表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/90

5:Dance To Death

 人間の姿の男は、外衣すら羽織らぬシャツ一枚の姿だった。

 腕をまくっているのだけれど、その両腕には鎖が這うような刺青があって。

「なんだよそりゃ、悪趣味だな」

「黙ッとけ。苛立たせるな」

「情緒不安定だなあんた。マジでいっぺん、死んじまえよ」

 町から、港から大分離れた海岸沿い。砂浜の上、波打ち際で俺たちは向かい合っていて。

 性別と状況さえ異なればさながら恋人同士、ロマンチックな雰囲気を共有していたのだろうけれど。

「ヒィィィ、テメエ……スミスをッたくれェで調子に乗んなよ」

「ああ。それで、その刻印は、誰と契約したんだ?」

「ッ! 分かんのかよ」

「分からねえわけねえだろうが」

 言いながら、俺も同じく右腕をまくって刻印を見せる。稲妻のようなジグザグに走る黒い一閃は、ライアのものだ。

 それは契約の証。

 利用される者の印。

 契約者が刻む、所有物の刻印。

 持ち物に、名前を書くような、そんな程度の意味合い。

 ブロウの強さは契約する側として能力を解放しているからだけれど、彼も彼で契約者として誰かの能力を解放している。

 もしそれが悪魔で、彼らが相互に契約しあえるのだとしたら。

 ここでブロウを倒せば、今後俺は少なくとも一人分は楽に戦えるのではないだろうか。

 俺の言葉にブロウは舌を鳴らし。

 固く握りしめた拳。その腕から朱い色が滲み出る。それを認識した瞬間には、もうその腕には肌と装甲とが入れ替わっていた。

 肘から先が腕甲に包まれる。鋭い爪を持つガントレットは、既にブロウの周囲の空間を歪んで見せるほどに熱を放っていた。

「オレはテメエとは違うッ! オレはオレの意思でッ、テメエにッ!」

「うるせえ知ったことかよ、勝手に盛り上がってんじゃねえどうでもいい」

「冷てェじゃねェか」

「あんたは熱すぎんだよ」

 それこそ全てを溶かしてしまうほどに。

 そう返す頃には、いよいよブロウの総身が深紅の甲冑に包まれていて。

 その肉体からは、滾る炎が空間を舐めていて。

 どちらからともなく、動き始めた。


 砂が赤化する。

 だけれど海から上がる飛沫が瞬く間に熱を奪い去り、

圧殺領域デスプレッシャー!」

 ブロウの足元から広がる漆黒の領域。その闇から飛び出す触手じみた手が朱い男の総身を掴みとった。本来ならばただそれだけで肉体は崩壊するのだけれど、その装甲はびくともせず、しかしブロウの足元はズブズブと闇の中に引き込まれていて。

