3:過ぎゆく時
焦燥が無かったわけではない。
時間がかかると覚悟をしていなかったわけじゃない。
だが――三十日も経過した辺りで、俺は本当に、その力を身に付けることができるのか、不安になっていた。
不可能ではない。
だが、この生涯でそれが完遂するのか?
この時代に、新たな魔法使いを生誕させられるのか?
それがこの俺であっても、可能なのか?
できる……天才、ならば。
地点修正、転移速度を加速させる。タイミングを合わせ、オリジの拳が飛来する速度を確認。そいつが腹に触れる直前で、俺の肉体が霧散した。
そしてまた、まったく同じ場所に立つ。通り過ぎたオリジを見やり、それでも対してエネルギーを消費していないのを確認した。
呼吸は乱れていない。
ならば。
「クライト!」
「気易くなった、あんたも」
瞬速。
音を凌駕する速度を持つオリジ。しかし怖いのは、それだけではない。長年の経験と、野性的な直感が即座に俺の思考を読み取り、推測し、無数にある選択肢のうち俺がもっとも選びそうなものを厳選して、その中から、俺のほんの僅かな所作から選択する。
それは速さが無くとも、恐ろしいものだ。
経験とは、それほどに重要になり。
俺はこの生涯で、二千年と、五百年分、それぞれの経験を得る必要があった。
対面するオリジへと、拳を構えて炎を滾らす。
だが、それでは遅い。
ゆえに次の瞬間には肉薄するように直進してくるオリジを見失う。真っ直ぐでありながらも、速度ゆえに認識が追いつかない。
それでも、ある程度軌道が推測できるならば回避も可能で――転移によって、俺は壁を背にして移動する。
遠くで壁に両手をついて停止するオリジ。先ほどはまだしも、今回は避けられるとは思っていなかったのだろう。いくらなんでも、俺だって成長くらいするのに。
照準など必要ない。
放つ指先ほどの火弾は、その極小さゆえに何かの影響を受けることもなく、そして初披露ゆえに大げさな警戒を与えるわけもない。だからオリジは、失敗かと侮った。
ひょい、と首を動かすだけで火弾を避ける。それはすぐ後ろの壁に、ふわ、と当たって形を崩す。
瞬間に、内包する圧縮した生命力を魔力に変換して、膨大な火焔に姿を変える。
炎は凄まじい勢いで天井を、床を、両側の壁をも埋め尽くして三次元に展開する業火の海となる。対面の壁にいても熱が肌を透過するように顔が熱くなり、目もまともに開けていられなくなる。
その最中に居たオリジは、
「攻撃術に関してはやはり飲み込みが早いな。こいつが必要になる育ちだったから、仕方がないにしても」
俺の集中が、それを堺にして薄らいでいるのを悟る。
だから壁を背にしていたはずの俺は、気がつけばオリジに背後を取られているという認識、理解共に不可能な現状に陥る。
「末恐ろしいと思う。死ぬ気になれば、魔女に近いんじゃあないのか」
「優秀な師匠を持ったんでな」
「あまり褒めるな。図に乗った分、奴は厳しいぞ」
「かもしれねえな」
行くぞ、と言う合図と共に、オリジの腕は肉を裂き骨を砕く。打撃と斬撃を合わせた攻撃が、背中を引き裂いた。
「攻撃は良い。守りも上等だ。ならば次は治癒……ただの一撃の致命で死ぬようでは、とても魔女や魔法使いには至れぬ。無限ともつく致命を負って尚、攻撃が追いつかぬ癒しを完了しろ――つまり」
腕が引きぬかれれば、鋭い指先から血が尾を引く。壁に鮮血が飛び散り、脳髄に直接打ち込まれる激痛の波が、にわかに思考を緩める。
だが既に治癒に慣れている肉体が、本能的に傷を修復させる。
肉が蠢き、血流が増し、血量が増えて出血が悪化する。だがそうなるより早く傷がふさがり、残るのは跳ね上がる心拍数と乱れる呼吸だけだ。
「は、はぁ……なんとか、なるもんだな」
「今までが人任せだったから未熟の一言に尽きるがな。これの反復練習で、お前ならば魔法使いになれるさ」
時間さえあれば、誰だって出来る。
今の俺が、その証拠だ。繰り返すことで俺の適性を増長させて磨いて、天才と同列に並ぶことができた。それ以降も妥協なき訓練で今に至る。
本物の才覚とは……。
いや、今更才能なんて関係ないんだ。
