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第二話 大切なもの

 飢えていた。

 渇いてもいた。

 食事をする余裕が金銭的な理由でなく、堪えられずに川の水を飲んで腹を下したからだ。

 だけど、俺には苦楽を共にする仲間が、今は居る。まだ一週間ばかりの付き合いだけれど、そういった仲間が――。

 ちら、と脇を見る。

 飲食などしているはずもないのに、だけど頬もこけず、唇が乾いた様子もなく、眼は潤っていて、いつも元気で。

 あれ? 隠れて何か食べてる? と言いたくても、荷物を持ってるのは俺しか居ないわけで。

「……もしかして、食事とかしなくても生きていける種族なのか? 悪魔って」

「まあね。飲精って、知ってる?」

「正気か?」

 いやいや――ああ、でも悪魔ってそういう種類も居るらしいし。そうなるとライアのあの防御力皆無そうな身体ぴっちりしてる胸と股間しか隠してない鎧も、なんとなく納得できそうで。

 確かに、眼が覚めても疲れが残ってる。ここ最近は野宿だから、身体が痛いことも多々。

 なんて事を考えてると、ライアはため息をついて肩をすくめた。

「冗談よ。もっと面白い反応できないの?」

「悪いな、割りと真剣に体力面で余裕が無いし」

「……でもまあ、お金稼ぎもままならないとはねえ」


 ――ノースノウに一度戻ることも出来た。だがそれよりも、南下したところにある村の方が近かった。

 歩いて半日もしない内に到着した俺は、早速『派遣事務所』に赴いて確実に報酬が受け取られそうな仕事を請け負おうとしたのだが……。

 俺がここ一年半こなし続けた仕事は、全て”不履行”という形で依頼契約が消滅していた。もちろん、依頼主が報酬を払っていないのだから、下手に突かれないように”無かったこと”にしているのだ。

 傭兵歴五年。

 その内最新の十件全てが形式上は不履行……打ち切りでまともに依頼をこなせていないとなっているのだから、そりゃ信頼もなくなっているわけで。

 堅実な仕事は、地元で働いている傭兵やそれを副業とする連中に取られてしまっているわけで。

 詰まるところ門前払い。

 信頼も何も関係なく、とにかく人手が欲しいという割には報酬が雀の涙ほどで拘束時間が長い仕事か、そもそも依頼主側に一抹の不安があるという妙に報酬が高い仕事しかないわけで。

 思い出しただけで胃が痛くなる。

 久しぶりに、傭兵業の堅苦しさを感じた日だった。


 だからフラフラで。

 もう外套も要らなくなる程に温暖な気候に移る南方の地は高原。遊牧されている牛などの家畜の存在が、人の存在を匂わせる。

 故の安堵か。

 肉体の限界か。

「はぁ……なあ、少し、休もうぜ?」

 彼女の答えを聞くよりも早く、俺の腰は砕けて足首まで伸びる草むらの中に落ちた。

 荷物の重さから解放される……というのはおよそ三日前。行動のしやすさは荷物の重量が減っていく事で上がっていくが、しかし旅の途中で荷物が軽くなる理由は携帯食料を消費しているということ。

