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01話/「いってきます」

話、始まります。

本作では、本編同様、視点のことを「座標軸」+人名で表記しています。

今回は、一部は魔女殿、多くは使い魔からの視点(座標軸)で話を見ていきます。

――09月15日(水)/座標軸:神矢レイジ


 神矢レイジは「使い魔」である。主は、風見ナミである。


 今日は9月の15日。平日ともなる水曜日。この日この夜、彼は和国の伝統行事である「お月見」なるものに人生で初めて参加する予定であった。彼の主たる風見ナミが、その主催である。

 彼の、年若くも可愛らしい主人、風見ナミは、現在高校一年生である。当然、平日昼間のこの時間帯は、まだ学校だ。お月見なる催しはこの晩に開催されるのだ が、その最終準備は学校から帰ってからのこととなる。


 そしてまた、彼自身も、その学校でボランティアという立場で、武道を教えている。水曜日は、週に3日程あるそのボランティアの日である。


 彼は気軽な様子で、いつものように家で昼食を済ませた。この昼食とは、料理好きな彼の主が、自身の分と一緒に作った弁当である。

 おにぎりの具は彼の好きなおかか、そしておかずは冷めても程良い柔らかさを持つふわふわの玉子焼き、そして出汁をきかせた薄味の煮野菜が数種類。

 魔力持ち的に見れば下僕の位置にありながら、人としては彼女の兄的な位置にある彼は、人の良い彼女をおだてつつ、そうやって何やかやといつも昼食を分けて貰っている。そりゃときどき、彼だって、唯一の得意な料理たる豆料理で彼女のご機嫌を取ったりはするけれども。

 今晩は、2人が学校から家へと戻ってから団子を拵えて、彼女の友人知人を迎えて月を眺めながらお茶会をするのだという。なかなか風流なことだが、どうやらそういうことらしい。


 らしい、というのは、彼の故郷では、和国的なそうした習慣が無かったからに他ならない。つまりは正真正銘、彼にとってはこれが人生初の「お月見」体験となる。28年と約半年。その人生において、初めての。

 和国人ではない、和国人からすれば外国人である彼には、ナミの説明によるそれは、とても不思議な催しのように思えた。

 今でこそ「神矢零司カミヤレイジ」などと和国の通称を名乗ってはいるが、そうはいっても彼のバックボーンに和国文化は薄い。彼自身としては、それに憧れて、恋焦がれてもいる。和国の武道を学び、文化を学び、和国人の身元引受人を得て和国の通称を得ることができた。でも、まだまだ彼にとって、和国は未知なる楽しみと不可思議、素敵な文化が尽きせぬように涌き出でてくる。

 何より。

 月見団子とやらは美味いのだろうか。あの越前屋の茶まんじゅうよりも? 三河屋の鯛焼きよりも? 主に胃袋的な意味において、彼はその行事をとてもとても心待ちにしていた。


 そうは言っても、彼は使い魔である。

 「使い魔」とは何か。単純化して言ってしまえば、魔女・魔力持ちの僕、召使い、手伝いをする存在である。

 風見ナミは、魔女である。由緒正しき魔女である。けれども、ただの人間だ。

そして神矢レイジは魔力無しだ。勿論、まごうこと無き、ただの人間だ。

魔女、魔力持ちは、その母も父も魔女、魔力持ちでなければ生まれてこない。つまりは、ナミはそういう星の下に生まれたということであり、彼はそうではなかった、ということだ。

 因みに彼の父も母も、魔力持ちの血筋とは無縁である。むしろそれを憎悪していたクチだ。


 人口比から見ても、魔女、魔力持ちたちは、魔力無しと比べて圧倒的に少数だ。そうした人口比率的な優位性もあって、魔力無しは魔女、魔力持ちたちと、かつてはかなりややこしい対立関係にあった。しかしそれも、そろそろ過去のものとなりつつある筈だ。彼の血族たちのような、わからず屋立たちが政治の表へとしゃしゃり出ない限りは。

 さて。

 下僕、召使い、といった立場に甘んじる「使い魔」の彼であっても、この通り、主である風見ナミとの関係は良好だ。

 時折、年長者である彼に対する敬意が足りないと思うことはあるものの、根本的に彼女は独善、もといお節介の過ぎる少女でもある。現状では、彼は彼女から相応の信頼をかち得ている。

 不条理だったり理不尽だったり無情だったりヘンなことだったり、といった要求を突き付けてくることも、最近では殆ど無い。稀にミドルティーンらしい可愛い我が儘を言い出すことがあるが、それはまあ、彼にとっては目を瞑ることのできる範疇だ。年長者の彼からすれば、若輩者の成長を見守る機会である、と言ってもいい。

 彼はそんなわけで、自分の魔女殿を、大層気に入っていた。


 それにしても。

 彼等の関係たるや、世間的にも魔女、魔力持ち文化的にも、実は大層ややこしい。

 一般的に言えば、魔女、魔力持ちが「使い魔」を使役することは、比較的広く行われていることでもある。

 但し。その地位に据えられるのは多くは無機物、稀に小動物といった程度で、広く世界中を見渡しても、普通の感性を持つ魔女であれば、「人間」を使い魔に据えることは無い。そんなことが為されていたのはごく一部の例外、それも結構昔のことだ。

 彼にしたところで、そのような事例を自分の件以外で見たことはおろか、聞いたことも無い。

 風見ナミの育ての親の一人でもある「紫の大魔女」ことスズノハは、かつて彼らにこう言った。ヒトのように自由意思を持つ使い魔など、費用対効果コストパフォーマンスが悪すぎるのだ、と。

 多大な魔力を保持しているスズノハですら、実感を込めてそう言うくらいなのだ。ナミがヒトである彼を使役するという状態が魔力的にどれほど例外的であるかという事実は、魔力無しの彼であっても充分に理解をしている。

 けれども今、諸事情でもって、彼は彼女の使い魔という立場である。そして使い魔という役職ゆえ、彼は彼女の家で厄介になっている。


 表面上というか対外的にというか、彼は風見ナミの遠縁、義理の兄ということで外部には通している。

 そうしたわざとらしい言い訳が世間的には必要とされている事を、彼は少しだけ煩わしく思う。そうした言い訳などが無かったとしても、彼等は、たとえ血が繋がっていなくともきょうだいなのだという意識を、彼自身は強く持っていた。恐らくは、彼女の方も。きっと。


 けれども、世間がそうしたわざとらしい言い訳を必要とするには、訳がある。

 それは、彼が、和国の通称である「神矢零司カミヤレイジ」という呼称を持つとはいえ、どう見たところで外見は和国人らしからぬ風貌である、という単純な理由によるものだ。しかも見た目の点でも随分な美貌を併せ持つ少女である彼女とは違い、彼の容貌はお世辞にもハンサムとは言い難い。

 彼の主、風見ナミは、サラサラと綺麗な長い黒髪も、標準的な和国人らしい肌の色も、基本的には和国人らしさに何らの違和感を抱かせることはあり得ない。しかしよくよく見れば、彼女のその瞳は深い青い色を湛えている。数代を遡れば彼女の血縁に遠く異国の血が複雑に入っているということは、そこから容易に見て取れる。


 そうした歴史は一人ひとりの魔女にはよくあることでもあった。少し遡れば迫害の歴史を長いこと経てきた魔女、魔力持ちたちは、国を越えた移住も実に頻繁に行っていたのだという。

 尤も、20世紀に入る頃には、世界的に見ても魔女狩りという習慣そのものは下火になっていった。この和国でも、やや遅れ気味ではあったものの、21世紀の現在では魔女狩りそのものがすっかり過去のものとなった。ごく一部の、不穏分子を除いては。


 ともあれ、そうした遠因をもって、彼の主である少女は、その印象的な澄んだ青の瞳を含めて、大層麗しい外見の持ち主であった、ということだ。

 そしてまた、彼はと言うと。

 赤銅色に焼けた肌。そして、赤い髪。顔立ちこそ若干モンゴロイドの風体を持ってはいるが、誰が見たところで和国人に分類されることはない。

 別の意味で、彼もまた血筋に関しては複雑な背景を抱えている。そして単純な外観だけを言えば、和国人らしさを表す彼女との血縁を連想させる共通点は、実に乏しい。

 仕方なくというべきか。彼女の青の瞳を知る人たちに理解のできる範囲で「遠縁だ」と言い張るしかなかった、というのが、彼等2人のおおまかな事情だ。それは、真実を知る、風見ナミの保護者役や神矢レイジの後見人といった人びとからのアドバイスでもあった。

 そうしたわけで、どこから見ても和国人らしさに欠ける、ひと目で外国人だと分類される彼が、しかし和国の少女と共に、ごく穏やかに義理の兄妹として生活している、というように何とか周囲には浸透させている……筈なのだが。

 ごく一部。後見人たちのように限られた人間以外にも、彼女と彼の秘密をある程度知る人がいる。


 そして、今。彼が対面しているのは、その秘密を知る……多分……であろう人間の一人だ。


「こんにちは、お兄さん」

 風見の家のドアの前、彼の目の前に、葉山サキが立っている。清潔感のあるショートヘアの少女が、いつもの如く、涼やかな目を彼へと向けていた。

 彼女は、風見ナミの最も親しい友人の一人である。そしてまた、彼女は世界における人口比、その多数派たる魔力無しという、彼と同じ立場だ。高校進学を機にナミとは進学先を違えたが、彼の知る限り、風見ナミが一番信頼を置いている人間はこの魔力無しの少女である葉山サキに違いない。

 けれども。

 彼の主と同じ年齢、高校一年生である筈の葉山サキが、どうしてこの中野町の家へ、平日の昼間、学校のある時間に訪問してくることがあるというのだろう?

