03話/「童貞! 元気ィー?」
ようやく第3話です。本作本命の役者が登場します。
彼女の登場で、大体の役者が揃いました。
それと終盤、重要な脇役たちも到着しました。
さて。
――09月18日(土曜日)/座標軸:風見ナミ
「カザミン。相変わらず色気の無い格好してんのね、あんた」
中学時代から変わらない声色。変わらない呼び名。その懐かしい呼び掛けと共に、友が軽い憎まれ口を叩く。前に会ったのは夏休みの前半だから、大体1月半振り。そのときは家ではなく、西乃市の市街地だった。
そして彼女は振り返る。中学の終わりからこのかた、この懐かしい友人、いや正確には友人たちは、この家を訪ねて来てはいない。高校の新生活が忙しかったこともある。ただ、それよりも前、既に中学最後の頃から、この3人で会うと言えばいつも外でという習慣になっていた。そう、風見ナミは思い返す。
そして。
彼女たちには、今現在存在するこの家の下宿人、もといナミの使い魔となっている「神矢レイジ」の存在を知らせていなかった。つまりは、ナミは後手に回っていた、ということにたった今、気がついた。
だのに。
「彼女たち」が今居る場所は、風見家の玄関、その真ん前だ。
バスケットボール一つを持って立っている髪の短い女子高生は、屋ノ塚カヤ、その人である。刈り上げに近い短い髪は、盛夏に会ったときとほぼ変わらない。男性アイドルグループ「テトラ・ポッター」の「ナントカ君」と同じ髪型にした、と言っていた、そのままだ。だからきっと、彼女の崇拝する男性アイドルの「ナントカ君」も、すげ変えられてはいないだろう。気の変わり易い彼女にしては、今回のファン対象は意外と長続きしている。そんな間抜けなことを思いながら、ナミは正面の「少女その一」を眺める。
その隣には、綺麗なセミロングの髪をゆるふわで整えた、やたらとお洒落に気合いの入ったメガネ少女、江坂サエも佇んでいる。高校に進学してからというもの、お洒落度を上げている彼女は、8月のときとはまた別のお洒落なメガネ、お洒落なバッグを手に、短いスカート丈を自慢気にフリフリさせている。鞄一つなくバスケットボールだけのボーイッシュなカヤとは正反対すぎる身振りと着飾りっぷりだ。だが、魔力無しの少女であるサエは、メイクも服装もバッグもお洒落はきちんとしているものの、特にこれといったアクセサリーを身につけてはいない。
そこはカヤも同様だ。
どちらも、魔力無しらしいといえばらしい。衣類には無頓着でありながらも魔力持ちとして宝珠を絶えず身につけ、更にはコロンを纏う習慣のあるナミとは、お洒落の幅や求めるものが根本的に違うからだろう。
招いてもいない、不意打ちで現れた2人の仲良しに、ナミは動揺していた。しかしそれを表に出すまいと、思わず自身の身体に纏った宝珠の位置を指で確認して回る。両のピアス、左右の指輪、そしてひときわ大きな石の輝く、胸元のペンダント。石はどれも青色の宝珠を乗せている。それぞれの石は、サファイアであったりブルートパーズであったりブルーダイヤであったりブルームーンストーンであったりであったりと、素材そのものは違ってはいたものの。
「急に押し掛けて悪いわね、カザミン。でもさ、サキちゃんから聞いたもんで」
サエがお洒落メガネの奥に小悪魔チックな笑みを浮かべて、そう言い放つ。
何を、だ。葉山サキ。あんたは何を、彼女たちに告げたのだ……そう、ナミは自分の内心に浮かぶ親友の顔に、憎々し気な声でことばを掛ける。
彼女たちを召喚する要因となった葉山サキは、この場にはいない。家庭の事情で勤労高校生と化した彼女は、土曜の午後などバイトに決まっている。焦る表情を顔に出すまいと必死になりながら、彼女は目の前の2人にどうことばを紡ぐべきか、思考を巡らす。
いずれにせよ、この2人は中学時代も家に泊りに来る程の仲の良さなのだ。ここで無碍に追い返すという選択肢は、付き合いの深さからして有り得ない。
「まあ……立ち話もなんだから。上って」
観念して、ナミはこの友人2人を家に上げることにする。
猫の無有はと言うと、当然の如く、急な来客の気配に恐れをなしてとうに逃げ去っていた。変わらずの臆病さ加減だ。
そして居間には、猫とは違い、逃げ遅れた彼女の使い魔こと神矢レイジが、ひっそりと、腰を抜かしかけつつ、ソファに座っている。
――どういうことだ、ナミ?――
そう念話で話しかけてくる彼は、その顔色を見る限り、まだナミよりも冷静さを保ってくれていたようだった。普段から不機嫌一歩手前の無愛想な顔つきをしている強面の男でもある。表情にだけは、その動揺を出していないことは褒められる。
しかし彼が内面で抱く動揺の念もまた、しっかり同時に伝わって来る。
――どうもこうも……不意打ちよ――
諦めた顔で、ナミもまた使い魔へと念話を飛ばす。
だが、よくよく考えれば付き合いそのものはカヤとサエ、2人の方が、この目の前の使い魔よりも長いのだ。そのことに気がついて、彼女は冷静になろうと、静かに深呼吸をする。3年近くの付き合いなのだ。何とか説得に当たれるだろう。
一方。普段通りに遠慮も何も無く、2人の客人は1階の居間へと足を踏み込んで……ソファにどっしりと座る赤銅色の大きな外国人の男を見て、その場で、凍りついたかの如く、動けなくなっていた。
漸く、カヤが、神矢レイジへの視線を動かすことなく、一声を上げる。
「っていうか、男と一緒に住んでいるだなんて、いつの間にやらかしたのよ、あんた!」
「……っていうか、紹介するも何も、特に深い関係ってわけでも、てか、なんでもないし。ウチの、単なる下宿人だから」
