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第十二話 決戦

 そいつらは加速などしない。

 疾いことは事実だが、しかし常軌を逸した速度に乗らない。ただ静かに、着実な歩みで俺へと迫るのだ。

 それは野生動物の狩りが如く。

 己の力を理解し、この牙を確実に突き立てて一撃で再起不能、ニ撃に至る前に屠るために。

 自身が負けるはずがない、そういった確信は驕りではなく強さの自信として身に纏い、俺への警戒を怠らぬまま、やがて互いの顔に刻まれるシワ、衣服に積もる雪や水滴の数さえも見える距離にまで迫る。

 巨漢とはかけ離れた長身の男は、僅かに見上げる高さに顔を置く。金髪痩躯、しかしその腕には、身の丈以上にも及ぶ巨剣を握っていた。

 イクスは歩みを止めて、処断の剣を振り上げる。切っ先がないのは、断罪のため。罪深き男の首を落とすことをだけを目的に作られた、首斬特化の専用品ワンオフ

 俺は動けなかったわけじゃない。

 動いた分だけ距離を詰められるから、仕方なくそこで待っていた――のは、ウソである。

 この男に対して何をしても無駄なのを知っているから、無駄な動きをやめただけ。決して攻略法を考えているわけでも、ましてや隙を見極めて虚を衝こうとしているわけでもない。

 竦んでいた、というのが正しい。

 果たして俺はこいつに太刀打ちできるのか?

 殺されるのではないか?

 今になって、死神が構え伸ばした鎌の刃が喉元を鋭く撫でていることに気がついた。ゆえに恐ろしくなったのだ。怖くなってしまったのだ。

 死にたくない――なまじ、求めてしまったから。

 復讐の為に投げ捨てた命を、俺は敵地のど真ん中で拾い上げてしまったから。

「お前……いや」

 イクスは俺の瞳が不安や恐怖で翳るのを見咎めたのか、声をかけようとして、首を振る。処断の剣を振り上げたまま、低い声で、嘆かわしいと呟いた。

「何が大事なのだ? 振り幅の広さが、お前の良さだったか? 私は少なくとも、どのような敵でも立ち向かってくるお前の気概は認めていた。ここに来るのも、少しは楽しみに思っていた。だから私は、ただの一撃喉仏を引き裂かれただけでは、お前に死んでほしくない。戦え、そのために、この極北の氷上に居るのだろう?」

 それは紛れも無い励ましであり、諭すような意味合いでもあった。

 ここまで来たのだから諦めろ、と。

 戦うしか脳がないのだから、せめてそれくらいはしてみせろ、と。

 ああやってやる――思えるはずがない。

「くそ……」

 足が震える。膝が笑う。

 一度死を垣間見てしまったから。

 一度でも、立ち止まってしまったから。

 戦わなければならないのも、これが始まったばかりで、まだまだ先は長いのもわかっている。

 ここで俺は意地でも自力で動き出さなければならないのだと。

 しかし、だけど、俺は、どうして。

 目頭が熱くなる。どうしてよりにもよって、こんな時に怖くなってしまうのか、泣きたくなってしまうのか。

 なんで、どうして、なんで、なんでなんでなんで――疑問ばかりが浮かぶ。思考を占める。他の考えが全て淘汰されて、脳内は怯え一色に塗り替えられる。

 考えれば考えるほど、俺は俺を追いつめる。

 きっかけは、ライアに契約を切られたから。

 否、だと俺は首を振る。己のビビリの理由を他人に転嫁するなんて最悪だ。

 せめて戦えば、拳を握れば、身体はいつも通りに動いてくれるのだろうかと思う。だから指を折って、力を込めて、拳を固め、腕の筋肉の胎動を意識して、全身に力が滾るのを理解して。

