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6-2:破壊

「やる気、か?」

 総身を菱形の鱗で包んだせいで真紅に染まる男は、およそ人間離れした腕力、膂力を見せつけるように小丘ほどある巨剣を落としたのだが、しかしただ大柄であることしか特徴のない修道士の片手に、それらは全て受け止められていた。

 バルコニーは既に溶けて崩壊し、森林の深淵へと落ちている。

 ゆえに剣を握った上体で宙空に停滞するローゲン・ドラーゲンは、修道士イクスの言葉に、ただ眉を顰めることしか出来ない。

「今更、要らねえだろうがッ!」

 そんな意思確認など。

 るつもりでなければ、わざわざ骨を軋ませてまでこんな馬鹿げた巨大剣を振るったりしない。

 気分で参戦するほどバカじゃないし、そもそもこいつには恨みがある。

 ラフトを殺した――ただそれだけだが、それだけでいいのだ。シンプルで、簡単で、だけれど動機には十分。

 己を奮い立たせるのには、その生意気に整った面を見るだけで良かった。

 にらみ合いは長くは続かない。

 その頑丈な肉体で受け止めた巨剣を、イクスが軽々と弾き返したのだ。

 相対的に、館に突き刺さる剣に腕力だけで捕まるローゲンは、館からその切っ先を抜いた剣ごと落下を始める――訳など、無いのだ。彼がそんな無様なことを、仕方がないからと許すわけがない。

 それはもはや出来るか否かの二択ではない。それを許容しないというただ一点の強情な怒りが、総身に纏っていた鱗を瞬時に背部へと移行させていた。

 背中から対となる真紅の翼が展開する。竜としての力強いはためきが爆風を撃ち、超重量の剣を再び構え直しても彼の身体が落ちることはなかった。

 それでも、しかし感情だけではどうにもならないところもある。

 この剣を受け止めたあの男を、どう看破すれば良いのか、この翼は教えてくれない。

「……厄介だな」

 しかし、打ち倒さなければならない。

 己はこの極北の地を踏みしめて、未だ誰一人として倒していない。

 ラフトは殺され、ウィズはイルゥジェンを。クライトはここに来るまでで幾度ともなく悪魔を撃退しているし、一撃でスミスを屠った実績もある。

 だが、国を護る剣となった己はどうだ?

