2:より深く識る
「まず何を知りたい?」
男は自作らしき椅子に腰掛け、足を組みながら言った。
手には、久しぶりの自炊の末に完成したシチューだ。具材は、意外なまでに小屋の中に揃っていた。
「イクスがあんたにびびってた。ってことは、あんたの力は嘘じゃないんだよな。衝撃が途中で止まってたし……どうやったんだ?」
「余波を残さずに綺麗に止めるにゃ相殺するしか無い。こいつは、精霊術でもできる事だが? シルフの力なら容易に出来る。四大精霊の力とは、本来悪魔程度に屈するレベルじゃないんだ」
四大精霊はそれぞれ四大陸を司っているという。
つまり、大陸に宿った守護精霊がその起源だった――というのが今もっとも強い説だ。
そもそも精霊とはなにか。
概念として理解している俺には、具体的な説明ができない。
「四大精霊と他の連中はまったくの別物だと思えば良い。奴らは四大精霊がばらまいた力の残渣で、精霊が個体として存在することはない」
「正しく認識すりゃ、精霊術を行使するために大気中を満たすエネルギーって感じなんだろ?」
「いや――まあ、あれだ。術を使う際に、その力を四大精霊が制御してくれるから精霊術と呼ばれてるだけで」
そこでだ、と男が言った。
手を打つ。軽快な音が響いた。
「精霊術とは別の、その元になる力を知らなければならないわけだ」
「元になる力? ……魔法とか、か?」
「まあ、近い。もっとも、原始過ぎ、っつーことだが」
「魔法が原始? って、だったらそれを使う魔女って」
「ああ。少なくとも俺たちにゃ及びもつかねえくらい歴史ある存在だ。それこそ、常識はずれって言葉があってる」
そんな魔女に匹敵すると認められているこの男って、本当に何者なのだろうか。
そんな男が、なぜ俺に?
何の目的で。何の利益が、あるというのだろうか。
ただの伊達や酔狂か。
「そして、それは連中が生み出した技術だ。その名も魔術――転移術はこの技術を転用しているから精霊術には該当しないし、時間遡行は完全なる魔術だ。だから、こいつについては話が早いと思ってるんだが?」
シチューを食べて熱くなったのか、男は立ち上がってから、羽織っている外套を脱いで椅子にかける。
そうして、その下にはド派手な横縞柄のシャツが着こまれているのが、あらわになって。
酔狂っぽいなあ、と想わずには居られなかった。
「だから、なんでそんな事まで知ってんだよ」
「めんどくせえから話を続行するぞ」
器をカマドの下に置いてから、また椅子に戻る。
対面する俺は、まだシチューを半分も食べられずに、話に聞き入っていた。
「もともとこの世界には魔力ってもんがあったらしい。どこからか流れてきたらしく、その万能なまでに利用できる魔力を使って、魔術と呼ばれる、今で言う精霊術に似た力が行使され続けてきた」
男が告げる。
静かに、わかりやすく。
俺の目を見据えて、二度目はないぞと脅すような鋭い眼差しで。
――そしてはるか昔、大規模な地殻変動が起こったという。
その際に大地は分裂と結合を繰り返し、今の四大大陸という形を成したらしい。
そしてその地殻変動による大地震で、魔力を及ぼしていた場所が閉ざされることになり、空気のような存在であるそれが失せた。それが契機になり、魔術は全てにおいて効果、効率が劣化し、やがて扱えなくなった。
「魔法使いは考えた。魔術に転ずる新たな力がなければ、と」
その時代の人間の多くは、魔法を行使できていた。
といっても、その魔法と呼ばれる力は万能な能力ではない。各個人が扱える、ただ一つの特化した特異能力だった。
「なら、どうやって? それって、悪魔の能力みたいなもんだろ?」
「連中は四大精霊を創世した。世界中の魔力をかき集め、魔力の伝達力の高い鉱石による偶像を四体、そして”あるもの”を大陸ごとに一つ置いて、その莫大な魔力を注入した」
「あるもの?」
「人柱だ。永劫の命と超常的な力を代償に、四人は四大精霊の起源とさせられた。知識と知能、個性があるのはそのためだ。彼らは、その昔名を馳せた騎士だったらしい」
四大精霊との会話を思い出す。
どうして、俺に愛想を尽かしたのか、思い出す。
彼らは、彼らなりの存在意義を見出していたのではないか。
あの莫大な力を使ってこその己等だと、そうでなければならないと思っていたのではないか。
だから。
彼らは、彼らとしての正しい扱いに嫌悪感を示したんじゃないのか。
「……その事実は、隠されているのか?」
「質問は後で受け付ける――四大精霊は、その莫大な力で四大元素をそれぞれ自在に操った。人々は彼らの加護を得て術を行使するようになる。契約を行うのは、より優先的に加護を受けるためだ」
「他の、四大精霊以下の精霊との契約は、どうして?」
「話を聞け、って言いたいが。まあ丁度その話をするところだ。お前や、世界の術師が扱う術は”爆破”や”冷凍”って種類を行使して発現させているわけじゃない」
