4:思惑
東大陸の中部やや東から港上空へと向けて謎の発光物体が超高速度で飛来した。
そんな目撃証言が絶えなくなるだろうことを懸念しながら、ぶっとび続けてもう二日。
俺が着地した小丘は窪地になり、そこを中心として周囲の大地は焼き払われ、草木が炭を通り越して白い灰になっている。
そして肌が灼けるほど、眼があけられない程の熱をもっている大地に立つ俺は、しかし意外なまでに衣服を無事にして、そこに居た。
代償という代償は指先の火傷。しかしそれも、今ではすっかり完治していて。
あれから二日後の今は、すでに昼日中。
港から、この轟音を聞き咎めたうちの幾人かが、様子を見に外へと出てくるのがわかる。
ここから港までは歩けばおよそ十分も無い距離だ。北大陸と同じように、海へと伸びる埠頭を中心にして半円形に街が展開している。
俺は彼らが一直線にこっちに向かうのを警戒しながら、回りこむように腰を落とし身を隠しながら、
「疾走」
大地を蹴り飛ばす。
脚力が勢い良く肉体を前へと押し出した瞬間、ふわりと弾き飛ばされた身体は、まるで投石機から投擲されたように勢い良く直線的に加速した。
しかし速度に弄ばれるわけじゃない。俺が外側を蹴り飛ばすようにすれば、大きく弧を描くようにして港へと向かう。
そもそも俺を認識していない彼らは、この速度もあいまって気づけるはずもなく。
俺は彼らの背を一瞥してから、建築物が増え始めたあたりで低速させた。
いくらイカした黒革の外衣を着ていても汗のニオイは隠せないと思っていたのだが。
炎をまとっていたおかげか、服は外衣までお日様の香り。子供なら迷わず抱きついてきそうな優しい暖かさだった。
風が吹けば、潮の香りが鼻腔あたりに漂う。吸い込めば磯の臭いが強く刺激した。
俺はあたかも観光客、あるいは旅人を装ってまっすぐ埠頭へと向かっていた。
「ここからなら、極北までどれくらいで着きそうかな」
唇を動かさずに言葉を紡ぐ。発音は曖昧になるが、しかしさしたる問題ではない。
『あと七日しかないのでしょう? あたしとシルフなら、五日でいけるわ』
本来ならば六十日以上かかる航路だ。もっとも、大陸沿いに進むから速度を出せないということが大きな理由だが。
頼もしいな、と思わず微笑んで居れば、通りすがる人たちはみんな俺を薄気味悪そうに一瞥していく。少しでも顔の造形が凝ったものなら、むしろ黄色い声が飛び交いそうなものなんだけれど。
「はあ、かったり」
大通りが前後左右に別れる。
その通りの中心に立つ標識を見ながら、俺は港と記される左へと曲がった。
店が多く立ち並ぶ通り。暫くして突き当り、右へと曲がる階段。それを降りた先が、ようやく埠頭だ。
視界いっぱいに広がるのは、波止場を隔てていくつもならぶ大型の客船。武装しているものは一つとしてなく、それらに群がる人々は貨物を運んでいるか、あるいは船から降りてきたらしき者ばかりだ。
海中に生息している魔物も少なくはない。
だが少なくとも、徒歩で行けば年単位でかかるだろう距離をものの数日で通過するような航行速度についていける魔物は存在しないのだ。
故に武装する必要はない。むしろ、重量を増す分だけリスクが上がる。皮肉なものだと思う。
しかし、これも一つの平和の証左ではないか、とも思った。
争うのは、魔物だけとは限らない。
他国とを繋ぐこの船が武装をしていないということは。そしてどこかの国にこの船の所有権があるわけではないということは、つまり関係は少なくとも上っ面は良好で、安心して別け隔てなく行き来できるということで。
――平和を守るなどと、たかが魔物と戦うだけで声高らかに宣言する英雄が陳腐に見える。
もっとも、そう思うのは成熟していない子供が達観したのを装っているからで。
魔物という脅威から人々を護れるのは彼らしか居ない。そういった存在があって、この平和がある。
敢えてひねくれずとも、素直に見ればいいのに。どうしても俺は、一度は穿った見方をしてしまう。
羨ましいからだろう――嘯きながら、俺は埠頭の端までやってきた。
