英雄の剣
実験的な作品です。
ぜひスルーしてください。
少年は言った。
「お前たちが悪だ」と。
私は素直に認めるわけにはいかなかった。これまで正義のために奪ってきた命、志半ばに散っていった仲間たちの命が、私の正義を支えている。
「何を言う。悪はお前たちの王ではないか。己の利ばかりを欲し、民をないがしろにする。あれを悪といわずして、何を悪と言うのか」
少年は私の言葉を聴くと、皮肉まじりの笑みを浮かべた。私の知っているどんな子供も、これほどまでに冷めた笑みを浮かべたことなどなかった。
ため息ともつかぬ息を吐き、少年は言う。
「奴とお前たちの何が違うのか」
「私たちは正義のために戦い、ただ人々のため悪逆非道の王を討ったのだ。お前たちの王は内政をおろそかにし、ただ領土を広げることに心を砕き、人々を苦しめていた。税を上げ、諌めるものを処刑し、国に不幸を撒き散らした。現にお前たちも死ぬところだったではないか」
「なるほど、奴は悪だった。それは認めよう。だが、お前たちとどこが違うのだ? お前たちは私の国を襲い、領土を奪い、希望を根こそぎ奪った。今はもう、生きる場所さえ見つからない。こんなみじめなことになったのは誰のせいだ? お前たちのせいだ」
あざ笑うような少年の言葉に、私は手を腰の剣に伸ばした。これ以上、この悪をのばなしにしてはおけない。嘘を振りまき、人を絶望に陥れる魔物だ。
「私を切るのか、国の英雄よ。子供の戯言さえ受け流せず、死をもって口を塞ぐことしかできぬのか。ああ、嘆かわしい。お前の心は知っておる。お前の心はわかっておる。私の言葉を。お前の悪を。しかし、それを認める勇気だけをもてないのだ。それで英雄と名乗っているのか。何という恥知らずだ。嘆かわしい、嘆かわしい」
「違う! この剣こそが私の勇気だ。悪を切り裂き、罪をえぐり、嘘を断つ。お前のように絶望をもたらす魔物は退治されるべきなのだ」
剣を抜き放ち、私は少年を見据える。
少年は何千年も生きた仙人のような地に根を張った瞳をしていた。
「悪を罪を嘘を全て切り裂くと言うならば、その剣を己に使うが良い。さすればお前にもわかるであろう。剣は悪を切るのではない、槍は罪を刺すのではない、斧は嘘を断つのではない。剣は肉を切るだけであり、槍は臓物をえぐるだけであり、斧は頭蓋を叩き割るのみ。お前の剣は悪を切るのではない。人を切り、人を悪へと変える魔剣だ」
私は剣の刀身をじっと見つめた。
磨き上げられた鏡のような刀身には、酷く邪悪な顔をした男が映っていた。
だれかれ構わず襲いがかりそうなつりあがった眉。人間としての尊厳を失った獣のようなぎらぎらついた瞳。歪んだ性根を著すようないびつな鼻。快楽が染み付いてしまったようなだらし無く緩んだ唇。
悪だ。この男は紛れもなく悪だ。
正義である私は、この男を倒さなくてはならない。この剣は全ての悪を切り裂き、罪をえぐり、嘘を断つ。それは絶対の真理であり、覆ることの無いきまりだ。
私は喉元に切っ先を向け、刃を真上に向けた。そして、一思いに突き刺した。
赤い海が見えた。目の前に寄せては返す、血のように赤い海が。
膝が崩れた。
私は赤い海に向けて足を踏み出した。足首が飲み込まれ、腿が飲み込まれ、腰が飲み込まれ、胸が飲み込まれ、首が飲み込まれ、私の身体は海の底へと潜っていく。
黒く汚れた地面が見えた。レンガを敷き詰めた道が、目の前にあった。
私はレンガが赤く染まっていくのを見て、目を閉じた。
「さようなら。英雄さん」
どこかで、少年の声が聞こえた。