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4:固有能力

 そいつは沸き立つ大地に立っていた。

 ”沸き立つ”というのは比喩でもなんでもなく、事実、彼が踏みしめる大地は赤熱し、草木は燃えるより早く灰と化して存在せず、ふつふつと気泡をつくっては、破裂して空気が抜ける音を漏らす。

 大地はにわかに溶融していた。

 その族長の頭髪に負けんばかりの燃え盛る火焔の色に染まる肢体は、さながら甲冑に包まれているようだった。

「テメェか、ライアの契約者ってのはよォッ!」

 甲高い咆哮は、声が裏返るからだ。その周囲に伝播させる炎よろしく猛り狂う精神は、その悪魔が放つ言葉がどれほど落ち着いたものであっても、全てを叫びに変えている。

 その言葉に応えるように、俺は右の袖を肩まで上げる。手の甲から肘まで伸びる、さながら稲妻のような品の無い、センスもない一閃は、だがそれだけで相手を納得させた。

「名はなんだァ?」

「ヒィ・クライト」

 素直に答えたのは、理屈が通用しなさそうだから。

 だから相手を受け入れてから、返す。今にはそれが手堅く、そして重要に思えたから。

「あんたは?」

「ブロウ」

 あのテンションの高さとは裏腹な醒めた返答に、俺は嫌な気配が背後から忍び寄ってくるのを感じる。

 馬鹿みたいに暴れまわっていれば隙を抜く余地などあって余りある。だが、もしその興奮だと思っていたものが持ち前の性格だったら?

 思考停止してただ暴れまわるだけのバケモノだったらまだしも、こと戦闘に於いては冷静を以て全てを正しく対処してしまうならば?

 相手は格上。精霊術は心許なく、武器は手元に存在しない。

「どうした、ビビったかァ?」

「んなわけねえだろ、目え腐ってんじゃねえのか」

「なら行くぞ」

「来いよ、いくらでも相手してやる」

 一歩だけ前に出て、族長を背後に追いやる。視線で「様子を伺っていてください」と告げれば、彼女は聡く察して頷いた。


 恐ろしいことに、その拳圧は一度振るっただけで火焔を巻き起こしていた。

 それは二次元的に機動する火柱。つまり――突き出した拳が穿つ虚空は一直線に炎に塗り替えられて、噴出する業火が俺に向かって放たれたのだ。

 風ならば食いつくされる。

 水はそもそも存在しない。

 土は沸騰するほど焼け焦げて。

 だから俺が選び頼るのは、何よりも猛り狂う同種の力。

「火焔陣!」

 ブロウの周囲で舞い散る燐が、俺の突き出した手のひらの中に集中し、膨張。とぐろを巻く程に凄まじい火焔へと膨れ上がったそれが眼前で留まり、

「あ……つッ!!」

 炎を受け止めた。その衝撃が、まるで前方から背後に向けて重力が移り変わったかのように総身に乗りかかり、吹き飛ばす。

 盾なんて飾りで、その本質は炎を防ぐことでしかなかった。俺の肉体はいとも容易く火焔陣と共に背後へと滑空し――。

 直ぐ脇に、吹き飛ぶ俺に並走する深紅の姿を認めた、刹那。

 頬の端まで切れ目が入った口から、ひどくおぞましい程に鋭い牙が覗いた。

「終わぶっ?!」

 一度だけ、俺を圧し続ける衝撃を耐える。一瞬だけ地面を踏み込んで、方向転換する。だから俺の拳は固く握られたまま、およそブロウが想像にもしない拳撃を放っていた。

 拳が炸裂した顔面の感触は、さながら鋼鉄。

 だが言葉を閉ざしたまま、その予想だにしない攻撃を受けて足をもつれさせたブロウは、すっ転んで地面に全身をすりおろしながら俺の視界から消えていく。同時に、俺を吹き飛ばしていた炎も突如霧散した。

