、重たかったのか。あるいは初めて扱うバスケットボールで、狙いを定めるという行為に身体が馴染まないからなのか。ボールは上には飛ばずに、大きく下へと逸れて、遠くへと飛んで行った。

 ナミがボールを拾いに走る。そして素早くレイジにロングパスを投げるが、彼はそれを上手く受け取れない。やはり彼女の推測通り、ボールで遊ぶことそのものに体がまるでついていってないのだろう。

「まあ、もうちょっと頑張りましょう。神矢さんは上背も筋力もあるから、力加減さえ覚えれば、短時間でいい線いける筈ですよ」

 そう言いながら、カヤが更にレイジにポジショニングのアドバイスをつけている。ナミは少し離れて、慣れる様子も無くボールを弄るレイジと、それを簡単なことばだけで指導するカヤを見る。

「じゃあ、もう一歩踏み込んで」

 目測で距離を測り直して、カヤがレイジを結構な距離までゴールに近づけて、シュートをすすめる。

 力任せといった様子で、今度は大きくバックボードにボールを当てて、またもゴールを外す。

「フム」

 少し考えごとをしている、といった表情で、カヤが大きめのため息を吐く。指導をするものの、5、6本打ってもまるでレイジのシュートが決まる様子が無いからだろう。彼女は趣旨を変更することにしたらしい。

「これだと一人ずつしか遊べないし、あんま盛り上がりませんねー……で、パスの奪い合いなんてどうです? ゴールは無しで。4人なら2人ずつでペアが組めますし」

 カヤが身振りだけでナミと須田兄ィを呼び寄せ、そう提案を出してきた。

「つか、カヤちゃんねーさんだったら、1対3でも勝てねぇんじゃね?」

 娘に倣った言い方でカヤに呼びかけながら、須田兄ィが言う。

「まあ、それでもいいですけれどもね。でもせっかく偶数ですし。まずは同じ頭数で組を分けましょう」


 それから、最初は女子高生コンビ対おっさん2人チームの対戦で、パスとドリブルだけによるボールの争奪を開始する。身長とリーチで圧倒的に不利と思いきや、身軽さとボールへの慣れからか、これはナミとカヤ、女子高生チームの圧勝で終了する。レイジは当然のこと、須田兄ィすら全くボールに触れない。男性陣は、2人とも高身長や腕のリーチがまるで活かせていなかった。機動力、機敏性をきちんと持ち合わせているにもかかわらず、である。

 次いで、風見家チームと須田&カヤチーム。だが、カヤのボールさばきの見事さと、逆にボールに不慣れなレイジの足の引っ張り具合で、これもカヤのいるチームの圧勝となる。ナミが辛うじて何度かパスをカットすることはできたものの、ナミからレイジへのパスがさっぱり機能しなかった。

 父親が勝ったことに気を良くしたのだろう。応援団となったミドリとサエの2人が、かなりハイになっている。だが、歌っているのは、「あつくたぎるー、せいぎのち・し・おー」などという歌詞の『にゃんこロイド』の歌であったが。

 そして今度はリベンジとばかりに、ナミと須田の魔力持ち組、そしてカヤとレイジという魔力無し組が対戦する。だが、これは「試合」にならなかった。というのも、ボールがカヤ一人に独占されてしまったからだ。ナミが何度かカットに成功し、須田兄ィに繋ぐも、すぐにカヤに奪われてしまう。だが、そのパスの先にレイジがなり得ない、といったところだ。


 はあはあと肩で息をしながら、4人が集まった。

「須田さんはセンスが良さ気なんですけどねー。もうちょっと先を見るようにすると、すぐにボールの支配率がアップしますよ。機動力というかスタミナもあって、優位性が高いですから」

