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6:共闘時間

「広場に扇動しろ! とにかく城に人を近づけるな!」

「くそ、お前は良い! 西側に行ってくれ!」

「りょ、了解! 中央を頼んだぞ!」

 警備兵は叫びながら、大通りを占める住民の両側に並んで広場へと道を促す。

 だけれど、そんな声も掻き消えるほどの混乱と喧騒が、あのノーシス城下町を飲み込んでいた。

 街が蠢く。

 大通り脇に等間隔で並ぶ街灯、そこに灯る炎が、人々の波を妖しく照らす。

 空から見て、城下町は宵闇の中で激しい混沌の渦を作っていた。


「何が起こってんだ!?」

 ラフトの両脇に抱えられている俺とウィズは、状況を把握しきれぬまま、屋根を蹴って城へと距離を縮めるラフトに連れられるままに連れられていた。

「おれ自身も把握しきれていない。ただ、突然ドラの家が爆発したように大穴が空いて、奴が発狂しながら暴れまわっていた。”悪魔が出た”って、あいつが言っていたが……」

 虚空を貫く。

 着地と共に屋根が軋み、亀裂が入り、穴が開く。だけれど、ラフトは足を突っ込むよりも早く先に跳躍を成功させた。

 空気が全身を嬲る。暴風の雑音が、だけれど困惑が混じりながらも説明するラフトの声を遮れない。

「あんなにキレてたドラは初めて見た。特務機関の連中が集まってドラを抑えつける前に、着きたいんだけどな」

「だったら、なんで転移球を使わないんだ」

「ドラが暴れまわらなきゃ牽制できない悪魔だぞ。迅速に移動したいのは山々だが、慎重でなければならない。わかるだろう、お前なら」

「だが」

「おれたちは、冷静じゃなきゃ勝てない。感情に飲まれたら、前しか見れないんだ。お前はむしろ、感情に呑まれた方が高い集中力を引き出せるみたいだけどな」

 そう言って、より高い建築物の屋根に立つ。空を穿つように尖るそれは、どうやら修道院のそれらしかった。

 見下ろすのは、崩壊する一軒家。

 民家が立ち並ぶそこには、広い庭もあるのだけれど――その庭をぐるりと取り囲むようにして警備兵が槍を構えていて。彼らの手には、まばゆく輝く松明。おそらく、精霊術による加工で大気の調整がなされているため、照明用に輝きが増しているものだ。