「今日はお月見ですよね。やっぱ、カザミはまだ学校ですか」

「葉山サン、ワタシもこれから学校でボランティアですよ。お月見は夜ですし。葉山サンの学校は、今日はお休みなのですか?」

「ええ、学校の創立記念日だ、って。カザミには伝えてあったんですけど。お兄さんは聞いていませんか?」

 頷くだけで、彼は返事を返す。とにかく、そろそろ家を出て自転車に乗らないと、ボランティアの時間にぎりぎりとなる。彼は若干気が急いていた。

「実は先に、カザミとお兄さんにこれを渡しておこうと思って。つか、カザミもきちんと『兄ちゃん』に伝えとけよなー」

 と、後半はここに居ない彼の魔女殿への愚痴を呟きながら、葉山サキは何やら包みを差し出していた。

「これは?」

「アカネさんからの差し入れです」

 アカネさん、とは葉山サキの年長の従姉妹であり、彼女の現在の保護者でもある。


 つい先ごろの夏。確には2カ月ほど前の7月のこと。実の父の浮気と借金を契機に、葉山サキの家族5人はその家族形態を解散した。子どもである彼女の立場からすると、一家離散というのが文字通りのところである。

 しかし彼女は、その持ち前のバイタリティによってその苦難を乗り越えて、従姉妹との共同生活を選び取り、何とか学生を続けている。

 その彼女を支援している従姉妹が、ここ西乃市の中でも5本の指に入るであろう猫オバサン……と言うには、彼女はまだまだ若い筈だが……であるアカネさん、というわけだ。

「こっちが猫の分。そしてこっちは人の分です」

 猫の分の差し入れまで用意するところがアカネさんらしい。彼の頬に、自然と笑みが浮かぶ。

 因みに、風見家の黒白斑の猫、風見無有カザミムウはというと、そのアカネさんがどこからか拾ってきた猫という、由緒正しい雑種猫であり、由緒正しい捨てられ猫でもあり、由緒正しい風来坊だった、ということである。


 猫の無有ムウは、レイジにとっても大切な義兄弟、彼の意識の中における「相棒」である。尤も、猫の現在の保護者であり彼の魔女殿たる風見ナミは、そうした関係性を認めてはいなかったが。

 猫自身の意識に関しては、その点は謎だとしても、少なくとも嫌われてはいないだろうと彼は認識している。

「ああ、それはありがとうございます」

「だから、また夕方の6時くらいになったら、お邪魔します」

「そうしてください。ワタシはこれから学校へ行かないといけないので」

「ああ、今日は拳道同好会の日でしたね」

 彼が、ナミの通う西乃市第二高等学校でボランティアとして教えているのは、「拳道」という和国の伝統武道のひとつである。彼は、一応ではあるがそれを教えられるだけの技量を持っていた。

 因みに、和国における彼の後見人であり彼の和名通称の名付け親、神矢老師は、彼の拳道の師匠でもある。

「はい。すると葉山サンは、その間、前の家の片づけか何かを?」

「ええ。ようやく、借金取りたちとの片がついたんで」

 つか、それもカザミに言っておいたんだけどなー。どこか気の抜けた声で、彼女がまたもぶつくさと、彼の魔女殿への不機嫌をごちる。彼は小さく笑った。

「まあ、今朝のナミは、珍しいことに寝坊して、時間もぎりぎりでしたから。きっとワタシに伝え忘れたのでしょう」

 ふむ、と頷くようにすると、葉山サキもまた頷くようにして、一歩下がる。それを、そろそろ暇乞いなのだろうというボディランゲージと受け取って、彼は道着やボランティア道具を収めた自分の鞄へと目をやり、今日の午後の予定へと再度頭を巡らせた。何せこの日は忙しいのだ。月見団子を心行くまで味わう為にも、彼は余裕を持って行動を進めたかった。

「じゃあ、また後で。すみませんでした、お兄さん」

 そう言って、葉山サキは足早に去って行った。

 彼女の「夜逃げ」には、彼もナミも巻き込まれるようにして手伝ったものだ。彼女がかつて住んでいた団地の一室は、ここから近い。そして今、彼女が従姉妹と住んでいるのは、同じ西乃市の中とはいえここからは遠い。今日のような機会でもなければ、旧宅の片づけに行く機会はなかなかつくれないのだろう。

 公立とはいえ高校の学費維持のために、彼女はアルバイトやら何やらと忙しい生活を送っている様子であった。珍しくバイトも休みを確保した休日、その日に中野町へと戻るついでに旧宅を見たいというその気持ち。経緯を知っている彼にしてみれば、解らなくもない。

 それにしても、珍しい。ナミが、人の訪問という大事なことを彼に伝え忘れるとは。

 普段はそこまでおっちょこちょいなことはそうそうない、どちらかというと何でもテキパキと、それこそ他人の迷惑を顧みることなく独善的且つ段取り良く進めてしまう少女なのだが。だがそれでも、時折そうした大きなポカをやらかすときがある。


 そう。彼が、「最初に」彼女の使い魔に据えられてしまったときのように。

 

 アレは、大きな事故だった……今でこそ、それによるペナルティは何とか凌げてはいる。だが、彼はそのときのことを思い出して、今でも冷や汗をかくときがある。とにかく、あの状況はもう二度と御免だ。文字通り、2人とも寿命の縮む思いをしたのだから。

 そして今の、お気楽な使い魔生活という居心地の良さを、彼はしみじみ噛みしめる。

 

 同時に。彼と彼女の関係を知る数少ない人物の一人である葉山サキの行動を、彼は少しばかり訝しんだ。

 葉山サキは、時折こうして、彼とナミとの関係に対してさり気なさを装いつつ探りを入れてくるようなことがある。彼とナミとの間に、下手な間違いなど起きようがないというのに。とはいえそれは、彼が葉山サキからそこまでの信用を未だに得ていないが故のことなのだろう。

 同時にそれが、彼女がナミのことを心配するあまり、という心情によるものだということは、彼も理屈の上では理解していた。彼女とナミの縁は、それはそれは、とても強いものだから。

 その2人の友情、その感情自体は、彼にとってはとても好ましいものではある。なので、彼はその点に関しては大目に見るようにしている。実質だけを見れば、こうした時折の探り入れが鬱陶しいだけで、特に実害等は無い。

 それに、そうした人心を思い遣る、親友のナミの心配をするといった面での葉山サキの若者らしい心は、悪いものではない。葉山サキというパーソナリティそのものに対しては、彼は信頼も、また敬意も大いに抱いており、好ましい人物に分類してはいるのだ。

 そうした彼女の在り方は、彼女を親友としているナミにとってもいい影響があるだろう。それ以前に、何より、ナミの大事な親友殿を無碍にすることなど、彼の大切な魔女殿の心情を思えば、できるものではない。

 さて。いつまでもそうして思考している場合ではない。彼は頂いた差し入れを、葉山サキの助言のまま、丸ごと冷蔵庫へと収める。

 それから、年若い風見の雄猫の頭を思う存分一通り撫で倒す。少し撫でまわしてようやく人と猫、双方が納得すると、靴を履いた彼は猫以外に誰も残らない風見の家を振り返る。

「いってきます」

 そう声にして、彼はドアを開け放つ。

 ナー、と小声で猫が鳴く。

 猫以外、返事をする存在はいない。そう。この家は、魔女と彼、そして猫の、2人と1匹だけが住人だ。

 猫が彼を無視しても、構っても、彼は出がけと帰宅の挨拶を欠かさない。この日もまた、声に出して、それを唱えた。まるで、魔力持ちが扱う呪文であるかのように。いってきます、と。

 そうして彼は、やや慌てるようにして、風見の家を後にした。



――09月15日(水)/座標軸:風見ナミ


 風見ナミは高校1年生である。ただの人間、そして魔女。人口の割合で言えば2%そこらを占めるだけという、圧倒的な少数派となる魔力持ち。けれども、普通の人間だ。ただ、魔力を持っているというだけである。