 俺も俺で、突然前方からの力の喪失にバランスを崩して、盛大に地面に叩きつけられ、人形のように回転しながら平原をそのまま暫く進むことになったのだが。

 ――学んだ事は一つ。

 火焔は極力避けた方がいい、という事だ。

「テメェ、いいもん持って……ぁ、あ?」

「吹っ飛べ、業火槍!」

 燐光が再び膨張して棒状の形に変化する。それがブロウを取り囲むように数十、数百と展開した瞬間。彼はようやくその事態を理解し、飲み込み。

 動くよりも早く。そいつは俺の意思と共にブロウへと殺到した。

 まず一本目の槍が触れ、爆発。しかし他のそれらが誘発されることはなく、決して一秒以上の間を開けること無く業火槍は炸裂し続け、その爆発の規模だけを大きく広げる。

 半球状に弾ける火焔が白く、熱く、大地すらも溶かして。

 だけれど、それで終わったとは到底思えなくて。

「つッ……あち」

 右腕から頬にかけて、皮膚がずるりと剥ける程の重い火傷。全身を襲う激しい灼熱感に、早くも呼吸すらままならない。

 ――無条件になんでも術を出せるほど精霊術は容易くない。

 極北の地で放とうとした炎は己の熱を契機にしたように、この地で水を出すにも契機となる水の要素が必要になる。

 だから今は、ひとまず簡単に出すことの出来る炎術で相手を圧倒することしかできない。

 もっとも、それでさえも……。

「馬鹿か、テメエ。そのままの意味での火力でオレを上回らにゃ、手数が多くても何一つ通らねえんだよォッ!」

 男が駄々をこねるように地面を踏みしめる。直後に、頭上へと吹き上がる業火の奔流が、火傷を代償に展開した業火槍を尽く弾き飛ばし、まったく効力の及ばない位置で爆発させた。

 ブロウは腰を落とす。

 大地を弾く。

 直後に、俺の顔面に拳撃を叩き込んだ。

 それは瞬間移動じみた速度で。

 それは山すらも崩壊させる力で。

 吹き飛ぶことすらも許されず、食らいつく拳はそのまま俺を地面に叩き伏せた。

「――ッ!」

 言葉すら出ない。それはブロウがただ近くに居るだけで、瞳も、喉も、全てが灼き尽くされてしまうから。

 だけど、頭は砕かれない。その程度には、地精霊のご加護……というか、術が効いている。

 そして、近くに居るということは――少なくとも俺が恐るるに足らぬと判断されたわけで。

 それはとっても嬉しいことで。

「迅風」

 吹き飛ばされた大地はまだ草木が茂っている。

 そこにブロウが来たということは、その停滞してぬるい空気は突如として熱せられて。

 だから風は、豊富にあって。

「く――がァァァッ?!」

 研ぎ澄まされた風の刃が、釣り上がる口の端から頬を引き裂き、顎の骨を切断して通過する。

 迸る鮮血は大地に触れるや、じゅう、と音を立てて炎を上げる。まるで熱せられて溶けた鉄だ。

 狼狽するブロウの腹を蹴り飛ばして、さっさと立ち上がる。距離を取るために『疾走バースト』を使えば、僅か数秒で族長のもとに戻る事ができた。

「ヒィ・クライト、と言ったかな」

「ええ、なんです?」

 彼女の元には戻ったが、しかし顔を合わせて会話するほどの余裕が有るわけではない。

 さっき仕留められなかったのが痛かった。まさかこんな所で照準が外れるとは思わなかったし、追撃で首を刎ねてればよかったのかもしれないけれど。

 なんだか、今そうするのは躊躇われて。

 まさか敵を殺すことに躊躇しているんじゃないのか、なんて自分が不安になってくる。

「何者だ、本当に、お前は……」

「しがない傭兵ですよ。無名の、ね」

 無名たらしめているのは、名が広がらぬような仕事ばかりしているから。

 大活躍したと自分でも認められる仕事は、殆どが依頼主が口を閉ざさなければならぬ状況になってしまったから。つまり、報酬を払えぬという事実を誰にも言えるわけがないから、自然にそれを請け負った俺の存在は自然消滅してしまう。