「でも、下宿人を置くような事態になっていたら、先に私かカヤちゃんにメールの一通でもあって然るべきじゃないのよ! しかも、相手は男だしっ!!」
不信だけではなく不満の色も瞳の中に浮かべながら、サエが、カヤの言い分を引き継ぐかのようにして文句を続ける。
「いやまあ、その通りなんだけどね……」
そのとき、2人の少女に圧され気味の彼女に代わるかのように、彼女の大柄な魔力無しの使い魔が立ち上がった。
「ええと、御二方。はじめまして、とご挨拶させていただいて宜しいか?」
その声色は、ナミが思っていた以上に冷静だった。和語が母語ではない彼にしては、いい切り口だな、などとナミは妙に冷静に分析をしつつ、その声色に安心して、彼女は彼にそのまま自己紹介をさせることにした。何かあれば口頭でフォローする、あるいは念話で彼に指示を飛ばせるのだし。そう思いながら。
「神矢レイジと申します。拳道家の神矢家のご支援で、神矢零司の和名通称を頂戴しています。ナミとは数代離れる遠縁に当たります。彼女が幼少の頃、3カ月程同居していましたが、8年ぶりに和国に来るにあたり、遠縁ということでこの春からこちらに下宿させていただいておりまする」
最後の語尾が少し時代劇掛った文言となったが、それはまあよしとよう。
「そうなの。わたしが家族を亡くしてすぐの頃、一時期だけ彼に育てて貰っているのよ」
これは別に嘘では無いから、彼女は彼の言い分を補強するかのように付け加える。
カヤもサエも、彼女の言い分にうんうんと頷いているのは、ナミの過去、幼少時の一時期の記憶に欠落があると知ってのことだ。当時のナミが一時的な保護者を忘れているということは大いにあり得ることだと、納得ができるからだろう。
実際、彼と再会したナミ自身、5歳のときに会った筈の彼とのことは、一切思い出せなかったのだ。今も、全ての経緯を思い出しているわけではない。
「その記憶の欠落に関してもですが、当時の事情を知るワタシが傍にいる方が、彼女の記憶の回復にはいい影響があると、医師からの助言もありまして」
そこで彼女の使い魔が、ありもしない大嘘を、顔色一つ変えずに自信たっぷりに2人の少女へと告げていく。いや、実に大した、堂々とした口ぶりである。
とはいえこれは、元々変化の乏しい表情をしていること、また武道者として鍛え上げてきた体躯の大きさと姿勢の良さから、勝手にそう解釈されやすいという面も大きく作用していることは間違いない。
堂々と胸を張った彼の話しぶりに、ナミもまたきちんと腹を括った。もうこれは、目の前の2人の不信を、なんとしても往なしてしまわなければならない、と。
「それで、こいつも最初は神矢家の方にご厄介になる筈だったんだけれども、風見の遠縁なのにウチが面倒を見ないのはあんまりだってことで。ええ、お医者様の助言もあったし」
ここは、ほとんど嘘である。嘘をつくことに関してあまり得意では無い彼女は、視線が焦ったり泳いだりしないよう、必死にカヤ、サエの2人に視線を合わせて説得にかかる。
しかし返してくる2人の少女の瞳はというと、やはり不信と疑念が拭えている訳ではない。
「残念なことに、彼女の方は9年前のワタシの保護のことを殆ど覚えていないのですが、ワタシの方はと言いますと流石に懐かしいし、よく覚えていますから」
そう言って、普段は無愛想なこの男が、ここで珍しくも愛想笑いを浮かべた。
「神矢レイジさんは、あの神矢君……っていうか、拳道の道場のお弟子さんなんですか?」
可愛らしい声で質問を返してきたのは、サエの方だ。苗字から意識がいったのだろう。いい着眼点だ、とナミはサエの冷静さを密かに褒めた。連想したのが神矢家の拳道の道場よりも、先に中学時代の同級生の苗字だというところも、彼女らならば仕方が無い。
「はい、そうです。以前和国にいたときからですから、もう9年程は」
「でも、魔力持ちじゃあないんですよね?」
こっちのツッコミは、バスケ少女のカヤである。
その質問にも、彼は頷いて、更に滔々と自身のライフヒストリーを嘘半分、真半分で話を続ける。曰く、両親も彼同様、魔力無しであること。曰く、しかし自身の母方の遠縁には魔力持ちがいること。曰く、その遠縁がナミの母方と遠く血の繋がりがあること。曰く、9年前の来日時、丁度ナミは家族親族縁者全てを喪ったタイミングで、遠縁とはいえ血縁の関係から神矢家ではなく彼が3カ月程面倒を見ることとなったこと。曰く、しかし諸事情でナミはそれを覚えていなかったこと、曰く……云々。
その内、事実に分類されるのは、彼の両親が魔力無しである、という最初の部分と、一時的に3カ月間だけ2人きりとなったこと、そして最後のナミ自身の記憶の喪失の部分だけである。合間、隙間、といった細かい部分に真の話をするりと忍び込ませて、彼が思いの外、説得力のありそうな話を即興で拵えていく。
少なくとも、この春先に葉山サキにレイジの存在がバレたときのあの継ぎ接ぎの、御世辞にも説得力があるとは到底言い得ない説明のときと比べると、2人の嘘は大分上達していた。
だがしかし、目の前の2人の少女はというと、相変わらず「コイツ胡散臭ぇー」といった表情を丸出しで、目の前の大男を見上げている。
無理もない。風見ナミと神矢レイジ、この2人には、共通点があまりにも少なすぎるのだから。
大柄で赤銅色の肌をした外国人らしい風貌の神矢レイジは、外見の全てに、魔力持ち「らしさ」は一切見られない。勿論、魔力持ちではないのだから、それは仕方がないことだ。赤く染めている髪は短く、また、アクセサリーの類も身に付けていない。
