2:十五年前 Ⅱ
「舐めた真似ェ、してんじゃねえぞクソどもがァ!」
手の中で渦巻いた業火を解放する。その刹那に弾けた火花が、目の前の男に触れた瞬間――爆発の余地などなく、男の全身が炎に包まれた。
苦しむ暇も、痛みを覚える時間さえも与えない。その外套に包まれた総身は瞬く間に……崩れ落ちない。灰にすらならない。
男は、その外套を剥いで姿を晒した。炎に焼かれる外套は、一秒の余地もなく灰になって居るはずなのに、延々と火を滾らせたままで。
無傷のその身は、やはり幾人やっても結果は同じだった。
数十に至る男たちは、村を囲んで剣を抜く。その身を隠せなくなった幾人かは、にやにやとした嫌らしい笑みを湛えたまま、セイジを眺めていた。
「優秀な術師様が居ると聞いてな、それなりに準備をさせてもらったよ。まさか、お前とは思わなかったがな」
どこか見覚えのある顔が告げた。
先頭に居るその男を見て、セイジが気づく。彼は確か、昼間に村への道を確認した男だった、と。
「テメエら、何のようだ。あの村には大して金目のもんなんか無えぞ」
「あるんだな、それが」
「ああ? そもそも、なんでテメエらが知ってんだ」
「確認してきたからだよ。何回も何回も、身の安全と確かな利益を求めるために足を運んで、執拗なまでの下調べをするのが俺らの信条でなあ」
指を鳴らす。
弾けた光条が男に触れるより早く、誰かの外套がその途中で接触して、激しい炸裂音を響かせた。眼前で稲妻が爆発し、だけれどやはり外套は焦げるだけで、相手は無傷のままだった。
「まさか、その術師サマがここまで優秀だとは思わなかったがな」
「むしろ村の連中が平和ボケしすぎてんだよ。あからさまに怪しい奴が居て、疑問にすら抱かねえとか馬鹿かあいつら」
「全くだ、だが遣り易かった。お陰でな」
「侮辱すんじゃねえ、ぶっ殺すぞクソどもが」
吐き捨てる先から放つ閃光。迸る炎とも稲妻とも付かぬ閃撃は、だが再び横合いから脱ぎ捨てられた外套が邪魔をして。
「――ッ?!」
しかしセイジほどの術者が学ばぬはずもなく。
外套は触れた瞬間に吹き飛ばされて、彼らはそこでようやく、肉薄するのが精霊術ではなくセイジ自身だということを認めた。
だからそこから、反応する暇など無かった。
「灼けろ、罪人ッ!」
炎を伴って迫り、紅蓮を纏って触れる魔の手。顔面を鷲掴みにする右手は、瞬時に男の全身を焼き尽くして枯れさせ、全ての水分を奪ってミイラへと変える。
それは僅か数瞬の事であり。
盗賊団とは異なり、防具を一つも身に付けぬセイジにとって敵との距離を詰めるということは自殺行為に等しいことだったのだが、彼がそうしなければならぬ理由は、ただひとつしか無かった。
盗賊たちから少し離れた所で、幾本か聳える木に隠れている俺たちと、視線が交錯したからだ。
――セイジが予想する最悪の事態であり、よりにもよってその事態が起こる可能性が一番高くなってしまった瞬間。
恐らく、彼が知らなければまだマシな方法があったかもしれない。もしかすると、単身で連中を追い返すことが出来たかもしれない。
だがセイジは俺を見つけてしまった。それが無自覚に焦りを生み、集中力を霧散させて、より確実に、そして最も実感でき、その代償として何よりも危険な対処法を実践させてしまう。
「失せろ、咎人ォッ!」
姿勢を崩しかけた身体を、そのまま回転させて這いつくばる。輝く瞳が残像を生み、空間に刻まれたその光の軌跡が火焔を孕んで膨張、全方位への大爆発を巻き起こした。