 足を動かす。前へ歩く。

 イクスは剣を振り上げたまま動きを止めて、アッシィの姿は認識できない。

 これは殺し合いなのに。

 戦う前に、直前に、敵に慰められて、情けをかけられてどうするつもりだ。

 しかしだけれど、俺はご立派な信条や理念など無い。ちょっと凝った人殺しみたいに、お決まりの気分ややり方もない。

 ただその時の気持ちのままに。

 今は恐怖によって恨み辛み、怒り悲しみを封じ込められてしまったから。

 握ってしまった拳は、ただ。

 そう、ただ生き残るために、俺のために、振りかぶろうと思う。

 俺はそう思って、気がついた。

 初めての、俺のための戦いなのかもしれない。

 少なくとも自覚できる限りは、今回が初めてなのだ。


 まっすぐ落とされた剣はしかし、その斬撃に生じる衝撃を周囲に噴出させる。削られる地表は氷解を砕いて撒き散らし、粉微塵にして煙幕とする。

「遅い」

 思わず漏らしたように言った。

 横に飛び退いた俺の背後に、猛烈な殺意が迸る。その存在を認知してから、後から遅れてくるように男の言葉を理解する。遅い、と言った意味を把握する。イクスが背後に回りこんでから理解した言葉は、俺が彼に気づくよりも遥かに鈍く、

「あんたが、ぁっ?!」

 横薙ぎに振るわれた大剣をやり過ごすように、俺は地を這う程に身をかがめて、滑り込ますようにイクスの背後に回りこむ。少なくとも大剣より後ろへ引けば、その衝撃に飲まれることはない。

 なによりも、この地で死に至るほどの痛手は負えない。今の俺は治癒すら意識しなければ出来ないほどの、ただの精霊術師だった。

 命からがら回り込めば、しかし血液が管ごと凍りつきそうな気配。思わず倒れこむように横に回避すると、直後に短く舌打ちの声を聞く。

 くぱ、と革の外衣の腕が裂けて、そのままむき出しの皮膚が鋭く赤く滲む。

 厄介過ぎるのは、何もイクスの馬鹿力だけではない。

 知覚できないアッシィの能力を共有しないだけまだ良いが、まずはこいつの隠匿をどう看破するかが問題だろう。一撃で屠られることには変わらない。避けられないことが、一番の問題なのだ。

『かっ開けば良いと言うものでもない。貴君には、視えぬのだ』

「黙れよ、舌噛むぜ」

 怯えは、怯えを感じる暇もない勢いで圧し潰す。

 代償は生命力の消耗を加えることで威力増大と発現速度を加速させ、代償を限りなく減少させる。

 疲弊は甚大だが、治癒の必要がなくなるだけまだいい。

 迸るイメージは、直後に周囲の氷上に影響を及ぼした。にわかに俺の背後に存在感をあらわにした、フリィにも負けぬ冷気を放つ女が凍えるもの、流れるものすべてに干渉する。

 故に俺が不敵に漏らした直後に、地面の振動と共に氷上が隆起する。俺を除く周囲全面に余すこと無く、長身のイクスの身の丈をゆうに超える高さの刃を生やした。

 しかしイクスは、ただ剣を薙ぎ払うだけで己の周りの氷刃を砕き、スペースを確保し。

 俺の少し後ろで、氷が砕ける音。密集する氷刃が粉々に砕け吹き飛びながら、その破壊が俺へと迫る。その軌跡だけが、良くわかった。

 逃げる暇もない。この刃は俺の逃走経路さえも塞いでいるから。

 だからただ腕を前へ突き出し、

「――っ」

 真横から振り下ろされる大剣を認め、仕方なく後方の刃の密林に飛び込むように回避する。背に触れるより早くそれは液体化し、冷たく俺に降り注ぐ。その代わりに退路を展開し、突き出した手のひら、わずかに長い中指の爪もろとも第一関節半ばごと、大剣がそれを切断する。

