11 冬瓜の水晶煮は失恋の予感
遅番の多い結花と、ビアガーデン掛け持ちバイトの聡クンは駐車場でもあまり会う機会がない。
お盆休みに入り、夏休みの宿題の課題図書がよく売れる。それと同時に自由研究の How to 本も、お盆休みに手伝ってと命令された父親が買って行くのが目につく。
お盆は結花としてはフルで出勤したいぐらいなので、主婦のスタッフの山口さんに休みの交代を申し込まれても速攻でOKを言う。
「御免ね~、息子が帰省してくるから、休まなあかんねん」
そうそう、お盆は大変ですねぇ! と結花も相槌を打つ。家にいたら仏様参りの親戚にお茶を出したりと忙しい! それより働いていた方が精神的にも楽だと思った。
お弁当持参だし、車通勤になって制服のまま出勤するから服も買う必要もないので、貯金は貯まってきたが、一人暮らしをする給料では無いのが問題だ。モールの服屋さんの時給は1000円だと聞き、ぐらりと誘惑されるが、やはりノルマがあるらしい。
「売れなくてもクビにはならないけど、嫌み言われるよ。まぁ、ノルマなんか気にしなきゃ良いのよ」
休憩室でよく一緒になる販売員から、あの店の店長は厳しいとか、優しいとかの情報はゲットしたが、やはり本屋の方が向いていると思う。
それより何か手に職を付けるべきだとは考えるのだが、勉強を今更するのは正直しんどいのだ。モールの中にもカルチャーセンターや、PC教室もある。
英語、PC、父親のことを思い出すので敬遠するが簿記とか、何か資格を手に入れなければ、一生バイト暮らしだ! と奮起するが、お盆が過ぎてからにしようと後回しにする。
実際に結花は少し疲れていた。慣れない立ち仕事と、暑さのせいだ。
去年は不景気な会社で、夏休みは10日もあったが、今年はフル出勤だ。結花は家にいてもこき使われると思って、お盆にシフトを入れたが、お昼寝をしたり、身体を休めることもできる。
お弁当を半分残して、ぐったりとテーブルに突っ伏す。デザートのスイカを食べる元気もでない。
「お~い、大丈夫かぁ?」
また南部だと、一応は座り直す。南部は顔色が悪いと心配する。
「なんや、お弁当残してるやん! どこぞ悪いんか?」
『こんなんが医者やなんて、世も末やわ!』
フンと鼻をならして、あげへんで! とスイカを食べる。
「スイカかぁ~」
羨ましそうな南部の弁当は、いつも通りのドカベンだ。ご飯山盛りに、唐揚げ……
『あれっ? いつもおんなじや……」
南部は診療所に週末のバイトで来ることが多い。昼は遅くに弁当を食べて、午後の診察を終えて帰るので、そうそう会わないが、常に同じ唐揚げと白ご飯だ。
結花は何か変だとは感じたが、南部のお母さんは料理が下手なのか、たまたま見たのが唐揚げだったのかとスルーする。
「お先に~」と帰る結花を、少し心配そうに南部が見ているなんて、気づかなかった。
「お盆休みも今日でおわりだ!」
明日からも夏休みなのでモールには子供連れが涼みがてら来るが、一応はお盆を乗り越えたと言いたいのだろう。結花は激励している水嶋店長さんが一番疲れて見えると笑う。
夏休みは本屋には頭が痛い問題も多く発生する。はっちゃけた学生が集団で万引きをするのだ。
万引きの対応は基本は店長、店員がするが、精神的に疲れる。本屋の儲けは少ないので、万引きを見逃すのは死活問題なのだ。
「あの店はちょろい」と不良達になめられないように、書店では『万引きは犯罪です。見つけしだい即警察に通報します!』とポスターも貼ってある。
実際に中高校生の集団万引きの場合は即警察に電話するが、困るのは小学生だ。今夜、結花は初めて小学生が万引きする現場を押さえて驚いた。
1年生の弟にゲームの攻略本をティシャツの下に入れて店外に持ち出させようとしたのだ。水嶋店長は泣いてる弟より、ふてくされている3年生の兄の扱いに困った。事情を聞くと、モールの近くの家から兄弟で自転車に乗って来たと言う。
「もう、8時過ぎてるで。親御さんは知ってるんか?」
結花が二人に不審を覚えたのも、いくら夏休みとはいえ8時過ぎているのに子供二人で店内をぐるぐる歩いていたからだ。昼間は子供だけで来ることもあるが、夜なのに変だ! それとなく見ていたら、兄が攻略本を弟のシャツの下に入れた。