 これから戦おうとする男に容易く殺された悪魔にすら、決定打の一つも打ち込めなかったではないか。

 本当に己は強いのか。この己は、何をすれば敵に勝てるのか。


 それは恐らく、ウィズとオリジの戦闘を見ていれば解消できたであろう疑問。

 彼女が最速の男に速度で挑まなかったように、相手の強みをいなして側面を抉ることを、彼の頭には浮かばない。

 そしてそこに気づけるかは、殆ど運によるものが大きい。


   ◇◆◇◆


 思考が仇になった。

 どう手を出すか考えている内に、イクスは翼もなにも無いのにもかかわらず、空へと飛び上がっていた。

 浮遊、としか見えない。その人相の悪さが顔の作りの良さをより際立たせている修道士は、そもそも修道士ではないのだが――そこに特殊な力が加わっているのは明らかであり、

「……精霊術まで、使うのかよ」

 判断は、しかし本来隠すべき相手から正された。

「魔術だよ。私は、精霊術を使えない」

 それがなんであれ、固定の能力の他に力があるのは明らかになったわけだ。

 果たして、その力があるということがイクスへの油断に繋がれば良いのだが……無いな、と口の中で漏らして、ローゲンは舌を鳴らす。

 もっとも、その浮遊を選択したことがどう転ぶかは、まだ両者にはわからない。

「そして、お前も使えないようだな」

「だったらなんだ?」

「いや。ちょこざいな細工でやられるのはあまり好きではないからな。真正面から、というのが私のタチで」

「気に食わねえが、気が合うな。今すぐにでも、てめえにこいつをブチ込みてえ所だ……ッ!」

 柄を強く握り直し、さらに腕を上げる。両腕を無防備なまでに頭の後ろにまで振り上げて、歯を噛み締めた。

 行くぞ――腹を据える時間が、致命的だった。

 浮遊していたイクスが横へと手を伸ばす。すると途端にその服の袖から滑らかな剣の先端が覗き、ゆっくりと抜き出るように等身ほどの刀身が伸びた。

 やがてその柄を握りしめたイクスは、ほんの少しだけ、口角を上げる。

「私に勝ちたいと思うのならば、腕っ節だけでは無理だな。頭の中まで筋肉なら、その筋肉も使ってみせろトンマ」

 生身ならば、まだ倒し切れないまでも押しきれたかもしれない。

 だが剣が出た。あれはイクスにとって、己の力を簡易に引き出し外部へと放つ手段足りえるのだ。

 しかし――他の悪魔が鎧のような外骨格を持つにも関わらず、ならばイクスの外骨格は果たして修道服なのか? 生身で、巨剣を受け止めたのに?

 本来抱くべき疑問は、しかしローゲンには至らない。

 外骨格は外敵から身を守ると同時に、己の攻撃手段であることを、彼は未だ気づけては居ない。

 しかしそれと同時に、イクスはローゲン・ドラーゲンの脅威を認識していなかった。

 弱点や隙などが不要であるほど強者である、その竜人族の特性であり、ローゲンが無名の傭兵から特務機関へと至れた最大の理由。

 それは頑強な鱗でもあるし、人間離れした筋力でも、多くの武器を手慣れたように扱う経験でも、戦闘に特化した思考能力でもあるのだが、決定的ではない。

「ああ、だったら」

 脳みその筋肉にまで神経質に力を込めてやる――額に浮かぶ血管を意識しながら、その瞬間ローゲンの姿がイクスの視界から消えた。

 正確には、空中に突如として鱗による盾が展開され、その端から飛び出る影が長く伸びたのを見た。

 故に、判断が少しだけ遅れたのだ。目で追うほどの集中を、一瞬だけ削られた。

 だから思わず振り返る。

 それでも速いその速度は一瞬彼の脳裏にイクスの神速を過ぎらせたが、しかし巨剣まで構える男がさらに空中で悪魔を超えられるはずがないのは、確信していたことだ。振り返ったのは保身と確認の為であり、そしてそれがあだとなる。

 衝撃を感じたのは、真下からだった。

 振り上げられた剣が、右足から沿うようにして右脇へと到来。右腕を断たれるより速く、軌道を読むように腕を振り上げた。

 今度は無防備になった肉体目掛けて方向転換して薙ぎ払う準備を万端にした巨剣。そいつに処刑剣を合わせたイクスだが、

「く――っ」

 間に合わせの体勢が、全力をぶち込む男に勝るとすれば、イクスはもはや睡眠中であっても誰にも殺されぬ自信が持てるだろう。

 身体を捻り左手で受け止めた巨剣は、しかし処刑剣を破壊するまでには至らないものの、その剣ごとイクスを圧す。鉄塊とも冠すべき巨剣が鋭い剣で修道士を切り裂けば、その漆黒の衣装は容易く切り裂かれ、肉に食い込み、鮮血が滲む。

 確認と同時に、翼が一度大きく広がった。胸いっぱいに息を吸い込むように、柔らかに見えるくらい仰け反って、はためく。轟音を巻き起こし、翼がそのままローゲンの身体を包む勢いで大気を打った。

 それを機に、ローゲンハまるで後ろへと引っ張られるようにして吹き飛び、斬り抜くように全力を以て剣ごとイクスを弾く。剣閃が刃を削り宵闇の中に火花を散らせ、

「ぐ、ぁッ!」

 くぐもった悲鳴と共に、それは虚空を貫く矢が如く大気を貫き飛来した。

 僅か数秒で、遠くの方から響く破壊音。大地が震える振動が、にわかに空気に伝染した。

 より高い位置で、もはや目を瞑っているのかどうかもわからなくなりつつ闇の中で、より一層濃くなる冷気の中で、それでも両者は奇跡的なまでに夜を透き通るくらいに見通していた。

