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第十一話 上位領域へ

 人は学び吸収する。

 だが得手不得手があるのは当然だ。

 武術が得意なものがいれば、しかし苦手で、代わりに精霊術に卓越した技術を注ぎ込む事ができる者も居る。

 あるいは両者を均等に使いこなせる者もいるし、どちらもダメな者もいる。どちらも極上の練度で身に付ける者も、当然としている。

 俺は武術がダメだった。少なくともまともに型があるものはてんで合わなかった。

 ニーアとの訓練で、それを厭というほど理解させられた。

 だから、俺には術しかないと思っていたのだけれど――。

 才あるものは、僅かに吸収した情報と学習した事を基にして自立するように成長する。あるいは、教えをそのままに吸収する。

 あれから四日が経った。いい加減に飢えて渇き疲弊した頃合いは、だが渇きだけは水精霊の加護によって潤すことができたのだけれど。

 しかし、あまりに乾きすぎた胃が水を拒絶するように、注がれ過ぎたがゆえに枯れてしまう花のように、俺の才能は魔術に対して開花しなかった。

 ついに三冊を完読した。一冊目も、ついさっき読み終えたかのような感覚で思い出せる。頭の中に、その目次を想起させてそこから事項まで飛べるほどに、熟読したつもりだった。

 しかし、俺は――。


 平原はいつしか荒野になっていた。

 荒れ果てた大地は地平線まで続き、身の丈ほどの岩がゴロゴロと転がる。否、転がっていたのだ。今では全てが手のひら大にまで砕けている。

 俺が、全てを砕いて回ったのだ。少なくとも、視界に入る内の全ては。

 吹き抜ける風が、砂塵を巻き上げて俺の脇を抜けた。

 枯れた土地。

 目一杯広がる灰色の世界。

 目指した海岸線に程遠く、平原よりも生存率を引き下げる土地だった。

 人が居ない。

 魔物も居ない。

 俺はただ一人、その荒野で打ちひしがれていた。

「はっ、どうやら餓死はできるらしいな」

 空腹を通り越して既に二日前から胃痛を覚えている。穴が開いたのかしらん。

 しかし、こんな容易く――はないけれど――死ねる方法があったなんて。まるで盲点。嬉しくはないけれど。

 ゆっくりと歩いてはいるが、足裏は既に地面を擦っている。足はしっかりと上がらないのだ。

「……いよ」

 今なら死にやすい。

「来……よ」

 今の俺なら、実力の一割も出せずに殺されるだろう。

「来いよ……来い」

 だから、早く。

「クソ悪魔どもが……っ!」

 こんな時に限って手をこまねいていないで、さっさと来たらどうなんだ。

 喉はかすれて、大きな声は出ない。叫べばおそらく、喉に裂けるような激痛を覚えるのだろう。

 しかし――終わりのない道に見えて、ただ歩いているだけでも憂鬱になる。気が滅入る。モチベーションは限りなくゼロに近かった。

 されど動かなければならぬ。

 たとえ俺が。

 精霊術の上位互換へ入門をすることができなかったとしても。

 歩かなければ、前に進まなければ、突き抜けなければ。

 亡者になっても、亡霊になっても。

 リフを殺し――あいつを、ライアを助けるために。

「ぬ、わっ」

 決して崇高とは思えぬ決意を抱くも、まるでその脆さが露呈するように俺はすっ転んだ。

 つまづいたのは、俺が破壊した岩の破片。こぶし大の石は、転んでさらに俺のスネを打ち付ける。

「痛っ」

 そうして横たわってしまえば、身体に力が入らなくなった。

 道のない荒野。

 どうせここで寝ても、誰も迷惑しないだろう――なんて思いながら、休憩しようと考えた。

 そう、疲れているから転んでしまうのだ。思考も濁るし、後ろ向きにしか考えられない。こんなの全然楽しくないし、テンションも底無き底を目指して急降下真っ盛りだ。

 情緒不安定、というほどではないけれど。

 気分屋、なつもりもないはずだったのだが。

 空腹を通り越した飢餓感が、睡眠後に感じる眠る前より強い疲労感が、少なくとも俺の思考を鈍くしていた。

 だけど、寝ている間は、少なくとも楽なわけで。

 四日前に改めた決意や勢いは、すっかり手放してしまった俺は、いつからまどろんでいたかも分からない意識をどこかへ蹴落とした。


     ◇◇◇


 の、だけれども。

「おい!」

 思い切り額を小突かれる。俺はそんな野太い男の声と衝撃に、ようやく意識を浮上させた。

「ん……」

 身体の具合を確認する。左腕、関節、指先……足先、可動する。神経、筋肉、共に問題なし。

 俺はゆっくりと目を開けた。

 そこで気づく。身体は上肢を起こした形で、何かに背中を預けていたことに。

「ったく、ようやく眼ェ覚ましやがった」

 視界の殆どを埋め尽くす男の影。目の前に屈みこむ彼は、日差しから身を守るように頭まで外套をかぶっていた。

