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1:凍土で

 俺が対精霊術仕様の外套を加工してバッグに変えたのは、持ち運びが容易でかつ丈夫であることが主因だったけれど。

「さむっ……」

 薄汚れた穴だらけの外套を首元まで閉めて、吹雪に総身を晒した俺は、そんな丈夫なバッグよりも分厚い外套の方が欲しかった。

 周囲は一様に白銀の世界……というよりは、純白の闇。

 目の前には、見上げるほどに高い禿山。アイスノースマウンテンなんて異様に仰々しい名前を知ったのは、ついさっきのこと。

 雪が俺を嬲り続ける中で、意外にも未だ先へ進めずに居た傭兵連中は、それでも幾人かで組んで前へとゆっくり歩き出していた。

 山の麓に銀影を見て、なるほど、と彼らが進めぬ理由を知る。

 既に氷結竜アイシングドラゴンが待ち構えているのだ。

「はあ……くそう、寒い」

 なんにせよ、一人ではあまり目立ちたくはない。だけれど三人も四人も多すぎて要らない。

 だからたった一人くらい、仲間が必要だった。

 単独でもある程度強くて、戦闘に慣れていて、出来れば術についてあまり詳しくない戦士。

 自我は強くない方がいい、できれば調和を大事にするような男がいい。

「あいつ……か」

 最後尾。

 一人っきりの傭兵に声をかけて、簡単にあしらわれて肩を落とす。めげずに二人組に声をかけて、だけれど断られる。

 嫌でも目に付く巨漢は、決して筋肉の塊とは言い切れないだろう。

 しかし、彼を断る連中は目が節穴なのかもしれない。

 あの背に担ぐ武器。長い柄の先に付随する巨大な鉄塊。あれは鋼鉄製の大型槌だ。

 絶対的な破壊力を誇り、その頑健な装いから信頼性が高い。にもかかわらず、その重量と槌の部分でしか攻撃を当てられないことから、使用する者は限りなく少ない。

 俺にも扱えなかった代物。

 だけれど、使いこなせれば近接武器ならかなり厄介だ。あの長さならば、氷結竜相手も可能かもしれない。

「なあ、あんた」

 だから、背中を叩いてみた。

 直後に、前方で悲鳴が湧く。強い気配が突如として出現したのが感じられた。

 魔物だろう。突然出てきたということは、『スノウマン』辺りに違いない。

「ん?」

 巨漢は振り返り、そうして俺と同様に前衛の異変を悟ったがゆえに、一瞥しただけでまた前を向く。

 俺は隣に並び、剣を抜こうとして――ライアたちに渡してきたことを思い出した。今の俺は、素手である。

「なああんた、俺と組まないか?」

「……君は、確か。さっき国王に呼び出されてた?」

「ああ。ヒィ・クライトってんだ。一応精霊術師だから、あんたのバックアップは簡単だけど」

「でも、どうして僕なんだい。後ろから声をかけたってことは、まあ色々と見てただろう?」

「お陰様でな。あんたを選ぶ要因も見えたわけだ」

 言って、また背中を叩く。今度は肉ではなく、その大型槌を。

 なるほど、と呟いてから――肩に手を伸ばし、そこから突き出る柄を掴んで、ジャケットのように着込んでいた固定具を解除する。

「君とはなんだか、やりにくそうだ」

「そうか? 俺はあんたとなら上手くやれそうな気がするが」

 構える槌。その先端の鉄塊は、俺の胴幅を容易く超える。良く見ればその中心あたりにギザギザの切れ目があって、それを繋ぐように鉄塊は鋼鉄製の帯で固定されている。

 外套の上からでも、背筋が浮き出て筋肉が滾るのが見える。両腕の筋張った筋肉が、衣服の繊維に悲鳴を促した。

 贅肉の塊が、瞬時に筋肉ダルマへと変わる。顔つきが、無表情からどことなく怒りを湛える悪鬼のように変わった。

「クライト、って言ったよね」

 前方で悲鳴。

 俺が横へ飛のけば、彼もそれを察して俺に倣う。

 そうして前方向で群れる傭兵たちを貫いて――雪に埋もれた地表が隆起し、大地から突出する氷の刃が連なって走る。一直線に流れるように迫るそれが脇を抜けて、過ぎてから暫く余韻を残すように減速し、途絶えた。

