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1章

大森紗枝登場。

  一章 バットパーカーと『幽霊』の少女


「つまりここの元素記号は……コホン」

 一限目、科学の教師が気まずそうに俺の隣で明らかに教科書ではない本を食い入る様に読んでいる蔵島を見る。

当の蔵島本人はそんな事全然気づいてないという様子で『月刊スクープ12月号』と書かれた雑誌を読み続けていた。

「えー、ここの元素記号は――」

 科学の教師が諦めて授業を再開する。

さっきの担任といい、なぜここの教師は蔵島に注意をしないのだろう?

「……まだ時葉にいるのかしら?」

 俺の席は蔵島の隣にある為、クールに勉強に集中したい俺にとって時折ぶつぶつと喋る蔵島の独り言がいささか耳障りだった。

月刊スクープ。

ネットやテレビなどでその月に話題を呼んだニュースをランキング形式で紹介していく人気雑誌で、若者から中高年まで幅広い層から愛読されている。

毎月ランキング一位になるのは、お笑い芸人の○○と女優の△△が電撃結婚! とかありふれた芸能関係のニュースとか、新総理に□□が就任したとかの自治関係ニュースだ。

「……目的が解らない」

 ただ一つ、今蔵島がぶつぶつ言いながら読んでいる12月号だけは芸能でも自治でもない異色のニュースが1位になった。

●●区時葉町に現れた吸血鬼、暴走族に襲われた少女を救出!?

蔵島の持っている雑誌の表紙に大きく書かれたこの事件こそ、その月の1位になったニュースである。

俺もこの記事は読んだことがあるからよく知っている。

事件は去年の12月、季節はずれの蝙蝠がよく飛び回っていた夕暮れ時、当時中学3年生の少女が帰宅途中に何者かにスタンガンで襲われ、車で連れ去られるところから始まる。

少女を連れ去ったのは当時、時葉町で暴力、窃盗、強姦など様々な問題を引き起こしていた暴走族チーム『六花』のメンバーの一人で、以前から少女にアプローチをかけていたものの、少女にことごとく無視されていたので強行手段に出たらしい。

その後、車で六花のアジトまで運ばれた少女は依存性の高い麻薬を無理やり飲まされ、複数の男が少女に襲い掛かった。

だが、その場に一人の男が現れる。

赤いパーカーのフードで顔を隠した男が少女の近くにいた六花の一人を殴り飛ばす。

すぐに数十人の六花メンバーに囲まれた男だったが、この世の者とは思えない程の怪力で瞬く間に全員を倒してしまう。

六花全員を倒した男は最後にその場にいた少女の首筋に噛みつき、何も言わずにその場を後にしたという。

後日、麻薬を使用されたと見られる少女の検査が行われたが驚くことに少女の体から薬物反応は出なかったという。

警察の事情聴取に対し、少女は「パーカーの男の顔は見えなかったが、牙のような歯をしていた」と語っている。

少女の首筋だけを写した写真には確かに人間のものではない歯型が残っていた。

 時葉町には正義の吸血鬼が出る。

この事件がテレビで報道されるやいなやネットなどで爆発的な反響が起き、今でも様々な憶測が飛び交っている。

バットパーカー。

吸血鬼の象徴である蝙蝠と事件当日に男がパーカーを着ていたことからネットでこの呼び方が定着し、新聞やニュースでもこの名前が取り上げられた。

バットパーカーは正義の吸血鬼。

「一体何で……」

 俺の横の席の蔵島がどこか悲しそうに呟いた。

そう、バットパーカーは正義の吸血鬼。

正義の吸血鬼だった。

……それにしてもレディを助けるためとはいえ、数十人とガチンコとはクールじゃねぇなバットパーカー。


       ○


「気をつけー、礼」

「「「ありがとーございましたー」」」

帰りのHRが終わり、皆ぞろぞろと部活に使う竹刀やらラケットやらを持って教室から出て行く。

……結局、今日俺がまともに喋ったのは蔵島とだけだったな。

うーむ、やはりこの金髪のイメージがレディ達(男子は眼中に無し)を緊張させているのだろうか?