『万引きや!』
この数ヶ月で万引きは何回も見たが、後味はいつも悪い。今回は親に電話しても、迎えに来ないという最悪パターンだ。
『アメリカだったら、この時点でネグレクトだわ!』
電話番号を嘘をついているのでは? と警備員のおじさんは怒るが、十数回後にやっと母親が出た。
何だか嫌な予感がするので、結花はスタッフルームから離れていたが、茶髪を振り乱した母親に捕まってしまった。
「家の子らは、どこやねん!」
アルコールの匂いにウッときたが、スタッフルームに案内する。結花はドアを閉めて出て行ったが、ピシャン! と殴る音がした。
「親に恥をかかせて!」怒鳴りつける声がスタッフルームから聞こえるが、結花は救いようのない気持ちになった。
鬱陶しい父親が真っ当な人間に思えたし、ましてや過干渉な母親なんか仏様に思えてくる。
水嶋店長も小学生を警察に突き出すのを躊躇ったのを、少し後悔するぐらいだ。あの母親に説教しても無駄だが、警察沙汰になれば少しは反省したかもと見送りながら溜め息をついた。
その日は結花は精神的にまいって家に帰った。なのに玄関には男物の靴が4足もあるし、廊下の先からジャラジャラと麻雀の音がする。
靴から父親の友達ではなく、若いと判断して、兄貴め! と腹を立てる。洗面台で顔を洗うと、台所にお弁当箱を持って行く。
「お帰り~、お兄ちゃんが友達と麻雀してるねん」
大きなスイカを切りながら、母親が様子を見てきてと頼む。
嫌や! と言いたいが、あの母親を見た後なので、しゃ~ないなぁと座敷に向かう。
三間続きの一番仏様から遠い下座敷で、お兄ちゃんと友達が麻雀をしている。そっと廊下から雪見障子を開けて見ると、ゲッ! ナンべーや! とピシャリと閉めたくなる。
「お兄ちゃん、お母さんがスイカ出そうか? と聞いてるで」
顔だけ覗かせて、声を掛ける。
「後もう少しで半チャン終わるから、出しといて」
これで用事は済んだと、結花は母親に言うと二階へあがる。
『アホ兄のせいで、風呂も入られへんわ』
一応は年頃の娘なので、一階に男の人がいると風呂に入り難い。これが父親の友達や、従兄達なら平気なんだけどと腹を立てながら、イージーパンツとティシャツに着替える。
エアコンを入れて、ベッドでうとうとしていても、下から時々ジャラジャラと音がする。
「ええい! ナンベーなんかに気を使う必要無いわ!」
このまま寝たら、疲れが取れない気がして下へ降りる。幸い無駄に大きな家だし、階段は玄関の近くにあり、お風呂場も座敷から遠い。
洗面所と脱衣場も別なので、安心してお風呂に入った。
「ああ~! 極楽や~」
朝起きてからのシャワーにしなくて良かったと、お風呂でリラックスする。立ち仕事なので、足をマッサージしたりして、お風呂から出ると、二階の部屋に駆け上がる。
化粧水をマスクに浸して顔に張ってから、しまった! とジュースかペットボトルを取ってくれば良かったと後悔する。
目覚まし時計を見たら、12時を回ってる。
「そろそろ帰るやろ~」
そう思いながら顔にマスクを張ったまま結花は寝てしまった。
「ええ加減に起きんと、遅刻するで~」
階段の下からの声で、目覚まし時計も掛けずに寝たのだと、結花はかぴかぴになったマスクをはずしながら起きた。
「お兄のせいや! マスク、かぴかぴになるまでしたら、却って水分を取ってしまうわ!」
母親に洗って貰った制服のシャツに着替えて、階段を降りて台所に入ると、兄だけでなく友達もご飯を食べている。
『げげ、泊まったんや』
「おお、今からご出勤か?」
結花は顔を洗う前やけど、二階に上がったりするのが面倒で、制服に着替えてて良かった! と思いながら椅子に座る。
「万年、学生と違うからな~」
兄貴に嫌みを言ったが、知らんかったん? と母親に呆れられる。
「お兄ちゃん、大学院、卒業したで。それに、本人は司法試験も一次合格したと言うてるわ。まぁ、9月に発表あるけどなぁ」
へぇ~! と全く知らなかったとスルーする。はっきり言って、兄のことなど興味が無いのだ。
