9 豆ご飯を食べながらチケットゲット!
研修期間が終わり、正式に契約社員になった結花はほんの少し時給が上がった。
「でも、900円やねん」
地獄のゴールデンウイークを終えて、6月は休みが多い。デパートのエレベーターガールの都も、土日は休み難いので、自然と会う回数が増えている。
「まぁ、自宅だしええんちゃう」
今日は都に一人暮らしの相談に乗って貰う為に、新居に押し掛けたのだ。
「なぁ、一人暮らしっていくらぐらいお金がかかるもんなん?」
「ええ~!結花が一人暮らし? 無理やろ~」
小さなワンルームだが、白いラグの上に小さなテーブルが置いてあり、都はアイスティーを出しながら、速攻否定する。一言で無理! と決めつけられて結花はムカつくが、アパート代や管理代、熱費と聞かされて、今の給料では無理だと納得する。
「都はそんなに給料貰ってるの?」
先月から大阪市内で一人暮らしを始めた都が、羨ましくて仕方ない。
「去年、一年間貯めたもの。それにデートの日は財布開けへんもん!」
食費はケチって、野菜ジュースだけしか買わないと聞いて、クラクラする。
「昼間は付き合いで、ランチ食べるから、朝と晩は野菜ジュースでええんよ。外食はカロリー高いから」
それでそんなにスリムなのだと溜め息をつく。
「でも、結花は何で一人暮らししたいん? 私は市内までの通勤がしんどいからやけど……まさか、彼氏が!」
彼氏と言えたら、都に堂々と相談できるのにと結花は内心で愚痴る。
「はは~ん! 片思いなんや」
恋愛経験者はピンときて、どんな人? と質問してくる。
「同じモールの楽器店で働いてるねん。田邊聡クンという名前しか知らへんわ。あっ、バンドしてると言ってたわ」
駐車場で会った時に、軽四のバンに乗ってたから聞いたのだ。都は話を聞いてるうちに眉をしかめる。
「それはアカンで! なんか貧乏な匂いがするわ~」
「別に貧乏と決めつけなくても……」
そう抗議したが、都は学生時代に貧乏なバンドマンと付き合って、えらい目に遭ったと説得する。
「バンドったって、素人に毛のはえた程度やのに、スタジオ代だとか、チケット買ってだとか、金ばかり貢がされたわ! まぁ、すぐに目が覚めたから良かったけどなぁ」
あまりに下手な演奏に、100年の恋も冷めたのだと笑う。
夜はデートやねん! と言う都のワンルームマンションからの帰り道、ほぼ結婚が決まってるから一人暮らしが許されたのだと、溜め息をつく。
デパートは土日が休み難いので、サラリーマンの彼氏とはデートがし難いのだが、市内に部屋があれば土日の夜も会えると思った途端に想像して赤くなる。
はぁ~と溜め息をついて帰宅したら、玄関にビニール袋が転がってる。中にはえんどう豆が莢ごとずっしり重い程入っている。
「お母さん、これ玄関にあったで」
ああ、持って入るの忘れてたと、貰い物の玉ねぎの括ったのを勝手口の外に吊して台所に入ってきた母親が受け取る。
「着替えたら、豆剥くの手伝って」
やっぱり、そうくるか! と思いながら二階に上がり、普段着のイージーパンツと長ティに着替える。
台所でえんどう豆を剥きながら、さり気なく一人暮らしについて話す。
「都の部屋に遊びに行ったんよ。可愛いインテリアで、白と薄いピンクで統一してたわ。ええなぁ~」
しかし、母親は手強い!
