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銀河鉄道と夜

 私はソファに深く身を沈め、こつこつと足音を立てる秒針をぼんやり見続けていました。波のように寄せては返す陣痛は徐々に間隔を縮めながら、「その時」が近づいていることを教えてくれます。

 お腹の子の父親は不在でした。この星では、出産は自分ひとりで行う決まりなのです。ずっとひどく不安でしたが、それを周りに悟られぬよう、こんなことくらい何でもないという顔をしてこれまで暮らしてきました。しかしいざ「その時」になってみると、もう覚悟を決めるよりありません。だから私はひとりで準備を済ませ、思いのほか落ち着いた心もちで臨んだのです。

 出産は、拍子抜けするほどあっけなく終わりました。血に染まった赤ん坊やへその緒や胎盤と一緒に、不安や緊張がするりと抜けていったようでした。

 私の産んだ赤ん坊は、女の子でした。彼女はただのひと声も上げずすやすやと眠り続けていました。外に出てくる瞬間、確かに泣き声を聞いたような気がしたのですけど。

――ああ、顔立ちが私に似ている。

 出産が無事に済んだことよりもそのことに安堵を覚えたのは、子供の父親の顔を私自身がよく思い出せなかったからかもしれません。


 生まれた子は、まず何よりも先に「洗礼所」に連れていく決まりでした。私は眠り続ける我が子を腕に抱き、家を出ました。

 この星に「昼」という概念はありません。空はいつも深い藍色に染まっていて、そこに無数の星が輝いているのです。昼と夜を繰り返す世界で生まれ育った私には、朝の来ないことが最初は不気味でなりませんでした。しかし慣れてしまえば美しい世界だと、いつしか思えるようになりました。どんな不安や哀しみも、夜空にとけてしまうように感じられたからです。闇が濃くあればあるほど星がきらきらと瞬くので、お天気の良い日はその輝きで心を慰めることができました。

 この日も、空気がひんやりとしていて、星がとてもきれいでした。私は空に浮かぶカシオペヤ座を見上げながら、ゆっくりと歩みを進めました。


 程なくして駅に着きました。駅のホームには私たち以外に誰もおらず、ひっそりとしています。ただ薄暗い蛍光灯に羽虫が触れるぱちぱちという小さな音だけが、かすかに空気を震わせていました。

 やがて二両編成の列車がホームに滑り込んできて、静かにドアが開きます。私はできるだけ足音を立てないよう、そろりと列車に乗り込みました。

 車内はやはり静かで、私たちのほかには赤ん坊を連れた一組の男女がいるだけでした。男性が付き添っているところを見るに、きっと別の星から来た人たちなのでしょう。私は彼らが視界に入らぬように背を向け、二人掛けの座席に腰を下ろして、我が子をしっかりと胸にかき抱きました。

 列車はゆっくりと動き始めました。景色を見ようとしましたが、街は暗闇に沈み、あの無数の星すら見当たりません。車内のおぼろげな明かりが窓の向こうの闇を濃くしているのでしょう。車内には列車がレールの上を走る振動だけが響き、音という音はすべて外の冷たい空気に吸い込まれてしまったようでした。ふいに、この列車ごと宇宙空間に放り出されたかのような感覚に陥りました。

――銀河鉄道みたい。

 私は幼い日に読んだ物語に想いを馳せました。かの人の描くような色とりどりの世界に、憧れていたはずなのに。あぁ、私の今いるこの星は、どうしてこんなにも色彩が少ないのでしょう。

 私は少しだけ泣きました。何が哀しかったのか、自分でもよく分かりません。なんだかひどく心細くて、自分の体が今にも闇にとけてなくなってしまいそうな気さえします。ただ、腕の中で眠る、私の面影をもつ小さな命だけが、私という存在をこの場につなぎ留めてくれていました。私はもう一度強く、我が子を抱き締めました。


 やがて列車は停まり、車内の放送が「洗礼所」に到着したことを知らせました。しかし私はその場から動くことができませんでした。なぜだか「洗礼所」がとても恐ろしい場所であるように思えてならなかったのです。

 いつの間にか、乗客は私たちだけになっていました。車掌らしき男性が、ちっとも腰を上げようとしない私を見かねて声を掛けてきました。

「降りないのですか」

 早くこの座席を立って、列車から降りなければ。そうは思っても、体は石のように固まったままです。床に着く足が、子を抱く腕が、ぶるぶると震えています。

 そんな私に、彼はやさしい声で言いました。

「大丈夫ですよ、すぐに済みますから」

 彼は私を急かすわけでも咎めるわけでもなく、ただ口元に穏やかな笑みを浮かべています。

 赤ん坊は相変わらず眠ったままです。私はようやく心を決めて、ゆっくりと立ち上がりました。そして我が子の寝顔をしっかりと目に焼き付け、一歩を踏み出したのでした。


 ■ 


 意識が戻って真っ先に視界に入ったのは、わざとらしいほど白い天井でした。窓から差し込む光が、私の顔をあたためています。

「目を覚まされたんですね」

 ふいに掛けられた声に顔を向けると、白衣を着た女性が立っていました。

「……もう済みましたよ」

 その哀しげな微笑みに、私は悟りました。

 もう、いなくなってしまったんだと。

 夢の中で、日の光の当たらない世界で、確かにこの腕に抱いていた小さな命は、永遠に失われてしまったんだと。

「午後には退院できますからね」

 再び明るい世界に踏み出していく力を、私は持っていませんでした。



―了―

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