 そしてその輝きが、影など残さぬように庭を明るく照らしていて。

 その庭で、全身を鱗に包んだローゲンが、目の前に立つ影を必死に探すように、周囲に顔を向けていた。

 明確に悪魔と断ぜる姿ではない。

 それは、布を身体に巻きつけたような衣装で立っていた。額には板金を当て、右手は短剣を逆手に構える。

「アッシィだ……。だが、どうしてドラを……」

 ラフトがつぶやく。

 ブロウが口にしていた、残り二人の内の一人。

 ラフトでさえ連中の能力はわからない。そもそも、彼ら個人が保有する能力は、当然彼らが隠している。

 しっかりと把握しているのは、契約者同士といっても過言ではないようで。

「俺のせいだ」

「言い切れないだろう?!」

「俺と関わってたから。どのみち、あんたらは連中にとって厄介だから」

「まだわからない。あいつが、お前を探してるアッシィを先に見つけただけかもしれない」

「俺は――」

 思わず言葉に詰まる。

 俺の肩を指が食い込む程に掴んだラフトが、歯を食い縛りながらローゲンが暴れまわる様子を見ていた。

 一撃も当てられない。

 そしてアッシィも、翻す一閃を尽く鱗に弾かれていた。

「黙れ」

「落ち着けってんだ。あんた、自分で言ってたろ……」

「クライトさん。多分、聞こえてないのはあなただけかもしれません」

「……何を?」

 彼女が耳を澄ませる。

 長い耳が、ぴくりと跳ねて。

 直後――ラフトの側頭部に、後ろへと流れる角が対に生える。

 全身が、甲殻のようななめらかでどこか流線型の外骨格に包まれて。

「キャスカさんが、ローゲンさんの盾になって亡くなられたようです」

「キャスカ?」

 俺の問いに、紅玉を鉄仮面に押し込んだような顔のラフトが答えた。

「ドラの嫁さんだ。まだ婚約したばかりの、新婚ですらない女性だよ」

 その言葉を最後に、ラフトが広い庭に向かって一直線に飛び込んだ。

 滑空する中で、その両手には身の丈を超える細長い剣が生成され始めていた。


     ◇◇◇


 空から降り注ぐ一閃を、だけれどアッシィは容易く回避してみせた。大きく飛び退いて、重なる斬撃は虚しく大地を引き裂いて終える。

 衝撃が地面を揺らし、だけれど、ローゲンは隠れても居ないアッシィを見失ったままだった。

「すごい反応速度ですね」

「ああ、加戦しよう」

「ダメですよ。これ以上の乱戦は、たぶん向こうにとって思惑通りって感じじゃないですか?」

「だけど、俺なら」

「何が出来るんですか? 今の様子を見るに、ローゲンさんにはアッシィが見えていません。もしかすると、そろそろラフトさんにも見えなくなるかも。いえ、もう見えていないかも知れません。そんな敵に、クライトさんはどんな対策を立てますか?」

 淡々と、彼女は極めて冷静に欠点を告げる。

 敵の能力はおそらく完全な隠密。この屋根の上からならば見える敵は、だけれど対面すれば見えなくなる。

 そんな敵を、どうやって葬れば良い。

 攻撃を当てる手段は?

 攻撃を防ぐ術は?

 ただでさえ、あの訓練の後で疲弊している。

 ニーアを呼んだとしても、見えない敵に対する対抗手段など無い。

「少し落ち着いてください。焦ってどうにかなる相手じゃないですよ」

「……いや、焦ってなんかいないさ」

「また、フリですか?」

「今は違う」

 見えなくなる。

 それが、視覚からの情報のみによるものならば。

 対策――そんな陳腐なもの、俺には要らない。

「音だ。大地の振動がある。俺にはそれを探る力がある」

 地精霊に頼るしか無いのだけれど。

 少なくとも、俺には頼れる力がある。

 そんな俺に、冴えた提案に、だがウィズは鼻を鳴らすだけだった。

「悪魔ともあろう敵が、その程度の対策を立てていないとお思いですか?」

 知ってますよ、と彼女が言った。

「あの格好、東大陸から海を渡った島国の諜報部隊の衣装ですよ。術も能力もなく、ただの身体能力であらゆる奇術を可能にしていた人たちです」

 なんでそんな事を知ってんだよ、なんて言う隙すら無い。

 その知識は、彼女が望んだ最強に由来するものなのかもしれないから。

「あれが外骨格だとしたら、かなり厄介じゃないですか?」

「外骨格って、ラフトのやつだろ? アレは、単なる服じゃねえか」

「外骨格っていうのは、なんでも個人の戦闘能力を最大限に活かす為に変形する骨格のことです。エントなんて、兜以外は服だったじゃないですか」

「……そんな、そんなもんなのか? 外骨格って」

「身を守る、という前提は変わってませんから。適応、という一言に尽きますね」

 冷たく切り捨てる。

 だがそれは、冷たいのではない。極めて冷静で、的確なのだ。

 最強の所以。

 彼女が恋焦がれた力の一部。

 だけれど。

 だからといって、勝機がないからと傍観を務められるワケがない。

「だったらエフォウ、お前には何か素晴らしい位に冴えた案があんのかよ?」

「無いことはない、ですね。ただ必要な物がいくつか」

 彼女がちらりと俺を見る。

 俺が持ち合わせているものと言ったら、通信用のネックレスに転移球ほどのものなのだけれど。

「なんだよ。武器なら適当にかっぱらってくりゃいいだろ? 悪魔を倒すためなら誰もムゲにゃしねえだろ」

「まあ、それもそうなんですけれど……。クライトさんが私を信頼してくださらなければ、作戦は成功しません」

「信頼? そもそも、何をする気だよ」

 あのウィズが。

 悪魔を撃退するための作戦を?