強くなる素質があるかどうか。あっても無くても、その努力を続けられる覚悟があるか否か。
それだけが、必要なのだ。
才能なんてものはその後押しに過ぎない。
「あんたに褒められるとは、思っても見なかったな」
六十日が経過する。
戦闘訓練に続いて勉強会。歴史は如実に、俺の頭の中に創られていく。
術の効率化、消費する生命力の省エネ化、威力の増大、それらの応用をまとめて身につける。
共に、余計な思考が失せはじめたようにも感じた。
俺の世界が、俺の中だけではないように思え始めた。
この世界を手のひらに収める。
そんな感覚が、構築されつつある。
一ニ○日が経過した頃、俺はその勉強会に夢中になっていた。
かつて居ただろう偉人が何を思いその末に何を成したか。それよりはるか昔、今の大陸の面影もない時代に存在していた魔法を、どういった手段で復元したか。
その作用は? 何を原理に何が起こるのか。
もし幼少期まともに学習が成されていたならば俺は優秀だったのではないかと思うほどに、のめりこんでいた。
そしてそれを聞いて再現した所で、全てが再現できるわけではない。思ったとおりに出来るわけではない。
だから面白かった。
なぜできないのか。何が違うのか。そこを追求することで繰り返す。間違いを繰り返し、改善する箇所を限定していく。
しかし全てが上手く行っているのに再現ができない――そこに至るに、己の実力不足を悟る。
「オリジ」
藍色に明るむ空には燦然とする明星。
無防備すぎる程に地面に寝転がる悪魔の肩を揺すると、目を閉じたまま口だけを開き、
「まだ朝ですら無いが」
既に俺の接近で覚醒していたのだろう。落ち着いた様子でそう言った。
「手伝ってくれ」
「隣に寝ている師に教えを請え」
「教えは要らないんだ。窮地の感覚と、その際に収束する意識をあと一度だけ再現したい。イメージだけでは、難しいところがある」
「……優秀な弟子を持ったな、リズ」
「褒めて伸びるなら構わないが、その暇があるなら手を貸してくれ」
「わかった。全く、眠る暇さえないのか」
身体を起こして、胸の奥底に沈殿する空気を吐くように俯いて深呼吸。
立ち上がれば、次の瞬間にはオリジの姿は無く。
その次の瞬間にもなれば、俺たちはもうあの地下空間に落ち着いていた。
百……いや、二百だったか。
もう三百日以上が経過したのか? もしかしたら、まだここに来てから三十日程度しか経過してないのか?
そんな風に感覚が麻痺するほど長い間そこに留まっていた。殆ど渡り歩く生活ばかりだった俺には、新鮮な感覚でもあったが、それでも渡り歩いていた期間は二十年の内たったの五年だ。大したことはない。
全ての術に通ずるものがあり、それぞれの術は何らかの形て多くの術に通じている。だからこそ、俺は理想を叶えるためには全ての真理を理解しなければならない。
そして義務に好奇心が重なった時、俺の意欲は底知れぬ行動力を呈した。
まずはリフが切り開いた『大扉』に趣き、東大陸の政府が保有する魔術書をごっそり北へと転移させた。そのすべてが既知の情報だったから無駄になったが、まだどこかに、先人たちの魔術や魔法に関連する書籍の複製があるはずだと思った。
そんな時だった。
全ての記憶、知識は、魔女の中にある。
俺が自発的に動くようになってから機会が少なくなってきた勉強会。最近ではずっとオリジが担当していたために師匠はフリィたちと共に過ごし、それなのに一人だけ堕落の一途を辿っていたが、教えを請うた。
「もう教えることはないよ」
彼女はそう言った。
ありえない。たかが一年やそこいらで教えられる情報量ではない。書籍化して、その量はゆうに図書館まるまる使うくらいなのに。
歴史にしろ、魔術・魔法の知識にしろ、その過程にしろ、結果、経験、その時の感覚、違い、全てが必要になる。
更には、
「後はあんたが気づく必要がある」
「……わかりました」
「理解が早いわね。でも……いえ。いいわ。頑張りなさい」
何が必要なのか。
全ての知識や情報は俺の中にあると仮定して、ならばその中で何が必要なのかは、単純に俺がわかっていないだけだ。