 その攻撃が直撃した傭兵は腕を、あるいは腹を抱えて鮮血に濡れる。だが垂れるより早く、液体は凍えて凍りつき、男たちは呻きながら動けなくなる。

「ああ」

「それじゃあ、まずはスノウマンを手伝ってもらってもいいかい」

「あいよ」

 鈍重な巨漢は置き去りにして。

 そう考えて走りだしたが、彼はその重量など忘れたように身軽で素早く、俺と並走を開始した。

「あ、足早いっすね」

 思わず敬語になる。体格が良くて足も早ければ、武器もなく防具もない俺は一撃で撃破されてしまう。

 やべえ、対等を考えてた人間関係が……。

 などと考えている内に、先ほどのスノウマンの攻撃に狼狽して動けずに居た傭兵共を追い抜いていて。

 眼前に、雪が人型になって直立する影が、十を超える数を伴って俺たちへと向いていた。

 人間で言う顔の位置に対なる紅玉を埋め込むだけで、それ以外の特徴がないモンスター。捕らえて殺害した生物の凍らせて喰らう、凶暴性の高い肉食系。

「まあ待てよ」

 飛び出していく巨漢の一歩前に立ちはだかる。彼はそのまま止まれずに俺を突き飛ばしてから、少し足踏みをして立ち止まる。

 転びそうになりながらやや前に進んだ俺へと、再びあの氷結した隆起が襲いかかって――避けられず、腹部に食らいつく。腹を貫き、背を抜けて。鮮血が撒き散らされて……俺より後ろには、その隆起は起こらない。

「く、クライト!」

「心配なさんなって」

 氷刃は即座に水となり、水は俺の中で血になって、傷は塞がり、熱が滾る。

「俺はあんたを認めてる。だからあんたにも、俺を認めてもらいてえ所だな」

 それに、スノウマン程度で足止めを食らっている連中だ。確かに平原や森で出現するモンスターとは比にならぬほど強いが、ここで苦戦するようでは傭兵共も先へ進もうとは思うまい。