地が揺れ、音をかき消し、視界を埋め尽くす炎が、白煙が五感全てを飲み込んで……。
セイジは忘失していた。
己の最大の破壊力を持つ火焔すらも防げた外套を、まだ殆どの連中が身に着けていたことを。
そして、
「が……ッ?!」
相手が己の事を知っていた、という事実を。
「甘いな、甘い。わざわざこんな爆発……自殺行為にも程がある」
胸を突き抜ける白刃。
既に骨は砕け、心臓は弾け、言葉さえも失った。
「テメエ、ら……なぜ」
「お前のお師匠さんに訊いたんだよ。色々とな、ま……因果応報だ、お陰でこっちは、半分以上殺されてんだ」
セイジは動かない。
煙が晴れたそこで、未だに胸を剣で貫かれたまま、男を睨んでいた。
残る盗賊は未だ五十を超える。セイジを失って、村は彼らに対抗できるとは思えない。
「師匠を、どうした……!」
「ぶち殺して犯ってやろうかと思ったんだがな、逃げられたよ。弟子は弟子で、単身突っ込むような馬鹿で助かったが」
「貴様――」
手首をひねる。剣が、辛うじて形を留めていた心臓を、決定的なまでに破壊する。
口腔からあふれた鮮血が男を濡らし――剣を引き抜けば、受け身を取ることも出来ずにセイジは地面に叩きつけられた。
腹を蹴り飛ばされ、頭を蹴りあげられ、だがそれでも反応はなく……。
「おっ死んだか」
「あ……ア、ああっ、あああっ?!」
セイジを思っての悲鳴か、己の今後を悲観した絶叫か。
俺の喉から溢れる嗚咽に似た声に、最後尾の一人が気がついて振り返る。木陰から顔を覗かせていた俺たちに気がついた。
レイラが俺の腕を抱きしめて、
「ああぁぁぁぁッ!!」
誰か助けてくれと、俺は未だに縋ることしか考えられなくて。
手の中に握った、ただ一つのコルク球が消失した瞬間。
男の眼前で、甲高い破裂音が空間を引き裂き、その狭間から火花を弾きだした。
「ッ――糞ガキが!」
虚仮威しにすらならなかったそれは、だけれど、決して関わってはいけない連中に俺の存在を露呈させると共に、激昂を誘発する。
襲いかかろうと剣先を向けた男の肩を掴んで制止する者が一人。にわかに見えた希望は、
「俺たちは先に行ってるが、いいのか? 今回はこんなしけた村だから分前はナシで歩合制だぞ?」
「知らねえ、好きにしろ」
「ったく。まあいい、じゃあな」
内輪の軽口と共に、踏みにじられた。
視界に火花が散った。
精霊術の効果ではなく、顔面を拳で殴り飛ばされたからだ。
口の中に鉄の味が広がる。決して美味しくなど無い、二度と味わいたくないそれだった。
腹を蹴り飛ばされて、言葉も無く、男の喘ぐような荒い息遣いを聞きながら身体を動かす。だけれど、抵抗の余地もなく俺は腹ばいに組み伏せられて、右腕を後ろへと力いっぱい引かれて、
「うああああああ――――ッ!!」
ごきん、と鈍い音。感触。衝撃。激痛。
脳髄に走る電撃。見開いた目が、瞳が、ぐるん、とひっくり返って意識が暗転する――ならば、まだ良かった。俺は解放された身体をそのままに、動かぬ右腕に意識を注いだまま、何も考えられずに居た。
右腕が折れて、いや、折れたのは右腕だけではないけれど、決定的だったのはそこで。
それだけで、全身の力が入らなかった。声も出ずに、呼吸も曖昧。しっかりと息ができているか、自覚はない。
そんな男は、悲鳴を上げ、暴れまわるレイアに抱きついて俺の前にやってきた。
――嘘だ。
「い、いやっ! やだ、ヒィ、ヒィ! たすけて――いやあ!」
力任せに衣服を引きちぎられる。
――こんなの、嘘だ!