普通、魔力持ちの男と言えば、目立たぬようにしていることが多いとはいえ、魔力の通りを良くする為に髪を伸ばしていることが多い。ナミの知り合いの中でも、男魔女の友人知人の中で、短髪で通しているのはせいぜい1人か2人といったところだ。女魔女に至っては、ロングヘアの同族しか見たことが無い。
それに加えて、魔力持ちたるもの、男女を問わず、ピアスやチョーカー、リングなどのアクセサリーに、自身の魔力と相性のいい鉱石を乗せて、自前の魔力を補助するのがセオリーだ。メンズ向けのアクセサリーに拘りやお洒落を見出す男魔女は案外多い。
だが、彼はそれらのどちらの外的特徴も外している。当たり前だ。彼は、正真正銘の魔力無しなのだから。そしてそれを、彼自身も肯定した。
初めて彼を見たカヤ、サエの2人にしてみれば、彼はただの魔力無しで、魔力持ちである風見ナミとの接点の乏しい、和語を喋ることのできる有色人種の外国人にしか見えないだろう。青い目以外は和国人らしい、そして魔女らしさてんこ盛りの風見ナミとは、殆ど共通点が見当たらないと言ってもいい。普段から魔女としての矜持を誇り、隠さずアピールする風見の親類としては、違和感を振りまき過ぎているといったところだ。
それからも散々、お茶を淹れながら、更にはお菓子をつまみながら、この冬の終わりからコンビを組んだ魔女と使い魔の、似非義兄妹にまつわる話を適当にでっちあげつつ、風見家の2人はなんとか30分近くかけて2人の旧友への説得に当たった。
一応は不満気な顔をみせつつ、しかし渋々といった様子で、2人の客人が落ち着いてきた。
「で。どうしてそれを、この春からずっと黙ってたのよ!」
そう言って怒ったのはバスケ少女、サエの方だった。カヤも、同時に大きく頷いてはいたのだが。
「いや、それは単純に、タイミングを逸していたというか……」
それからまた20分ばかり、ナミが何とか彼女たち2人の説得にあたる。彼女たち、中学時代からの仲良し2人の不満の元は、結局はそこにあったのだ。
そういえば、サキに彼の存在がバレたときも、確か似たような経過を辿ってい筈だ。要は、そんな重大なことを秘密にしていたこと、相談すらされなかったこと、友人として頼られなかったこと、といった感情面のことである。
全く、学習能力が低過ぎだろうと、ナミはそんな自分に内心呆れながら、それでも2人の友人に対して正面から真摯に話を続ける。誤解ではないが、しかし彼女たちに対して影響のある問題でも無いということに関して、これ以上友人による詮索を打ち切らせるためには、そうするしかない。
何より。生きている「人間」を、魔女が使い魔として使役しているなどということが世間にバレでもしようものなら、世間はまた魔女への偏見をあっさりと復活させ、その在りように対して口をきわめて罵るだろう。ようやく魔女関連の法律も社会に馴染み、魔力持ちと魔力無しとの共生関係も上手くいきつつあるという、21世紀のこの時代に。
魔力無しの女子高生であるこの2人にとって、魔女文化では「当然」の習慣となる使い魔の存在が身近でないことは確かだろうから、その連想をされる可能性は低い。加えて言えば、魔女文化においても、今では「人間の」使い魔を使役する魔女などまずいない。だからなんとか、その連想だけは断ち切るように、彼女は思考を巡らせつつ、ことばを綴った。
そうしてナミが必死になって2人の友人の説得にあたっているが、彼女の使い魔はというと、いつものように彼女の左側へと座って、無言を保ちながら、悠々と茶菓子を味わっている。それは、そこから先は己の主たる少女とその友人、その少女間の友情の問題だと読み取って、彼からはむしろ口出しをしない方がいいと飲み込んだからだろう。しかし、真摯な表情だけは崩してはいない。当然、自分が「使い魔」であるなどということは、おくびにも出すことは無い。
しかし。
「ナミ。そろそろ『あっち』の客人たちが来るぞ。いいのか?」
時計を見て、そう彼女に注意を促してきた。
「あっち」とは、今日の午後に予定のあった来客たち……須田家御一行様との約束のことだろう。2人の少女たちが落ち着いてきたと見て、彼がその話題でやんわりと2人の来訪を終らせるか、あるは用件を早くに済ませようと促してのことらしい。
だが、自律も自活もしているとはいえ、10代の少女の一人暮らしという立場の風見の家に、遠縁という触れ込みの馴染みの無い男が急に同居しているという状況に、古くからの友人である2人は、あまりきちんと納得をした様子は無い。不満の表情はだいぶ薄らいではきていたが。
そうして、どうやら本当に2人の間には大した問題は無く、遠縁でありつつ尚且つただの下宿人程度の関係に過ぎないと見て取ったからだろう。2人の少女はこれ以上文句を言わないこと、当面はダメ出しをしないことを、ぶちぶちと返事を返してきた。
尤もこれは、ナミ自身の特性も大きかったはずだ。下宿人が拳道の武道者であるのと同様に、彼女自身も拳道の有段者であり、尚且つ魔女である。何かがあれれば拳のみならず魔力を使っての実力行使も可能な立場である。カヤ、サエ、2人の少女は、別の意味でナミのことをよく知っている、理解のできている人物えはあったのだ。
それにまた、相手の大柄な外国人が、見た目もパッとしない、妙に生真面目な印象の、地味で武骨な中年……だということも、それを後押ししているに違いない。年齢が離れ過ぎている上に、女たらしには程遠い外見だ。ナミはそう判断する。