 そうした彼女の「遠縁の、義理の兄」という触れ込みの魔力無し、神矢レイジが、今日も公立高校の体育館の中で、周囲に違和感を振りまきながら拳道の稽古を付けている。皆に。せっせと。

 実際、彼の違和感の理由は多すぎて、彼女の頭痛の種になっている程だ。

 先ずは一見して、明らかに和国人ではない、有色人種の外国人らしさが過剰に詰まった風貌であること。加えてその身体はやたらと嵩張っており、場所を取る。

 しかし身のこなしに関して言えば、武道者らしくスマートで、目立つことを避ける身振りが常である。そのことだけを取れば、まだましではある、と言えるだろう。

 とはいえ、身長190センチ近くはある大男の、武道の有段者だ。初対面で、彼を見て堅気の職業に就いていると連想する人は、まずいない。

 そして実際の職業は、というと……

「ナミちゃん」

 彼女に声をかけてきたのは、仲良しのクラスメート、魔力無しの鳴海トモエである。

 そう。きっとあの武骨な使い魔と真逆の存在を示せ、と言われたら、きっとこの、目の前の愛らしい小柄な美少女が対として立ち上がって来ることだろう。

 黒曜石のような眼差し。白磁のような滑らかで綺麗な白い肌。唇は美しいかたちをしていて、しかも色はサクランボのように艶やかだ。

 普段は手入れの行き届いたワンレングスの髪がゆらゆらと揺れて、その姿を、彼女は内心溜息をつきながらうっとりと見つめることも多い。今は稽古中ということもあり、艶やかな短い黒髪は括ってあるけれども。

 そして少女らしいほっそりとした体。そんな綺麗で小さな彼女が、真新しい拳道の道着を着て、彼女より8センチほど背の高いナミのことを素直に見上げている。


 拳道は、風見ナミにとって、幼少時から身につけてきたものである。帯だって黒帯だ。純粋な実力の面では彼女の使い魔に負けるのは事実ではあるとしても、相応に鍛錬を積み重ねてきている。

 だから彼女は、この西乃市第二高校の拳道同好会の中でも、同好の士というよりも指導者に近い立ち位置で接することが多くなる。いわば、神矢レイジのアシスタント的なものとして。

 その役割を負うこともあり、同好会の時間内で自分の技を磨く時間は殆ど無い。けれどもその一方で、「こうした役得」もあるのだと納得させている。

 そう。彼女は、今、大好きなクラスメートの少女、この春から大の仲良しとなった鳴海トモエと、ワンツーマンで稽古を付けている真っ最中なのだ。

「相変わらず体が硬いねー、トモエ」

 その部分に関してはこの美少女……鳴海トモエは、少女らしさが若干足りないと言えるかもしれない。しかしそれ以外の部分に関しては、彼女は恐らくナミの知る限りにおいて、最高の「美少女」だろう。それこそ、彼女と出会う前までは同性に一切関心が無かった筈のナミですら、心ときめくほどの。

 鳴海トモエの美貌は、正直、突きぬけている。地元西乃市の中野町でも、かつて共に通っていた中学内でも、今いるこの西乃市第二高校の中でも、彼女を憧れと羨望の視線でもって見つめる生徒や教師、プラス一般人は数え上げてもきりが無い。 加えて言えば、ここまで美貌が突出していると、誰もが嫉妬すら抱く段階を超えてしまっている。少なくとも、ナミはそう捉えている。

 尤も、彼女の使い魔に言わせると、ナミもトモエには劣ることはないなどと、お世辞を言ってはくれるのだが。

 そうした外野のことばが意味を持たないほど、鳴海トモエは特別だ。そう、ナミは思う。

 しかしその一方で、小柄で儚げな美少女という特徴を持つが故、彼女は痴漢に類する被害に遭うことも多かったのだという。実際、彼女自身の性格も穏やか且つ大人しい少女であり、それがそうした問題に対しては悪い方へと作用していた。

 その為、防犯に役立てられるよう拳道を教わりたいという彼女の願いは、切実なものがあった。高校に入って一挙に親しくなった、武道者としての立場を隠すことのなかったナミに、彼女が拳道の稽古を願ったのは、彼女の中ではあまりにも自然な流れだった。とはいえ、それが学校で仲間を集い、「同好会」のかたちを取って実現するとは、ナミなどは思ってもみなかったのだが。

「呼吸がちょっと辛そうね。少し休憩しよっか、トモエ」

 彼女がそう言って微笑むと、トモエもまた、薔薇の咲くような綺麗な笑みを零してナミを上目遣いに見ながら小さく微笑んだ。

 うん、やっぱり、可愛いし、綺麗だ。改めて、ナミは彼女に見惚れていた。

 そういうナミ自身、学校をはじめ、魔女仲間の中でもそこそこの美貌で知られてはいるのだが、当の本人にその自覚はない。それは、自身の外観にあまり興味を持たない……それはトモエや、他の仲良しの少女たちに言わせると、「女子力」が低い、と言われる要因の一つではあるのだが……ナミにしてみたら、どうにもこうにもピンとこない言い回しに分類されるものだ。いくら他の誰か、たとえば彼女の使い魔などが真剣にそれを言っているのだとしても、彼女はそのことばを本気と取ることは殆ど無い。

 何せナミは、トモエのように性暴力の被害に遭ったことが殆ど無い。高校初めての夏休みとなった先月、その半ばに一度だけ、不可抗力とも言うべき性暴力でその薄い乳を揉まれた経験があったが、思い返せば、彼女にとってそれが物心ついてから初めての痴漢体験でもあった。ちなみにそのときの報復は、その後たっぷりと当該の犯罪人に対して完了している。自慢の拳に、魔力で筋力を増加パワーアップして。

 夏休みの終わりにそうした話をトモエにしたところ、彼女は益々「拳道の習得、頑張らなくっちゃ」などと、可愛らしい声で真剣にこちらに話し掛けてくれたりするものだから、やっぱり自分は女子力が低いのだろうと、可愛らしい彼女と自分とを引き比べて改めてナミは思い直しもしたものだ。

 更には、言い寄って来る人間は、どうしたことか男よりも女の方がはるかに多い。だからきっと自分は男性受けをする外観なりキャラクターでは無いのだろう、というのが、彼女が自身に対して為し得る大まかな分析だ。

 実際に、自分の情感もまた、男性に対して特別な思慕を持つ経験は、これまでほぼ皆無に等しかった。その一方で、彼女自身は、レズビアンの自覚もない。けれども、トモエに関する複雑な感情は扱いあぐねている……だから、性愛的な意味において、彼女はきっと奥手であるのだろうし、それがノンケかバイセクシュアルかレズビアンかといった部分においても、彼女は現時点では自分の回答を保留にしている。


 尤も。魔女文化的にいえば、既に15歳を迎えていた彼女は、魔女に対する人権法を根拠として婚姻も出産も可能だ。


 和国の基本的な法律に大きな意味で逸脱しない限り、魔女、魔力持ちはその文化に基づいた生活を送る権利を有している。そこで保証された権利として、15歳での法的な婚姻は、魔力持ち同士の場合に限り、当人たちの確たる同意と数人の保証人さえあれば可能ではある。それは早婚の多かった魔女の古い文化に根差した習慣の延長というわけだが、但し、あくまでも法律では、という意味においてのことだ。

 法的な面ではそうした道が開かれているとはいえ、では彼女自身はどうかというと、まだ異性も同性も含めて、性愛への執着はもとより、そうしたパートナー獲得への欲求は薄い。殆ど考えていない、と言い換えてもいい。

 それに同性同士の場合、いくら魔女法の上でも、婚姻は認められない。そこは魔力無しの法律と同等だ。同性愛への差別的な感覚は、魔女法の中にも反映されている、といったところだろう。

 それどころか、魔女、魔力持ちの間の方が、同性愛への偏見の視線はより厳しいかもしれない。出生率において、魔力無しよりも確実に比率の下がる魔力持ちは、生殖に結び付かない性愛には不寛容だ。

 魔女、魔力持ち自身が迫害を受けた歴史を持つにもかかわらず、他の被差別的な立場に対してはそうした視点は流用していない。そういうところは、魔女もまた二重基準の概念に捉われていると言ってもいいのだろう。風見ナミが魔女としての自我を思う度に小さくため息をつきたくなるのは、そんな辺りだ。


 トモエの可愛らしい頬のラインを眺めながら、彼女は思うともなしにそんなことを思っていた。

「今日は、このままナミちゃんチに直行だよね」

 この日お月見の茶話会は、トモエも参加者の一人である。トモエの自宅は彼女の家にも程近い。同じ西乃市中野町の町内でもある。仲の良いご近所という意味で、彼女が遊びに来ることは、高校で同じクラスとなってからの2人にとっては、ごく当たり前のこととなっていた。

