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2:合流

 六日目の朝になり、時間が過ぎて多分昼になった。頭上は恐ろしく思っ苦しい曇天で、分厚く、今にも何かが降ってきそうな鈍色の雲に覆われている。

 風は昨日よりも冷たいし、少し強く吹くだけで軽い雪が地表を滑るようにして猛威を振るう。わずか数秒で全身を包んでしまう雪を払いながら、俺は前に進む。

 そして。

「ああ」

 そして、なのだ。

 吐く息は純白。

 視界が一瞬だけ飲まれて、すぐに消える。一陣の風はこの身を震え上がらせるに十分すぎる冷気を誇っているが、わざわざ寒さに意識を向けてやる余裕はない。

 足場の雪原が茶色というか、殆ど黒く滲んで汚れている。その地平線の向こうに、緑生い茂る大地を見る。

 遠方に、高く聳える巨大な山を見た。荘厳な館が鎮座するそれは、周囲を執拗なまでに警戒し他者を拒絶するかのように森林に覆われている。

 人工的な建造物。

 にわかに感じる人の気配。

 やっと来た、と拳を握る。制限時間に余裕を持って、俺は到来したのだと。

 手先はかじかんで力が入らず感覚はない。足先は殆ど機械的に歩くだけで、体の一部であるような感じがしない。

「来たか」

 だけれど、そうなのだ。

 俺は来た。

 拳を下ろす先を見た。

 呼気と共に恨み言を耳元で囁く対象にたどり着いた。

 ああ、そうだ。

 来てやったぞ。

 存分に、殺してやる――。

 表情はそれでも凍りついたまま、能面ヅラで、ゆえにより一層物騒さが増した己の顔を意識して、しかし足は、まだ止まらない。

「はは、はっ、ははっ、はっ、はぁ。……はっ、はぁっ、はっはっはっはぁ――――っ!!」

 それは別に、楽しくなって思わず胸を弾ませたわけじゃない。そもそも胸は弾んでないし、楽しくなんてちっとも無いし、笑うことで少しでも気分を良くしようと思ったわけでもない。

 わくわくしてない。

 笑いたくもない。

 ただ、敵地を前にして笑ってみるのはどうだろうか、と純粋に思っただけだ。だから楽しくもないこんな落ち窪んだ陰鬱な気持ちを振り払うように、大口を開けて身体が凍りつきそうな空気を胸いっぱいに吸い込んで、笑ってやったのだ。

 結果はどうだろうか。

 まったく、変わらなかった。虚しいだけである。

 なんだ、結局、俺は殺しの過程や、その前段階すら、未だに楽しめないじゃないか。

 もっとも、だからといってこれからの選択が変わるわけじゃない。

 もしかしたら、殺した後が楽しいのかもしれない――ひどく澄んだ頭の中に、その言葉だけが浮かぶ。

 既に思考は濁り、もう正常なところへは戻れなそうだと、まだ冷静な部分で感じていた。


 大気を切り裂くような甲高い異音が遠くから響いてくる。それと共に、何かが唸るような轟音が断続的に反響する。

「ああ……来たか」

 吐けば雑言、据えれば狂言、動くときには恨み言の俺が正常に漏らせるのは、感嘆詞と、それを補助する一言のみ。

 しかし理解はしている。

 それは呼び寄せた旧友の気配。見上げる空、振り返る不吉な曇天に、黒い点としか認識できないのがそれだった。

 ついさっき、というか今まで忘れていた彼らの存在。

 なるほど、頼りになるかは別として、俺の役には立つだろう。

「なあ、ローゲン、ラフト――ウィズ。遅いな、遅かったよ、遅すぎたんだ……本当に、少しだけ、なんだけどな」

 今彼らを見ても、己は果たして彼らに正しい情念を湧かせる事ができるだろうか。

 来てくれてありがとう――忘れずに告げられるだろうか。

 済まないが手伝ってくれるか――いたわれるだろうか。

 勘付かれずに――平静を保てるだろうか。探ってくる彼らに、愛情を感じられるだろうか。まがり間違っても、鬱陶しいなどと口に出さず、口を閉ざせるだろうか。

 笑顔で接することを、バカバカしく思わずに要られるだろうか。そもそも、笑顔を作れるか?

 悪い、すまない、ありがとう、助かるよ……言えるだろうか。

 俺は。

 彼らに。

 いつも通り。


 でも、どうして?


 過ぎる思いはあった。

 どうして気にする必要がある? 配慮する理由は?