 碧眼と、口元の無精髭が目立つ中年男性だった。

「おい、大丈夫か? おたく、名前は?」

「ああ……ヒィ・クライト。あんたは」

「しがねえ行商人だ。偶然通りかかったトコに、荷物も金も武器もねえおたくさんが倒れててな。追い剥ぎにでもあったかと思って哀れんでたが、それどころじゃなさそうでな」

 呼吸が浅く、発汗がなかったらしい。皮膚が赤く爛れたようになり、身体はおよそ健常ではないほどの熱を放っていたという。

 典型的な熱中症の症状だ。しかもかなり危ない所で。

「日陰もねえところだ。死んでもおかしくなかったが……生きている内に見かけた奴を俺が見捨てたせいで死んだってなりゃ、後味がわりい」

 そうして、俺はそこが日陰になっていることに気づく。

 男の背後に佇む馬と、荷車が影を作り出していたのだ。

「ほら、飲めよ。ゆっくり、落ち着いてな」

 日は陰り始めている。転んだのは夜が明けて少ししてからだったはずだから、かなりの時間が経過していたことになる。だけれど、そもそもこんな場所で人に出会えたことが奇跡的だった。

 俺は革の水袋を受け取って、静かに口をつける。乾いた唇に、飢えた口腔に、空っぽの胃に、冷たい水が流れ、満たし、潤していく。身体の中にそれが伝っていくのを、鮮明に感じた。

 胃が蠕動する。ぎゅるる、と唸る腹に、男は苦笑した。

「元気はあるようで、良かった。クライトっつったか? おたく、こんな所で何してたんだ? ああ、いや、話したくないなら別に良いんだ。個人的な興味だからな」

 こんな場所で出会ったのだ。荷物や金が無いところから、捨てられた、と見るのが妥当。

 俺は小さく首を振りながら、命の恩人へと目を向けた。

「話すけど――」

 前置きに、男はすこし疑問を抱いたような眼で俺を見て、

「人助けのついでだと思って、何か食うもんを分けてくれないか? もう、腹が減ってしかたがないんだ」

 困ったように笑ってから、立ち上がった。

「あんまりもう備蓄がないが、適当なもんで良ければ……これでも食え」

 荷台から何かを取り出す。抱えるくらいの布袋を投げられ、俺はそれを胸で受けて抱いた。

 開いてみれば、黒パンと豚肉の燻製が袋いっぱいに詰まっていた。

「ま、あとニ、三日の道のりだから、半分くらい残してくれれば食っちまっても構わねえよ」

「本当に済まない。ありがとう、感謝するよ」

「別にいいさ。んで、そこまで溜めるからにゃ、さぞ面白い話なんだろうな?」

「ああ……まあ、そうだな」

 少し考える。

 まあ、面白いと取る者もいるだろう。しかし多くの人間は、厄介で関わりたくないと思うだろう。

 国王の恨みを狩っている人間だ。へたに関われば、この国での活動が不自由になる可能性だって大きい。

「面白いんじゃないか?」

 行商人なら、さぞかし様々な経験をしているだろう。関わる前に、のらりくらりと逃げてくれるはずだ。

 だから俺は、まるで他人ごとのような言葉を皮切りに、ひとまず姫様との関係と悪魔との因縁を伏せて、ここに来てからの事を説明することにした。


「へえ、てえしたもんだと思うが……歩いて三十日以上かかる道のりを荷物なしで出発するのはいただけねえな」

 男は紙巻のタバコをふかしながら言った。

「まずは近くの町に寄るなりできただろ。確かイーシスからなら、五日くらい南に進んだところにあったはずだが」

「及びもつきませんで」

「気持ちもわからんでもねえけどよ。追われてちゃ焦るのも仕方ないし。だが焦って逃げた先で死んじまったらそれこそ終いだ……先を急ぐのもいいが、周りを見る余裕ってのもあるといいな。だろう?」

 男は俺が抱える袋から黒パンを一つとって噛みちぎる。さらにタバコを指に挟んだ手で燻製を取り――と思わせて、その奥へと手を突っ込んだ。

 引きずり出されるのは無数に連なる腸詰。見る間に袋が軽くなる。

 えっ、腸詰ソーセージ

「こいつはくれねえよ? 楽しみにとっといたんだ」

「いや、そこまでがめついことはしないけど」

 しかし、と思う。

 周りを見る余裕――先を急ぐだけでは、ダメなこと。

 なるほどと思う。こいつばかりは、盲点だったとしか言えない。

 握った燻製を口に運ぶ。咀嚼しながら頷いた。

「一つ、人生経験豊富そうなあんたに訊きたいことがある」

「あんだぁ?」

 と、腸詰を齧りながら返事が来た。

「商売でも勉強でもなんでもいい。煮詰まった時、どうしてる?」

「煮詰まった時? ん~、そうさなー」

 顎に手をやり。

 背にする荷台の車輪に身体を預け、大きく欠伸をしてから言った。

「休むのが一番だが、商売しごととなるとそうもいかんからな。俺の場合は原点回帰っつうか、初志貫徹っつうか? 初めた頃を思い出す。そん時の感情にしろ、出来事にしろな。どうしてこんなことをシたいと思ったのか……ま、ダメな時はダメで割り切ることも必要だがな」