「そうかなー、カヤちゃんねーちゃん」

「ええ。あと、神矢さんは、もう少しボールそのものに慣れるしかないですね」

「あ、ああ」

「カヤちゃん、わたしは?」

「カザミンは、もうちょい足を本気で使え! 手ェ抜くな」

「抜いてないよ!」

「じゃあ、もう少し頭使え!」

「はいはい」

 頭使ってるつもりなんだけどなー、とナミは続けるが、

「てか、あんたの動きは先が読みやすいのよ」

 などと、カヤちゃんが再度のダメ出しをしてくる。

 次の遊び方をどうするか、カヤが悩んだ素振りを見せていると、須田兄ィが、ふと思いついた、といった表情で声を上げた。

「カヤちゃんねーさん、次、魔力ぶっこみアリってのはどう?」

「ブー」

 須田兄ィからの魔力行使つきのバスケの遊びの提案は、親指を下に向けたハンドアクションつきで即座に却下される。

 それはこの和国における日常からすれば当たり前の意見でもある。魔力無しが人口比として圧倒的大多数を占めるこの地球で、魔力持ちによる魔力行使は、魔力無しにしてみれば不公平さの具現でしかない。

「ちなみに須田さん、魔力を使った場合、運動量ってどのくらいアップするものなんですか?」

「んー、俺は男だしそんなに魔力での底上げはできないなー。トータルで一割行くかどうか、ってとこ?」

「一割って、大体どんな感じですかね?」

「バスケだと、スピードの方に振り向けるか、ってなところだな。拳道みたく筋力につぎ込んでも意味ねぇから。でも、慣れてねぇ動きだし。あまり魔力注入しても、どってことねーなー」

「ふーん。カザミは?」

「わたし?」

 ぼんやりと、あまり意識せずに2人の会話を聞いていたナミは、少しだけ思考を巡らす。

「たぶん単純な魔力だけなら、女魔女おんなまじょのわたしの魔力の方が上。ここで魔力探知器を鳴らさないレベルで上乗せするなら、やっぱり脚力に向けるわ。カヤちゃんのボールのカットとかドリブルの維持とかを狙って」

「ふんふん。カザミンの方が須田さんよりも確実にスピードアップしそうね」

「そうかもねー。でも、すぐにお腹すくからなあ、あんまり魔力投入する気にはなれないわ」

 やってみる? と少しだけ水を向けて見るが、先程と同様、カヤは即座に「却下」と一言でそれを切って捨てた。ナミの左で、魔力無しの大男が頷いている身振りが伝わってくる。

「そうはいっても、慣れない動きに魔力を無駄に通しても、結局脳の処理が追い付かないからなー。球技やってる魔力持ちだと、それ、全然変わって来ると思うんだけど」

 ナミも本気では無かったので、一応のフォローとばかりに、不慣れな競技に魔力行使はあまり意味がないことを、カヤに改めて伝える。

「ふーん、あんたらも何かと大変だね」

 カヤが、自身のよく知らない、実感の持てない魔力行使の話だからだろう。今一つ飲み込めていない表情で、ナミの話に小さく頷いていた。

 そうして少しばかり考えている顔つきで、3人の顔を見渡しながらカヤが次の遊び方を提案してくる。

「じゃあ、こうしましょ」

 やはり1対3で。須田兄ィが最初に提案した通り、カヤ対残りの3人、といった戦力分配で、ボールの奪い合いをするということになった。


 この人数比であれば、ようやくまともに対戦形式が成立した。

 しかしここでカヤのスピードについていけるのは、ナミと須田兄ィの2人である。スタミナもあり足も決して遅くは無い筈のレイジは、ここでも殆ど絡むことができない。ナミの観察から判断した限りでは、バスケ独特の動きの特徴と、そのボールの動きそのものについていけないらしい。むしろ球技に親しんだ順といったところで、ナミの喰らいつきでカヤの足止めが成立し、須田兄ィがその隙を狙う、といった動きになっている。そしてようやく、だんだんと、レイジが更にもう一人のフェイント要員として機動することでカヤを止められることが理解できると、後は早かった。ナミにカットされ、須田兄ィにカットされ、とカヤのボール支配率が徐々に下がっていく。

 4人とも汗だく、かつ息を切らせるようにして、しかしようやく試合として成立しそうな感じになったところで、コートの外からサエが大きく手を振って4人に声を掛けていることにカヤが気づいて、残る3人を止めた。

「はい、じゃあ、ちょっと休憩。いい感じになってきたから、次もこれでいこうか」

 そう言って、カヤが軽い足取りのまま、皆を止めたサエの方へと向かって行った。

 ハードな動きに4人ともかなりヘトヘトだ。しかし乱れた後でも呼吸を整えることが習慣化しているからだろう、まずはレイジから落ち着きはじめ、そしてすぐにナミと須田兄ィも、まだ荒れ気味なものの徐々に落ち着いていく。

