1:十五年前
村から少し離れた草原で、俺たちはいつも集まっていた。
「ケイヤクはダメなんだろ?」
純粋な俺の質問が飛ぶ。もう十を超えたその疑問は、だけれど契約をしてみたいという心を表していた。もっとも、それを軽く受け流されているから十回も同じ言葉を放つことになっているのだけれど。
「駄目だしさせないよ、言ってるだろ。確かに信頼性は抜群だけど、お前複雑な詠唱か陣をいくつも覚えられる?」
ちゃらけた茶髪は、そもそも黒髪だったものを染めた色。女にも似たその細身は、少しだけ猫背で、それでも見上げるほどに背は高い。俺と十しか変わらない近所のお兄ちゃんは、そんな風貌で軽い男みたいだった。
「だ、だってさ」
「ほれ」
言葉を遮って、腕を横に伸ばす。それと共に指を鳴らせば、小気味よい音が遠くまで反響し――彼の少し先で、轟と唸る火焔が虚空に出現した。
俺程度なら容易く飲み込める爆炎。だがそれは、地を舐め草を灼くだけで即座に消滅する。
「四大精霊じゃなくても、この程度は簡単だし、すぐに出せる」
「ええっ、でも術を出すには、ダイショウが必要なんじゃないの?」
素っ頓狂な声と共に俺の忘れていた疑問を呈すのは、近所に住む女の子。
その透き通るような金髪が印象的な彼女は同年代で、物心ついた時からいつでも一緒だった。
男は得意げに笑い、俺たちに向き直る。頷きながらポケットから出すのは、小さな玉。それは幾つも取り出されて、遂には十を超える。
「俺の場合はこいつだ」
「なんだこれ」
「木を球状に加工したもんだな。火を出すための材料になるし、火と木のどちらにも近い位置にいけるから、術を行使するための代償として一般的なものでもある」
「でも、いちいち作るんでしょ?」
「まあな。俺の場合はうちの爺さんが伐採ついでにやってくれるわけだが」
「ジブンでやれよ。じーさん死んだら終わりだろ」
「ガキの癖に辛辣な事言うなって。爺さんっつっても、知ってるだろ? まだ死ぬような歳じゃねえって」
苦笑交じりに頭を掻くのは、痛いところを突かれた証拠。
そうしてまた『練習』が再開して、俺と幼馴染の女の子は、日々を過ごしていた。
何事も無く、決して不自由が無いというわけではないけれど、街から離れているわけではない平凡な村。
俺たちは、そんな平和が未来永劫続いていくものだと思っていた。
変調は、俺が物心ついて少しした頃。ちょっとだけ歳不相応のませた五歳、そしてその素質を近所のお兄ちゃんに見初められて、本格的に精霊術を学び始めた時。
「なあ、君たち」
記念すべき小規模な爆発が、目標にしていた岩の少し手前で成功したその瞬間に、背後から声をかけられた。
振り返れば、褪せた黄色の外套を着こむ男。その腰に備えている剣の存在だけで、旅人か、あるいは傭兵か、そのどちらかであるんは容易に判別ついた。
「ちょいと確認したい事があるんだが」
「ああ、村ならこのまま西に真っ直ぐ進んだ先ですよ。何分田舎なもんで宿は少し値が張りますが、また二日くらい歩いて進めば、それなりな町が……」
「ああ、いや。実はその村にちょっとした用事があって、場所を確認したかっただけなんだ。このまま進めばいいんだね?」
「ええ」
対応は、師であり唯一無二の友人でもある男『セイジ・クラフト』。
幼馴染の少女『レイラ・ヴァージ』は、少し怯えたように俺の背へ。俺も俺で、彼女にいいところが見せたくて、本当は怖いのを飲み込んで前に立ちはだかる。それでも、旅人がセイジより先に踏み込むことはないのだけれど。
「それでは、ありがとう。そちらのボクたちも、術の方を頑張って」
「お、おう」
そう返すのが精一杯で。
男はにこやかに笑って、背を向けた。
彼の背中がいよいよ小さくなり始めるところで、術が暴発しても効果範囲外だろうという判断から練習が再開する。
――意識を集中。
視界先、目標とする岩が爆ぜる想像を明確にする。
その為に、一番やりやすい方法は代償とするものがイメージ通りの破壊を起こす想像。
だから、右手の中に握るコルク球が炎を伴って岩へと飛来し、爆発するという具体像を思い描き。
加えて精霊の手が、その現象を起こす一因だと言う理屈を自然に理解、納得した上でそうなって当然の不可思議な現象が精霊のお陰で起こっているのだと把握して。
「いけえっ!」