 スノウマンはその身を斬り裂かれても雪で修復する。だけれど、少し考えればどこが弱点かなんてすぐにわかる。

「気をつけて、スノウマンの弱点は――」

 雪は豊富で満遍なく散らばっている。吹雪ゆえに、降雪と暴風は満ち足りていた。

 だから照準など必要なく。

 雪から氷を生成し、氷は鋭い錐へと変える。

 遥か頭上から降り注ぐ無数の鋭い槍が豪雨が如くスノウマンたちへと降り注いで、肉体を切り裂き、隙間なく埋め尽くされるそれらは怒涛となって対の紅玉を噛み砕いた。

 土砂降りというよりは、容器の水を零すイメージ。続く降雨ではなく、密度の高い攻撃を一度にぶちかます。

 地上はだけれど、錐が霧散して柔らかな雪に変わる。吹雪が乱れた雪原を覆い隠して、ようやくスノウマンの形跡すらも消してみせた。

 右腕は凍傷を負うものの、ゆっくりと熱が、感覚が戻り出す。

「なんか言ったか?」

 呆然とする巨漢へと振り返る。

 彼は小さく首を振って、俺に並んだ。

「いや……僕はアースィック・フリー。よろしく、クライト」

「ああ、よろしく」


「スプリンフロウは頂上にあるんだろ?」

 傭兵共はすごすご城へと帰っていった――なんてのは幻想で。

「だったら遠回りして上に行けばいいんじゃねえ? 別にアイシングドラゴンの相手する必要も無いっしょ」

 俺への感謝も羨望も一縷もなくて。

「ええ、でもほら、氷結竜超睨んでるじゃん。警戒してるアレの周りって、今の吹雪に比にならないくらい吹雪いてるらしいよ」

 そんな事を言いつつも、俺を先頭にして氷結竜へと近づいているわけで。

「まあ、なんとかなるんじゃね?」

 と誰かが言えば、大勢の視線が俺へと向くわけで。

 みんな思っていたほど、自分が強いだとか誰が一番かなんてことに執着があるわけじゃないらしい。やっぱり目の前の大金が一番だ。なんて現金。俺もだけど。

 いや、でも誰が強いかの関心はあるのかも。だって今正に俺が竜への餌にされようとしてるし。

「フリー、頼む」

「何を?」

「俺の代わりにスプリンフロウ取ってきてくれ。三百はやるから」

「ええ? だって」

「なんだよ不満か? じゃあ……三、五○……で、どうだ?」

「いや、だから」

「おいおい冗談じゃないぜ? もうこれ以上、四、いや……八○だ。もうダメだ、これ以上は無理だぜ」

「なんで僕のほうが取り分多くなるんだって、言いたかったんだけど」

 なんてこった。

「ああ?」

「君は竜の相手をするつもりなんだろう? 君のほうが大変じゃないか」

「あんたの方が競争率がクソ高いだろ」

「その時は大型槌ハンマーで雪崩起こすなり、足止めする方法はいろいろあるからいいんだけど」

 ちょっと驚愕。

 ここまで人の良さを隠そうともしない奴も珍しいけれど、本気で言っている辺り、彼は理不尽な人間関係で悩まされたことはないのだろう。

 悪いことではない。あのノーシスで生まれ育ったのなら、ある程度は恵まれるから。

「まあ、その話は後でもいいか。あんたは先に行って」

 立ち止まれば、竜は顔を上げて睨みを効かせる。やっぱり、傷跡のように額から頬にかけて赤い一閃を走らせていた。

 純白は荘厳で、巨体は百人が背に乗っても余るほどに大きい。鱗は鋼鉄のようで、尾は剣が如し。

 人が対峙するにはあまりにも冒涜的すぎるほどに神々しく、人が立ち向かうにはあまりにも仰々しすぎる。

 俺が走れば一分程度で詰まる距離。竜にしてみれば、一息すらも届く程。

 背後でどよめきが走り、

「さ、行け」

 フリーの背を叩いて、次の行動を促した。


    ◇◇◇


「さて、竜族を傷つけるのはマジで気がひけるんだがな」

 スノウマンだって、極北にしか出現しないから氷結竜の使いだという説もある。もっとも、それを斃してしまった今となってはそう気にすることも無いのだろうけれど。

「おい、お前本当にヤルのかよ!?」

 迂回するように山沿いを走りだすフリーを尻目に、俺への信頼性が限りなく低い彼らはそう訊いた。肩を掴んで、制止さえも目論んでいるのは俺の身を案じているのか、あるいは。

「うっせーな。別に手伝ってもらわなくて結構。協力してくれても分前なんかやらないからな。それに、俺たちに出遅れてんだぜ? あんたらこそ急いだほうがいいんじゃないのか」

 ぐるる、と唸る声。

 迸る熱が右腕にたぎり、焼け付く激痛と共に眼前に走る炎閃。一閃は渦を巻き、瞬く間に俺の眼前を埋め尽くしてた。

 直後に咆哮――暴風と氷刃を伴うそれは、だけれど俺の火炎陣に灼かれて溶けて、無力に消える。

「おれたちも悪人じゃない。お前一人に任せるわけにも行かないんだよ」

「悪人じゃなけりゃバカか。俺たちゃ金のために動いてんだろ? 同じ傭兵だっつったって組んでるわけでもない、俺が出来るってんだから任せときゃいいんだ。死んだって恨むわけでもない」