 封を開ければ足が早い食料ばかりのそれらは、温暖な気候に近づくにつれて限りなく密閉して保存することも不可能にしてくれた。

 だから今バッグの中には俺が南を目指す為に、南だと示してくれる道具しか無くて。

 寝転がってようやく、身体の重さからも解放されることになる。

「くぅ、空が……眩しい」

 燦々と照り返す太陽はちょうど頭上の高さ。眩しすぎるから、それを腕で遮る。だけど持ち上げておく余裕もなくて、だから額にかぶせるようにして日光を防いだ。

 隣に座るライアは、膝を抱えて小さく息を吐く。結局食事の有無は聞いてなかったけど、やはり彼女も彼女で疲弊はしているらしい。

 だから――わざとらしく倒れて、身体ごと腹に乗ってくるのに、拒絶も反応もする余裕がなくて。

 俺の意識が遠のくより早く、落ち着いた静かな呼吸音が、一週間も夜を共にした仲間の就寝を知らせて――。

 枕元に近づく気配を悟りながらも。

 命の危機かもしれないのに、俺は睡魔に全身をがんじがらめにされて動けなくて。

 ああ、こんな心地よい中で殺されるなら、まあいいか、なんて。そんな判断をしてしまうほど、脳は麻痺していた。

「大丈夫……ですか?」

 声を最後に。

 俺の意識が途絶した。


     ◇◇◇


 揺さぶり起こされる。

 一度は無視しようと決めた。まだ眠いし、瞼の向こうに日差しを感じないから、どうせなら朝まで眠ったっていいだろうと思った。

 相手だって一度は諦めた。が、短く息を吐いてから、また身体を揺さぶる。

 ライアにしてはなんて諦めが悪い。いつもなら、一緒になって二度寝にしけこむか、俺が起きるまで適当に時間を潰すのに。

「ん……」

 だから、小さく声を漏らす。起きますよ、という合図に、ようやく揺さぶるのをやめてくれる。

 ここでまた眠りに就けばいいのだろうが、それだとイタチごっこになりそうな気がして、ゆっくりと目を開ける。

 そこで気がついた。

 地面は、まだ寝やすい草むらではない事に。それは柔らかな布団だった。

 異変が、俺の鼓動を早くする。

 身体を起こす。辺りを見渡す。

 ――甘い香り。

 そして、テーブル。向かい合わせの椅子。ライアは外套も羽織らずに、その一方の椅子に腰掛けてスープを飲んでいた。

 その向こうにかまどがあって、リビングとキッチンが一緒になっているらしい。

「おはよう、ございます……」

 何よりの異変。

 脇に視線を落とせば、見慣れぬ少女が居た。

 長く伸びる耳。高い鼻に、大きくくりくりとした瞳は紫水晶。柔らかく栗色の髪は、長く、眼にかかっていた。

 エルフ族――またもや他種族。温暖な気候の土地で生活すると聞くが、まさかその領内に知らぬ内に入り込んでいたとは。

「ああ、君が俺を、ここへ?」

 害意はない。人間と同じく、他種族との関わりにあまり良い顔をしない彼女らだが、基本的には穏やかな性格で優しい人達だ。

 何よりも、その精霊術の扱いに富んでいて、あらゆる術を生活面に応用していたりする。

「はい」

 膝立ちだったのだろう。少女は立ち上がれば、思いもよらぬ長身で俺を見下ろす。その背丈なら、男の中ならもちろん、女の中でも一際目立つだろう。エルフ族は小柄と聞いていたが、そういった例外もあるらしい。

 なによりも――いや、気にするまい。

 肩から袖のない衣服は淡い蒼で、その身にぴったりと張り付いてスタイルを浮き立たせる。だからこそ目に留まるのは目立つ双丘。動く度に揺れるそれから、俺はゆっくりと視線を逸らした。

「お疲れのようでしたね。さすがに寝過ぎは悪いと思って、起こしちゃいましたけど」

 寝過ぎ、と言われて彼女とは反対方向に顔を向ける。そちらは壁であり、埋め込まれている窓の向こうはまだ明るい。そのくすんだ色の岩肌でさえ、日差しを照り返していた。

「寝過ぎ? 今って……」

「お昼ですよ。クライトさんが眠ってから、丸一日経過してます」

 言われてから、大きく伸びをする。柔らかな布団のお陰で筋肉は硬直してないし、倦怠感も無い。ただ――染みるような空腹が、もう腹の虫すらも消化してしまったことを教えてくれた。

「お食事、用意してありますから」

「ありがとう……っと、もしかして、俺がここに寝てたってことは」

 彼女は? 家主は、望まぬ来客をお人よしにここに寝かせたがために、床の上に?

 なんて申し訳のない。食事さえ貰えるならば、なんでもしようと心に決めて。

「隣の部屋に予備の布団があるんですよ。元々、そっちが客室でしたけどね」

 立ち上がる。裸足のまま、ライアの前に腰を落とした。円形のテーブルは、もう一つだけ椅子を残す。

 パタパタと小走りで台所に向かう彼女が、木の器に白濁としたスープを注ぎ、スプーンを突っ込んで持ってくる。付け合せのパンは、テーブルの真ん中にある籠に、絶える事無く盛られていた。

「ありがとう。なんだか、至れり尽くせりだな……いや、本当に感謝してる。もし何か困ってることがあったら、何でも言――」

 言葉が途切れる。

 我慢できずにスプーンを口に運ぶ。熱い液体が口腔で迸り、だが直後に熱よりも強く濃厚で、芳醇な香りが鼻から突き抜けた。

 じわり、と染みこんでくる甘み。適度な塩気が、俺の全身に活力を漲らせる。

 これは決して、ただのスープではない。香草や薬草をふんだんに使った、栄養剤に近い。

「もう、どうせならもうひと息くらい言い切ってくださいよ」

 馴れ馴れしいとまでは行かない、優しい微笑み。彼女は空いた一つの椅子に座り、パンを手にとった。


     ◇◇◇


 満たされた。

 潤った。

 もはや金など無用の長物で――元から存在しないそれを不要だと切り捨てることで、今度は精神面の安定を図る。

 全身のドロドロの血が胃に向かう。汗ばんだ額を拭って一息。

 俺は改めて、エルフの少女へと向いた。

「俺、一応傭兵してるんだ。ま、精霊術の方が達者だから、君には無用かもしれないけどさ。ま、力もあるし、一宿一飯の恩義だ。無茶でも、何か困ってることがあったら訊くよ」

「ほらほら、その前に自己紹介でしょ? あんた、あたしの時もそれ忘れて……」

「ああ、悪い。俺はヒィ・クライト。こう見えても、傭兵始めて五年になる……無名だけどな」

「だから、なんでそういうネガティブになるかなあ。あたしはライア、まあ、話したからいいよね」

「はい。ライアさんを始めに、お二人の道中はしっかりとお聞きしました。私の名前はウィズです。ウィズ・エフォウ」

 手を胸に、彼女は丁寧にそう口にする。

 丸一日の空白の時間で、ライアが全てを説明したらしい事は、助かった。色々と面倒な事ばかりだったし、何よりも、彼女の悪魔という存在に対して理解があるようだったから良かった。

 というか、俺が知らないだけで、悪魔っていう種族は結構既知にして有名?