 腕を先に引っ込めときゃ良かった、と思うのは少し後。

 激痛の概念が、あまりにも直接的すぎるくらいに頭の中に打ち込まれる。

 意外、というよりも不意な痛みに反射的に右手を引っ込める。迸る鮮血が白銀の世界に際立つほど赤く、宙空に尾を引いた。

 溶けた鉄の中に指先を浸けたかのような灼熱感。漏れそうになる悲鳴を押し殺しながら、それでも俺の気持ちや苦痛を憂慮などせず突き進むアッシィの姿を理解して、

衝穿撃インパルスぁっ!」

 それがかえって、よかったのかもしれない。指先を喪失したことで本当にギリギリまでアッシィを引きつけることができたのだ。

 不可視の、純度百パーセントの衝撃だけが前方に噴出する。反動で思わず右手が弾き上げられ、俺はその勢いで後方の氷刃の森に背中から突っ込んだ。

 甲高い悲鳴のような、澄んだ破砕音が響く。全身に深々とそれらが食らいつき、半ばからぽっきりと柔く折れて、連鎖するように後方へとそれが続く。起点となるのは俺で、破壊するごとに同じく俺も傷ついた。

 それでも、アッシィには一泡吹かせたのだと信じて、

「っ、マジ、か」

 甘かったと、否定される。

 首根っこを掴み上げられる感覚。動きは背後で立ち止まる何かによって衝撃ごと受け止められて、さらには首を掴まれて持ち上げられた。まるで悪さをした猫を、ようやく捕まえたかのような興奮混じりの息遣いが首筋を掠める。

 前方には俺を眺めるイクスが、ゆっくりと歩を進めている。

 だから、この掴まれているのに感触すら明瞭でないこの背後の何かは、アッシィに違いなくて。

『馬鹿正直に、まっすぐ進むわけもなかろう。我々は地表を駆け抜けることだけが脳ではない』

 死ぬのか――萎んでいたと思われた恐怖感は、ただ溢れるのを押さえつけて蓋をしていただけであったことに気づく。

 蓋が外れて、それが溢れて零れて、既にひざ下、もしかしたら喉元にまでせり上がっているのかもしれない。

 だけれど、いや――ここで死んだと、そう思えば。

 ああ、そうだ。死ぬのが怖い、だけれど俺は今まで死んできたじゃないか。治癒して、生き返って、いかにも死んでませんって面で戦ってきたじゃないか。

 いつまでも、来るかもしれない、しかしいつ来るかも知れない連中の激励を待って、背中を押されるのを待って、よし俺やるぞって。そんなのをいつまでも待っていて、それまで恐怖に怯えたままで。

 俺はどうするつもりだったのか。

 臨界点を超えて、振り切った恐怖はまるで反応を起こしたかのように色を変え、熱を持つ。

 ふふ、と漏らし、はははと笑う。

 アッシィはすぐには殺さない。俺に期待をしてくれているから。

 イクスは致命的な手は出さない。俺の動き出すのを待ってくれているから。

 ただそこには制限時間がある。見限るのが早いから、もうそろそろ待つ判断が喪失して殺しの一辺倒に跳ね返る。

 彼らは敵だ。ローゲンの配偶者まで殺している。

 だったら恨みを晴らすのか? 復讐だのと喚いて拳を振り上げるのか?

 ああそうだとも。

 立ち止まってしまったら、また歩き出せば良い。

 最初の一歩は勇気がいるだろう。だけれど、これまで続いてきた一歩の中の一つだと考えれば、これはもう初めの一歩じゃない。俺はずっと前から、ずっと歩き続けてきた。

 だから、怖いから逃げる、立ち止まる、なんてのは違うんだ。俺が今までしてきた選択は、怖いから駆け抜ける――怖いと思うものを、始末してしまえば、もう怖くない。

「そうだ、そうだった」

 俺はずっと一人だった。

 縋る必要はない。

 もう誰かが必要なんて、言わない。

 勝手に落ち込んだら、勝手に立ち上がらなければいけない。

 そう、だから。

 もう俺は、怖くない。

『しかし、ここまで呆気無いとなると、いささか残念――』

「だあららららら――るぁっ!!」

 突き出す手のひらが向くのは地面。中指の先がない右手は、即座に衝穿撃を放つ。凄まじい衝撃。しかし微動だにしないアッシィへと俺越しに反動が伝わる。

 さらに左手が足元に突き出される。衝撃をぶち込み、大地が砕ける。動かぬ俺へと、弾けた氷塊が雪嵐となって降り注ぐ。全身に石のような硬さのそれらがぶち当たり、皮膚の下が裂けて出血する。