「はぁ……」

 時葉の時も彼女のかの字も見えないような生活だったしな。

もしかして俺って自分が思ってるほどイケメンではないのか?

「…………」

 まぁまだ転入1日目だ。

大丈夫、きっと明日には俺に話しかけてくれる素敵なレディが現れ普通にクラスに馴染んでいくんだきっとそうだそうに違いない。

「……帰ろう」

 鞄に教科書を詰めて席を立つ。

 俺の隣の席ではまだ蔵島が雑誌とにらめっこをしていた。

「じゃあな蔵島」

 返事は返ってこない。

どうやら相当集中しているみたいだ。

邪魔しては悪いのでそのまま教室を後にする。

 転入初日で部活動にも所属していないし入るつもりも無いので、真っ直ぐに下駄箱を目指し、上靴からスニーカーに履き替えて外に出る。

中学の経験から放課後の校門付近はもっと1日の解放感で満たされた生徒でごったがえしているイメージがあったのだが、数えるほどの人数しかいなかった。 さっきの俺のクラスの奴らといい、どうやらこの学校の生徒はほとんど何かしらの部活に所属しているみたいだ。

ちなみに俺は小学校から中学校まで習い事や部活動などはしたことがない。

「出来ることなら俺もやりたいもんだ、部活動」

 自分でも気づかないうちに小さな声で口から願望を漏らしつつ、俺は校門を出た。

学校から外に出ると金髪が珍しいのか様々な人に横目でジロジロと見られる。

レディからの視線は大歓迎だが賞味期限の切れたおばさんやら禿げたおっさんに見られるのは不快なことこの上ない。

俺は歩くスピードを速めて帰宅を急いだ。

俺の家は学校から徒歩十五分の距離にあるが急いでいたせいか、ものの五分で中間地点にある辰巳商店街の入り口が見えた。

「ん?」

 しかし商店街門前にある横断歩道の前で俺の足が止まる。

信号が赤だったからだけじゃない。

歩道の向こう側でなぜか体操座りしている小学生くらいの女子が気になったからだ。

 いや、少女が気になったというよりもその周り、少女の背中を横切る通行人の方が気にかかった。

――誰も少女を見ていない。

少女の背中を横切った数人も、少女の横で信号が青になるのを待っているスーツ姿の男も、チラリとも少女に目線を向けないのだ。

「あれは……」

 俺は少女がいるすぐ近くに透明なビンの中に活けられた白菊の花を見つけ、すぐに理解した。

信号が青に変わり、少女の横に立っていたスーツの男が歩きだす。

まさか転入初日に普通じゃないものと出くわすとは、俺も運が無いな。

うーむ、どうするか。

ここは一つクールに……シカトだ。

俺は横断歩道を渡り、うずくまっている少女の横をさっきのスーツの男と同じ様に少女の方を一瞥もせずに通り過ぎる。

悪いな、俺はロリコンじゃないんだ。

「――ぐすっ、ひっく」

「うっ……」

 し、知らん。

無視だ無視。

俺は何も見えん、何も聞こえんぞー。

俺は何も見えないただのクールなイケメンなんだー。

「――うっく、ぐずっ」

「…………」

 ぁああああもぉおおおお! 泣くなよ!

