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1:Foolish Stray

「どこだ、ここは」

 方位磁石が指針を失っていた。

 漠然と北西にある海へ向かっていたのに、目の前に在るはずのない山岳地帯が見え始めた。

 水が、三日目にして半分を切った。

 食料は四日目にして、調理のためにふんだんに使われたせいで残りが三分の一程度しかなくなっていた。

「疲れたわよ、休まない? ねえ、ヒィ」

 依頼主が色香を使って一時間ごとに休憩を取りたがる。

「ふう」

 ライアは短く息を吐きながら、俺のカバンから勝手に水を取り出していく。

 陣形は既に崩れていて、空の色は茜から藍色へと移り変わっていく。

 風は生ぬるい。だけれど、雨の気配は無い。

 潮の香りはない。草木の臭いが強かった。

 五日目の日暮れ。

 絶望の色を見るのは、果たして俺だけなのだろう。

 明らかに初心者のミスばかり。だけれどみんな、なんとかなるだろうと思っているのは――恐らく、俺がなんとかしてくれるのだ、と丸投げしているからで。

「お前ら正気かよ?」

 呟かずには居られなかったのだけれど、反応するのは苦笑するウィズばかりで。

「いいでしょ別に、ここは平らだから野営にうってつけよね。ま、ヒィはどこでもいいのかもしれないけど」

「そうだな。今日はもう休んで……明日から、本格的に道を変えるぞ」

 そもそも、最初からまっすぐ行っていればよかったんだ。道なりに行けば街について、そこを経由して港にいけたはずなんだ。

 誰だろうか、平原を突っ切って行けば海に到着するといったのは。

「……何見てんのよ。イライラしてんの? あんたっていつもそうよね。あんたの気分一つで空気が悪くなるんだから、ホントに勘弁してほしいわ」

 桃色頭がなにやら吠える。

 やれやれと肩をすくめてため息を吐いて――。

「じょ、冗談よ。なに、怒ってんの?」

 それでも無表情で見続ければ、困惑したように引きつった笑みを見せた。

「別に。あんたは、ホントに変わらないよな。いくつだっけ?」

「三五」

「えあっ?! わ、若作りだったんだな……」

「から、一回りくらい違うわ」

「若作りなんだなあ」

 四七、八か。立派なものです。

 いや、実際ニ三くらいなんだろうけれど。

「……あんたは変わったわよね。初めて会ったときは、見てて可哀想になるくらい荒んでたのに」

「そりゃあんたのせいだろうが。初めて仲間が出来たのに、あんなことになりゃ気も滅入る」

 仲が良くなりかけた同年代の男が、年上の女に食われて泥沼にはまっていくのは見ていて精神衛生上とても悪かった。最悪だったのが、俺以外の全員と関係を持っているのが発覚した時だったし。

