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4:都落ち

「へ?」

 慣れない笑顔はそう身につかないものらしくて。

 俺は全身から汗を流しながら、どこよりも広く大きく賑わっている派遣事務所の、その受付で硬直していた。

「ですから……」

 どうにもここ最近、状況が二転、三転する事が多い。

 男にも勝る強い口調で、凛と張り詰める声で言葉を紡ぐ。後ろで一括りにした長い髪が、ふわりと揺れた。

「ここ一年での仕事のキャンセル率が十割ですので、新たに仕事をお渡しすることはできないと言っているのです」

 これまでの仕事は問題なくこなしてきた。

 問題があったのは依頼主のほうで、報酬が払えなかった彼らのほうが圧倒的に悪い筈だった。

 だけれど、報酬未払いという事実を隠すために、依頼をキャンセルして無かったことにする。そうすれば、心証を害したように見えるのは俺だ。

 誰かが見ているわけでもない。殆ど、この傭兵業は信頼関係で成立している。

 だからそんな事を言われれば、無名である俺はもっと不利なわけで。

 ちょっと目頭が熱くなって、視界がぼやけるけど仕方ないよね。

「それにしても」

 と、彼女は俺の雇用証明書を眺めながら小さくため息。

 呆れている様子が、良く分かった。

「クライト様は、これで良く生き残れていらっしゃいますよね。経歴だけなら、ノーシス領内で名を馳せる有名な傭兵たちに勝りますよ」

「は、はは」

 最初の方はコツコツやっていたから、その分は評価されているけれど。

 パシリを五年続けていても世界に名が広がらぬように、その初期の経歴は一切無視されていて。

「噂は聞いてますよ。今回の遠征でも、竜と悪魔に襲われても”奇跡的に”助かったらしいですね」

 寒気がする。

 彼女の台詞にではない。

 サラマンダーの喪失を思い出して、自然的に体内で燃えていた炎すらも消えたことを再認識したからだ。

 だから指先が凍えている。より正確には、魂が冷え切っていた。

 身体は汗が噴き出るほどに、熱を帯びているのに。

 そうして、思わずうつむいてしまった俺に、彼女は慌てた様子でわたわたと手を振ってから、深く頭を下げる。

「も、申し訳ございません! あの、つい過ぎた口を……」

「ああ、いや。大丈夫ですよ、良く言われることですから」

 むしろその謝罪の気持ちを、請け負う仕事で表してほしいものなんだけれど。

「し、しかし不思議なものですよねっ。クライト様が請け負った、地方の少し割高な依頼が全て……ぇ? あ、あれ……」

 彼女が改めて、依頼の経歴を眺めて言葉に詰まる。

 本当に不自然なのだ。明らかに寂れている村や、ちょっとした依頼が妙なまでに上等な報酬で募集している。そしてその尽くが、キャンセル。異様なまでのキャンセル率。敷居が高すぎる、という段階の話ではない。

 任務内容問わず、地方で、さらに割高の報酬のみがキャンセルという法則性がそこにはあった。

 お役所がそこに気づく。

 信頼関係で成り立っている傭兵業だ。仕事をきっちりこなしても、報酬を支払うかどうかの権利は依頼主にある。もっとも、支払う義務と、未払いによる処罰が存在するため、殆ど強制的に払わなければならないのだけれど。

 俺が訴えない限り、その問題点は俺を不利にするだけで。

「クライト様?」

 彼女は、じっと俺の目を見据えて声をかけた。

 真剣な眼差し。メガネの薄いレンズの向こうで、大きく開いた瞳孔が俺を捉える。

「これは一体……さすがに、意図的なものしか感じられませんが」

「ああ……情けない話、ビビって逃げてしまったんですよ」

「しかし、新たに同じ仕事が依頼された様子も無いのです。それっておかしいですよね、困っているから助けて欲しいのに、キャンセルしてそれっきりって。特に盗賊の問題や、ヴォルフェンの討伐なんて放っておいてどうにかなる問題でも無いですし」

