2:Pray The Play
地面が盛り上がる。
それに気づいた時には、白骨化した手がそこから生えていた。
「きゃあっ?!」
ウィズが驚いて、俺の腕を引きながら後方へと飛び退る。俺はバランスを崩しながらも、どんどん地中から姿をあらわす頭部が異様に大きい人骨が、やがて目の前に立ちふさがるのを見た。
『デスレイブ』。人の肉を求めて蘇る常世の徘徊者。骨は砕けぬ限り幾度もその姿を構築し、人の頭部を容易く握りつぶせる力で襲い掛かってくる。
「な、な、なっ?! なん、なんですか、あれは!」
「モンスターだよ、落ち着け痛い」
爪を立ててギリギリと右腕を握りつぶそうとするウィズは、指摘されてようやく気づいてくれた。はっとした表情で腕を離してから――抱き締める。状況は変わらなかった。
「ヒィ、いいご身分ね。羨ましいわ」
「羨ましかったら、こんな道を辿ることになった自分を恨めよ」
場所は平原。きた道をそのまま戻っているだけなのだけれど。
俺自身、こんな所でこんなモンスターと出くわすとは思わなかった。いつもなら荒野や、墓地の近くで現れるはずなのに。
もちろん、死体から自然に湧くようなモンスターだから。
……いや、いやいや。
まさか、ここいらに人の死体が埋まってたってわけですかね。物騒な世の中です。
「でも、本当に厄介な敵よね。ヒィ、手伝ってよ」
外套を翻し、両腰から短剣を抜く。
「いいや、俺はギリギリまで手を出さない」
俺の判断に敏感に反応するのは、やはりジェーンよりもウィズで。
彼女は驚いたように、俺を見ていた。
「大丈夫なの?」
既に背後に退いたライアは、あまり興味が無さそうな声色で気にかけてみせる。そもそも、彼女は戦闘面では活躍してくれる日は無いのだろうか。
「ああ。ウィズ、出来るよな?」
彼女の背中を叩いて、押し、入れ替わるように俺が退く。
戸惑ったように素っ頓狂な声を上げながらも、やらなければならない状況を見て、弓を構え、一度に三本の矢を抜いた。
「が、頑張ります!」
「それで、あたしになんのお話かしら?」
「……気づいてたのか」
続々と増えるデスレイブ。一気に発射された三本の矢は、だけれど一本が手前の骨の胸骨を砕くだけで終わる。他の二本は虚空を穿ち、遠くの地面に突き刺さった。
そしてジェーンは、デスレイブの力を恐れて攻め切れない。一度でも掴まれれば終わりだから、短剣の彼女には牽制しかできない。
だけれど、今はそれでいい。
近づいた敵を牽制し、ウィズが矢で破壊する。彼女にはこの危機の中で適切に敵の弱点と行動を見抜き、理解し、把握する情報処理能力が求められているし、その向上を戦闘の中で図らなければならなかった。
最も、彼女らがどうしようもない状況に陥る前には助け舟を出す予定なのだけれど。
今の様子を見ていれば、その心配も無さそうだった。
「ジェーンの事、どうすればいいと思う」
「ね、普通他の女のことを相談する? ちょっと……いえ、かなり違うと思うのだけれど」
「だってよぉ」
「だってもへちまもあるもんですか。こちとら乙女よ? 少しくらい気を使ってほしいものだわ」
「乙女?」
乙女だったのか。
いや、自称だからわからないけれども。
ともあれ、今はそんな話ではなく。
――牽制と立ち回りは、ジェーンの指示によってうまくいっている。
いつでも敵から遠く、だけれど決して見逃されない位置。だから襲い掛かってくるのは必ず一体だけで、デスレイブが拳を振りかぶった瞬間にジェーンが斬りかかれば、モンスターは大きくのけぞって。
遂に見つけた弱点、その骨を動かす核を発見する。もっとも、背後では体中を矢で穿たれてバラバラになっているデスレイブが無数に転がっているのだから、必然的なものだったのだろう。
矢を射る。狙いを定めて放たれたそれは、吸い込まれるようにして飛来――眉間を貫き、頭蓋骨の最奥で保護されている石化した脳を破壊する。
