3 お節作りは大変!
喪中といえども、12月31日はなんとなく年の瀬のせわしなさがある。何時もは玄関に飾るしめ縄も、略式の角松もないが、純和風の家の玄関には南天が生けられている。廊下は顔が写りそうな程ぴかぴかだし、土間の石畳も水で拭かれて塵ひとつない。
「そろそろ、年越しそばでも食べようか」
コタツで寛いでいる父親の一言に全員から非難の目が集中する。
「まだ、年越しそばには早いわ。お腹が空いたんなら、お節の残りを食べときなはれ」
「なんや、チャンと風呂掃除してやったやないか」
「風呂掃除だけやなぁ。それも、あれが無いこれが無いといちいち呼びたてて」
「日頃からキチンと普段から掃除してないから、大掃除せなアカンねん」
「あんたみたいな役立たず、ホンマに知らんわ」
全く役に立たなかったの父親に母親は冷たく言い放つ。
「毎年、大晦日は喧嘩やな」
結花と兄は正月用の新しいカバーを掛けたコタツで、夫婦喧嘩を聞きながら疲れたなぁと今日の朝からした用事を思い出した。
大晦日の朝、母親はお節作りを開始した。昆布巻きや、下こしらえは既に済んでいたが、大晦日に料理するのが習慣だ。
味の薄い物から炊いていく。蒲鉾、生麩、高野豆腐、慈姑、小芋、筍、人参、干し椎茸、蒟蒻とどんどんと味が濃くなるのだ。
煮物を炊きながらも、他の酢の物や、鰤の照り焼き、豚肉の角切りと大根の炊き合わせ、三度豆と人参を牛肉で巻いて甘辛く炒め煮したの、煮半熟卵と、若いお兄ちゃんと結花向けの料理もする。
「私は台所を離れられないから、あんた花を生けて」
結花は玄関に花を生けろと、母親から新聞紙に包まれた花材を渡された。南天の重そうな程ギッシリ付いた赤い実が、新聞紙の上から突き出している。
「喪中なのに、こんなに赤い実を生けてええの?」
「あんたは何も知らんなぁ。南天は難を転ずるやから、不祝儀の後にええんや。チャッチャと生けてや、まだ手伝って貰いたいことが山ほどあるんやからな」
大阪の母親は一日に何度『チヤッチヤとしーや』と言うのだろうと、愚痴りながら花器を選ぶ。結花は中学からお茶とお華を習ったので、免許は取っている。
大阪でも田舎の結花の家では、女の子は勉強なんてどうでも良いという風潮が根強く残っていた。その代わり、お茶や、お華、着物の着付けぐらいできんとアカンと亡くなった祖母に行儀作法は叩き込まれていた。
正月に相応しい白磁の壺を選ぶと、結花は南天の固い枝を花鋏でパチンと切って、サッサと南天と菊を適当に生けていく。
「あっ、その壺にしたんやな。年末は黒やけど、年明けは白やと教えたろうと思ったけど、知ってたんか?」
「お祖母ちゃんが言ってたなぁ。着物の話やったけと……」
「えっ? 着物やったかなぁ? 私は花器やと覚え間違いしてたわ」
台所の食卓の上で結花は花を生ける。玄関でなど寒くて花を生ける気分にはならないからだ。亡きお祖母ちゃんから行儀作法を叩き込まれてはいたが、大晦日の結花の格好はスェットの上下だ。
「余所に行く時に、キチンとしたらええねん」
亡くなったお祖母ちゃんは夏の暑い時以外は着物を常に着ていたが、家では腰で切った二部式の略式着物を着ていた。
結花は南天を白磁の壺に生けて、玄関にソロソロと運ぶ。
「お兄ちゃん、そこどけて!」
昨夜帰ってきた兄は、広くて長い廊下に這いつくばって掃除中だ。
「おい、水をこぼすなよ!」
祖父が贅沢な木材で造らせた家の廊下に水は厳禁だ。
「気をつけろと言うてるのに!」
菊の葉っぱの裏に水を打つとシャキンと葉がなる。その葉の水滴が廊下に落ちた。
「わちゃ~! お兄ちゃん、拭いて!」
無垢の木に水をこぼすと跡が残るのだが、こぼした瞬間に水を固く絞った雑巾で拭けばセーフなのだ。兄と結花は、赤ちゃんの頃はこの廊下でハイハイを覚え、幼稚園になった頃には友達と走り縄跳びの競争や、兄などは電動で走る車でガーガー遊んだのだが、高い木材なのか傷は付いていない。
「ケントクで磨いたから、つるつるするやん」
白木用のワックスはお祖母ちゃんが使っていたケントクと呼ばれている。塗りたてのケントクの上に結花の足跡が残り、兄はチェッと舌打ちする。
そんなことはお構いなしに、玄関の正面に花器を置くと、土間に降りて高さと枝の角度をチェックした。『お客様の視線で見なアカンで』そう教えてくれたお祖母ちゃんの声が聞こえたような気がした。
