3:休息
俺は、ライアの意図を読み取ることが出来なかった。
彼女が追われているのは確かなのだろう。だから、わざわざあそこにおびき出す事に理解が出来なかった。
そうして、彼女に対する信頼は――改めて再認識させられる。
俺が契約者であること。
彼女は俺を使う側であること。
彼女は今回、それを思い知らせたのではないか。
なんて思いながらも、
「もう、クライトさんってば」
俺は不貞寝をしていた。
一つしか無いベッドに横たえ壁を向いて寝ていれば、それを揺すって起こすのはウィズ。
理由は、
「そこは私とライアさんのベッドですよ」
「今回ばかりは赦してくれよ」
別に彼女らの石鹸の香りを堪能しているわけじゃないのだから。
それに、いい加減床に寝るのも痛いし。
「それに、今日はお仕事行かないんですか?」
「今回ばかりはな。昨日の今日だぞ」
顔が火照っているし、頭がぼうっとして、身体が怠い。
それだけなんだけれど、だからこそやる気すら萎えきっていた。
「あの時のクライトさん、凄く格好良かったですよ」
「いや、褒めれば元気になるってもんでもないんだが。っていうか、寝かせてくれ」
「もう朝になりましたよ。ライアさんも、お食事買いに行きましたし」
彼女らの起き抜けに忍び込んだ布団の中は、俺のお陰で暖かさが持続している。なんだか変態見たいだけれど、気にしない。
「起きてくださいよぅ。最近、なんだか皆がばらばらになっちゃうみたいで、寂しいです」
「俺が連れてきたんだ、責任持ってウィズの世話は見てやる」
だから安心してくれ、と背を向けたまま手を伸ばして頭を撫でようとする。だけれど場所がわからず、触れたのは随分と柔らかくて大きな肉塊だった。
服越しでも触り心地がいいそれを、幾度か揉んで、理解する。
掴んだまま上肢を起こしてウィズを見れば、彼女は脇を閉めて両手を上げたまま、ただ硬直していた。
「すまん」
手を離して、また身体を倒そうとして。
「ちょ、ちょ……ちょっと!?」
俺を抱きとめるようにして、それを防いだ。
嘆息混じりに、手をついて身体を支える。そうしなければかえって身体が密着して、俺に触れてしまう面積が胸だけでなくなるのに気づいていないのだろうか。
まあ、俺にとっては役得でしかないのだけれど。
今だけは、それさえもあまり意識できなくて。
「む、むぅ……っ、胸を、触ってそれだけ、ですか」
困ったような顔。頬はすっかり上気して、眼は潤んでいた。
「ごめんな、俺経験ないから」
「そっ、そういう話ではなく! 将来的には……じゃなくて」
「なんだよ、責任とってくださいってわけか?」
しょうがないなあ。
俺はさっさとシャツを脱ぎ捨てると、薄っぺらい胸板をあらわにする。
腹筋は力を入れれば浮き出る程度。二の腕には無駄な肉がついていないけれど、筋肉もそこまでない。
貧弱……ではないけれど、屈強とは程遠い。やっぱり今後鍛えたほうがいいのかもしれない。
「な、なんです、か?」
「これでお相子だ」
「状況違いますよ! 女性にとっての胸っていうのは男性のそれとは段違いなんですから」
「……なんか、ウィズに言われると説得力あるよな」
苦笑をこぼしながら、シャツを着直す。
冗談で言ったのに真面目に返してくれる姿勢は可愛いし、その必死な様子も魅力的だけれど。
それでいて耳年増っぽいし。
「それって、聞こえが悪いですよぉ」
「愛嬌の一つだって」
改めて頭を軽く叩いてやってから、横になる――瞬間に、ノック音が耳に届いた。
俺は反応しない。
それを見て、ウィズは肩をすくめて立ち上がった。
「二十万用意したわ」
桃色の髪の頭を持つ女は、その脳内まで華々しい桃色に染まっているらしい。
優雅に椅子に腰掛けて、足を組む彼女はさらに差し出されたカップを手にとっている。それなりに見てくれがいいから、少し真面目な表情をすれば、厄介なくらいにその優れた容姿が際立つ。
こんなのが言い寄ってきて、まるで己に惚れたように表情を緩めるのだから確かに騙されるし、騙されてもいいと思う連中も多いだろう。
「事務所に依頼しろよ」
寝台の上であぐらをかいて、そんな鬱陶しい押しかけに応対する。隣で、腰掛けているウィズは困ったようにカップを両手で握っていた。
「適任は絶対居ない。実際私と会えば、下手に目が眩んでヨコシマな考えに流れるでしょ。あんただけなのよ、必要以上に無関心なのは」
「嫌味な奴。黙って依頼通りに動きゃいいんだ、必要なことを喋らなければお堅い人間だって思って手なんざ出されねえんだよ」
「守ってもらう立場よ? 擦り寄って何が悪いのよ。生存率を上げるために決まってるじゃない」
「逆に下がってんだよ。アブねえ奴が相手なら殺されてるだろ」
「ほらほら、そこそこ! なんだかんだ言って心配してくれる所が、選んだ理由の一つなのよ」
「うざい、帰れ」
「もー! 理由を一言に纏めないでよ。せめて、話だけ聞いてくれない?」
腿までの編み上げの革製ブーツ。スカートとの境目から見える白い肌に釘付けになりながら、俺は嘆息して上肢を逸らす。後頭部が、そのまま後ろの窓にぶつかった。