 思い出しただけでも総毛立つ。腕をまくって、鳥肌がたった肌を撫でた。

「なのに、おべんちゃらの一つも言ってくれないのね」

 そのまま草原に座り込み、寝転がって頭の後ろで腕を組む。

 服装が服装だけに無防備に見えたが、

「ウィズ、食事にしようか」

「はい」

 構ってやるつもりにはなれなかった。


 夜も更け――。

「お疲れさま、代わるよ」

「ありがと、ヒィ」

 深夜に一度交代しながら、周囲の警戒を続けていく。

 人出がない上に、報酬も安いから依頼主のジェーンにも手伝ってもらっている。彼女も俺より長く旅の経験をしているから、その点に関しては心配はないのだけれど。

 桃色の髪を掻き上げながら、俺が腰を落としても彼女は立ち上がろうとしなかった。

「ねえヒィ、あんたは私を軽蔑してばかりいるけど、あんたはどれほど立派な人間なのよ?」

「……なんだよ、突然。別に自分がご立派だなんて思ってねえよ、ただ棚に上げてるだけ」

「ふふっ、なによそれ。謙虚?」

「あんたとは別方面でダメ人間ってわけだ」

 あぐらをかいて、肘を立てる。頬杖をつけば、存外に快適な姿勢をとれた。

 ああ、いい具合だ。このまま眠れるかもしれない。

「ねえヒィ、ホントに私のこと、嫌いなの?」

「ああ」

 一晩限りでもお断りしたい。

 当時から何度も繰り返されてきた問いは、だけれど随分と久しぶりに投げられた。

「訂正。全ッ然変わってないわよ。憎ったらしい顔、ほら、ぶすっとしてるから表情筋なんてこんな柔らかいの」

 言いながら、俺の頬を力いっぱいつねる。

「いって! やめろ、触るな病気が伝染うつる!」

「病気なんてないわよ!」

 片方だけならまだしも、両頬を指先で引っ張られて涙が滲む。絶妙な痛さに、両肩を押して引き剥がした。

 まったく、なんでコミュニケーションはこんな子供っぽいんだ。

「なによぉ、いいじゃない」

「よくねーよ。ったく」

 そうして、気が付けば腕が触れ合いっぱなしなくらい距離は近づいていて。

 なるほど、場慣れてるってこういうことか、と理解するのはなんだか虚しくて。

 空気が落ち着く。ちょっと騒いでから静まり返るから、余計にそれを意識してしまって。

「ヒィ、聞いてくれる?」

「言っておくが、東大陸イーシスまでだからな」

「わかってるわよ。私弱いから、あんたについていくのなんてこっちから願い下げだし」

 そうは言うけれど、彼女はそれなりには強い。

 ただ、俺の周りの連中が異常なだけで。

 俺が戦わなくちゃならなくなった相手が、尋常じゃないだけで。

「悪いな」

「嫌いなんでしょ? 謝んないでよ」

「んで、話って?」

「……私を、売女って思っているんでしょ。だからせめて、ワケだけ聞いて欲しいの。あんたには」

 その言葉から、気になって後ろを振り返る。

 会話程度なら気にならないくらいの距離で、横たわる二つの影。

「大丈夫、聞こえないよ」

「……なら、良いんだが」

 ヘンに二人に気を使わせたくはない。

 ただでさえ、過去で共に旅をしていた経験から彼女らは俺たちの関係には触れていないのだ。

 これからも、そんな彼女らが気にするような事はない……はずなのだけれど。

 ジェーンが首をかしげる。そう思った時には、もう俺の右肩に頭を載せていた。

「もう、夜は寒くないわね」

「そろそろ夏だからな」

「暑くない?」

「暑い」

「そう」

 だけれど、彼女は離れてくれない。

「……ヒィ、でも、私の話を聞いたらあんたはもっと嫌いになるわ」

「今より下があるならな」

「ヒィに言ったら、ヒィの事忘れられないかも。あんたに、縋ってしまう」

 気持ちはわかる。自分ことを知ってくれている人が、自分の中でその存在が大きくなってしまう。

 だから俺は、未だにこの口から過去を語ったことはない。俺の自己満足に、加担して良い人間なんて誰も居ないから。

 俺にとって迷惑なんじゃなくて、巻き込めない。

 だから、彼女の葛藤は理解できた。言いたいのだけれど、言いたくない。離れることがわかっているから。

 ここまでが計算ならば、背筋が凍る。

 なんでこんなのが二人も集まってしまったのかと、頭を抱えたくなる――のだけれど。

「大した過去なんてない。ただの自衛のための手段なんだけどね、そういう真意を知られるっていうのは、私の弱みをさらけ出すことなのよ。身体はいくらでも切り売りできる……でもね、心は違うの。誰にも、触れて欲しくない」

「身体が切り売りできる?」

 実績を伴う言葉に、だけれど反応してしまうのは俺の性か。

 切り売りできる、というかしている。目の当たりにしたことも、度々ある。

「あんたは見る目があるからいい。だけどなぁ、人間って身体が資本なんだよ。俺たちみたいな渡り鳥なら尚更さ。だから、いくら自衛のためっても、そう簡単に傷つけちゃいけない」

