6:そして約束のために
東大陸の最南は、『龍族の郷』と呼ばれる地がある。その範囲は地図でみればおよそ指先ほどの大きさしかないが、龍族内部で解決できぬ問題は、多すぎるほどにあった。
ゆえに、東大陸政府ではあらゆる問題解決に、特務機関だけではなく、信頼出来る傭兵を雇って向かわせる。異国、あるいは同国出身であって身分を証明できたとしても、それに問わず監視官が必要とされていた。
龍族間の問題は、それほどにナイーブらしい。単純に武力として強力すぎるから、不手際のないようにするためなのだろうが。
「それで――どうしてまた、わざわざ東に?」
眩しいくらいの銀髪を、後頭部のちょうど真ん中辺りに一纏めにして馬の尾のように垂らす少女……というには、成熟していた女は、内容ではなくその会話自体を楽しむように訊いた。
彼女は一人で、俺の背につく。
目の前には、三階建の建造物くらいなら一飲みしてしまいそうな大口を開ける竜――四肢広げて這いつくばり、紅く輝き、動くたびにその残像を見せる若い彼は、今回の討伐対象だ。
距離は、まだ追い詰められるほどのものではないが、
「北に彼女がいるなら、まだ逢いたくないモンですからねぇ」
一国の姫様が目の当たりにするには、あまりにも近い距離だった。
いや、
「姫様……いや、王女さま、でしたっけ」
「でも、ヒィさんにしたら私ってまだまだお姫様、なのかもですね」
「いや、それはないんじゃないんスかね」
国王が病に倒れたらしい。
躍起になって俺を探し続けていた心労がたたったのだろう。もっとも、その寝室で全ての事情を話してやったら、少し顔色が良くはなったが。
俺が知り得た真実は、奇しくも国王が隠し続けていたものだった。
俺がそれとは無関係で、他国にタレこめば全てが混沌に堕ちる情報である。こと精霊術に精通しても得意ではないこの国は、まっさきに攻め込まれる可能性だってあった。
そしてその国王に成り代わったのは、一人娘のヒュラー・イーシス。姫でありながら、国立図書館唯一の利用者兼司書を務め、昼間は洋菓子店で働く勤労な女だ。
今では王女なのだから、まあ順当であっても、少し現実味がない。
俺がここにいる理由は、まあ多々ある。
まずひとつが、ちょっと金が入り用になったから。だから手頃で、コネのある東に来たのだが。
姫様が王女になっていたり、色々衝撃的な事実を受けながら仕事を請け負えば、気が付けばここに居た。
『祖先から伝わる龍族の秘宝を喰らい凶暴化した同胞を倒してくれ』という、龍族らしからぬ仕事に取り掛かっていると自覚したのは、ついさっきである。
「まあ、二年前までの俺なら、すげービビったでしょうが」
「わ、私は依然ビビってますが?」
後ろから両肩を掴んでブルブルと震える王女を横目に、本当に何しに来たのだろうかと疑問に思う。顔は青ざめているし、目は伏せがちだし、本当に怖がっているのだろうけれど。
まさか王女にもなって失禁などされてはたまらん。
既にあの竜はこちらに気づいているだろうし、さらに言えばその種は火竜に限りなく近い。特異的に強制進化したのならば、どうなるか正直俺でも分からない。
「さ、王女さま。帰りますか」
「な、た、倒すんでしょう?」
「倒すには倒しますが、まあ王女さま危なくねえ? っていう」
「お、お気になさらず。姫から王女になって、肝っ玉もガッチガチですからっ!」
「まあ、了解ス。んじゃ見ててくださいね」
なるべく安全を期そうと考えた。
それは彼女を守るためでもあるし、
「――ヒィさんっ?!」
龍族だって、同胞の死は望まないだろうから。
俺だって、もうイヤなんだ。
彼女が叫んだのは、掴んでいた肩の感触が失せたから。突如として、俺の肉体だけがそこから喪失したからだ。
そして、俺は今にも弾けそうなくらいこちらを睨んでいた竜の眼前に転移した。
眼球が俺と同じ大きさだ。まるで、羽虫にでもなったような気分で――それでも上回る実力を、自我を忘れた彼は認識できずに居た。
「――っ」
竜は四肢を地について身体を支えていた。
なのに、気が付けば前肢の右が俺の頭上に回っており、油断すれば瞬く間に、それこそ羽虫を叩き落とす勢いでその平手とも付かぬ右手を打ち込まれていた。
巨体ではありえぬ速度に、反応が遅れる。
激痛が思考を汚染し、肉体は大地に炸裂し、地面を砕いて窪みを作る。全身の骨が粉々に砕けて、ただそれだけで、死にも至るダメージとなっていた。
そうしてダメ押し――ではなく、終わりを知らぬ竜は地団駄を踏むように俺を踏み、潰し、躙る。舐る。
全身は砂粒よりもより細かく、汚く、血反吐と黒ずんだ血をまき散らすわけもなく。
「あー、マジでビビった。やっぱすげえな、龍族。奥深い」
何もない場所を鋭い爪で切り裂き、噛み付き、大穴を開けて、トドメとばかりに何かを吐き出そうと彼は上向く。