「まぁ、こんなもんかな?」
少し南天の角度を変えて、満足そうに結花は頷いた。
「おい、終わったんなら、手伝ってや」
結花は、昨夜帰って来て、床掃除しかしていない兄を手伝う気なんかさらさらない。
「これからお節を詰めて、お祖母ちゃんとこへ持って行かなアカン」
父方の祖母は亡くなったが、母方の祖母は元気だ。しかも、この祖母は未だに現役で美容院をやっている。師走は忙しいのでお節どころでは無いと、母親が嫁に来てからずっと作って持って行っていた。
「お祖母ちゃん所のも作るんやなぁ」
お祖母ちゃんキラーのお兄ちゃんは、それ以上何も言わなかった。
『お兄ちゃんはお年玉貰えるもんなぁ。狡いなぁ、留学や、大学院で、まだ学生やからとお年玉貰えるなんて』
どうにかこうにか大掃除も終わり、お節も重箱にぎっちり詰められた。
「数の子、海老、紅白蒲鉾、伊達巻き、田作り、黒豆、栗きんとん……あっ、叩き牛蒡と、酢蓮根、紅白なますも一段目やで……適当に型抜きした飾り人参や、絹さや、手鞠生麩を散りばめて綺麗に詰めてや。葉蘭で間仕切りしてよ」
母親が詰めれば良いのにと毎年口うるさく指導されて出来上がったお節は、デパートで見る見本ほどの華やかさは無い。
「なんか地味やね」
一段目はまだ黄色や、赤や、紅白と華やかだが、二段目、三段目になると煮しめばかりで地味だ。
「まぁ、食べられる物ばかりやから」
一度、父親が馴染みの料理屋でお節を付き合いで買ったが、味が濃いし、見た目は綺麗なのに飾りが多くて評判はイマイチだった。買ってきた父親も手を付けないし、29日に料理したのか、すぐに悪くなった。
「まぁ、でもスーパーも1日から開くから、お節なんかいらんのにねぇ」
お節を作りたいのか、作りたくないのか、母親の言葉に首を傾げる。お節を詰めた残りはタッパーに入れていく、300本も巻いた昆布巻きは、親戚や母親の友人にも好評なので、百均で買った安物のタッパーに20本30本と詰めていくと、大きな鍋には70本ぐらいしか残らない。
「こんな大きい鍋はいらんなぁ。普段の一番大きい鍋に移して、大きい鍋は洗うてから、なおしといてや。お兄ちゃんはお祖母ちゃんどこへ、お節持って行って。私が行ったら、話が長くなるから、あっ、ついでにこれを母家と分家に、ほんでこれを……」
昆布巻きを配る家を言い遣って、兄は出て行く。その間に、昆布巻きや煮しめを炊いた大鍋を洗って、台所の裏にある物置にしまうと、最後の片付けをしなくてはいけない。お節を作った台所のコンロや床を二人で拭き掃除して、やっとこさ大晦日の仕事は終わる。
「お祖母ちゃんがお年玉くれたで、ほら、結花のも」
「やったぁ!」
ヤレヤレと一休みした途端に父親が年越しそばを食べたいと言い出して、夫婦喧嘩が始まったのだ。
そうはいっても晩御飯を食べたことにしないと、何時までも父親は煩い。結花と母親は味見のし過ぎで空腹では無かったが、お節の残りと年越しそばという晩御飯をつついた。
「昆布巻き、ちょっと味薄かったかな?」
「いや、こんなもんやろ。買ったお節は、味が濃くてアカン。それに食べたらスカスカになるやんか。お節はギュウギュウや無いとアカンから、家で作って詰めていかんと駄目なんや」
何もしないくせにと結花は父親の演説に呆れた。
「やっぱり大晦日は紅白や」
そう言った割にコタツでゴーゴーと高鼾の父親だったが、母親も結花もお兄ちゃんも他のTVを見る元気もなくて寝てしまう。
「蛍の光~」
ハッと目覚めたら、紅白も終わり、どっちが勝ったのかも全員知らなかった。ゴーンと近所の鐘の音を聞きながら、結花は深夜番組の何か面白い物はないかなと探した。
「なぁ、結花。お兄ちゃん、何か怪しくない?」
母親がラインをしている兄を見て溜め息をつく。
「又、恋人ができたんやろ。お兄ちゃん、わかりやすいもん。恋人おらん時はスマホ置きっぱなしやけど、出来たら肌身離さんから」
母親の溜め息はお兄ちゃんの事ばかりではない。
「あんたは恋人はできへんのんか? ホンマにお見合いしてみたらどうや?」
彼氏いない歴を爆進中の娘と、彼女を次々変える息子の将来を憂いながら年は暮れていった。




