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4:苦悩

「なん――っ!」

 怒りに任せて叫んで壁を殴る。だがあまりにも力いっぱい壁を殴りすぎたせいで、殴り慣れていない拳にヒビが入るような激痛。即座に治すも、怒りは既に霧散した。

 どうして術が完成しない。

 なぜ時間遡行が空間に影響しない。

 何が足らないんだ。

 必要そうな鉱石は全て利用した。重要そうな情報は記して特に意識した。

 そもそも時間遡行は技術として確立されている。未来の俺も、師匠もできていた。

 ならばなぜ俺が出来ない。ありえない、こんなのは。

 伸び放題になった髪をかき乱して、俺はもう怒りも痛みも忘れて再び思考に没頭しようとする時。

 深淵の地に、小さな着地音が響く。

 振り返れば、長い黒髪の女がそこに居た。


 悪魔にしては小さめの羽根を体内に納めて、短く息を吐いた。

「一苦労ですわ。オリジのように速くは飛べませんもの」

「珍しいな。あんたが、何のようだ?」

 俺の背には巨大な扉。

 かつてここで戦闘があった。

 今思えば、どうしてあれほど苦戦したかも分からぬ敵。だからといって、侮辱するわけではない。

 彼は紛れもなく本物の強さだった。だが己が自力で手に入れられる限界を悟り、種としての進化を望んだ。

 今ならばその気持は、痛いくらいにわかる。

 そして――邪魔をしにきたのならば、俺のとるべき選択はただ一つだ。

「落ち着いてくださいませ。別に今さら、あなたの選択をどうこう言うわけではないし――もう取り返しがつかなくなるわけはない。わたくしの言葉の意味、わかります?」

「俺が、未だにリフより弱いってわけか」

「正直な所、リフなら最悪私たちで止めることが出来ましたわ。それに今のあなたは、見違えたといってもいいくらいに強い。その生涯できっと未知だった力の存在を知ったから。その素質があったから」

「だが、俺がこの扉を開けようとすることに、なんら脅威も危険性もないってことだろ?」

 そこに怒りは湧かない。自覚しているからだ。

 俺に欠如している部分がわからない。そんな弱者だということを。

 彼女がそれを止めない理由。

 信頼がある、というわけじゃない。

 本気で開けるわけではないと思っている。そういうわけでもないらしい。

 その気になれば、直前で止められるからなのだろう。

「そのとおり。だけれど、意識の違いで、それを改善させられる。あなたは見て分かるくらいに真っ直ぐすぎるのよ。どれだけ強い力でも、軌道さえわかれば対処は簡単。それとおんなじなのですわ」

「意識の違い? 俺が、何か間違えてるっつーのかよ」

「まるで正しい事しかしていないような言い草ですわね。滑稽もいいとこ、容姿も相まってそこいらにたむろってる盗賊のようですわ」

「なんだと……っ」

 よりにもよって、あんな奴らと一緒に――。

 拳を固め、鋭く睨む。

 だがフリィは、改めて嘆息して肩をすくめるだけだった。

 舐められている、のではない。呆れているのだ。

「そこで怒って喧嘩っ早くなる理由わかります? 思考停止しているのです。自分が正しいから、他人の言葉は正しくないから、少しでもその他人が己を否定すれば、つまり挑発とみなすのでしょうよ。しかもよりにもよってちょっとした例えに反応している辺り、末期に近い」

「思考停止……か」

 冷水を頭にぶっかけられたかのように、頭の芯から熱が失せていくのがわかる。

 思考停止。なるほど、と思う。

 好奇心によって衝き動かされていたのに、壁にぶち当たって動きを止めていた。その壁を叩き続けることだけが正しいと、いつかこの努力が報われて壁が崩れるのだろうと、ずっと思っていた。

 違うのだ。

 その壁は乗り越えなければならない。それだけが、唯一の突破口なのだ。

 力尽くで看破できるほどの力がない。だから正攻法で行くしか無い。

 だが、俺はソレ以外の手段を知らないから止まっていた。今更悩んでも、果たしてあと数ヶ月以内に時間遡行を完成させられるだろうか。

「……ちなみに、ひとつ聞きたい」

 俺はゆっくりと腕を上げ、指で扉を示す。

「この先には未知しか無い。だとすれば、俺は真理を見つけられるだろうか」

「あなたはパンが欲しいのに、麦畑へ行こうとしている。それくらいの違いですわね」

 全ての根源がこの先にある。

「時間があれば、この先に行く事であなたは多分リズよりもずっと強くなれる。でも今のあなたが行くということは、肉屋の主人が戦場へ行こうということですわ。肉切り包丁で事件は起こせても、英雄になるには運がなによりも必要になる」

 つまり、強くなる前に死んでしまう可能性が高い。

 だが、何があるかわからないというのも事実。

 断言できる、というわけではない。だが”未知”なのだ。

 知っているものが、知らぬものに教えるというわけではない。

 誰もが知らぬ地に足を踏み入れる、しかもその地は危険であることが誰でもわかるのにそうするのは、もはや勇者でも英雄でもなんでもない。ただの阿呆だ。

 というか、悪魔なのに妙に例えが庶民風なのが気になる。

 やはり彼女とて、溶け込んでいた時代があるのだろうか。

「そもそも、よね。あなたは、その力を求める理由は、誰のため?」

 唐突に話題が切り替わる。

「誰のって……時間遡行は、師匠を助けるためだよ」

 魔女の力が失われれば、彼女はこれまで過ごしてきた時間に襲われて急激に老衰する。

 ならばそうしないように、彼女が過ごした五百年を俺の時間遡行で打ち消せばいいのだ。

 ……そもそも、魔女の力が失われるってなんだ?

