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4:十年前

 地図から消えた村に、俺はまだ住んでいた。

 十歳になった俺は、だけれどもう一人というわけではなくて。

「師匠、食事の準備できました」

 村の跡地から少しだけ離れた草原に建つ簡易な一軒家は、俺が半年かけて作ったもので。

 その外で鎮座する自作のカマドは、石を並べて囲んで居るだけの、簡素なもので。だけれど、その上で煮えたぎる鍋は、しっかりとした料理だった。隣の網には、程よく焼けた肉が二枚。味付けは簡単に塩コショウだけだけれど、美味しいには違いない。

 俺が呼べば、師匠が出てくる。

 扉一枚隔てても、素人が作ったそれの防音性なんて期待できない。ただ雨風さえ防げれば、それで十分だった。

 別に一生を暮らすわけでもないんだ。あと五年も保てば上等だけれど、俺はあと五年もここに留まるつもりはなかった。

「今日はなにかしらぁ?」

 間延びした声と共に現れるのは、俺の師匠であり、かつてセイジの師でもあった女性。

 男にも劣らぬ長身と、目を見張るメリハリのある艶やかな色気のある肢体を持つ彼女は、色っぽく解いた金髪を胸の前に流していた。

 五年前。彼女は事態を聞きつけて、ここまで駆けつけてくれた。そこで俺を発見したのだけれど、彼女も彼女で例の盗賊に追われていたらしく、住居を失ってしまったらしい。

 師匠はセイジの代わりとして俺に生きる術と精霊術を教えてくれる。その代償として、衣食住を賄うことになった。

「ガロウサギのステーキと、その肉を使ったシチューです。ついでに町で買ってきた野菜がこれで最後になります」

「獰猛なのによくやるわねぇ」

「これも訓練みたいなものですから」

 ――彼女は村を訪れた時、盗賊が盗み出した殆どの貴金属や宝石を現金化して俺に託してくれた。だけれど一つだけ彼女が手にしたままだったのは、一振りの剣だった。

 師匠曰く、遥か昔に居た未だ伝説と謳われる工匠による逸品だという話だったが、その何の変哲もない黒の鉄鞘に、無骨な白刃は確かに大振りで丈夫そうだったけれど、何か特別な感じはわからなかった。

 でも、あんな盗賊団が噂を聞きつけてここまでたどり着く程なのだから、相当なのだろう。

「あー、すっごいイイ香り。ねえヒィトリット、私の専属になるつもりない? 主に世話係として」

「ヒィですって。いや、有り難い話ですけど、ちょっと」


 ――ヒィトリットなんて名前は、もう名乗れない。

 俺はあの時、あの夜に死んだのだと自分自身に言い聞かせていた。そうしなければ、俺は未だに引きずって、振りきれないから――。

 というのは、師匠の提案だったのだけれど。

 そうして彼女は、冗談っぽくそう呼んでは、いつか俺がまたヒィトリットと名乗れるように、立ち直る手伝いをしてくれている。


 木製の皿にシチューをよそって、カマドの前のテーブルに並べる。彼女は既に、対面の席に腰を落ち着かせていた。

 さらに肉厚のステーキは、俺が生鮮品の保存手段をしらないがために、余すことなく料理した結果だった。

「どうして?」

「十五になったら傭兵の正規登録できる年齢になるんで、独り立ちしますから」

 非正規雇用の登録条件は、ただ満十五歳という下限のみであり、種族によって寿命が異なるために上限は存在しない。

 セイジも、だから五年前にようやく傭兵を志したのだ。

「そんな寂しい事言わないでよ。セイジも死んじゃって、もう私独りなのよ?」

 俺もやっと席に座って、スープを啜る。身体の中から温まっていく安心感が、俺を満たしてくれる。

「いやあ、だって師匠、おいくつでしたっけ?」

「もう、魔女に歳訊くのは禁句って教えたでしょう」

「魔女って、何基準なんですか? 人間ですよね?」

「魔女は魔女よ。魔女の里っていうのがあって、悪魔を使役したりするのよ。ちょっとだけ、人間を逸脱しちゃう感じかしらね」

「はぐらかさないでくださいよ」

「信じないのはヒィトリットの方でしょう」

「だって……」

 信じられるわけがなかった。

 身体的な特徴があるわけでもないし、言語だって人と同じで、服装はただの無防備な女性そのもの。肩から紐でぶら下げる袖の無い黒シャツに、短いスカートだけの格好は、さながら娼婦なのだから。