手の中の柔らかい木が、徐々に感触を失っていく。
ゆっくり時間をかけてコルク球が消滅した後、またたっぷり時間を使ってようやく、ぼうっ、と音を立てた火焔が――いや、火焔と言うにはあまりにもささやかな灯火が、ロウソクに灯る火と同程度のしょぼい火が、眼前で発生した。
精霊術は成功した。
成功したのだけれど、威力と、発現速度はいまいちというよりは、まだ何も起こらなかったほうが希望も持てるという程度で。
「シッパイだあ」
「馬鹿言うんじゃねえよ」
セイジはそう言って、俺の頭を力任せに掴んだかと思えば、髪をぐしゃぐしゃにかき乱して笑いかけた。
「俺がガキの頃は使おうとすら思わなかった精霊術だぜ? お前マジに才能あるよ」
精霊術は使用するにあたって、その概念を認識していなければ使用が困難になる。だから子供の頃から扱っていれば、それなりの年齢でそれなりに使用できるのだけれど。
彼の言によれば、それにも素質の有無があると言う。
素質があれば大人になっても容易く扱える可能性もあるし、それが子供の頃からとなれば『練習』の効果は絶大だろう。
「ほ、ほんとうか?」
セイジの柄にもなく手放しでの絶賛に、俺はすっかり頬を紅潮させて真に受ける。
それからレイラの方はどうなったかと思って視線を向ければ、彼女も彼女で拍手で俺の精霊術の目に見えた成功と成長に応えていた。
まったく同時期に始めて、言うのも憚られるほど成果のない彼女だが、そこに悲壮感はなく、拗ねている様子も、それを隠している雰囲気すらない。
そもそも……彼女はどうして、俺と共に精霊術を学ぼうとしたんだっけ?
「ああ。後は反復練習が必要なくらいだな。他の術も同じ要領で、効果をイメージすればいい。まあ、複雑なものほど習得は難しいし、今んとこは今の爆発を繰り返して、あの岩が破壊できるくらい頑張ることだな」
「あ、あれを? どれくらいかかる?」
岩は俺が座って足が届かない程度には大きい。土に埋まっているから、その全長は俺の身長くらいだ。五歳児くらいの大きさの岩を破壊するくらいの爆発って。
「ま、割りと本気で人相手だと殺せるレベルだからな。お前が俺くらいになるまで続けてれば、いずれ出来るんじゃないか?」
「む、ムセキニンだぞ」
「そもそも、そこまで扱えるのも努力か才能が必要なんだぜ? ま、この様子じゃ両方備えそうなところが、また恐ろしいもんだが」
「そいや、どうしておれにここまで教えてくれるんだ?」
「ああ。まあ、そうだな……実を言うとな」
ごくり、と喉を鳴らす。
セイジの真面目な話は、極めて珍しい。精霊術についての話でさえ、へらへらとまるで冗談のように教えてくれた彼だからこそ、その神妙な顔つきには嫌な予感しかせず。
「俺、明日から村を暫く離れようと思ってるんだ」
「え、どうして」
「傭兵になるんだ。俺は村では終わらない、世界を見て回って、色々なことを学んで……ま、後の事はそれから考えるけどな」
傭兵は、なりたいと思って簡単になれるものではない。
近場の『派遣事務所』で非正規雇用としての正規登録をしなければ仕事を請け負えないし、丸一年なんの成果も仕事を一つも請け負わなければ登録情報は抹消される。
そしてこの村には、その事務所が存在しない。
傭兵になることは、やはりこの村を出ることしか意味していなかった。
だけれど、子供の頃の俺に彼が出ていくなんて実感はまったくなくて。
ただ、憧れの兄として、師として、唯一無二の親友として存在している男の夢を聞いて、やはり心底すごいと感心したばかりで。
何かを察したらしいレイラは、俺の袖をぎゅっと掴んでセイジを見上げる。
それを見て、セイジは俺だけが理解できていないのがわかって、苦笑した。
だから屈みこんで、レイラの頭を優しく撫でて見せて。
「レイラは頭がいいからな。お前はヒィに守ってもらって、後ろから支えるといい」
「……うん」
こくり、と頷くレイラを横目に見ながら、俺はむっとしながら割り込む。
実に子供らしく、そしてだからこそ未だにセイジから認められていないのだと誤解した要因について。
「ヒィトリットだって、いってるだろ!」
「なげーんだよ、ヒィで良いだろ。お前はそこだけ融通が利かずに食ってかかっからあんま呼びたくなかったんだよ」
「カッコイイだろ」