リフの時のように、準備は完璧なのだ。
後は俺次第。
もし人生に才能が必要であるとするならば、今だろう。リフを斃した時のように、直感と閃きで全てを覆すような、何かが。
魔女の後を継ぐということは、そういうことだ。
知識や技術だけではない。
歴代の名を汚さぬ知能が必要なのだ。その、常人並では決して無い発想が必要なのだ。
小屋から出た俺は、まだ日が高いのを確認して地下へと進む。
オリジは俺が動き出してから、地下に居ることが多くなっている。単に居場所が無いからなのだと思っていたが……。
「来たか」
まるで待っていたかのように、俺の着地音に気付いて振り返る。
いや、気づいていたのはずっと前からなのだろう。
「何だよ、俺に用か?」
「お前とて気づいているだろう。ここが境地で、分かれ道だ」
「……わかってる。ここで俺が前進出来なければ、これまでかけていた時間も無駄になる。俺はそもそも魔法使いの素質がない、根本的に駄目だってわけだ」
もしそうなったら、師匠はどうするつもりだろうか。
俺はこのまま、もとの生活に戻るとしても、師匠は新たに後継者を探さなければならない――時間遡行の出来る彼女が、セイジ・クラフトの死を覆さない理由はなんだろうか。
彼さえ生きていれば万事解決する。
もしこの時間遡行に、彼女が、俺の故郷の再生を妨害する理由があるのだろうか。もっとも、それは未来の師匠なのだが。
しかし――思う。
ただ書籍の存在や、未知の情報について聞きに行っただけなのに、随分と話が進んでしまったものだ、と。
だが避けられぬ問題でもある。
今後壁にぶち当たった時、もう「教えてもらってないから」や「実力不足だから」なんてことは言い訳にならない。全て自分で何とかしなければならないし、やらなければならないことなのだ。
そして、今何か問題が無いと言うわけでもない。
ただひとつ、未だに目標に達しないのが時間遡行だ。
これまでで数度しか行えなかったソレは、ここに来て使用するたびに成功している。
だがそれはことごとくが対象を己にして、一日ほどの遡行がいいとこ。空間を歪曲させる転移術と合わせたものでも、なぜだか上手くいかない。
その”なぜ”がわからない。
「あと半年待つ」
そんな問題を、彼は見抜いていたのだろう。
ぽつりと、そんな事を言った。
「出来なければ、魔女の歴史は滅びるだけだ」
「……ちょっと、待てよ」
そいつは話がおかしいだろうが。
「師匠はまだ力を失っていない。だったらまだ生きるし、他の誰かに可能性を見出すことだって出来る。俺より素質が優秀な奴は、相応に世界で活躍してるだろ? 俺みたいな加工が難しい原石より、既に輝いてる宝石がある、だろ」
いわゆる英雄と呼ばれる連中だ。
別に世界を救うわけじゃない。
街を窮地から救うほどの危機はそもそもない。
だけれど、凶暴化した竜を倒したり、誰もが成し遂げられない危険であったり、困難な任務を達成したり、それこそ地道な努力で信頼と人望に厚かったりでそう呼ばれる。
いかにも勇者、というような英雄は居ない。
だが英雄と呼ばれるには、それ相応の努力と才能が必要だ。俺にはない、自力で見つけて磨ける才能が。
「もはや情熱はなく、リズは”それでいい”と満足してしまっている。そして今となっては、失望している」
「……わからないな。対極じゃないのか、その感情」
「それを自分で見つけることも、お前の仕事だ。ただお前の今の状態は、本末転倒の一言に尽きる」
「本末転倒? 魔法使いを目指すことの何が間違ってるんだ。それを望まれ、実行してるじゃねえか」
「……そうか」
大火事があったのか、というほどに黒く焦げていない場所はない地下空間から、唯一開いた天井の穴を抜けてオリジが姿を消す。
俺はその場に残されたまま、しかし出ようとも思えずに立ち尽くした。
本末転倒――失望されている現状。
なぜだ?
まだ、何を望む?
俺が、まだ未熟だからなのか――。
疑問は俺を苦しめ、その救済のために、俺は動き出す。
豊富にあるはずだった時間はいつしか残り半年となっていて、刻々と無情なまでに時間を刻み始めていた。