 ただ、精霊術は飛び抜けていた。知る由もない昔のことも、まるで見てきたように教えてくれるし、いつでも余裕に満ちるその姿は、大人の余裕と言うよりは年寄りによる経験の差に似ていた。


     ◇◇◇


「……今日も、いい天気だよ」

 墓地は、かつて村の中にあった敷地を拡大して増設した。数百人分の死体が一気に増えたからそれだけでも随分時間がかかったけれど、それで弔えるのならば俺は何でもするつもりだった。

 レイラ・ヴァージ、セイジ・クラフトと刻まれる二つの墓標の前で跪く。

 彼女らの墓参りは、毎週忘れずに行なっていた。恐らく、もう少しすれば当分の間はこれなくなるから。

 頭上の空は澄んだ蒼穹。燦々と照り返す太陽は、春だという事も忘れて、夏に近い鋭い日差しを放っていた。

「今日は森の方まで行って、ガロウサギを狩ってきたんだ。十匹に囲まれて噛まれまくったんだけど、ほら……傷ひとつ、残らないんだ」

 肉を噛み千切られたはずの右腕を見せる。そこには傷跡すらなく、綺麗に筋張った腕だけがあった。

「髪は、あの時の炎で色が抜けてさ。ほら、少しセイジに似てるだろ?」

 常に短めを保つ髪は、あの火焔に煽られたせいで茶けている。染める手段も知らないから、髪が伸びても炎で煽って、いつもこの色を維持していた。

「あの岩も、もう結構前に壊せるようになったんだよ。って、もう何百回も言ったよな」

「ちょっと怖いくらいの速度で成長してるしねえ」

 ぽん、と肩を叩いて、師匠は俺の隣に屈みこんだ。

 いつも、ちょっとだけ遅れて墓参りに来てくれる師匠は、いつもそうやって緩みそうな俺の涙腺を締め直してくれる。

 それから暫くの間、代わり映えのない報告をする。もう聞き飽きてしまっただろうけれど、それでも日々俺の成長は続いてしまう。

 声が上ずって、鼻の奥がつんと染みて。それを察して、師匠は強引に俺の手を掴んで握り締める。それだけで、少しずつ俺はいつもの俺を保てるようになった。

 ――日が暮れる。西日が差す。

 それが、墓参りの終了の合図だった。

「さて……ヒィ、今日は一人で眠れる?」

「いっ、いつも一人で寝てますよ! なんでいつも一緒に寝てるみたいな言い方なんですか」

「別に私達しか居ないんだから、照れることもないのに。勘違いする相手も居ないでしょう」

「勘違いする相手が一人しか居ないから、かえってタチが悪いんですよ!」

「ええっと……一人って?」

 俺か。

 彼女か。

 無論、この状況からして俺なのだけれど、自分の言葉や行いで自分を勘違いさせてしまうと説明するのも妙に恥ずかしくて。俺は師匠の手を振り払って、足早に小屋へと急いだ。


     ◇◇◇


「さて、と」

 寝台しかない小屋を抜けだした深夜。師匠の寝息を確認したけれど、多分彼女は俺が小屋から出ていったことに気づいているだろう。そして、俺が夜な夜なこんな事をしているのを見て見ぬふりをしているに違いない。

 彼女はだから悪戯っぽくて、意地悪で――とても優しい。俺がそう感じているのだけは、多分知らない。

 俺が来たのは、かつてセイジとレイラでいつも集まっていた原野。もう岩は壊してしまって存在しないけれど、もうお馴染みの練習場だった。

 ――毎晩、ここで夜明けまで精霊術の反復練習と、新たな精霊術の試験を行なっている。

 四大精霊の力を借りずに自分だけの力で安定した火力を保つことと、一つでも多く術を使えるようになることを目標にしていた。

「よし……灼けろ、業火槍ぉ!」

 前に突き出した右腕。そこから伸ばした人差し指から迸る火焔が、長く伸びて槍を形作り、成形した瞬間に撃ち放たれる。

 直後に眼前の大地を抉り、深い溝を長く作って――その溝の表面の土、周囲の草を全て灼き尽くして終える。轟音が地の底から響いて辺りに反響し、その余韻が全身を痺れさせた。