 ――ローゲン・ドラーゲンの強み。

 それは、多種族の中で極めて稀な飛行能力に於いて多彩な才能を有しているからだ。

 柔軟な飛行で、速度を自在に操り、上下左右の概念の喪失した機動を持つ。彼が居る限り全ての空は彼の領空であり、追随を許さない。

 無論、そこには鱗の扱い方に長けていることも含まれる。だから彼は単純に空だから強い、というわけではないのだ。

 少しでも飛べるスペースがあれば飛行能力に火が灯るし、そうでなくとも鱗は悪魔の外骨格ほどに厄介な存在だ。

 そして――。

「なるほど、なあ」

 ゆっくりと瓦礫の上に降りながら、先程イクスの肉体に食い込んだ処刑剣を回想する。

 己の巨剣を片手で受け止めたのにもかかわらず、処刑剣は容易く身体を斬り裂いた。

 つまり、彼の身体の頑強さは処刑剣にあると見て良い。

 身体から出したのならば、それが外骨格としての役割を果すのならば、内骨格しか無い肉体は脆弱。ないし、処刑剣のみがその身体を傷つけられる。どちらかである可能性が高い。

 脳筋は、言われたとおりに筋肉を働かせた。

 そしてその働きは、凄まじいほどに鋭かった。

 の、だが。

「なるほど、なるほど、なる――ぅぁッ!?」

 調子づいて満面の笑みで頷いていれば、甲高い金切声を響かせて迫る衝撃を、肌に触れる寸前で気がついた。

 即座に鱗で身を覆う。が、さすがに間に合わず、剣を肩に担いだ姿勢のまま腹に浴びた衝撃は、そのまま弾けるように全身を打ちのめした。

 身体が後方へと吹っ飛ぶ。身体中が爛れるような激痛が走り、そうして館の上を滑り終えた肉体が落ちていく感覚を覚えた。

 背中が勢い良く地面に叩きつけられるより早く、担いでいた剣が地面に刺さる。そいつをクッションにするよう体ごと巨剣にぶつかり、伝うように落ちた。

「く、はっ……洒落ん、なん、ねえぞ」

 館の玄関を正面に据えたそこは、広大な庭先だ。背後には強固であろう鉄門が行く手を遮り、雪が高く積もった庭には花壇も、噴水も無い。ただ持て余した空間だけが、館一戸分以上の面積を持って広がっていた。

 痛みに喘ぎながら、腹から匂う酸っぱい血の香りを味わう。水面に力いっぱい叩きつけられたように身体中がヒリヒリする上に、なによりも腹を横一線に斬り裂いた衝撃は、皮膚だけならず、骨を砕き、内蔵をその患部から露見させていた。

 はらわたを素手で抑えこみ、真紅の鱗で傷口を覆う。回復は飽くまで自然治癒任せ。致命傷を負ったまま、褐色の竜は戦わなければならない。

「図に乗りすぎたって、トコかい。まったく、悪癖だよな」

 口を動かしすぎるのだ。

 頭の中で考えてれば良いのに、すぐに調子に乗ってしまう。己が敢えて窮地であると教えることで怪しまれる可能性も忘れるし、素直に敵の弱点を看破したことに喜んでしまう時もある。

 バカなのだ。脳筋バカなのだ。

「まったくですわね。お陰で館はボロボロだし」

「あたくしの部屋までボロボロよ! 迷惑でっす!」

 背後から叩きつけられる怒号は、碧と褐色の悪魔だった。

 巨剣越しに、ローゲンは腹を据える。彼女らを敵の応援だと認知した。

「だったら、なんだァッ!」

 巨剣の腹を握って押しのけるように力を込める。微動だにしない剣は、しかし彼の肉体の加速を手伝った。

 手に握るのは鱗から構築した真紅の長剣。

 距離からして射程範囲だったろう空間に鋭い刺突を繰り出した瞬間――僅か一拍ばかりの呼吸音が、すぐ後ろから聴こえた。

 己が今まで見据えていた闇に。

 先程まで気配をあらわにしていた真逆の位置に。

「やれやれですわね。わたくしたちはアナタがたの戦いに加担しません。今はただ、文句をいいに来ましたのよ」

 四肢に白銀の武装を。総身を淡い蒼のドレスに包む色白の女が言った。

 それを継ぐように、同じく四肢にゴツイ武装を、前が開いた腰巻を巻いた褐色の女が息を巻く。

「死ぬなら他所で死にな!」

 突き立てた親指で己の喉を掻っ切るようにして、その手を逆さに、親指で地面を指す。悪辣に歪んだ表情に、美意識は無かった。

 何にせよ――こいつらの速度も、異常だ。

 反応する以前に、移動した気配すら分からなかった。あのオリジが最速と呼ばれているならば、彼はいったいどれほどの速度なのだろうか。ウィズはまさか、殺されているのではないか。