後頭部から矢が抜ければ、空いた穴から煌めく粉が噴出した。
デスレイブの肢体は頭部以外無傷なれど、ただそれだけの一撃で骨ごと砂へと形を変えて崩壊していく。
「残り、できる?」
徐々に骨を再構築して立ち上がりつつある六体のデスレイブ。立っているのは、残り四体。
ジェーンの問いに、ウィズは額から流れる汗も拭わずに新たな矢を抜いた。
順調だ、と思う。
やはり、思った通り伸びしろは有り余っていた。元々は精霊術に及んでいたはずの才能だ。弓術程度ならお手の物で然るべきなんだ――。
「――ともあれ、そういうわけ……って、ねえクライト。貴方人の話聞いてるの?」
「聞いてませんでした」
だって予想以上に活躍しているんだもの。
「もうっ、馬鹿ね。二度も同じ話させないでよ」
「悪い、向こうがいい具合だったからさ」
「どうしてあたしを見ないのよ。昨夜のほうが楽しかったから?」
まるで見てきたような、と思うけれど。
そう切り返す時点で、確実に昨晩の事は知っているのだろう。どのみちカマかけだとしても、予想くらいはできていて。
俺が思わず言葉に詰まれば、わざとらしく肩を落としてため息をついた。
「それで、あの娘についてだったかしら?」
「あ、ああ」
睨むような目付き。下がる口角。
蔑むような視線、忌々しいと言うような口調。
刺々しい言い方に、思わず肝が冷える。
「あたし個人の意見なら、関わらずにさっさと送り届けたほうがいいと思うわ。こき下ろしたいところだけれど、話してる途中で貴方に割り込まれるのも嫌だから、貴方の意見を尊重して纏めると」
「纏めると?」
「現状維持しかないんじゃないの? もう何番でもいいって言ってる時点で諦めるつもりもさらさら無いし、強引に近づいてきたのを見る限り、諦められるタマじゃないわよ、アレ」
「罪な男だな、俺は」
冗談っぽく言っても、全然嬉しくないわけで。
実際問題、それは確かに嬉しいことなのだろうけれど、解決すべき問題がある今では煩わしい要素でしかなくて。
「ならしっかり、責任取りなさいよ」
「まったく、人事だと思って……」
肩をすくめて、腰に手を当て、前を向き直って見れば、戦闘はそろそろ終局で。
地面に突き刺さる無数の矢。
残る二体は、俺がその数を認識した瞬間に、一に変わった。音ほど早い速度で発射する矢が、身体能力の面では優れないでスレイブの頭部を容易く射抜いたのだ。
砂に代わるモンスターを見て、もう彼女らは狼狽えない。早くも三○分程度が経過しているが、それでもこれくらいの敵と対峙して、しっかりと攻略できているのはさすがとしか言い用がなくて。
ジェーンの指示も、驚くほどに的確だったのが意外だった。
ただ誰かに頼って、楽に生きてきたわけじゃないんだな、なんて感心すれば、拒絶しようと思っている思考を後ろめたく思う。
「クライト」
横から呼ばれて、振り向こうとして。
頬に押し付けられる熱と、張りのある、だけれど柔らかい感触。
身体に押し付けられる双丘と、しなやかな肢体。熱く、火傷してしまいそうなほどに火照っていて。
「あたしが居るってこと、忘れないで欲しいものだわね」
最後の一体が、殆ど消化作業然として頭部を穿たれた。
頬に口付けをしたライアは、それから何事もなかったように、拍手と共に彼女らの方へと駆け寄っていて。
「……相談する相手を間違えたな」
俺はまた、惑わされるばかりだった。
◇◇◇
また夜になる。
水は遂に底をついてしまったけれど、明日の昼ごろにはノーシス領から離れた北方にある町に到着できる予定だから、問題はない。
ただ、現状の問題があるとすれば、
「ね、ヒィ」
隣では交代を終えたウィズが寝息を立てている。
反対側では、頬を紅潮させて熱っぽい息を吐くジェーンが、汗ばむ手で俺の手を握っていた。
俺はそんな二人に挟まれる形で、横になっていて。
なんで男女で分けなかったのだろうかと、いまさらになって後悔した。