 でも、彼女の場合はそうすることしか誰かを頼る方法を知らないわけで。

 そう無責任に道を正そうとすれば、彼女はただ困惑して踏み外すだけになる。

 わかっている。俺には、彼女にどうこう言う資格なんてない。

 ジェーンだけじゃない。ウィズにも、ライアにでさえ言える立場じゃない。簡単に、人に影響を及ぼしていいわけがない。

 瞳が揺れる。それを、見ぬかれた。

 顔を覗かれて、俺は咄嗟に顔を逸らした。

「またそうやって、言いたいことだけ言って責任感覚えてるわけ? 気持ち悪い」

「うるせーな」

「そういうトコ、あんたの悪い癖。人を助けたいって思ってるくせに、全然慣れてない。ただ、責任感が強いからそうしてるだけみたい」

「……責任感が強いだけ、か」

 義務――なのかな。

 思えば、そうなのかもしれない。

 力がある者がそうして然るべきだと思い始めたのは、本当に東大陸の集落での出来事がきっかけだったろうか。

 力にかまけた強奪……その経験こそが、俺の根底なのではないのだろうか。

 誰かのため――それは違いないけれど。

 後に続く言葉は果たして、”護る”なのか、あるいは……。

「だから勘違いしちゃう」

「悪いな」

「下手に強くて、頼り甲斐があるから。初めて私に冷たかったから。でも無関心じゃなくて、ちゃんと気にかけてくれて、心配してくれるから。今まで出会った誰よりもしっかりしてて、自分の意思があって……覚えてる? パーティが解散したきっかけの、あの日」

「覚えてんのかよ」

「忘れられないよ」

「……だから嫌だったんだ。あんたと遭うのも、あんたみたいな危うい人間を見るのも」

 あの日、というのは、彼女の行動のお陰でパーティ内がギスギスし始めた頃で。

 とある街で、次の寄生先を引っ掛けようと誘った男が、その実野盗だったことがあって。

 連れ去られて、本気で泣き叫んでいる彼女を目の前にして、かつての仲間たちは誰一人として動かなくて。

「なんで、まだそんな事してるんだよ……どうして、まともに誠実な連中と一緒に仕事が出来ないんだよ」

 十は居ただろう野盗は、ものの数秒で消し炭に変わった。

 受け止めすらせず、彼女は誰もいなくなった焼けた大地に倒れこんで。仲間たちは、その背後に控えていた俺を咄嗟に見て。

 今度は己らに牙を向かれるだろうと思ったのかもしれない。阿鼻叫喚だった。悲鳴を上げて、あるいは剣を抜いて牽制しながら、俺の元から逃げていく。取り残されるのは俺と、元凶だったジェーンだけで。

「どうしても、見つけなくちゃいけないものがあるの。無茶を利かせるには、人を心まで騙さなくちゃいけないのよ」

「もっと強い奴に、真剣に頼み込めばわからないだろ」

「みんながみんな、あんたみたいにいい人だとは限らない。強いってことは場数踏んでるし、そうなると私みたいな女がつけいる隙なんてないわよ」

「そもそも、そこまでして探すものってなんだよ」

「ねえヒィ、お金で人の心は買えると思う?」

「ああ? 人にもよると思うが」

 俺ならイチコロかもしれない。まあ、額にもよるけれど。

「でも、時間は買えたの。こうして、四苦八苦しながら、何の気兼ねもしないで楽しく旅をしてみたかった」

「……ジェーン、お前」

 まさか、と思ったけれど。

 そのとおりだったのかもしれない。

「ごめんね。迷惑かけちゃって。でもね、ちょっとだけ長く居たかった。順調には、進みたくなかった」

 わざと、違う方向を示して進んだ。それを決定したのは彼女で、強引に進み始めたのも彼女で。

「どうして」

「ヒィ、私のこと、嫌い?」

「――卑怯だろ、そんなの……」

 こんな状況で、彼女を突き飛ばせるほど俺は冷徹でも成熟もしていなくて。

 実際、彼女と一緒にいて、こんな時間も悪くはないと思っていて。

 過去を思い出せば思い出すほど、ジェーンの行く末が心配になっていて。

「だって、ヒィのまわりが強すぎるから」

「らしくねえぞ、そんなの。惑わせて、相手から言い寄ってくるのを待つんじゃないのかよ」

「いつもの私から、迷子になっちゃったみたい」

「馬鹿が。俺は、あんたが望むような将来を築けないぞ。付いてきたいなら好きにして良い。だが、その好意には答えられない」

 はっきり、そこだけは伝えておく。

 彼女には惑わされるかもしれないけれど、ちゃんと踏みとどまるし、節度はわきまえる。

 気がないのに、気を持たせることばかりはできなくて、

「ふふっ」

 笑いが漏れるのを聞いて、顔を前に戻す。

 肩から重さが失せて、ジェーンは立ち上がって俺を見下ろしていた。

「やったわ。初めて、ヒィの心を動かした」

「……はあ。まさか、それが目的か?」

「うん。ヒィだって言ったじゃないの、惑わせて、言い寄ってくるのを待つって。そのとおりよ。それに言ったじゃない、あんたについていくのなんてこっちから願い下げよ。だって大変そうだもん」