「私でさえ竜討伐出来る程度の実力者の名は知っている――いや、殆どは『城下』で活動しているから、否応でも噂が届いてくるのだが……」

 恐らく敵は、およそ稀に人類の脅威として猛威をふるい、適度に停滞しつつある平穏に刺激をもたらす竜以上の力を持つ。

 そんな相手と同等の、決してそれ以上ではないにしろ、それに近い戦闘能力を有する男の名は、確かに聞いたことのないものだ。人種的な特徴があるわけでもない、顔が見とれるほど秀でているわけでも、目立つほどに長身なわけでも、無骨なほどに筋肉が隆々なわけでもない。

 平凡な男で。

 鎧すら着ないのに、どんな敵の前にも踊りでて。

 契約すらしてない精霊術を、即応性高く使いこなす。

 その上、契約しても使いこなすことすら難しい四台精霊直下の地による回復や風、炎までも。

「――なんて、思ってんでしょうがね」

 そんな熱い視線を浴びていたら、次にあの拳を受ける前に溶けてなくなってしまいそうだ。

「なっ……いや、確かに、見惚れていたところはあるが。同時に、怖気がするほど恐ろしくも思った」

「逆の立場なら、関わりたくなくて逃げてるところですよ」

「いや、それも逆だよ」

「……え?」

「それほどの強さだからこそ、気安く失われていいものではないとな。今度からは”援護”する。里最大の実力者からの援護だぞ? もっとも、今のお前にはそれしか出来ないのだがな」