右手側には壁。左手側には海。
人はおらず、壁際には木くずのように山積みになった小舟。
「一番まともなのは……。あれ、これ使ってないだけ?」
そこから少し離れたところに、壁に沿うように鎮座する一隻。マストは無く、本当にただの木造の小舟だ。二人が向かい合って座るのがやっとである程度の、手漕ぎボートのようなそれ。
「いいか。使っちまおう」
ボートを掴んで、
「よっ――」
滑らせるように海へと方向転換。勢い良く船底を擦る音が響き、しかし喧騒の中まで届かない。
地上でただ海へと矛先を向けるだけのボートに俺は乗り込み、腰を落とし、乗り心地の悪さを確認。こんなのに五日も乗っていたら、尻の肉が削げ落ちてしまいそうだ。
食料もないし、せめて毛布の一枚くらい調達してくれば良かった――せめてあと十日プラスしてくれれば、傭兵業で稼いできたのに。
女々しく愚痴りながら、しかしもう腹を据えている。
「よっし、行ってくれぃ!」
命ずると同時にイメージが脳内であふれだす。暴風が船底と地面との間に滑りこみ、一切の摩擦を消して吹き抜ける想像。力が肉体を介し、世界へと干渉するイメージ。
そして直後、まったく同じように壁であるはずの背後から風が一陣、吹き抜けたかと思えば。
俺の感覚だけが、その地上に置き去りにされ。
船は地面を滑り出し、そして勢い良く海の上へと叩きつけられ飛沫を巻き上げた。ばしゃん! と具合の良い水を叩く音が響く。
しかし、それだけでは終わらない。
にわかに、俺の対面に出現した蒼い人影は、されど俺に背を向ける形で、さらにはその先端に仁王立ちするような体勢で。
『行くわ、ヒィトリット』
女性にしては妙に男らしい声音で、ひと睨みするだけで周囲の水面をうねらせて。
流れはゆるやかに、そして確実に沖へと向かう。ただ揺られているだけだったボートは静かに海の上を走り出し、俺は少し怖くなってボートの縁を掴んだ。
「お願いします」
思わず敬語になったのはご愛嬌として。
――僅か数分で、俺は身体中の皮膚がたわむほどの暴風に嬲られるほどの速度の中で、ただ言葉を失った。
シルフの風による結界で均衡が保たれるのは、それからまた数分してからのことだった。
◇◆◇◆
「灰色の天井を眺めながら真っ青な理想へと手を伸ばす姿って滑稽だと思わない? 少なくともわたくしは、ひどく醜悪なものだと思いますわ」
それは健気な行動にも見えるが、しかしすでに数百年生きた男の行動ならば見るに耐えない、とフリィが切り捨てた。
何が口火を切ったのか、今や誰も判断できない。
少なくともそれは、『十人』が集まる大広間。長机にそれぞれ腰掛ける面々は、十人十色それぞれ異なる反応をしながら、しかし遂に来たかと一つの諦めにも似た思考を巡らせる。
「やはり中立から離れたか、フリィ」
長机の短い辺の席、自然と中心として見るそこに腰を落とした光沢を纏う男が重々しく口を開いた。
誰もが思っていたことだ。
ブロウは日常的にリフに反発しているが、しかしそれでもここにいる。沸々と滾らせていた不満をいつかぶちまけるだろうと誰もが危惧していたのは、むしろフリィの方だった。
「中立? わたくしは、いつでもこの子のガワでしたけれど」
右に顔を向けてリフを睨みながら、左隣に座るライアを意識する。そのさらに隣にはルゥズが腰掛けるが、フリィの威勢のよい挑発に、すっかり萎縮しきっていた。
「別にフリィを擁護するわけじゃねえが――そもそもオレもテメェが気に食わねえんだ。ここに居てやんのは、ヒィの野郎が来るってんで待ってるだけだ。テメエの人望なんざ欠片もねェんだよ、”領主様”よォ」
能力として対局であるブロウも、しかし共闘とばかりに身を乗り出して罵る。隣に腰を掛けるオリジはただ腕を組んで黙し、その隣にそれぞれアッシィ、イクスが椅子に身を預けているが、両者とも興味無さそうに机の一点を見つめていた。
「調子には乗るものだけど、君は乗りすぎじゃないのかい?」