勿論、28歳のこの使い魔を「中年」「おじさん」「おっさん」等々といった扱いをすると、普段は表情を抑えているこの男が、誰が見ても判るくらいに憮然とし、猛然と抗議をしてくるのは、常である。しかしそうはいっても、女子高生からしてみたら、20代後半はもう「おっさん」の範疇である。そうした年齢差が、まだ第三者的には、2人の距離感に役立っているであろうとナミは踏んでいた。だからおっさん、と呼ばれても文句を言わないでくれ、と内心で彼女は詫びてもいたのだが。
「ナミ、須田たちが来たらどうするかね」
彼が促したのは、新たな客人をどうするか、今居る客人との話をどう引き継ぐか、ということだった。
「須田兄ィたちの相手、あんた1人で大丈夫?」
「できたら1人での対応は避けたいところだが。須田本人は放置しても無問題だろうが、姫魔女はワタシにはぞんざいだし、君の方があの子どもの扱いが上手い」
「でしょうねえ」
そこに、カヤが割って入る。
「ごめん、カザミン。今日はお客さんが来る予定だったんだ」
だから玄関を無警戒に開けてしまったんだけど、とはナミは言わないでおいた。
「まあ、いいのよ。いつかはあんたたちに『神矢レイジ』を紹介しておかなきゃってのはずっと思っていたことだったんだし」
ああ、頭が痛い。片や、使い魔契約の事情を打ち明けることなど絶対にできない、魔力無しの普通の友人たち。片や、悩みごとがてんこ盛りの同族の家族の、そのごたごたが持ちこまれようというこのタイミング。それらが、同時進行となるわけか。彼女は、自身の眉間に皺が寄るのを自覚する。
「これから来るのは、ご町内のわたしの魔力持ち仲間なんだけどね……まあ、既婚者なわけよ。で、今の連れ合いと、連れ子とのウマがあわなくてねー、その子どものご機嫌を取ろうと必死なわけ。その子どものお気に入りの巡回先の一つが、ウチってことなのよ。で、今の連れ合いとその子が馴染み次第、父親は子どもを中野町に引き取ろうって思ってる、って訳ね」
「ふんふん」
「それ、私たちもその子と一緒に遊んでもいいんじゃね?」
先に可愛らしくうんうんと頷いたのは、お洒落少女のサエの方で、後者の提案はバスケ少女のカヤの方だ。ボディランゲージで手にしたバスケットボールを正面に掲げ、無言で「ボール遊びもできるよ」と得意気な顔で告げている。
「その子、テレビとかよく見る? オレンジャー系アイドルとか、好きかな?」
カヤが、ボールを巧みに操りながら、尚も質問をたたみ掛けてくる。
因みに「オレンジャー系」とは、「オレンジ・ナイン」という芸能プロダクションの呼称から派生した言い回しである。
「オレンジ・ナイン」とは、若い男性ユニット、男性アイドル等を多数輩出する芸能プロダクションで、若い男性人気タレントと言えば「オレンジャー系」というのが定番となっている。略称としては、他にも「オレ系」「オレ様」などの言い方も世間では散見される。
芸能プロダクジョン「オレンジ・ナイン」は、どちらかというと芝居、演劇よりも歌謡の方面に力を入れている。歌やダンスをしない「オレンジャー系」タレントは、まずいない。カヤちゃんが御執心の人気アイドルグループ「テトラ・ポッター」も「オレンジ・ナイン」に所属している歌手グループというのが大枠のくくりである。
芸能界に疎いナミでも、流石に普通の女子高生としてその程度の一般常識はある。
だが、彼女の左に控える使い魔はというと、その用語がどうもピンとこないようだ。
当たり前だ。
彼は外国語である和語理解に対する限界もあり、時代劇関係のテレビと、あとはせいぜい時事ニュースにしか興味を示さない。和国の滞在歴と言えば、9~8年前の1年強の期間、そして今年の2月からの半年程度である。大学時代の専攻たる「和国文化論」を含め、彼の言う和国文化の軸は、興味も学問も文字通り「時代劇」や和国の近世文化、あとは政治的な「多文化共生」といった概念が中心である。
しかし、現代のポップカルチャーの一つでしかない「オレンジャー系」についての説明はあまり重要ではないと見て、彼女は彼の疑問はそのまま流して客人との会話を優先させることにした。
「その子、まだ5歳よ。あれ、今年6つになるのかな?」
ナミが家族を喪い、同時に記憶をも失った頃と、本日来訪予定の姫魔女の年頃は一致している。レイジの助けを得て多少は当時の記憶を取り戻してはいるのだが、それもほんの一部でしかない。従って、当時の自分を振り返ってその年代の子どもの魔女がどういう傾向にあるのかといった類推をするには、彼女にとっては判断材料が足りない。
「幼稚園児かー。じゃあ、流石にちょっと『オレンジャー系』は早いね、きっと。相当のおませさんでないと」
カヤはそう言って、手元のバスケットボールを更に突き出して、ボール遊びを言外で再度アピールする。
「あ、でも神矢家の息子には懐いてるけどね」
そう、ナミが無意識のようにポロリと口にした瞬間。暫し、沈黙が居間に降りた。
「え?」
「ゲ」
これも、最初に可愛らしく疑問符を投げかけたのはサエの方で、後者のややえげつない発音で声を返してきたのはカヤの方だ。
「あの、神矢、悟朗、を?」
信じ難い、といった表情でナミに顔を向けたのは、カヤだ。サエは、表情だけで悶絶している。
「うん、そう。どういうわけか」
「えー、アイツにモテ期が来たってコト?」
信じ難い、という表情を貼り付けて、サエがようやく声を発して来る。
「うん。どういうわけか悟朗を気に入ってるのよね、あの子」
