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最終話 始まりの刻

 夜の終わりを見せる明星。

 ライアはそれを一瞥して、再び昏睡する青年へと視線を落とした。

 今更泣き喚くわけではない。

 ただリフとの最期――あの勢いは、あまりにも生き急いでいる風に見えた。

 彼にはアレほどの力が残されている。その核心はあったが、しかし僅か三度でリフを倒せるほどだとは思わなかった。

 精霊術や魔術を行使する場合、それが人であったなら代償が必要だ。魔術においては確実に命を蝕む。本来は禁呪とされていても良いシロモノは、人に扱いきれないがゆえに隠されていたのだから。

 さらに言えば、瘴気がまだ僅かでも彼の中に残っていれば、それが限りなく毒素として活動する。

 終わりは、しんしんと降り積もる雪のように、微かで、ほのかで、淡いほどにささやかで、だけれど確実に迫りつつあった。

 覚悟はしていた。

 彼ならば、ライアではなく己の死を選ぶはずだ。

 泣き叫びながらも、死に恐怖しながらも、それを乗り越えられる男だ。そうでなければ、今日このときまで生きては居まい。

 だから――助けねばならぬ。

 悲劇の英雄には、相応の救済が必要だ。

「出てきてください……居るんでしょう、あなたは」

 魔女。

 それだけが、今残されている救済手段。そうでありながら、彼女らの出会いがきっかけで現在に至ったのだから、決して”彼女のお陰で救われる”なんてことはない。

 十五年前から待っていたのだろう。

 それが、今終えてしまうのを惜しく思うはずだ。ここまで一切手を貸さなかった彼女だ。その非情さは、最後の最後で、己への甘さとして少年を救ってくれさえすればそれでいい。

 ライアは、そう思っていたのだが。

 ――視界の隅から、すっと出てくる影がある。

 それは死角から、しかし最初からただ見失っていただけであったように、当たり前のように彼女の前へと現れた。

 もはや幼子の姿ではない。

 成熟した女の姿――紅の瞳に透き通るようなプラチナブロンドの長髪。張り裂けんばかりのたわやかな胸はライアに勝るとも劣らず、歩くたびに僅かな揺れを見せる。僅かであるのは、衣服が小さめであるからだろう。

 大きく胸元がV字に開かれた白いシャツ。その上にゆったりとした黒の外衣を羽織り、すねまで巻き付くようなサンダルを履く。

 まるでどこか娼婦を思わせる格好だったが、しかし彼女はそれとは遥かに縁のない位置にいる。

「呼んだかしらあ?」

「呼ばずに出てくるあなたかしら。呼んでも、いつもなら出てこないくせに」

 ギリ、と軋む音が鳴るのはライアの口から。

 怒りは、収まらない。

「もう満足でしょう? あたしをけしかけて、同胞に追われるように仕立てて、クライトと出会わせて……みんなが死ぬのも、全て計算の内? こうして、昏睡するまで……ずっと、ほくそ笑んでみていたわけ?」