「なんだよ。さっさと寝ろよ、明日も早いんだ」
起きてる俺も俺だけれど。
交代したのを見計らってから行動を起こすジェーンが、ただそれだけで眠るわけもなく。
昨日の今日だから、俺は貞操と誠実さが失われる心配をしていた。
期待がない――わけではないのだけれど。
今は、あまりにも状況が悪すぎた。
「私、何番目? 見る限りじゃ、あの悪魔っ娘が一番でしょ?」
「なっ、何いってんだよっ。別に、そういうんじゃないから」
「なら私が一番?」
「一番とか二番とかねーから。俺の手に余るくらいなんだよ、みんな」
「私も?」
「……ああ」
言ってしまえば、また手を握る力が強くなて。
ズリズリ、と背中を擦るようにして彼女は距離を縮めてきていた。
気がつけば、指を絡めて手を握り直されていて。
腕は彼女の胸に抱かれていて。
足は、しなやかな脚に絡みつかれていて――。
「自重しろ、イカンぞそういうの。マジで」
肩を押せば、簡単にころんと仰向けになる。
迫られた分の距離を退いて、俺は額に滲んだ汗を拭った。
「だって、いいじゃない。私とヒィの仲じゃない」
「そんな仲になったつもりがないんだが?」
「こういう仲になるつもりなかったら、ヒィに依頼しないわけだけど」
「依頼目的からして不純か。これは依頼を断る理由になるっての、知ってるよな?」
報酬が払えないのを知りながら依頼を登録するのもそうだけれど、そういった不純な目的が関連するのも傭兵が個人の判断で契約を破棄することが出来る。
もちろん、彼女も知っている。同じ傭兵なのだから、保身として知らなければならない知識の一つだから。
「昨夜はまんざらでもなかったくせに」
「不可抗力だ。理性とは別な所が働いてた」
頭で理解していても、拒めない時がある。
しかたがないことだ。俺だって、もう二ヶ月近く処理してないし。
その点では一人旅は楽だった。荷物も少ないし、自由だし。予定も、行程もなにも関係なかった。
「なら、今夜も本能を刺激してみようかな」
「マジでやめろ、手が出るぞ」
「出して欲しいくらいよ」
「そっちの意味じゃない!」
俺の否定に、だけれど傷つく暇すら無くクスクスと笑う。
こんな掛け合いすら、彼女は楽しめているようで。
非常に安定しすぎているらしい精神状態に、俺は安心していいのかすらわからなくて。
「ともかく、俺は寝るからな」
「寝て大丈夫? 私のこと、警戒しないの?」
「なんで見張り番じゃない時まで気ぃ張らなきゃ……っ?!」
ぞくり、と背筋に虫が這うような悪寒が走る。
釣り上げられてのた打ち回る魚のように、俺は身体を跳ねさせて反動で身体を弾ませて、軽く跳ぶように起き上がる。つま先で地面を食い、のけぞった身体を力任せに引き上げれば、手を使わずに立ち上がることが出来る。
だけどそんな事に得意げになる余裕なんて無くて。
「クライト!」
振り返れば直ぐに、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえる。そちらに向くまでもなく、ライアは俺の隣へと急いでやってきた。
嫌な気配。
それもただならぬ、純度の高く、惜しみない殺意を孕んだ視線。
単一のものだったのかはわからない。だけれど、それは明らかなまでに悪魔のそれで。
すぐに立ち上がって周囲を伺ったのだけれど、障害物のない平原に、不審な影は何一つとして無く。その痕跡すらも、何もかもが不自然なまでに存在していなかった。
「初めてだな」
敢えて、存在を知らせるような敵は。
「ええ。完全に監視されてるってことよ。本当に、これからは気をつけないと……」
「相手が悪魔じゃ、気をつけるもクソもねえと思うがな」
気配を感じた瞬間には、それはもう跡形もなく消えていて。
だけれど、その余韻ばかりは不快なまでに、体中に張り付いていた。
眠るといった先でこれだ。今夜の快眠は、望めそうにない。
