5:追従
「悪魔って、何人ぐらい居るんだ……?」
粉々に折れた骨が元に戻り、破裂した心臓が拍動して全身に血を巡らせるようになったのは、空がにわかに明るんでからの事だった。
それまで仮死状態だった俺は、その場を動けないと判断して族長とライアの二人に見守られていたようで。
それからようやくウィズ宅に戻ったわけなんだけれど。
何やら、先ほどから族長の視線がちらちらと忙しないようで。
俺はひとまず、気にしない事にした。
「何十、何百よ。それこそエルフみたいに、いろんな大陸でいろんな里を作ってね」
「じゃあ、もしかすると?」
「やあね。戦闘が達者な連中しか来ないわよ。それでも数十だけれどね」
「――難儀だな、お前らも」
寝台の端に腰掛けて戸惑うウィズは、未だになぜ族長がこの場に居るか理解できていない。
だが、族長と共に俺たちの現状を聞かされて、その点ばかりは理解できているようだった。
「お前らじゃなくて、俺ですよ」
「まあまあ、そう言わなくたっていいじゃないのよ。あたしはいつだってあなたの味方じゃない」
「だからって……なあ?」
「いや、同意を求められても困るが」
なんてやり取りも板についてきて。
ようやく意識がはっきりしてきたのか、ウィズは重い腰を上げて族長の隣、本来の指定席の脇にやってきた。
「お、おはようございます……、皆さん、お疲れのようですね」
「ああ。話の通り、昨夜は大変だったわけだ」
「私としても里に被害を出すわけにはいかなかったからな。ついでにここに寄らせてもらって、暫く休憩だ」
「先生まで……なら、それほどお強い相手だったのですか?」
「ああ、強いも強い。昔、竜と出くわした話をしたことがあったろう? あれなど比べ物にならない強さだ」
そこまで俺を持ち上げてもらって、もちろん悪い気がしないわけではない。
だけれど、あまりに持ち上げすぎてどうにも居心地が悪くなって、続く族長の言葉に口を挟んだ。
「いやいや、族長。本当にあのレベルが脅威なら、その気になれば世界征服出来るってことですよ? 無名の傭兵な俺でさえ対抗できるんですから、少し買いかぶり過ぎってわけですよ」
「買いかぶり? どちらを」
「どっちもですよ」
困ったな。貶されるのに慣れるというのも参った話だが、しかし褒められるのもこれほどまで苦手だったとは。
これではまともな人間関係を築く事もできないかもしれない。それって全うな人としてどうなのよ?
照れ隠しに頭を掻いて、短く息を吐く。
そんな俺を見て、族長は呆れたように嘆息した。
「お前、いつもそんな感じなのか?」
「うっ、うるさいな。俺についてはほっといてくれたっていいじゃないですか?」
「いや、しかしだな――」
それでも食いつく族長をどうやって振り払おうかと頭を捻らせた時、手を叩く音が俺たちの会話を遮った。
「族長も、彼を気に入ったからってそんなに食いつかないの。ウィズが困っているじゃない」
「いや、別に私は……」
「それに、ここにあなたが居る理由は一つでしょう?」
「……そうだな」
改まって、族長はウィズへと身体を向ける。そうした途端、またウィズも恐縮したように背筋を伸ばして彼女へと向き直った。
「え、先生、私に何か話があるんですか?」
「ああ。実は、だな」
――告げる言葉。ウィズに伝えるのは、このまま彼女がこの場に留まっても不幸になる一方だということ。
そこで、族長である彼女自身が認めた俺へとついていくつもりはないか、という提案。
無論、そこで再度俺への確認が問われ、「ウィズにその気があるならば」と許可を出した。非常に辛く、下手すれば死ぬかもしれない旅路に挑む”その気”である。
途端にウィズの頬に朱が差したが……気にしない。まさか、たった一日ばかり止めた人間にそんな錯覚を持つはずなどない。常識的に考えれば、その誤解は直ぐに解ける。
だけれど、その反応に戸惑うように族長は俺を一瞥する。ライアは、にやにやしながら俺を眺めた。
「……なあに、別に無理するこたぁ無えんだよ。確かにここに居りゃ辛いことばかりかもしれないが、少なくとも死にゃしないだろうし、族長は一番深い所で味方してくれてる。わざわざ停滞を止める必要なんか――」
「行きます」
「ああ、そうだ。その方が――ぁ、あ? なんて?」
「私、クライトさん達についていきます。もちろん迷惑もかけません……そうした方が、両親も浮かばれると思いますし」
「ウィズ、知っていたのか?」
問うのは俺。
その事実を完璧に隠蔽しきっていたと確信していた族長は、既に言葉を失っていた。
「先生には申し訳ないんですけどね。知らないで居られませんよ……本当に私の事嫌いな皆さんが、教えて下さいますから」
「……申し訳なかった」
深く頭を下げ、椅子から降りて族長はその額を床に擦り付けた。
その様子を見て、ウィズは慌てて彼女を制止する。だが肩を掴んでも、止めてくれと言っても、族長の謝罪は中断されなかった。
「私が、不甲斐ないばかりに」
『茶番ね』
声が頭の中で、思考に乱入する。
思わず目頭が熱くなりそうな場面を急速に冷やしていく言葉。
視線がライアへと向く。彼女はただ、俺だけを見て告げた。
『だから甘いのよ。あなたも、どうしてわざわざ族長サマに援護して貰ったの? どうして本気を出さなかったの?』
絶え間なく、
「お前を……ウィズを、ここまで不自由ばかりの暮らしをさせてしまって」