まだ春の夜は少しばかり肌寒い。だけれど、男の背後に見える村は、空を焦がすほどに明るく、赤く、燃えていた。
だから今は、汗が滲むほどに熱い。
胸の奥底に滾る判然としない何かも、恐らくそのひとつの要因だと思えて。
吸い込まれるほどの白い肢体がむき出しにされる。力任せに、手のひらで覆えるほどの胸部を揉みしだかれていた。
寸胴の身体が顕になる。男女の違いがその容姿と性器でしかわからぬほど未成熟な身体を、だけれど男は過呼吸なほどに息を荒げて愛撫して。
膨らんだ男根がレイラの頬に叩きつけられた。口腔内に押し込まれた。間もなく、白濁液が酷い臭いと共に周囲に飛び散った。
――村の方から絶叫が響く。
轟々と唸る火焔がそれを飲み込んだ。
目の前の少女は強姦されているという自覚もないまま酷い仕打ちをされていて。
慕った兄は殺され。
全身の骨を砕かれた俺は、殺されるまでもなく、全てを見届けさせられて。
頭がおかしくなりそうだった。
全ての常識から逸脱した、異常でしか無い世界。
俺が間違っているのか。どうしてこいつらは平気なんだ。
俺たちは、俺は、俺にとって世界の全てだったみんなを代償にして、何が出来るようになったんだ――。
レイラが挿される。
もはや、悲鳴は、轟音は、俺の認識する世界からは消え去っていて……。
「――来い」
視界が揺らぐ。
降雨のように、あるいは降雪のように降り注ぐ燐光の一つが、地に落ちて留まり、ぼうっと炎を上げる。
「来いよ、あいつらを、みんなの、かたきをっ! 来いよ、おれのところに……おれを、ダイショウにして!」
降り注ぐ燐光が、俺の右腕に集中する。地に落ちて力すら入らないそこに、突如として殺到した燐が腕を肩まで灼き尽くして――男の傍らに、深紅の肌を持つ影が現れた。
筋骨を隆々と猛らせる、腰に一枚だけの布を巻いた蛮人。燃える頭髪は揺れ、その肌は小さな鱗に覆われていた。
火の精霊――サラマンダー。
美しい女性とも、屈強な男性とも謳われていた四大精霊の一人。
『腕を貰おう。そして』
男に触れる。瞬時に、レイラを抱きしめていた男の総身が炭化した。
灼ける時間など無かった。焦げる暇さえ無かった。
行為に夢中になっていた男は、その中で焼け死んだ。解放されたレイラは地に落ちて、嗚咽を繰り返し、痙攣したまま、それ以上の反応を見せない。
『これで良いのだろう?』
――左腕が圧迫される。
そう認識した瞬間、俺の左腕に浮き出た血管が皮膚を破いて破裂した。灼熱に似た激痛を覚える最中で、今度はサラマンダーの傍らに蒼い影が出現する。
見惚れるほどに美しい肢体。それは性的な意味合いではなく、彫刻など美術的な観点からの美麗な要望だった。
水の精霊――ウンディーネ。
『ならあたしは血を貰おうかしら』
爆風が一陣抜ける。
ウンディーネの脇に、今度は淡い緑の輝きを放つ半透明な肢体。
姿は見えない。だけれど、なにより強い存在感が、サラマンダーより、少し悪戯っぽく笑むウンディーネより、己を主張するようにそこにあった。
『なら私は、今後の君の呼吸を貰おう』
凛とした女性の声。
風の精霊――シルフ。
そうして直後、傷つきもはや痛みすらも麻痺した肉体に――激痛が戻り、感覚が、指先まで鮮烈に甦る。
地表が乾き、亀裂が入る。そこからゆっくりと這い出す巨漢は、だけど大地を割ったり、その分の質量を消費することなく、地中から這い出て立ち上がった。
『ヌシら、この小僧を食い潰すつもりか? ただでさえ我らをただ一人でも呼べる逸材は減少しつつあると言うのに』
しわがれた声。
岩肌の茶けた総身は、サラマンダーよりも遥かに大きく、力強い。
土の精霊――ノーム。
『黙れ老いぼれ。ならば貴様は食わねばいいだろう』
『いや、喰らう。この小僧の”痛み”を全て……気づいておらぬのか。四精霊と呼ばれて久しい我らが、四名同時に呼び出されて、だがこの小僧は未だ生きておる』
『確かにねえ。逸材っちゃ、逸材なのかしら』
『だけどそれだけだろう? 彼が私らを扱えるかまでは定かじゃない』
四人の談義。
子供ゆえに純粋な想いが、限りない絶望と、己の犠牲を本気で考えて最大の代償を産んだ事も自覚できずに、俺はそれでも立ち上がった。
俺にはかの四大精霊が目の前に居るという実感はない。ただ、俺を助けてくれた恩人だという感覚だけは強くあった。
気が触れなかったのは、この現実にあまりにも現実感がなさすぎたから。
だから俺は、この悲惨な状況を真正面から受け止める術を知らないから受け流していた。それが功を奏したのかもしれないが、今でも思うことがある。
この時に死んでいれば、これ以上の苦労を背負う必要など無かったのだ、と。
『この許容量は随分と将来性がある。ヌシらが潰して良い小僧ではない、ただ我らが出会うのが、少々早すぎただけだ』
『ならどうするの? あたし、血を貰っただけでまだ何もしてないけど』
『私なんか今後の呼吸を貰うことになっちゃったけど』
『貴様らは便乗して出てきただけではないか! この程度の乱闘、我一人で十分と云うのに』
倒れるレイラへと、俺は服を脱いで彼女へかぶせる。
脈を測る。呼吸を見る。過呼吸で、酷く激しい脈拍だったけれど、死ぬほどではない……かもしれない。知識がない俺には、それがわからなかった。
「レイラ、もうだいじょうぶだからな……」
手を強く握る。ほんの少しだけ、握り返してくれる――気がした。表情が僅かに緩んだ、そんな気がした。
『ならば……わしが癒す。ヌシらは、相応の代償を小僧の身体から得る。如何かな』
『別に我は構わぬが』
『ええ、だけれど』
『彼の許可はいいの?』
『小僧が呼んだのだ。わしはヌシらの抑止力として働く。わしが小僧を生かし、わしも小僧の代償を喰らうためにな』
勝手に話が進んで、勝手に俺に取り憑く相談だ。
精霊って、一度呼び出したらその時だけ活躍して、それでお終いじゃなかったのか?