「遅くなったらお母さんが迎えに来るかも。だから、そんなに長居、できないかな……」

「なんだったら、トモエのお母さんもウチでお月見していけばいいのに」

 傍からも苦労が滲むシングルマザーのトモエの母親に、己の亡くした母の面影を重ねて、ナミは半ば本気も込めて言うだけ言ってみる。

 月見会の団子の仕込みは、既に冷蔵庫の中に済ませてある。客人が一人増えたとしても、それほど困ることは無い程の量は準備があった。それにいざとなったら、彼女の大食漢の使い魔に、食べる量を少し減らせと命ずればいいだけの話だ。そう、軽く頭の中で彼女は計算式を組み立てる。

「お母さんも仕事の帰りだと遅くなると思うし。私たちだって明日も学校じゃない。それにあんまり遅くまで居座るのも申し訳ないわ。ナミちゃんにも、お兄さんにも」

「ま、今日は平日で、週の半ばだからねー」

「でもサキちゃんと会うの、久々だからなー。お泊りのお誘い、ちょっと迷うね」

 この日の来客の予定は、トモエに葉山サキ、そしてご近所かつ風見家の後見人である神矢家の職業婦人、神矢リサである。


 サキとトモエは、最初の内こそナミを挟んでの関係であったが、今では両者ともにすっかり打ち解けて親しく友だちづきあいをしている間柄だ。真逆の性格が却ってお互いの補足になっているのか、ナミが紹介してから程無く、2人の関係は良好な友人として落ち着いた。通う高校が違うことも住居が同じ西乃市の中でも離れているということも、その障害ではない様子だ。この夏も、3人で遊びに行くことはもとより、ナミが知らぬ間に2人で買い物などということもあったらしい。ナミにしてみたら、少しばかり妬ける出来事でもあるのだが。

 トモエがサキと最後に会ったのは、確か夏休みの終わり近くだった。その話題は、トモエが何度も繰り返していたから、ナミもよく覚えていた。トモエもそのことを思い出しているのだろう。うんうん、と頷く。

「おっと、トモエ。あまり休んでいると、冷えちゃうから。そろそろ体、動かそうか」

 そう言って、ナミは周囲を見渡す。先程から、数人いる拳道同好会のメンバーたちをまとめて、彼女の使い魔、神矢レイジが大きな体を器用に捌きつつ、あれこれと指導を続けていた。そして今度は、今日の参加メンバーの中で唯一の男子であり、彼女と同じ魔力持ちでもある、水無瀬カズキ少年に指導を始めたところのようだ。

「そうじゃないと、トモエ、また水無瀬君に水をあけられるわよ」

「あーっ! それは、ダメ!」

 どうしたことか、この美少女は、小柄な同級の少年、水無瀬カズキをライバル視している。その理由は、ナミが知る限りにおいては幾つもあるのだが……たとえば、同好会のメンバーの中でこの2人だけが運動が得意でない人間に分類されている、とかなんとか……だがそうした理由は、なんとなく違う気もしている。それは、ナミにも上手く言語化はできないものではあったが。

「じゃあ、トモエ、基本の型から。いい?」

 青の瞳に意思的な光を宿して、ナミは立ち上がった。

 


――座標軸:神矢レイジ


 制服をきちんと整えた彼の可愛らしい魔女殿が、美貌の学友と連れ立って、彼の待つ自転車置き場へと向かってくる。

「レイジ、お待たせ」

「お兄さん、いつもすみません」

 神矢レイジと風見ナミが同じ帰り道というのは道理だが、同じく鳴海トモエも家は近い。高校に入り、急接近とばかりに仲良くなったこの綺麗な2人の少女は、今では学校の行きも帰りも、一緒に自転車で通っている。

 今では仲の良い2人の少女だったが、彼の聞いたところでは、同じ中学に通っていた頃は、双方とも顔を見たことがあるといった程度でしかなかったそうだ。なんでも、学級が3年間別々で知り合う機会がなかった、という話である。

 彼にしてみるとクラスが違う程度でそういった疎遠になることはどうもよく解らない感覚であった。特に、今のこの2人の仲の良さを思えば。だが、この国の年頃の少女にとっては、縁というのはそういったものなのだろう。

 けれども双方、校内ではそこそこ目立っていたこともあり、流石にお互い顔だけはきちんと知っていたらしい。風見ナミは、校内でも数少ない魔力持ち、そして理知的で姐御肌の少女として。そして鳴海トモエは、大人しいながらも学校どころか中野町一帯にすら名を知られた、恐ろしい程の美少女として。

「さて、今日は急ぐか」

 彼が、誰に言うともなしに、和語で言う。同時に彼は、思い出す。ナミには一つ、伝えるべきことがあったのだ。

「そうだ、ナミ。昼間、家を出る前に葉山サンが訪ねてきたぞ」

「あれ、サキちゃんが?」

 ナミよりも先に声が出たのは、鳴海トモエの方だった。けれども、


 ――レイジ、ごめん。言い忘れてたわ、わたし……――


 彼の内心へと、彼女の「念話」が真っすぐ届く。声に出すよりも早く、念が、彼女の使い魔の内側に、直接届いた。


 彼は、そうした魔女とその使い魔という関係性で発生する魔力的な現象を無視して、口頭で話を伝える。隣にいる鳴海トモエにも、それを伝える必要があったから、という理由もあった。何より、彼ら2人の風見コンビがそうした魔力的な関係にあることを、この美貌の友人は知る由も無い。

「葉山サンからは差し入れを先に頂戴した。猫の分と、我々の分だ」

「ごめん。レイジ」

「ごめんではない、ナミ。気づいた時点でメールでも何でも、ワタシに連絡を入れてくれればいいものの」

 ――あるいは、念話で。――

 そう、最後に、念話で彼女に伝える。彼の前を自転車で走るナミが、うん、と小さく頷くのが見えた。彼がナミの使い魔であることを知らず、それどころか「人間の使い魔などというモノがこの21世紀にも存在している」などという発想も持ちえないであろう鳴海トモエには、彼等2人のこうした念話を前提にしたやり取りは気づかれることは無い筈だ。

「そうだった。サキの高校、なんでも創業祭だかなんだったかでお休みだったわ」

「あ、そうか。この間のメール、その話だったものね」

そう、細い声で鳴海トモエが相槌を入れる。

「だから先に差し入れを置いて、今は旧宅の片づけをしているそうだ」

「そうだった……レイジ、ごめん」

 彼女が念入りなことに、2回も口頭で謝罪を言う。そこまで彼女を委縮させる気持ちは無かったので、彼はもういいよ、と己の心情を素直に彼女へと向けて念を送る。どうやら、それも通じた様子だ。前を走る自転車の上の彼女の背中が、彼の目には少しだけ緊張を解いたように見えた。

「それでレイジ。サキからの差し入れって、何?」

「さあ。開けていないので判らないが」

「ナミちゃん、お兄さん。私、何も持ってきていないけど……」

「うん、いいよトモエは別に。っていうか、サキだって別にそんなのよかったのに」

「なんでも、アカネさんからだそうだ」

「ああ、アカネさん、来られないって言っていたものね」

 そうナミが声を出し、隣で小動物のような美少女が頷いている。

彼もその経緯は覚えていた。

 アカネの大らかで飾らない人柄は、ナミも好意と友情を抱いていた筈だ。それにアカネ当人はというと、風見家に引き取られたかつての保護猫の様子も気に懸けていることだろう。しかし塾講師の仕事をしているアカネは、夕方から夜の時間帯も仕事中である。と、いうことで、大層残念そうな声で断られたのだと、彼はナミから聞いていた。


 川沿いの自転車道に、傾きかけた陽の光が射している。その道の上では、右に美貌の友人、左に彼の可愛らしい魔女殿という並びで、彼の前を2人の自転車が走っている。彼は2人の若人を守るようなかたちで、後ろからついていく、といった寸法だ。

 やがて自転車が中野町へと到達する。中野町の片方の外れに位置する風見家は、ここからすぐだ。因みに、鳴海トモエの住む団地街は、中野町の逆の外れとなる。ここからは自転車で更に10分程移動しなければならない。

「9月に入って、夜が来るのが早くなったねー」

 薄く、徐々に、夕方の色へと変わり始めた空を見上げて、鳴海トモエがどこかぼんやりとした声を洩らす。

「だって来週は秋分の日だし」

 そう、彼の魔女殿が鳴海トモエへと返事を返す。

「そっか。昼と夜の時間の配分が、大体均等になるんだもんね」

「そういうこと」

 生物や天体といった自然科学は、ナミの得意分野だ。その根本には、魔女として自然と向き合う機会が多かったということもあるのかもしれない。2人のやり取りを漫然と聞きながら、彼はそんなことを思い浮かべていた。

