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第一話 契約の代償

「あれ?」

 彼女は疑問を漏らした。

 指を鳴らして、首を傾げ、また指を鳴らして――何も出てこない。

 昨夜の十万ジルをはたいて新しい剣と上等な宿を手に入れた俺には、一銭もない。だけど目の前の悪魔さんがこれから溺れるほどの大金を用意してくれるらしい。

「……ヒィ・クライト……さん?」

 悪魔さんは恐る恐る声をかける。

 あざとく上目遣いだが、その呼びかけが、瞬時にして現実逃避したくなる俺の動きを捕らえて離さない。

 いやだ、「あれ?」でなんとなく察してたけど聞きたくない!

「な、なんです、か?」

「悪魔がね、契約の際に契約者に与えるのは、超自然現象みたいなものなの。超能力って言えばわかりやすい?」

「なんかわかんないけど、すごい不自然な力ってわけですね」

「そう。精霊だとか、それでは説明がつかない魔法的な力……それが、契約者に力なり富なり、与えるんだけど――あなたが、初めてだったわけよ、だからね、あたしはそう、あの……あまり、そこに詳しくなくてね」

 窓から差し込む陽の光は温かい。

 宿とは思えぬ大型の暖炉が、部屋には備えられていた。村長の家よろしくパチパチと炭が弾ける音が、静寂の中でよく響く。

 部屋が温かいからか、全身から汗が噴き出た。

 今では並ぶ二つの大きな寝台が恨めしい。

「昨夜の、十万ジルで……契約、履行されちゃったみたい」

「――ぶ、武器と旅の準備で六万使っちゃった……」

 無駄な装飾を施す鉄鞘に、宝玉を埋め込む柄。刃は透き通るように鋭く冴え、どこかの名匠による逸品らしい。

「ここの宿代、三食付きで一日いくらだったかしら?」

「い、一万五千……二人だから、三万かかりました」

「あう」

 彼女は何かにあてられたようにそのまま膝から崩れ落ち、膝を折って座り込む。

 上肢を前かがみにして、両手を床に置いて、その間に頭を折りたたんで床に額を床に擦り付けた。

「も、申し訳ございません! あ、あたしの不手際で……その、結局振り出しに」

「おい、やめてくれよ。本当だったら現時点で一食もありつけなかったんだから、振り出しってこともないだろ」

「し、しかし本当に申し訳なくて……ぬ、ぬか喜びを、させて、しまって……」

「だから、もういいって。旅立つものがなにもないけど、元々そうだったし」

 遠まわしな嫌味はもう性格的なものだから許してもらいたいけれど。

「うう……でも、あたしのぷ、プライドが」

「……お前結局そこなのな」

 まあ悪魔っていうくらいだし。

 でもなんだか、美女がここまでへつらって見せる謝罪は、どうにもこちらが悪いのではないかという罪悪感を植え付ける。

 これってもしかして、洗脳? いやいや、んな馬鹿げた話があるわけない。あってたまるか。

「いいから、顔上げてくれ! どのみち、現時点で俺なんの損もしてないし。むしろ、こんないいとこに泊めてもらって、感謝したいくらいだ」