「まるで、ノロイだな」
ぽつりとつぶやく言葉に、ふと場が静まり返る。
顔を上げれば、四精霊が揃いも揃って俺を見下ろしていた。
『はッ、呪いか』
『ふふ』
『はは』
『くッ、確かに。だが有り難がるどころか、ここまで言われるとは』
それぞれが、苦笑なのか嘲笑なのかわからない笑いを零して、俺はそれを唖然と見上げる。
わけがわからない。
意味がわからない。
俺はここで殺されるのか、果たしてこの連中は力を貸してくれるのか。
『否』
誰かが言った。多分、サラマンダーだろう。
『我々は貴様の力を与える。その代わりに代償を喰らう。その力を扱うも捨てるも好きにしろ。だが貴様は、代償を以て我らの力を扱うのだ。そこだけはしかと理解しておけ』
もっとも、と補足するのは巨漢のノームだった。
『わしらほどの力を使うには、小僧はより精進しなければならぬがな。しかし――ここでわしらと逢ったとなれば……のう?』
視線を横に向ける。ウンディーネが頷いた。
『ええ。殆どの精霊がこの子の呼び出しに答えなくちゃあね。あたしらが出てきてるのに、彼らだって無視できるわけがないし』
『可哀想に。私らが出たばっかりに、彼は無数の精霊に食われるんだよ?』
「いいよ、ベツに」
悲壮感から、絶望感から口にした自棄ではない。
むしろそうでなければ足りないという、今のところはそれでいいという妥協点。
そうしてぶっきらぼうに吐き捨てるのは、いつまで同じ事を繰り返すのだという苛立ち。
俺はゆっくりと、村へと足を向ける。業火に飲まれて、もう入口付近にあった民家は見る影もなく崩れ落ちているそこを目指した。
「だったら、チカラをかしてよ」
『応』
声とともに、右腕に火焔が宿る。直後に指先がへし曲がって骨を砕き――砕けた先から、結合して治癒される。
なるほど、こういうことかと納得して。
「……おれはケイヤクしないけど、これからもチカラを貸してくれるのか?」
少しだけ心配だった事を口にする。
ここで用なしになってしまえば、彼らに見捨てられてしまえば、俺は再び無力になってしまうから。
『無論。むしろ貴様如きが契約などとおこがましい』
『そうよ。変な上下関係なんて要らないの』
『いや、そうじゃないでしょ。安定した供給の話じゃないの』
『ヌシらは呑気よのう。小僧は今後の話をしているというのに……確かに、契約など頼まれても願い下げだ』
「……そうか」
『む、勘違いしているな、貴様』
やっぱりムリか、なんて思いながらも。
この右腕に宿る炎があれば、少なくともあのクソッタレな盗賊だけは皆殺せると算段を立てながら歩く中で。
飄々と俺の進行方向へと、サラマンダーは立ち塞がった。
「……なんだよ」
『貴様が貴様を代償にし続ける限り、我らも食わねば生きて行けぬからな。力くらいは、いくらでも貸してやる』
「アタえてくれるのを、おれが使うんじゃないのか? カすってなると、おれ、返し方わからないし」
『……力くらいは与えてやる。だが痛みを伴う。貴様が他の代替を考えれば、我ら以外は扱えるだろうが、そのようなチャチなシロモノでは、我々は従えぬぞ』
やれ、サラマンダーも素直じゃない。
やれ、珍しく子供を慰めている。
やれ、だったら口調もやさしくしてやればいいのに――なんて言葉が、後ろからこそこそと聞こえてきて。
なんだ、精霊なんて仰々しくて厳々しい存在なのかと思っていたけれど、妙なまでに親近感が湧いてきた。
「いいよ。それじゃあ、よろしく」
『あ、ああ……』
そうしてやはり、俺の足は村へと向いた。
決して許せない。許せるわけがない。彼らが何をどうしようと、彼らが一人ひとり俺の前で命を断とうと、許しなどしない。
俺がこの手で。
一人ひとり。
焼き殺していかないと。




