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6:上陸

 氷塊が無数に浮かぶ海を北方に突っ切った先が、辛うじて上陸できる土地である。

 海抜がゼロの土地は半ば海の中に沈んでいて、そこは浸水した坂道のように氷結した地上が伸びていた。

「ったく」

 吐く息はもはや白い闇。

 紅の朝日が鋭く差し込むこの極北の地で、俺はリフなんぞを見なおしたことを後悔した。

 地平線からこちらに無数に群れをなす連中は総身を白く染め上げた氷の化身。冬将軍ならぬ冬大軍というところだろうか。あんなのに囲まれたら凍傷では済まないのだろうけれど。

「魔物かよ」

 郷だか村だかの連中がリフを慕って文句も言わずに駆り出された、というわけではなく。

 アワレなもんだと、さしもの俺でさえ同情したくなる。その上、この大軍にはお目付け役の一人も居ないのだから、そのおざなりさったらない。

 しかし当然だとも思う。

 奴に恨みこそ覚えるが、しかし強大な敵ゆえの敬意や畏敬などは微塵も感じない。

 そこに高貴さはなく、そこに強者独特の理念や思想もない。

 だから俺は気がつくことができた。

 リフは力は確かにあるだろうが、しかし強者などではない。奴は未だ力を追い求める未熟者。

 この俺と、さしたる違いは無い。

 と言えば、下手にプライドの高い奴は怒るだろう。しかし怒りたきゃ怒ればいい。俺はとっくに怒っている。

 ”すっぱいぶどう”だと言ってくるかもしれないし、確かにそうかもしれないが――まあ、そんなことなどもうどうでもいいのだ。あの男に至るまでの精神面での変化や、因果や、過程など関係ない。

 ただぶち殺すと決めたのだから、せめて決めたことくらい実行してやろうと思っているだけで。

 恨みは薄れてライアへと目的が移行しつつある思考を踏みにじって、ただリフへと目指して。

 俺の肉体は魔力を介して超常現象を発生させる機関であるように、まるで機械的だというようにリフへと進んで拳を振り上げる。

 それで十分なのだ。

 むしろ、結果なども――。

 無意識かもしれないが、そう思っているのかもしれない。


 寒さや緊張や怒りやなにやらで筋肉はこわばっていたのだけれど、しかし身体は徐々にリラックスし始めていた。

 同時に、集まり始める魔物は弧を描くようにして俺を包囲し始める。歩くだけで進んでいくことをいいことに、連中はなぶり殺しにでもしようかと考えたのだろうか。

 もっとも、それほどの知能もないだろう。

 連中との距離はおおよそ百歩歩いて到達するかどうか。つまりかなり広い空間が広がっている。もはや包囲されている自覚をするだけでも一苦労で、されに魔物はそれ以上の動きを見せないものだから、俺としてもどうしたものかと困ってしまう。

 このスノウマンは、人形にして顔面に対となる紅玉を埋め込むだけで、特徴のない魔物だ。極北、氷結竜アイシングドラゴンの周囲に出現することで知られているが……ざっとみて百はいそうなスノウマンの近くに、しかし竜の気配は感じられない。

「ま、だろうなあ」

 大きく伸びをして、体を左右に大きく捻る。バキボキと関節や骨が小気味よく音を鳴らし、凝り固まった全身を適度にほぐしてくれる。圧迫されたような息苦しさが僅かに解消され、俺はその快感に背中を押されて大きく一つあくびをする。

 首を捻り、骨を鳴らす。指を折って骨を鳴らす。

 いつでもどこでも、瞬時に動けるように僅かに腰を落として、歩幅を適度に広げて。

「温存を考えるのは、なんだか悔しいけど……少しでも可能性を上げたいもんな」

 最短を突き抜けることが、最大限に力を温存することができる。

 魔物なぞに付き合っている暇など無いし、連中の思惑にハマるつもりもない。

 だから意識を集中――指先の火傷が治らぬまま、その上をさらに灼いて骨まで焦げる。代わりに、肉体から放出される熱がそのまま炎に成り代わる。

 全身に纏う炎が足元の氷を溶かしてしまうよりも早く、俺は走りだした。

 ぼうっと爆炎が大気を喰らう。

 俺が大地を弾いた瞬間、足元の氷が溶けてしまうより早く俺の一歩は遥か先に踏み込まれ、次の一歩は同じく、氷解の速度を上回って先へと踏み込まれた。

 やがて視界いっぱいに、人型の白い影が埋め尽くす。

 瞬時に距離を詰める俺に、しかしスノウマンは為す術もない。

 だから迫ってきたスノウマンから無理やり道を開けさせるために、俺は右手を横に投げる。手先から噴出するように伸びた炎は、俺が腕を振り払えば弧を描いてしなるように追随し、炎が触れた先から音もなく、スノウマンは瞬く間に溶け出し、水に姿を変えた瞬間に蒸発を開始する。