 俺が戦う。彼らは彼らなりの理由があってここに来た。

 だったら、傷つこうが、逃げようが、俺は構わないし、責任は彼ら個人が負うものだし、だったら気配りによって良好なチームワークを意識して関係を築く必要はあるのだろうか。

 相手が相手なだけに、付け焼刃なチームプレイよりも突出したスタンドプレーが求められる。一対多数でどうにかなる相手だったら、ここまで俺が苦労する必要がないし、そもそも他種族に敬遠され畏怖されるわけもない。

「俺は少し、変わっちまった」

 死を垣間見て、何かが決定的なまでに壊れてしまった。

 受け入れてくれなんて甘えたことは言わないさ。

 許容してくれとも、言わない。

 だからせめて、迷惑は掛けたくない。いや――迷惑をかけないでくれ。どうせなら、ここまでとことん言っちまおう。

 呼び出して、悪かったと思うよ。だけれど、ローゲン、あんたにゃアッシィに恨みがあるはずだろう? 来たからには、譲ってやるよ。あいつなら、あんたらなら、相手ができるだろう。今なら、十分に覚悟と準備があるはずだろう。

 だから、本当に済まないことなのだけれど。

 俺はこれ以上、あんたらを待つために足を止める余裕はないんだ。

 数分にも満たぬ停止、葛藤や悩みは、しかし煮え切らないまでも自己解決する。結果はひどく身勝手でガキみたいなもんだけれど、今はこれでいい。

 どうせ”今”しかないんだから。

 だから俺は、前へと向き直る。改めて暴風じみた風が全身を駆け抜け熱を奪い去るが、これ以上冷酷になるつもりはなかった。

 ありがとう。口だけで告げて、俺はゆっくりと歩き出す。

 背後から迫る轟音と、空気を切り裂く甲高い異音は、すぐ近くまで迫りつつあった。


     ◇◇◇


 うろこ状にひび割れる巨翼をゆるやかにはためかせた男は、まず初めに両脇に抱えた荷物を落とす。身軽な様子で氷雪の上に着地する二人は、やはり見慣れた二人だった。

 流線型の鎧のような装備は己の甲殻。体内から引き出した内骨格を外骨格へと転用することで肉体に異常なまでの強靱性と機動力を実現させる。

 頭部は堅硬な鉄仮面に包まれ、側頭部から後頭部へと流れるようなツノ。瞳があるべき部分には、透き通る紅玉が埋め込まれている。

「よお」

 外骨格を擦らせて音を鳴らし、踵をつけて直立する。腕を組み、ラフトは気易く簡単にそう挨拶をした。

「元気そうで何より」

「それは、こちらのセリフですっ!」

 ズボンのポケットに両手を突っ込んで軽く嘆息。今更己の息が白く染まるのが楽しいわけじゃないが、なんとなく白いそれを視線で負う。

 それを遮るように、ぐいっと一歩深く踏み込んでくるのは、長く尖る耳を弾ませるエルフ族の少女。

「無茶して転移して、音沙汰も無いなんて……」

 紫水晶の瞳を潤わせて、その幼さの残る顔をずいっと寄せる。

 肩を過ぎた柔らかげな茶髪が揺れる。甘い香りが、この冷気の中でも良く伝わる。

 寒さに身体を小刻みに震わせながら、鼻先から頬に熱を差して赤みを入れる。ウィズ・エフォウは、その背に巨大な矢筒と折りたたまれた無骨な弓を背負いながら、女にしては筋肉質な腕で俺の両肩を掴んだ。

「もう身勝手な選択はダメです。私達が、居るんです!」

 ああ……思わず漏れそうになる声を、噛み殺して飲み込んだ。

「やめとけウィズ、干渉するな」

 彼女らの背後でまだやわらかな雪を踏みしめるような、軋む音。

 褐色の肌に撫で付けて掻きあげている黒髪は重く、威厳を放つ。

 背に巨剣を背負う男は、口もとを嫌悪で歪めながら、どこか侮蔑ある視線で俺を見ていた。

 やがてローゲン・ドラーゲンはラフトに並び、腰に手をやり短く息を吐く。

「目を見ろ。そいつの目だ。腐り濁り、どうしようもなく淀んでいるさ。今のそいつは、いつものヒィ・クライトじゃあない。最後の時のような、自虐で自己犠牲的な勇敢さとはかけ離れた、どちらかと言えば――毒をもって毒を制すような瞳だ」

「意味がわかりませんけど」

 再会を遮らんとするローゲンに、ウィズは首だけ回して睨みつける。

 しかしながら、彼の鋭い指摘に、俺は思わず息をつまらせた。

 毒をもって毒を制す。ああそう、まさにそのとおり。

 魔を打ち倒せるのは聖だけではない。同じ魔を持てば、相殺することだって可能だろう。

 そして俺は聖を持ち得ない。ならば近い魔を駆使して戦うしかないだろう?

