3:魔術と云うもの
その部屋の中は明るく、窓から差し込む陽の光が眩しいくらいに空間内を照らしていた。
視界は静かに前を見据え。
理由なく、集会所として利用しはじめた彼女の私室でのやりとりを、彼女は小さくため息を漏らして眺めていた。
寝台の上で膝を抱える彼女に、しかし誰一人として意識せずに会話を続けている。
「いや、だから言ってるだろう。奴は何も出来なかった」
窓際の円卓。それを囲むように配置される四脚のうち三脚を占めた男たちは、一つの談義に花を咲かせていた。
その男は短い金髪を掻き上げるように撫で付けてから、背もたれに身体を預けて足を組む。
口に運んだ紅茶は、つい先程までいたフリィが淹れたものだった。
「ンなわけねッて言ってんだろ! テメエは手を下すまでもなかったってワケだ!」
灼熱の髪色を持つ男は、その深紅の瞳で男を睨みながら威嚇する。
右足は鬱陶しいくらいに小刻みに震え、彼の前に置かれたカップは口をつけた形に欠けていた。
『小生は穴だらけになったがな』
忍び装束の男は、紅茶を飲み下しながら言った。
口元の布を下げているものの、だが口は動かず、そして額に当てる板金はその目元を影にする。
その堕落な姿勢に、ブロウは呆れたように嘆息した。
「口で喋れよ。テメエが喋る度に、頭ン中がキィンってして、うざったくて仕方がねェ」
「お前の声のほうがやかましいと思うけどな」
『貴君ら、みっともない言い合いはやめろ』
「テメエは念波やめろってんだよ!」
「お前がうるさいと言っている。わざわざ、こんなむさ苦しい茶会に参加しているのだから、文句は後にしてくれないか」
カップの中身を飲み干して、うんざりしたようにイクスが言った。
ブロウは短く舌を鳴らし。
アッシィは、憮然と腕を組む。
「しかし、ここまで来るとヒィ・クライトへの執念も異常だな。寒気すら覚えるぞ」
「ああッ? 初めてオレの土手っ腹に大穴開けた野郎だぞ」
興奮して息を荒げるブロウに、イクスは心底鬱陶しげに目もくれない。
間に割って入るように、アッシィが口を挟んだ。
『ともかく、状況は全て説明した。居場所も教えた。今頃は、そこへイーシスの特務機関が迫っているかもしれない。行くなら早いほうが良いのではないか?』
「始末するなら早い方がいい。もっとも、まだリフからの許しが出ていないが――」
「行かねえよ。奴は絶対にここに来る。リフなんざ相手にならねえ、あのクソ光沢野郎なんざ、奴に足蹴にされて終わりよ」
『ああ。小生も同じ予感を覚えたが――ここに来れる程度の自信と力をつけてくる』
「そうか? 私としては、あの小屋の向こうにいた得体のしれない男のほうが気がかりだったが」
「何か言ってたな。お前の斬撃が相殺されたって? もしこっちに向かってきたらかなりヤベェ手合いだろ。そりゃ」
だけれど、ブロウの顔に焦りや、ソレに対して何かを感じた気配もない。
彼が再びカップを口に運べば、ガリ、と音とともに今度は大きな亀裂が走り。ぴきり、と音を立てて、砕け散った。
緊張や恐怖によって力が入っているわけではないようだ。
ブロウの精神構造がそれほどに繊細なわけがない。
「あ~あ~、なにやっているんだ。フリィに叱られてしまえ」
「あのクソアマはお小言が趣味だからな」
『言われるような事をしているのは貴君だけだが』
「うっせネクラ」
煩わしいように吐き捨ててから、ブロウは勢い良く立ち上がる。
椅子すら引かないものだから、それは勢い良くのけぞって床に叩きつけられた。
「じゃあな。一寝入りしてくらァ」
「我々も戻るか」
『御意』
やれやれと肩をすくめて立ち上がるイクスは、ずかずかと扉へ向かうブロウを尻目に椅子の位置を戻す。彼が倒した椅子を起こし終えれば、傍らではカップなどを盆に乗せたアッシィが待っていた。
「それでは、失礼したな。ライア」
『邪魔をした。ゆっくり休むといい』