 ふん、と鼻から息を抜く。

 腕を組んで、あからさまに見下ろすようにライアを見た。

「外套を東大陸に献上することから始まったけれどね。まあ、どうでもいい事だったわ。今となれば、もう少し他の方法を考えても良かった。そう思わないでもないわ」

 それは彼女にとって、およそ想定外すぎるほどにクライトが必死で、無茶苦茶なまでに保身をかなぐり捨てていたからだ。

 見ていて、胸が締め付けられなかったわけではない。むしろ楽しいなどと言語道断。

 いつでもそばにいて、いつでも見ていた。誰よりも手を差し伸べたかった。それは確かだった。

 無慈悲に突き放したわけではない。

 彼が言った通り、最低限死なぬ術は与えたのだ。その精神性、性格、能力ともにもっとも厄介だろうリフへの対抗手段は、どの時に於いても使用できるようにはしておいた。

 しかし彼女も、諦められぬ立場にある。

 既にかき乱したのは一人の人生だけではない。その過程で失われた大勢の命は、期待をかけるクライト一人が”失敗”であったからと切り捨てられるわけがない。

 だからどうしても、彼には成長して欲しかった。

 そしてもし駄目であるならば、己が終わる予定であった。

 魔女と言えども、人にはない、全てを凌駕して余る人生を以てしても、その心が朽ちることはない。

「だけれど」

 まあ、と小さく頷く。

 敵愾心強く睨みつけるライアを見て、少し安堵する。

 若いころの自分に似ている、と言えば怒るだろう。だが彼女を”創る”時、それを意識しなかったわけでもない。

 彼女の役目は、己を継ぐ者の側に立つこと。

 自分の気持ちを殺しきれなかったがゆえ。誰も救えぬ自分を、その代わりとして立つライアに重ねて、彼女の幸福を己のものと感じることでささやかに満ちたりよう。そう考えた。

「未熟ね」

 肉体は衰えない。

 その精神は、しかし成長する。多くの経験と共に、馴染む、という意味合いで成長する。

「あ、あたしは――」

「わかってるわ。別に、責めようっていうんじゃないわ。ただ……後少し」

「え?」

「彼が目を覚ますまで、静かにしていましょうよ」

 もう少しでクライトが目覚める。

 確信を持って告げる彼女に、その自信の由来を知らぬライアは、だが妄信的に信じるしか無く、またクライトを一瞥してから、押し黙って首肯した。


     ◇◇◇


 いつか夢を見た。

 俺を支えてくれた人たちが現れて、笑ってくれる夢だった。

 そしてまた、消えていく夢だった。

 ライアがリフに殺された。そこで俺は何もできずに終わっていた――その場面で、その光景が、視界いっぱいに広がっていた。今まさに、その濃厚な鮮血の香りが鼻腔を刺激するほどに、再開されていた。

 また振り出しか。俺はまだ、何も終わらせられていない。

 ふざけるな! 俺が、俺はっ!

 握った拳を前に突き出す。だがその意識よりも早く、リフの頭部が突如として爆ぜた。

 全方位に肉片が飛ぶ。べちゃり、と全身が血で濡れる。

 闇に塗りつぶされた空間が、血が弾けたことによって霧が展開されて紅に沈む。だがそれが晴れた時、俺の視線の先に、見覚えのある人影があった。

 透き通る鮮やかな金髪が翻る。

 幼さを投げ捨てた女性が、腰に手をやり、呆れたような顔でこっちを見ていた。

「久しぶり。元気してた?」

「……ええ」

 魔女・リズ。

 彼女の名を、一度だけ彼女は言った。まるで恋仲であるように、妹のように甘えるように。

 だが、もうそんな関係など二度と築けまい。

 その魔女が全ての元凶であることを知った今、十年前と同じ感情を、抱けるわけがなかった。

「師匠……満足ですか?」

 夢、なのだろう。

 だが、俺は聞かずにはいられなかった。

 ずっと気になっていた。

 師匠が、ただ己の後継者を探すためにこんなことをするなんて。いや――彼女はするだろう。

 問題はそこじゃない。

 そうして、何も思わぬはずがない。魔女という存在が明瞭でありながらもその定義が不明瞭である現在、その後継者についてもほぼ不明と言っても過言ではない。その情報は、魔女しか知らぬことである。

 だから、後継者というものは必須なのではないか。

 ならば、それをするにあたって、この十五年は避けては通れぬ道だったのではないか。

 己を駒として扱う師匠の心は、一体どこにある?

 それだけは、知りたかった。

「満足? そうね」

 彼女は、まるで夕食の献立を聞かれたかのように顎に手をやり、なんでもないように頷いた。

「満足よ。あんたが良くこの十五年間を生き抜いたと思う。悲劇と絶望を乗り越えて、よく成長したと褒めてあげたいくらいだわ。もうあんたは、誰にも負けない。その精神が、何よりもあんたを強くする」

「俺一人のために、多くを犠牲にした。それについては?」

「関係ないわ。私は目的を果たした。それだけで十分よ」

 望み通りの答えに、俺は拳を固める。

 力が湧く。

 全てを転嫁できる。

 どんな経験があっても、どんなものを乗り越えても――この心は、強くなど無い。

 だから、俺が単純に実力不足で守りきれなかった人たちの命を、誰かのせいに出来る。悔しかったが、俺はそうするしか無かった。正常のフリでもいい、その体裁を保つためにはそれが必要だった。

