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2:傷つく代償

「人を殺しちまう武器はあぶねえな、引っ込めろよ。俺はただ、極めて平和的な言葉を用いての交渉をしに来ただけだ」

 それとも、何か?

 未だ身動き一つ取れぬ俺が、即死していてもおかしくない俺は、だけれど頭どころか顔に傷ひとつ作らぬからこそ、そこに立っていられた。

「無防備にして無抵抗な俺は、これほど傷つけられてようやく同等ってわけか。エルフ族は高貴だと聞いていたが、随分と地に落ちたな」

 既に全身から体中を巡る血液全てが流れ落ちた。そんな感覚がして、足元の土は吸収しきれずに血だまりを作る。だがその抜け落ちる速さを超えて、血液は精製され続けていた。

 傷が、矢を食ったまま塞がる。

 うごめく肉を見て、一番手前の女――緑髪のエルフが、目をみはった。

「の、地精霊ノームと直接契約している、のか……?」

 四大精霊の一人、火、水、風、土の内の一人はノームと呼ばれる地の精霊。全ての源に生る内の一人は、決して個人に力を貸すような存在ではない。

 地精霊は金属の精錬や鉱物の精製を始めとして、剣造などの武具の精製さえも得意とする。

 だから彼の力は絶大で――俺の回復術の源でもある。その力は地から血肉を精製し、俺から多くの死を奪い去る。

「契約じゃねえよ、ギブアンドテイクだ」

 激痛を代償に精霊術を行使する。何であっても、代償として差し出された物や現象は、彼らの力となりエネルギーへと変換される。だから、そこに全うな契約など無く、だから、精霊たちが確実に俺に力を貸してくれるという確証はない。

 そもそも、契約など行えば一々彼らを呼び出す陣を記すか、詠唱を以て呼び出さなければならない。だけどそれは、無償で力を貸してくれるということで。

 ――ともかく。

 結界すら物ともせず行使された術の力は明らかなまでに四大精霊の一人の力で。

 彼らは、僅かに狼狽を露わにした。

「それで」

 俺の声に反応するのは緑髪。未だ唯一弓を構えぬ、恐らく指揮官だろう彼女。

 ただ一人俺の言葉を受け、だが決して耳を持たないエルフ。

「どうなんだ。俺を殺し続けるか、あるいは……」

 含めるように言葉をつぐむ。

 選ばせるようで、彼女には道が一つしかない。その上でいて、彼女は立場が入れ替わっていることに、気づいていない。

「……来い」

「た、隊長!?」

「黙れ。解散しろ、外した矢は回収して各自帰宅だ。私が許可を出すまで、決して外に出るな」

「は……はっ!」

 展開した多くの男達が、全く同じ動作で敬礼をする。扇状に並ぶ彼らは少女に道を開くように二つに分割し、彼女はその中央を悠々と歩く。俺はその後を、自適に続く。執拗に絡みつく視線は多かったが、それでも矢よりは遥かにマシだった。


 森の中の里は、あの漆黒が嘘のように木漏れ日に満たされてきらびやかに明るい。

 点々と立ち並ぶ大木は、その幹に扉を作る。あるいは頭上の枝に小屋を載せている。はしごは、幹に直接張り付いていた。

 そこら中の幹の扉にさげられている剣を模した看板や、ナイフとフォークが交わるような看板が多く見受けられる。だが、里は底冷えするほど静かで、全身に矢が刺さる俺と先行する少女二人の足音だけが響く。

 地面は石畳。だが、殆ど占め尽くすように蔦が這う。

「く、クライト……さん……」

「お前も来るんだ、立て」

 集団から少し離れた位置で座り込んでいたウィズは、慌てて立ち上がり俺の隣に並ぶ。両頬は赤く腫れ上がり、既に青ざめて紫色だ。

 だというのに、少女は俺へと憐憫の視線しかくれない。まあ確かに、今は鏡を見ることすら嫌なくらいおぞましい姿だろうけれども。

「だ、大丈夫……じゃ、ない、ですよね……」

 涙目、というよりは、既にその大きな瞳から大粒の涙が一粒零れ、二粒、三粒とポロポロ落ちだした。

 やがて両手で顔を覆ってしまい、俯きながら嗚咽を押し殺す。ひどく弱々しくなってしまったウィズは、彼女の家での姿と対照的だった。

「気にすんなよ。悪かった、勝手についてきちまってよ」

「い、いいん、です。わっ、私が、悪いんですから……」

「悪くねえよ、今のところ、誰も悪くない」

 何よりも、胸を穿つのは彼女の涙。

 俺の、非難すべき行動に苦言を呈さないどころか、心配までして自責の念に駆られる。

 完全に自己完結することに慣れてしまっているからこその言動。明らかに彼女の迷惑になった俺――という認識はなく、飽くまで彼女の中では、勝手に連れてきたせいで迷惑をかけてしまった、というものだろう。