「……そう言うなら、今度から別の場所で集まってくれると嬉しいのだけれど?」
「ブロウに言ってくれ。自主的に来るのはあいつくらいだろう……あいつなりに、お前のことを心配しているのだと思うわけだが?」
「その機微には気づいてるわよ。ええ、賑やかで楽しいわって伝えておいて。調子づくだろうけれど」
「お優しいことだ」
疲れたようにわざとらしく肩を竦めれば、イクスは苦笑して歩みを進めた。
彼らが扉を抜けて、それが静かに閉まるのを見届けてから。
ライアはゆっくりと、眼を閉じて身体を横たえた。
俺の視界は、それとともに暗幕を降ろし、意識はやがて、引かれるように浮上していく感覚を全身で感じていた。
◇◇◇
「右腕はどうにかならないものなのかな」
師匠から教わった術がある。
そういった時、男は興味があるように見せろと詰め寄ってきたのだけれど。
いざ、力場を発生させて衝撃を撃ち放つ、魔法に近い術を披露してみせた途端に、彼は興味を失ったように嘆息をした。
それから何かを考えるように黙りこんでしまったのだけれど、俺にとっての問題は何より、この右腕のことだった。
時間回帰が未完成だと言った。
知っているならば、こいつは完成した完全な術を行使できるんじゃないのか?
想わずには居られない。
だけれど、それと同じくらい、それは俺がすべきことなんじゃないのか。俺は自分の尻くらい自分で拭けるようにならなくちゃならない……そう思ったから、ここまで来たんじゃないか――そう思えて。
少し、前向きになる。
やる気が出る。
だけれど、男の反応は無く。
「その手があったか」
そうつぶやくのは、彼の中で何かが繋がったが故だろう。
「何が?」
「いや。今の、『衝穿撃』は紛れも無い魔術なんだ」
「え? でも、魔力なんてない筈じゃ?」
「ああ。今まで疑問にも思わなかった。疑問に思う前に、それを解決するすべを俺は持っていたからな」
「イヤミか? そりゃ、あんたに比べりゃ俺の才能なんて毛ほどもねえだろうけど、これだってなあ……」
ぶちぶちと漏らす愚痴を、男は苦笑して受け流す。
にっ、と頬を引き上げて。
男は指先で虚空に陣を描く。それは俺がつい先程見せた、男が『衝穿撃』と呼んだ陣だった。
そいつは空間に刻まれたように、指先の軌跡を残して男が描いた通りの陣を残す。鈍い輝きを放つそれは、いつでも衝撃を放てる準備段階にあった。
「こいつの威力は一定。だが重ねがけすることで、何倍にもなる」
「知ってる」
お陰で竜をぶっ飛ばし、ラフトを負かすまでに至ったから。
「いや――なるほど、そうか……。この俺が気づけなかったが、さすが俺ってところかな」
「何の話だよ」
「こっちの話だ。んで、こっからお前の話だ。たった今二つの選択肢が出た。極めて困難だが、短期間で魔術を習得する方法と、辛うじて間に合うかどうかの期間だが、確かな方法がある。どっちを選ぶ?」
愚問かもしれないが。
男は呟いて、俺の眼を睨む。
彼はおそらく、俺の思考回路をすっかり把握しているのかもしれない。
確かに俺は適度に単純なところがあるし、都合の悪いことには鳥頭になってしまう。だけれど、それなりに複雑なところがあるつもりだ。
短期間で習得できるなら、どれほど困難でも俺だから可能だ、とでも言うと思っているに違いない。
前者後者ともにリスクがある。それも致命的なものだから、彼は俺に選ばせようとしている。
前者は習得できないリスク。
後者は習得できても、期間が間に合わないリスク。
どちらにせよ、この男は全力で取り組んでくれるかもしれない、が。
「俺は……」
少し緊張する。
無理やりツバを飲み込んでから、俺は告げた。
「あんたに従うよ。あんたが教えてくれるなら、なんでもいい」
「……出会ってまだニ日目だぞ? 性別が違えば、随分ちょろいと思う尻軽さだ」
「実績がある。少なくともイクスの一撃を相殺したって実績だ。俺にとっては、それで十分なんだ」