「正義気取ってるわけでも抜けてもねーよ。頼って良いって言ってんだから――」

「言っても分からねえようだからはっきり言うが」

 こんな所で死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。

 金のために働くのは確かだけれど、無意味な戦いで命を落とすなんてことがあっていいわけじゃない。

 そんな感傷に浸れてしまうのは、ついこの間過去を見てしまったお陰なのだろう。

「お前らみたいな雑魚はマジ邪魔……ぁ?」

 振り返って。

 睨みつけて。

 俺へと向かってくる人影を認めて。

 それは、呆気にとられる俺の腕に抱きついてきて。

「ヒィ! 生きてたの!?」

 甘い香りがする桃色の髪。長く、それは後頭部で一括りにされていて。

 相変わらずな革製の、露出度の高い拘束具のような格好。分厚い毛皮の外套は、この前の冬に流行していた高級品だ。

 もっとも忌々しい過去。爛れた人間関係を魅せつけられた原因たる女。

「このクソアマ! まだ生きてたのか?!」

 そろそろ性病にかかって死んでしまっても不思議ではないのだ。

 五人中四人の男たちと関係を持って、パーティ崩壊へと導いた悪女。

 見てくれこそライアやウィズに負けない最高峰の美女だが、その薄い紅玉のような瞳は魔性にも程があった。

「なによ、変わってないわね。さっすがこの私になびかなかった男! 見てたわよ、相変わらず強すぎよねえ」

 炎を消して、女を振り払う。

 氷結竜は立ち上がって、翼をひろげていた。

「くそ、失せろ売女! 二度と俺に近づくな!」

「もう、酷いじゃないのよ」

「大体、他の連中はどうした。比喩抜きで骨までしゃぶっちまったか?」

「さっき、スノウマンにやられたわよ。見てたでしょう? まったく、強いって言うから一緒に組んだのに、避けられすらしないって馬の骨以下よね」

「金に目が眩んでここまで来るとは、ご苦労なこったな」

「それはあんたも同じでしょう?」

 羽ばたきが地表に積もる分厚い雪を全て払いのけ、竜が飛翔。

 女は咄嗟に両腰から短剣を抜き、

「だから、邪魔だって言ってんだろうが!」

 片手を頭上に突き出し、周囲に薄膜が展開するイメージ。途端に手掌から爆発する熱が煙を上げて、半球状の炎を広げて俺たちを覆っていく。

 定員二名。

 飛翔して素早く肉薄し、頭上を過ぎる竜の息吹が、氷柱を吐き出して俺たちへと襲いかかった。

 されど俺たちには暴風すら干渉できず。

 風に吹き飛ばされた傭兵たちは、その無防備なところへ氷柱を落とされて、全身を、あるいは急所に穴を開けて、

「クソが、糞野郎がッ!」

 半数が脱落する。背後で、白銀の世界が深紅に染め上げられていく。

 呻きも、悲鳴も、うごめく影も、動かぬ肢体も、全てが俺を一つの感情へと導いた。

 竜は既に背後で旋回し、再び俺たち――否、俺へと目指し。

 半球状の炎を消失させた。

「ちょ、何をするつもりなの? あんた、いくらなんでも竜より強いなんて思ってるんじゃ……」

「どうでもいい。今ので味を占められたらこっちも困るんでな」

「はあ? 別に人間を食べたわけじゃ……」

「食われる方がまだマシだ。ナメられるよりな」

 何が竜族だ。

 希少種だからと尊重して損をした。バカを見るのは、いつでも抗えない連中だ。

 もっとも、氷結竜の巣をつついたのは俺たちだ。

 だからより人間らしく、わかりやすく争うだけだ。そして――もし出てくるならば、恐らく氷結竜を常に警戒態勢を張らせた張本人を叩きのめす。

 わかりやすくていい。実に良い。

「行儀よく舐めてんじゃねえぞ、トカゲがあッ!!」

 眼前に円を描き。

 その中に図形、文字、指先でそれをなぞるように記す。

 イメージや精霊による力の付与など要らぬ術――俺はそれを行使した。

 陣は描き切った直後に輝き、大口を開ける竜へと一直線に道を作った。一定間隔で連続する。全く同じ形状の陣。

 炎や水、風や土なんて属性に類さない無の力。爆発や噴火による炎や熱のそれではなく、その勢いや衝撃の体現。

 それが、放出した。

 吹雪の中だからこそ、その不可視の力が空間を飲む純白の闇を突きぬけていくのが分かる。だから、気配すら感じさせない力は、幾重にも陣を貫いて勢いを増して加速しても、竜は気付けない。

 さらに発動から直撃までの時間は殆ど一瞬で。

 口腔内から上顎を撃ちあげられた竜は、そのまま頭上へと円の奇蹟を描いて半回転して、バランスを崩す。咆哮にすらならない悲鳴と共に竜は、緩慢な動作で地面へと叩きつけられた。

 どすん、と大地が響き、揺れ、背後の女が思わず尻もちをつく。

 そうして――空を突き破って再び落ちてくる一閃を、アイスノースマウンテンの方向から強く感じていた。

「遅えんだよ、スミス!」

 振り返れば、再び地上に突き刺さる強い衝撃。

 女は怯えた様子はないものの、現状に対する理解が追いつかないように俺と、その落ちてきたものへと視線を動かしていた。

 俺は死なない。だけれど、だからこそ、他者を癒すことが出来ない。

 だから、これ以上の死者は許さない。この生命を以て――と言えば、意味は少し軽くなってしまうだろうか。

 死者へ償わないのだから赦して欲しい。

 俺の力は、今在る者を守るためだけに使うのだから。

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