 人として、どちらにも転べる男として、一つの選択として。

 化物からはザコだと揶揄され、人からは力ゆえに恐れられ。

 決して頂点へは至れぬ鈍い輝きを、それでも俺は必死に掲げる。これが俺の力だ。ここに居る俺こそが、と喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 それでも誰も気づかないから、目立てるように動く。

 鈍い輝きは、そこでようやく動かぬ眩い輝きに勝ることができる。

 しかし、何よりも目立つ輝きばかりのなかに、鈍い光が混じってしまったら?

 俺は――。

「だがな、オレはそれで良いと思う」

 たった一息で、人格否定に近い暴言を否定する。

 まるで芯の通らぬ言葉だが、

「こんな状況で、単身敵地に突っ込むような奴がまともで居られるはずがない。さらに言えば、いかにもまともな風なら、オレたちには決定的なまでに壁があるってわけだ……なあクライト、オレたちを邪魔に感じてるだろうが、無理はしなくていい。こちとら、勝手にやらせてもらう」

 だから、と。一歩踏み込んだローゲンは、ただでさえ近い位置に居るウィズの背を押す。

 よろめいた彼女は抵抗の一つもせずに無防備な俺の胸の中へと飛び込んできて、さすがに避けるわけにも行かずに受け止める。汗と血と熱気でひどい悪臭だろうが、今回は我慢してもらうしか無い。

 彼女は少し驚いたように、既に鼻先すらぶつかりそうなほど近づいてしまった俺を見つめ、そうして慌てて身を引く。隣に並ぶように立ち直せば、ちょうど二人ずつが対面するようになった。

「ヒィ。おれたちは恐らくお前の目指すところへは届き得ない。だが全力で手伝おうとは思っている……なあヒィ。この三十日近くで、覚悟は決めて腹は据えている」

「……ありがとう、みんな」

 そんな彼らだからこそ、俺は素直に頭を下げることができる。

 本当に胸の中に感謝の意が湧いたかはわからない。だけれど少なくとも、そうしたいとは思った。

 濁り腐った瞳で、蔑み侮蔑にまみれた心で、開けば恨み言しか放たぬ口で、誠意を見せてやりたいと。

「俺は、みんなに出会えてよかったと思ってる。俺さ、思うんだ……もし、この戦いが終わっても、まだ生きていたら――」

 言葉を止めたのは、それが不吉な予感を感じさせたからではない。

 突如として背後に気配を感じ、それに伴ってローゲンの瞳孔が開くのを見たからであり。

 俺たちが振り返れば、そこには淡いベージュの外套を身にまとった、黒装束の男が立っていた。

『やはり生きていたか。小生、貴君に閉じ込められ遅れをとったが……ふむ、容赦はせん』

 アッシィの姿に、総身の細胞が震え、総毛立ち肌が粟立つ。

 バチバチと弾けるような緊張が全身を駆け抜けた時、だけれど俺の前に立ちはだかる二つの背中。

 彼らは共に巨剣を構え、一瞥すらせず、背中越しに告げた。

「先に行け」

 褐色が吠える。

「すぐに追いつく。必ずだ」

 悪魔が笑い、敢えて無防備となる大上段に構え直した。

「……任せた」

 シルフ、と呟き瞬時にしてこの身に風を纏う。

 そうして一歩踏み出した瞬間、俺の肉体は弾けたように彼らの横を一気に駆け抜け、アッシィの脇を抜ける。だがアッシィはそもそも追いかけるつもりもないようで――。

「大丈夫でしょうか?」

 ぎょっとする。少し、というかかなり驚く。心臓が止まりそうになった。

 僅か数分で地平線へと至るこの速度に、ウィズは付いてきてなお呼吸を乱さずに横に並んでいるのだ。

 だけれど、まあ。

 最強を望んだ力だ。これくらいあってようやく、戦力になるというものだ。

「大丈夫だろ。死ぬわけ、ねえさ」

 自分でそう言いながらも。

 切り捨て置く予定だった彼らの姿を脳裏によぎらせながら、奇妙なまでにざわつく胸が気になった。

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