うんうん、と左隣で彼女の使い魔が大きく頷いている。
神矢悟朗、とはレイジの師匠であり、ナミの後見人の一人でもある神矢老師の、年の離れた末の息子である。年齢はナミと、今この風見家にいる客人の2人の少女たちと同じ。高校1年生で、彼女たち3人とは中学が同じだ。その意味で、神矢悟朗はこの部屋に座る3人の少女いずれとも面識がある。
そしてその神矢悟朗の女子同級生からの評価はというと、「地味」「いい人なんだけどね、でも」といったところだ。剣道の腕以外にこれといって目立つところはなく、人の良さは誰もが言うものの、どこか間が抜けている性格と、空気を読まない神経の太さが群を抜いている。また、一般的な評価としては、頭の回転に関してはあまりいい物を持ち合わせていないものと見做されており、更には丸顔が多少個性的という以外は中肉中背で、外見的にも人目を惹く特徴や魅力には大きく欠けている。強いて剣道以外の長所を取り出せば、短所らしい短所が無いという人畜無害さが最大の褒めポイントとなるというくらい、モテからは程遠い平凡な男子高校生である。古めの和語で形容すると性格面を含めて「昼行燈」というのがいちばんしっくりくる男子かもしれない。
中学時代の彼を知る少女2人の反応は尤もでもある。ナミも、どうしてあの須田の娘、姫魔女のミドリが魔力無しの高校生でしかない悟朗にああも幼い恋心を抱いているのかというのは、最近の謎の中でもかなりの上位を占めていた。悟朗の成績で、この地域きっての進学校であるナミの高校、公立西乃市第二高等学校に進学できたということと同レベルの、大きな謎である。
「なら、神矢に面倒を見て貰えばいいじゃん、その子の」
「いや、悟朗は今、土日は殆ど剣道で家、あけてるし。多分今日も学校で剣道じゃないかな。よく知らないけど」
須田兄ィが神矢家ではなく風見の家にしか予定を入れていないことを考えると、そう考えるのが妥当だろうと、ナミは憶測のままに事情を簡潔に伝える。
9月、2学期に入ると、1年生である神矢悟朗はその素質と努力が認められ、高校の剣道部の中で唯一の1年生のレギュラーとして抜擢された。その為、平素から剣道に入れ込んでいたこの冴えない幼馴染みは、益々剣道に比重を置いた生活にシフトしていた。
「あー、あいつはそうかー。剣道続けられるんだっけ」
そう言った、カヤの言い回しに、ナミはどこか寂しげな声を読み取る。
「あいつは」ということは、「あいつではない誰か」は、剣道を続けられなかった……そのことに、ナミも、またカヤ、そしてサエもまた、思い当たる人物が一人だけいる。恐らく全員がそのことに思い至ってだろう。場が一瞬、静かになった。
「……サキ、今週、会ったけど」
暫くの間を置いて、ナミはその当該人物の話題を上げる。
「でも、サキちゃんのお父さん、今週、見つかったんでしょ」
意識して明るい声を出したのは、サエの方だ。
「うん、らしいし。体調含めてほぼ無傷、無事だったって話のようだから」
サキは、この2人に、家のことをどこまで話しているのだろう? ナミには見当がつかなかった。
親友と言える風見ナミと葉山サキの間ほど、この2人の少女は葉山サキと懇意にしている訳ではない。仲は良いものの最後の一線は引いている、といった間柄の筈だ。そして見栄っ張りのサキの性格からすると、夏の一家離散の話も、どこまで彼女たちにきちんと話をしているのかは読み取り難い。父親の不倫や借金といったその背景に触れていないか、更にはその父親の安否確認が警察絡みだということも伏せている可能性はある。
それこそ、彼女の左に佇む外国人の使い魔の方がその事情には詳しいかもしれない程だ。
尤もそれは、逆に言えば、彼が知られているとは思わないようなことまでも、葉山サキは「神矢レイジ」の事情を程度知っているということと、鏡のような関係でもある。
「これで家に戻って、家族5人、やり直せればいいのにねえ」
ふんわりと可愛らしい声で、サエがサキへの心配を続ける。
流石に、彼女の家に不具合が生じており、従姉妹の許に身を寄せて、挙句バイトに明け暮れ、学校は辛うじて続けられるものの剣道を断念していることくらいは、この2人だって知っている。
しかしそうした深刻な話題に話がスライドしそうになったそのとき、家の固定電話が鳴った。
「ナミ、きっと種馬だ。ワタシが出る」
彼女の大柄な使い魔が、須田兄ィの蔑称とも言うべきニックネーム「中野町の種馬」を略しつつ、電話の対応に向かってくれた。幸い、2人の客人の少女には、その言い回しは聞き取られなかったようだ。下品なそのニックネームは、須田兄ィの名誉のためにも、できればこの2人には知られない方がいいだろう。きっと。
「お客さんは、お父さんと子どもさんなんだよね? 一緒に遊んでも問題無い?」
「うんまあ、多分。子どもはそれほど人見知りしない方だし。父親の方も、人当たりは悪く無いけど。でも、下品よ、ちょっと」
「下品?」
「まあ、下ネタは得意かもね」
「それだったら、こっちは大丈夫。ボールもあるし」
と、再度、またもグリっと大きなバスケットボールを軽々と扱って、カヤがニヤリと笑った。何故ボールがあると大丈夫なのかは判らない。セクハラ等の対策としてぶつける為の武器なのか、あるいは子どもを懐柔する遊び道具としてなのか。しかし自信ありげなカヤの笑顔は、決して悪くはない顔だ。
「まあ、その前にわたしが〆るわ」
「うん、カザミンの拳があれば、大丈夫だ」