四大精霊、それぞれの元素を混ざり合わせ、調整することによってその現象を起こすという。
その他との契約は、目印に過ぎない。術師が何を望んでいるのか、その契約の証によって即座に判断するためであり、契約を行うことによって代償を不要にするのは、契約によって術師の力を制限しているから。
契約が無ければ、代償を用いて様々な術を扱える。
契約を行えば、術師はその契約を行った術の使用のみに限られる。代償を持てば他の術を扱えるのは変わりないが、一つの契約では一つの種類の術だけだ。
「ここまでが”力”の歴史。お前は、かつて滅びた魔術を覚える必要がある」
「……四大精霊の及ばない、代償なしの術で……制御されないから……つまり」
「魔法までとはいかないが、馬鹿げた力だ。精霊術ってのが、いかにチャチなもんかよく分かる」
そこでようやく、ひざ上に乗せたシチューを口に運ぶ。
ゴロゴロと浮かぶ大きめの野菜を掬えずに啜った汁は、もうすっかり冷めていた。
魔術の話をしよう。
男が言った。
一度話が切り上がって、器などの片付けがようやく終わった後だった。
「いいよ」
話はもういい。
「ああ。魔術ってのは――」
「いや違うから。もう実戦に行こうぜっていう話よ」
「ナマ言ってんじゃねーぜ。魔術のマの字も知らずに術使ってた奴が、実戦でいきなり覚えられるわけねえだろ。段階を踏まなけりゃならねえんだよ。焦ったって仕方がない」
男は俺の生意気な言葉にそう反論するも、しかし表情を歪めずに再び椅子に腰を落とす。
一日目はまだ始まったばかり。
今日はとことん、俺が強くなるにあたって身につけなければならないことへの認識を深めるための時間なのだろう。
俺はため息をつきながら、対面の椅子へと腰掛ける。
横縞のシャツが目に痛かった。
「つーか、魔力が無いから精霊術なんだろ? どうやって魔術使うんだよ」
「四大精霊の偶像を破壊すれば、少なくとも全世界の人間が魔術を行使しても一年保つ程度の魔力が発散する。今の状況なら、十年以上は保つんじゃねえかな」
「なっ……んな事したら、四大精霊が消えるんじゃないのか?」
「消えるし、まあやりゃしねえよ。命がいくつあってもたりゃしねえし」
男は苦笑しながら頭を掻いた。
冗談だ、と言って、短く息を吐く。
「術が不完全だったが、完全に離れた右腕は癒合している。そいつはどうあっても、魔術によるものだ。ならそれは、どうして発動した?」
「偶然だろ」
今まで成功しなかったけれど。
まあ、ぶっつけ本番でうまくいったんだから、文句はない。
のだけれど、男は俺を馬鹿にするような目で見ていた。
むっとする。
多分俺が間違っているんだろうけど、こういった馬鹿にする感じに無性にいらついた。
「悪魔から微量な魔力が溢れているからだ」
「ああ、魔女は魔法使えるんだっけ? ってことは、魔女が何かしらをして魔力ってのを放っててもおかしくはない、か」
「昔は魔法が固有の能力だった。今では、魔法は本当に奇蹟として扱えているからな。つまり、お前が覚える魔術は完全に対悪魔用としてしか使えないわけだ」
「別に構わないよ。それ以外に、そんな術を使う用なんかありゃしないし」
基本的には精霊術を使うんだ。
面倒くさい魔術なんて、しょっちゅう使ってはいられない。
「魔術は基本的に、三通りの発動方法がある」
男が言った。
まずひとつが詠唱。
魔術ごとに法則性のある言葉に魔力を乗せて発動させる。
もう一つが、魔法陣。
術ごとに異なる術式を刻んだ陣は、意識して魔力を込めることによって自在に発動させることができる。
さらに、魔術刻印。
仕様は俺の腕に刻まれた契約の証のようなもの。だが魔法陣と異なり、刻印は術者と共に成長して威力、質、魔力の消費量共に変化していく。
「昔は、巻物という道具があったんだがな。使いきりタイプの、魔法陣や詠唱の文言が乗ったものがな」
「そいつは知ってる。国が保管してる魔術書を読んだことがあってさ」
「だが、今じゃ俺が知ってる術でさえ限られてる。今の精霊術くらい浸透していた技術だから、全てを識るにはあまりにも時間がなさすぎるんだ」
「……俺の身体に、刻むのかよ?」
「いいや、”扱えるようにする”わけだ」
何を?
そう問うまでもない。
俺は動かぬ右腕に、服の下に刻まれる、ライアが残した刻印へと視線を落とし。
男は同じく、視線だけを垂れる右腕に移していた。
「……まさか」
「ああ。全て、そういうことなんだ」
男は生真面目に表情を引き締めて頷いた。
契約の証は、魔術刻印で。
悪魔は、なるほど――この魔術刻印を固有能力にしているわけで。
ただ普通のそれと異なるのは、それを誰かに刻むことによって制限された己の力の解放としていて。
刻印を介して、相互に力の付与ができるということで。
ああ、そうか。
俺はまだ、ほんとうの意味で、強くなる機会が残されていたということなのか。
「光明を得たって面だな」
俺の顔を見て微笑んだ男が、どこか嬉しそうにそう言った。