 ――悪魔の契約。

 聞きしに及べば、本来は魂を差し出すシロモノだ。だから、そもそも”ただ着いてくる”という点が不自然だった。違和感を覚えずには居られなかった――今となっては。

 目先の金にやられたのだ。いっぱい毒でも喰らったような気分である。

 まあまあ、だけど今更になって責めるわけもなく。

 そもそも起こってないから責める理由もないし、問い詰めるほど彼女に責任はなく、だから彼女の懺悔の姿勢に、何度も何度も申し訳無くなってくる。

 その分、だ。

 もしかすると、その謝罪を受けるに然るべき事態が待ち受けているのではないかと思った。

 涙目になって、悪魔がようやく顔を上げる。

「く、クライトさん……」

「その謝罪に何か含むところは?」

「明らかに見返りが見合っていない事以外にはないです」

 凛、と告げる彼女の言葉には自信があふれている。

 いやまあ、十万っていう報酬も相当だけど、それに見合わない仕事ってなんだろう。

 確かに凶暴化したドラゴンの討伐は徒党を組んで一人頭五十万だけども。もしかしてそれ以上? いや、まさか。

「まさかな」

「そのまさか、と言ったら?」

 ふふん、と鼻を鳴らす。

 立ち上がり、彼女は寝台に腰を落とした。先ほどの謙虚にして殊勝で腰の低い彼女はもう居ない。

「実はね。悪魔っていうのは種族なのよ。あたしはね、禁忌を侵して追放されたのよ……いや、逃げてきたっていうのが、正しいのかしらね」

「なんで偉そうなんだ?」

「追われてるのよ。悪魔に」

「あくまで?」

「そう、悪魔が」

「……禁忌って?」

「――身内殺し」

 冷えきり、さながら抜き身の刃の如く鋭い視線が、俺を切り裂く。

 そしてそれ以上に、人間たちでも禁忌たるその行為の露呈に、空気が張り詰める。先ほどの謝罪とは打って変わった冷酷にも似た彼女の放つ雰囲気に、俺は飲まれていた。

「親を殺したのよ。殺されかけたからね……正確には、殺されるかも知れなかったから」

「それで、俺と契約した意味は?」

「悪魔は、契約を交わすことでその個体本来の術を扱えるようになるのよ。本当なら身内同士、同種で契を交わすんだけどね」

「当分、行動を共にするって」

 まさか。

 いや、

「まさかな」

「連中が諦めるまでってことになるわね」

「俺は、戦わないぞ?」

「ちなみに契約者が死ぬことで、契約が終了するから。連中にとって一番簡単にあたしを捕まえる方法が、契約者の殺害ね」

「……お強いんですよね」

「追っ手はたぶんね。あたしは……まあ、お察しですよ……」

 語尾に元気がなくなってくる。

 先ほどの冷酷無比な態度が嘘のようだ。

 なんてわかりやすい。そしてあまりわかりたくなかった事実。

 俺はゆっくりと無人の寝台に横になると、そのまま布団の中に潜り込んだ。柔らかなマットレスが俺の体重を全て吸収してくれるようだ。身体が沈む。どこまでも沈んでいくようで、意識が、地の底へと落ちていくのがよく分かった。