「始めた頃を、か」

 精霊術を学び始めた時のことを。

 それが、魔術でも通用するかはわからない。だけれど、まったく異なる技術を要するわけじゃない。

 いや、だからこそその素質が重要になってくるのかもしれないけれど。

「人にはあったやり方がある。飽くまで参考程度だ」

「わかってるよ」

「ま、少なくとも領内で指名手配されてるおたくさんにゃそこまで深く関わるつもりなんざねえからよ。そいや、これからどうするつもりだ? いくらなんでも、まだ先に進み続けるっつーのは大変だろ」

「いや……行ってみるつもりだよ」

「無茶な。また死にかけるぞ」

 そういう男の言葉は、真に俺を心配してくれている言葉だった。

 深く関わらないと言っている彼だが、既に俺の素性を聞いた時点である程度は関わる気はあったのだろう。飯だってくれた。水だって。そして、新しい見方も与えてくれた。

 人の出会いは一期一会とは言うけれど。

 多分、彼とはもう会う機会は無いだろうけれど。

「恩を仇で返すようなことはしないさ。俺は死なない。少なくとも、こんな場所では」

「ん~。まあ、また二日くらい歩きゃ湿地帯だ。水はあるし、動植物も豊富。そこまでいければ死にゃしねえだろう。その分、人通りは一層なくなるがな」

「何から何まで、ありがとう」

「気にすんな。情けは人の為ならずって言葉もあるくらいだ。金さえアレば、その食料代も払ってもらったんだが……」

「うっ……すまな……すみません」

「だぁから、気にすんなって。前の町で結構利益出てっから、一日分の食料ぐらいでンな細けえ事ぁ言わねえよ」

 そう言って、男は立ち上がる。車輪に足をかけて、あっというまに荷台へと上ってしまった。

「俺は日が暮れる前に荒野を出るつもりだが、どうする? 湿地帯までなら、まだ送っていく気にはなれるが」

 既に西日はその淡い茜を色濃くし始めている。東に見える藍色の空には、点々と輝く星々が確認できた。

 夜になるまで、あと一、二時間といったところか。

 馬で走り続ければ、明日の早い内に荒野を抜けられるだろう。だが湿地帯まで戻れば、明日までには難しい。

 そこまで迷惑をかけるつもりなど毛頭ない俺は、首を振って断った。

「大丈夫。問題ない」

 まだ半分くらい食料が残った袋を放る。それは綺麗な放物線を描いて、荷台の中に落ちた。

 そうして俺も立ち上がる。体重を預けていた岩を背に、俺はそのまま、行商人へと深く頭を下げた。

「ありがとうございました」

「おう」

 男は御者台へと移動する。

 手綱を握って、そうしてから改めて俺へと向いた。

「あ……俺、傭兵やってんだ。もし会うことがあって、何か用があったら、なんでもやるよ」

「へえ傭兵? そいつは良いこと聞いた」

「ん?」

「こっから港に行くんだろ? それまでにある村で、”ちょっと困った事”があるらしい。俺の知り合いが手をこまねいていてな。俺は逃げてきたわけだが……もし良かったら、俺の代わりに聞いてやってくれ」

「なんて村?」

「ウィンディルって村。でっけえ風車小屋があるからすぐ分かる」

「了解。それじゃ」

「ああ。達者でな」

 行商人は軽く手を振ってから、手綱を振るう。ぴしゃり、と手綱が音を鳴らし、馬がいなないた。

 ぱから、ぱから、とゆっくりと歩き出し、決して走ること無く、彼らの姿は落ちる帳の中、闇に姿を溶けこませていった。


 彼を見送り、俺は短く息を吐く。

 満たされた。

 あらゆる意味で。

 ――急がぬこと。焦らぬこと。そして一点ばかりを見ないこと。

 俺は改めて確認する。俺に必要な物を得るためには、一つの方向から進んで向かうだけでは不十分であるのだ。

 容易く手に入れられるものではないのだ。

「さて」

 行商人が進んだ方向に背を向けて、俺もようやく歩き出す。

 三十日近くの行程を覚悟しながら。

 しかし、ならばそのウィンディルという村に到着するまでに俺は俺を見出してやると、息巻きながら。

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