 その須田兄ィは、呼吸を整えながらも足早に娘のもとへと向かい、その小さな手を取って今の試合の自慢をしている。

 カヤは流石に最後が3対1ということでかなりの運動量を強いられたからだろう、服も髪も汚れることを気にせず、サエの足元に座り込んだかと思うと、その場で大の字になって転がった。

 するとサエが、

「サキちゃんから電話があった、っぽい」

 と、彼女の携帯を振りながらサエ、そしてナミたちに話しかけてきた。

「応援に夢中で、気づかなかったんだけど」

 彼女の申し訳無さそうな顔へと小さく笑って、まだ少し息を切らせ気味のナミも自分の携帯を引っ張り出す。見ると、電話を受けていたのはサエばかりではないようだ。今から2分前の時間に、携帯の着信履歴にサキの名前が出ている。

「うわ。サキのバイト、休憩時間が短かったらどうしよう」

 ナミは呼吸が整わないままであることも忘れて、素早く折り返す。


 呼び出し音が短く鳴り、すぐに相手は出てくれた。

「あ、サキ、ごめん。気づかなくって」

――ザカミ? 何なの、あのメール――

 明らかに笑いを堪えている声で、電話口からサキのハキハキとした元気のいい声が返って来る。

「今、みんなでバスケしてたとこ。今日の面子はメールの通りよ。休憩時間大丈夫?」

 ――うん、時間はまだ何とかなる。っていうか、カヤちゃんたちも一緒か。そりゃいいや――

「っていうか、あんた、カヤちゃんに何、言ったのよ」

 ――いや、この間の晩、あんたに話したこととあんま変わらないけど――

「こっちはお陰で、ウチの使い……レイジを、あの子たちに紹介する羽目になったわよ」

 ――あらら、まさかあんたんチに突撃するとはねー。カヤちゃんらしいけど――

 今度はクスクスという笑いが聞こえてくる。

 ――でもまあ、レイジさんのこと、殆ど話はしてないから。あんたも、きちんと彼の秘密は守ってやんなよ――

 サキの返事に、ナミは一瞬、ことばに詰まる。

 サキのその助言は至極尤もなことなのだ。彼の「秘密」を共有している人物は、とても少ない。そしてそれは、これ以上増やしてはいけない。ナミは小さく頷くと、話を切り替えてサキに先を促した。

「解った。ありがと。で、テレビの観覧とプロモビデオの撮影? それの争奪戦になりかかってたんだけどね。サキ、あんた、もうどっちに譲るか決めてるの?」

 ――いや、カヤちゃんとレイジさんとでウマが合って一緒に行ってくれたら、って思ったのは事実だけどねー。でも、メールからすると無理そうだねー――

「そりゃ女子高生とおっさんだもの。無理に決まってるでしょ。目的もアイドルと時代劇、それぞれバラバラなんだから」

 おっさん、と言った瞬間、いつの間にか普段通り彼女の左に佇んでいたレイジがピクリと反応するが、ナミもまたいつも通りにそれを無視する。

 ――うーん、レイジさんに知られてなかったら、そのままカヤちゃんに行って貰ってもいいと思ってたんだけどなー。彼女、バラしたか――

「そういうこと」

 そう電話口で言いながら、ナミは目でカヤを探す。彼女はいつの間にか、小学校の校舎、その壁面に設置された水道へと向かっていた。電話を傍で聞いていてもしょうがないという判断なのだろう。既に彼女は水を飲み、顔や手足の汗を流している。

 ――まあ、そっちで結論出してくれたら、私はどっちに譲ってもいいんだけどねー――

「でも、バスケは試合どころか勝負にもならなかったし」

 ――ハッハッハー、まあそうだろうねー。カヤちゃん相手なら――

 電話口のサキは、楽しげだ。

「それはそうと。あんた、お父さんの件とか家のこととか……どう?」

 ナミはもう一つ気にかかっていたことを、時間があると言っていたサキのことばに甘えて、確認がてら話題を切り替えた。

 ――ああ、あの翌日警察行ったでしょー。あと弁護士の対応とか、いろいろあるけどねー。一応軽犯罪とはいえ刑事事件だから、ちょっと大変。だから、こっちはテレビ番組の観覧どころじゃないわ、マジで――