 やっぱり現実逃避には睡眠が一番――思っている内に、掛け布団が引っペがされた。

 いや、めくられた。そしてよく冷えた身体が、俺の身体に擦り寄ってくる。仰向けに寝ている俺の右腕を、体全体で抱きしめていた。

「……あたしが差し出せるのは、もうこの身一つしかないんだよ」

「とても素敵な提案ですけど、ちょっと契約反故にできませんかね」

 さすがに肉欲より命が惜しい。

 これでは元気になるものもならない。すっかり意気消チンしてるのがよく分かる。

 天井の木目を眺めていると、耳元に息が吹きかけられた。

「あふ」

「無理ね。というか、出来たとしても知らないし」

「……あれ、これって悪魔さんを囮にして逃げればいいんじゃないかな?」

「……そ、それ、独り言よね?」

「…………」

「ちょ、いや本当にお願いします。何でもしますから」

 紫色が視界を埋め尽くす。

 艶やかな吐息が総毛立たせる。

 絹糸のような髪が、柔らかで、弾力のある総身が俺のおよそ全てを刺激する。

 なんて卑怯な。俺が成金だったら十万ジルを贈呈するレベルだぞこれ。

 俺は柔らかく彼女の動きを制して、さりげなく胸を押しながら距離を取る。寝台から降りて立ち上がった時、彼女はニヤニヤと俺を見ていた。

 くそう、俺の三大欲求め。特に色欲め。

「明日旅立つぞ。当分の間は、同じ場所に一日以上留まれないと考えたほうがいいかな」

 悪魔なんて種族、知ったの今日だからよくわかんないけど。

 少なくとも、軍隊に追われるよりマシ……だとは、考えたい。

 彼女は上肢を起こしたところで、髪を払って小さく頷く。長く艶やかな黒髪は、その大胆不敵な肢体を隠すほどには長かった。

「体力消耗は良くない」

 金は消費するほど、そもそも無い。

「じゃあ、いいの?」

 布団をひらひらして見せる。

 ううむ、さすが悪魔。貞操観念が根底から違う。いや、そもそも個人差のあるものなのだろうけれど。

「の、後々な」

 俺の初々しい答えに、彼女は頬を綻ばせて笑みを作った。

 まだまだ俺たちの戦いは始まる以前の問題だ。

 悪魔という見知らぬ聞きも知らぬ種族について、学ぶ必要があるだろう。


     ◇◇◇


 昼下がり、宿の昼食を貰ってから、ひとまず地図を広げた。

 今のところ、無闇に外に出る事は避けたい。あの最北の大都市『ノースノウ』を見まわってみたいのは山々だが、そんな余裕が無いのが現状だ。

 実感はないけど。

「悪魔って、どこらへんに居るんだ?」

 世界を占める四大大陸。極東には決して無視できぬ勢力と技術を誇った黄金の島国。その他諸々が並ぶ地図を見て、彼女は唸った。

「特定の地域には居ないのよね。世界全土に生息してて、それぞれ適応してる感じ。外見的特徴だって特定ってわけでもないし」

「人間みたいだな」

「まあ、その上位種的な感じだからねえ」

「せ、精霊術とか使わないよな?」

「どうだろう。人によるって感じかしら。人間だってそうでしょう?」

「あー、そうか」

 まあ使ったって使わなくたって問題は無いんだ。

 むしろ、共通点がある分戦いやすくなる。

 いや、そもそも――。

 俺が提案する。寝台で、隣に腰を落とした彼女は首を傾げて地図から顔を上げた。

「ひとまず別れて行動しないか?」

 まず一緒に行動もしたこと無いのだけれど、むしろ分かれたほうが効率がいいのかもしれない。

「……馬鹿も休み休み言いなさい。話し聞いてた?」

「……ふう。いや、だから――相手の脅威がどれほどか分からんし。あんたにとっての嵐が、俺にとっての夕立かもしれないしさ」

 そもそも、敵に彼女が誰かと契約したと知られている可能性は……わからないが、低いと思う。

 その契約の際に発生する超能力や、契約を機に解放される個人の戦闘能力が飽くまで個人に寄るものならば、第三者に知る機会などあるわけがない。

 もっとも、同類が接近して、気配やら何やらで気づく可能性があるが――少なくとも現時点で、少なくとも見つかっていないこの状況で、その追っ手とやらに俺の存在は完全に知られていない。

「囮になれって?」

「見られたら死ぬとか言うレベルじゃないなら、応援に行くよ」

 彼女自身、今回の契約が初めてということだから、彼女の力自体がまだ不明だし。もしかすれば、彼女はとんでもなく強いのかもしれないし。

 まあ、これで本当に俺も彼女も太刀打ち出来ないレベルの強さなら……。

 あんまり考えたくないな。

「あんたは北の方から飛んできたよね」

 ということは、この世界地図で唯一北に位置するこの大大陸の一番上に山岳地帯か、それを越えて海に点在する孤島から飛び立ってきたのだろう。

 彼女の答えを促すと、小さく頷いてから、その鋭く長い黒い爪を地図に直接這わせてみせた。予想通り、指先は最北の名も無き禿山を越えて海に落ちた。

 波の流れ、そして気温などの環境、操船技術などの面で到達が困難な北の孤島群。そこから離れ、さらに地図の端に追いやられる西北西の、白い領域。海が凍てつき凍りついた地域まで、指先は流れて動き、ようやく停止した。