「本当に知らんかったんや! この前、サージは大学院へ行ってると言ってたから、試験落ちたんをそう言ったんかな? と思ったんやけど……」
結花は何で兄貴のことで嘘をつかなきゃいけないのか理解に苦しむ。
「はい、早よ食べや」
出された冬瓜の水晶煮と、水茄子の生姜掛けをチョコッと食べて、ご馳走様と席を立つ。
「ほら、お弁当~」
相変わらずのお姫様やなぁと、南部は苦笑する。南部の家は両親共働きで、こんなに世話をやいたりしない。まして、今は親を怒らせてしまって勘当中だ。
冬瓜を出汁で炊いて葛でとろみをつけて、小海老と、枝豆を散らして冷たく冷やした小鉢など、料亭でも行かないと食べれないのに、普段のおかずなのだと呆れる。
学生時代からサージの家に友達が集まるのは、料理が美味しいのもあると南部は考える。
『まぁ、家が広いのも有るよなぁ』と、台所の天井の高さにも呆れる。
結花と休憩室で会うようになってから、いつも美味しそうな弁当を食べているなぁと羨ましく思っているのだ。
「おかわりどうですか?」
差し出された給仕盆に、お茶碗を置きながら、良いなぁと溜め息をつく。
「いつも、結花ちゃん、美味しそうな弁当を持って来てるでしょ。羨ましくて~」
母親は、ご飯をよそってお盆を差し出す。
「あの子は冷凍物嫌いやから、お弁当作るの難儀しますねん」
南部は冷凍食品無しで育ったんかぁと、羨ましそうに言う。
「隆! よう聞いときや~」
そんなん知らんがな! と隆はご飯を水茄子の生姜掛けでかきこむ。冬瓜の水晶煮と水茄子の生姜掛けは隆の好物なのだ。
早昼を食べて南部と友達は家に帰った。
「あんたも京都に帰って、勉強し! 2次に受からんとアカンで! 他の同級生は皆もう働いてるやん」
母親の説教が始まり出したので、二階から着替えをバッグに詰めて京都へ退散する。
結花は大学院に通ってると勘違いしたが、あながち間違えでもないなぁと、駅まで送って貰いながら溜め息をつく。隆は大学院の図書館通いの日々に疲れて、実家で一晩遊んだのだ。
「お母さん、ナンベーに弁当作ったって! ナンベー、今は一人暮らしやねん」
母親は南部君の家は代々医者やった筈だと、首をかしげる。
「南部君はお医者様になったんやろ? 確か、お母さんが卒業式で医学部に合格したと、喜んでいたと思うけど……」
「まぁ、医者にはなったんやけど、家を継がないと言って勘当されたんや。あいつ、授業料も返せと怒られたみたいやで……」
なる程! だからモールの診療所でバイトしてるんやと母親は納得する。
「何でそんなに怒るんかなぁ? 家を継がないから?」
「ちゃうやろ、兵糧攻めにしてるんやろ。あいつ、夢みたいなこと言ってるから……中学生の時に、青年海外協力隊に入ると言ってたけど、まさか本気とは思わんかったわ」
立派な息子さんやねぇ! との母親の嫌みを聞きながら、隆は勉強しに暑い京都に帰った。
結花はお盆休みが終わっても混んでるやんけ! と内心で毒づく。昨夜のような後味の悪い万引きが二度と起こりませんようにと、神様、仏様に祈りたい気分だ。
遅番の休憩時間に珍しく若い女の子達がコンビニのおにぎりを食べていた。どうも夏休みの短期学生バイトらしいと結花は違うテーブルにつく。
きゃぴきゃぴと若い女の子独特の、周りを気にせず自分達の話に熱中している姿を見て、結花は年をとった気分になった。
お弁当には冬瓜の水晶煮ではなく、もう少し味の濃い里芋との煮付けが入っていた。結花はバイトの女の子達の話を聞くとはなしに弁当を食べていたが、田邊クンという名前が耳に飛び込む。
「田邊クンのバンドの合同コンサートのチケット買ってよ~」
アニメ声とでもいう可愛い作ったような声の持ち主を、結花は探した。
『あの子や……小さくて可愛い感じの子や……いや、あの付け睫毛はないやろ』
あのボリュームの付け睫毛をつけて、目をよく開けていられるなぁと感心する。結花も何回かは付け睫毛にチャレンジしたが、目蓋が重く感じて長い時間は無理だった。
『彼女なのかなぁ……』
無意識に粗探してしまったが、男の子に受けが良さそうな女の子だと結花は落ち込んだ。