『本当に強いやつ――スミスの時に、言いかけたわよね。あなたはその”本当に強いやつ”じゃないの? 手を抜いて、相手に認められて、身内の評価を高くして……あなたは、誰に、どう見て欲しいわけ?』
「そんな、私は……っ、先生に、いつも良くしてもらって感謝が尽きませんよ!」
『あなたは、どうしてこんなくだらない事に首を突っ込みつづけるのよ。それだけが、未だに理解できない』
「私はまだ、お前に何一つとして償えていない……」
言葉が。
『これほど愚の骨頂。あなたが手を差し伸べる価値すらない屑共の相手を、なぜ?』
侮蔑が、適切に俺の周りを責めて、俺の怒りを促して。
だけれどそれは明らかに見え見えすぎて。
彼女が俺の過去を知っていることも、それだけで良くわかってしまって。
「いいんですよ、私は。先生が居てくれて、それだけで」
『下に合わせる義務なんて、無いのよ』
蔑む視線を、睨み返して。
ライアがにわかに、その挑発に引っかかったと目を見開いて。
「悪いな、ライア。買いかぶりだよ、そりゃあ」
苦笑してみせれば、突如眉間に皺が寄り、頭に響く声が沈黙した。
そうして、呟きが聞こえたらしい二人は、少し驚いたように俺を見る。わざとらしく両手を上げて、踵を返した。
「積もる話もあるだろうし、何も急いで旅立つってわけでもない。予定が決まったら教えてくれ、俺は外に出てるから……なあ、ライア?」
「そうね。せっかくの二人の時間だもの、水を差すわけにはいかないわ」
そう言って、また慌てて頭を下げるウィズに見送られるまま、俺は静かにその場を辞した。
「……どうして、叱ってくれないのよ」
その血色の悪い紫の肌は陽の光に照って艶やかに映る。いつ見ても見事な豊満な胸は、その彼女のいかにも不機嫌そうな視線と相まってまた別の刺激を促した。
岩だらけの荒野。遠目に森を見ながら、少し家から離れた岩に腰を落とす。彼女はその隣で、片膝を立ててそれを抱いていた。
どこか憂いある視線は、俺を捉えない。その色気のある横顔は、だが自覚も無しに俺に見せつけていた。
「拗ねんなよ。追っ手はなんとかすっからよ」
「そう言う事言ってるわけじゃないのよ。あなたは、誰彼かまわず手を差し出しすぎる……」
「”そう”言ってんだろ。だがまあ――話す義務すらねえよ、あんたには」
「なっ、ど、どうして?」
珍しく、狼狽して俺を見る。琥珀の瞳が、俺だけを映す。
その真剣な眼差しを受けて、だが何も昂ぶらない。
「何も話さねえだろ、あんたも。だからだよ」
自身の正体。たかが親を殺しただけで、これほどまで大手を振って戦闘能力の高い、それこそ竜すらも一撃で屠ってしまうような悪魔が襲来するわけがない。
それに、彼女自身気づいているはずだろう、解放された固有能力の正体。
匂わせているだけで、恐らく知ってしまっただろう俺の過去は、だが彼女の口から、知ったとの報告はない。
今のところ判明しているのは、悪魔に追われていること、名前、顔、容姿……それくらいだろうか。
「ウィズくらい素直になってみたらどうなんだ? 今頃、本当の親子よろしく仲睦まじいんじゃねえかな」
「……彼女は関係無いでしょう?」
「別に、比喩みたいなもんで、ウィズになれって言ってる訳じゃねえよ。わかってるだろ、そんくらい」
「何焦ってるのよ」
「……俺をからかって楽しいか?」
「ふふっ、とても」
「そりゃようござんしたってんだ」
満面の笑みを浮かべて、岩肌に置く手の上に、優しく彼女は手を重ねた。
俺の、辟易したような横顔をじっと見つめて、俺はより一層うんざりしてため息をつく。
まったく、わけがわからない。本質がつかめない。なのに、だというのに、これほどまで近くに居るように感じる。肉体的な物理距離ではない、精神面の話だ。
「いつかは、話してくれるんだろ?」
だから一瞥して、そう切り出すことで雰囲気を変える。
飲まれるばかりでは何も変わらない。ただ良いように扱われるのは、そもそもそんなタチだけれど、甘受し続けるわけにはいかない。
俺の問いに、彼女はゆっくりと視線を外して、手を離した。
――少し離れたところで、がちゃり、と扉が開く。
背後を振り返れば、家の脇を回ってきたウィズが、その背に荷物を背負って手を振っていた。片手には俺のバッグと、鉄鞘に収まった剣。
「幸せものよ、あなたは。こんな綺麗どころ二人も捕まえてるんだから」
「ライア、あんたなあ」
ひょい、と岩から降りて、駆け足で彼女の元へと急ぐライアを見送りながら、俺は零さずには居られない息を大きく吐き捨てた。
より一層、磨きがかかって捉えどころがなくなってきた。
ただ俺を惑わせているのか、あるいは――やはりその本質に、虚構があるのか。
俺にはわからないし、決め付けることすら出来ない。無責任に人を測ることは、俺には出来ない。
「クライト、頼んだぞ」
彼女らの元へと向かえば、再び族長が深く頭を下げる。
俺はウィズから荷物を受け取り、腰の剣帯に剣を差して固定。荷物を肩に担ぎ、それから応えた。
「妙な虫が付かないよう、善処しますよ」
「もう付いていると思うんだが?」
「そんな節操の無い男に見えますか?」
「見えたら大切な教え子を託したりなどしないよ」
「ええ。それじゃあ」
埒が明かなそうなやりとりを打ち切って、俺たちは再び族長に別れの挨拶として頭を下げてから、背を向ける。
ウィズはどれだけ離れても彼女に手を振り続け、俺はその様子を横目に見て。
また妙に賑やかになってしまったこの目的もない旅路に、ただ俺はため息しか出せなかった。