「あんたって奴は」

 頭を掻いて見上げれば、月明かりに瞳が輝いていて。

 一筋、その光を反射する軌跡を見た。

「迷惑、かけたくないし」

「でも」

「大丈夫。もう、変な奴見つけないし、ちゃんと将来見据えて動くから」

「……そう、か」

 気丈に振舞っているのかもしれない。

 だけど、本気でそう言っているのかもしれない。

 思い上がりじゃなければ、後者なのだろうけれど。

 顔が下がる。俺には、どうしようもないことばかりで、頭が混乱した。

「ヒィ」

 呼ばれて、顔を上げて――甘い香りが強く、迫っていて。

 頭を抱えるように、彼女は上肢を折って俺の上半身を強く、砕けるくらい強く、抱きしめた。

 離さない、とでも言うように。

「ごめんねっ、ヒィ……! こんな気持ち、初めてでっ、私、どうしたらいいか……」

 らしくない――なんてことは、決して無くて。

 本来の彼女は、こうなのかもしれない。

 だから、それを言及することも、戸惑ってさらなる困惑を促すこともしないで。

 ただ受け入れて、当然だと言うように言葉を紡ぐ。

「ジェーン、東大陸に行って、どうするつもりなんだ?」

「地元に、戻ろうと思ってるの。私実家が、刀剣鍛冶やっててね」

「継ぐのか?」

「手先器用だから、手伝いながら考えようかなって……」

 力が緩まる。

 少し身体が離れて、それでも顔は近く、鼻先は触れ合っていた。

 呼吸が顔にかかる。頬は上気し、目元は潤んで熱っぽい。扇情的な表情は、さすがにクるものがあって。

「ヒィ、私は何番目でもいいの。ヒィに見てもらえるだけでいいの。ヒィさえ良ければね、それでいいの」

「そんなの」

「ダメって? 違うって? 違わないよ、そうやって他人の価値観を否定するの、いいの? イヤじゃないの? 私のこと嫌いなのに、こんなに近くていいの? ほら、もう唇がぶつかっちゃうよ?」

 顔を逸らせない。

 ただ力を入れて彼女を離すことも、出来ない。

「こんな気持ちになるのは、ヒィだけ――」

 言葉は続かない。

 その唇が俺に触れて、伸びた舌が閉じた口を押し開けて。

 歯並びを確かめるように舌が歯に沿って動いて、唾液が立てる音が、頭の中に直接響くようで。

 頭の芯が熱くトロける。

「ジェーン、待てっ」

 顔が離れる。粘度の高くなった唾液が糸を引いた。

 顔が熱くなる。

 あまりに現実離れした今に、半ば理解ができていなかった。

「俺は、あんたに期待を持たせられない」

「嫌いなの?」

「だから、そんな極端な話じゃないんだよ。分かるだろ」

「嫌いじゃないなら、私はそれだけでいいの。身体だけでもいい、ヒィが私のことを持ってくれるだけでもいいの」

 まくし立てるように、一息で彼女は俺へと告げる。

 とろけた目付きで、顔はまた無自覚に近づいていて。

「ああ分かった。今日はもう寝ろ、色々話しすぎて、混乱してるんだ」

「違う、これが本心なの。ずっと我慢してたの。あの日から、ヒィの事が気になってて……」

「わかってる。ごまかしてるわけじゃない。俺だって戸惑ってるんだ。だから今日はゆっくり休め、な?」

「……でも、明日から港に向かうんでしょ?」

「ああ」

「わかった……おやすみなさい」

「ああ」

 小さく頷いてから、立ち上がって俺の脇を抜けていく。

 少し進んでは立ち止まり、振り返って俺を見て……それを幾度か繰り返してから、ようやく寝床へと到着したようで、その身体を横たえた。

 それを確認してから、深く息を吐く。

 煮えたぎる思考を全力で冷やす。

 そうしてから、ジェーンの唾液に濡れた唇に指先で触れて。

「危うすぎるだろ、あいつ……」

 亀裂が入ってからの崩壊が早い。

 もし相手が俺でなければ。また、あの野盗連中のような奴だったらと思うと、ゾッとする。

 明日の朝、元に戻ってるのを願いながら、星が無数に散らばる鮮やかな夜空を見上げながら、またため息をついた。

 罪な男だ、なんて笑える状況なら良かったのに。

 あらゆる欲望の暴走を抑えつけながら、俺は警戒に意識を集中させて他の全てを忘失することにした。

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