 もう一つ言えば、ナミの得意教科には政治と経済といった社会科学系も含まれる。こちらは、魔女、魔力持ちの迫害の歴史と、自治や権利を獲得してきたという経緯に対して、世相に敏感にならざるを得ないという魔女的な立ち位置による物が大きいのだろう。そう、彼は推測している。

「ちょっと遅くなっちゃったかな。準備大丈夫? ナミちゃん」

「まー大丈夫じゃない?」

 今のところ門の前に待ち人はいない。どうやら、遅くなりすぎるということはなかったようだ。

 さあ、団子を作らなくては。彼は小さく一人で頷いた。

 見ると、彼の魔女殿が彼を見上げつつ、うんうん、と同じように頷いている。どうやら彼の今の気合いが、勝手に念として伝わってしまったらしい。これはいけない、気をつけなければ。彼は念が漏れないよう、改めて深呼吸をすると気を引き締めた。



――座標軸:神矢レイジ


「まあ、お団子は仕込みしてあるし、なんとかサキよりも家に早く着けたし」

 そう言って、ナミが風見の家の門を開ける。

 彼女が先行する理由は、その魔力にあった。いつものことだが、彼が家を出た後に魔力的にも門が封鎖されるように、呪文が敷いてある。解呪は、術者であるナミにしかできない。たとえ別の魔力持ちがそれを試みても、大方は無駄な努力に終わる。

 この場合に限らず、他者のかけた術、通した魔力を、別の魔力持ちが解除するなどということは、どのような場面に於いても滅多にできない相談だ。

 そうして彼女が開けた門から、小さな庭の狭い置き場となるスペースに、3人がそれぞれの自転車を収納すると、やはりナミは3人に先んじて家の扉を開ける。これもまた、扉にかけた魔力行使を彼女が解呪するためだ。

 そうして、ナミは中で留守番をしている彼女の飼い猫へと、元気に声をかけた。


「無有ちゃん、ただいまー!」

「相棒、ただいま」

 彼も続けて、声をかける。

「だからレイジ、無有ちゃんはあんたの相棒じゃないの!」

 いつものやりとり、いつものツッコミとボケ。猫を引き取った3月末以来、ほぼ毎回のように続いている会話だ。ああ、帰って来たな、と彼はそのナミの返答を聞いて、心から安堵する。

「お邪魔します」

 鳴海トモエの育ちの良さそうな、品のある声が、後ろから凛と響く。

 いつものことだが、この猫は彼女を嫌うことが殆ど無い。その他の客人の来訪はどちらかというと苦手としている猫なのだが、どうしたことかこの中野町随一の美少女だけは、飼い主の魔女殿同様、安心して身を任せてもいい人物だと分類しているらしい。

 実際、この家に出入りするナミの友人・知人の間では、この美少女が一番身振りも声色も大人しい。密やかだと言ってもいい。

 他のメンバーはというと、どちらかというとガサツと言ってしまえる程の人物が中心となる。動作も大仰であれば声もやたらと甲高いか声量が大き過ぎる人物ばかり。動物から見れば、そうした騒々しさはきっと恐怖心をかき立てるだけに違いない。

 しかしこの客人の美少女がそれだけ大人しくのんびりした人間だということは、そのまま彼女の拳道の上達の遅れの要因ともなっている。

 鳴海トモエは毎回、拳道同好会の練習を休むことはまず無かったが、一緒に始めた同行会メンバーの中でも一番習得が遅いのもまた彼女だった。因みに彼の魔女殿からチラリと聞いた話では、他の教科の成績はそこそこ素晴らしい物を持っているのだが、この美貌の学友は体育的な教科の成績は一向に振るわないのだという。運動に対する素地を本当に持ち合わせていないのだろう。

 対する彼の魔女殿はというと、8年近く拳道を続け、一時期は剣道にも経並行して手を出していたという程、体を動かすことが自然体として身についている。彼女は立ち姿も歩く姿も実に身のこなしが美しいのだが、それはそうした経験の積み重ねによるものでもある。時折は、彼の朝の走り込みに付き合うこともある。そのくらい、体を動かすことが習慣として身についている。

 そうした運動方面を含めて、社会系の科目、そして理系の科目などが、彼女の得意分野の上位に上がる。あとの教科はそこそこ平凡な成績だと、彼女は笑って言うのだが。

 家族に近い立場とはいえ、結局は血縁関係に無い「義理の」兄である彼は、彼女の成績表を見る機会は無い。だからこれらは、殆どが彼女の自己申告である。それでも、謙遜もしない代わりにつまらない見栄も張らない彼女のことだ。大幅に違えているということは無いだろう。そう、彼は踏んでいる。

 そういえば。これだけ綺麗な少女だというのに、対外的にもアグレッシブなことがはっきりと判るからだろう。ナミはいじめに屈したり性暴力の被害に遭うということも、これまでとんと無かったそうだ。魔女嫌い(ウイッチヘイト)が要因のプレッシャーがあっても、殆どの場合、自力でなんとかしてきたという。

 それを考えると、この夏の、傲岸不遜な痴漢野郎によるあの一瞬の乳揉みは、数少ないレアケースだったのだろう。そう彼は理解している。ちなみにその加害者に対しては、彼も遠慮無く、その加害者を叩きのめすことのできる機会に加わらせてもらった。いい気味だ。



――座標軸:神矢レイジ


「さーて」

 一通り猫を可愛がり倒しつつ友人の少女をもてなすという複雑なことをやってのけたナミは、彼に団子の生地を冷蔵庫から出すように指示を飛ばしつつ、髪をまとめ、手を洗い、猫を鳴海トモエへと押し付けながら、彼女用の空色のエプロンを身に纏っていた。

「それじゃあレイジ、あんたは茹でるお湯を作り始めて。団子を捏ね始めたら、後は早いから」

 そうして彼女はテキパキと、台所仕事を進めていく。

 勿論それらの作業には、魔力を使うようなことなど何も無い。魔力持ちと魔力無し、その差はあまりにも些細なものでしか無いのだと、彼はこういう手伝いのときにも実感する。

 この半年、彼女が台所で手元に関して魔力行使をしたことなど、ただの一度も無かった。魔女、魔力持ちの用いる魔力の影響など、そのくらい微細なものでしかないのだ。なんだかんだ言っても、同じ人類なのだから。


 そして、団子作り、その最後の仕上げが始まった。生地自体は、昨晩に仕込みをし、今朝も確認したところである。

 ナミが言うところによると、この団子の作り方は、彼の拳道の師範でもありこの和国での後見人でもある神矢老師、その奥方である神矢リサ夫人から、幼少時に教わったものだという。

 隣接する敷地に住んでいる神矢家の人びとは、家族を亡くしたナミにとって、隣人として、また風見家の先代以前からの古い友人として、家族代わりとなって支えてくれた人たちでもあった。

 対外的には神矢老師が父親代わりとして、そして神矢リサ夫人は、料理ばかりではなく他の生活における細々とした面でも、彼女の母親に近い役割を引き受けている。彼等の下の息子と同じ年でもあったナミは、神矢家からしたら娘か姪っ子のような立場だろう。

 同時に。神矢老師の存在は彼にとっても大きい。彼の和国における法的な後見人として支え続けてくれていることも、また彼とナミとの再会の仲立ちの存在となってくれたことも、彼にとっては感謝をしてもし足りないほどのものでもある。


 さて。

 そうして2人、台所へと収まって、団子作りの最後の仕上げへと入る。

 2人で台所に並び何かを作ることを、彼は密かな楽しみとしていた。ナミのきびきびとした仕草を見て、彼女の的確な仕切りと指示で体を動かして、そして器用な彼女の手から出来上がるご馳走の数々を想って。そのどれもが、彼の空っぽな内側に温かい気持ちをもたらしてくれることだったから。

 料理の場面では主に助手役を受け持つことの多い彼に対しては、魔女殿はときおり面倒だとばかりに、口頭ではなく念話で指示を飛ばしてくることもある。それもまた便利だと彼女は笑い、彼は年長者でありながらも顎で使われることに半ば憮然としつつ、しかし彼女の笑顔を見られることは嬉しかったので、結局のところ不満の類を伝えることも無かった。

 そうして、時間のあるときはできるだけ2人で揃って台所に立つようにと、彼の方は何かと手を回しているのだが、きっと彼女の方はそんな彼のことなど気にも留めてはいないだろう。

 それはさておき。

 今日の台所仕事は、「団子」作りである。和国を再訪して半年以上程経つ彼だが、この間、お店で買ってくるもの以外の和菓子、手作りのそれを口にするのは初めての経験だ。しかも、その手作りの段取りまでも見られるとは。彼は少しばかり、興奮していた。

 中退した母国の大学の専攻は和国文化論、そして元来の和国フリークたる神矢レイジにとって、好奇心がそそられるどころのレベルの話ではなかった。その手順を直に見るだけでも、彼にとっては純粋な驚きと興味と理解と楽しみをもたしてくれた。