「辛かったら、こっちにも言ってよ、ねえ?」

 思わず、ため息が漏れそうになって、ナミは電話の先にいる親友にそれを悟られまいとばかりに張りのある声で安心しろと呼び掛ける。

「なんなら、また泊ってくれてもいいから。どうせ10月のテスト期間まで、学校はそんなに忙しく無いし。なんなら、平日のお泊りでも。この間みたく、さ」

 ――……カザミ、ありがと――

 ポツリ。そこで、2人の会話が途切れる。

 ……確かに。彼女は今、深刻な問題に直面している。学校に通いバイトに行きながらも、更にその合間を縫って逮捕されている父親への対応も強いられているのだ。TVの観覧どころではないに決まっている。

「わたしに、何かできること、ない?」

 ――ハハッ、大袈裟だなあ、カザミは――

 しかし電話口の親友は、こちらに対して殊更、心配するなと逆に元気な声をつくってくる。表情はわからない。けれども、きっと、それは彼女の見栄もあるはずだ。ナミは自分の親友のその心情を、手に取るように理解できた。

 ――そうだなー、美味しいごはんが食べたいよ、カザミ――

「美味しいごはん?」

 サキ自身は、料理を殆どしない。話によると、従姉妹兼保護者、現在のサキの家主であるアカネも似たり寄ったりのようだ。2人ともコンビニ弁当が続いてもあまり気にならない、といったタイプでもある。野菜不足が気になると、キャベツやセロリといった食べやすい生野菜を大量に食べるらしい。

 しかし少し前まで実家で専業主婦だった母親がかかりっきりだったサキの事情を、ナミは思い起こす。そして彼女の母親は、なんだかんだと割と手の込んだ美味しい料理を作る人でもあった。そのことをナミはぼんやりと思い出して、少しだけ思考を巡らせる。

「……サキ。あんた、次のバイトの非番の日、いつ?」

 ――えっと……シフト確認する、ちょっと待ってて――

 電話を保留にはせず、恐らくは電話を顎と肩で支えたままらしい音が、電話の先から聞こえてくる。バイト先にでも掲示されているシフト表を見ているのか、自分の手帳でも捲っているのだろう。そう、ナミは音から聞き取った。

 ――あ、今度の土曜日は暇だよ。大学生の先輩方がまとまってシフトに入ってくれてるから、高校生組は少し余裕貰ってる。丁度私立高のバイトの子が試験直前だから休みたいって言う、それに便乗したっていうか……――

「その日、あんた、空けられる? もしなんだったら、アカネさんも」

 ――そうだなー。ま、考えておくよ――

「いや、できたら即決して欲しいんだけど。カヤちゃん、サエちゃんもいるこの場で決めたいから」

 ――へ? 何を?――

「あんたに、美味しいごはんをご馳走するわ。それで、どう?」

 何を言っているんだろう、といった沈黙と、続くため息が電話の先から伝わって来る。そこでナミは、今思いついたばかりのアイデアを、さっくりとサキへと伝え始めた。



――座標軸:風見ナミ


「ミドリちゃん、いざとなったら、お父さんの所か、風見のおねーちゃんの所に逃げ込むんだよ」

 サエが、ミドリに何度もアドバイスをしていた。その後ろで、カヤもウンウンとやや深刻な様子で頷いていた。

 ナミとサキの電話が解決し、「対決」の中身が決まったところで、須田が帰宅をほのめかした、そのときである。

 風見の居間でのミドリの会話から感じられた彼女の普段の暮らしぶりに、サエ、そしてカヤがかなり不安な表情を浮かべていたことをナミは思い出していた。ナミだって、それは同じ気持ちである。

 そしてサエはすぐにしゃがみ込み、ミドリと同じ目線になると、可愛らしくも穏やかな声でミドリへと喋り始めた。


 なんでも、ナミの通っていた中野中央小学校では無かった授業なのだが、サエ、そしてカヤの通っていた小学校では「CAPプログラム」なる子どもの『自立支援』の特別授業があったのだという。これは、痴漢などの犯罪、あるいはいじめといった行為に対して、子ども自身の自律と内面のモチベーションを力にすることで、それらの行為を未然に防ぐ、被害を最小限に食い止める、といったものらしい。