「ちょっと、謝罪ついでに持ち上げたって何も出ませんって。というよりは、さっさと、どうすれば俺が正式に仕事を請け負えるかの話に移って欲しいんですがね」

 いざ正当な評価がされそうになると、ちょっとだけ怖くなる。

 俺自身、俺が何をどうしたいのかわからなくなりつつ在る今に、そんな風に持ち上げられたら、俺は本当に何が正しいのか見えなくなってしまうから。

「しかし、総額で三百万近い報酬ですよ。本当にクライト様は……」

「逃げたんですよ。酒が入ってて、勢いで請け負ったってところもありますから」

「でも」

「これ私情ですよね。仕事をしましょうよ」

「……わかりました」

 本人の拒絶に、彼女はようやく本題に戻ってくれたけれど。

「現在の状況ですと、こちらで行う講習に出席してもらう必要があります。クライト様の言葉が本当なら、本人のやる気や態度からこちらで審議して、登録情報を抹消される可能性もあるのですが」

「せ、世知辛いですね」

 仕事に戻ったからこそ、辛辣だった。

 オンとオフがしっかりしている女性なんだろう。ちょっとだけ理想的な人だった。

「ですが、そちらの方は私がなんとか致しましょう」

「いいんですか?」

 薄々、そうしてくれる予感はしてたから、白々しく驚いたりはしない。

「ええ。こういうお仕事ですから」

 にこり、と微笑む。ほんの僅かに上がる口角や、無表情から殆ど差異の無い目元。冷たい笑顔だったけれど、それが彼女のいつもの微笑なのだろう。

「ありがとうございます! いやあ、助かりますよ。あの遠征での報酬も、スリにあって盗まれちゃいまして」

 生活も出来ない有様。

 剣は辛うじて残っているけれど、それも事務所来訪の為に取っておいた。ただでさえ心証が悪いのだから、体裁くらいは保たないと色々とダメそうだし。

 そうしてまた俺の言葉に反応してしまう生真面目な女性の食いつきを、俺はいなして先へ進む。

「ちなみに、講習の日程は?」

「今泊まられている宿にお呼びに行きますよ。どこに泊まられています?」

「ええっと……アーリィ通りって所にある『レスト』って言う安宿です」

「アーリィのレスト……ですね。大体、三日前後のお昼に通達が行くと思いますので」

「わかりました。色々と、お世話になります」

「いえいえ。やっぱり、喜んでもらえるとこちらとしても嬉しいですから」

 メモを書いている彼女に深く頭を下げて、感謝する。そうするとまた、彼女もそれを受けて笑顔を見せて。

 俺はそうしてから、その場を後にする。

 考えることは、あと今後三日間をどう凌ぐか、という問題になる。


      ◇◇◇


「みんな、ひもじい思いをさせて悪いな」

 三日後、朝。

 食事の提供がない、シングルベッドだけがある個室に押し込められた俺たちは、それでも一日三○○○ジルという破格の料金に魅了されてそこを動けないでいた。

 露天で買ってきたサンドイッチを食べながら、決してひもじいとは言えない食生活を送りつつそう告げる。だけれど、反応してくれるのは苦笑するウィズだけだった。

「大丈夫ですよ。私、こういう生活初めてだから新鮮で楽しいし」

 嫌味っぽいけど流しておこう。彼女は本心からフォローしているのだ。

「だよな、ライア。悪魔も一向に来る気配もないし」

「兵士たちがスリの現場を見ていたのに、何の保障もないしねえ」

「まぁだ言ってんのかよ。ありゃ俺が気ぃ抜いてたのも悪かったんだって」

「だってさあ」

 と言いながら、残ったサンドイッチのひとつまみを口の中に放り投げる。

 俺は既に二つ目を開けていた。お昼用だったけれど、時間的に食べている時間は無さそうだったし。

「色々煮え切らないのよ。貴方は、優しいのか、自分に厳しいだけなのか、さっぱりわかんない」

「聞き飽きたよ。俺はな……」

「そうやってのらりくらりと避けてみせて。たまには本音で喋ったらどうなの?」

「まあまあ、ライアさん。誰にだって、隠しておきたいことの一つや二つくらいありますよ?」

「貴方の場合は気持ちを隠しすぎなんだけれどねえ」

「そ、それは……べ、別問題として考えましょう?」

「言わないわよ。可愛いわねえ、焦っちゃって」