「ああ、格好いいな、最高だよ」
どこか、と言うよりは完全に投げやりにそう告げる。
だけど、単純な俺はそれだけで満足だった。
セイジはそう言いながら、草原が赤く染まり始めているのに気がついた。振り返れば、西の空が茜色に満たされている。前を見返せば、藍色の深みがそれを追いかけるように広がりだしていた。
「さて、帰るか。腹減ったろ?」
「うん!」
◇◇◇
夜も更けて。
どこからともなくフクロウの鳴き声が聞こえてくる不気味な草原で。
「レイラ、こわくないか?」
ぎゅっと握る手は汗ばんでいて。だけど俺たちは、始めて夜中に家を抜けだした興奮に煽られてそんな事も気にならないでいた。
「だいじょうぶ。ヒィは?」
「こっ、こわいわけないだろ!」
嘘だった。俺は誰よりも怖がりで、そもそも一人でトイレにすら行けなかった年頃だった。
だから夜中に抜け出すことなんてのは一大決心で、おそらくレイラが居なければ叶わぬことだったろう。
「でも、お兄さん明日の朝には出ちゃうんでしょ? 間に合うの?」
「わからない。だけど、やることやらなきゃ……ムリとか、ぜったいに言えないから」
出来る事も、精一杯に打ち込むこともせずに諦めることなど出来るわけがない。
それはセイジに信頼し、期待されていたからこそ動いた心だった。それほどまでに、俺は同じくセイジを信頼していた。
やがて到着するのは、夕方まで居た原野。
見上げる空には大きな月が辺りを、予想以上に明るく照らす。大人が近くによれば、直ぐに俺たちを見つけることが出来るほど見晴らしが良く、視界は鮮明だった。
「セイジからもらったのが十個あるから、それまでになんとか……」
なんとかしたいのは爆破の威力。
あと十年なんて待てるわけがない。明日の朝までに、セイジに心配させないような、期待通りのものを創りあげたい。彼が旅立つと聞いて、まずはじめに思ったのがそれだった。
「いくぞ……っ、レイラ、手」
握ったまま、離せと意識させても、彼女は強く握ったまま離さない。
「ごめんね。ちょっとだけ、こわいかも」
「そうか。それじゃ、しょうがないな」
だから、安心させるために俺から強く握り直す。それだけで、気が付けば腕に体ごと密着するほど、レイラは半歩分近づいた。
それを少しだけ、子供なりにドキドキしながらポケットからコルク球を取り出す。
意識を集中――理想的な爆発を思い描き。
精霊の手助けによってそれが起こることを強く意識して。
コルク球を代わりに、爆発を起こしてくれと願い。
――爆発。
セイジが鳴らした指よりも遥かに静かな爆発音が鳴り、火花が瞬いた。
コルク球が手の中から失せて数秒。発動時間の短縮には成功したが、待望の威力はむしろ下がっていた。
「まあ、まだ一回目だしな」
「うん。ヒィなら、できるよ。きっと」
「きっととか言うなよ、あしたの朝までなんだからな」
「あ、ご、ごめんね。でも、だいじょうぶだよ」
暫くして、爆発。爆発。爆発。
言われた通りの反復練習。およそ十分かけて三度起こったそれらは、だけれど威力を望めば時間が、時間を意識すれば威力が、それぞれ反比例して譲らず、期待通りの爆発を起こせない。
それでも続けて、何度でも練習して。
だけれど目に見えた成果は、俺にしてみれば優秀なのかもしれないけれど、背伸びにも程がある期待通りのそれはなくて。
早くも残り一つになったとき。
東の空が、にわかに明るんできたのを見て――。
「……っ!?」
地の底から湧き上がる轟音が遠くまで反響する。
思わず尻餅をついて、悲鳴をあげるレイラを抱き寄せて。
首を回して背後、暫く進んだ先にある村へと顔を向ければ、そこが妙なまでに明るくなってしまっているのが確認できた。
「な、あ……も、もえて……」
天高く弾ける豪炎。
渦を巻いて天空を舐める巨大な火柱は、村のはるか手前で全てを威圧して。
けたたましい悲鳴。鬨の声に似た叫び声が、聞いたこともない男たちのものだと気付かされた時。
俺はようやく、村に危機が訪れたことを悟った。だけれど、動けるはずもなく。
「ヒィ」
なぜだか、彼女は立ち上がれていて。わけもわからない俺とは違って、何かを理解できてしまっているようで。
腕を引かれて殆ど強制的に立ち上がらされた俺は、恐怖を滲ませたレイラに促されるままに、村へと向かった。