 湯気が、あたりを突如として包みだす。湿っぽい熱気が場違いなまでにこの氷上で発生し、もわっと広がり、そこを突き抜ける俺の全身に不快感をぶちまけた。

 じゅわっと溶けたスノウマンは数十にも及ぶ。弧を描いてやがては円になっただろう連中の包囲網は、俺から見て正面の広い部分に穴を開けていた。そういった構造の壁なのだともうくらい、それは軽快で小気味よい。

 手応えのない魔物の消滅に、しかしそれ以上の快感はない。これはどちらかといえば、締め切った扉を勢い良く開け放った時の勢い。むさ苦しい室内から澄んだ外気に触れたような感覚。

 俺は氷上を駆け抜けながら、それを感じていた。

 集落の影は未だ見えない。

 森の色は気配すらない。

 空は五日目の朝の色を呈し始める。朝日の紅は気がつけば姿を消して、今では頭上に目に染みるくらいの蒼穹を広げていた。肌に突き刺すような日差しの中、同じく冷えきった空気は肌に突き刺すように寒さを体に染みつける。

 俺の体は轟々と火焔に包まれながらも、しかし熱を放出しているが故に寒さを遮断することが出来ない。この火焔は燃えているのではなく、体熱を強化し可視化させているようなものなのだから。

 つまりは熱を代償にして、その代償にしたものをそのまま転換しているだけ。

「ったく、よお」

 暇だから呟いたわけではない。

 このつぶやくように漏らしてしまう文句は、もうクセになっていた。

 一人旅ゆえのひとりごと。ひとりごちるのは、一人旅の特権だった。

「こんなのって、寂しいじゃねえか」

 動いてしまう右腕を左腕で抱き締めるように、思わず口元を歪める。炎の宿る瞳は乾ききって前を見据えたまま、あるはずもないだろう障害物や敵に注意を払う。

「俺がここまで来る意味、知らねえわけねえだろう」

 踏みしめた足は、そのまま前方へと体を弾く。瞬時に数歩を飛び越えてから再び足をつく。靴越しに地面を掴むように指を広げて受け止め、神経質なまでの丁寧さでさらに跳躍じみた疾走。加速は如実に、徐々にだが確実に続いている。

「俺は使い捨てかよ、あんたにとって、この数カ月はそんなもんなのかよ」

 ふざけんな。

 ぶっ殺すぞ。

 ――そういうわけじゃない。

 悔しいのだ。

 虚しいのだ。

 気易く捨てられたから。気易くなくとも、彼女は己を犠牲にすることで俺を彼女から切り離したから。

「なあ、ライア」

 俺はそんなに頼れない男か?

 他の女と話しているから、遠慮したのか?

 この数カ月間、俺はあんたと出会えて、良かったと思ってる。それは、俺だけなのか? 粋がって、勘違いしちまってる痛い奴は俺だけなのか? 異性として見なければいけないのか? 仲間として、友人として、俺はあんたと接しちゃいけないのか?

 大事な仲間だ。

 何がいけない。

 俺はただの女々しい男で、ああそうだ、嫉妬深い男の腐ったような野郎だ。

 復讐だの殺すだの言って、力が伴わないのをいいことにいつまでも立ち止まって、それを誤魔化すために前へ進む態度だけはとってる情けねえ男だ。

「俺は、あんたと一緒にいたいんだよ」

 もっとずっと長い時間を共有したいんだ。

 俺はただ、もっと普通に生きていきたいだけなんだ。

 力なんて、精霊術なんて要らないんだ。

 誰かを助ける力も要らない。

 この手が届く距離にいる誰かを、この手で、身を呈して、守っていければいいだけなんだ。

「なのに、どうして……っ」

 右腕が動いてしまう。

 固く握った拳に、滾る炎が勢いを増した。

 背中を押してくれなくてもいい。

 抱きとめてくれなくてもいい。

 励ましてくれなくてもいい。

 ただ隣に居るだけでいい。

 そう願ってしまうことさえも、傲慢だろうか。高慢ちきなのだろうか。わがままで、女々しくて、根性が腐ってて、幼少期が不幸なのをいいことに誰よりも不幸だって思っているどうしようもない俺は、そんなことさえも願って、祈って、欲して、手を伸ばしてはいけないのだろうか。