 無気力な顔で、うふふと笑う。そんな彼女らは寝台に腰掛けていて、俺は床にそのまま座り込んでサンドイッチを貪る。野菜とパンだけのそれは、それでも腹を満たしてくれた。

 女性二人のイチャイチャを眺めれば、それだけで目の保養になる。可愛らしく、美しい二人だ。そこには種族を超えた美的感覚がある。

 などと、頬を緩く緩めて見ていれば、不意に来訪を告げるノック音が室内に響いた。

 立ち上がり、僅か数歩で扉へと向かう。彼女らは、少しだけ警戒してそれに注視する。

 扉を開ける。

 廊下で待ち構えていたのは――動きやすいシャツに、胸当て、篭手に脚甲など限定的な武装を施した、

「……あの、受付の?」

 あの女性だった。

 腰には剣が携えられてある。

「はい。フレイ・シープと申します。これからクライト様の講習を行いたいと思うのですが、準備はよろしいですか?」

「え? あー、講習ってずっと座学かと思ってました。どこへ行くんですか?」

「私が請け負ってきた仕事を共にこなします。ひとまず、外壁を出て薬の材料を採取してきます」

「それだけ?」

「はい。それを私が見届けて、講習終了です。簡単でしょう?」

 確かに簡単だけれども。

 簡単すぎて、逆にそれでいいのかと不安になる。

「こういったケースは稀でして、私と二人になりますが大丈夫でしょうか」

「ええ、問題は無い……ん、ですが」

 ちら、と後ろを見やる。

 ジェーンの件があった。俺がまた、女をはべらせただとか思われても困る。

 だけれど彼女らは、じっと俺を睨むだけでそれ以上の反応はない。よし、最悪の事態。

「なら行きましょうかー」

 部屋に戻るのも怖くなって、剣も取らずに部屋を出る。

 扉を閉めた瞬間、そこにべちゃり、という妙な音を立てる手応えを見て。

「すけべ!」

 声は、完全に勘違いをして俺を責めていた。


     ◇◇◇


 なんだよあいつら、俺に気でもあるのかよ――なんて思うのは無粋に違いなくて。

 たった一人の男が、しかも旅に誘ってきた張本人が爛れた人間関係を築いていれば嫌悪感も差すだろう。

 俺だって同じ目にあってきた。

 だから次からは、少しくらい配慮しなきゃ……もう少しくらい、俺が出来る範囲で大切にしなければ、と思った。

「お話、いいですか?」

 森の中、だけれど鬱蒼と茂る奥深くではなくて、その外周の木々の近く。

 とある木を刃物で傷つけて、その樹液を採取する。今回はそれだけの仕事だけれど、森にはモンスターが数多く生息しているから、その報酬は二万ジルということだ。

 木に採取用の革袋を貼り付けて、手持ち無沙汰になったフレイは俺に訊く。

 樹液が溜まるのはおよそ一時間らしい。傷つけた瞬間に蜜らしきものがじんわりと滲んできたから、それでもたっぷり袋を満たすだろう。

「ええ、なんですか? そう話す事があるほど複雑な人間じゃないですけど」

「クライト様は、色々と隠していらしますよね。自分が不利になっても、誰かの為になることを」

「……まあ、連れの二人は確かに完全に善意で連れてきましたけど」

「調べました。マスウェアの盗賊問題。極北の村のヴォルフェン。どちらも解決していたそうです……クライト様が、仕事を請け負ったすぐ後に」

 ならばなぜ、それがキャンセル扱いになっているのでしょうか。

 どうして、クライト様はそれを隠して捨ておいているのでしょうか。

 好奇心旺盛なのか、正義感が強いのか。彼女の追求はやまず、俺に疑問を投げ続ける。

 俺はもうタジタジとした。

 木を背に、息がかかるほどの距離にまで追い詰められて。

 にへら、と笑う余裕もなくて。取ってつけた嘘は、思いつかなくて。

「キャンセルされた仕事は、どうやっても覆らないわけですよね」

 いつか見た気がする規約書を思い出して、多分そうだったろうと訊いてみる。

 彼女は、ちょっと狼狽してから頷いた。

「わかりました」

 だからぽつぽつと、開始する。

 成長してから、俺の原点になるある出来事。

 過去を彷彿とさせる悪夢は、いつでも苦かった。

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