辛抱たまらず俺は体を反転させ、少女に歩みよる。 

「おい、どうしたんだ」

 意を決して少女に話しかけるが、少女は顔を上げずにうなだれている。

「おーい、君だよ君。体操座りしてるお譲ちゃん」

 きっと今、こうして少女に話しかけている所を他の誰かに見られれば恐らく俺は頭のおかしい奴だと思われるのだろう。

だって……普通の人には彼女の姿が『見えない』のだから。

「……えっ?」

 少女はやっと自分が呼ばれていることに気づいたらしく、左手の人差し指を自分の顔に向けて「わたし?」と、不安そうに俺に尋ねた。

「他にだれかいるかい?」

「私のことが見えてるの!?」

「ああ、見えてるぞ」

 少女の問いに俺は笑顔で答える。

 残念なことに俺の目は普通じゃないものを見ることが出来る。

この少女の様な幽霊だってその辺を歩いてる生きてる人間と見分けがつかないくらいはっきりと見えてしまう。

「やっぱりお前、幽霊なんだな」

 そう言うと少女は顔をしかめて「お兄ちゃんには……関係ないよ」と小さな声で呟く。

「お兄ちゃんも、霊能力者なんでしょ? 私べつに成仏したいなんて思ってないから」

 お兄ちゃん『も』?

俺の他にもこの少女を見た奴がいるのか。

「俺は八神清司、別にお前を成仏させようなんて思っちゃいないよ」

 そう言うと少女は少し俺に対しての警戒を緩めた。

普通の生活を目指す俺がこの少女を無視しなかった理由。

そんなもん、泣いてる女をそのままにしておくなんてクールじゃないからだ。

「名前は?」

「……大森紗枝」

 紗枝の名前を聞き、俺は笑顔で頷く。

「紗枝、見てな」

そう言って俺は紗枝の顔の前に握りこぶしを出す。

「えっ?」

 紗枝は不思議そうに固く閉じられた俺のこぶしを見つめる。

俺は自分が紗枝くらい小さい時にあまり笑った記憶がない。

俺が普通だったらきっともっと笑えた、笑いたかった。

……何があったかなんて知らないけど、子供はもっと笑ってなきゃいけないだろ。

レディならなおさら笑ってなきゃいけない。

俺は手のひらを上に向けて拳を開く。

開いた俺の手のひらの上にはライターで出るくらいの小さな火が揺らめいていた。

「……すごい、なにこれ? 手品?」

 子供の紗枝はすぐに食いついてきたが、まだ反応が薄い。

もう一押し!

火が浮かぶ開いた手をもう一度握りなおし、少し間をおいて開く。

すると先程の火が今度は星型の火となって俺の手の上で小さく輝く。

「すごいすごいすごーいっ!」

 紗枝はやっと俺の手の前で満面の笑みをこぼした。

「お兄ちゃんすごいね。手品師か何かなの?」

 笑顔のまま俺に尋ねてくる紗枝。

「これは、えーと、その……」

「手品じゃないの?」

「そう、ただのマジックだよ」

 そう答えて再度拳を握って火を消す。

「やっぱり手品なんだ! ねぇ、他には?」  

紗枝からのリクエストが来たので拳の中のイメージを固める。

こいつの笑顔も見れたし最後にハート型の火でも出して帰るかな。

と、そこで俺はようやく背後からの視線に気づく。

 振り返ると俺がさっき渡ってきた歩道の向こう側でじっとこちらを見ている眼鏡の女性が立っていた。

顔はよく見えないけど腰まで伸びた綺麗な黒髪、赤いジャージの上に白衣を羽織り、足元は便所サンダル……。

なんていうか……変な奴がこっちを見ていた。

 いや待て、この状況はまさか――。

俺が変な奴に変な奴だって思われているんじゃないのかーーーーっ!?

 そうだよな、今の俺は普通の人から見たら笑顔で信号機に話しかけてる学生だもんな。「悪い紗枝、急用思い出した。手品はまた今度な」

若干焦り気味に俺が言うと紗枝は困惑しながらも「また手品見せに来てね」と笑顔で返してくれた。

「またな」

 小さく囁くように紗枝に別れを告げて、俺はダッシュでその場を離れる。

あの白衣ジャージの女、一体どこまで見ていただろう?

最悪信号機に話しかけてるのは誤解されてもいいとして……。

「ヤバイよなぁ、『魔法』使ったの見られてたら」



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