14 不安を抱えて、ほうれん草の胡麻よごし
11月になると急に寒くなった。結花は、本屋のスタッフとしての仕事には文句は無いが、遅番の駐車場までの寒さに閉口する。店員の上原さんが1月から市内の店舗に変わるのも、この遅番のせいだと結花は愚痴りたくなる。
市内の書店は地下のショッピング街にあり、8時閉店なのだ。水嶋店長が基本は遅番をしているが、週休もある。ママさんの上原さんには、10時閉店からのレジ閉めは厳しいので、前から転属願いをだしていたのだ。
その上、もう一人のスタッフの山口さんも、年内で辞めたいと言っている。子育ては終えたけど、主婦の山口さんは土日祝が休めないのを、旦那さんが不満を言ってうるさいみたいだ。
結花も本当は遅番は嬉しくない。早番なら6時から友達に会ったりできるが、10時過ぎてからは会い難い。
それと辞めるスタッフの山口さんが言っていた言葉が胸に突き刺さる。
「西園寺さんも、スタッフは2年までだから、来年は次のを見つけた方か良いわよ。遅番を引き受けて、点数稼いでも無駄やわ」
スタッフとは名ばかりのバイトだが、ほぼ店員と同じ勤務時間なので2年を過ぎると、正式に店員にしなくてはいけないのだ。結花は店員になって、遠い書店に飛ばされるのも一人暮らしの口実になるかな? と気楽に考えていたが、現実は甘くないようだ。
そうそう店員を増やしたく無いので、スタッフは2年までと決まっていると山口さんは忠告してくれた。でも、その口調に微かな悪意を感じて、結花は苛つく。上田さんは店員だから遅番をすることもあるが、山口さんは旦那さんの夕食を作るからと、早番しかしないのだ。
『はぁ~! 面倒くさい』
車を運転しながら、大きな溜め息をついた。職場の人間関係で辞める人の気持ちが少し理解できた。
明日が休みなのが、結花にとってはラッキーだ。
「ゆっくり寝よう!」
結花は明日は家から一歩も出ないで、だらだら過ごそうと決めてベッドに入った。
「なぁ、京都の紅葉きれいやろうなぁ」
休みで寝ている結花を、母親が起こしに来る。
「えらい人やで……」
行かないと布団を頭から被って意思表示する。
「呉服屋さんが料亭に招待してくれてるんやけど、誰も一緒に行く人がおらんのや」
そんな恐ろしい招待を受けたら、着物買わされるから誰も行かないのだと、結花は布団の中からもそもそ反論する。
「見るだけでええと言ってたで。それに買う物は決まってるから、同じやねん」
結花は嫌な予感がして、ガバッと起き上がる。
「お母さん! 私の着物はいらんで!」
亡くなった祖母は着物道楽だったが、外出はいつも着物だったし、家でも二部式の簡易着物を夏場以外は着ていたので納得できる。しかし、母親はお茶会や観劇の時しか着物は着ないのだ。年に数回しか着ないのに、着物を見るのも、買うのも好きなので、シツケを取ってない着物が箪笥にいっぱいある。なので、この数年は結花の着物を買うことが多い。
「こんなに高いんか」と驚く父親に、結花の嫁入り道具を少しずつ買っておかんとあかんねん! と言いくるめている。着道楽の祖母に育てられた父は、嫁入り道具と言われると弱い。でも、結花としては、嫁に行くかも解らないし、そんな着物を置ける家で暮らせるとも考えてもない。
「お母さん、お金がそんなに余っているなら、一人暮らしさせてよ」
嫁に行くまでは駄目! と怒鳴られて、買わないと約束させてからベッドから出る。
「ええっ! 着物で行くん?」
下の台所の横の居間には、母親の着物と、結花の着物が衣紋掛けに広げてあった。
「当たり前や、さぁ、サッサと顔を洗うてきてや」
よく見ると母親は髪もセットしているし、メイクもバッチリだ。
結花が一口大のおにぎりを食べてる間に、実家が美容院の母親はてきぱきと髪を纏めてアップにしていく。
秋らしい木の実をあしらった小紋に、白地に紅葉が織り込んである帯を締める。結花に着付けてから、自分が着替えている母親をメイクをしながら、計画的犯行だと睨む。何故なら、結花の半襟には小さな紅葉と銀杏があしらわれていたからだ。
昨夜から半襟を長襦袢に縫い付けていたな! と結花は少し腹を立てたが、素早く着替えた母親に急かされて家を出る。特急で京都に着いたが、やはりえらい人だ。
「さぁ、料亭まではタクシーで行こうか」
張り切る母親に引っ張られて、タクシー乗り場の列に並ぶ。
「まぁ、お嬢さん、ええ着物着せてはりますなぁ」
なぜか京都の小母様方は着物のチェックをしたがる。結花は母親が見知らぬ小母様と着物談義をしているのに呆れて、早くタクシーに乗りたいと我慢する。
一日中、着物で過ごして、結花は帯を解いてホッとする。
「あ~あ、楽ちんだぁ~」
いつものスェットに着替えて、アップにした髪の毛を乱暴に解く。
「着物と羽織りと長襦袢を衣紋掛けに掛けといて」
脱ぎ捨てた着物類を掛けると、後は何本かの紐や足袋や下着を母親はネットに入れて洗濯機に放り込む。それでも、畳の上には着物の小物が散乱している。
「着物は着た後も面倒くさいなぁ」
結花はしないが、長襦袢の半襟も外してクリーニングに出したり、一日着物を干してから畳んで箪笥にしまうのだ。
「でも、結花の着物姿はよう褒められたやん。やっぱり京都は着道楽やなぁ。羽織りが人間国宝のやと、すぐに気づきはるわぁ」
紫色の小紋に、黒地に裾に吹き寄せが描いてある羽織を着て行ったのだが、結花はそんなに高い物やったのか? と驚いた。
「ええっ! また、そんな贅沢したの?」
料亭での食事の後で、呉服屋さんの展示会を見ていた時も、羽織りをよく褒められた。
「なに言ってるの、その羽織りはお祖母ちゃんのやで。私はそんな高いのよう買わんわ」
着物道楽だった姑の遺品は、何点かは親戚に形見分けしたが、良い品は取って置いたのだ。なら、母親が着れば良いのだが、自分のも新品が山づみだし、何となく姑のは着にくいみたいだ。結花は祖母ちゃんより少し背が高いので、着れそうな柄の物から洗い張りに出して、裏地を代えて仕立てなおしている。
「その羽織はほんまは着物やったんや。でも、昔のやから長さが足らへんかって、羽織に仕立てなおしたんや」
洗い張りや、仕立てなおすのもお金が掛かるのではと、結花は溜め息をつく。
「そろそろコタツが欲しいなぁ」
小腹のすいた二人は、京都で買って来た漬け物と、冷蔵庫の中にあったほうれん草の胡麻よごしで、軽く晩御飯を食べる。
「あれ? お父さんは?」
「ああ、何やしらんけど、会合やとか言ってたわ。晩御飯いらんから、京都へ遊びに行ったんよ」
昼も夜もたいがいは家で食べる父親の世話で、お母さんも大変やなぁと漬け物をポリポリ食べた。
「なぁ、結花は付き合ってる人いてるの?」
失恋を引きずっている結花は、傷口に塩を塗り込まれる気がして、京都で買ってきた甘酸っぱい千枚漬けも、味がなく感じる。
「言っとくけど、見合いとかはせ~へんで」
ごちそうさまと、席を立って部屋に駆け上がる。
「このままじゃあいけない!」
ベッドにダイブしながら、中途半端な自分に腹をたてた。