 これは、この日ナミも初めて聞いた話題である。珍しくて、彼女もまたミドリと一緒になって頷き続けていた。

「嫌なことを言われたり、嫌な人に触られたりしたら、その場できちんと『嫌』って言うのよ。はっきりとね。それでね、それでも止めてくれなかったら、すぐにその場から逃げるの。決して、相手をやりこめようとか思っちゃダメ」

「そうそう、もっと酷い目に会うかもしれないから、まずは距離を置く。離れるってことが肝心なんだよ」

 サエの説明に、カヤも声を重ねる。その声を、サエが再び引き継いだ。

「逃げるってことは別に卑怯だとか、そういうことじゃあないんだから。まずは、嫌なところにいるってことを無いことにするのが先よ、ミドリちゃん」

「うん、わかったー」

 どこまで解っているのかよく判らない顔で、しかし声だけは元気に、ミドリがサエへと声を返してくる。

「それで、逃げたら、なるべく早くに、それを一番親しい大人の人にね、相談するの。『これこれこういうことがあったよ』って」

「英語だと、『no』『go』『tell』っつーんだけどね」

「アタシ、えいごわかんないよー、カヤちゃんねーさん。のーごーてー? ごうていなのー? アタシのおうちはアパートだよ」

 ミドリが、かなり戸惑った顔をしている。

「英語は無視していいわよ、ミドリちゃん。あと、豪邸は関係ないから」

 ナミが助け船を出すと、ミドリの瞳にあった不安の色は大きな安堵の表情へと変わった。そしてすぐに真剣な顔に戻ると、再びサエに視線を合わせる。

「まあ、大丈夫だとは思うけど。お母さんのいないときに、その、ヘンなお兄さんとかが手を出してきたら、とにかく、『嫌だ』『止めて』って言って、すぐに逃げるのよ、ミドリちゃん」

「そうそう、『嫌だ』って言えば、解ってくれる人は、その場でその嫌なことを止めてくれるかもしれないからね。こっちが勘違いしてるだけ、ってこともあるかもしれないし」

 脅すだけではいけないとばかりに、カヤが怖がるミドリの表情を汲み取って、柔らかい声で補足をしていく。

「でも、『嫌』って言っても、悪いこと、嫌だと思うことを止めないできたら、とにかく逃げるのよ、ミドリちゃん。すぐにね。わかる?」

 サエの声は、かなり真剣だ。

「うん、わかるー。でも、かあさま、おしごとでいないときとか、デートでいないときとか、あるよー」

 デート、の声を聞いて、ナミばかりか、カヤとサエが心底げんなりした表情を見せる。

2 人の家庭はどちらも平凡で平和だ。とりわけ、サエの方は両親どころか両方の祖父祖母に至るまで家族仲がとてもいいことを、ナミはカヤやサキと共に傍で何度となく目にしてきていた。その2人の想像のつかない程の劣悪な環境なのか、という不安が過ったのだろう。カヤが再び声を強く、しかし柔らかく優しい音色で、その先を続けた。

「逃げるときは、近くの交番でもいいからね。幼稚園だったら先生とかでもいいんだけど。警察に行けば、たとえミドリちゃんが携帯を持ってなくても、おまわりさんが代わって電話をしてくれるから。すぐにお父さんが来てくれるわよ」

「おうよ!」

 娘の大事である。彼は、ことばは明るく、しかし真顔でミドリに声を返す。

 サエ、そしてカヤも、目線を強く、須田兄ィに向ける。須田兄ィは真剣な顔で、それを受け止めていた。

「あるいは、風見のおうちでもいいからね、ミドリちゃん」

 ナミも、強い口調で声を張った。

 須田兄ィもナミと同じように、こうした子ども向けの防犯プログラムの存在は初耳だったのだろう。カヤ、サエ、2人を講師に、急ごしらえの子ども防犯講座が、風見家最寄りの小学校のバスケットコートの隅で展開されていく。

 レイジに至っては、そうした概念そのものが無いのだろう、同じく真剣にフムフムと聞いていたが、時折不思議そうに首をかしげている。和国の犯罪の在りようと、彼の成育歴やその環境とは、ギャップが大きいのだろうか。彼にはイメージが湧かないのかもしれない。


 話が一通り済んだ、というところで、須田兄ィがミドリを抱き上げる。見ると、ミドリはかなり眠たそうな顔だ。この日は運動量も大きかったし、昼寝の時間を取っていなかったことをナミは思い出す。