 だったら、せめて伸ばした手を叩き落としてくれればいいじゃないか。

 取り上げて、届きそうな位置から、突然姿を消さなくてもいいじゃないか。

 あんまり、じゃないか。

 そんなのは、いくらなんでも。


     ◇◇◇


「ライ――っ」

 喉が狭まった。口腔の奥で皮膚が接合したのかと思った。

 加速した勢いはただ喉の一点にだけ集中して、喉は空間に貼り付けられたように動きを止める。そのため身体は前へ進もうとする勢いを殺せず、自発的に絞首した。

 骨が軋み上がりパキリと鳴った亀裂音を契機に、足先、手先に鋭い痺れを走らせる。びん、と筋が伸びきったかのような感覚。全身の自由が、突如として失せる。

 ――見えない何かに、俺は首を絞められている。

 その感覚はない。

 だがそうとしか思えない。

 つまり、これは。

 そこか、と口唇を動かすだけで呟いて眼下に手を伸ばす。

 刹那、イメージした直後に、噴出するのは鋭い衝撃。針先ほど鋭く集中した『衝穿撃インパルス』が、思考と同じ速度で虚空を穿った。

 爆音。

 衝撃が俺の肉体を後方へと吹き飛ばし、目の前には湧き上がるように氷が純白の煙を吹き上げる。粉々に砕けた氷が氷嵐のように暴風を伴って降り注ぎ、俺の肉体に叩きつけられる。勢い良く石を投げられているかのような激痛に、しかし俺はそれさえも意識できない。

 なんとか両足で着地して、たたらを踏むように勢いを殺す。

 瞬間的な痺れは、しかし未だ持続中。頚椎への過負担が、致命傷に近いダメージとなって襲いかかったのだ。

「空気の読めねえ野郎だ。おセンチな気分なんだよ、お呼びじゃねえんだ」

 知覚できぬ男。

 だがそれだけで特定できてしまうのは、ひどく矛盾していた。

 隠匿の能力――忍び装束のアッシィは、この漂白された空間の中に居る。ここはまだ大地ではないから、ダメージや傷を修復することは出来ない。右手先、五本の指の付け根まで至る火傷と鈍い痺れのまま、この男と戦闘しなければならないのだ。

 しかし、無論こいつが居るということは、こいつだけというわけじゃないはずだ。

 俺の言いたいことの先回りをするように、衝穿撃が巻き上げた白煙は突風が吹き抜けるかのように突き破り、視界が開ける。澄んだその空間に、漆黒の衣装を纏う男が立っていた。

 その姿はさながら修道士。

 しかしその肩に担ぐ後方へと長く伸びた獲物は、されど凶器たらしめる鋭さがなかった。楕円の切っ先を持つ、刺突の機能を削った”切断”のみを目的とした大剣。

「敵地でセンチメンタリズムに浸るなど、随分と気楽になったものだな。私達と最後にあってから、変わったらしい。悪い方向にな」

『是。先とて小生の一撃を容易く受けた。ただ、戦闘能力は高まっていることは確かだが……代償に、知能でも捧げたのやも知れぬ』

 空間が歪む。

 ゆらいだ虚空に、黒が滲む。やがて人の形を、辛うじてその輪郭を描いた瞬間、明滅するように明確なまでに姿を表し、布を被ったような姿の男が、腰を落とし片膝をついて、修道士の傍らについていた。

 アッシィ、そしてイクス。

 隠匿と最大の火力を持つこの二人一組は、曰く彼らの集まりの代表格でありリフに継ぐ脅威であるらしい。

 上陸して、まだ一時間と経たぬ今である。

 しかし退くにはあまりにも突き抜けすぎて、突き抜けるにはあまりにも陸地が遠すぎる。

「戦う気分ではない、と?」

 イクスの得意げな問いに、俺はそのツンツンに逆立つ金髪を睨む。

「逆だよ」

 口元を歪めて、歯を、歯茎ごとむき出しにして無理やり嗤う。

 表情で示す高ぶりから、それを精神へと影響させる。形だけでも笑えば鬱屈した気分が和らぐように、俺は沈みかけていた心を引き上げ高ぶらせる。

 拳を握り、腰を落とし、適度に歩幅を開いて腹を据えた。

「憂さ晴らしだ」

 にっ、と笑って。

 そら見たことか、早速ピンチだ。

 心から笑うことは、到底できそうにない。

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