 一気に勝負をかけてみる。だけれど、

「無駄な足掻きだァッ!」

 膝までが闇の中に堕ちる。されど、その咆哮と共に肉体から噴出する爆炎が空高くまでせり上がり、陰という陰、闇という闇全てをかき消した。

 故に圧殺領域は瞬く間に消滅し。

 砂場を蹴り飛ばしたブロウは、その背後に爆ぜたように砂を巻き上げながら俺の方向へと突っ込んできた。

 上肢を倒し、猛烈な速度で距離を詰める。その姿はさながら暴れ馬。

 胃が縮み肝が冷える。

 恐怖を意識した時には既に、ブロウが突き出した右腕は俺の腹に食らいついていた。

「なッ……!?」

 正確には、拳が叩きこまれたのは展開される水の盾。渦巻く水流が、蒸気を上げながらブロウの一撃を受け止めたのだ。

 熱が触れても居ない肌を灼く。だのに、ぞわりと粟立つ総身は奇妙な寒気を覚えていた。

 近づいてはいけない――本能的な判断が、

「爆ぜろッ!」

 より危険に身を寄せ、拳を穿った。

 にわかに動きを止めるブロウの顔面に触れる拳撃。放つのは、俺が幼少期より身につけた最上の爆発術。

 触れれば爆破。

 ゆえにその瞬間に、膨れ上がった爆炎が凄まじい衝撃波と共にブロウに襲いかかるのだけれど、やはり悪魔相手にはヌルすぎる術だった。

 爆炎は、まるで吸い込まれるようにしてその装甲に同調し。

 衝撃は、呻く程のダメージすら及ぼさずにただブロウにたたらを踏ませた。上肢がのけぞり、数歩分だけ後退する。

 狼相手ならば消滅する爆発だった。

 右腕は既に肘まで焼け焦げたが、それも無駄な代償に終えただけだった。

 やはり強い――俺だけならば、桁違いだ。やはり侮られておらず、こう真っ向切手の真剣勝負だと勝ち目がない。

 次はどう”防ぐ”か。

 考えていても、

「……どうした、腹でも痛くなったか?」

 ブロウは、俺を睨んだまま動かなくなっていた。

「テメエ、マジでやれよ。手なんぞ抜いてんじゃねェッ!」

 言葉と共に炎が弾ける。総身から火焔が滾り爆風が吹き荒れる。鉄仮面の奥からでも分かる鋭い視線が、俺を睨んで離さない。

「手を抜けるほどの相手なら気も楽だったんだがな」

「クソみてェな事言ってんじゃねえぞ……テメエは、何のために戦ってんだ?」

「なんだよ、突然っ――」

「なあ、ヒィ」

「気易く呼ぶんじゃねえ!」

 両手を広げるように肩をすくめてから、片足に重心を移動させて、もう片足のつま先で地面を叩く。まるで戦闘中とは思えぬ所作だが、どの体勢からでも、現状でブロウを倒せる算段はない。

 視線を落として短いため息。

 余韻たっぷりに、またブロウは俺を見た。

 意味ありげに沈黙を置いてから、ようやく言葉を紡ぐ。

「あいつの身体、なかなかイイもんだろ?」

「……何言ってんだ、あんた」

「ライアだよ。締まる所締まってるし、マジに良く締まるんだよなァ」

「……悪魔だって、そんな関係はあって当然だろ。俺が関わるところじゃない」

 こんな男と。

 絞り出した台詞は胸の内で跳ねまわる激情とは正反対のそれであり。

 この怒りが、誰に向けてのものなのか、俺はにわかに分からないでいた。

「なあヒィちゃんよ、こんな所で呑気にしてていいのかよ?」

「ああ……?」

「なんでオレが、ライアを無視してテメエだけを連れてきたか分かんのかよ。しかもわざわざ、こんな場所まで」

「まさか――」

 ライアが。

 意図的に距離を離された。

 ブロウはただの馬鹿だと思っていたが――いや、他の悪魔の差金か。

 何にせよ、ここまでなんの連絡も反応も無いということは完全にライアの意識はない。強がっていても、疲労は溜まっていたんだ。

 もしかしたら、今は既にそのまま殺されていてもおかしくはない。そう思って腕を見る、が、その刻印はまだ残っていた。

 死んでいない。

 だけれど、

「お楽しみ中ってわけかよ、くだらねェ」

「ブロウぉぉッ!!」

「そうだそいつだァッ! 本気出して、さっさと来いよッ!」

 盛る激情が俺の意識を飲み込んだ。

 視界が真っ赤に染まる。興奮が心臓を早鐘のように打ち鳴らす。

 殺すしか無い。

 もう殺すしか無い。

 殺すしか無いんだ。

 ぶっ殺す。

 繰り返されるただ一つの言葉が、目の前の悪魔に意識の全てを集中させた。

「死ねばいいさ」

 あんたなんかよ。

 ドタマかち割ってご自慢の炎なんか比にならない火力で消しくずにしてやる。

「気持ちいいねェ。やっぱオレらは、こっちの方が性に合ってんだ」

「一緒にするんじゃねえクソ悪魔! イカレてんのか、ああ!?」

「吠えてねェで来いよ、なあクソ人間さんよォ!」

 指を折るようにして俺を誘い。

 瞬間、その顔面に小規模な爆炎が発生してブロウの顔面を包み込んだ。

「てッ」

 視界が遮られる。わずか数秒だけでもいい。

「炎ってのは、こうやるんだよォッ!」

 腰が落ち、安定した姿勢から拳を突き出す。全身に渦巻いた火焔が瞬く間に右腕に集中し、それが瞬く間に拳の先から放出される。

 それは鉄砲水のように。凄まじい勢いで閃光が如く俺へとぶち当たり――肉を灼かず、衣服すらそのままに熱しすらしない。炎はそのまま俺の眼前で渦巻き、円を描いて盾になる。