 そうして、ミドリのことを散々心配しながら、けれどもどこか危機感の足りない顔で須田兄ィが眠たそうな娘を抱き上げると、須田家の親子は帰宅の途についた。


「何も無いといいけどね」

 ぽつり。サエが洩らす。ナミにはまるで無い経験だったが、彼女はひょっとして、かつてそうした嫌な思いをしたのだろうか。

 ふと。ナミの心に、痴漢を嫌い、男子を苦手としている鳴海トモエの美麗な顔が思い浮かんでいた。

「何も無い内に須田兄ィが引き取れるように、とにかくわたしも支援しとくから」

「うん、カザミン、よろしくね。ミドリちゃんのこと」

 ミドリの身内でも無いのに、半日ですっかり打ち解けたからだろう、サエがまるで自分の妹か何かのように、ナミに本気の顔で頭を下げてきた。

「まあ、カザミンみたく世話焼きの魔女さんが近くにいて、須田さんもミドリちゃんももの凄く助かってるんじゃね?」

 カヤはむしろ、軽やかな声色で、ナミの苦労を労うかのように話しをまとめてくれた。

 ともあれ、2人の友人の言う通りである。ミドリに酷いことが無いことを祈るしかないし、場合によってはナミも動くことを想定しておくべきだろう。

 同じ魔力持ちとして、姫魔女の不遇をそのまま放置することなど、彼女の思考の中にはあり得ない。同時に、あの姫魔女に何かあろうものなら自分は絶対に許せないだろうと、ナミは腹の底からの想いが湧きあがるのを自覚する。

 そうして暫く、4人で、去って行く須田親子を見ていた。その影が小さくなったところで、サエが時計を見て声を上げた。

「カザミン、私もそろそろ……」

 家族仲のいいサエは、家のことが気になるのだろう。丁度頃愛であるということで、帰る様子を見せている。

「じゃあ、私も」

 そう言って、家の方向がサエと一緒のカヤもまた、ボールをポンポンと巧みに操りながらレイジへと目を向けてきた。

「じゃあ、神矢さん。勝負! ですからね」

 今日のバスケはちょっとばかり私の圧勝でしたし。

ことばの矛盾も気付かず、彼女は小さくそう付け加えた。対する、左に立つ大男は、悔しげな顔をしている。ナミはそれを見て噴き出さないようにと思いながらも、頬が緩むのを隠せない。

「ああ、屋ノ塚サン、負けませんからね。ワタシこそが『犬侍』ファンに相応しいのだと、葉山サンに認めて貰いますから」

「いや、認めて貰うとかじゃなくって、要はサキちゃんを満足させるってことで。私も頑張りますからね。正々堂々といきましょう」

「ああ」

「それでは!」

 そう言って、まるでスポーツのライバル同士のように爽やかな声を交換する。高校生とおっさんの2人は視線を合わせると、再会を約束して別れていった。

 学校から一番家が近い風見の2人は、少女たちを見送るようにして、まだその場に残っていた。ナミが首を上に向け、空の色を見渡す。既に陽は傾いており、色も少しばかり夕景へと移り始めている。その色の変化に意外と近い夜の気配を感じて、2人は家へと向かってゆっくりと歩き出した。

「……しかし、ナミ」

「何よ、レイジ……兄ちゃん?」

 バスケのことでしょげているのか、あるいは決まった「勝負」方法の中身に不安を覚えているのか。彼の表情を見て、ナミは呼び掛けをより親しい言い方へと変えて声を掛けた。

「……ナミ、あの、だな……ところで。ワタシは、たまねぎのみじん切り、ができないのだが。大丈夫だろうか」

 そう。彼は、不安そうに眉を顰めて、小さな声をボソリ、と洩らした。



(続く)

猫の状態が小康を保っているので、

気晴らしにこちらのアップをしてみました。

まあ、まだ予断は許さないし、只ノも何かと猫に時間とエネルギーを取られているのですが。


今話の最後の最後で、ようやく「たまねぎのみじん切り」と、キーワードが出ました。

まあ、やっぱり使い魔はみじん切り担当なんだろう、ということで次回に続きます。

お目通しありがとうございました。次もまたぜひ、ご贔屓に。ではまた。(只ノ)

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