リフの右手前に座るエントは、普段着のように外骨格である白を基調とした正装のまま、机に頬杖をついてブロウを眺める。
左手前のイルゥジェンは、顔の半分を占める巨大な単眼にまぶたを落としている。そもそも戦闘面ではすでに戦力外として見られている彼に、もとより発言権など無いのだが。
「黙ってろクソガキ」
「がっ……君ね」
「聞こえねェのか? 黙れってんだ」
「……ちっ」
揚げ足を取られたように追撃を喰らい、状況が状況なだけに戦闘に持ち込めるわけでもないそこで、エントはただ舌を鳴らしてそっぽを向く。
ブロウも気が削がれたように荒々しく息を吐いてから、足を机の上に乗せて組み合わせ、頭の後ろで手を組んでのけぞった。
再びそこに静寂が戻る。
しかし、すでにただでさえ緩かった関係が完全に崩壊してしまったものだけは戻らなかった。
もとより、その関係性がまともであったのかすら疑わしいものだったが。
そんな最中に、フリィへと寄り添うようにライアがこそこそと囁くように問う。
「ねえ、そもそも、どうしてこのメンバーが集まったの? 親衛隊、みたいな感じじゃないみたいだけれど」
リフはこの極北大陸の開拓者の子孫として、領主の肩書きを継いでいる。実質的な王という存在だが、しかし法的な権利を持つわけではなく、特に慕われているというわけではない。
ライアはもちろん知っている。だが数年前までは、れっきとした赤の他人だった。今でもそうだが、しかしこれほど関わり合いのある関係などなかったのだ。
「目的を達成した暁には、領主の座を明け渡すって。もっとも、アレの目的が発覚したのがつい先日――あなたが捕まってからだと言うのだから、わたくしたちもマヌケなところを認めざるを得ないのですけれど」
「へえ、意外に殺伐としてんのね」
「もともと人格者じゃないのですわ。人を集めても、まともに仕切れるのがイクスかオリジで、それでも彼らにやる気がないんじゃこうなっても仕方がないのよ」
フリィは肩をすくめる。胸の奥から溜まった鬱憤と共に息を吐く。
沈黙を護るルゥズはただ周囲のひそひそ話に耳を澄ませて――乗じて自分も戦闘に参加しないようにならないかな、と密かな期待を寄せていた。
対面では、すでに密やかなやりとりが行われていた。
「つまり、次の戦闘では貴君が前に出ると?」
殆ど覆面のアッシィが問う。
修道服姿のイクスは、唇を動かさずに答えた。
「恐らく私が戦うことになるのは、あの少年ではないだろう。一人で来るとは、さすがに思えん」
「あのイーシスの連中か。我らはもう、リフとは関係のないところで戦う運命にあるというのか」
「それを導いたのはお前だがな。あの竜人の配偶者を殺したろう。そのツケだ――なぜ殺した?」
アッシィの行動理由を、イクスは理解しきれていない。
今まで気にせずどうでもよいと切り捨てていた事だが、しかし今になって気にかかった。
予感がする。ここを逃せば、機会が失せる気がする。
しかし傍らの男に動揺の気配すら無く、静かに口を開いた。
「ヒィトリット・クライトをおびき出すため。仇になってしまったようだが」
そうして、その罪さえもただ一人の男のためのもの。その存在があったせいで起こった悲劇。
とまで言うつもりはないだろう。彼が殺した結果、一つの家庭に不幸が訪れて終わった。目標とする男には依然として変化はなく、記憶に残っているかどうかも怪しい。
「にしてもだな。私はつくづく思うのだが……あの女に関わったばかりに、不幸なものだ」
「ああ、違いない」
殺して然るべしというのが常識である、と何よりも強調する男が居る場で。
彼らは、その対象とされている男に、ただただ同情するしかなかった。
彼らのやりとりを小耳に挟みながら、オリジがつぶやくように言う。
「お前はどうするつもりだ?」
「ああ?」
不機嫌に応えるのはブロウ。真っ赤な髪はしおれるように垂れ下がり、厳しく眉間にシワを寄せる。笑顔とは決して見えぬように釣り上げた口角は、怒りの色を湛えていた。