そこで、宙空で浮遊している俺に、気がついた。
傷一つなく。骨も折れず、皮膚も裂けていない。
己の攻撃など一切通用しない――そんな理解は、あったのだろう。
「遅かったな」
それが致命となるのだ。
意識する。
ただそれだけで、竜の四肢が触れる大地が緩く震える。そして突如として、勢い良く人一人分はあろうかという太い石柱が突出。さらには石とは思えぬしなやかさで竜に巻き付いた。
四肢に絡みつき、胴を簀巻きにして大地に引き込む。そうすれば瞬く間に力自慢の竜さえも、大地にへばりつかざるを得ない。
そして静止すれば、こちらのものだ。
「ん……」
肉体内部で、もっとも強い魔力を放つ部分を特定する。秘宝であり、進化するのならば魔の力が加わっていないわけがない。特にこういった異種族の場合は、その影響が極めて強いのだ。
そして――喰ってしまえば、溶け出し、その肉体全体に回る可能性だってある。
それが、今回の場合だ。
俺はゆっくりと降下し、口さえも石柱に巻かれて拘束されている竜の鼻先に立った。
この場合の対処法は、ただひとつ。
目標の殺害による無力化。秘宝は諦めるしか無い。
ただし、”通常ならば”だ。
俺は竜の額に触れ、感覚を研ぎ澄ませるように目を瞑る。
こいつの時間を巻き戻す。
数時間でも、数年でも、十数年でも。それが五百年も長大な時間でない限り、俺には可能なのだ。
単純な――複雑怪奇でもあるが――時間遡行に、転移術で利用する座標の固定と空間への干渉を重ねる。併用するにはただならぬ苦労を要するが、大変なのは発動するまで。
俺の体力を著しく消費して、竜の肉体の輪郭を描くように、その表面が輝いて……まるで成長過程の逆再生を見ているかのように、身体が瞬く間に小さくなっていく。
やがて人より三回りほどの大きさになった所で動きを止め、輝きが失せる。
拘束していた石柱は、崩れること無く大地の中へと引っ込んでいき。
意識を失いぐったりと倒れる竜の傍らに、秘宝らしき、両手でようやく持てるくらいの宝玉が淡い蒼光を放って転がっていた。
「はぁ……秘宝、ねえ」
龍族であれほどの効力を発揮するのだから、人間への影響は少ないのかもしれない。
彼らが出て来なかったのは同胞の殺害を厭んだからか、あるいはこの玉石による影響を忌避したからか。
それらを含めても、御しきれないから、という理由がやはり大きいのかもしれない――。
◇◇◇
竜と秘宝とを郷に送り届けて。
城に戻って、報酬をもらって。
「それじゃ、そろそろ行きます」
大きすぎる玉座にちょこんと座る王女に、軽く頭を下げた。
数百万にも及ぶ報酬は、俺には荷物過ぎた。だからちょっと三十万くらいを手にして、そこを辞そうとするのだけれど。
「もう、帰るのですか? もう少しゆっくりしていってもいいのに」
そうは言っても、彼女だってやることが山ほどあるはずだ。
いくら城下町に出て働いていたからといっても、全てが把握できていたわけではない。
今後改善していくべき点、国民の不満や意見、それらを取りまとめなければならいし、まだ問題点だってある。国を治めるには、またそれに応じた知識や経験も必要だ。
今回はちょっとした息抜きでついてきたとしても、今後はなかなかそうもいかない。
彼女だって、自覚しているのだろうけれど――多分、来客のもてなしを、以前のように気易くできないことにやきもきしているんだろう。
「ええ。俺にもまだやることがあるんで。また遊びに来ますよ」
「そうですか? じゃあ待ってます」
「はい。頑張ってください。俺も手伝いますから」
と言っても、俺が魔女を継いだことを正確に理解しているのは前代の国王だけだ。彼女は、なんとはなしに、まあ凄いんだろうなあ、と理解しているくらいで。
「ヒィさ……ヒィトリット・クライト。あなたにも神の祝福と――女神の加護を」
気軽に呼びかけて、その玉座の間に二人だけではないことに気づく。
見知らぬ、というかこれまで殺しにかかっていたはずの男を前にして、殺気立たぬ兵士は居ない。だから玉座へとまっすぐ続く赤絨毯に沿うようにして、城内の兵士がぞろりと並んでいた。
にしても。
女神とは、まさか自分のことじゃあないだろうな? そう思って彼女を見ると、子供っぽく、ぎこちないウィンクを返す。
それに苦笑しながら、改めて頭を下げた。
そうして、下手な兵士ごときに舐められているのも癪なものだから、俺は城の外まで一気に転移する。
せせこましいと言うにはあまりにも広すぎる空間だったが、大きく広がるその町並みを見下ろす城の屋根に居れば、解放感が俺の中に満ちていく。
俺は大きく深呼吸をする。
今頃ざわついているだろう玉座の間をイメージしながら。
俺はその手に下げる布袋に収まる紙幣の重さに充足感を覚えながら、再びそこから姿を消した。




