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第六話 Blow Up

「それじゃ、そろそろ行きますよ」

 ただ挨拶をしに来ただけのはずが、気が付けば応接室でお茶を御馳走になっていて。

 腰を上げると、どうにも悲しそうな表情に後ろ髪を引かれてしまう。

 だけれど心を鬼にして、容易く誘えぬ旅路へと進むことを決めた。

「クライト様、お気をつけて」

「ええ。機会があれば、また」

 立ち上がり、深く頭を下げたフレイに手を振りながら、俺はようやく一時間の拘束から解かれることとなった。


 の、だけれど。

「なんだ、あんたか」

 派遣事務所を出れば、褐色の男は茶けた制服を身につけたままの格好でそこに居た。

 ローゲン・ドラーゲン。彼を見た者たちは歩調を緩めて眺め、若い女たちは黄色い歓声を押し殺して通り過ぎる。

「なんだって、酷いな。折角新たな門出を祝おうと来たのによ」

「門出ねえ。ただ立ち寄った街から出るだけなんだが?」

「っせえな! 黙って祝われろっていうんだよ」

 苦笑しながら、勢い良く俺の肩を幾度も叩く。

 そうして、思い出したように懐からガラス玉を取り出した。無色透明の、指でつまむ程度の珠。その中に、朱い陣が十字に交わって刻まれていた。

 噂に聞く転移術を施した転移球と呼ばれる、安直な名称の割には高価な一品。だけれど、決して手が入りにくいというものではなかった。

「こいつをやるよ」

「どう使うんだ?」

 それは本当に知らない。

 転移術は極めて珍しい精霊術だし、だからそれを簡単に使える道具は一介の傭兵なんかが買えるわけがないくらい高価なのだけれど。

 その使い方は、もちろんそんなものを持ったこともない俺が知るわけもなくて。

「行きたい場所をイメージする。要領は精霊術と同じだ……つまり」

 珠を指先で弾いてから、落ちてくるそれを手のひらに納めて握る。そうした瞬間に、手のひらから眩い閃光が溢れて――刹那、ローゲンの姿が消え去っていた。

 それに驚く暇もない。

 辺りを見渡した隙に、背後から扉が軋む音を立てて開く気配。振り返れば、現れる影。

「こんな風に、だ」

 ローゲンは、不意に事務所から出てきて快活に笑った。

「幾らしたんだよ。いくらなんでも、こんな上等なもんを受け取るのは忍びねえ」

「おれも持ってる。つか、政府から支給されてるわけだ。ま、買えばざっと五十万は超えるが……」

「ごっ――うっ、受け取れねえよ! 高え!」

「言うと思ったから伏せてたんだよ。いいから受け取れ、じゃないと俺が困る」

 なんで、と言う間もなく珠を胸に押し付けられて。

 そんな高価なものを落とすわけには行かず、半ば強制的に手に取らなければならなくて。

「ほらよ、渡したからな。んで、ここからが重要なわけだ」

「な、なんだよ」

 言いながら、今度はポケットに手を突っ込む。取り出すのは、同じく転移球で。

 ローゲンが屈んだかと思えば、砂塵を起こしてその肢体は空へと長く伸びていて――軽々しい跳躍は、瞬時にその肉体を空高くまで引き上げていた。

 よっと、と声が聞こえる。男は、事務所の屋根の上に腕を組んで着地した。

「困ったらおれを呼べ」

 珠を握った腕を突き出す。また、その拳の中が輝いて……俺の手の中に収まる転移球が、同じように発光した。そう認識した瞬間、俺の肉体は突如として宙空へと蹴落とされたかのような浮遊感に襲われて、