「お前はヒィトリットを見ているが、しかし奴はおそらくリフしか見えていない。そんな男と拳を組み合わせて、楽しいか?」
「……てめェはどうするつもりだよ」
「己はいつでも傍観者だ。奴に特別恨みがあるわけでもないし、だからといってリフの指図に従うのも癪だ」
ただ、必要があれば。
それだけ言って、オリジは目をつむった。
残されたブロウは間を埋めるように舌打ちをして、
「オレだって……何も、考えてねェわけじゃねェさ」
だが、こればかりはさすがの己でも気が引ける。そんなことばかりを思いついて、さらには実行してしまいそうな己が居ることが、何よりも恐ろしかった。
この拳を、奴と共に同じ場所へと向けようとする、その異常なほどに奇妙な欲求が。
イルゥジェンは呼吸すらひそめていた。
会話を交わすものも居ない。話そうものなら全てをリフに聞き咎められる。
もとより戦闘向きでない能力の時点で、ヒィ・クライト戦のメンバーからは除外されているのだ。特に身体能力に秀でているわけでもないから、ただでさえ一度はブロウを退けた人間と対峙できるわけもない。
だから、もとより戦闘するつもりなどなかった。
しかし、と思うところはある。
彼は古来よりこの領主の家系に従者として使えている身。恩を伴う人生に、ただ身勝手な領主だからと切り捨ててよいものか。
ただ一つ。
一度だけでも、報いることができるとしたら、今回なのではないか。
男は思う。
その威圧的な眼球を瞼の裏でせわしなく動かしながら、ひそかに覚悟を決めていた。
しかしこの中の誰かが、もっとも期待されない男がこの中で誰よりも意欲的なのを知ることは、果たしてあるだろうか。
エントは無心である。
しかし貧乏揺すりのように、膝が不協和音のリズムを刻む。
彼が二十日以上前に身につけた保有する能力は早くも限界を垣間見た。しかしそれは底が浅いのではなく、数十年以上もの訓練をこの短期間に圧縮したがゆえに身につけた技術、熟練度であった。
だから彼は死すら感じない。
死ぬことを知らぬわけでも、自分が死なないと思っているわけでも、ない。
戦うとすればやはりヒィトリット・クライトだろうと思っている。奴は己の契約者を殺せないから、確実に真正面からの対決になるだろうとも思っている。
だが己が死ぬときは、おそらく――。
視線だけで、リフを一瞥する。
エントはもうそれ以上を考えずに、無心であることだけに集中した。
それでもやはり、膝が小刻みに震えてしまうのだけは、抑えきれない。
リフは考えていた。
どうすればこれほど集めてしまった愚者を御しきれるか、についてではない。彼はすでにそれについては諦めている。
半数程度が稼働してヒィトリットを足止めできれば僥倖だと考えている。最悪、己が出るしか無いとさえも。
しかし意識するのは、太古に存在していた『大扉』だ。
その向こう側にあると伝えられる世界について。溢れる魔力はかつてこの世界に充満していたが、大扉の喪失とともに濃度を下げ、今では完全に失せている。
だというのに、己等が放出する魔力はどこから現れたのか。
精霊を構築する莫大な魔力は、なぜ尽きぬのか。
その世界とはこの世界の遥か下に展開していて、我らのような適性者のみが適切に引き出せるのではないか――考えて、どうでもよい事だと思う。
何にせよ、莫大な魔力さえ手に入れられればもはやこの大陸も、この九人も要らない。
最大の脅威たるライアを真っ先に処分すれば、楯突ける者は存在しない。
だから今は、待つしか無い。
ヒィトリットの到着を、ではない。
己が万全になる七日後――この総身の外骨格に光沢すら見せない闇夜が支配する、新月の夜を。
彼らに協調性など無く、しかしだからといって同じ目的のために動いているわけでもない。
ただ何よりも厄介なのは、個体が対人として見ると一騎当千の戦闘能力を有しているということだ。
しかしヒィトリットが到着する、あるいは新月が到来するまでの七日間。
これが彼らが余裕をもって待つ時間なのか、あるいは彼らに残された時間であるのか。
この十人にはまだわからない。