「嬉しい申し出なんですけど、特に困ったことも無いんですよね。あ、でももしクライトさんたちが良ければ、いつまでもごゆっくりしていっても大丈夫ですからね? ギブアンドテイクなんて言いますけれど、誰もがテイクできる状況なんてありませんから」

 毒を含んでいるのか、それを毒と知らないのか。ともあれ後半の言葉が胸に刺さる。

 金が全てを解決する――という事は言いすぎだけど、少なくとも世の中の殆どの事は沈めてくれる魔法の力だ。心ばかりの金額を彼女に渡すことが出来れば、少しだけ人里に降りて、少しだけ、何か足りない物を見つけられるかもしれない。

「ああ、じゃあもののついでに訊いて悪いんだけど……ここはどこらへん? 窓開けたら、何やら見慣れない荒野なんだけど」

「ええっと、ですね。実はクライトさん方が居た所からそのまま進んだら村があって、その先に港町があるじゃないですか?」

 その港町から、大陸間を渡ることが出来る。俺も、同様にしてそれで渡ってきたのだ。

 もっとも、港町だからといってそこが最南というわけではない。海沿いに歩いてきたから、南西の最奥なのだ。

 つまり、一番南まで行くには、徒歩ならばあと半月以上の月日が必要になる。休まずに歩けば、だけれど。

「ちょっと東側……進行方向の反対側の、内陸の方に進みました。数時間歩いた先に大きな森があって、その外れに荒野があるんです」

 それが、ここだと言う。

 近くには河が流れ、枯れ果てた肌色の地ばかりが見える中でぽつんと建つらしい一軒の家。だけど生活に不自由はなく、問題なく過ごせているという。

 ――エルフ族は森の中に里を持つ。

 さしもの俺でも知っている。内陸部、この大陸の中心辺りにある大きめの森にはエルフ族が数多く生活する領地である。しかしそこに政治的な関わりがあって領地としているわけではない。

 暗黙の了解という、他種族間にだけある不可侵にして絶対的なルール。

 この近くには大きな森があるらしい。

 そこから離れたこの荒野で、なんとか生活できる環境に建つ、一軒の家。

 一般的なエルフ族とは異なる長身。紫水晶の瞳。金に至らぬ、栗色の髪。

「……クライト」

 俺の頭の中を透かし見るように、ライアが声をかけた。

 視線を向ければ、彼女は首を振る。艶やかな黒髪が揺れ、だけど瞳が、揺れること無く真っ直ぐと俺を見た。

 ウィズは不自由していないと言った。

 恐らく、俺が不審にして不安に思い、誰が見ても余計なお節介だと受け取るだろう事を、未然に防ごうと思っているのだろう。

 無用に掻き回すつもりなど無い。俺は彼女の危惧に頷き、安堵を促す。

「内陸かぁ、なら南下すれば……『ノーシス城』領内か」

 ここは北の大陸。

 だけどどこの地も寒いというわけではなく、地域によっては暑くさえ感じる場所もある。もっとも、季節にもよるものだが。

 そして――大陸を治める政府が、この四大大陸に一つずつだけ存在する。

 この国では、『ノーシス城』と呼ばれるのがそうだった。大陸内最大の規模を持つ城下町は、堅牢な街壁に囲まれて来る者出る者全てを阻む。唯一絶対の治安を約束された、恐らくどの大陸でも”外側”の人間は誰でも感じるだろう特異感にして畏怖の念は、共通認識だ。

「あんま行きたくねえな」

「これから追々決めていけばいいんじゃないですか? 今日だって、まだお昼すぎですし」

「ま、そうだな」

 短く返事をして、欠伸を噛み殺す。

 バッグから地図を取りに行くのも厄介で、俺はそのままテーブルに頬杖をついた。

 ウィズが俺へ視線を泳がせる。何か、口が開きそうになるより早く、ライアが声をかけた。

 上々。

 俺の気がウィズへと移らぬように。

 もはや金云々の問題でもない、もしかしたらあるかもしれない種族内でのいざこざに、首を突っ込まないように。

 だけどそうすればするほど、図らずともライアが俺に暇を与えれば与えるほど。

 俺の思考は、養分を得て随分と回転するわけで。

 否応もなく――ある意味で命の恩人であるウィズへと、頭脳労働を開始した。

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