「ここ。最極北ね」

「……生物って強いね」

 どんな偉い学者に聞いても、生物の生存を全否定したある意味での死地。

 実際、測量に行って出来上がった地図なのだから、そこで確認も出来たのだろうが――その時は不在だったのかもしれない。あるいは、その時点ではまだ居なかったか。

「ちなみに、どれくらいかかった?」

「飛べば、一日半ってところかしら。まあ、連中があたしの後を追ってきたとしても、今夜辺りに村に着くのがやっとじゃないの?」

 猶予は半日以上。

 できれば少し稼いでから動きたかったけど――。

 何か、引っかかる。というか、不安になる。

 空から見れば、やはり一番最初に見える大陸に手がかりを得ようと思って敵は降りてくるだろう。

 そしてその大陸で一番最初に見つけるのは、やはり昨日の村かもしれない。

「あんたは、最極北からまっすぐここに来たんじゃないのか?」

「違うわよ。まずは西の大大陸寄ってみて、目ぼしいのが居なかったから、撹乱しながら遠回りしてこっち来たのよ。それで、あなたに出会ったってわけ」

「それは光栄――だけど、その西の大陸で、追っ手の気配は?」

「まったく、ちっとも。だけど、こっちに来た途端プンプンよ。正直内心すごい焦ってるけど」

 嫌な予感がする。

 首筋から流れた冷や汗が、背中をつうっと伝って濡らした。

「悪魔って、モンスター操ったり、しないよね」

「できるのも居るわよ?」

「本来生息しない地域に、居るはずのないモンスターが居た場合って、何かの指示で何かを探ってる可能性は?」

「なきにしもあらず……っていうか、高いかもしれないわね」

「あんた、どれくらい逃亡生活続けてんの?」

 なによう、と彼女は微笑んで改めて俺を見る。

「興味津々じゃない。そうねえ、もう一ヶ月くらいになるかしら」

 ――最寄りの大陸を探るのは必定。可能性が低いとしても、居るという可能性がある以上探索は確定する。

 鼻が利く狼は便利だろう。

 俺がこのノースノウで見つけた依頼の日付は、およそ今から一月前だった。

「マジかよ……」

 うんざりする。

 だけど、俺がこれから”しなければならない”って勝手に考えている義務感のほうが、よっぽどうんざりするだろう。

 俺は折り目に従って地図を折って、足元のバッグに押し込んだ。

「あら、指針決まったの?」

 くりくりと瞳を動かして、俺の動きを注視する。

 大人っぽい体つきにして、艶やかな顔造り。”大人っぽい”と考えれば、俺と同年代かそれ前後だろう彼女は、まだ俺の考えを察していない。

 というか、彼女は知らない。

 どうして俺が金欠なのか。

 どうしてわざわざ、怪しすぎる報酬の高さを誇る依頼を受け続けているのか。そういったのが地雷だというのは、もはや傭兵の中では常識なのに。

 俺は愚かにして極めて偽善的。自覚している分、まだカスだとかクズだとかは言われたくない。

「ああ、行くところは決まったよ」

 まだ夕食が残ってる。

 だけど、食べている時間はない。

 杞憂で終わればいいんだけど――。

 買ったばかりの毛皮の外套を彼女に投げ渡して、俺は布のそれを羽織る。

 携帯食料や地図、磁針などが詰まったバッグを肩に提げて、ベルトを締める。そこに、真新しい剣を備えた。

「どこ行くの?」

 遠慮無く、寒さを凌ぐための外套を着る。真っ白なソレは、さらに小洒落たように赤の刺繍を施す。やはり、男が着るよりは女の子が着たほうが似合っていた。それに、あの刺激的な鎧姿も紫色の肌も隠せるからちょうどいい。

「ひとまず北を目指そうか」

 詳しく言えば来た道を戻ろうか。

 おそらく拒絶されるだろう事を言えば、一度村に戻ろうか。

 追っ手が来るかもしれない村に。

 ――あの十万ジルで旅の準備が出来た分だけ、本当に良かった。

 そう思いながら、呆然とする彼女の手を引いて宿屋を後にした。

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