ナミの拳道の技量を理解してのことだろう、サエがほんわかと温かい笑顔を彼女に向けてくる。
「あ、でもそのオニーサンも拳道の人だけど。師範代理をやるくらい。わたしより強いわ」
「ゲ」
カヤのボールがピタリと止まる。
「まあ、魔力持ちはさておき、魔力無しの女の子にはあまりちょっかい出さないわよ、アレは。それに、拳道の道場では負けるけど、魔力全部乗せをしたらわたしの方が強いから大丈夫よ」
魔力の少ない男魔女の須田兄ィよりも。そして、風見の使い魔、神矢レイジよりも。魔力全部乗せの拳を振るえば、自分が一番強いのは単純な事実である。そう思って、ナミは心底からの自信に支えられた笑顔を浮かべて2人を見遣った。
「ナミ。遅れていた須田からだ。ミドリが大泣きしたから、ご機嫌を取って散歩をしながら、ともかくこちらへと向かっている最中とのことだ」
「解った。ありがと」
左に再び座る彼を目に入れること無く、ナミは正面の2人の客人へと話を戻す。
「そういえば、あんたたち2人、どうして今日は家に突撃してきたのよ?」
元はと言えば、今日は須田家を迎え撃つ……ではなく迎えて、姫魔女ミドリをこの中野町にどう馴染ませるかというその為に在宅していたようなものである。ナミも、また彼女の使い魔も。
「いや、サキちゃんから、『テトラ・ポッター』の話、聞いてない?」
「いや、なんとなく聞いた気がするけど……」
先日の葉山サキの話を思い出し、あまりいい予感がしなかったものの、ナミは渋々水を向けて見る。
「なんでも『犬侍』の……」
「わぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!!!」
思わず、ナミは叫びながら立ち上がった。
その血相を変えた様子に、カヤ、サエ、そして彼女の大柄な使い魔、残る3人が、いずれも驚きに固まったまま彼女を見上げていた。
「い、いや、その……」
「……ナミ。『犬侍』の話か、それは」
……ああ。この男に、その単語だけは、聞かせたくなかったのに……
がっくりと俯くと、ナミは力無くソファに座りこむ。
「で。話続けていいの? カザミン」
そう、カヤが恐るおそるといった様子で彼女に尋ねる。
「いや、客人。是非ともその話、詳しくお願いしたい」
それまで静かにナミの話を補足する程度だった赤銅色の外国人が、急に大きな身振りで、乗り出すように2人の少女に身体を向けたからだろう。多少困惑しながら、神矢レイジの勢いに乗せられて、カヤは先を進めた。
「ええ。今度、この10月から始まるTV番組『犬侍』シリーズのレギュラーに、私の大好きなアーティストが抜擢されて。その劇中歌のプロモビデオの撮影に一般参加の募集があって、私たちの共通の友人が当選したんです。葉山サキさん。あ、葉山さんのこと、知ってます、神矢さん? ああ、知ってるんですね、そりゃいいわ。で、葉山さんは、弟さんたちにその特別観覧っていうかプロモの撮影参加の権利をプレゼントしようとしたらしいんですけど、彼女の弟たちは、今は『犬侍』も『テトラ・ポッター』も興味がないからって……、あ『テトラ・ポッター』、知ってます? 神矢さん?」
それまでグイグイと身を乗り出していた彼が、その未知の単語に行きあたって、急に首を傾げる。恐らく彼にしてみれば、「プロモビデオ」「プロモ撮影」辺りも未知なる単語に違いない。そう、ナミは見て取る。
「いや、それは初めて聞いた和単語ですが。固有名詞ですね?」
「まあ、そーゆー大袈裟なもんじゃないですよー。ただの男性アーティストのグループ名です」
だから、それが固有名詞だっつーの。そうナミは思ったものの、しかし彼女がツッコミを挟む隙はカヤの呼吸の中には存在しなかった。
「で、私、その『テトラ・ポッター』のリョージ君のファンで。好きなんです。ええ、大好きなんです、とっても。好きで好きでたまらないって言うと大げさかもしれませんけれども、けれどもこのバスケットボールとリョージ君とどっちを取れかって言われたすっごく困っちゃうくらいそりゃもー超超チョー大好きなんですけど。あ、でも神矢さん、そのリョージ君だけじゃなくって、『テトラ・ポッター』にはショーヤ君って言うこれまたカッコいい男の子がいて。でも私この子はそこまでファンじゃなくって、あ、でもやっぱショーヤ君もカッコいいし性格もいいんですけど。でもやっぱリョージ君が一番カッコいいのは間違いがないんで。ええ。で、ハンサムなだけじゃなくって、リョージ君は頭もいいし、演技の勘も冴えてて、歌もダンスもスゴくって、人気も抜群で、もうなんつーかまあタレント性がぶっ飛んでるっていうかー……」
「客人、ええと……屋ノ塚サン、でしたっけ。あの、『テトラ・ポッター』なるものは何となく想像がついたんで、ご説明はもう充分なんですが、それで」
「でもですよ、神矢さん、その、飛ぶ豚を落とす勢いの『オレンジャー系』きってのニューウェーブ、稼ぎ頭の『テトラ・ポッター』の、そのツートップですからね、ツートップ」
いや、豚は飛ばないし。どちらも食材ではあるが。
「ええっと、何が……ツートップ、とは?」
辛うじて合いの手を入れたレイジの発言を蹂躙するかの如く、カヤは勢いよくその続きを叩きこむ。
「リョージ君とショーヤ君ですよ! よく、人気者の2人の撮影スケジュールを半年分も抑えられたものだと思います。感心しています、私、ええ!!」
「ええっと……その2人の男性が、『犬侍』と一体どういう……」
「ああ、神矢さんは……」
「お願い、カヤちゃん、あんたも落ち着いて」