 次いで右手。同じ所に衝撃を放ち、穴を深く。

 左手はまだ綺麗な氷上を削り。

 右手は深く、巻き上げるように氷塊を砕き。

 左手は氷上に転がる大きな氷塊を更に砕き。

 交互に地面を破壊し、周囲は盛大に濃密な白き闇の中に包まれる。さしもにアッシィも、連続となる衝穿撃に立ち続けることも出来ず、俺を横方向に投げ飛ばして姿を消した。

 衝撃を地面に放ち、姿勢を整えてなんとか足から着地する。白い闇を少し前方に置いた位置に落ち着いた俺は、大きく息を吸い込んだ。

 冷えた空気が、全身を急激に冷却する。

 だけれど、頭は火照るように熱を湛えた。

「感知しろ、シルフ」

 視覚情報だけじゃない。

 俺だけのために労働し、俺だけのために力を使え。

 呼吸を止めて、そいつを代償に淡い緑の人影が小さく頷いた。

 ――直後に、俺の肌に新たな感覚が加わる。

 肌に目がついた。そんな感覚である。空気が文字通り変わったような感じがして、周囲には俺を含めて三人が居ることが理解できる。

 俺が巻き上げた白煙の中に一つ。

 そして、そこから飛び出して弧を描くように、帰結を俺にして向かってくる不可視の気配が一つ。

 理解して、呼吸を開始する。それと共に、感覚が喪失した。

「ウンディーネ、水の膜を」

 中指から垂れる鮮血をなめとるようにして、大気中の水分を操作する。

 ばっ、と。それは間髪おかずに現れる。鈍く景色を歪めるようにして、手を伸ばしてようやく届くかどうかの距離に、その水の薄い膜が展開された。

 はぁ、と大きく息を吐く。濃厚な白い吐息が、冷え切っている水に触れて消える。

「しんど。つれえわ」

 今までとまるで格が違う。

 四大を使い始めて、ようやくなんとか同じ土俵に足を乗せたレベルだ。嫌になる。うんざりする。

 強い奴となんか戦いたくない。もっと弱いやつを相手にして、優越したいのだ。

 まあ、今はそんな事を考えている場合じゃなく。

 全身に伸し掛かる疲弊を跳ね返すように深呼吸をした途端に、背後の水膜が弾けたのを知覚する。

 馬鹿か、と思わず声を出さずに、口だけで言った。

「ウンディーネっ!」

 脳内のイメージが強く、俺の妄想こそが現実なのだと言うほどに明確に反映される。

 だからアッシィが水膜に触れた瞬間に、水は途端に凍りついて彼の総身を包み込む。俺は凍った膜を蹴り破って外に出れば、大地の振動と共に、切り抜かれたように綺麗な分厚い壁が地面から隆起する。

 両手を伸ばしてもまだ余る厚さの氷の壁が、まったく同時に四方からアッシィを囲む。止めとばかりにその上部が少し――それでも分厚く――だけ前にスライドし、蓋となって密閉させる。

 それは凍える棺桶。

 邪魔なら、対応できるまで閉じ込めておけば良い。

 我ながら、情けない手だとは思うけれど。

「さて、行く――」

 か、と最後を漏らす暇など、俺にはなかった。

 そいつは加速などしない。

 決して、走らない。

 だから確実に、俺へと迫る。アッシィのように罠にハマってくれなどしない。

 ただ風を斬る音だけが耳にこびりついた。

 すっぱい、血の香りが鼻腔を刺激する。視界が赤く滲む。

「お前は強いが、しかし器用でなかったが故と言うところかな」

 頭上から振り下ろされた巨剣は、だが断ち切るまでは至らない。

 されど、右肩から挿入されたそれは、まるでバターでも裂くかのように容易く、そいつは俺の腹部まで切り裂いていて。

 もはや言葉も無い。

 彼の馬鹿力、最大火力などという問題以前に。

 俺は、敗北を喫した。

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