 身勝手なことだが。

 悔しくなる。

 恨みたくなる。

 これほど素直で、優しい少女を、そんな悲観的な方向にねじ曲げてしまった連中が。

「私はここで待機している。貴様らはこの先に、ウィズ、お前はドアを開けて”差し上げろ”。来客の様相を呈している、蛮族の野盗をな」

 緑髪が脇に退く。

 そうして、眼の前に聳える里一番の巨木を見た。

 樹齢千年と言われても驚きはしないだろう、里の中心で聳える大木。根が数段ばかりの階段を造り、正面には両開きの扉。

「隊長、いいのか? 通しても」

 俺のふざけたような問いかけに、硬く拳を握りながら、吐き捨てるように、だけどしっかりと答えて返してくれる。

「拘束は貴様が侵入する以前から成されている。足まで縛れば動けないだろうし、運んでやるつもりは毛頭ない。十分ではないのか? 貴様は至極平和的な方法として、言葉による交渉を望んでいるのだろう?」

 俺が誠実で、目的通りにここに来たならば、その言葉以上の拘束はなかった。

 苦笑して頷く。最後に一瞥してみても、彼女の表情が変わることはない。

「ウィズ、この格好はさすがに変かな」

「よく似合っているぞ、ゲスには程よい洒落た格好だ」

 隣の彼女に訊いたはずの声は、なぜだか後ろから返ってくる。気持ちはわからないでもないが、いつまで突っかかってくるつもりだろうか。

 階段を上がり、扉の前に来て、ウィズが俺の顔を覗き見る。彼女は未だ口角を下げて瞳を真っ赤に充血させているが、それでも涙は止んでいた。

「ウィズ、俺の行動であんたにどれほどの迷惑がかかってんのか、俺にはわからない。例え一番上の者が連中に睨みを利かせても、だ」

「そう、思うなら……どうして、ここへ?」

「俺が屑だからだよ」

 相手の立場も弁えず、自分が納得し満足するためだけに来てしまったことに対して、最早俺は自己弁護すらできない。

 一歩でも道を間違えれば、それこそ盗賊よりもタチが悪い性質なのを、よく知っているから。

「そ、そんな……こと」

「そこで詰まるなよ、否定しきれてないぞ」

 苦笑。ここで、彼女は俺の真意を冗談だと受け取る。こわばった頬がほんの少しだけ緩んで、瞳が、また少しだけ潤んだ。

「ま、なんとかなるさ。行こう」

「……はい」

 こくり、と頷き、前を向き直す。

 ――扉は、だけど彼女が手をかける前に、勝手に奥へと押し込まれて道を開いた。

 中は漆黒。やはり結界が張られているようだ。

 だけれど、ウィズは立ち止まること無く、俺の腕を掴んで先に進む。「行こう」と重ねようとした言葉を飲み下して、俺は隣を歩み進めた。


 鮮血よりもなお赤い絨毯が、床の木目を覆い隠す。

 天井には眩い光球。それが室内を眩く照らした。

 円形の空間。見回す程に広いその最奥に、五人は腰掛けられそうな黒い革のソファ。

 そのど真ん中で足を組み、腕さえも組んで俺を出迎えるその姿はやはり矮躯で、恐らく立ち上がっても俺の肩ほどにすら至らないだろう。

 赤髪の少女。耳に大きな鮮やかな蒼玉をイヤリングとしてつけ、白金の甲冑は鮮やかに光沢を見せる。

 彼女の姿は――昨夜、ウィズと共に居た、先生と呼ばれる少女のものだった。

「随分な格好だね」

 開口一番は俺の姿を咎めるものだった。

 確かに、そのハリネズミ然とした姿は異様そのもので――矢面が前に出ればまだ見てくれもいいが、矢羽が身体から生える姿はやはり、気持ちが悪い。

「お陰様で、とだけ言っておきましょうかね」

「しかし痛々しい姿だ――っと」

 少女は俺に手を掲げる。すると、突如として数十本の矢が俺の肉体を突き抜けた。動きの失せたそれが新たに推進力をもって吹き飛ばされたかのように、肉体には無数の穴が穿たれ、そして鮮血に塗れた矢は、俺の背後で一纏めにして床に置かれる。