 果たして、そんな事ができるのか。

 アッシィの能力すら未確定だというのに。

 俺はまだ彼女の力を信じられないから、彼女の言葉まで、まともに受け止めてやれなくて。

「認識外からの攻撃で射抜きます。たぶん、あのアッシィっていうのは、クライトさんが出てくるのを待ってるんですよ。だからこそ、その時に出てくるだろう隙を私が突きます」

 今から武器を調達しに行って戻ってくるまでおよそ二十分。

 拮抗しているローゲンたちの元へ行って、事態を進行させなければその時間は保てるだろう。

 だが、逆にこの時間がアッシィに不信感を与える。

 俺がいることを知らないわけではない。むしろ、良く知りすぎているからこそローゲンを狙ったのだ。

 戦力を喪失させ、精神を減退させるために。

 そして――いつ来るか、奴はずっと待っている。


 ローゲンの一閃は、だけれどアッシィに届く気配がない。

 ただ距離をとって直立するだけのアッシィへと弾丸をぶちこむラフトは、しかしその照準を一昨日の方向にしているせいで掠ることすら決して無い。

 そしてアッシィの顔は彼らを捉えず。

 屋根の上に立つ、宵闇に紛れる俺の姿だけを見ていた。


「俺はどうすればいい?」

 もとより選択肢なんてものはなかったんだ。

 たまにはいいだろう。

 誰かと共に戦う――それを、実感させてくれるなら。

 最後の最後に彼女との思い出を築かせてくれるのなら。

 たぶん、ウィズは恨んでしまうかもしれないけれど。

 俺はポケットの中の転移球を意識しながら、視線をアッシィからウィズへと移す。

 彼女は俺の問いに小さく頷いてから、静かに口を開いた。


     ◇◇◇


 風を感じる。

 それを意識する。

 肺腑の中が空になるほど吐き出した息を、再度吸い込めぬ状態のまま、俺はゆるやかに、揺り籠に乗って滑空するような穏やかさで、戦闘が繰り広げられている庭へと向かった。

「ヒィ・クライト」

 眼下で誰かが俺を呼ぶ。

 その声に反応するように、民家を取り囲む兵隊の幾人かが空を仰いだ。

 下を見れば、兵隊に紛れる白髪頭の男。傍らには、大きく手を振る少年の姿。

 ニーア・パイアは、何か言いたそうに俺を見ていた。

「加勢が必要か?」

 彼の問いに、俺は首を振る。

 ここで彼らを巻き込む訳にはいかないし、いくら彼が手練だとしても、対人間での強さだ。

 未知の敵で、純粋な人間であるニーアが通用するとは思えない。

「そうか……」

 どこか淋しげに頷くニーアの言葉が、その後続く余地を与えぬまま、俺はやがてその庭へと到達し、

「よっ、と」

 着地する。

 共に、大きく息を吸い込んだ。


 空気が変わった、気がした。

「何をしに来やがった、クライトォッ!」

 身の丈の巨剣を振り払いながらローゲンが叫ぶ。その庭の中心で、背中合わせに敵を探すラフトは、だけれど何の手応えも感じられていない。

 崩壊した民家の前に立っていたアッシィの姿はもう無く。

 ざっと、門の前から全体を見渡しても、その影すらも捉えることは出来なかった。

 やはりアッシィの能力は範囲によるものだ。リフと同様に、領域を構築する。

「気をつけろ、ヒィ! お前の防御力じゃ、裸同然――」

 ラフトがいう間に。

 俺の喉元に鋭い衝撃が迸る。

 そう認識した瞬間には、喉に激しく灼ける程の激痛が爆ぜ、口腔内に鮮血の味が広がった。

 呼吸が鮮血の泡を溢れさせ、だけれど俺は、横に流れようとする刃の感触を、左手で握って引き止めた。

 手のひらが鋭く切り裂かれる。痛みが滲む間もなく骨へと至った手だが、しかし力を弱める訳にはいかない。

 そして――刃を掴んでいるのにもかかわらず、俺には痛み以外の感触がなく。

 刃による激痛が、横へと移行しようとするだけの感覚しか、俺には認識できなかった。

『ヒィ・クライト』

 囁くような声が、俺を呼ぶ。

 目の前から、とは言わず。

 だが背後から、ということはわからない。

 どこからともなく。

 俺は、アッシィの声だけを、ようやく聞くことが出来た。

 だから、思いっきり馬鹿にしてやろうと口を開くのだけれど、声が出ない。息を吐く分、喉から鮮血が泡となって溢れ出る。