 もしそうなら状況は最悪。

 どっちに転ぶかも分からぬ二人に加え、この状況からもう一人加わるとすれば――。

「――まさか、直撃を喰らってまだ生きているとは。竜人を侮りすぎたか」

 ずさ、と雪原を踏みしめて、イクスが再来する。

 来なくてもいいのに、と口の中で呟く。彼はちょうど、フリィたちとローゲンの間に立っていた。

「俺はテメエを高く評価しすぎた見てえだがな」

「強がりを。説得力がないぞ、お前」

「はっ、しょうがあるめえよ」

 見ぬいた後にぶっ飛ばされたのだから。

「口じゃ何言ったってどうとでもなる。いいから、行くぞ」

「お前は中々におも――くそ!」

 何かを喋りかけたイクスへと、大地を弾いてローゲンが迫る。言い切る時間も与えぬほどに素早く繰り出した刺突は喉元を穿ち、損ねる。寸前に振り上げた処刑剣が鱗剣を弾いたのだ。

 弾かれて尚、ローゲンはイクスへと深く踏み込む。空手を握り、拳を放つ。

 それと同じくして踏み込まれた分の一歩を退く。迫った拳撃を、本来の目的通り処刑剣で切断しようとして、拳が赤く染まったのを見た。

 近すぎて踏み込みが甘く、振りも鈍い。イクスがその力を発揮できる状況ではなく、またいい加減な力で破壊できる鱗ではない。

 もちろん、ローゲンがそれを知っていたわけではなく、イクスもそれ故に痛手を覚悟したわけでもない。

 放たれた拳を腕で弾く。

 迫ってきた刺突を剣で受ける。

 距離が縮まってくるのを見てフリィたちは瞬時に鉄門方向へと移動した。

 さらに踏み込み、鱗の剣を薙ぎ払う。やはりそれは受け止められ、イクスが――退かない。

 距離はゼロ。

 思わず後ろに飛び退こうとするが、それより早く腕を掴まれた。

「のぅ……わァッ!!」

 響いた絶叫が、その場に置き去りにされる。

 勢い良く投げ飛ばされたローゲンは、気がついた時には背中に凄まじい衝撃を受けて、館の扉を打ち破っていた。

 身体はさらに壁に打ち付けられ、レンガ造りのそれでさえ破壊する。レンガは完全に砕け、骨が軋む。痛みが、もはや麻痺しかけていた。

 己がどこをどう飛んでいるのか、この身に何が起こっているのかまともに認識できぬまま、そうしてやはり気がついた時には、身体は床に落ちていた。

「や、べェ」

 距離を図ったということは、つまり。

 力自慢の、ご自慢のどでかいのが来る予兆で。

 腹部を押さえつける鱗すら残さず、その背に翼を展開。軋み悲鳴を上げる筋肉、骨格に無理強いして立ち上がったローゲンは、僅かに屈み、息を吸い込み。

「だッ!」

 身体中をバネにしたローゲンは、その力を余すこと無く床に叩きつける。身体は弾かれ天井を目指し、頭の上で両腕を交差させた形で、そいつをぶちぬく。轟音が骨から直接頭の中に反響し、衝撃が力尽きる己にトドメをさす。

 激痛が倍に倍にと増して行き、相対的に意識が薄くなっていく。

 やがて、冷気が直接晒される天井の無い空間に抜けた時――。

 

 イクスは再び、間違いを犯していた。


 最高練度の一撃を放とうとしていたことは間違いない。

 だが、適切な距離は離れすぎては行けないのだ。

 そして避けられぬ位置へと移動しようと考えた。だから修道士は高く跳び上がり、破壊されたライアの居室のちょうど真上に移った。

 そうすれば仮に直撃を免れたとしても、館が崩れて圧死、窒息の可能性を高めることは出来るだろうと。

 だから彼がそこに到達した瞬間、それは、突如として天井――正確には床を破ってあらわれた。

 両者の中に飛び込んだのは驚愕。

 継いでの判断は、辛うじてイクス。両手で握り頭より高く振り上げた剣を、全身の筋肉を駆動して放つ。馬鹿力はそのゼロ距離でも爆風を巻き起こし、斬撃は衝撃として飛来する。

