5 恵方巻で開運祈願!
結花は隣の青年の名前をゲットした。
「タナベ サトシ……田辺は多分これかな? サトシは賢、哲、聡……」
ハローワークの事務員のお姉さんが呼んだ名前で名前は解ったが、漢字までは解らない。結花はメモ帳に名前を書いて、ぼんやりとしていた。
「恵方巻き手伝って~」
下から母親の呼ぶ声がして、メモ帳を閉じると台所に向かう。
「今夜は節分だから恵方巻きやで。恵方は東南東だから、どっちやろ」
厚焼き卵を棒状に切りながら、あちらが南だからと母親は方向を気にしている。
「何本巻くつもりなん?」
パッドの中に高野豆腐や干瓢や人参や干し椎茸の炊いたのが冷やしてある。
「お祖母ちゃん家のも巻くから10本ほどや。そこの三つ葉を湯がしといて」
「三つ葉は好きやけど、恵方巻きの時は食べにくいで。去年、一口目で全部引っこ抜けたもん」
三つ葉を塩を入れたお湯に入れながら結花はぶつぶつ言う。
「アホやなぁ、三つ葉を細かく切って胡麻をまぶすねん。ほら、もうええわ。水に晒したら、キツく絞って切ってな」
確かにそれだと食べやすいだろうけど、巻き寿司を巻くのは面倒くさいのではと結花は思いながら三つ葉を刻む。
「なぁ、今日も良い職無かったんか?」
結花は「うん」とのみ短く答える。
「そうかぁ、お父さんに頼んでみようか?」
「それだけは嫌! コネで就職したら、嫌な職場でも辞められへん」
ふ~っと二人で溜め息をついて、この危険な話題から巻き寿司作りに会話を変えた。
「寿司桶をザッと洗っから、拭いて」
結花が寿司桶を棚から出して洗っている間に寿司酢を合わせていたのか、炊き立てのご飯を桶に入れると寿司酢を回し入れる。
「団扇であおいで」
寿司酢の香りが炊き立てのご飯の湯気と舞い上がり、結花は深呼吸する。
二人で巻き寿司を巻いて、母親はお祖母ちゃんの家に持って行った。結花は寿司桶や鍋を洗うと、コタツに入ってサトシ君の横顔を思い出す。
『どこに就職するのかなぁ……もう、会うことも無いかも……』
就職もしたいが、サトシ君に会えるかもしれないので明日もハローワークに行こうと決意する。
「ただいま、あれ?お母ちゃんは?」
「お祖母ちゃんの家に恵方巻きを持って行ったわ」
父親はすぐには帰って来ないなと諦めて、結花にお茶と言いつける。
「お茶ぐらい自分でいれたら……」
偉そうな言い方にカチンときて、ぶつぶつ言いながらお茶をいれて、コタツに置くと部屋に戻る。
「なんであんなに偉そうなんやろ。大嫌いや!」
会社をクビになって1月以上も職を見つけられず、結花も焦っていたし、家にいると遊んでいると言わんばかりの父親の態度にもムカつく。
サトシ君のことどころでは無くなった。
「結花、晩御飯やで~」
ずどんと太い恵方巻を食べる気分では無かったが、結花は文句をつけると母親の機嫌が悪くなるので半分に切って貰う。家族3人で変な方向に向かって無言で恵方巻きを食べると、結花は部屋にあがろうとした。
「それで何か職は見つかったんか?」
やっぱり口を出してきたと結花は腹が立った。
「明日、見つけるわ」
こうなったら、販売でも何でも良いと結花は決意した。
「豆も食べんと……」
結花は豆をガシッと掴むと二階に駆け上がった。