「ふう」

 そんな業火槍の形跡が、もうこの原野を原野たらしめない。溝は深くなっていく一方のはずだったけれど、同じ場所に当てられずに、無数の溝が眼前に広がっている光景になる。

「割かし良い感じだな」

 威力、発動速度、共に問題なし。相手が常人ならば、反応できるものではない。

 これで数を出せて、相手を囲んで遠隔操作できれば理想なのだけれど、そこまでは文句は言うまい。なにせ火焔ではなく爆発系統直下の進化型なのだから。サラマンダーの補助なしでこれほどまでの威力は、自分が行使した術だとわかっていても惚れ惚れする。

「でもなあ」

 情けないとは思う。だって、唯一何もかもを忘れられるのが、この精霊術の訓練中なんだから。

「ほら、よ――迅地っ!」

 徒手で虚空を逆袈裟で切り裂く。すると、足元から走る疾風が、大地を細く鋭く刻みながら斬撃となって飛んだ。

「おらよ!」

 さらに振り下ろす一閃は、空間に袈裟の斬撃を飛ばして、大地で風の刃を交差させた。

 もう一閃、一閃、一閃。刃は虚空を細切れにして、大地には放射状に広がるあまりにも細かすぎる傷が完成した。

「も一つオマケにぃっ!」

 指を鳴らせば、やはりその先から放出される光条。闇を切り裂く一筋の輝きが、その放射状の傷のど真ん中に炸裂して、景気よく派手に爆ぜた。

 稲妻の解放。この術は未だ練習中だが、それでもこうして狙いすませた的に直撃させる程度の事はできるようになった。

「はあー、少し休むか」

 術の連続使用は精神的に堪える。なにせ、精霊術はそもそも強く集中しなければならないのだ。それこそ、今のように夢中になれなければ難しいし、今の連続使用は夢中になれたからこそ出来たシロモノだ。

 となれば、やはりこの訓練自体を楽しいと思える俺には、素質があるのだろうか。

 その場に腰を落として、寝転がる。

 綺羅びやかな星空はいつ見ても綺麗で、半月は辺りを鮮やかに照らしてくれる。

 いつ見ても、どこで見ても代わり映えのしない夜空。多分、昼より夜の空のほうが、俺にとっては馴染み深いかもしれない。

 少しだけ。

「少し、休むか」

 少しだけ、眼を瞑ろうか。

 今日だけは、ゆっくり眠れるかもしれない。

 何も考えずに、久しぶりに、無感のまま、深淵へ落ちることが出来るかもしれない。


 ――あのまま終わっていればよかった。


 考える余地すらなかったのに。

 頭の隅にすらなかったのに。

 そんな、誰かの怨嗟にも似た言葉が、不意に俺の心に突き刺さった。

「くぅ――っ」

 眼が冴える。心臓が飛び跳ねる。

 居ても立ってもいられなくなって――身体を弾ませて立ち上がり、両手に火焔を孕ませて、

「ヒィ、落ち着いて」

 全てを灼き尽くして、またどうしようもなく疲弊してしまえば終わりだと思った時。

 背後からの抱擁が、俺の全てを拘束した。

 その気になれば振りほどく事のできる細腕も、背中に感じる暖かい熱も、だけれど俺は受け入れる術しか、彼女から教わっていなくて。

「……だから言ったじゃない。一人で、眠れないでしょう?」

 二人で眠るというのは、寝台で二人きりという事ではない。同じ空間で、距離が離れていても誰かがいるということは、俺が思っている以上に大きいようで。

 俺はそこで久しく、俺は誰かと居るという実感を思い出した。

「師匠……」

 頭一つ抜ける長身は、だからこそ抱き締められるというよりは、やはり抱擁の方が正しい。

 女性としての慕情よりは、母による愛情の方が正しい。

 だから安心して、安堵できた。

 ゆえに俺は、思考を放棄して彼女に身を預けることが出来た。

「帰りましょうか」

「……はい」


 俺の日々は、まだあの五年前から続いている。

 決して忘れることなど出来ない悪夢に、追われ続けながら。

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