 だがそれよりも早く、反射的に機動したのはローゲンだった。

 斬閃が至るより速く、真上に停滞するイクスの背後に回る。大上段からの一撃を放った衝撃は、彼が館から出現した数瞬後には、亀裂が入る間もなく館は間二つに切り裂かれていた。斬撃は館に留まらず鉄門を上から切り裂き、その道を、さらには館が建つ崖ごと深く溝を打った。

 衝撃がその上から余韻として地表を撫で付け、破滅の風として館を打ち崩す。崩落音が身体の奥底まで響くその最中に、イクスは凍りついていた。

 大味な攻撃は、故にその前後の隙が大きい。

 ゆえに背後に回りこまれた彼は、容易くその胸を貫かれていた。正確には背後から穿たれ、鮮血に濡れる真紅の剣を、心臓を経て胸から生やしていた。

 そのまま力任せに袈裟に落とす。

 剣は内蔵を切り裂き骨を破壊し、脇腹から抜けた。血の香りが濃く辺りを満たし、傷口から大量にあふれる鮮血が崩落する館に降り注ぐのを見る。

 そうしてローゲン自身も、それは同じであるのを確認した。内蔵が溢れる腹から漏れる血は、もうその勢いを弱くしていて。

「は……良く、やった。この私を、良く殺したな……まさか、思っても、見なかった」

 振り向きもせず、最初に剣を落とした。先端の丸い剣は、館から抜けたローゲンが始めに冷気を感じた場所よりもずっと低い位置に叩きつけられ、弾んで、偶然に立つ。立てば切っ先が瓦礫に挟まって、斜めに立った。

 まだ続くかと思われたイクスは、その瞳から光を喪失して緩やかに落下する。

 なんの皮肉か、落ちた肉体は、刺突の要素を削った処刑剣の柄で貫かれて、瓦礫に触れか否かの中途半端な高さで停止した。

「オレが、負けるわけ、ねえだろ……なあ、クライト……」

 それを確認したのが、ローゲンの最期の記憶だった。

 手に握る剣が消滅する。

 己を支える翼が喪失する。

 鱗を失ったローゲンは、彼と同じく大地に引き寄せられる感覚に襲われる。

 もう終わりだ、と。キャスカの、ラフトの仇をとったのだから、もう十分だろうと。

 生涯を圧縮した激闘を生き抜いたのだから、もうこれで満足だと。

 肺腑から抜けた空気は、再びそこを満たすことはしない。指先の痺れが抜けることは、もう無いだろう。

 とっくの昔に感じていた寒さは、今となっては致命的なくらいに寒かった。

 思考は途絶え、光は無い。宵闇を見る瞳は、既に生気を手放し――。

 

「やれやれ、だわ」

 艶やかな黒髪を色っぽく掻き上げるフリィは、その胸と両腕を赤く染めたまま、一仕事終えて息をついた。

 もう使わぬのだからいいだろう、と思う。

 もてあます広大な庭に、処刑剣を突き立てる。その周囲にはまだ新雪も薄くすら積もらないくらい、掘り返されたばかりであるのがわかった。

 その隣には、見あげれば首が痛いくらいに巨大な剣。そいつを背に寄りかかる褐色の男は、まだ息があった。

 出血多量であっただけで、傷はそこまで致命的ではない。だから勝者へ捧ぐ慈悲として、瓦礫から探してきた道具を以て応急手当だけはしておいた。

 もし生き残るならばそれでいいし、死ぬなら死ぬで、埋めるだけだ。

「姉さま」

 褐色の少女が袖を引く。

 色白の女が、小さく頷いた。

 戦闘は既に二組が終了している。

 空の闇が濃くなろうとする時間なのにもかかわらず、森を焼きつくさんとする一組だけが、未だに滾っていた。

「大丈夫ですわ。もしダメだったら、私がなんとかしますから」

 頭を撫でて、気休めの言葉をかける。

 イクスが死んでしまうのは予想外だったが、しかしまだなんとかなるはずだ。

 まだ、あと一日――リフに、追いつけさえすれば。

 見上げる空には星がない。月もない。分厚い雪雲が、まるで先の判断を拒むようにどこまでも果てしなく空を覆っていた。

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