『安心しろ、小生はまだ貴君を殺さん』

 告げる言葉の後、手の中から衝撃が抜ける。

 喉元に突き刺さっていた感触が喪失して、俺はこぼれる血を両手で抑えながら、呼吸を止めて大きく飛び退いた。

 少し、焦る。

 なんとかなる敵だと思っていた。

 最終的に俺が倒せるのだと確信していた。

 どんな敵であろうとも、戦闘の中で対抗する術が見つかるものだと思っていた。

「クッ、ライト!」

 ローゲンが駆け寄る。

 俺が背を向ける方向に、ラフトが六つ連なる砲筒を回転させながら、轟音をかき鳴らして破壊の権化をぶちまけた。

「ヒィ! 無事か!?」

 まだ言葉が発せられない。

 傷は未だふさがらず。されど、ただ治癒が追いつかないだけであることに、ほんの少しだけ安堵する。

 が、落ち着くわけなど、ありはしない。

 ――小生は貴君をまだ殺さん。

 アッシィは若い男の、しかし深みのある低い声でそう告げた。

 殺さない理由はなんだろうか。

 俺を痛めつけるため。

 あるいは――連中の目的が達成するまで、生かさず殺さずを保つため。

「――良く、聞け。暴れまわるな。なあローゲン、ラフト……お前らには、この場所で、奴を捉えることなんて出来ない」

 触れて分かったことがある。

 正確には、触れたかもしれない状況で、理解を深めただけなのだけれど。

「何だ、どういう……」

 背後で連続する破砕音。

 声はうまい具合に、近場の彼らだけに聞こえているだろうか。

 もしかしたら、真隣にアッシィが居るのかもしれないが、もはやこの状況では関係ない。

「知覚できない。喉を貫かれても、俺は熱さと痛みしか感じられなかった」

「知覚?」

「ああ。攻撃しても、されても、何もわからない。相方の契約者が居れば、そっちを先に潰せたんだが……」

「ヒィ、そいつも無理な話だ。相方はイクスで――今回協力している連中の中で、最大の火力を誇る。最強の歩兵だ」

「っ……いい加減、嫌になるぜ。なんでそんな連中ばっか……」

 辟易する暇なんて無いのだけれど。

 その間にも、俺の腰に激痛が走った。

「くっそがッ!」

 背後の大地が隆起する。鋭い錐状の地上が、だが虚空を穿って停止した。

 ローゲンが吠えて襲いかかる。振り下ろされた巨剣は、だが虚しく何もない空間を切り裂いて終えた。

 下半身の感覚が途絶する。力が抜けるように、俺の身体が傾いた。

 思わず跪いて、早鐘のように鼓動する胸を押さえた。

「なあ二人共――少ししたら、奴の姿が現れると思う」

 両手に剣を握り直したラフトが、俺の前方を薙ぎ払った。

 暴風を巻き起こす一閃を連続して、ローゲンが全方位を切り裂き続ける。

「今までありがとう。ウィズを、頼んだ」

 声は届いているだろうか。

 想いは、伝わっているだろうか。

 また、と言ってくるかもしれない。そんなことを、とちょっと怒ったように呆れるかもしれない。

 だけれど、俺にはこんな選択しかできない。

 失ったものは、もう取り戻せないから。

 いつまでも、今あるもので満足しようとすることは、俺にはできなくて。

 ウィズの気持ちはすごい嬉しいし。

 ローゲン、ラフトの二人も、とても心強い。

 できれば三人とも一緒にいたいし。

 フレイとだって、時間があれば飲み明かしたい。

 だけれど、こんな関係をいつまでも続けていれば、いつしか俺は腐ってしまう。

 変わらぬ時間の中に浸り続けて、そのぬるま湯に慣れてしまって、俺は新しい刺激も発見も、成長も何もかもを不要に感じてしまう。

 ジェーンの死は、ただそういった出来事として忘れていって。

 俺にはできないことなのだと、ライアの救出も諦めて。

 リフの目的の遂行と共に、俺は最後に殺されるまでの時を満喫することになってしまうから。

 ――腰に力を入れる。

 傷が完治した。

 体中に、力が迸る。そんな気がするだけで、俺の肉体はもう休養を望んでいたのだけれど。

『貴君』

 呼ぶ声が響く。

 同時に、俺の心臓が爆ぜた。

 胸を切り裂いて、骨を砕いて、一直線に心臓まで至った衝撃が、そのままに拍動する急所を破壊した。