 今になって、様々な問題が見えてきてようやく思ったが、そいつはおかしいだろう。

 受け継がせる……学問や技術として残せば、いずれそれを自力で再現できるものが現れるだろう。ソレは、だが魔女から直接力を継いでいないから魔女、魔法使い足り得ないのか?

 そんなことは有り得ない。

 そして今の俺が、まさに魔女の教えのもとで成長した。

 だが、これ以上はどうにもならない。そこで魔女の力を受け継ぐのだろうと思っていた。

 なんのために? 知識は、記録は全て記憶した。身体に染み付いている。物語のように頭に入っているからだ。

 魔力とて、既にこの生命力を操作することで変換できている。威力こそ師匠に吊り合わないのは、俺がまだ二十一年しか生きていないからだ。五百年も生きていた彼女の力を、たかが一年で上回れれば苦労はない。

 しかし、それらは時間をかければ向上させられる。

 ならば魔女が力を失う時とは――。

 疑問と同時に、ついさっきのフリィの言葉が蘇る。

 ”真っ直ぐすぎる”。

 真っ直ぐすぎるからその成長速度も早い。人の話を素直に聞きすぎるから、飲み込みも早い。

 疑わないのだ。その頭を持たないから。

 ”自分が正しいと思っている”。

 自分に教えてくれる人の言葉は絶対で、間違いなど無いと思っている。


「嘘、だったのか」


 思わず呟いた。

 衰弱するなど、嘘なのだ。

 魔女はこの世界に二人も要らない。強大すぎる故に、一という数以上があってはならない。

 だから、次世代に継がせれば前代は死ぬのだ。死ねぬわけではないから、それは容易い。

「失われてはならないものばかりではない、ということですわ。だからリズはあなたが必死になって自分を救ってくれる、という姿勢と言葉と熱意に、ひどく感謝していた。最後の最後で恨まれこそすれ、生かそうと躍起になるとは思っても居なかった。だから満足だった……なのに」

 ――ソレは、一息、という時間すらもなかった。

 なのに、の「に」が終えた瞬間には、フリィは俺の懐に潜り込むほどの距離に居る。

 それは速度によるものではない。直感で判断しているわけではない。移動によって伴う風の動きも何もかもが”ない”のだ。

 それが転移によるものか、あるいはそれ以上の、なんらかの能力に寄るものかは、わからない。

「あなたは目的を達成させるための手段ばかりに気を取られて、手元を見ながら走り抜けていた。頭に壁が当たっても、意地になって何度も頭を叩きつけて進もうとしている。もう誰かの言葉がなければ、きっと何も気付けないくらい夢中になって」

「……俺は、師匠を助けられないのか?」

「彼女は既に救われているのよ。その救われた気持ちのまま終わらせてあげたいのなら、あなたはその先を見て、あなたの努力の結晶を披露する必要がありますわ」

「俺が彼女の時間を戻す。それでいいじゃないか、そんなの、世界の決まりだろうが、なんだろうが――」

「それはあなたの我儘よ、ヒィトリット・クライト」

「なにが……」

「あなたが望むままに手元に駒を置いておきたい、という気持ちはわかりますわ。でもね、彼女も……リズも、疲れているのよ。五百年も生きてきた。自由に外見年齢を操作しながら、親しい人の一人も作れずに孤独に生きてきた。あなたの存在も、そんな歴史の中で一夜の思い出のような儚さなの」

 跡継ぎを見つけなければ死ねぬ運命。そして魔女になったからには、己が望む術も完成させるための時間も必要だったろう。

 だから、社会で生きられなかった。

 その苦しみは、俺には分からない。

 共感できないことがなんでも悔しく切ないわけではないが――それ故に、己の選択が相手を傷つける結果になるのは、どうしようもなく胸を締め付ける。

「確かに、これからの人生あなたが居て楽しくなるとは思う。彼女が惰性に堕ちるなら、それもそれで私も楽しい」

 彼女も同じだ。いや、それ以上の苦難があったはずだ。

 人ではない。それでいて、魔女の使いだ。

 社会に適応して、永遠に過ごせるわけでもない。可能であったとしても一世代、同じ町に、何百年も過ごせるほどの精神は、いくら悪魔とて保てないだろう。

 かつて親しかった人たちが居た街。赤子から見てきた者が、年老いて死ぬまでを見守る世界。数多の人生を眺めながら、己だけが、目的もなく朽ちずに居る。

「でも、あなたには選んだ女性ひとが居る。あなたが進む未来さきの話に、彼女は荷物になってしまう」

 選ばなければならない。

 一つしか無いその選択を、俺が決めなければならない。

「男の子でしょう。頑張りなさい」

 彼女はそう言って、俺の尻を叩く。

 怒られて、道を正されて、慰められて、ケツを叩かれて……まったくもって情けない。まるで母親のようだ、と思いながら、言えばきっと……どんな反応をするだろうか。

「なんか、母親みたいだ。俺が情けねえ」

「母親だと思ってくれるなら、ライアとばかり遊んでいないで、たまには一緒に顔を見せてくれるとありがたいですわね。私たちも、いくら悪魔とは言え暇を持て余しているのですわ」

「ああ。きっと行くよ」

「約束、ですわ」

「そうだな。あんたにも、感謝しなきゃだし」

 向い合って、差し伸ばされた手を強く握る。

 そうして彼女は羽根を展開して空へと舞い。

 俺は扉に向かって、大きく息を吸い込んだ。

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