そうやって漸く間を置けるよう声をかけたのは、サエだ。おっとりとした彼女の甘い声は、こうした場に緊張をもたらすことなく緩衝材としていい塩梅に響く。
「ああ、ごめん、サエちゃん。で、カザミンも、神矢さんも。あの、お茶貰っていい?」
「わたし、お茶淹れ直すわね」
カヤの手綱を捌くのは、おっとり系のサエの方が巧みだろう。そう思って、ナミはその役割をあっさり彼女に振ることにして、立ち上がった。
もうすぐ須田家のあのゴタゴタ親子も到着するだろうから、その分も事前に用意してしまおう。そう考えながら、ナミは話に加わることを半分諦めて、暑苦しくヒートアップするバスケ少女と和国フリークの外国人の会話から離脱して、台所へと引っ込む。
そういえば、こういう場合もとい普段の来客時には、家長のナミではなく居候たる神矢レイジの方がお茶を入れる機会が多かった。そう、思うともなく、彼女は思う。その意味では、彼女はきちんと使い魔として彼を使役していると言えるだろう。それが彼女たちの日常であるのだ、と。
手早くお茶を淹れ直したナミは、居間に戻ると、ジャスミンティーの入ったティーポットをテーブルの中心に静かに置いた。新しいジャスミンの香りがほんのりと漂い、ナミは少しだけ穏やかな思いを取り戻す。
だが居間のソファ、その約2名にはその穏やかさは伝播しなかったようである。
「……なくらい、大人気なんですよ。『テトラ・ポッター』は。特に、やっぱり、リョージ君はスゴいんです。だから、スケジュール的にはレギュラーはやっぱ無理で、準レギュくらいじゃないと収録の時間が確保できないっていうか……」
「ほう、ほう」
意外なことに、彼女の使い魔が、本心からの興味でもって、バスケ少女の熱く語る男性アイドルの話題に耳を傾けている。
「で、そのリョージ君やショーヤ君とやらは、殺陣はどのくらいできるのかね?」
「タテ? 身長ですか? そりゃ流石に、神矢さん程はおっきく無いですよー。だいたい、わたしたちより1個上なだけですし。あ、年齢ですけどね、これ。で、だから、今年17歳なんです。もうすぐリョージ君、誕生日です。あ、11月です11月。ショーヤ君は夏にもうお誕生日をお迎えしちゃってるからもう17歳で、リョージ君はだから今16歳でもうすぐ17歳なんですけど。でも私の誕生日が10月で、今はまだ15歳で、一緒に16歳でいられるのがたった1カ月だなんて、寂しいと思いませんか?」
論理性、ゼロ。説得力、無し。ただ、破壊力だけが凄まじい。そうした向かうところ敵無しの勢いだけで、屋ノ塚カヤが喋る。喋り続ける。
「すまない、客人。役者の年齢にはあまり興味がないのだが」
「ああ、すみません、身長でしたね?」
「いえ、違います。身長でもなく、殺陣、つまりは剣劇に関する……」
「ああ、ゲキですね、劇! 大丈夫ですって。リョージ君もショーヤ君も、お芝居に関する勘は、ものっすごくイイんです!! 頭もイイから、台詞だってちゃんと覚えられますって! それに高校生男子にしては結構背もありますから、チャンバラだってきっと大丈夫ですよ。足が長くてカッコイイのが、衣装で隠れちゃったら、ちょっと残念ですけどね。でも、リョージ君を心配してくれるだなんて、神矢さんはいい人ですね。大丈夫ですよ。リョージ君とショーヤ君がいれば。お芝居は文句なくカッコいいですから。大丈夫ですってば!」
だから、何が大丈夫なのだろう。言い切っている本人は、きっと何を問われていたのかも、何が大丈夫だと思っているのかも、考えは一切無いに違いない。
「いや、だから……で、その2人は、『犬侍』で、どんな役を……」
「そりゃもうカッコいい役に決まってますって!」
そこで、玄関の呼び鈴が鳴った。恐らく、今度こそは須田兄ィだろう。ナミは話し込んでいる、というか一人で盛り上がっているカヤを放置するかのようにして一瞬目を向けると、サエにだけゆっくり目配せをして、立ち上がる。どうかサエが、もう少しだけでも、カヤの手綱をなんとか掴めますように。そう、祈りを込めて。
サエも、理解しているかのようにコクリと頷くが、恐らく彼女のほんわかとした癒しの力をもってしても、この戦いを抑えるのは難しいだろう。半ば諦めつつ、ナミは玄関へと向かった。
ナミがインタフォンを確認すると、そこには見慣れた細長い身体を飄々と湛えた長身の須田兄ィと、その5歳の愛娘の姿が映っていた。特注で精度を高めた風見家の魔力探知器による魔力反応は、微弱。いつものことだ。
「おーい。ナミ、あっそびにきったぞー」
「青の魔女ねえさま。おげんきー?」
はいはい、と言いながらナミが扉を開く。そこには、幾分かは機嫌が良さ気な姫魔女と、その父親の魔力持ちの2人が笑顔で立っていた。
先程の電話では、娘の方はえらく不機嫌という話であったのだが、どうやらそうした感情はもう変化しているようだ。今泣いた烏がもう笑った、ということなのだろう。魔力持ち、魔力無しといった属性以前に、そうしたところは5歳児らしい無邪気さである。
「いらっしゃい。今ちょっと先客があるけれども、気にしないで……というか、どうしようかな、アレ」
この親子の襲撃に備えて用意していた菓子類は、そのあらかたが既にこの先行する1時間で失われてしまっていた。尤もその消費に一番貢献したのは、彼女の食いしん坊の使い魔の方であったのだが。
しかし子どもの手には、何かスナック菓子の大きな袋が持たされている。既に菓子を食べているのであればあとは茶とジュースでいいだろうと、ナミは考えを纏めていく。