外衣の下に着こむのはコルセットのみ。故に適度にたわやかな胸の谷間を魅せつけられるけれど、今の彼女にそこへ注がれる意識はない。
割と本気で、私情の依頼のための説得を始めていた。
「私は東大陸に戻りたい。そのための資金は、なんとか稼ぐことは出来たのよ」
「ああ」
相槌に、少し嬉しそうな顔をする。といっても、口角が僅かに上る程度だけれど。
「問題はそれまでの護衛役。事務所で探してみてもここをホームにしてるのが殆どだし、いざ来ても私の方が腕が立つんじゃないの? みたいなのしか」
「ここいらは平和だからな。強いのって言ったら、国に雇われてる傭兵ぐらいじゃねえのか?」
といっても、名前も顔も知らないのだけれど。
でも、どの国にも、政府直下に名の立つ傭兵を特務機関みたいな形で雇っているらしい。平時は通常通り傭兵業を営ませている――という事になっているけれど、やれ裏で妙な仕事をさせているだとか、汚い仕事を担っているだとかはたまに聞く。
そして緊急事態では招集されて、前線に立つらしい。なんとも頼もしいことだ。
「ま、傭兵ってより、英雄って呼ばれてるらしいけど。他人の功績……っていうか、身内以外にとことん興味ないあんたに言ってもわかんないか」
「ああ、知ったこっちゃねえ」
「そういう所、結構気に入ってたり」
悪戯っぽく上目遣いで見る。俺は敢えてじっと瞳を睨めば、戸惑ったように瞳を揺らして苦笑した。
虚偽。虚構。
受け取りやすい好意の形をした交渉材料。通じないと理解しているはずなのに、告げられるのはその言葉ばかり。
「それに、最近は港近くで旅行者や傭兵を狙った暴徒も出るらしいし。ねえ知ってる? 昨日なんてノーシス領の最南ですごい爆発があったらしいのよ。だから出来るだけ、強いあんたにお願いしたいわけ」
「ほうほう。それを二十万で?」
「ええ。何人で組もうとも、それしかでないけど」
「港まで送りゃいいのか?」
「良ければ東大陸まで。その場合はちゃんと乗船料出すわ」
ここから港までは歩いて十日以上。真っ直ぐ行けば村や街も無いから補給も出来ない。
馬車を借りられればいいのだけれど、港までとなると料金は十万を超える。御者をつければ容易く倍以上。
見る限りではジェーン・テンプテイにも金銭的な余裕はなさそうで。
俺も、貯金は出来たけれどそこまで金を使いたくはなくて。
全体で二十万。それは額と依頼内容を照らしあわせれば簡単に分かるほど安かった。
一人頭でそれなり。三十万出せば、結構な人数が応募してくるだろう仕事である。
「ね、どう?」
「安い。論外だ」
俺にしては正論。だけれど。
傍らで、不安げにやりとりを見守るウィズは、何か言いたそうに俺を見ているわけで。
偽善な性分が疼かないわけでもない俺は、いつもならば無償でも引き受けていただろうその仕事に、この依頼主だからと戸惑って。
「なあウィズ、十万超の大きな仕事はそれなりにリスクが付きまとう。だが今回の依頼は珍しく適度なリスクだ……俺はこの仕事は受けない」
だけど。
察したのか、ジェーンは黙したまま。ウィズは頷いてみせた。
「お前が受けるなら、いつも通り最低限の補助で手伝うよ。場数を踏むにはいい機会だ」
「なら私、受けてもいいですか?」
「ああ。好きにしろ」
「だったら、私」
首肯。そして、ウィズは改めてジェーンへと向いた。
ジェーンはその長い髪の毛先を指先でいじくりながら、言葉を待った。
「受けさせてください。私と、クライトさんと、ライアさんで」
「まあ、構わないわ。ヒィが来るならそれだけで十分だし。もしあんたが、私が思っている以上に働いてくれたら報酬の方、少し勉強させてもらうわ」
「あ、ありがとうございます!」
満面の笑顔で頭を下げる彼女に、ジェーンは戸惑ったように髪をかきあげる。
そうして立ち上がって、視線を俺へと戻した。
「出発は一週間後。それまでに準備してもらえると、助かる」
「了解。ま、高い勉強代とでも思っておくわ」
「……な、なんの話をしているのかしらね?」
また目をそらす。
呆れて俺が首を振れば、彼女は苦笑しながら踵を返した。
◇◇◇
「一週間後だとよ」
パンとスープやらを買ってきたライアに事情を話せば、
「へえ」
興味無さそうにパンを指先で千切って、口に運んでいた。
「一週間ねえ。急じゃない?」
「まあな。明日にでもフレイさんに挨拶しなきゃだし」
「あたしは別に用もないから大丈夫だけど。ウィズは?」
「はい、大丈夫です」
元々部外者である俺たちが、特別この街に用事があることなんてそもそも無いのだ。
急にそういった仕事が入っても、報酬面以外の問題はまるでない。
「そ。じゃあいいんじゃない?」
「ああ、それでライア。あの悪魔の事なんだが――」
「ねえウィズ、これ食べない?」
「え、いいんですか?」
「うん。これあまり好きじゃないから」
俺の問いは、流される以前に弾かれる。
少しだけ頭痛を感じる。もう神妙な話が出来るような雰囲気ではないこの状況に、諦めるしかなくて。
「ったく」
半分ほどになった黒パンを一気に頬張った。
もう当分、ゆっくり休める時間はなさそうだ。