 喉元から鮮血がせり上がる。

 意図せず、口腔から真っ赤な血が噴出した。

『どうすれば、貴君は死ぬのかな』

 手を伸ばす。

 痛みを痛みとして自覚できるうちに、俺は伸びているはずのアッシィの腕を掴んだ。

 握っているか、捕らえているか、やはり知覚出来ないのだけれど。手がそれ以上曲がらず、腕がそれ以上おろせないことだけを確認して、認識する。

 力を込める。だが、その手応えがない。

 前を睨んでも、なんだか虚しくて。

 血流が弱まっていく。

 その感覚が、よくわかる。

 視界が暗くなっていく。

 意識が鈍くなっていく。

 すぐ近くで、ローゲンの絶叫が響いた。

 真横で、ラフトの怒号が轟いた。

 斬閃が翻る。

 破砕音が残響する。

『貴君を知る者がいなくなれば、死んだことになるのか。あるいは――』

 肉体の死はいくつも覚えた。だからなによりも、治癒を優先させていた。

 だけれど、今回に限っては、安心して死ぬことが出来た。

 共に戦う仲間と。

 勝算を持つ、優秀な弓兵がいるから。

「そんな精霊的な存在じゃねえよ」

 声を出せるうちに出すのだけれど、息を吸い込んでも、まるで肺に大穴が開いているように、呼吸の手応えがない。

「殺せば死ぬさ。殺せねえ理由を棚に上げて、どうすれば死ぬだと? ちゃんちゃら可笑しいぜ、所詮あんたも」

 声が震える。

 呼吸は、もう絞りだすくらいしか残っていなくて。

 全身の脱力に抗うように力を込めれば、全身が小刻みに震えだした。

 恐怖を湛えているような、ひどく情けない姿だ。実際、怖い思いも、実は大きかったりする。

 治癒しても心臓に刃が刺されている以上、完治出来ないのだから。俺の肉体は、死を得る可能性が大きい。

 地精霊は傷を癒し痛みを喰らう。

 蘇生や死を防ぐなんて事ができるわけじゃない。

 だけれど、ここまでしても俺を殺せないこの悪魔は、未だ。

「俺に至れない」

 その言葉に、荒く吐く息遣いが聞こえた、その刹那。


 びゅん、と空気を切り裂く音が耳に届いた。

 その瞬間に、目の前の虚空に矢が突き刺さる。その衝撃が、刃を伝って胸に反響した。

『ぐッ――』

 虚空が明滅する。

 人形の影が、ゆっくりと透明の布を振り払うようにあらわになった。

 黒い布を巻いたような男の影。側頭部を穿つ矢は、板金を貫いていながらも、しかしアッシィを即死には導けていないようで。

 ――ジリリリリ。

 通信を告げる鈴の音は、否応なしに響きだした直後に声を発した。

『クライト!』

 フレイの声と、

『クライトさん!』

 ウィズの声援が、

「ああ」

 そうして、俺の背を押した。

「じゃあな、みんな」

 かすれる、喉が潰れるような声で告げた別れの言葉が、少し心残りだった。

 息ができずに苦しかったんだから、少しは容赦して欲しい。

 

 俺のポケットに収まる転移球が眩い輝きを発し始める。

 腕を掴んでいた手は絡みつくようにアッシィの首を、胸ぐらを掴み。

『貴君、何を――』

 この程度ではアッシィは殺せない。

 このままここに居ても、結局また領域を巡らされての堂々巡りだ。それに、もうウィズの一撃も通用しなくなるだろう。

「何をしてッ、クライトォッ!」

「ヒィ! 馬鹿な真似はよせ! おれたちなら、まだ――」

 だから、イメージするのは俺が一番長く過ごしたあの廃村。

 枯れた土地。

 かつて人々が過ごした土地に、寂しく鎮座する無数の墓標。

 寂れた人気のない小屋。

 いつでも、どこでも、鮮明に蘇るあの光景――。

『クライト、また、独りよがりな』

『クライトさん、結局、そんな事を――』

 輝きが俺たちを、俺たちだけを包み込んだ時。

 もう誰の声も、想いも、俺には届かなくなった。


 全身の痛みも、疲労も、意識も、感覚も、全てが遮断されて輝きの中に溶け込んだ。

 俺たちは果たして、目的の場所へとたどり着けるのか。

 永遠とも、一瞬ともつかぬ時の中で、ただその一縷の不安だけが俺の焦燥を駆り立てた。

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