「ん? ああ、客が来たのか、ナミんとこ」
「うん、急にね。でもいいわよ。兄ィとミドリちゃんの方が先にちゃんと約束していたんだし。あっちは中学時代の友だち。後でなんとでもできるから」
「おう、別に若いねーちゃんがいるんだったら、それはそれで別に構わないぜ」
「ねえさま。その人たち、魔力持ち?」
「ううん、魔力無しよ、ミドリちゃん」
そこで、姫魔女の視線へとしゃがみこんで、ナミは続ける。
「でも、友だちよ。わたしの。大切な」
「ふーん」
あまり興味無さそうに、ミドリが言う。しかしその名の通りの碧色の瞳は、少し怜悧に輝いている。ミドリにとって親しみのある姉魔女である「中野町の青波の魔女」が友人と認めた相手なのだから、きちん粗相無く対応するように、ということくらいは通じただろう。
須田の娘、ミドリは、やや複雑な背景を持つ子どもである。法的には、完全に和国の国籍を持っているわけではないらしい。らしい、というのは、その事情をナミがそこまで知らないからなのだが、そうした国籍の関係や須田の認知等の問題もまた、子どもの引き取りに厄介な要因を生んでいる。
娘の母親は、和国人では無い。南の国からの出稼ぎ女性である。更に言えば、ミドリの混血の度合いはその単純な2国間だけでは無いという。勿論遺伝子の半分は須田からだから、法的権利だけを言えば、半分程は確実に和国人としての権利を有している筈である。見た目に関しても、碧の瞳を除けば、ミドリは比較的、父方の須田そっくりだ。その和国人らしい顔立ちといった辺りも含めて。ただその背景は、やっぱり魔力持ちらしく、複雑なものだ。
尤も、その辺りの事情は、ナミの属する風見の家系にしても遠く遡れば似たようなものであったし、また身近な例でいえば後見人の美麗な大魔女、スズノハも類似の背景を持っている。
要は、魔力持ちの多くが国籍に関する拘りを持たなかった過去の歴史に繋がりがあるということなのだ。
そうした心配もあったが、しかしDNA鑑定によれば、ミドリは99.9%、須田兄ィを父とする子どもである。それに何より、親子間の遺伝的な認定がされたことで、引き取りの手順も順調に進んでいる筈である、と聞いてはいたのだが。
「それで須田兄ィ」
「あいあい、別に魔力無しの女の子は口説かねぇよ」
「つか、それやったらインコーだから。即刻逮捕だから。歳、まだ15とか16とかの相手なんだから」
一応、釘を刺す。しかし、相手が魔力無しであれば、彼の対応は彼が告げたその通りとなるだろう。決して相手を不快にさせるような立ち回りはすまい。
「まあ、上がって」
上手くすれば、須田家の父子に遠慮して、先客の友人の少女たちが暇乞いをするかもという期待を持ちながら、ナミは2人を家に上げた。
ドアを開けると、その場の主導権が、前の状況とは入れ替わっていた。
「つまりは、『犬侍』の映像美の根底が、その剣劇指導の深さにあると見ていいと思う。だから、ええっと……客人、君の敬愛するそのリョージ君もショーマ君も……」
「ショーヤ君です、神矢さん」
「ああ解った、ショーヤ君も、だ。剣劇指導の山田サンの指導にかかれば、きちんと若侍としての役割をこなせるに違いあるまい。山田サンは、剣劇の指導に関しては、シリーズ2で大抜擢されてだな、シリーズ1で唯一と言ってもいい弱点であった剣劇の物足りなさをものの見事にカバーして、芝居のレベルをグッと引き上げてくれた立役者でもあったからな。それで、だ、客人」
「はあ」
「山田サンの剣劇指導を受けて、『犬侍』シーズン3では、ほぼオール野外ロケの映像製作に踏み切った。役者がシーズン2を通じて剣劇の大切さ、剣劇と台本との関連性の深さを更に学んだことも事実だが、基礎的な体力と、芝居における足腰の使い方の重要性、その時代劇面における特性を理解して、さらにステップアップが可能だと踏んでのことだろう。シーズン3ではそうして屋外での撮影がぐっと増えたのだが、足場の悪い場所での剣劇はなかなか大変だったと思う。だが、剣劇シーンだけではない。映像美はそれから水準が上がっていったし、各地のロケを挿入することで、台本の中で活かし切れていなかった作劇面での和国情緒を、より深みを持って、掘り下げて描き出すことも可能となったのだ。そのときの巧者は、監督もだが、美術担当の高梁サンの仕事の巧みさに由ると思うのだが、それがいい味を出していてだな。何より高梁サンは時代考証もしっかりしていてだね」
「はあ」
「それにやはり何と言っても、台本が相変わらず素晴らしい。シリーズ4の後半の盛り上がりといったら……やはり船橋監督の采配の妙が……」
「はあ」
つーか、山田サンって誰だよ。高梁サンって誰だよ。おめーの知り合いじゃないだろうに。知り合いみたく馴れ馴れしく紹介するな。そうナミが己の使い魔にツッコミを入れようかどうしようか、とりあえず念話で皮肉でも言っておくか、と思っていると。
「ちわーっす、童貞! 元気ィー?」
ドアを開けて、一言。
須田タツヤは、やらかした。
(続く)
「オレンジャー」と「テトラ・ポッター」のネーミングですが、このときたまたま聴いていたのが、藍坊主の『オレンジテトラポット』だったからという身も蓋も無い理由です。
アイドル、関係無いですね。
さて、次は須田親子がカヤちゃん、サエちゃんの色々な引き出しを引っ張り出してくれる巻です。主役2人は、変わらず振り回され続けます。
そんな使い魔に未来はあるのか、ということでまた次回。
更新頑張りますので、次もまたどうかおつき合いの程を。
では、また。