確かに強くて、こいつがまじめに話をしてくれた。
俺が今何かを判断するには、それだけで十分で。
男は困ったように笑って、頷いた。
「なら、もう始めるか。教えるのは初めてだから、必死についてこい」
放つ、放つ、放つ。
俺の肉体は精霊術の代償として殆どが灼かれていて。
俺はその痛みを自覚する前に治癒を施され、だがその速度を上回る速さで術を放っていた。
顎が上がる。
汗が滴る。
身体はそれだけでガタガタで。
意識は、集中する前に霧散するほど疲弊していた。
――男の教えは、確かにそう容易なものではない。
俺は覚悟していたはずだけれど。
だけれど、それは決して肉体的なものではなかった。
「違う。精霊術のイメージをぶち捨てろって言ってんだよ。身を削る感じだ、代償じゃない」
「せっ、生命力を燃やす感じだろ? わかってる……けど」
眼前に衝撃が走るイメージ。
だがそれが発生する瞬間には、指先にジリッと弾ける灼熱感。
それは肉体を代償に巻き起こる暴風。精霊術による反応だった。
「似てんだよ!」
「代償が厄介なんだ」
「知ってる! だから……」
「内から外への放出だと教えただろうが! 衝穿撃は人の持つ強いエネルギーを燃焼して発動してんだから」
「集中すっから黙っててくれ!」
イメージは整っている。
身体の中で燃える炎が指先から迸って噴出する。
精霊術の場合は、指先が燃える代わりに目の前のものが焼きつくされるイメージだから、差別化が図られているはずだ。
今までの衝穿撃は魔法陣を発動の契機にしていた。俺はただ描くことによってエネルギーを注ぐだけで良かった。
だから、陣を無しにそれをいきなり発動させるのは、あまりにもハードルがタカすぎた。
「ぶち抜けぇぇっ!!」
祈る。
イメージを具現化する。
瞬間、瞳の寸先で光がまたたき、一点に収束し始めた。
成功か、と思った時。
また動かぬ右手に、灼ける痛みがじりじりと響く。
目の前で、鈍い轟音だけが爆発し――。
西日を背にして、俺は思わず跪いた。
音が俺の全身を嬲り、後ろへ吹き飛ばそうとしたのもあるけれど。
最後の力を使い果たしたのか、一瞬だけ全身の力が抜けてしまったのだ。
膝が崩れ、俺は左手だけで咄嗟に身体を受け止める。額から溢れる汗が滴り、地面を濡らす。俺は胸いっぱいに息を吸い込んでから、もう倒れこむ前提で思い切り息を吐いた。
ごろり、と転がるように横に倒れて、そのまま仰向けになる。
俺の顔を覗き込むように、男が俺を見下ろしていた。
「土壇場に強いのはさすがだな」
「あ? まあ……だけど、またダメだった」
「いや、今のが一番近かった。何よりも、今すげえ疲れ切ってるだろ?」
「ん、まあ」
草も無い、固い土の上でもぐっすり眠れるほどには。
気づかなかったけれど、久しぶりの熱中した訓練だったからそれも仕方がない。
「確かに右腕に代償の痕があった。だが同時に、生命力を燃焼していた。今倒れてる理由がそれだよ」
「……本当に、か?」
「嘘ついて自信持たせるほど落ちぶれちゃいないさ。それに、んな事で効果があっても困るのはお前だしな」
「じゃあ、爆発とか、炎じゃなくて音だけだったのも?」
「爆音による衝撃、だな。もっとも、二時間くらい前から十回に一回はそれに近いのがあったが、今回のが一番強かったってわけだ」
良かったと思う。
本当に、心の底から。
この男に迷惑をかけずに済んだということもあるし。
俺の才能を、改めて確認できたから。
少なくとも凡人ではないし、俺は自分が強いと自覚している。
それなのにここ最近は負けがついてたから、どうにも自信がなかった。
今回で今までの俺を取り戻せれば良いのだけれど――。
「さて、次にもう一回出してから終わりにするか」
「……は、はは」
男の無情な提案に。
俺は自信を持つ間もなく、既に挫折間近だった。