 火炎陣。これは炎を防ぐための術。だから迫る炎だけではなく、周囲の、敵の放つ炎すらも利用する。

 その盾の形は、だけれど長く維持する前に霧散させた。

「ちょっこざいなッ!」

 僅か一歩。だけれどそれだけで俺との距離はほぼゼロになり。

 視界内で散る燐光が、突如として爆発的に輝きを放ち――拳が突き出される。その刹那に、雷撃が閃いた。

 透明感のある雷鳴。

 衝撃は腕を打ち下ろし、その稲妻による痺れは確実にその肉体に及んだはずだった。

 俺は飛び退かぬまま、ブロウの胸部に掌底をぶち込んだ。

 ダメージを与えた手応えはない。その硬さに、むしろ右手の骨が歪んで痛みを湛えていて。

 その痛みが、痛みこそが良好だった。

「迅地ッ!」

 本来ならば手先から放出する地を這う風刃。

 だけれどこうして密着していれば、

「――ッ」

 放射状に放たれる無数のカマイタチを一挙に受けたブロウは、声すら漏らせず上肢を勢い良く弾いたように吹き飛んだ。

 見れば、その胸部には確かに縦横無尽に刃を降ろされたような傷が放射状に展開していて。

 倒れこめば、その身が砂を瀑布と巻き上げた。その怒涛の勢いに砂中に埋もれたブロウは、さらに頭上から降り注ぐ砂に、完全に総身を覆いかぶさられていて。

 出来上がる砂山。

 それがわずかに崩れて、山頂から真っ赤な手が生えてきた。

 まあ、アレで斃せたとは思わないけれど。

 まったく――やはり四大精霊の力じゃなきゃ、殺しきるのは無理なのか。

「はァ、はッ……くッはは! 面白ェよ、おもしれえ! ただの術で、強ェ精霊サマの力すら使ってねえのにこのザマだ。スミスが殺られたってのも、案外偶然ってワケじゃなさそうだな」