 そうでなければならない。

 敵は悪でなければならない。

 世界などどうでもいい。

 全てが終わった今、俺には、俺を救う余裕しか、もう残っていない――無力さが自分から全てを失わさせる。その覚悟は、もう無いのだが。

 だからこそ、俺はわかっていても女々しくそう問うし、その答えが決まっていても、俺は、俺を貫かせてもらう。

 暗黒が、白き闇に変わる。

 突如として輝く師匠の背後が、瞬く間に世界を白く染め上げた。


     ◇◇◇


 突然意識が戻った、というような感覚ではない。

 その前後の辻褄を合わせるように、世界の音は、体の感覚は、睡眠時に得ていたそれらを頭の中に浸透させる。その間に、意識を失う直前を回想させ、俺が今どこに居るのか、少なくともその当たりをつける。

 だが目を開けた時、落ち着きを保てることなど、できなかった。

 俺を上から覗き込んでいたのは、ライアの他にも居た。

 そしてその顔に、見覚えがないはずもなく、

「し、師匠……っ!」

 呼んで、跳ね起きる。背筋だけで弾ませて起き上がる俺は、あの時よりもずっと成長している。

 だけど。

 後ろ手を組んで、少し背中を丸めるように立つ師匠の顔を見て、俺は何も言えなくなる。

 困ったようなほほ笑み。

 勝気な、自己中心的な彼女はそこに居ない。

 最後まで俺を惑わせてくれ――願いながらも、触れた途端にメッキだったのだと知るように。

 手についた金の感覚を確かめるように、俺はマヌケに口を開けたまま、ライアへの挨拶も何も忘れて、顔の筋肉を痙攣させる。

「師匠……俺、は」

 いざ対面して、分かることがある。頭の中だけでは、決して感じ得ないものがある。

 心の動きと、思い出だ。

 彼女は憎かった。殺してしまおうとも思っていた。それでも、救済は止む得ぬとも思っていた。

 今は、それ以前の問題だ。

 視界がぼやける。頬を伝う熱い涙が、脳裏に蘇る十年前の記憶によるものだと、俺はわからないでいた。

 一緒にした食事。血反吐を吐く特訓。折れた心を、やさしく繋ぎとめてくれた師匠。

 偽りなどでは無かった。

「俺は、師匠を、恨めない……!」

 思った言葉と、口に出た言葉が相違するのはよくあることだが、しかしここまで真反対になるとは、俺自身思わなかった。

 いや、最初から、そんな気など無かったのかもしれない。

 だけど、ケジメは必要だと、思うんだ。

「師匠」

「うん?」

 俺の言葉が意外だったように眉を上げて、それでも親が子の戯言を聞くような穏やかさで相槌を打つ。

「手合わせ、いいですか」

「そう、ね。久しぶりにいいわね。手加減はなし――私が負ければ、あんたの言うとおりに動くわ。でも、私が勝ったら」

 短く息を吸い。

 得意げな目つきで、俺の全身を舐めるように見てから言った。

「暫く、彼女とは逢えなくなるわね」

 俺越しにライアを見る。

 俺も思わず振り返って彼女を見た。

 命を賭けて彼女を助けた。それが師匠のシナリオ通りだとしても、過程と結果は変わらない。

 俺はライアが好きだ。

 彼女も、そうであって欲しいと思う。

「あなたが決めたなら、あたしは待つわ。いつまでも……この心さえ朽ちなければ、ずっと待っていられる」

 彼女はそう言って、力いっぱい俺の背中を叩いた。

 俺は頷き、ボロ布となったベージュの外套を脱いで彼女に渡す。

 魔女が作り、俺が暴いた、全ての始まりの外套。

 ライアはそれを受け取り。

 視線を交わせば、師匠が頷いた。

 ――その瞬間、俺まで及ぶ転移術が俺の視界から根こそぎ光を奪い去る。

 恐らく、本当の最後になるだろう全力での戦いが、始まった。

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