「……どうしたの、ヒィ? 敵?」
気付けていないジェーンは、膝立ちになって不安そうに俺を見る。
それから思い出して、ウィズへと視線を移した。が、彼女も同様に何も気づかずに穏やかな寝息を立てていた。
幸か不幸か。
「ああ。やばいのに目をつけられたかもしれない。今日は戦闘があって疲労が溜まってるだろ、お前はもう本当に寝とけ。話はいつでもしてやるから」
「……本当、なのね。私が、足手まといになるレベルの?」
「あんたにゃ悪いが、本当に護る余裕すらないかもな」
「どうしてそんなのと戦ってるのよ。また、義務なんでしょう?」
ジェーンはいつでも的確に俺の行動を見咎める。
そして、今回もその指摘はそのとおりで。
「ああ、義務だ」
素直な返事に、隣に立ったライアは、少し驚いたように俺を見ていた。
見限られたと認識されても、決して間違いではない発言だからだ。
でも、
「護る力があって、護らなければならない相手がいるから果たせる義務だ。俺は、必要のない奴の面倒まで見る余裕も、義理もない」
それはどちらかと言えば、ジェーンのことで。
「……私の場合は、そんな血なまぐさい話とは違うじゃない」
「好意は嬉しいよ。正直、こんな状況じゃなければわからなかった」
「なら!」
「なあジェーン。あんたは昨日、俺が変わったって言ってくれたよな」
「……それが、なに?」
少なくとも無愛想じゃなくなったし。
誰かを守りたいって気持ちは強くなったし。
俺も成長した。変わらないはずがない。
だけれど、彼女は違った。
「俺にとってのあんたは、どうだって言ったっけ」
変わってない。
何も、変わってない。
言葉を回想して、何かに気づいたらしいジェーンは口元を歪めて、何かを言おうと口を開いたけれど、言葉が出て来ないで、またつぐんでしまう。
「悪いな、あんたへの気持ちは、まだ変わってない。ただ変わった部分があるとしたら、友達としてなら上手くやっていけそうだって所だけだよ」
それは俺に好意を向けてくれている彼女を完全に突き放す言葉だったけれど、俺は十割彼女を拒絶したわけじゃない。
”まだ変わらない”。ここに希望を残したのだけれど、果たして気づいてくれるだろうか。
「本当?」
それは、どちらに対しての確認かわからない。
でもそれが、どちらに対してでも、俺の答えは同じだった。
「ああ」
「……今回の仕事が終わって、あんたの目的も終わって。いつか、私の地元に寄ってくれる?」
「歓迎してくれるならな」
「するわよ、何があっても」
「そりゃ助かるよ。無一文でも、飯くらいは奢ってくれよ。頼りにしてるから」
それは将来を見据えても決して希望を持てるものではないから、切実なのだけれど。
あまりにも適当っぽくて軽いから、冗談のように見えて。
彼女はやっと、頬をほころばせてくれた。
「……わかった。待ってるから、ね、ヒィ」
「ああ。お休み」
「うん」
今度は膝を擦って、横になるウィズの隣に寝転がる。自分の毛布をウィズのそれと重ねて、その中でウィズの身体に抱きついたようだった。
だけどエルフの少女は気づかない。眠りは深く、鈍感だった。
「女ったらし」
言いながら、ライアは苦笑して俺の肩を叩く。
そうしてから踵を返し、定位置まで戻っていった。
「今夜は付き合うよ」
彼女の背に告げる。
眠れそうにもないし、あんな事を言った後でのうのうとジェーンの隣で眠れもしないし。
女々しく他の女に縋るような言葉だったけれど、それでもライアは、気にもせずに頷いてくれた。
「それは助かるわ。あたしのほうも、積もる話があるから」
「……やっぱり寝ようかなぁ」
「だめよ、もう付き合ってもらうって決まったんだから」
冗談っぽく頬を掻いて背を向けようとすれば、急いで戻ってくるライアが俺の手を引いて先へと引っ張っていった。
俺はそれに苦笑を禁じえず。
俺はその日も、眠れぬ夜を明かす事になった。