 瞬時に術式。肉が蠢き、血が湧き、それはおよそ常識はずれな速度で、当たり前のように傷を塞ぎ癒していった。

「これで、まだ見れる姿になった」

「感謝致します……族長様、でよろしいのでしょうか?」

「構わないよ」

 確認の意は、だけれど呼び名が正しいという肯定ではなく、それで間に合わせておけとでも言うような首肯だった。

「それで? お前は私に処罰を言い渡されに来たのか?」

「昨日の今日で突然自殺願望に動かされるような人間じゃありませんよ」

 すました顔は涼しげで、眠たそうな目は半分ほど開いていればいいくらいで。

 真剣なのか、気を抜いているのかさえも定かではない彼女へと、だけれど俺は言葉を紡いだ。

「一つ、どうしても気になることがありましてね」

 だから、まずは問う許可を。

「気になること? 精霊術師は聡いと聞くが、そんなお前に完結できぬ疑問が?」

「その土俵においてはエルフ族に決して勝てぬ人間を相手に、その鼻にかけた言い方はやはり尊敬に値しますね」

「……まあ、いい。申せよ」

「ええ、僭越ながら」

 小さく頭を下げてから、胸いっぱいに息を吸い込む。

 隣のウィズはちらりと俺を一瞥する。彼女へと、俺は片目をつむって安堵を促した。

「彼女は俺たちを救ってくれた。そこに感謝している。そんな彼女を育んだあんたらにもだ……だがな、確かに人間は危険で愚かな存在かもしれない。なのに、まだ何もしていない俺たちが居るというだけで、彼女が無条件に暴力を受けなければならない理由はなんだ?」

 一息に吐き出す。

 それでも呼吸は乱れず、視線は族長を睨みつけたまま。

 しかしそこに嫌悪感はもちろん、何一つとして俺の感情を感じぬように嘆息する彼女は、その小さな口をゆっくり開いた。

「何の話だ?」

「なっ……」

 久しぶりに、僅か一言で乱される。

 心が揺れる。

 本当に何も知らぬと言わんばかりな顔で、零した言葉はおよそ想像を上回った。

「彼女が……ウィズが、頬を腫らして居るだろうが! 俺が撃たれる直前にだって殴られたばかりだ、それなのに、あんたは……」

「我々は、同胞を傷つけることなど決してしない」

「あんたは……、ウィズ、悪いが、少し外で待ってて――」

「――ここに居ろ。お前の都合で彼女を道具のように置き場所を変えるんじゃない。傷つけられるのだろう? ならば外に出せば、お前が居ない隙にまた非道い目に遭うんじゃないのか。お前という元凶が来てしまったから、彼女のせいだ、とな」

 そうして、腕組みを解く。しっかりと二本の足で床を踏みしめるが、立ち上がる様子はない。

 膝の上に腕を置くように上肢を倒して、睨み上げるように、顔を上げた。

「無尽蔵に自分の都合を押し付けるのは賢くないやり方だ。無理を言えば、逆に無理を訊く。少なくとも我々の里では互いに支えあう事で生きている」

 鋭く冷たく、それでいて経験に富んだ言葉。

 仕事を介してなら必ずできていたこと。

 だけれど俺の偽善を敢行する上で、目を覆いたくなるほどに無様でどうしようもなく空いたままの穴を、彼女は正確無比の言葉の射撃で射抜いてみせる。

 今の俺の偽善はもはや偽善ではない。彼女の言葉通り意固地になった俺の我儘であり自己満足、それはやはり俺のためでしか無い。

「いい加減お前の直接的な癖に的を射ない、私が欲しい質問が来ないから言ってしまうが――ウィズ・エフォウは我々エルフ族の民などではない」

「あ、あんたなあ……!」

 傍らに目を向けられない。

 里の同胞に殴られ、拒絶されて――あまつさえ、同胞であることすら否定された彼女の顔を、今は見られない。

 本当ならば、俺が居なければ未だ保てていただろう仮初の平穏を、俺がぶち壊してしまったから。

 だから――その、俺の中にある全てを押しつぶしてしまう責任感が、俺を動けなくして。

 族長の口角が上がる。それだけを見て。

「それがお前がしてしまった、傍若無人のもたらした結果だ。お前は、せめて己の行動を偽善と呼ぶならば、良く身に染みて理解しなければならない」

 両手で顔を覆う。

 膝から崩れ落ちて、その場に座り込む。押し殺した声が、それでも小さく漏れて嗚咽を響かせる。

 視界内で、それを見て。

 俺は、俺が信条としていた全てが崩壊していく音を聞いた。

 一人の少女を破滅へと蹴り飛ばしてしまった――そんな特大の罪が、俺の喉元に突きつけた刃を勢い良く押し込んでいて。

 呼吸が不安定になって。肩が激しく上下して。

 視界が、歪んで。

 世界が、俺の意識から遠くなっていくような感覚に襲われて。

 だけれど膝から崩れたり腰を砕いたり出来るほど、やわな身体じゃなくて。

「俺、が……」

 しでかしてしまった『偽善』の代償は、傷だらけの身体に痛いほどに染みてきた。

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