 砂をかき分け、呼吸を乱しながら告げるブロウ。その胸に広がる傷は、先ほど見たものよりさらに細かくなっているような気がして。

 ぴきり、と装甲に亀裂が走る。

 それが瞬く間に広がり――胸から腹にかけての外骨格が、ガラスを割るような脆さで崩れ落ちた。

 思わぬ重量の変化に、ブロウは無言のままバランスを崩しかける。

 少し驚いたように己の胸を触りながら、ゆっくりと顔を上げて俺を見た。

 剥き出しの胸板に、一筋の線条。うっすらと赤く滲んで浮き出た切り傷は、だけれどその端から煙を上げて塞がっていった。

 まるで、凄まじい速度で癒されるように。

 今度はそれに対して、俺が驚いた。

 悪魔の回復速度は、飽くまで自然治癒程度のものだと思っていたのに。

 あの戦闘能力に加えてこれでは、ちょっと……いや、とても勝ち目がない。

「ちょっと、テメエが勘違いしてるだろうことに訂正くれてやる」

 胸が僅かに反る。息をいっぱいに吸い込んで、深く吐いた。ただそれだけ、落ち着いたようで。

「オレの能力ちから知ってっか?」

「燃焼、だろ」

 ルゥズが言っていた。

「ああ。灼けるだけが脳じゃねェ。燃えるんだよ、傷も、痛みも、なんでもよォ!」

「痛みも……って、まさか」

「テメエなら分かるだろ、いや分からせてやるよ。どんな痛手でも、死なねェ敵ってやつをよォ!」

「ちっ、来いよ。ならあんたとは違って、死ぬまで殺してやっからなあ!」

「ああ――ッざけやがってよォ!」

 足元に溜まる砂を払って上肢を軽く傾ける。そうした直後に海上へと顔を向けて、苛立たしげに咆哮した。

 罠かもしれない。そう思いつつも、この男にそんな器用な真似が出来るとは思えず。

 だから視線だけ向ければ……何もなかった。

 いや、正確には何かがあった。俺がただ目を向けるそれだけの時間で、その影は移動していたのだ。

 暴風。

 俺が初めに感じたのはそれだった。

 思わず身体が崩れそうになる。その肉体を受け止める、誰かの支えがあった。

 無意識に委ねてしまう熱があった。

「このような子供に、何をムキになっているんだお前は」

 しわがれた低い声。

 肩を抱く手は、鋭い爪を生やして頬に触れそうだった。

 息を呑む。

 心臓が爆ぜるほどに跳ねていた。

 俺は何を安堵しているのだと、罵声を浴びせる暇もなく。

 咄嗟に身を退く。

 その男から距離をとって、警戒しながら彼を観察した。

「余計なお世話なンだよいつも! オリジ、テメエは!」

おれの勝手だろう。そもそも、己が止めなければ誰がお前を止めるんだ?」

 見上げるほどの長身。

 漆黒の肢体。

 全裸の男は、だが下腹部から足先までを灰色の体毛で覆っており、尾てい骨の辺りからは皮の鞭のような黒い尾を生やしていた。

 背部には翼を備える。コウモリのようなそれではない。それは恐らく、猛禽類の翼だった。

 深紅の瞳がちらりと俺を見る。

 そうしてから、何かを感じたように海とは真反対の方向へと身体を向けて、

「ブロウ、帰るぞ」

 無防備だ。

 今なら首を狩れる。

 そう、意識を集中した瞬間。

 視界から、オリジと呼ばれた悪魔の姿が消えていた。

「己を追おうなんぞ二千年早いな。長生きしたくば、自分から攻撃を仕掛けないことだ。ブロウをよく見てみろ、能力が燃焼でなければお前との初戦で死んでいた」

「……なんなんだ、加戦しに来たんだろ? あんたも!」

 俺の問いに、背後に回ったオリジはそれでも呆れた様子もなく、まじめに俺を見据えて答えてみせる。

「勘違いしちゃいけないな。己はブロウを連れ戻しに来た。理由が訊きたいか、それはお前にもなりゆきで加戦してくる奴が近づいてきたからだ」

 そもそも、そのタイミングを見極めるために近くまで来ていた。

 全てを見ていたよ。お前さんもライアに巻き込まれてご苦労なことだが、正直な所、巻き込まれたのがお前で良かったと思っている。

 オリジは囁くようにそう言って、拳を俺の胸に押し当てた。

「オリジ! 戦わねェなら用がねェ。帰るぞ」

「急かすな……じゃあな、『ヒィトリット』。戦う機会を期待している」

「ヒィ! 次は死ぬまで足掻いてみせろ!」

 それぞれ、捨て台詞じみた――だけれど、決して逃げ口上などに聞こえぬ言葉を捨てながら両者ともに高く跳び上がる。

 そうしてオリジがブロウを脇に抱えれば、次の瞬間には既に水平線近くの海上にまで影を移動させていた。

 疾い。

 それはあまりにも常識はずれな速度で。

 もしこれが基本的な身体能力で、能力が別にあるのだとしたら……。

 考えるだけで、怖気が走った。

 そしてあの男が口走った俺の名前。悪魔ごときが決して知るはずのない本名は、だからこそオリジと魔女との繋がりを確実にしていて。

 魔女……それが、本当にあの人で。

 あの人は今どうしているのか。

 そして悪魔を統べて居たのならば、どうして俺なんかに関わっていたのか。

 恐らく、盗賊に襲われて逃げてきたなんてのは嘘っぱちなんだろうな、なんて思いながら、俺も俺で帰途に就こうかと砂浜を裸足で踏みしめながら歩き出した。

 途端に、視界が歪んだ。

 気が緩んだ。

 師匠を思い出した瞬間に、懐かしくなって、歩くことから集中が逸れて。

 疲れと、緊張とが、どっと身体に押し寄せていた。

「う、わっ」

 受け身がとれない。

 そのまま砂浜に倒れこんだのだけれど、ここが砂浜でよかったと思う。石畳だったら、ここでさらに怪我を負っていたから。


「ヒィ――トっ!」


 どこからか、どこか懐かしいような声が聞こえたけれど。

 それが最後だった。

 余韻も、予兆もないまま。

 ぷつりと、俺の意識はそこで途絶えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