 和菓子はとても美しい。和国文化の味覚面だけではなく美の側面からも、彼はその存在に大きく興味を惹かれていた。

 尤も、彼が一番好きな和国の現在の文化と言えば、時代劇フィルムである。主には映画、そしてTVといった映像媒体を中心に、彼は和国の文化面における在りように、長年心奪われている状態でもあった。

 和国の時代劇の巨匠であるタロサワは彼の神にも等しい位置づけでもって崇め奉っている程である。映画に加えて、近年の質の高いTVドラマ形式の「時代劇」も、脚本や時代考証といった面において、彼の興味を引き付けて離さない。

 そういえば。そうしたTV時代劇でも、和菓子が小道具として巧く活かされている描写があったことを、彼は思い出す。

 当該の作品は確か『井戸黄門』であった。

 あのときは、この雨音地方ではなく、和国のどこかの別の地方の名産であるナントカという和菓子が取り上げられていた。その菓子職人一家を主人公一行が助けるという胸のすく展開の中、確かその冒頭での描写であったと、彼は記憶していた。時代劇の中のシーンとはいえ、料理や職人の手元が映る画面は、彼にとってはストーリーと相まって、興味深く、楽しく、印象に残るものであった。


 さて。そんなふうに彼が時代劇の視聴の思い出と比べながら和菓子作りの過程をあれこれと眺めている内に、彼の右に立つ青の魔女殿が、ぐんぐんと団子を捏ね上げている。

 過程は、既に佳境に突入しているようだ。茹でた団子と小豆餡、みたらし餡、かぼちゃ餡、そしてきなこと胡麻、5つの味を用意して、彼女はさっさと仕上げに入っている。

「はい、15個ね」

 月見の団子は15夜に合わせて15個を積み上げるのだと、興味津々な表情を浮かべていた彼に、彼女が軽く説明をしてくれる。これも、茶話会の最後には皆で取り分けて食べるのだという。彼はその説明を、うん、うん、と頷いて素直に拝聴する。


 冷まして照りを出して味付けを用意して、と台所で風見家の2人がテキパキと動きまわっていると、玄関の呼び鈴が鳴る。残る客人はあと2人。葉山サキと、神矢家のリサ夫人である。そのいずれかだろう。彼がそう思っていると、居間で猫と遊んでいた鳴海トモエがナミに代わって玄関へと向かってくれた。気の利く客人で助かったと、彼は思うともなく思う。

「トモエ、助かる」

 ナミが一声かけると、鳴海トモエは何も言わずに振り向いて、一瞬だけ笑顔をナミへと向けながら小さく手を上げる。しかしすぐに、音源の玄関へと消えていった。

 耳を澄ますと、玄関で女性2人の声がする。彼の耳には殆ど聞き取れないが、やや低い声からすると、恐らくは葉山サキの方だろう。神矢リサ夫人はもう少し高い、年齢にしては若々しい少女めいた声を出すし、仕事を終わらせてからこちらへ寄ることとなっている。更に遅くなるに違いない。

 彼はそう思考を巡らせると同時に、これが魔力持ちであれば、聴力に魔力を乗せて、その声を確実に捉えるであろうことは理解していた。たとえば、彼の右隣でせっせと団子の仕上げをしているナミのように。

「カザミ、お兄さん、どもーっ!」

 元気な声で入って来る友人に、ナミは台所から挨拶を交わす。客人の大仰な仕草と大声で、猫は既に逃げ出していた。猫のその様子を目で追いながら、うーん残念、とかなんとか葉山サキが呟き、それを隣で鳴海トモエがクスクスと笑っているのが彼にも見える。葉山サキも決して猫が嫌いなわけではない、それどころか結構な猫好きだということは、鳴海トモエも理解してのことだろう。

「サキ、差し入れ、ありがとね」

「いやいや、それほどでも」

 台所を出たナミが、新たな客人と喋っている。

「お、団子だねー」

「久しぶりに作ったから、段取り思い出すのが大変だったけど」

「すごいね、手作り」

「うん、リサさん仕込みだから」

 葉山サキがアカネからの差し入れだと言って渡してくれたものは、猫には缶詰、人には栗と柿だった。柿は若干熟していない様子だったが、栗はすぐにでも食べられるようにときちんと茹でてあるという。

「アカネさんが、どっちも秋の味覚だし、って。悩んだときは両方を取れ、だって」

「栗、まだちょっと早いよね。よく手に入ったね」

 葉山サキの説明に、ナミが合いの手を入れている。

「そうなのよ。アカネさん、こういう季節を先取りするものとか、どこからかスルッと手に入れてきて。謎のおねーちゃんだよ、ホント」

 割と大雑把な性格の、あの猫拾いが半ば趣味という勤労お姉さんの顔をおぼろげに思い浮かべつつ、彼は手土産の解説をしてくれている葉山サキの前にそれらの差し入れを置いていく。テーブルの上には取り皿や箸など、必要なものは既に人数部の配置が済んでいる。

 先に完成しただんごは、御供え用の15個を綺麗に盛りつけられた分が、食堂の続きとなる居間のローテーブルの上へと飾られていた。ローテーブルは、いつもとは違い南面の窓際に寄せられている。それはどうやら、月に捧げるという形式に則ったものらしい。その謂れをナミから聞いて、彼はうんうんと頷いた。

「尤も15個じゃ足りないから。余分はあるから、あとはいくらでもどうぞ」

 そう言って、彼女は食卓の上にも残りの団子を置いて行く。各々が好きな味で食べられるよう、餡やきなこも置かれている。


「綺麗ね。リサさん、早く来ないかしら」

 鳴海トモエが形良く盛りつけられた月見団子を見て目を細めると、残る最後の来客を待ちわびるように呟いた。

「それにしても、カザミの食い意地は、いい人助けになってるねー」

 彼の魔女殿を茶化しているのは、葉山サキの方である。

「食い意地って程でも無いと思うけど」

 そう言いながら、こちらを見るのは止めてくれ、ナミ。レイジは思わず内心で呟いた。しかしこれは、どうやら念話としては彼女へと伝わらなかったようだった。彼女の表情には何らの変化も無く、また彼への返信も無い。

「食べるもので体をきちんと自己管理するのも、武道者の努めよ。サキ」

 彼の視線は無視して、魔女殿は彼女の親友へと切り返しを図る。

「まーそりゃそうなんだけどねー」

「サキだって、いつかは剣道、復帰するんでしょ」

「そりゃできれば」

「そうよー。いつでも現役に戻れるように体調管理、ちゃんとしておかないと」

「はいはい」

 一家離散という事情でもって、葉山サキの暮らしはこの2カ月で激変した。かつて、彼がナミから彼女を紹介された中学の終わりだか高校入学だかの頃は、この少女は剣道に打ち込む熱血少女でもあった。少女の高校生活の始まりは、中学時代から続く剣道と共にあった筈である。しかし今は、家計と学費の為、学業以外の時間は、殆どアルバイトに追われている。それが少女の生活だ。この日は珍しく、それを休んでの参加でもある。

 そうした彼女の背景を彼がぼんやりと思い出していると、玄関の呼び鈴が鳴った。神矢リサ夫人に違いない。玄関に一番近い位置に居たレイジは、すぐに動く。同時に、若いとはいえこの家の家長たる風見ナミも、彼に続いて玄関へ向かった。



――座標軸:神矢レイジ


「こんばんはー」

 扉を開けると、ニコニコと満面の笑顔で微笑む神矢リサ夫人が立っていた。

「遅くなっちゃってごめん。残業は断ったんだけど、なかなか職場、抜けられなくてねー」

 そう言いながら、リサも何かの差し入れらしいものをナミへと手渡していた。

「今年はもうこれで最後」

 そう言って渡されていたのは、神矢家お手製のラッキョウの漬物だった。

 神矢家では、リサ夫人の陣頭指揮のもとに、春先に大量のラッキョウを漬けるという習慣があるのだという。それを、風見家の2人も時折だが拝受していた。彼はこのラッキョウの味もまた、かなり気に入った。そのこと自体は良いのだが、気がつくと神矢家はかなりの量のラッキョウを、風見の家へと届けていたらしい。その為なのか、今年の神矢家のラッキョウは、9月の今日の分で打ち止めになる、という話である。

 彼は、自身の食欲を顧みて、若干申し訳なく思う。しかしリサ夫人は、

「今年はうちでもよく食べたから、レイジ君のせいじゃないわ。来年はもっといっぱい漬けるから、楽しみにしていて」

 と、「なんてことは無い」という笑顔で微笑んでくれた。

「そしてこっちがサラダね」

 会社帰りということもあり、そちらはデパチカ辺りで仕入れてきたものらしい。鶏と三つ葉のあっさり味で、団子と一緒に食べるには手頃だろうと、彼女はナミへと解説を続けていた。