「嫁入り前なのに、親の気が知れんわ! まぁ、今付き合ってる彼氏と結婚するって言うから、一人暮らしを渋々認めたんやろけど。でも、都ちゃんのお母さんは、そんなこと一言も言えへんで。通勤が大変やからと、スーパーで会った時も、そう言うてたわ。あかんようになった時のことを考えてはるんやわ」
やれやれ、この調子では猛反対しそうやわと溜め息しか出ない。
その日は豆づくしだ! 豆ご飯に、豆の玉子綴じ、それに鰹のたたき。
豆ご飯は少しの塩とお酒と昆布で炊いてある。豆を一緒に炊くと少し色が悪くなるので、豆だけ別に湯がいて入れるやり方もあるが、家のだからこちらで良いと思う。
父親も帰って来て、三人で夕飯を食べる。
「そうや! 来週のコンサート、俺行けそうにないんや。加奈子、誰か誘うて行かんか?」
「ええ~、あんな外タレのコンサートなんか誰も行けへんわ。結花、あんた誰かと行けへん?」
元々、父親が行くと言うから、仕方なく付き合ってるだけの母親は、露骨に嫌な顔をする。結花も年寄りの外タレなんかに興味はない。
「アホか! ギターの神様やど! それもアリーナなのに……勿体ないなぁ」
ギターの神様? 結花は一応貰っておく。夕飯の間、延々とギターの神様の蘊蓄を語る父親から情報をゲットして、若い子も結構来ていると知る。
『聡クンを誘ってみよう! あかんかっても駄目もとや!』
夕飯後はPCでギターの神様のことを調べて、何曲かは聞き覚えがあるとホッとする。封筒に入ったチケットの席も確認したが、本当に良い席だ。
後は、どうさり気なく誘うかだ!
しかし、スモーキングブースで見つけて、チケットが余ってると言った途端、聡クンは、行きたい! と興奮してギターの神様のことを熱弁しだした。
父親が語ると、ウザイ! と思ったのに、同じ内容でも素敵! と熱心に聞き入る。
その日はお互いに早番なので、コンサートにはぎりぎり間に合う。本当なら休んで、気合いを入れた格好で行きたいが、会場まで電車で一緒なのも捨てがたい。予習しとかなきゃ! と父親のCDをインストールする結花だった。
コンサート当日は早番なのに、朝から髪をくるくるしなくてはいけなくて遅刻しそうになった。今日はお弁当はなしだ。コンサートが終わるまで、車の中に放置した弁当箱など考えたくない。フードコートで簡単に済ます。
本当はいけないのだが、終わる30分前にトイレに言って、化粧なおしもばっちりだ。
「お先に失礼します」
終わった途端に駐車場に猛ダッシュ! 聡クンの車で、特急の止まる駅まで行くのだ。
「ごめんなさい、待たせましたか?」
車に既に乗っていた聡クンにぺこりと頭を下げる。
「いやぁ、大丈夫!」
少しタバコの臭いが気になるが、結花にとっては初デートだ。
「ほんま! ええ席や~」
コンサート会場には小父様方も多いが、若者も多くて結花はホッとする。開演ぎりぎりなので、席についた途端にコンサートは始まった。
『ええっ~! 何! 最初から総立ちで、このテンションなん!』
予習はしてきたが、ファンの熱気に圧倒される。
「いやぁ、良かったわ~」
まだ夢見心地の聡クンと、コンサート会場付近の屋台で買った焼きそばを、花壇のコンクリートの枠に腰掛けて食べる。
コンサート会場からアリーナの前の席だった結花達が出たのは遅く、最寄りの駅は人で溢れていた。聡クンにチケットの御礼に、焼きそばを奢って貰ったのだ。
結花にはよく解らないが、ギターの神様のテクニックについて熱く語る聡クンを眺めながらの焼きそばは美味しい。でも、食べ終わる頃には駅も人が流れだしていて、二人で帰った。
『なんかアピールしなきゃ!』
そう焦りながら電車で揺られているが、何も思いつかないまま駅に着いてしまう。
「チケット、ありがとう!」
丁度、遅番の帰宅時間なので、駐車場にもぽつぽつ車が残ってる。自分の車に乗り換えた途端、不甲斐なさに溜め息をついた。
「これじゃあ、駄目だわ! ただの知り合いで終わってしまう!」
さりとて、どうすれば良いのかも結花には解らなかった。仕方が無いので家に帰ってシャワーを浴びようと、エンジンを掛けた。
奥手の結花の片思いは、なかなか恋に発展しそうにない。