「過保護っすねえ。だからウィズは、まだ真っ直ぐな優しさを持ってるのかも」

「自分のことながら、違いないと思うよ」

 言いながら、総身が淡い緑色に包まれていく。地の底から吹き上がるような冷風が、瞬く間に地上の沸騰するような熱を一蹴した。

「エルフ属はかつて自然を使役する妖精だったんだ。こうして肉体を得てしまっても――力が失われたとは、決して思わない」

 立ち直るブロウは、ようやくこちらを向いた。

「なら提案があります。弓矢って――」

 傷が塞がっているのが遠目に見える。代わりに、言葉にならぬ咆哮が天空へと突き抜けて盛大に反響した。

 ぞくり、と背筋が凍る。総毛立つ。

 だけれど、族長は俺の言葉に頷き、そして俺を信頼したように眼差しを返した。

 だから戦うと決めた俺たちが一歩でも、後ろに退く選択をとることはなかった。


 大地から突出する白刃。硬化した土が先を錐のように鋭くしてブロウの肉体をぶち抜く。

 だけど貫通はもちろん、その皮膚に傷ひとつつけることすら出来ず、唯一出来た事を見れば足止め程度。

「クライトォォォッ!!」

 大地を殴る。

 遠隔的に、俺の足元から湧き上がった炎が、避けるか受け止めるかの逡巡すらさせぬ速度で火柱を上げた。

 首根っこを引かれて後退。巻き込まれた前髪が焦げて、酷い臭いが鼻腔に突き刺さる。

 そうして――体勢を立て直す前に、頭上から降り注ぐものがあった。

 受け止める余裕などありはしない。だがそれを考慮して、地面に音を立てて突き刺さる剣は、既に鞘を失い白刃を煌めかせていた。

「クライト! 必要でしょう?」

 空を旋回してから、俺の背後に着地するライア。そのまま再び安全圏まで身を退き、族長よりも後ろに退避する。

「ああ、十分だ。ありがとう」

 引きぬく剣を、そのまま構える。冴え渡る刀身は、大枚叩いた通りの使い勝手の良さと、馴染みの良さと、そして切れ味の良さを見せてくれる。

 果たしてそれを悪魔にまで発揮してくれるかは、定かではないけれど。

 ま、元々剣術はそう達者じゃないんだ。だけれど、今は鋭さなんて無駄でいい。この距離が虚仮威しになれば、それでいい。

 だから再び大地を弾いて、空間を引き裂き瞬間移動してきたに等しい速度で肉薄するブロウへと、俺は必殺の刺突で対峙した。

 剣はブロウの顔の横を抜け。

 拳は深く、俺の腹部に食らいつく。同時に、拳の先で炎が爆ぜた。

「か――はっ!」

 灼ける。焦げる。溶ける。

 砕ける。裂ける。意識が、トぶ。

 だがその瞬間に背後で感じた。

 大気を集中し、弓を作った手から族長が放つ、冷気を固めた矢による一閃を。

 そしてそれが、腹部を殴られにわかに大地から足を離し浮かび上がった刹那に、脇を抜けてブロウの鳩尾を貫いて――。

 それは些細な一閃だったかもしれない。

 だけれど、

「業火槍――ぉっ!!」

 些細な穴でもいい。

 たった一つだけ、燐光から膨張した炎の槍が、ブロウの腹に食らいついて爆ぜる。

 爆炎が膨張して爆風が俺を吹き飛ばし、ブロウを吹き飛ばし、そして俺たちが邂逅した空間からは共に弾かれて――。

 穴が空いた先に爆発し、尻もちをついた悪魔の腹には大穴が穿たれていて。

 虚空で見せた火焔が大気を一舐めして消滅する。

 同時に、ブロウも大量の出血で大地を焼き焦がしながらも、地に爪を立てて土を握り締めるだけで、立ち上がれない。

「はぁ、はぁ……はぁ――やべ、もう、無理だ……」

 肋骨が粉々に砕かれて、肺が破かれて、心臓が破裂して――地に伏せ倒れた俺は、指先すらも動かせずに居た。一瞬だけ吹き飛んだ意識をなんとか手繰り寄せたけれど、むしろあのまま蹴り飛ばしておいたほうがマシだったような気もする。

「大丈夫か、クライト。なんとか成功したようだが」

 正確無比の射撃。そして道具も何もなく、精霊術だけで構築した弓矢は、だけれど目論見道理に攻撃を完遂した。

「ええ……少しばかり、回復に時間がかかりそうですが」

 答えながらも、視線はブロウから外せない。

 そして――監視していても、動けぬ俺とは対照的に、腹に大穴を開けるブロウはもう既に立ち上がろうとしていて。

「……ヒィ、クライト」

 俺を見下ろして、その鋭い指先で俺を示して。

 その口元は、どこか厄介なまでに楽しそうにつり上がっていて。

「刻んだ。刻まれた。分かってたのに――聞こえてたんだがなあ。なのにこうも容易くハメられたのは、初めてだ」

「……これ以上やるなら、あたしが相手をするわよ」

 そうして、俺の前にライアが立ちはだかる。

 彼女の戦闘能力は未だに未知数。だけれど、ブロウの解放された戦闘能力――固有能力たるのが炎であるように、彼女だけには判然としている力で有利性を保てているのだろうか。

「テメエには勿体ねえッてんだよ糞アマが。ッたく、余韻に浸る間もねえのかよ、クソガキィ!」

「だったらさっさと尾っぽ巻いて逃げなさい。今の貴方にはそれしか出来ない癖に」

「ちッ、クソが。だがなあ、テメエのしでかしたこと、まさか忘れたわけじゃあるめえな? いくらテメエが”あの”ライアだからだろうと――」

「うるさいわね。ぶち殺すわよ」

「ッたく、おッかねえ」

 舌打ちと共に、最後に俺を一瞥したブロウは、まるで気安く片手を掲げて別れの挨拶をして。

 高く飛び上がる。直後に、その身が炎に包まれて……再び宵闇を真っ直ぐ引き裂く閃光となって、爆音と共に遠ざかっていった。

 俺の意識はそこで途絶える。

 当然のことだ。なにせ今の俺は、あのボディブローで即死していてもおかしくない状況だったのだから。

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