「こんな風にな」

 耳元で囁くような声。

 気がつけば、俺は屋根のてっぺんに立っているようで。街を一望できるその場所で、だけれど街を眺める余裕も無くローゲンを見ていた。

 強い風が全身を嬲る。

 俺の肉体が屋根の上に転移したことを、少ししてから理解した。

「危なくなったら呼べよ。お前と別れる前は、再会する手段は何もなかったからな」

「だったら一緒に来てくれないか。俺は今回の旅を、生きて終わらせる自信がない」

 山を一撃で屠る相手ですよ。

 勝てないでしょうよ、さすがに。

「意地んなんなけりゃ死にはしないだろう。わかっているだろ、おれを貶めるつもりか」

 ローゲンとの初めての出会いは戦いだった。

 まあ、あの時は、奇跡的に跪かせることが出来たのだけれど。もう二度と戦いたくはない相手なわけで。

「お前がおれを狂わせた。忘れるなよ」

「正常に戻してやったんだろうが。じゃあな、転移球こいつはありがたく貰っていく」

「ああ。終わる前に呼ばれるのを祈っているぜ」

 軽く片手を掲げて、俺は屋根から飛び降りる。

 胃の腑が浮かぶ落下感を覚える最中に、俺はこの外壁の門を強くイメージして――手の中の珠が眩く輝くのを認めた瞬間。

 俺の意識は、暗闇の中を突き抜けた。


     ◇◇◇


 瞬きと共に出現した俺は、どうやら一番最後だったらしい。

 眩い輝きに驚いた彼女たちは、俺を見るなり何かを察したようにため息をついて、

「見せびらかしたかったのね」

 ライアは、そんなつもりもない俺に濡れ衣をなすりつけた。

「いや違うから。こいつだよ、これ。これのお陰」

 指先で摘んだ珠を見せつける。もっとも、これを理解できるのはジェーンだけだろうけれど。

「ヒィ、買ったのそれ?」

「いや貰った」

「なんです? そのガラス玉って」

「転移術の陣を刻んだ道具だ。高級品だけど、その分精霊術さえ使えれば転移術も簡単に扱えるようになるって代物なんだ」

 それをポケットにしまって、改めて彼女らを眺める。

 ライアは依然と、手ぶらのまま外套を頭までかぶっていて。

 ウィズは瞳と同じく紫の外衣を羽織って、短い白のスカートを履く。すらりと伸びる足には黒い靴下を腿まで上げている。背には矢筒を背負い、弓を備え。背に背負う膨らんだ荷物。さらに肩から胸へと深く食い込む一閃は、どうやら俺のカバンの紐らしいのだけれど。

 胸が強調されるその格好に、俺は思わず目をそらした。

「なによ、ジロジロ見て」

 と言うのは服装を意識してから初めて見るジェーンで。

「自意識過剰だ。にしても、あんたの格好はいつも通りで安心するよ」

 純白の絹で出来た外套は、俺が極北で借りたものらしくて。

 腿までの革製のブーツ。殆ど腰に巻いているだけの短い革のスカートに、谷間をあらわにする胸から腹までかけて紐で縛り上げる拘束具のような衣服。

 破廉恥だけれど、見慣れれば目の保養にすらならない。むしろ、その挑発的な格好と桃色の髪が対照的で可愛らしくすら思える。愛でる、的な意味合いで。

「わ、私の格好はどうです? 新調、したのですけど」

「ああ。かわいいよ」

 紫水晶の瞳がきらきら輝く。大きく吸い込んだ息を、深く吐き出す。頬は上気していた。

 今度は悪戯っぽく俺の肩を突付くライア。

「あたしは?」

「何も変わってねーだろ」

 いや、ホントに。

 あれ? でも……香りが、石鹸ではないような。

 微かに、肌の張りや髪の艶がいいような。

 琥珀の瞳が、いつにも増して鮮やかに色合いを強めているような。

「本当に?」

 いたずらっぽく笑う。

 その仕草が、本能にどくんと来るのだけれど、俺は大きく息を吸い込むことで諌めてみせた。

「変わってねーよ」

 角が頭に被る外套を突き上げている。微笑めば、伸びる牙のような犬歯が垣間見える。

 乾いた唇を舐める舌に目が留まる。唾液が立てる音に耳を澄ませる。息遣いに耳を立てた。

 鼓動が高鳴る。

 釘付けになる。

 回想するのは、昨日の口づけ。

 結局、魔女を殺そうと思った経緯は話されなかったけれど、それも有耶無耶になって。

「なに?」

 我を忘れて、俺はライアを見つめていたようで。

 顔が熱くなる。今度は俺が頬に朱色を差して、顔を背けた。

「なんでもない」

 ウィズから、俺のカバンを受け取る。

 十五日分の食料はウィズの方が。それよりずっと重い水は、これでも十日分だったけれど、肩にかけるだけで肉に食い込むほどにどっしり来た。

「……ウィズって結構力持ちだよな」

「えっ、べ、別にそういうわけじゃないんですよ? も、持ち方のコツがありますから」

「いやいや、弓の練習で結構筋肉ついたんじゃないか? 別に謙遜することないって」

「そ、そういうわけじゃないんです、けど……」

 顔を真赤にして、俯く。腹具合が悪くなったのか、両手で腹を抱いて背を向けた。

 ああ、そういうことか、と納得した時。

「致命的に、理解が遅いわよね」

 俺の顔色を見て、ライアが嫌味を呟いた。

「本当、どうしようもないわ。脳髄が腐っているのかと思うわよ、私はね」

 今度はジェーンが毒を吐いた。

「うるせえよ、いいから行くぞ。ただでさえ遠くて時間がかかるんだ」

 俺を挟む美女二人を振りきって先へ進む。どちらにせよ俺が先頭で、

「真後ろはジェーンで、ライア、しんがりをウィズに任せるぞ。一応、モンスターに警戒しながら続け」

 単独でしか行動しないからこういう陣形は慣れない。

 だから自分のやりやすいように行くしか無くて、だけれどまあ、なんとかなりそうな気がした。

 日はまだ高い。というか、上り始めたばかりの時刻。

 今日中に北上して、遠目に海岸線でも見たいところだけれど、果たしてそうそう上手く行くだろうか。

 初めての大人数での行進に、俺は緊張を抑えられずに居た。

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