「お仕事忙しいのに、すみません」

「いいのよ。そのかわり、お団子頼んじゃったし」

「はい。神矢家の分もちゃんとありますから」

 団子の一部は、神矢家へと持たせる段取りになっているらしい。道理で、かなりの量を捏ねていたわけだ。彼は納得して頷いた。

 リサ夫人を上げ、彼女が持ってきてくれたススキを飾る。5人は居間で腰を下ろし、彼の淹れた和茶を飲みながら、室内の照明を落とし気味にして窓から月を眺めた。

 見事に綺麗な丸い月が、ほのかに室内へと光を落とす。

 とはいえ、そこで語られた会話の数々は、まるで月とは関係ない。月見に縁の無い、他愛も無い近況報告の連続である。

 しかしそれはどこか、ほんのりと心の温まる話ばかりだった。


 お茶を軽く飲み干したくらいの時間を経て、一同は空腹を原動力に食卓へと移動し、団子を中心とした宴を始めた。

「おばさま、てっきり今日も餃子かと思っていたんですけれどもね」

「あらあら」

 ナミの問いかけに、年よりも遥かに若く見える顔でリサ夫人は笑う。

「だって、週の中日なかびだから、今日は。流石に時間が無いわよ」

「そうですね」

確かに、餃子は手作りをすると思いの外時間がかかる料理ではある。夫人の言うことは尤もだ。そう、彼は理解と共に小さく頷いた。

 そうはいっても、風見の家が実際に神矢家からの差し入れを頂く場合は、リサ夫人による餃子、もしくは煮物といったラインナップが多い。更に言えば、職業婦人でもあるリサ夫人は、大層忙しいにもかかわらず、偶に時間に余裕があるようなときなどはその餃子の皮すら手作りするようである。

 彼はナミに連れられて何度か神矢家へ餃子作りにお邪魔したことがあったが、ある時、皮の手作りの様子を見て、その手間に大層驚いたものだ。

 ナミの料理好きは、根本的には美食を好むナミの資質もあるとは思うが、その大きな影響の一角には幼少時から隣人として彼女を支えたリサ夫人の料理好きといった面も色濃くある筈だと彼は分析をしていた。

 もう一人の彼女の母代りの人物、紫の大魔女ことスズノハは、彼が覚えている限り、料理方面においてはかなり淡白で、ガサツと言ってもいい程だった筈だ。味覚や台所方面に関して、そちらからのナミへの影響は薄いと言えるだろう。

「それに餃子だと、流石にお団子とは相性があまり良くないでしょ、味的に」

「なるほどー」

 相槌を打ったのは、鳴海トモエである。うんうん、と頷いているが、この小柄な美少女はナミとは真逆で、食べものに関する興味は薄い。食も細い様子で、団子もちまちまと摘まむ程度だ。

 隣に座ったリサ夫人は、そんな少女を楽しげに見遣る。この大層な美少女を、夫人はかなり気に入っている様子だ。そんな2人を、どちらにヤキモチを焼いていいのか、やや悩んでいる様子の目線で、彼の魔女殿が眺めている。

 残る客人の葉山サキは、鳴海トモエとは対照的に、複数の味付けとなっただんごをあれこれと熱心に食べ比べしている。尤も彼女も、味覚に関してはトモエ同様、結構大雑把な感性の持ち主のようだというのが彼の見立てではある。

 但し食欲に関しては鳴海トモエとは違い、健啖家だ。彼の理解では、食材の好き嫌いもあまり無いようである。

「確かに、お団子だったら、こっちのサラダの方が味は合いますね」

 そう言いながらサラダを咀嚼し終えた葉山サキが摘まんでいるのは、ラッキョウの漬物である。

 それから漬けものの話へと話が弾み、その後に団子の作り方について、ナミとリサ夫人との応酬がある。客人の少女2人は、うん、うん、とそれを頷いて聞いている。少女2人のやや鈍い反応は、平素も台所に立つ機会が殆ど無いからだろう。そう、彼はその様子から見て取る。

「ナミちゃんは何でも食事を手作りしちゃうのねー」

 鳴海トモエが、そんなことを感心しつつ呟いている。

「そんなこと無いわよ、トモエ。このお団子の作り方だって、教えてくれたのはおばさまだし」

 そう言って、ナミはリサ夫人へと素朴な尊敬の眼差しを向ける。

「リサさんも、凄いです。ウチのお母さんじゃ絶対にしないもの」

 と、トモエがその素直な感心の目線を、今度はリサ夫人へと向けている。

「まあ、このくらいならねー。ウチは、料理は手作りが基本だったから。昔から」

 そう言いながら、リサはどこか自慢気な表情でこの中野町一の美少女へと返事を返す。

「お母さんの手作りお菓子って、ちょっと憧れますよね。うちなんか、お菓子っていったら洋菓子も和菓子も、お買いもので済ませますから」

「トモエちゃん、ウチだってそうだったよ」

 鳴海トモエの反応に、葉山サキも同様の返事を重ねる。

「まあ、普通のお菓子は難しくてそう作れないけどさー」

 彼の魔女殿が、そうことばを重ねる。

「そうそう、お団子はそんなに難しくないし。作り方」

 そこに重ねるように、リサ夫人が、あまり自慢し過ぎるのはよくないかしらん、といった表情で少女たちの顔へと目線を回し向ける。

「でも、ナミちゃん、餡子に黄粉に胡麻、みたらしにかぼちゃ餡も。よく作ったねー」

 普段から料理をしないらしい鳴海トモエが、ほとほと感心したといった声色で彼の魔女殿を褒めている。

「まあ、今年は皆が来るって言うからちょっと張り切ったのは確かだけどね。でも、それぞれは簡単だよ。小豆餡はレイジが担当したし」

 彼が台所に立つようになってからというもの、豆料理は彼の担当、というようになんとなく流れができていた。煮方はさておき、砂糖の量やその投入のタイミングなど味付け方面はナミの指示に従っただけなので、彼としては、大したことはしていないと本気で思っているところでもあったのだが。どうやら、彼の魔女殿は、彼にも少しばかり華を持たせてくれたらしい。

 5つの味を何度も食べ比べながら、結構な量を胃袋に収めていく。今日は彼もめいっぱい料理づくりで働いている。その分を取り返すが如く、彼は胃袋に団子を詰め込んでいた。一番のお気に入りとなったみたらしのだんごを自分の取り皿に取り分けながら、彼はふと思いついた疑問を口にした。

「そう言えばリサさんは、餃子の皮も手作りしますよね」

「まあ、余裕のあるときだけね」

「やはり素材が粉の物は料理が作り易いものでしょうか」

 彼としては、料理といえば豆やイモを煮ることくらいしかしてこなかった。それ以外の素材の扱いは、彼も今一つ判らない。

「そうねー。ただ、お団子は上新粉、つまりお米の粉よ。餃子は小麦粉だから、同じイネ科の穀物といっても随分と扱い方が違うわよ。それぞれの特性に合わせた料理が必要だし」

 それにお団子はやっぱりお菓子の分類だろうし。そう続ける夫人に、ナミが頷いている姿が彼の視界に捉われる。

 食材が何から出来ているか、料理の段取りは、といった話題がそれから広がって行き、話題が弾む。ナミと彼がアカネからの差し入れである栗と柿を出してきた頃には、場はすっかりのんびりとした様子となっていた。



――座標軸:神矢レイジ


 会話が程良く途切れたところで、誰かの携帯の着信音が鳴る。誰もが知っているクラシックの名曲だが、彼はその曲名が思い浮かばなかった。そしてその音に反応したのは、綺麗だが小動物のような少女、鳴海トモエだ。素早く、自身の携帯を取り出しメールをチェックしている。

「お母様? お迎え?」

 声をかけたのは、リサ夫人だ。

「はい。バス停を降りて、今、こちらに向かっているところです」

「そっかー。じゃあ、一緒に出ましょうか。私も、お母さんの鳴海さんに御挨拶したいし」

 軽やかな声と共に、リサ夫人が立ち上がる。ついでとばかりに、皿を上手にまとめて、片づけ易いようにテーブルを綺麗にしていく。

「あ、おばさま、すみません」

「いいってことよ、ナミちゃん。こちらこそご馳走になって」

 散らかっていた栗の殻を捨てやすいようにきれいにまとめ終えると、リサは身軽に荷物をまとめている。隣で、あたふたとしながら、鳴海トモエが重そうな学生鞄を持ち上げた。

「今年のお月見が週末だったら、トモエも一緒に泊まっていけたのにねぇ」

 鳴海トモエとナミが、それぞれ残念そうに頷き合っている。

一方、葉山サキはまだ暇乞いの予定は無い。彼女は、今日はこの家に泊り、明日は早くに家を出て直接通っている学校へと向かう予定となっている。彼は改めて、その予定を頭に思い浮かべた。

 帰り支度を始めたリサ夫人は、ナミから包みを受け取っていた。夫君と息子への手土産となる月見団子だろう。

 ナミはついでとばかりに、鳴海トモエにも似たような包みを渡している。母親との連絡メールを再度確認していたところだったらしいトモエが、慌てて、盛んに礼を言っている。不意打ちの手土産だったのだろうと、彼は見て取った。

 玄関先で5人、あれこれとしていると、丁度呼び鈴が鳴る。扉を開けると、鳴海トモエの母親が、何度も頭を下げながらナミとレイジを目に留めていた。続けて盛んに礼を言う中、彼女の娘がナミから貰った包みを見せて説明をすると、更に彼女は恐縮して、娘と同学年の少女であるナミへ、大人に対するが如くの大仰な感謝のことばを述べ続ける。

 それから漸く神矢夫人へと視線が行き、母親2人が学校のことや同じ労働する主婦としての共感を持った話を繰り広げていく。そんな中、玄関先という場所を気にしてだろう、娘のトモエが母親の袖を小さく引っ張った。

「ああ、時間が。ごめんなさいね」

 母親の方が誰にというわけでもないが謝罪を口にしながら、娘の肩を抱え、神矢夫人と並んで、玄関の外へと歩みを進めた。

 そして念入りな暇請いの挨拶を重ねて、客人たちは去って行った。

 扉を閉めても、外からは楽しげに喋る母親2人の声が聞こえてくる。だが、その音もすぐに遠ざかって行った。

 玄関の上では、残った3人が、なんということは無しに、顔を見合わせて、小さく笑った。

 そして、残る客人の一人である葉山サキが、ふと思い出したようにして、彼へと面を上げた。

「お兄さん。食事、足りました?」

「ええ。お陰さまで。アカネさんには、ムーのことといい今回の差し入れといい、本当に世話になりっぱなしですね」

「ああ、ちゃんと伝えておきますよ、それ」

「サキ、本当に感謝だわ」

「カザミの団子。日持ちすればねー。アカネさんにも持ってってやりたかったよ」

 残念だ、とばかりにナミも大きく首を振って肯定する。


 基本、ナミは人と食事をするのが好きだ。人に、自分の持っている食べものを分け与えるのも好きな少女だ。

 きっと家族を早くに喪った、その反動なのだろう。そうだろうと、彼は推測してしまうときがある。

 そういえば。

 彼女は神矢リサ夫人にも、また鳴海トモエの母親にも、妙に親しげな瞳の色を浮かべているときがある。やはり年長の女性に対しては母親の面影を見ているのだろう。そんな彼女の、年長の女性へ向ける視線から、彼は彼女の思いを汲んで、少しばかり胸が痛くなる。

 なぜなら……

 ……

 ……

「じゃあ、レイジ。先に片づけるわよ」

「了解」

 想いに耽る間も無く、ナミから遠慮なく彼をこき使う指示が、口頭で飛ぶ。別にそれは構わない。彼はそれを承知で、彼女の使い魔としてこの家に、和国に残ることを決めたのだから。

「サキ。お茶、飲む?」

「あ、お願いしていい?」

「ジャスミンティーでいい?」

「オッケー」

 寝る前に緑茶はカフェインが多くて良くないと、ナミが誰に言うともなしに一人ごちている。彼と暮らすようになってから、随分と独り言は減ってきているのだと彼女は言ってはいる。それでも、時折そうした癖は出てくるものらしい。

 2月。彼が来た当初は、2人の間での念話はあまり上手く繋がることはなかったが、彼女の独り言だけはよく聞こえてきたものだ。5月、6月と、念話が増えるのに合わせるかのようにして、ナミの独り言は減っていっていたように思ったのだが。


 温かい香りの中に、ほんのりと花の香りがする。淡い色合いのジャスミンのお茶を前に、3人が食卓へと座る。

 そうして少しお茶を飲んだら、少女2人は2階へと上がるのだろう。男子禁制の、彼の未知なる空間。ナミの寝室へ。

「レイジ、悪いけどお風呂は最後ね」

「了解」

「お兄さん、お気遣いすみません」

 そう言う葉山サキに彼は「別に構いませんよ」と愛想笑いのような表情を貼り付けて、丁寧に対応する。

「まあ、ワタシたちは部活の後に学校でシャワーも浴びていますし」

 それからは特に汗をかく程のことはしていない。彼女に気を使わせる程ではないと、彼は軽く言い添える。

「サキ、なんだったら一緒に入る?」

「そうだねー。どっちでもいいよ。あ、でもカザミ、あんた宿題がどうこうって、さっきトモエちゃんと話してたじゃん」

「そうだった」

 そうして3人で取りとめも無く会話をしていると、彼の耳に慣れない電子音が響く。葉山サキの携帯のようだ。

「あ、ごめん。メール」

 そう言ってお茶を置くと、葉山サキはポケットから携帯を取り出し、メールをチェックし始めた。

「じゃあわたし、その間に鈴姐さまに電話しちゃうね」

 そう言って、彼の魔女殿は立ち上がると、居間にある固定電話を使いに行った。


 同じ西乃市の北の外れ、そこの魔女コミュニティに住む紫の大魔女ことスズノハに、ナミが定時連絡のように電話を入れるのは、彼女の毎晩の習慣だった。それは年若い内からほぼ一人暮らしという彼女の事情もあったが、神矢レイジが転がり込んでからというもの、彼への不信を抱く大魔女を宥める為という理由も加わった。

 ナミの魔力面での後見人でもあるスズノハは、親友の忘れ形見としてナミを大層大事にしていたということもある。そんなところに、この外国人の男が転がり込んだのである。それも、いろいろといわくつきの関係として。

 彼女の彼に対する不信は、未だに拭い去られてはいない。恐らくそれは一生変わらないだろうと彼は理解し、納得もしている。

 大魔女は、性格そのものは実直そのものだ。そして彼は、その彼女に対して大きな借りのある状態である。彼女が彼に信用を置けないというのは、ある意味仕方の無い事情もあり、彼は一生かけてその借りを返すことで示すしかできない立場でもある。

 難儀だな、と彼は内心、自分だけにことばをかける。

「あ、ありゃりゃ……」

 テーブルの前で独り言を言っているのは、彼の魔女殿ではなく、客人の少女、葉山サキの方だった。

「どうしたの?」

 手短に紫の魔女への連絡を終えたナミが、テーブルへと戻りながら客人の少女へと声をかける。

「いや、弟たちにね、プレゼントを贈ろうとして手配したんだけどさ。どうも気に入られなかったみたい。やんわりと断られちゃったよ、カザミ」

「そっかー」

 残念だね、とナミが友人の少女に柔らかい声を掛ける。

 葉山サキの弟は2人。母方の実家に身を寄せているという。彼女がいつも身内を温かい声で評するときは、浮気をした父やそれを放置した不甲斐無い母のことはない。その母と共に西乃市の自宅から逃げざるを得なかった、小学生だという2人の弟たちに関するものだけだ。

「でも、弟さんたちはお元気なんですよね」

 彼も、そうした彼女の心情を汲んで、声を掛ける。会ったことは無いが、彼も少しばかり、その弟たちにはご縁があり、恩義があった。主に、彼の大好きな『時代劇』方面の件において。

「ええ。お陰さまで。せっかくおねーちゃんがんばったのになー」

 はあ、と溜息を大きく吐くと、「トイレを借ります」と葉山サキは立ち上がった。それと当時に、普段はあまり鳴らない風見家の固定電話がコール音を響かせ始めた。

「あれ? 鈴姐さまかしら。さっきで話は終わっているのに」

 そう言って、続けてナミも立ち上がる。

 連絡手段について、携帯よりも固定電話を好むのは、ナミの知り合いの中ではスズノハくらいのものだ。あとはごく稀に、別の魔女仲間の内の何人かが固定電話を使って連絡してくることがあるが。

 固定電話へと向かうナミを見るともなしに見て、彼は仕切り直しとばかりに一度お茶を片づけて、少女たちに新しく温かい飲みものを淹れ直そうと、立ち上がる。

 ふと。置きっぱなしにされていた葉山サキの携帯電話、その表示画面の文字が彼の目に入った。


――『「犬侍!」公開収録ご招待プレゼント』当選のお知らせ――



(続きます)

トモエちゃんの携帯メールの着信音、何にしようか散々考えたのですが、結局思い浮かびませんでした。実はただのクラシックではなく、→Pia-no-jaC←のアレンジクラシックかも、などと思いながらつらつらと推敲をしていきましたが。


次の話は、もう少し葉山サキちゃんを掘り下げていくかたちとなります。

同時に、青波の魔女こと風見ナミの視点がもうちょい増えてきます。


お読みいただき、ありがとうございました。

よろしければ、次回もおつき合いの程を。ではまた。(只ノ)

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